第3話「道の終わり」




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 龍は、生物の種として数えるにはあまりに多様で歪な存在である。

 彼らは感情を持つ生命体だが、それ以前に兵器であり道具だ。そう在るように創られ、彼ら自身もそう認識していていた。

 龍は主の命令に従い、それを忠実に遂行する。出す命令は解釈の余地がないほどシンプルなものが好ましい。解釈の違いによって結果に差が出るような内容は、兵器に出す命令として相応しくないからだ。

 ある種のひらめき、応用力、発展性に著しく欠けるのも創造主が兵器に求めた仕様なのだろう。与えられた命令に疑問を持たず、愚直に従い続ける姿は、生物というよりもAIやプログラムに近いものだったのかもしれない。人の因子を与えられ、種として歩み寄ってもその特性は強く残っている。

 もちろん、劣化したところで龍のポテンシャルはすさまじいものだ。肉体的にはもちろん、頭脳に関しても記録、解析など、応用力を必要としない能力は極めて優れている。新しい言語を教えれば一日で習得し、一週間もかからずにある程度まで慣熟するのだから、人間のそれとは比較にならない。著しく生産性に欠けた種族ではあるが、その頭脳は人間のものよりも遥かに優れているといっていい。

 たとえば、俺が日本語をまっさらな状態から一日で覚えろとか言われたら無理と即答できる。日本語に限らず他言語でも不可能だ。アムハラ語なんて以ての外だぞ。


 実際のところ、龍の文化が停滞しているのはその能力の高さによるところが大きいのだろう。必要は発明の母というように、持ち前の能力でなんとかなってしまう龍に多少の文明は不要なものだった可能性は高い。

 皇龍以外の龍が生み出された根本にあるのは無限回廊の攻略、あるいは皇龍のサポートなのだから芸術やスポーツが発展するはずもない。構造が違う人間の格闘技など、どう足掻いても生まれない。空龍たち三人それぞれが興味を持ったものは、自分たちの文化とはかけ離れた分野だ。自分たちで決して新たに生み出す事のできないものを求めたという事なのだろう。

 そう、龍に足りないのは必要性だ。……しかし、その中で例外が存在する。


「私が戦えない体になって最初に考えたのは、どうすれば役に立てるかという以前と大差ないものだった。しかし、戦えない龍ができる事などたかが知れている。人間なら、こういった体の者が社会に貢献するにはどうすればいいと思うかね?」


 不具の体を持ち、龍のそれとも異なる姿になった人龍が問う。

 ロクに歩く事さえできない者が人間社会で生きていくには困難を極める。近代化された地球の都市や迷宮都市ならまだしも、古代や中世レベルの文明しかない場所では致命的だ。しかし、まったく必要とされないかといえば、そういうわけでもない。健常者より遥かに大変とはいえ、何かはできるだろう。人間の場合は生きていくための糧が必要だから、なんでもいいというわけにはいかないが。


「私の友人に自分の肉体を欠損させる事に快楽を求める変態がいますが、そういう事ではないですよね?」


 まったく違う。

 ウチの変態の交友関係の広さにも戦慄させられるが、その友人はそれが目的になっていて自己で完結してしまっている。今求められてる方向性が違い過ぎるし、とりあえず友人を紹介したかっただけにも聞こえるぞ。


「このラバーマンの意見はともかく、……まあ、冒険者やってたらある程度想像はできると思います。どこかが欠けた状態なら、残った機能で何かをするでしょうね。同じ業界に限っても戦う能力のない冒険者がサポート役をやっている例は多いし、組織運営に秀でた者もいますし」


 迷宮都市はある程度の欠損ならどうとでもなるから、一般市民は実感に乏しいだろう。しかし、冒険者なら実体験を伴って理解している。

 ダンジョンアタック後は治るとはいえ、戦闘中なら体の一部が欠損する事は多いし、その状態でも戦うのが冒険者だ。

 片腕がなくても武器は振れる。それは、前世の末期で経験してきた事でもある。俺を基準にしてしまうのもどうかと思うが、何もしないという選択肢はあっても、何もできないというのは考え難い。意欲という最大の問題をクリアするのは難しいが、ニートだってやろうと思えば何かはできるさ……多分。


「ただ、それは人間社会においての話で、龍はまた別でしょうね」

「そうだね。人間ならそれこそ多岐に渡るのだろうが、龍にはその必要がない。求められていない。足りない部分で他者の手を借りるという考えがない。母上とて、無限回廊の攻略が順調だったら、我々を創り出しはしなかっだろう」


 種として万能であるが故の欠点だろう。まったくといった事はないんだろうが、龍には必要性が少ない。必要性がなければ需要は生まれない。生きていくだけなら食料も水も空気すら不要な龍に生活基盤を整える役は必要ないし、本分である戦闘にしても圧倒的暴力で乗り越えてしまうだろう。自己のみで完結してしまう万能性が多様性を生み出す弊害となってしまっている。

 レベルアップという手段があるのも問題だ。足りないならレベルを上げればいいという結論に至り易い。時間はいくらでもあるのだから、長い目で強くなればいいのだ。

 ……直接関係ないが、ダンマスが自分の世界の無限回廊に手を加えたのは、そういった理由が含まれている気がする。

 階層ごとにラインを設け、単純に強くなっただけでは攻略できないような壁を用意する事で冒険者の成長を促すと同時に選定する。無限回廊以外のダンジョンが多いのも、単にエンターテイメントとしてのバリエーションを広げるだけではなく、特定分野に秀でた者を簡単に足切りしないためなのかもしれない。寛容でありつつシビアなあの街は、そういった合理性を突き詰めた上で動いている。

 継続は力なり。しかし、本格的に無限回廊で先に進むためには継続だけでは足りない。それは、本人が身を以て理解しているという事なのだろう。


「私も同様だ。そして、龍らしく先例に倣う事にした結果が今に繋がる。滅びた旧世界の文明に視点を向け、可能な限り情報を回収する。その中に私が生きる先例……道があるのではないかと期待したのだが、続けていく内にそれ自体が目的となったわけだね」


 人龍が他の龍と違う理由は必要性を求めた先にあったらしい。


「……だからというわけではないが、虫との戦いで直接矢面に立たなかった若い龍……特にそのあと力を付けてきた現五龍将は挫折を知らない典型的な龍といえる。だからまあ……あいつらが重ねて無礼を働いた事は若さ故の過ちとして……」

「いや、俺たちは別に……」


 しかし、話の本題は弟たちのフォローだ。何千年も生きてるのに若さもないが、龍の感覚でいえばそういうものなのだろう。




 結局、五龍将との面会は遅れに遅れている。空龍からの《 念話 》くらいでしか事情は把握していないが、どこもスムーズとは言い難い状況にあるらしい。長兄として、人龍さんのフォローも入ろうというものだ。


「ダンマスの事悪く言われてキレるのは今回のヴェルナー含めて極少数なんで、運が悪かったとしか……。というか、こっちも過剰にやり返してるみたいですし」

「過剰に見える報復は、一方だけの不祥事にしないという思惑もありそうだがね。君たちとは違って公式なものであるし、記録にも残る」


 ……どうなんだろうな。それっぽく聞こえるが、実際のところはあの吸血鬼がヤンチャしただけに思える。


「とはいえ、この分では一番問題のありそうな君をそのまま行かせるのも問題がある気もするね」


 確かに、有無を言わさず襲いかかって来られたら困るな。こんなところで死んだら目も当てられない。世界の危機は回避したけど渡辺綱は関係ないところで死にましたとか、さすがのダンマスも真顔になるだろう。


「あーと、時間あるらしいんで、事前に五龍将についての詳しい話とか聞かせてもらっていいですかね?」

「そうだね。では、まず筆頭の界龍から……」


 というわけで、無駄に空いてしまった時間を有効活用すべく、俺たちは問題児さんたちの詳細を教えてもらう事にした。危険なのはあくまで相手側の反応なのだが、参考程度にはなるだろう。


 五龍将はベースレベルが上位五名である界龍、豪龍、刃龍、霊龍、星龍の五体を指す。

 当たり前だがすべて亜神であり、俺たちにとっては遥かに格上の存在といえる。小物っぽい雰囲気が漂っているのは、更に格上の化物に一蹴されてしまったからなのだろう。名前もその化物……ダンマスによってそれっぽい文字を当てられたらしい。

 龍に人間のようなパーティの役割分担はないが、あえて分類するとすれば界龍がタンク、豪龍と刃龍がアタッカー、霊龍が魔術を多用するオールラウンダー、星龍がサポーターといったところだろうか。

 ただ、聞く限り基本はすべてソロで、連携などは得意でないそうだ。皇龍の時点……遡れば始祖の龍たちの時点から、単体で活動する事を目的に創られた以上、仕方ないのかもしれない。どうやら人龍さんたちも同様だったらしいし、人化した空龍たちでさえそこまで連携が得意というわけではない。


 また、この内界龍と星龍は戦闘以外の役割も担っている。

 星龍は旧世代の文明の中で生き残った文明の管理。複数ある中継用の衛星で未だ稼働を続ける装置を、特殊な魔術で保存しているのだとか。ここに繋がる古い方のゲートが不調ながらもまだ使えるのは、彼の尽力のおかげらしい。

 一方、界龍が担うのは無限回廊入り口近くに張られた結界の維持。結界自体は皇龍が張ったものだが、それを継続して使えるようにしているそうだ。皇龍に比べて規模は小さくなるが、新たに結界を創り出す事もできるらしい。いざという時の代わりがいるのはすごく重要だ。


「ちなみにそれぞれの性格はどんな感じですかね」

「そちらの世界と接触した前後でかなり別物だが、あえていうなら界龍は単純、豪龍は怒りっぽい、刃龍は内気で不満を溜め込みがち、星龍は自己主張が少ないが延々と作業を続けるのが好みらしい。界龍以外は口数も少ない」


 銀龍曰く、龍は個体ごとの差が少なく面白みに欠けていたとの事だが、その中でも明確な特徴はあったようだ。……この分だと要注意は筆頭の界龍さんだな。


「ってあれ、霊龍さんはどうなんですか?」

「アレは少し特殊でね。会う度に性格が違う。人間でいうところの多重人格のようなもので、どうも複数の魂が出入りしているらしい」

「……えーと」

「私や母上も含め、良く分かってない特殊な個体という事だね。自身が言うには、周りにいる魂に体を貸しているのだそうだ」


 オカルトか。いや、魔術とか魂とか確認されている時点で今更ではあるが。

 俺以外の連中に視線を送っても、同じように困惑しているように感じ……いや、サージェスだけ少し違うな。そこまで大きな変化はないが、興味を持ったような目をしている。何が奴の琴線に触れてしまったのか。霊龍さんの今後に危険を感じずにはいられない。


「彼らについて事前に出せそうな情報はこれくらいだね。あまり事前に印象を固めてしまうのも問題だと思うし。……ああ、とりあえず問題起こしそうな界龍相手には空龍を連れて行くといい。そもそも幼龍相手だと強く出れない気質だが、特にアレはそちらの世界でいうシスコンの類だから」


 事前情報でえらい事になってしまったぞ、五龍将筆頭。……これはとりあえず三人とも連れて行ったほうがいいかな。


「あとは何か聞いてみたい事はあるかい? 今すぐでなくとも、ここに来ればいつでも対応はできるが」


 その問いに反応するのは先ほど興味を見せたサージェスかと思ったが、特に動きはない。代わりに手を上げたのはベレンヴァールだった。


「あなたは旧世界の情報を回収しているという話だったが、それは唯一の悪意とやらが出現したあとのものも含まれるのだろうか? 行かないほうがいいとまで言われた世界がどれほどのものか気になるのだが」


 それは、道中で空龍と話した際の疑問だろう。確かに情報の回収がライフワークなら知っていて当然の話だ。現地に赴いているのは機龍らしいが、それをまとめている人龍も当然情報を持っているだろう。


「我々にとって究極的には唯一の悪意の対策が必要になるわけだから、むしろそれが本命だね。出現直後の映像もある」


 映像? ……あの状況で残るものなんてあるのだろうか。俺の認識では、そういった文明の機器そのものが変質していたのだが。……全部が全部じゃないって事か。


「すべてが狂った世界とはいえ、記録装置すべてが機能していなかったわけでもないようだ。……もっとも、辛うじて見れるものがあるというだけだが。龍としては目を背けたくなるものではあるが、見てみるかね?」


 その何気ない一言に、動悸が早くなるのを感じた。

 唯一の悪意が出現した世界。それは俺にとっても悪夢の記憶だ。それに触れるという行為に俺の魂が悲鳴を上げている。


「……お前がそれほどになるのか。ただの興味本位だから、やめておいたほうがいいか?」


 そんな俺の様子に気付いたのか、ベレンヴァールは提案を取り下げようとする。


「……構わない。いや、見ておいたほうがいいだろうな。それに映像だけならそれほどでもないはずだ」


 あの恐怖は、ただ見ただけでは理解できない。その場にいて始めて理解できる類のものだ。それに、当時の記録が残っているというのなら、俺も気になる事がある。


「あの、それなら私たちだけでなく関係者全員が見ておいたほうがいいのではないでしょうか」

「……それもそうだな」


 摩耶から意見が出るまで、そんな事にも気付かなかった。どうやら、今の俺は冷静じゃないらしい。


「それなら、記録媒体だけ渡しておこう。迷宮都市側で再生可能な規格の装置は用意しているはずだ」


 人龍はそう言って何やら掌サイズのキューブを取り出した。

 未知の記憶媒体だが、言うように迷宮都市の技術者……最悪、セカンドに見せれば再生できるだろう。


 あとでセカンドに聞いてみたところ、これは現在の迷宮都市でも製造困難な超科学のシロモノである事が分かった。対応する再生機器をサルベージして研究済みなので再生はできるらしいが、模倣すら困難らしい。旧世界では普通に流通していたものらしいので、如何に進んだ科学技術を持っていたかを窺わせる。

 迷宮都市で流通している記憶媒体は俺が生きていた頃の地球のものよりも遥かに大容量だが、それでもまだ理解可能な範疇だ。これはそういった認識を簡単にぶち壊すような天文学的容量を持つらしい。




「お、おお、汝が母上と同じ《 因果の虜囚 》を持つという渡辺綱か。種族は違えど、同胞として歓迎しよう」

「あ、はい。よろしくお願いします」


 そして、万全の体制で挑んだ五龍将との面会は平穏な……平穏なものとなった。

 いちいち全員警戒するのもアレなので双方一箇所にまとめて、最初にヴェルナーが血を啜っていたホールでの会見という、最初にわざわざ別れて会いに行ったのはなんだったのかという展開ではあるが別に不満はない。というか、この状況で文句言い出したらあまりに不憫である。

 龍は基本的に超巨体だ。集まった五体の龍は以前ここで会った機龍のそれよりも遥かに大きく、近くにいるだけで圧迫される。彼らが通常の状態であれば威圧感で潰されてしまうかもしれないと思うほどに厳つい見かけだ。

 しかし、そんな見た目にも関わらずやたら小さく見えてしまうのは、ヴェルナーと皇龍に監視されているという状況のせいだろう。

 全員が何故か『私は遠吠えしかできない負け犬です』と書かれた巨大なプレートをぶら下げ、特に要注意と言われていた界龍なんて何故か巨大な柱のようなものに括り付けられている有様だ。

 意図はなんとなく理解できるが、もうちょっとこう……どうにかならなかったものか。


「会った早々同胞として頼みがあるのだが、母上とそこの吸血鬼を説得してはもらえないだろうか」

「あ、はい」


 あまりの展開に俺は困惑するしかなかった。


「あ、あの……皇龍?」

「駄目です」


 しかし、待遇はともかくせめて拘束くらいは解いてあげられないかと打診しようとしたら、即答で断られた。皇龍でもヴェルナーでもなく空龍から。


「いや、いくらなんでもコレはあんまりじゃ……」

「駄目です」


 有無を云わせぬ断固たる決意を感じた。ついでに周りにいるウチの連中はといえば、ほとんどが遠い目をしている。

 ……あのさ、詳細はともかく界龍が色々やらかした事は知ってるし、野放しにしてはいけない事も分かってるよ。でも、この状況は俺にとってもあんまりだろう。どう対応していいか分かんねーよ。どーすんだよ、コレ。




-2-




「ひどい事件だったね」

「お前、とりあえずなんでもその一言で済ませればいいとか思ってんじゃねーだろうな」


 すべてが終わったあとでユキがそんな事を言い出したが、フォローする気すらなさそうである。

 ひどい事件であった事は同感だが、主に被害を被ったのは界龍と俺だ。あんな状況で何を話せというのだ。


「非公式とはいえお互いに世界の代表みたいなもんなのに、最悪の顔合わせになっちまったな」

「大丈夫、アレだけ醜態を晒したらあとはイメージ上がるだけだから」

「擁護になってない」


 この際、俺や空龍の胃痛はいいだろう。しかし、五龍将……特に界龍の受けた被害が甚大過ぎる。

 あんなに厳ついキャラでこの世界におけるナンバー2という立場もあるのに、これから先面白キャラとしてしか扱ってもらえなさそうだ。第一印象が如何に大切か分かるというものである。


「でもほら、ツナ的にはなんかシンパシーのようなものを感じないかな」

「……すげえ遺憾だけど感じるよ」


 界龍と俺、双方にとって気まずいにもほどがある会見ではあったが、それ故に共感する部分があった。微妙な立ち位置でさあ話せといわれて困っていたのは、俺も界龍も同じなのだから。肝心な会話もほとんどなかったが、あいつとは眼で分かりあった気がする。一方通行の可能性は否定しないが。


「何故だか、あいつとは友達になれそうな気がする」

「よ、良かったんじゃないかな、うん。それで、解散せずにシアタールームに直行って、今から何見るの」

「あー」


 露骨に話題転換されたが、重要度はこちらのほうが高そうだ。


「……世界の崩壊かな」

「未来人さんがくれたっていう?」

「そっちじゃない。この世界で過去にあった惨劇の記録だ。……辛うじて残っていた、唯一の悪意の爪痕だよ」


 俺たちは今、ウチのメンバーにヴェルナーを追加してクーゲルシュライバーのシアタールームに向かっている。結構な人数を再度集めるのも大変なので、衛星から戻って解散もせずにそのまま直行だ。

 いないのは上映可能にする準備をしに先行したディルクとラディーネ、あとそれにくっついて行ったセラフィーナだけだ。五龍将に言いたい事がありそうだった空龍まで連れて来たのは、むしろ理由付けができて良かったような気もする。これだけで界龍の胃は守られたはずだ。胃があるのか知らんが。


 シアタールームに到着して軽く内容を説明したあと、全員適当な席に座る。

 俺は最前列。脇にはそのままユキが座り、反対側には何故かヴェルナーが陣取っていた。


「仮にもダンジョンマスターより格上という存在の記録ですからね。解説をもらってもいいでしょうか」

「……分かる範囲でなら。でも、多分大した事は分からないと思いますよ。辛うじて見れるって程度の映像らしいんで」

「それでも、情報はもらっていても体験した事があるのは渡辺さんだけですしね」


 正確に言えばもう一人いるのだが、ここには連れて来ていない。帰って来てほとんど直行だったのが主な理由だが、そもそも詳細内容が分からないものをいきなり見せるのはまずいと思ったのだ。

 あの惨劇は俺たちにとっては悪夢そのものだ。たかが映像、ついでに別の世界のものとはいえ、直接記憶を想起させるようなものを見せたら比喩でなく発狂する可能性がある。俺ならともかく、あいつは最後の最後まで現実を受け入れられていなかったし。

 ……そういえば、こっち来てからあいつ見てないけど、どこにいるんだ? 変な事してないだろうな。


「そういえばミユミさん何してるんだろうね?」


 同じ事を疑問に思ったらしいユキが言う。触れたくなかったのに。


「ああ、彼女なら業者的な意味合いで作業してますね。今朝も会いましたが、忙しそうでした」

「業者?」

「今こちらに来ている業者はインフラ系が多いので、想定外の需要に対応すべく奔走してもらってる次第です。私とも専門分野が違いますし」


 あんたの専門性風俗だろうが。龍相手にエロもクソもないだろう。ユキもそれが分かっているのか、突っ込みはない。

 ……あいつが供給できる需要ってなんだ? 同人誌か? まったく想像付かないが、改めて聞くのも怖いな。今から見る内容を考えても場違い過ぎる。




 そうして、待つ事三十分ほど。予定より二十分遅れた形で上映会が始まる事になった。どうやら、再生機器の準備に手間取ってセカンドの手を借りたらしい。


『……ちょっと、想像以上でした』


 映像の解説でもしてくれるのか、空いている客席ではなく司会役の席に収まったディルクがマイクごしに呟いた。その視線は俺に向いている。近いからマイク通さなくても聞こえるんだが。


「そんなに規格の違いがあったのか」

「内容が、ですよ。渡辺さんが言っていた事とほぼ一致しますが、僕は……いや多分、誰もここまでは想像してないです」

「…………」


 どうやら、思ったよりも衝撃映像らしい。実際に体験したほどになるとは思えないが、俺と他の連中では思ったよりも認識に差がありそうだ。


『では再生します。尺はあまりありませんが、内容は強烈なんで注意して下さい』


 ディルクの警告を挟み、映像が始まる。

 再生された映像は極めて不鮮明で、そういうものだと知った上で見ないと理解できないものだった。その性質から仕方ないともいえるが、映像のソースは様々で、中には動画ではなく静止画も含まれている。

 人龍曰く、これでも見れるものを厳選した結果だというから、よほどひどい有様だったのだろう。映像加工技術の残っていない龍世界だからという事もあるだろうが、迷宮都市の技術を使ってもどこまで復元できるか分からない。

 内容的には……大体想像通りのものだろうか。ディルクが呟いていた感想はやはり俺との認識の差だったという事で、それは周りの反応も同じだった。ヴェルナー含め、誰も口を開かない。

 たかが映像だ。実際に体験した記憶、あるいは魂の門で見たものに比べれば臨場感に劣るし、情報量も少ない。実際に現場で狂気にあてられ続けているわけでもない。それでも、口頭の説明と映像にして見るのではまるで違う。俺と美弓が駆け抜けた悪夢はそれほどまでに狂気染みていたという事だと再認識させられた。


 固定された監視カメラで映されたらしき映像だけでも狂気は見てとれる。

 記録の途中で壊れたか、同じように狂気に飲み込まれたか、視点が何回も切り替わるのは複数の映像を繋いだものだからだろう。

 人間や動物が狂い、殺し合い、自分すら傷付ける程度なら、映像の質も伴ってパニックホラー程度にしか感じられないはずだ。それは想像できる範疇のもので、既知の情報でそういう事が有り得ると認識しているからだ。

 しかし、スクリーンに映る世界はそれとはまったく異なる。

 未知の狂気が伝染し植物や建物がその在り方を変えていく。

 本が人を飲み込む。鉄パイプのようなもので戦っていた男がそのパイプに貫かれる。ビルが動き出して生き物を踏み躙る。地面に出現した口が、異常変形した樹を喰らう。服が着ている人間を圧殺する。己の体の一部が敵と化し、襲いかかる。すべてがすべてを憎悪し、殺し合う狂気の世界だ。

 信頼していた親兄弟や隣人が殺しに来るのなら、まだ常識内で許容できるだろうが、身の回りのものすべてが敵になるのは、どうやったって対応以前に理解が及ばない。凄惨な状況を鑑みなければ、ホラーやサスペンスを飛び越えてギャグ漫画の領域である。

 映像で見るだけならそれはただの現象だ。しかし、実際にはこれに加えて明確な憎悪がある。自身の体の一部を憎み、その部位もまた独自の意思を持って本体を殺しに来る。下手をすれば空気ですら悪意に塗れて殺しにくるかもしれないのだ。そんなもの、理解しようがないだろう。


「ツナは……こんな世界を生きていたの?」


 ユキの俺を見る目が戦慄してるのが分かる。周りの反応も似たようなものだ。

 実際にはこんなものではないし、ただの映像、それも辛うじて状況が分かるだけの劣化した記録だが、認識の溝を埋める補助程度にはなったらしい。少なくとも文明の終わり、世界の終わりは見てとれる。


「概ねは間違ってない。……が、やっぱり映像だけだと伝わってくるものは少ないな。きっと、あの場にいないと理解できない」


 脳は冷静に分析を続けているつもりだが、手が震えるのが分かる。体全体が強張って言う事を聞かない。しかし、それでもこの程度で済んでいる。

 その場に身を置いてようやく感じられる狂気、恐怖、身の周りにあるものすべてが死という悪夢は、見ただけで理解はできない。

 ……そして、予想していた通り足りないものが多い。この映像は決定的な事実を告げていた。


「人龍や皇龍に感想返さないといけないし、俺も思い当たる事はいくつかあるが……お前らも感想があったら言ってくれ。俺だけじゃ、主観的な認識しかできない。分かる範囲でしか答えられないが、質問も受け付けるぞ」


 現場を体験した者としては、恐怖が魂の根底にこびり付いていて冷静に見る事ができない。見逃している部分もあるだろう。


『疑問なんですが、渡辺さんはこの中でどうやって正気を保っていたんでしょうか。……いえ、この場合は皇龍さんやミユミさんもでしょうか。ここまで無差別だと、どうしようもないような気もしますが』


 それは司会台にいるディルクからの質問だ。近いのにわざわざマイクを通しての質問である。


「正確なところは分からないが、個人……個体差があるんだと思う。俺の周りでもすぐに発狂した奴が大半だったが、美弓みたいに最後まで影響が小さい奴もいた。ただ、そういう奴でも時間経過で少なからず影響は受けていたのは間違いない。あとは、今思えば無機物への影響が出始めたのはかなり遅かったように思える。基本的におかしくなったのは自分の意思で動ける人間や動物からだ」

『距離などで差はなかったんですか?』

「……あったと思う。確認手段は限られるし確実性もないが、最初に異常が確認された場所……東京から離れているほうが影響を受けるのに時間がかかったはずだ。パニックになり始めで、ネット使って確認した限りの話だがな」


 ネットはすぐに使えなくなったから、正確な比較はしようがない。この映像でもそれを把握できるような箇所はない。

 俺たちができる限り亀裂から離れようと考えたのは、その情報が根底にあったのだ。それでも東京から群馬。星を飛び越えて世界すべてに広がるものなら、誤差みたいなものだろうけど。


『つまり伝染する類のものだと?』

「ウィルスとかそういう物理的なものじゃないと思うんだが、おそらく接触によって伝染速度は早まる。狂気に当てられた奴と戦った直後から俺の異常化も早くなったからな」


 空気感染か粘膜感染か飛沫感染か、まったく別の経路って可能性も高いが、何かしらの影響はあった。特に左半身に血を浴びたのが致命的だったはずだ。すでに血と呼んでいいものか怪しい物質ではあったけど。


「今更だけどなんで普通に戦ってるのさ。一般人だったんでしょ」

「ただの学生だったのは間違いないが、戦わないと死んでたんだよ」

「そりゃ分かるけど、言わずにいられないというか……」


 ユキが言わんとしている事は分からなくもない。こんな地獄に放り込まれて、いきなり対応できる奴はそういないだろう。しかし、耐性があろうが状況に即応できなければ死ぬだけだったのだ。

 それに警察や自衛隊、あるいは在日米軍、ついでにヤクザのような武器が身近にある職種の人間のほうが安全かといえば、おそらく違う。自分が武器を持っているという事は、周りにも同じように武器を持っている奴がいるという事だ。武器そのものも反乱してくるという頭の悪い状況でもある。鈍器ですら怪しいのに、銃のような複雑なものが暴発しないはずがない。


「……そういえば、先ほど言っていた渡辺さんが思い当たった事というのは?」


 ユキの逆側、ヴェルナーからの質問だ。


「俺の知っているモノが足りない。状況は似ているが別物だ。俺の知ってる世界の終わりはこんなものじゃないんだ。この映像にはカオナシもいなければ、異形の怪物もいない。悪意にあてられて変質する者はいたが、アレらは根本から異なるものだ」


 美弓が予想してた事が多分大正解なんだろう。この世界はあくまで内側からの悪意によって崩壊したが、俺たちの世界には外からの敵も存在していたのだ。唯一の悪意に便乗した何者かが。

 どうせ滅びるだけで結果に大した違いはないと言えない事もないが、それに対抗しようとしている身としては巨大な超常の存在が複数追加確認された事になる。


 シアタールームに静寂が訪れる。

 俺と他の連中にあった溝を埋めるのには有効だったし、思いがけない収穫もあった。人龍たちには個別に説明しないといけないな。




-3-




 そんな壮絶な内容の鑑賞会も終わり、俺たちは口数も少ないまま一旦解散した。

 アレを見てそれぞれがどういった感想を持っているか聞いてみたいところであるが、心の整理をする時間も必要だろう。

 その足で俺が向かった先はセカンドのところだ。目的は人探しである。


「この義体を探さなくても、船内ならどこでも反応できますが」

「そうかもしれんが、壁に向かって話しかけるのもアレだしな」


 セカンドがいたのは俺たちが出る前と同じ訓練場だった。ただ、自分が訓練しているわけではなく、冒険者の模擬戦などを観察しているだけのようだ。

 朝とは違い、訓練場には冒険者の姿が多い。時々こちらに視線を送ってきている狐の獣人は、確か夜光さんのところの所属だっただろうか。どうやら話しかけてくる気はなさそうだが。

 グラサンの兎耳もいる。……獣人が多いのは< 獣耳大行進 >か。


「誰か気になる冒険者でもいるとか?」

「いえ、特定の個人というわけではないです。義体を通して見る世界が興味深かったもので」

「そういうもんか」

「そういうもんです」


 できたてホヤホヤのアンドロイドにしては面白い反応である。こうして話している分には、常識の差こそあれ人間のそれと大差ない。……そもそも、オリジナルであるエルシィさんがアンドロイドっぽくないから今更かもしれないが。


「お探しの人はF格納庫の一角を借りて作業しているようです。こちらの世界に来た当日に申請がありました」

「F格納庫? 案内板とかあったかな……」

「地図をお見せします」


 格納庫自体の場所は分かるが、格納庫のどこと言われると辿り着ける自信がなかった。

 宙空ウインドウに表示してもらった地図を見てもいまいちピンとこなかったが、そもそも構造が大雑把なので行けば分かりそうだ。


 そういえば昼飯食ってないな……とか考えつつ、船内の案内板を頼りに格納庫へ向かう。迷う事はなかったが、格納庫自体がでかいので歩いた距離も結構なものになった。

 目的地のF格納庫に入るとお目当ての人物はすぐに見つかった。元々荷物を載せていなかったのか中身を使ったあとなのかは分からないが、ほとんど空のスペースのド真ん中に巨大な塊が鎮座していて、その手前で何やらノートパソコンのようなものを操作している。周りには書類塗れだ。

 出港前に会った時には異世界に対して気合入れていたのに全然見かけないなと思っていたら、こんなところにいたのか。


「……何してんの、お前」

「あ、センパイ」


 高校時代に良くあったように何か悪巧みでもしているのかと思ったが、反応は普通だった。……つまり、これは合法だな。


「ふふーん、見て分かりませんか? 分からないですよね。芸術力ゼロのセンパイですし」

「まったく分からん」


 やたらと自慢げである。

 芸術性ゼロと言われても、本当の事なので馬鹿にされているようにも感じない。サラダ倶楽部の中で最下位だったのは認めざるを得ない。

 眼の前には見上げるばかりの金属の塊。多分、銅かなにかだろうが、原材料そのままである。

 芸術的センスがあれば、これが何か分かるというのだろうか。……無理じゃね?


「知りたいですか? 教えて欲しいですか? 今なら激安セール中で熱いベーゼ一回……」

「いや、別にいいや」

「なんでですかっ!?」


 ベーゼが嫌というよりも、それをする結果が嫌だ。絶対、面倒な反応するし。

 美弓も別に本気で言ってるわけじゃなく、あわよくば程度の感覚だろう。


「普通、意味不明なものが鎮座していたら気になるじゃないですか。センパイは何事にも興味ないね、って言っちゃう高二病ですか」

「そんな事はないと思うが」


 どっちかといえば中二病である。ここの龍のように、かっこいい漢字とか見つけたらつい使いたくなってしまうタイプだ。だから糞なんて名前をつけられたらきっと憤死する。


「お前、今の状況で銅の塊に興味持つと思ってんの? 星の崩壊止めようとしてんだぞ」

「……あー、はい。言われてみれば確かに」


 まったくって事はないが、それ以上に問題が山積みになっている今では些細な事である。もしもコレが問題解決に少しでも役立つなら、美弓のほうから言い出すだろうし。


「えーと、コレはですね」

「結局話すのかよ」

「しょうがないじゃないですかっ!! それほど引っ張るネタでもないんですから」


 相変わらず芸人根性溢れる奴である。


「今から銅像を作るんです。本当は例の< 黒老樹 >を使って木像を作る案もあったんですが、素材提供の優先度や硬度的に無理っぽいので」


 金属より硬いとか……アレは本当に樹なんだろうか。


「お前の?」

「いや、なんであたしですか。そこまで自己主張の激しい子じゃないです」


 え、そうだっけ?


「作るのは命名トーナメントで優勝した龍さんの銅像ですね。二回目やるにもご褒美的なものがあったほうが盛り上がるんじゃないかって話で。……これが完成予想図です」


 と言って写真のようなものを渡された。そこには、トーナメントの中継で悲劇を生み出してしまった龍がグラサンをつけ、キセルを加えた姿で踏ん反り返っている。

 ……龍のセンスに物申す気はないが、格好いいと思ってるんだろうか。まさか、こいつにそそのかされた結果とか言わないよな?


「……ひょっとして、毎回作んの?」

「トーナメントやるならその予定です。それだけじゃなく、何かしら別のイベントとかでも。今こっちに来てる人でこの手の商品取り扱っている関係者がいないので、ウチの独占市場ですね。先行市場ウマウマです」

「そりゃ業者がいても、冒険者の鍛冶師かインフラ系の業者くらいだろうな」


 龍相手に常識が通用するとは思えないが、娯楽系の業種はまったくの新天地に商機を求めないだろう。あって生活必需品の類だ。

 しかし、お前はどこまで手の広い商売をしてるんだ。


「センパイも作りますか? 冒険者なら動画から3Dデータ作成し易いんで、こんな大きさじゃなければすぐ作れますよ。細部に手間かかりますが、興味あるならフィギュアでも」

「ほう、フィギュア。キャストオフも可能なのかね?」

「そりゃそういうのもできますが、本人以外は許可がいりますからね。あ、あたしのなら……」

「それならいいや」

「なんでですかっ!? この小さいぼでーにだって大いなる神秘が隠されているかもしれないじゃないですか! ハーフエルフですよ! ほら、ぼいんぼいん」


 いや、ぼいんぼいんしてないから。ポニテが跳ねてるだけだぞ。


「お前、そういう神秘を売り文句にするならユキさんレベルじゃないと」

「そんな超ド級の神秘を例に出されても……。しかも、あたしもめっちゃ気になるし。くそー、興味ないかー」


 いや、それが欲しいって言い出したら次の瞬間本物に興味ありませんかって展開になるしな。

 ちなみに俺自身のもいらない。サージェスあたりなら……実はもうすでに存在してそうだ。アダルトコーナーで売ってそう。


「……それで何かありました? 銅像に興味あるわけじゃないんですよね。小さいのなら一般販売もしますよ」

「銅像はいらん。ここに来たのは、お前が何かやらかさないかなって不安だったのと……」

「こんな荒野で何をしでかすっていうんですか。ぷんすこ」


 俺には理解できない事をしだすから怖いんだよ。暴走を加速させる外部取り付け装置のドレッシングさんがいないから、まだ制御は利きそうだが。


「……出港前に話した例の件な、多分お前の意見が正解だわ」

「あーそういう話ですか。……そりゃそういう情報もありますよね。ここ、正にその被害地だし」


 結構濁して言ったつもりだったが、これだけでも伝わったらしい。反応見るに、ひょっとしたら考えてはいたのかもしれない。


「で、やっぱりカオナシですか?」

「そうだ。ついでに異形の連中もいなかった。映像の中には悪意の影響で変質した生物や物だけで、あきらかに差異がある」

「ふむ……」


 大体予想はしてたが、特におかしな反応はない。やっぱり、こいつのメンタルも大概って事なんだろうな。ウチの連中の反応を見たあとだから余計に思うが、アレが普通の反応なんだろう。


「……やっぱり、俺やお前はどこかイカレてるんだろうな」

「え、今更ですか」

「まあ、お前は会った頃からおかしかったが」

「いや、本気で純真無垢な田舎少女だったじゃないですか。朱に交わって赤くなった結果がトマトちゃんです。トマトだけに」

「え、確かあの中の誰に聞いても、変な奴ランキングには必ずお前の名前が上位に入ってたぞ」

「マジっすか……」


 変な連中が真っ先に変と評価するのがお前だ。それぞれのワーストではないかもしれんが、平均すると上位に食い込むタイプ。


「高校生だった頃の評価はまた別ですけど、そりゃそうですよね。種族違うのに記憶ある時点でよっぽどなんですよ。それを差し置いてもセンパイは無茶苦茶ですけど。……つまりワーストはあくまでセンパイという事であって……」

「馬鹿をいうな。聞いた時もあんまり名前は上がらなかったっちゅうねん」

「それは改めて言う事ではないって事なんじゃないですかね」

「ははは、こやつめ」

「痛っ! 髪を、髪を引っ張らないで下さい! ハゲる! どこかのグラサン兎みたいに!!」


 お前、それ本人の前で言えんの? というか、やっぱり冒険者の間だと有名な話なんだな。


「……で、どうするよ。今回の件を乗り越えないといけないって前提はあるが、無限回廊の先に色々いる事が確定しちまったぞ」

「……どうしましょうかね。ほんと、どうしてくれましょうか。いざ目の前に現れたら、逃げ出すのが可愛い反応なんですかね」

「それどころじゃねーだろ」


 あんな化物どもを目の前にして、いやーん怖ーいって可愛らしく逃げ出したら、そっちのほうが怖いわ。


「実際、その時になってみないと分からないです。殺すなら声かけて下さい。パインたんを質に入れてでも行きます」

「……善処する」


 クラリスの扱いはともかく、可能なら美弓には知らせずに処理すべき問題なんだろうな……と思った。

 一見、表面上は平静を保っているが、美弓は危ういバランスの上に立っている。それとも、そのバランスが崩れてもこいつのままでいられるが故に、最後まで無事だったのだろうか。

 あの地獄のような世界で、悪意に飲み込まれない奴は俺を含め結構な数がいた。ただ、それでも影響は確実にあったのだ。

 そんな中で美弓は最後まで岡本美弓のままだった。泣いてても、塞ぎ込んでても、逃げ出そうとしてても、それは真っ当な人間の在り方だ。

 あの局面で真っ当な人間であり続けるという事が、どれだけ異常なのか理解しているんだろうか。


 そして、その存在がなかったら俺は最後まで立っていられただろうか。




-4-




 そうして、時間は過ぎていく。表面上は何事もないまま。

 トラブルはあっても、未知の文明との遭遇なら発生してもおかしくない程度の問題だ。決してイレギュラーな事態ではない。


 俺はといえば、滞在期間のほぼすべてで地上と人工衛星を行ったり来たりしていた気がする。

 皇龍やダンマスとの情報交換があったのもそうだが、五龍将への罰則として俺たちの滞在期間中の訓練に付き合う事になったのが大きな理由だ。……それくらいしか罰則になりそうなものがなかったともいえる。

 訓練場所は主に人工衛星内だが、こちらの無限回廊に潜りもした。


「そちらの世界の事は知らんが、この世界の無限回廊は概ねこういう光景よ」


 俺と一緒に無限回廊に入った界龍が言う。

 眼の前に広がるのはいわゆる洞窟なのだが、俺たちの知るそれとはまるで違うものだった。

 まず空気がない。重力も安定しない。モンスターとして現れるのも龍のような何かで、既知のモンスターは存在しなかった。こうして立っていられるのも界龍が結界を張っているからだ。そうでなければ第一層の攻略すら難しいだろう。


「無限回廊の入り口がある世界に中身も依存するって事なのか?」

「おそらく根幹地となる世界の生態系に依存している。この世界に我々以外の生物がいない以上、この龍の亡霊のような存在が代替モンスターとして出現しているという事だろう」


 第一層であるからか、龍といってもそこまで強いわけではない。亡霊といっても物理攻撃は通る。ゴブリンよりは遥かにやり難いが、その程度という事だ。


「第一〇〇層を超えれば他の世界の影響も受けるが、やはり似たような光景が続く。幼龍がまず超えなければいけないのは環境の壁という事だな」


 何もない世界といっても無限回廊の中に入れば何かしらはあるんじゃないかと思っていたが、どうやらそういうわけでもないらしい。

 俺たちの世界の無限回廊は、ダンマスが手を入れたという事もあるが、それ以上に基盤となる世界があるからファンタジー世界のダンジョンの形なのだ。

 どちらの難易度が高いかは難しいところだが、攻略しがいがあるのは間違いなく俺たちの世界の無限回廊だろう。

 強くなるための修行の場として見ても同様だ。環境は厳しいし龍もどきも進めば強くなるだろうが、如何せん多様性がなさ過ぎる。

 加えて、龍は種族として身体能力が優れているからかレベルの恩恵を受け辛いらしい。能力値による補正がかかっても、人間のそれと違って劇的なものではなさそうだ。代わり映えのない地味な訓練というのが、この世界における無限回廊の姿なのだろう。


「皇龍が攻略に詰まってるのもそこら辺が理由って事かな」

「詳細は知らんが、そうだろうな。第三〇〇層を超えれば、影響を受ける世界の数も膨大になるだろう。同じような単純な攻略が通用するとは思えん。中にはあの虫のような奴がいる世界もあるわけだし、汝らの世界も内包している」


 ……まあ、あいつの世界の無限回廊は意地が悪そうではあるな。


「だからといって、杵築やあの吸血鬼のような化物が生まれるのも理解し難い事ではあるが」

「あの人たちは例外極まる存在だから、基準にしないほうがいいぞ」

「とはいっても、ここのところ醜態ばかり晒しているからな」


 界龍の場合、どちらかといえば負けた事そのものよりも、その後が問題なのではないだろうか。

 こうして実際に話していると、言われているほど単純でも短気でもない。それは他の五龍将も同様で、むしろ地上の龍たちに比べれば理知的な雰囲気さえ感じられる。それがあの醜態を晒していたという事は、むしろダンマスやヴェルナーの側に問題があったのではないだろうか、なんて考えたりもした。


「出会い頭に色々あったが、意思疎通が可能な強者と純粋に競い合えるというのはいい。それが母上以上の力を持っているというなら尚更だ。結構な問題に直面しているようだが、その結果がどうであれ歓迎しよう。特に汝は興味深い」

「俺はダンマスたちほど強くないぞ」

「我々にとって、《 因果の虜囚 》というのは軽い存在ではない。呪いであり、嫌悪すべきシロモノであるのは確かだが、立脚点かつ母上以外の何者も辿り着けない境地でもあるのだ。今はともかく、長い目で見るなら母上と並び立つといわれているのも同然。それを抱えているお前を軽く見る事などできはしない。母上に近しい龍ほど特にそう感じるだろうよ」


 俺自身が何をしたというわけではないが、この呪いのおかげで一目置かれているらしい。だからといって感謝などしたくないが。

 色々あったのは確かだが、結論として龍は人間に好意的かつ友好的なのだ。その圧倒的暴力を披露する場を求めはしても無闇矢鱈に振るう事はしないし、話せば普通に理解しようと努力する。

 受け入れ難いのは、ネームレスのような例外を除けば純粋に力で勝っている相手くらいなのだろう。基本的に腕力がアイデンティティなのだから、それを否定されるようなものだ。


「というわけで、もう少し手加減してもらえるよう妹に言ってもらえまいか。アレもお前の言う事なら無下にできんだろう。なんなら無限回廊の中では格好良かったと褒めてもらってもいい。上手く語彙は出てこないが、龍もどき相手に縦横無尽の強さを見せつけたとかな」


 いきなり情けない事になってしまったが、妹に弱いのは兄の宿命なのだろうか。

 無限回廊第一層で褒められても困ると反応に困ると思うんだが。アレ、俺でも普通に倒せるんだけど。


「言ってはみるけど、空龍が怒るのも理由があるわけで」

「分からん事もないが、急変し過ぎなのだ。行って帰って来ただけで変わり過ぎだろう」


 それは界龍含め、龍全体に言える事だと思うぞ。空龍が怒ってるのも、その変化が原因だし。

 あんたも絶対そんな性格じゃなかっただろ。


「ほら、アレだ。汝とそちらの世界でいうマブダチになれば、少しは立場も回復しようというものだ」

「それはどうだろうか」


 マブダチになるのは別にいいが、人を利用して自分の立場上げても周りの反応は変わらないだろう。まさか、『俺に手を出したら渡辺綱が黙ってないぞ、いいのか?』とかやるつもりだろうか。それこそ、空龍はキレると思うんだが。


「……じゃあ、現状を改善するために、マブダチとして向こうの世界を案内するよ。変化が激しいのは空龍に限った話じゃないし、同じものを見れば、どうすればいいかも自然と分かるだろ」

「確かに玄龍も銀龍もおかしな事になっているからな。よし、その方向で頼む。問題とやらが解決したらすぐに行けるよう準備しておこう」


 なんの準備か知らんが、単純なものだ。……いや、元々単純だって言われてたな。こういう事なのか? なんか違うような……。


「なら五月だ。立ってるフラグをベキベキ圧し折ってやろうぜ」

「フラグがなんなのかは知らんが、圧し折るのは得意だ。任せておけ」


 こうして話すまでは不安ばっかりだったが、面白い奴である。威厳もクソもないが、なかなかいい関係になれそうだ。

 その関係を築くためにも、無事に五月を迎えないとな。星が崩壊したら迷宮都市の案内もできないのだから。




 迷宮都市の日付でいうところの三月十五日。クーゲルシュライバーが迷宮都市へ帰還する出港日。

 すでに開いている穴を引き返すだけなので、予定では移動にかかる時間は往路の半分ほどになるという。

 三月十五日が中級昇格式典だったはずなので、向こうに戻ったらちょうどリリカやパンダ、あとはクロたちが中級冒険者になって待っているという事だ。ちなみにディルクたちは個別にひっそりと資格をもらいに行くらしい。


 向こうに戻ったら、おそらく俺はほとんど間を挟まずに< 地殻穿道 >へと向かう事になるだろう。

 あの発光体の正体は結局分からないままだったが、直に見る事で何か分かるものもあるかもしれない。


 こうして、短い滞在期間は終わりを告げようとしていた。












-?-




 それは決して思い出す事のない記憶。


「誘ってくれるのは嬉しいけど、僕は行けない」


 クーゲルシュライバーの出港予定日が決まった直後あたりの事だ。龍の世界へ誘ったフィロスは迷いもせずにそう言った。行かないではなく行けないというのは、何か予定があるのだろうか。


「そうか、じゃあ次回以降かな。第二便は予定通りなら中旬あたりになるから……」

「いや、そうじゃない。第二便にも第三便にも乗らない。しばらく迷宮都市を離れるつもりはないんだ」


 フィロスの言っている事が一瞬理解できなかった。何も知らないわけじゃなく、すべてを話した上での回答だ。崩壊が起きるかもしれないという話をして、避難の予定もないと言い切るのはちょっと考え難い。

 食い止めるために迷宮都市で何かをするつもりなのだろうか。いや、それにしたってこの反応はおかしい。崩壊の話をしたのは今が初めてなのに、これではまるですべて知っていたかのような……。


「……そうだね。君が崩壊を食い止めたら遊びに行ってもいいかもしれない。そこまで行けばこの呪縛も弱まっているだろうから」

「……何言ってるんだ」


 反応もそうだが、纏っている雰囲気もおかしい。話している姿はフィロスそのままなのに、超常の存在と対しているようにも感じる。

 これは……なんだ。何が起こっている。


「実はこの話も三度目なんだ。話しても忘れてなかった事になる。認識阻害のそれと似た、限定的だけど強い力みたいだ」

「どういう事だ……それ」


 知らない内に何かの力が働いていた? だが、そうだとしても、当のフィロスは何故こうも落ち着いている。


「因果に反逆する力は押し付けられた。その代わりにもっと面倒な役割も押し付けられた。剥製職人は君がそんなところで終わる事を望んでいない。アレはそのために僕をここに配置したみたいだから」

「剥製?」

「君のお仲間だよ。《 因果の虜囚 》を持った、超常の存在。気に入った相手を育てて、熟したところで剥製にしてコレクションする悪趣味な狂神さ」

「ちょっと待て……お前、一体何を言って……」


 いきなり突飛な話になり過ぎだ。ただそのまま聞いていたら、狂言のそれにしか聞こえない。

 一体どういう流れで未知の《 因果の虜囚 》持ちの話が出るというんだ。


「いいかいツナ、すべては繋がっている。決して偶然じゃなく、起こるべくして起こっている。君はこの事を忘れるだろうけど、ひょっとしたらどこかで思い出すかもしれない。その時でもいいから、良く考えてみるといい」

「まさか、このあと何が起こるか知ってるとでもいうのか?」

「知ってる」


 それは迷いのない断言だった。


「星の崩壊もエリカ・エーデンフェルデも龍の世界も、そこで何が起きるかも知ってる。でもそれを伝える事はできないし、僕が何かできるわけでもない。僕がそこにいない事は確定しているから、どう足掻いたところで変えられない。だからここで待ってる。……極小の隙間を縫って、一縷の希望を残すために」


 まさか、俺にとって未知の《 因果の虜囚 》持ちが崩壊に関与しているのか。いや、この言い方なら、ずっと前から……。


「僕たちのいるこの場所は、世界の裏側なんだ」

「う……ら?」

「世界は改変された。収束して分岐しないはずの可能性をまるごと書き換えられた。エリカ・エーデンフェルデが強く干渉できたのも、在るべき世界とまったく同じ表裏が違うだけの世界だからだ」


 これは世界の核心だ。何故かは知らないが、知らなくてはいけない事を聞かされている。


「ふざけた話だけど、剥製職人は今この時点に限っては味方だ。君が在り得ない道を造り、無限の先へ至る事を望んでいる。自分のコレクションに加えるために」


 それは本来討ち滅ぼすべき敵の話。未だ知られざる、それでいて俺たちの根幹に関わり続けた存在の話だ。


「嫌で嫌で仕方ないけど、あいつを利用しよう。唾棄すべき外道でも斬って捨てるべき極悪でも、それしかないというのなら利用した上で先に進むしかない。そのあとどうするかは、その時考えるべきだ。そこに辿り着くには超えなければいけない壁が多過ぎる」


 思い出す事のない記憶。何度話しても忘れてしまう記憶。

 その中で核心に迫っていた。おそらく、何度も。


「忘れるなとは言わない。思い出すんだ。その瞬間が世界の終わりでも構わない。そこはまだ終着点じゃない」

「言ってる事はさっぱり分からんが、ヤバイ事を言われてるのは分かる。……忘れるってのもなんとなくだが分かる。それでも、ここから起こるすべてを知っているというなら聞かせてくれ。この星は崩壊するのか?」

「このままなら、それは避け得ない事実だ。ダンジョンマスターが向かった< 地殻穿道 >の奥に君の死がある」


 それが逃れられない結果なのだとしたら、これまでのすべてが徒労だとでもいうのか。


「終わりであり、すべての起点。《 因果の虜囚 》が超えなければいけない最初の試練はそこにいて君を待っている」

「そいつが元凶だと?」

「そうだ。君の■■から生まれた矛盾の塊。■■■の鬼だ」


 ……ああくそ、駄目だ。

 既視感さえ感じる。これはきっと初めてではなく、幾度も繰り返されたものだ。

 まだ早い、資格が足りないと、因果の獣が阻んでいるのと同じ、一種の自己防衛。もしくはそれに似たナニカだ。


 ここが限界点。この先を知る事は、夢の中であろうとも許されない。

 その資格を持つのは、目を逸らさない渡辺綱だけなのだから。




 遥か地の底で渡辺綱の死が胎動している。それは決して思い出す事のない記憶の中で警告された、変えようない事実だ。

 そこに辿り着くための道"だけ"は続いている。俺はただ、真実と原罪から目を逸らし、何も思い出せないままそこへと歩き続けている。


 そして、その道は残り少なく、終着点はすぐそこまで迫っているのだ。



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