第4話「裂ける世界」




 それは大学何年目かの秋、特になんの行事もない休日の事だったと思う。

 欠けた記憶の中でも特別曖昧で色褪せた部分。その中で唯一鮮明に覚えているのは突然現れた後輩の事だ。まあ……岡本美弓というアホの事なんだが。

 呼び鈴が鳴って、ドアを開けて、顔を確認して、無言のままドアを閉める。その後の呼び鈴連打まではいつも通りだが、特に連絡もなしに突然訪ねて来て、何か用事があったのか聞いてみれば、別段そういうわけでもないという。『えへへ、来ちゃいました』じゃねーだろ。そのセリフ何回目や。年中聞いてた気がするぞ。


 だけど、この後輩が無意識の行動をとる時は必ず意味がある。最初に言い出したのが誰かは分からないが、少なくともサラダ倶楽部内では共通の認識だった。レタスあたりは特に気味悪がっていたはずだ。

 岡本美弓は、決して致命的なミスを犯さない。

 細かいミスは日常茶飯事で、ちょっとした成功ですぐに調子に乗り、派手に失敗する事も多い。近過ぎる距離感は人間関係の構築に問題を生じさせてばっかりだ。しかし、そんな中で踏み越えてはいけないボーダーラインは決して越えない。そんなギリギリの境界線上でタップダンスを踊るのがウザいと言われる原因の一つである。コーナーギリギリを攻めるその在り方は峠の走り屋にも似ている。

 特に意味不明な事をし始めたら危険信号だ。それは人の生死に関わるような何かを感じている証拠と言ってもいい。つまり、知っている人間は、美弓が突拍子もない事を始めると真顔になるのである。呆れているわけではなく、真剣にヤバイのだ。元々変な奴だから線引きが難しいのだが、慣れるとそれもはっきりしてくる。

 誰かが評していたが、普通通りに生活していたら死にかねない危険を無意識の内に回避しようとしているのだろう。本人の自覚が薄いのは、すべての致命的危機をスルーしているからに過ぎない。

 この時も、詳細不明だろうが結構な危険があるんだろうなと漠然とした印象を覚えていたはずだ。とりあえず、家の中で武器になりそうなものを考え始める程度には。


 しかし、事前に察知したところでどうしようもない危険はある。

 たとえば、警告なしに核ミサイルが降って来たら逃げようがないし、大地震や大洪水、更に極端な例なら脈絡もなく四方八方からトラックが突っ込んで来ても対処不能だろう。

 ……ましてや、存在するだけで世界を滅ぼすような超常の存在が異世界からやって来たらどうしようもない。そんなものを想像できるはずもないし、対策も立てられるはずがない。まだ、宇宙人が侵略して来る方が対処可能だ。

 この時、かつて見た事がないほどに美弓の様子がおかしかったのも頷ける話である。お前、そんなでかいリュック背負ってきて、特に用事はありませんとか有り得ねーから。


 あの時美弓がやって来なかったら、俺はどうしただろうか。唯一の悪意が出現するのは変わらないにしても、何か変化はあっただろうか。

 あの地獄の中で、同じような期間生き残りはしたかもしれない。結果も特に変わらなかったかもしれない。前世から俺の生存能力は折り紙付きだ。死は回避できないにしても、単独で無限回廊の亀裂らしき場所まで辿り着くくらいなら有り得ないとまでは言えない。改めて振り返ってもおかしな事をしてると思うが、それらは美弓の存在に関係なく実現している事だ。

 違いがあるとすれば、俺よりもむしろ美弓自身の事だろう。

 そもそもの話、美弓の目……危険回避能力は本人限定のものだろうと言われていた。何度か恩恵に与った身としても概ね同感だ。たとえば、俺と美弓が並んで歩いていて、俺だけを狙った通り魔が襲って来るとしても反応しないのである。

 もしも、俺たちが美弓に感じていた神憑り的な力が本人の危険回避のためだけのものだとしたら、あの時俺を訪ねて来たのは自分が少しでも長く生存するための行動だったのかもしれない。

 それはただの先延ばしに過ぎない。結局死んでいるわけだし、時期にしてもたかだか数日程度の違いだろう。結果は変わらない。

 しかし、それは前世だけを見た場合の結果である。もし、今この世界にいる美弓の存在が、そういった結果の産物だとしたら。俺たちの逃避行があったから、その時の強烈な情念があったから、今世の美弓が記憶を保持しているのではないか。……と、考えると空恐ろしいものを感じる。

 本人は今に至ってもまったくの無自覚だが、ここまで非現実的かつスケールのでかい体験をしている以上、現実離れした奇跡のような事でも有り得ないと言い切れないのも事実なのだ。


 正直に言ってしまえば、俺は岡本美弓が怖かった。

 無意識の内に真理を暴き、最適化されるように自身の危険を回避するその在り方が。

 本人が無自覚にしても、俺に近寄る行動に何かしらの意味を感じてしまうのが恐ろしかったのだ。




-1-




 クーゲルシュライバーが迷宮都市へ帰還する出港日。

 出港まで半日ほどという状況で、俺とユキは簡易宿舎を引き払うための後片付けをしていた。


「よいしょ……と。別にモノは増えなかったけどね」


 ユキが《 アイテム・ボックス 》から出した布団を箱に放り込んだ。その下には、俺や別の住人が利用していたレンタル布団が積まれている。


「たかだか数日の滞在で、モノ買うところもなかったしな」


 実際、やる事といえば掃除をして布団を交換する程度の事だ。

 使用した布団を近くの回収場所に運び、新しい布団を部屋まで持って行く。大した手間でもないが、クーゲルシュライバーの船室のように、業者がやってくれればいいのにと思わなくもない。まあ、タダで借りてるのだからやれと言われればやるが。

 ちなみに布団を交換するのは、船に乗らずにこのまま滞在する者が使用するためらしい。俺たちが使っていた部屋も、このあと誰かが使うのだろう。


「なんか、元々取り壊すはずだったけど、予定よりも残る人が多かったんだって。どうも、別荘として邸宅を購入した人もいるらしいよ」

「それはまた酔狂な……」


 こんな仮宿舎ではなく一般向けの建物も多く造られたのだが、そちらでは足りなかったという事なのだろうか。そんなはずはないと思うんだが……。

 ひょっとしたら、避難計画の一貫という事も有り得る。計画自体は未だ伏せられたままだが、少しでも多く残すように誘導したとか。

 まあ、何を考えて残る事にしたかは分からないが、追加募集が行われたのはつい昨日の事なので、こちらに来てから残りたいと思う何かがあったのだろう。

 別荘を建てる理由にはならんが……最初期も最初期だから安かったとか? 今後を考えるなら、投資してもいいと考えたのかもしれない。きっとこれからバブル経済が始まるのだ。


「そういえば、お前クロのみやげどうすんの? 売店で売ってる饅頭?」


 わりとどうでもいい事ではあるが、特に事情を知らない枠であるクロから土産を買って来てくれと言われていたはずだ。

 最初から分かっていた事ではあるが、もちろんこの世界に土産になりそうなものはない。少なくとも売ってはいない。その上で引き受けてしまったのだから、一応体裁だけでも整えておくべきだろう。

 そういう意味では、アホみたいな話ではあるがクーゲルシュライバー内で売られている饅頭でも無難といえる。あいつだって事情を説明すれば自分が口にした事の無理難題さに気付くだろう。

 ちなみに、船内の売店には異世界なんちゃらという名前の商品が溢れている。中身は迷宮都市で普通に売られているもので、包装を変えただけのものだろうが、商魂たくましい事である。

 クロ繋がりで< 黒老樹 >とも考えたがアレは鍛冶師たちの争奪戦になっているからな。

 ……いや、龍の銅像とか? こう考えると、小さいサイズなら土産モノとして通用するのか?


「アレでもいいかと思ったけど、五龍将の星龍さんに鱗もらったよ。検疫済みだから、このまま持ち帰れる。最後に空港でチェック入るけどね。なんと、魔力に反応して虹色に光るんだぞー」

「レアものやな」


 ゲームなら後半にドロップアイテムとして手に入りそうなシロモノだ。確かにそれなら土産として成立しそうである。なんに使うのかは知らないが。

 俺もマブダチの界龍に何かもらおうかしら。……あいつ、鱗あったっけ?


「さて、あとは荷物確認くらい?」

「修学旅行みたいにあと後でチェック入るらしいから、忘れ物したら怒られるぞ。共用冷蔵庫に何か入れてたら忘れないようにって壁に張り紙もあったな」

「あ、それ忘れてた」


 ユキは再度宿舎へと戻って行く。初日に飲み物を持ち込んで、結局飲まないまま忘れていたらしい。まあ、俺たちって大抵 アイテム・ボックス 内に飲み物常備してるからな。

 俺は冷蔵庫は使っていないので、後片付けは終了だ。

 このあと、一度皇龍のところに顔を出す事になっているが、それでも時間は少しばかり余っている。まるっきり何もないのなら早めに乗船してしまうのが無難なのだが、微妙なところである。


 そんな事を考えながらユキの帰還を待っていると、こちらに向かって歩いてくる人影に気付いた。この旅の冒険者代表であるグレンさんだ。こちらが気付いたと分かると手を振って来た。


「何かありました?」

「特に用事があるわけじゃないが、私はここに残るからな。見送りくらいはと思ってね」

「ああ、そういえばそうでしたね」


 この人は帰りの便には乗らないのだ。夫婦で異世界に滞在する駐在大使のような事をするらしい。職業を考えると極一時期だけの事で、そもそも大使としての仕事があるかも分からないが。

 ちなみに冒険者代表が残る事になるので、仮という形ではあるが復路の代表者はリグレスさんが引き継ぐらしい。あまり代表という印象のない人だが、冒険者としての格はグレンさんに次ぐ。


「結局どれくらい滞在する予定なんですか?」

「例の件の事もあって、四月いっぱいはこっちの予定だな」


 なるほど、確かにそれを過ぎれば問題は解決済みだ。もしくは、どうにもならなくなるかのどちらかだろう。……最悪の場合、グレンさんはあちらの土を踏めないという可能性も有り得るというわけか。もちろん、そうならないためにダンマスが奔走しているわけだが。


「四月はクランのほうでも仕事が多いから、私ばかりに仕事を振る連中にお灸を据えるには良かったのかもしれん。……剣刃とか。いっそ、ベネットも戻すのをやめてしまおうか」

「五人いて、対外的な仕事を一人に集中させてるのも不健全ですからね」

「しかも、できないわけじゃなくやらないだけだからな」


 何か分からない事があって連絡をとろうにも、現時点でこちらとあちらの通信はかなり限定的だ。

 まるっきり不可能というわけではないが、メールを送信するにもセカンドを通さないといけない。例外は皇龍だが、アレはダンマスオンリーの直通電話だから仕事の役には立たないだろう。

 また、こちらではステータスカードを使った電話などの機能も使えないままで、一般には災害掲示板のような機能を一部解放しているのみとなっている。中継機などの設置が必要と考えるなら、結構な大規模工事が必要になるだろう。環境の問題かトランシーバーなども使えないので、《 念話 》が使える冒険者は大人気らしい。


「君たちの予定はどうなんだ? 折返しの第二便は、向こうに着いてすぐになるわけだが」

「何人か乗るのは確定してますけど、俺は微妙ですね。< 地殻穿道 >……魔の大森林まで行ってダンマスたちと合流する予定なんで、その状況次第って感じです」


 その人選でも迷っている。俺一人で行くか、ベレンヴァール含む高レベル帯の連中を連れて行くか、あるいは外部の冒険者を連れて行くか。星の崩壊が死活問題で、そもそも船に乗れないガルドと水凪さんは一緒に行く事になると思うが……。


「原因らしきものが発見されたという場所か。確かに何が起こるか分からんな。特に君が行くとなると」


 何もなければ、確認だけして第二便に乗る事になるだろう。実は名簿にも載っていたりする。

 魔の大森林は大陸の南、俺の故郷よりも更に遠い場所にあるが、転移装置が用意されているので、移動時間だけならむしろ余裕があるらしい。


「しかし、不気味なくらいに順調だったな。前回の経験から、ここでも何かあると思ってたんだが」

「案外、何かあると警戒してたら何もないとか。いや、まだ分からないですけどね」


 出港したわけでもないし、帰りの道で何かがある可能性だってある。それに、四月というタイムリミットだってある。

 ……物欲センサー的なものが有効なら、対策も立てやすいだろうな。


「このあと衛星に行きますけど、グレンさんも行きますか? 多分、ダンマスと途中経過について情報交換もありますし。時間あればですけど」


 そこで皇龍にあいさつがてら定期連絡したあと、空龍を回収、そのままクーゲルシュライバーで迷宮都市に戻るという流れだ。

 ちなみに銀龍と玄龍はすでに乗船済みである。文化爆弾のようになっている二人……特に玄龍を警戒して軟禁するという思惑もあるらしい。


「そうだな。実は今日からしばらくは暇なんだ。昨日の晩も一人で詰将棋してたくらいだ」

「奥さんいるなら、相手してもらえばいいじゃないですか」

「……あいつ、私より強いんだよな。帝国にいた頃からボードゲームの類は妙に強いんだ。本業の私相手に図面演習で張り合うくらいに。基本的な知識しか教えてないはずなんだが……」


 どんな嫁さんだ。帝国の英雄とまでいわれてる人の奥さんなら、それくらい当然とか。

 いや、ないだろう。王国より緩いらしいが、それでも迷宮都市以外の軍人は基本的に男性社会だ。男だったら歴史に名を残す才能だったのに、とか言われてしまう人なんだろうな。




 その後、戻って来たユキを連れて向かうのは転送装置……ではなくクーゲルシュライバーの発着場である。そこで量産型スーパーボーグ……というか、小型艇の仕様を一部変更したものを借りる予定になっている。足代わりに使ってもいいという許可は取り付け済みだ。実験台ともいう。

 これはスーパーボーグの性能に注目した技術局職員が提案して作られたもので、この星の移動用に特化させたシロモノらしい。台数の問題もあって普段から足に使うのは厳しいが、転送装置くらい離れている場合は有用だ。

 スーパーボーグのような汎用性は皆無で、アタッチメント機能もない。本来の目的である世界間の穴での運用もできなくなっている、と散々な劣化品であるが、代わりにこの星で運用する事ができるという利点がある。意外に需要があったのか、今後はこの形での量産も検討されているらしい。

 ボーグが搭載されているわけではないので操縦系はほぼ手動だ。ただし、迷宮都市で普及している自動車に近い……多分ほとんどそのものを使っているため、自動車が運転できる者なら問題なく使用できる。元々は俺が運転するはずだったのだが、どうせならちゃんと免許を持っている人が運転したほうがいいだろうと、グレンさんにお任せする事になった。


「グレンさんは赤い車の人みたいに暴走癖とかないですよね?」

「誰の事を言っているか分かりかねるが、彼女の運転技術は結構なものだぞ。レースに参加した事もあるが、勝てる気がしない」


 誰だか分かっとるやないか。


「速度を出すのもそれを認められている道だけだ。ローランが言うように助手席に乗りたくないのは同感だがね。私の腕は……まあ普通だな。違反歴もない」

「それなら無免許の俺よりはマシでしょうね」

「そもそも、ここで事故るのはよっぽどだろう」


 障害物はほとんどなし、気をつけるのは龍が進行上に飛び出して来ないかくらいだろうか。もっとも、そんな環境でなければ無免許の俺が運転する許可は降りなかったかもしれんが。

 ……実はユキのほうが上手かったりする可能性すらあるな。




「発着場に戻るなら、どうせだし地下通路を使ってみるか」


 というのはグレンさんの提案だ。俺たちは仮宿舎の一つに地下への通路があった事すら知らなかったが、どうも各施設を連結するように地下通路を造っているらしい。


「はー、なんじゃこりゃって感じ」

「地上に見えてた建物の他に、こんなものも造ってたのかよ」

「本当に掘って補強しただけの状態らしいがな」


 微妙に不可解な心境でグレンさんに案内されて地下への階段を降りると、その先で待っていたのは巨大な隔壁だった。その隔壁の脇にある人間用通路を抜けると、地上に出たかのような巨大空間が広がっていた。龍の巨体でも、ほとんどの個体は余裕で通行できるサイズの大穴だ。


「まだ完成にはほど遠いらしいが、私が借りている邸宅や一般向け宿舎とも直結している。地上は結界があるとはいえ、やはり危険だからな。その点、地下ならいくらかは安全だ」


 だから冒険者への連絡が後回しになっていたのだろうか。こうして入れるのだから、別に秘密にしていたわけでもなさそうだが。


「人間すごいなー、あんなちっこいのにこんな穴掘るとか」

「ワイ、ここ住む」

「あかんやろ」


 遠くのほうでは厳つい龍が三体うろついているのが見える。言葉だけ聞くと一般人の会話にしか聞こえないが、ビジュアルを併せて見ると奇妙極まりない光景だ。面白いとか以前に困惑する。


「お、人間や。手振ったろ」


 その内の一体がこちらに気付いたのか、ブンブンと手を振っている。釣られて手を振り返すユキも困惑気味だ。

 などと、ハートフルなんだか良く分からない体験もあったが、俺たちはクーゲルシュライバーの発着場方面へと足を向けた。徒歩だが、距離的にはさほどでもない。むしろ、地下に降りた分長くなっているのはアレだが、時間には余裕があったので問題はないだろう。


 発着場地下部分は巨大なシェルターのような空間だった。今は解放されたままだが、通路全体を塞ぐ隔壁もある。


「ここと一般人向け宿舎の地下だけは、万が一に備えてシェルターになってるらしい。数値の上では、外の結界がなくなっても数日なら耐えられる強度で、外側には何重にも分厚い層が重なっているそうだ」


 数日というのは、救出にかかる時間を想定しているのだろう。

 掘削を兼ねた第一便は別として、第二便以降は数日程度で往復できる。万が一連絡が途絶えたとしても、それまで耐える事ができれば助かる見込みがあるという事か。

 良く考えなくても、こういった対策は必要だ。冒険者だけでもそうだが、一般人には正に死活問題といえる。クーゲルシュライバーが発進したあととか、ものすごく不安になるんじゃないだろうか。


 上を見上げれば、ここだけは極端に天井が高い。おそらく、クーゲルシュライバーが丸ごと入るような昇降機になっているのだろう。

 備え付けのエレベーターに乗って地上へと上がれば、そこは見覚えのある発着場内だ。この通路を使えば地上を介する事なく現在の主要施設へ移動が可能という事だな。




-2-




「およ?」


 クーゲルシュライバー発着場に繋がるエレベーターの出口で、唐突に二人組のハーフエルフと遭遇した。向こうも『なんでこんなところに』という顔でこちらを凝視している。


「なんでミユミさんがこんなところに?」

「えーと、それはこっちも聞きたいというか……そのエレベーター動いてたんですね」


 やはり、冒険者には地下通路について周知されていないらしい。とりあえず、現段階では一般人向けの連絡通路&シェルターという事なのだろう。


「俺たちは新しくできたっていう地下通路を試しに歩いてみただけだ。お前らは?」

「あ、部長。聞いて下さいよー。ミユミが変なんです」

「こいつが変なのは今に始まった事じゃないだろ」

「むー、センパイにだけは言われたくないです」


 クラリスの意見は極真っ当だと思うぞ。普通、いきなり龍の銅像作り出すだけでも変な行動だと思う。タイミング的には今回は別件だろうか。


「長くなりそうなら、私は車を受け取ってくるが?」

「えーと……すいません、お願いできますか? いきなりグレンさん行ったらラディーネびっくりするから、ユキも一緒に行ってくれ」

「はいはい」

「いや、一応知人ではあるんだが……」

「まあまあ」


 チラッとクラリスを見た限り、すぐに片付くような話ではなさそうだ。あと、あの美弓の困惑した表情は、俺がいたら困るような案件っぽい。それは当然残るというものだろう。

 グレンさんとユキがクーゲルシュライバー内に向かうのを確認して、再度クラリスに確認を始める。


「で、美弓がどんな奇っ怪な行動を始めたって? アレだぞ、こいつが変な行動とり始めたら危険信号だぞ」

「あ、やっぱり知ってるんですね、それ」

「うごごご、解せぬ」


 どうやら、旧サラダ倶楽部の常識は新サラダ倶楽部でも受け継がれているらしい。

 自覚のない本人としては不本意らしいが、傍から見たら本当に変な行動とるからな。部活関係者以外でも、近しい人間は認識してたくらいだ。

 ……つーか、それ関連なのか? 軽く流そうとしたが、内容次第じゃヤバくね?


「なんか、今日になって突然こっちに残るとか言い出したんですよ」

「いやその……残るのも違くて……」

「…………」


 ……真剣に危険信号かもしれない。一瞬にして緩んでいた空気が引き締まった。

 これは、前世からお世話になってるアラームだ。本人依存だし、どんなものにでも反応するわけじゃないから使い辛いが、的中率だけは無視できない。

 しかし、どこまで踏み込んでいいものやら。美弓の勘も万能じゃねーし、微妙な加減が必要になるな。それにクラリスを巻き込んでもいいものか……。


「あー、クラリス。……今の状況についてどれくらい話聞いてる?」

「ある程度は聞いてますけど。星が壊れるとか、ダンジョンマスターがそれを止めようとしているとか……え、ひょっとして帰ったらそれに巻き込まれるとか……まさか、そういう事なの?」

「いや、誰もそんな事は……あたしはただ、えーと……」


 極めて歯切れの悪い受け答えだが、この感じはあの時……世界が崩壊する直前の時と同じだ。

 本人が良く分かっていない。分かっていないが危険だから回避しようとする。理屈も理由も意味不明だから、本人はしどろもどろになる。

 この状況の美弓にできる事は前進、後退、転進、停止くらいのもので、単純な動作しか受け付けない。壊れかけのロボットのようなものである。


「ついさっきからこんな感じなんですよね。いつもよりひどいというか……言ってる事も無茶苦茶で、そもそも答えもなさそうっていうか」

「直感とか、もっと不可解なものを根拠にしてるから説明できないんだろ。こういう時の対処法として、こいつの憧れであるドレッシングさんからいい方法を聞いている。美弓、これを持てい」

「は? え、えーと、なんですか、これ」


 こんな事もあろうかと……というわけでもないが、《 アイテム・ボックス 》に死蔵されていた宴会用の○×のプラカードを渡す。特に何かの効果があるわけでもない一般的なものだ。


「お前の直感力テストだ。これから俺がする質問に対し、○か×かで答えなさい。尚、その際の発言は認めません」

「え、ちょ……発言認めないって……」

「クラリス隊員、こいつの口を塞ぎなさい。いやマジでやばい感じだから」

「ラジャーです! 部長命令なら仕方ない。間違って鼻に指突っ込んだらごめんね」

「え、ちょ……ぬわーっ!!」


 後ろから両手で口を抑えられた美弓は『なんでこんな事に』という目をしつつも大人しくなった。

 この場合、美弓に発言を求めてはいけない。なんせ本人が良く分かっていないのだから逆効果でしかない。そこでドレッシングさんが考案したのは、美弓の行動を最低限まで縛る事で極力ノイズを減らす作戦だ。曖昧な回答も避ける事ができるので、幾分かマシになる。あくまで幾分か。


「では第一問。お前は迷宮都市に戻りたくないのか?」


 納得できていないのか、ジト目で俺を見る美弓をよそにテストを始める。

 とりあえず、回答の分かり切っている質問だ。ミユミはおずおずと『○』のプラカードを上げる。

 つまり、星の崩壊かどうかは分からないが、迷宮都市には身の危険を感じているという事なのだろう。

 この場合、注意しなければいけないのは、迷宮都市自体が危険というわけではなく、あくまで迷宮都市に戻る事に対して美弓が危険を感じているという事である。極端な話、戻ると美弓を狙った暗殺者に襲われるというのでも同じような反応になるだろう。

 しかし、状況が状況だ。心当たりがあり過ぎる。これだけでもダンマスには説明しないといけない。船の到着時期を考えるに、ここ数日が勝負になりそうだ。

 そして、おそらくそれだけではない。それだけならこいつはここまで狼狽えない。これは本当にどうしようもない時に次善の行動をとろうとしている場合の反応である。


「じゃあ、第二便で帰るならどうだ? それでも戻りたくないか?」


 反応がない。少し待って『×』のプラカードが上がるが、これは役に立たない情報だろうな。


「なら、ここに残りたいのか? あー、とりあえず第一便な」

「…………」


 少し間を置いて、『×』のプラカードが上がる。

 後ろで羽交い締めにしているクラリスが困惑しているが、戻りたくないし残りたくもないという矛盾した答えである。つまり、どちらも危険という事だ。

 どこなら安全なんだよって感じではあるが、どこも安全じゃないから本人もどうしていいか分からなくなっているのだろう。状況は掴めてきた。


「なら、クーゲルシュライバー乗っ取って変な方向に堀り進むか? 変な世界に突き当たるかもしれん」


『×』だ。

 ……まあそうだろうな。ダンマスですら何があるか分からない空間の話なんだから。十中八九死ぬ。第一、セカンドやヴェルナーを納得させられる理由もない。


「この星から離れて別の惑星に避難するっていうのはどうだ? 一応だが、移動手段がないわけじゃないぞ」


 かなり悩んだが……『○』か。

 裏にいるクラリスは何か言いたそうだが、これは本気で検討しなきゃならんかもしれん。

 ただ、これも回答までに短い思考時間があった。あてになるかは微妙なところだ。



「ツナー、まだー?」


 少し離れたところからユキが呼びかけて来る。後ろにはタイヤの付いた小型艇があり、その運転席にはグレンさんが座っているのが見えた。丸っこい車体なので、かなり似合わない。


「あー、もういいぞ。酸欠で死にそうだし」

「ぷはっ!! く、くら、クラリス!! 本当に指突っ込まないでよっ!! 死ぬ」

「あ、ごめん……。いつの間にか……って、これどうするんですか? 意味不明なんですけど」


 美弓の口から手を離したあと、一番困惑していたのはクラリスだった。鼻に指突っ込んでても気付かないくらい。……まあ、そうだろう。なんせ、どこ行っても危険と言われたのに等しいのだ。

 もちろん、当たる事を前提にするのならだが……あいにく、俺は過去の体験から無視はできないと思っている。


「どうするもこうするもないな……これから皇龍のところ行くから、通信でダンマスに説明して……別の星に行けないか聞いてみるとか?」

「えぇ……」

「ちょっと判断が難しい。とりあえず、話すだけ話してみる……美弓?」


 直感力テストは終わったのに、美弓は無言のまま俺の腕を握っていた。

 俯いているので表情は見えないが、これまでで一番大きな反応だ。


「まさか……皇龍のところに行くなって?」


 無言のまま、片方の手で『○』のプラカードが上がる。

 つまり、迷宮都市に戻るとヤバイ。この星にそのままいてもヤバイ。この星を離れてどこか行きたいけど、その許可や手段を求めて皇龍のところに行くのもヤバイ。……と、そう言っているのか。

 ……まさか、別の星に行く提案をした時の思考時間は、時間的に不可能という前提付きだったからなのか?


「いや、それどうしろと……」

「……つまり、どこ行っても危険って事だな。八方塞がりだ」


 さて、どうする? 無視するというのも普通の感性ならアリなんだろう。客観的に見ればこいつの言ってる事は無茶苦茶で、根拠すらない話だ。

 逆に、その勘の正確さを昔から知ってる身としては、今のこの場は重要な分岐路だと分かる。しかし、どの分岐を辿っても危険だと突きつけられている。しかもそれは今の美弓を基準としたものだろう。ベテラン冒険者でも回避必至な危険だ。

 ……そんなどうしようもない状況が多方面から迫っているとでもいうのか? それぞれが独立した危険? そんなわけあるか。どう考えても連動している。

 冷静になれ。降って湧いたような状況ではあるが、これはむしろ事前に察知できた事がラッキーだったと考えるべきだ。美弓の勘が暴走しただけという線だってあるが、間違いならそれはそれでいい。こんな状況で場をかき乱したと怒るつもりはない。

 ならば、やるべき事はなんだ。前後左右どこに向かっても危険。……なら、前に向かって踏み込むべきだ。


「時間との勝負になりそうだな。……美弓、一緒に来てくれ」

「は、はひ……」

「え……と、この状況のミユミ連れていくんですか? なんか倒れそうなんですけど」


 危険察知用のアラート代わりだ。それ以上の何かは期待しない。


「クラリスはどうする?」

「そんなミユミ放って置くわけにも……」

「なら、ちょっと付き合ってくれ。何があるかは分からんが、戦力はあったほうがいい」


 クラリスは美弓のパーティメンバーだ。現時点なら俺たちよりもスペックは上のはず。

 他に戦力……誰かを連れて……いや、今から頭数を揃えるよりも、行動が先だろう。……いや、ちょうどいいのがいた。


「ベレンヴァールっ!!」


 なんの用事があったか知らないが、頼りになりそうな奴が通りかかった。


「ツナか? どうした」

「悪い、ちょっと付いて来てくれ」

「あ、ああ、構わんが……何事だ。そろそろ搭乗時間だろう?」


 事情説明は車の中でもいいだろう。




「すいません、飛ばしてもらっていいですか? アーシャさん的安全度外視運転で」


 車に美弓とクラリス、ベレンヴァールを詰め込んで発車を促す。

 俺の形相に反応したのか、グレンさんは何も言わずに運転を始めた。


「つ、ツナ? 何がどうなってんの?」

「良く分からん。分からんが危険だ。何が危険か分からないから、できる事をやる」

「何がどうなってこの状況に……ミユミさんも具合悪そうだし」

「いや、一番わけ分からないのは俺なんだが……」


 ユキの困惑もベレンヴァールの混乱も極当たり前の話である。

 事情説明は必要だが、それよりも先に連絡だ。最優先でダンマス、皇龍、ヴェルナーとセカンド、あとはウチのメンバーに警戒してもらいたい。

 ステータスカードからセカンドを呼び出す。こちらの世界ではまだ個人間の電話は使えないので、緊急時のみ使用してくれと言われた機能だ。数秒も待たずに電話が鳴る。


『こちらクーゲルシュライバー。緊急事態ですか?』

「セカンド、ダンマスに連絡頼む。『詳細不明だが全周囲に向けてトマトアラートが反応。要警戒。可能なら皇龍宛に連絡求む』」


 美弓の事についてはダンマスも承知済みだ。これだけでも伝わるだろう。


『……了解しました。同一文を送信済みです。二点確認があります。アラートというのはミユミの事でしょうか? こちら側に対処希望はありますか?』


 落ち着いたトーンの口調が頼もしい。


「アラートはそうだ。だから警戒体制時のマニュアルに沿って対応を求む。時刻的にはかなり早いだろうが、いつでも発進できるよう準備は進めてくれ。可能なら、ヴェルナー他関係者への伝達も……」

『伝達時に根拠を尋ねられた場合はどうしましょう? アラートでは通じない人がいます』

「渡辺綱の勘。何もなかったら俺にペナルティ課して構わない」

『了解しました』


 緊急故に最低限の文言になってしまったが、セカンドなら同時進行で作業をしているだろう。


「手が空いたら説明もらえるか? 状況が掴めない」

「すいません、えーと……」


 運転中のグレンさんに促され、車内にいるメンバーに現在の状況を説明する。

 多分、俺が警戒しているほどには伝わらないだろうが、それは問題ない。


「なるほど。詳細は一切不明だが、いきなり緊急事態に巻き込まれるよりはマシだな。杞憂に終わるなら尚いい」


 以前と違って、グレンさんはある程度冷静だ。


「何も分からないのは変わらないんで、やるはずだった事を可能な限り前倒しにします。時間稼ぎくらいにしかならないけど、動けなくなるよりはいい」

「準備を進める分には影響はないだろうな。ミユミ君の方は分からんが、君の勘というだけでも十分警戒してお釣りがくる」


 経験者はこういう時ありがたい。


「ツナ、とりあえず例のチャットと掲示板に一報飛ばしておいた」

「避難訓練を装って一般人をシェルターに誘導してもらうか。突発的だが不自然でもない」

「すまん、転送装置は時刻で制限されているんじゃなかったか?」


 俺の周りでは突拍子もない事が起こるという前例があるからが、全員普通に受け入れてくれたようだ。あくまで問題なさそうな範囲でだが、やれる事、やった方がいい事の検討も勝手に始まった。


「ミユミ大丈夫? 吐く?」

「ぎぼちわるい……」


 美弓に関しては反応を窺いつつ放置でいいだろう。前世の時もそうだったが、能動的に何かが期待できるような状況ではなくなる。

 そうして、あっという間に転送装置前に到着。事前連絡した事でロック解除ができたのか、装置の前に空龍が待っていた。


「……あの、どういう状況なんでしょう?」

「何か危険が起こりそうだから要警戒中。面会時間はまだだが、とりあえず皇龍と合流しておきたい」

「はい。衛星へ移動後、お母様が回収してくれるそうです」

「そりゃ助かる」


 俺たちはすぐに転移装置をくぐる。

 全員が装置を抜けた直後、何かに引っ張られるような感じがしたら、その次の瞬間には皇龍のホログラムが目の前にいた。


「手荒だが、緊急らしいので引っ張らせてもらった。杵築とも連絡が繋がっている」


 最初にこの姿の皇龍と面会した玉座の間だ。ダンマスが映ったモニターも浮かんでいる。

 ……とりあえず、最低限の状況は整えたぞ。




-3-




『とりあえずお疲れ。ミユミどんな感じ?』

「あ、ああ。……正直なところ、前世の時もここまでひどいのは見てない」


 後ろを振り返るとクラリスに支えられたミユミがいる。


「コヒュー……コヒュー……」

『……それ、なんかの病気とかじゃなくて?』

「多分、違う」


 なんか過呼吸気味だが、普通に体調を心配するレベルだ。車酔いって事もないだろう。

 美弓の体調は危険の規模とは一致しない。どちらかといえば、それは逃げ道のない矛盾から来た反応ではないかと思う。

 ……実は一人だけ人工衛星の環境調整に合致してないとか、そんな事はないよな。


「そういえば、空龍は?」


 見渡しても、ここにいるのは皇龍と車に乗っていた六人だけだ。


「あやつは衛星側の転送装置前で待機させておる。状況は掴めんが、緊急事態というなら妾の近くに置いておくのは問題があるからな」


 皇龍が俺を見る。正直、空龍と違って感情に乏しい表情だが、その目が訴えているものは理解した。

 ……いざって時は逃がせって事ね。逃げた先が危険っぽい上に、ここに俺がいる以上どうなるかは分からんから、どこまで期待に沿えるかは自信ないけどな。


「ただ、本当に勘みたいなもんだから、何があるかは分からない。何もないかもしれない。何もなかったら美弓に裸踊りさせるから許してくれ」


 とりあえず皇龍やダンマスと情報共有できた事で、少し冷静になった。

 変な冗談を挟むくらいには。……問題は、そのネタにされた奴がいっぱいいっぱいで無反応という事だが。


『何もないならそれでもいいんだが、実はこっちでも少し動きがあった。……ちょうど数十分前から、例のエネルギー体に変化が見られてる。セカンドから連絡来た時はビビったが、その前からこの通信は開いてたんだ』

「そうなのか」

『ただ、脈動の幅が大きくなっただけで、現時点で大きな支障はない。那由他の障壁にも問題はないし、今現在も強化を続けてる。これがわずかでも内側から削られるようならそっちに逃げたほうがいいかなーって思ってたんだが……』


 ……残念だが、こっちもヤバそうなんだよな。


「皇龍、何か心当たりとかは……」

「ない。そもそもここが危険になる状況もあまり思いつかんな。攻め込まれた前例もせいぜいあのクソ虫くらい。あとは杵築が突然攻め込んでくるとか」

『ねーよ』

「分かっとる……。ともかく、これまで邂逅したダンジョンマスターも、わざわざ他の世界に攻め込むような奴はいない。あるとすればまったくの未知だな……唯一の悪意の例があるから、絶対にないとは言えんが……ん?」

「……どうした?」


 不意に皇龍が考え込む素振りを見せた。


「なんでもない……いや、妾自身に妙な違和感を感じた。何かを忘れているという事はまずないはずだが……」


 些細でも心当たりはあるという事なのだろうか。龍のスペックで物忘れとかなさそうだけど。


『一応、こちらの状況も説明しておこう。那由他がエネルギー体の周りに張っている障壁は、現時点で三千七百層。これは一枚一枚が俺の全力攻撃にも耐え得る強度で、それぞれ特性をずらす事で不測の事態に対応できるようになっている』


 そりゃできるだけ頑丈なほうがいいだろうが、やりすぎな気もするぞ。今はそのやりすぎが頼もしいが。


『エネルギー体の解析はあまり進んでいないが、中心に何かがあるのはほぼ確定だ。ただし、これは核ではないっぽい』

「……どういう意味だ?」

『中に何かはある。もしくはいる。しかし、周りにあるエネルギーはそこから発したものではなく、独立している。覆ってはいても別物って事だ。だから、エネルギー自体の解析が進んでも中身はさっぱりって状態になってる』


 完全な別物で、連動していないから一切の情報が遮断されている。壁を調べても向こう側に何があるのかは分からないって事か。直接調べようにも周りの壁が邪魔をしていると。

 抑え込んでいるのか守っているのかは分からないが、手が出せない。

 ……これだと、むしろ中身のほうが危険性が高そうだ。


『一概には言えないが、もしもこの障壁が一枚破壊されたら警戒域、複数枚破壊されたら危険域。さっきも言ったが、そんな意味不明な存在なら下手に抵抗しようとせずに逃げに徹するべきだと考えてた』

「でも、こっちも危険かもしれないと」

『……最悪の場合、すべてを放棄して無限回廊に逃げ込むか』


 ……そういえば前にも言ってたな。最終手段だとか。


「なんで無限回廊が最終手段なんだ? 一番容易な避難場所に感じるんだが」

『理由はいくつかあるが……無限回廊と根幹世界の接続が絶たれる可能性がある。絶たれなくても無限回廊は根幹世界の環境に依存しているから、内部も影響を受ける可能性が高い。あるいは俺を基準としたシステム設定も崩れる可能性もあるから、時間操作も死者復活も機能しなくなる恐れがある。何が起こるか分からないから博打みたいなもんだ。だが、全滅よりはマシ』


 入り口がある場所が無事なら避難場所になり得るが、そうでないなら危険極まりないって事か。

 戻れなくなる可能性すらあるんじゃリスクがでか過ぎる。手段を選んでられなくなった場合に博打として選択するくらいって事か。


「あれ?」


 後ろでユキの声がした。振り返ると、その手にはステータスカード。おそらく、例の掲示板やチャットを使ってクラン内で情報共有を進めていたのだろうが。


「……どうした?」

「接続が切れたっぽい」

『……こっちはまだクーゲルシュライバーと繋がってるな。なにか通信を阻害するよ……な』

「おい、ダンマス……」


 引き続いて、ダンマスとの通信も途絶した。

 ……ここまで来れば俺の勘でもある種の確信がある。これは、前触れだと。

 美弓の顔色は蒼白を通り越して土気色だ。


 何かが起きる。近付いている。最大限に警戒すべき危険が。

 ユキもグレンさんもベレンヴァールも、戦闘状態に入った。

 環境音が聞こえなくなった。この人工衛星の環境を維持するために動作させている装置の音だ。普段気になるほどの音量ではないが、一斉に止まった事ではっきりと感じる事ができた。

 環境維持機能自体はおそらく止まっていない。音だけが遮断されている。


「……《 因果の虜囚 》は対となる存在を持つ」


 静寂の中、皇龍がつぶやき始めた。異変は感じ取っているはずだが……。


「対?」


 どういう意味だろうか。これまで皇龍が語った中に、そんな言葉はなかったはずだ。

 そもそも、俺も皇龍もこの呪いじみた力について分かっている事などほとんどない。

 出し惜しみをしていた、というのも性格上考え難い。そういった愉悦を感じるタイプではない。


「我と彼は同じものであり、対なるものである」


 それは、会話というよりも何かの物語に記述された一節のようだ。

 自分で紡ぎ出しているというよりも、言わされているようにも見える。


「……皇龍?」

「洗脳などの類ではない。突然、情報が流入して来た。……なんだこれは。妾は何を知っている」


 幻影故に感情の伝わり難い皇龍だが、その姿にはあきらかな狼狽が見える。



――その時、世界が裂ける音がした。



 正確に言うのなら、音など鳴っていない。しかし、確かにそれを感じた。今、この場は外界と遮断されている。それが分かる。


「我と彼は互いに天敵であり、争う事を魂に刻まれたものである」


 場の変化を無視したように、皇龍の呟きは続く。

 天敵とは先ほどの対存在を指すようにとれるが、虜囚に天敵がいるという事なのか?

 ……俺にも?


「っ!!」


 何かのビジュアルが浮かび、激しい頭痛が走った。

 今のは……四神練武だ。動画を繰り返し見たから良く知っている。第四エリアのボスである豪烈鬼と陰陽鬼。その戦闘の主観視点……。


 連想する。失った記憶が繋がっていく。

 < 鮮血の城 >。< 真紅の玉座 >。対するはリーゼロッテ・ライアット・シェルカーヴェイン。

 右には鬼の威容を持つ< 童子の右腕 >。左には黒い瘴気を纏った< 渡辺綱の左腕 >がある。ないわきゃない……当たり前だ。俺の腕なんだから。

 一見それらに関連性はない。しかし、共通して浮かび上がるイメージがある。鬼……だ。


『名前には意味がある。異世界の話だろうが、逸話や伝説に残るような名前が影響を受けないはずがないってのが俺の推論だ』


 そうだ。名前には意味がある。力がある。まったく関係ないものでも、そう在れと名付けられれば、それだけで因果は生まれ得る。


「我と彼は抗えぬ死そのものであり、存在を許容できないものである」


 俺の対存在は鬼だ。俺の死は鬼だ。見た事も会った事もないが、そういう存在がいる。

 そういう確信が生まれた。……違う、思い出した。


『そうだ。君の■■から生まれた矛盾の塊。■■■の鬼だ』


 連想する。その言葉は鬼の存在を決定付けている。それを言っているのが誰かは分からない。

 矛盾? 俺の何から生まれた? 半身? 左腕? それならば、有無を言わさず死そのものである。


「それは用意された試練であり、冗長系。我と彼は一つの席を奪い合うものである」


 ならば、渡辺綱とその半身より生まれた鬼は対存在であり、お互いの死そのものだ。



「……なんだこの情報は」


 皇龍は困惑している。しかし、俺はむしろこれは必然であると感じていた。

 因果の虜囚が、次のステージに上がるための試練。その事前情報なのだから。



――Action Skill《 我が剣はすべてを切り裂く刃である 》――



 亀裂が走る。何もない空間が罅割れ、その向こう側から剣を持った老人が現れ、こちらへと歩み始める。極々自然に。散歩でもするかのように。

 その姿を一目見て、様々な事を確信した。


――アレはヤバイものだ。

――アレは触れてはいけないものだ。

――アレは……俺の同類だ。


 見た目こそ人間と変わらない。しかし、その身に纏う気配は超常のそれだ。

 皇龍がその巨体から放つ圧倒的な存在感を人間と変わらぬサイズで纏っている。


「久しいな劣化龍。……いや、はじめましてと言うべきか」




-4-




 おそらくは《 翻訳 》のかかった独自言語。口の動きから、日本語でない事だけは読み取れる。

 正体不明だが、少なくとも迷宮都市の人間ではない。こんな怪物が紛れ込んでいたら気付かないはずはない。


「思ったよりも早い。条件からすれば永劫に辿り着く事などないと思っていたが、分からんものだ」

「……何者だ」


 あまりの圧力に誰もが口を開けずにいた中、皇龍は極自然と言葉を紡ぎ出した。

 現状、まともに口を開けるとすれば皇龍くらいだろう。敵意を向けられているわけでもないのに、足が竦む。正気を保つので精一杯だ。


「ああ、すまんな。私はゲルギアル・ハシャ・フェリシエフ・ザルドゼルフ・アーマンデ・ルルシエス。お前の素体となったルルシエスの名を受け継ぐ者だ。原初の龍人と言ったほうが通りが良いのだったか?」

「…………」


 その長ったらしい名には覚えがある。この世界における偉人。龍と人とを繋ぎ、新たな秩序をもたらしたという賢人の名だ。

 まさか、本人だとでもいうのか。歴史上、すでに人間でなかったって事は知っているから寿命に関しては目を瞑るにしても、それが今生きている可能性には繋がらない。有り得ない事だというのは身を以って理解している。この世界の旧時代と今とでは、時間以上に途方もない隔絶がある。


「……有り得んな。あの大崩壊で、妾以外の生命は滅びを迎えたはず。それは我らが始祖であるゲルギアル・ハシャも同様だ」


 皇龍の否定に対し、老人は少し大げさに肩をすくめた。


「本物である事はこうして相対しているだけでも分かっているだろうに。……まあ、確かに完全な意味で本人とは言い難いな。私はあの大崩壊の日、死を迎えた。この身は貴様の中にあるルルシエスの細胞より再生され、ゲルギアル・ハシャの魂をそのまま放り込んだもの……らしい」

「らしい?」

「記憶が連続しているが故に自覚が薄いからな。……ともあれ、この身は貴様が唯一の悪意と呼ぶ者が構築したシステムによって甦った……いや、新生したというべきか。貴様の死を体現するために。……虜囚の対存在は、必ず何か深い繋がりのあるものから誕生するらしいぞ」


 《 因果の虜囚 》の対存在。この男が皇龍の死だとでもいうのか。


「……妾が次のステージに上がるために用意された試練……か」

「その通り。正確に言えば貴様か私のどちらかだけが残る試練。我は彼、彼は我の死そのものとなる。互いに殺し合い、より上位の存在へと昇華する。そういうものだ。逆に言えば、これを超えなければ道は開かれない。唯一の悪意へ辿り着くためには、必ず超えなければならない最初の試練というわけだ」


 殺し合い、昇華し合い、用意された一つの席を奪い合う。

 どういうわけだか、俺はルールを理解していた。おそらくは最初からこの知識は植え付けられていて、必要に応じて解放される仕組みなのだろう。

 この老人は俺の試練ではない。しかし、何かしらの段階を超えた事で理解させられたのだ。俺の死がすぐそこまで迫っていると。


「そして……彼の者が、貴様の前提条件というわけか」


 老人……ゲルギアルの視線が俺に向く。ただそれだけで心臓を鷲掴みにされたような恐怖に襲われた。


「おれ……が、何か?」


 絞り出すように声を出す。意識して筋肉を動かさないと声も出せない。


「大した胆力だが、無理をする必要はない。同じ虜囚といえど、立っている位階がまるで違うのだからな。……とはいえ、この劣化龍に同志と認められるのだから何か特別なものは持っているのだろうが」

「何が言いたいのだ」

「貴様が次のステージへ上がるための条件だ。私がここに現れた理由でもあるな。お前がこの場に至るために用意された条件は、他の虜囚を認め、協調する事。言葉にすれば簡単に見えるが、因果の虜囚の本質を考えるなら極めて困難であり、元来会話を成立させるだけでも不可能に近い存在同士とくれば尚更。しかも、それを成さなければいけないのは元の性質が劣化したとはいえ龍だ。そのハードルを超えさせてしまうのが人間とは、また面白い因果というべきか」


 じゃあ何か? 俺が皇龍に味方と認められ、俺が味方と認めたからこんな状況になっているというのか? 確かにそれは困難なハードルだろう。おそらくこいつはかなり話の通じるほうだが、前世で見たカオナシや異形どもを引き連れている奴が虜囚の基準と考えるなら意思疎通が容易なはずもない。その上、俺たちの行動原理は共通して復讐だ。その対象が一つである以上、決して相容れない目的でもある。どうやったって、最終的にはどこかで競合する。

 だが、その上で手を取ったのだ。良かれと思ってとった行動が裏目に出たというのか。


「いやいい、渡辺綱。ヌシは勘違いしているが、これはいずれ超えるべきハードルなのだ。それが、今目の前にあるというだけに過ぎん。……して、原初の龍人よ。試練とやらに付き合うのに異存はないが、まさか別世界の者を巻き込むつもりはあるまいな」


 すでに皇龍は覚悟を決めている。これはその準備にすぎない。


「正直に言えばどうでもいい……と言いたいところだが、この人間だけは別だな。試練を超えていない虜囚を殺したとあっては、対存在に恨まれかねん。鬼の恨みは恐ろしいからな」


 ……知ってる、のか? たった今記憶の底から浚い出し、未だイメージすらあやふやな存在を。


「手段があるのなら、この世界から去るといい。それくらいなら待っても構わん。……ああ、この劣化龍が創り出したという龍モドキは対象外だ。アレらはコレの手足故に殺さねばならん」


 無様にも見逃してもらえると安堵してしまった直後に谷へと突き落とされた。

 皇龍だけでなく、すべての龍を道連れにする? その上で逃げろというのか。


「馬鹿な、そんな理不尽があってたまるかっ!!」


 吠える。本能故の叫びは、わずかに恐怖を上回ったらしい。


「良い。元より、そういう意図で創り出した存在だ」

「だがっ!!」


 理屈の上では分かる。分かってしまう。そういうものであるように創られたのだから。


「渡辺綱……妾の言った事は忘れるなよ」


 皇龍に見据えられ、言葉に詰まる。

 意図は分かる。皇龍は空龍だけでも逃がせと言っているのだ。確かに不可能ではないのだろう。この龍人がどれほど明確に龍をカテゴリ化しているかは不明だが、戦力外ともいえる人化した龍一人くらいと見逃す可能性はある。手段としても不可能ではないだろう。

 だが、そうじゃない。そういう事ではないのだ。


「俺は……」







《 そそそそれで、それは、それこそは、ツーマラナイ、面シロ白くない、くだらない、ひひヒェ、龍人、ゲルゲルギーアる、私オレ我が、オモシロえ!! イヒぇあぁあああ!! 》


 静まり返ったホールに狂ったような声……いや、声とも音ともつかぬ何かが木霊した。

 単語一つ一つが発せられる度に脳が焼き切れるような頭痛が生じる。騒音なんて生易しいものではない。これは音波攻撃といってもいい規模のものだ。

 ただでさえ張り詰めた刃のような空気が、更に未知のものへと切り替わる。


「ひっ!?」


 誰かが息を飲んだ。あるいはそれは俺だったのかもしれない。

 一瞬にして視界が地獄に染まった。まるで、本来の景色がそうであったかのように、悪夢が現出した。


《 ヒ、えヒヒヒ、駄目だ、だめダぞ、ソんなオモシロクない事はダメだぁーめ!! 》



 足元に顔があった。

 一つではない。数えられるような量ではない。床すべてが顔に埋め尽くされている。

 床だけではない。見渡せば壁も天井もすべてが顔になっていた。

 人間の顔、動物の顔、昆虫の顔、魚の顔、未知の生物らしき顔もある。生物かどうか分からないものもあるが、何故だかそれが顔だと認識させられた。


 吐き気がする。アレらすべてが生きていると伝わってくる。

 怨嗟、歓喜、悲鳴、罵倒、それら感情そのものを表現する言葉のような何か、騒音のような声は無数の顔が奏でる合唱だ。


 天井だった部分が裂ける。無数の顔が裂けていく。

 その先にあったのも顔だ。皇龍の本体と思われる龍の胴体の向こう、本来なら天体が輝いているであろう場所がすべて顔に覆い尽くされている。


「……無量の貌、貴様、邪魔をするつもりか」

《 じゃま、邪ま、じゃぁああああましませぇーん、のー、そんなコトしなぁあああい!! 》



 その光景は……密度の差こそあれ、俺と美弓が駆け抜けた地獄の光景に酷似していた。




《 たダ、いらないなら……チョウダイ? 》



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