第六章『終わる世界、』

Prologue「龍の世界」




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 因果。原因と結果。その繋がり。あらゆる結果には、それが発生する原因が存在しているという言葉である。

 仏教用語として見た場合は、悪行や善行は現世だけでなく輪廻の先へも影響を及ぼすという考えが含まれたりする。


 《 因果の虜囚 》の呪いを刻まれた者は、その名の通り因果に囚われ、縛られ、翻弄される。

 この名前は、単に俺が持つ知識から近しいものを持って来たのだろう。そして、それはおそらく大きく間違ってはいない。

 因果は連鎖する。結果が新たな原因を生み、その原因によって新たな結果が生まれる。それが輪廻を超えた先まで影響するのなら、終わる事のない無限連鎖といってもいいだろう。

 では、そもそも《 因果の虜囚 》における因果とは一体何を指すのか。

 このギフトを植え付けた超常の存在、唯一の悪意の望むものは自己の消滅らしい。情報生命体などという意味不明な存在の考える事など理解できないが、このギフトもその目的に準じてバラまかれたものだと考えていいだろう。

 あくまで仮説の域を出ないが、《 因果の虜囚 》が内包する因果は、大前提として共通の"結果"が存在する。

 唯一の悪意を滅ぼす事。その結果をもたらすために、そこへと至る道を作り、誘導し、辿らせているのだ。その結果に至るために何が必要か、どんな行動をとるか。それが、個々の保有者に予め定められている。

 これは唯一の悪意を滅ぼす事でしか終わる事がない。目的を果たさない限り、俺の魂は輪廻を超えて永劫に囚われ続ける。正に呪いといっていいシロモノだろう。マジでふざけんなって感じだ。




『大将は、仏教って宗教には詳しかったりするかい?』


 サンゴロがウチのクランへの内定を決めた頃、唐突にそんな事を聞かれた。

 元々は何気ない会話からの流れだ。クランに入るにあたっての動機……それ以前に冒険者なる理由とか目標を聞いた際の返答である。

 ベレンヴァールがクラン入りするのに乗っかったといえばそうだが、冒険者というのは個人が強い情念を抱いていないと続かない職業だ。ただでさえハードな冒険者の中でもウチは飛び抜けているのだから、デビュー前にそういう部分をはっきりさせておいたほうがいいと思ったのだ。

 ……と思ったら何故か仏教の話である。


『詳しいってほどじゃないが、元日本人だからある程度は知ってるな。神道と混ざって良く分からん事になってたが、葬式とかは大体どの家も仏式だし、知らないだけでどっかの宗派には入ってたりする』


 ウチは何宗だったっけか。高堀の実家のほうは普通に浄土真宗だったと思うが。南無阿弥陀仏ってやつ。


『なんでまた仏教よ。迷宮都市で流行ってるわけでもないし』


 寺で絶賛修行中の男爵令嬢はいるが、あの寺だって観光用に作られただけで本物ではない。提供されている護摩行などの荒行サービスもそれっぽいものだ。せいぜい、地球にあった宗教という形で情報が残っている程度である。


『そりゃこれでも転生者だからな。そういう概念があるって聞けば気になるもんさ』


 ああ、輪廻転生か。別に仏教だけの概念じゃないが、最初に行き当たるとしたらそうかもしれないな。


『俺は前世の記憶が足枷にしか感じられなかった。あっても大して役に立たねえ、ないならないなりに生きられるのに、それがある事で生き方が縛られる気がしてた。過去が輪廻を超えて追っかけてくるんだ』

『仏教でいうカルマ。業ってやつだな』

『そう、それよ。病院で日本語のお勉強がてら本を読んでて、その言葉を見つけた時には衝撃だった』


 まさか仏教徒になりたいとかそういう話なんだろうか。

 サンゴロの真意はともかく、俺も正に前世の因果、業に縛られてるな。雁字搦めで身動きが取れないほどに。俺の名前はむしろ縛る側なんだが、ロープのほうが縛られてる。つまり自縛である。


『俺は前世でさんざん悪い事をした。それを精算する事なく死んだ。どうしようもなかった部分があるのも確かだが、それは確かに罪であり業なんだろう。その業が今の俺を縛り付けているんだと思った』

『業ってのは悪行だけに限らなかったと思うが』

『そうだな。まあ、俺の場合は悪い事ばっかしてたから仕方ねえ。多少良い事してても帳消しだろうさ』


 何してたんだよ。いや、前世の悪行でクラン入りを弾こうとは思わんけど。


『俺に限らず、記憶持ちの転生者は、多かれ少なかれそういった業を背負って生まれて来たんじゃねーかって思うのよ。善悪に限らず、前世で消化し切れていない事を精算しろってな』

『……心当たりがあり過ぎる話だな』


 この世界に生きるすべての転生者がそうだとは思わない。縛られていると感じる奴だって少数だろう。

 しかし、俺にとっては正にその通りだった。あまりに巨大な因果を背負い過ぎてて精算し切れていない。前世と今世の二世代ローンだ。しかも、今世で支払い切れるかどうかも怪しい。延々と終わらないリボ払いを続けている気分である。ちなみに自己破産という手段は存在しない。


『……ああ、別に大将にそうしろって言ってるわけじゃねえよ。ようはアレだ。何が言いたいのかっていうと、俺はまだサンゴロになり切れてねーのよ。後ろばっかり気にしてて前に向かえてない。前世のしがらみを精算してようやく今世を歩み出せる。人間になれる。そう考えてる』

『何をすればその精算はできるのかね』

『分からねえ。善行を積んで帳消しになるような気もしねえし、過去をなかった事にできるわけもねえ。それを探すだけで人生終えたっておかしくない。だけど立ち止まってちゃ不完全なままだ』


 軽い気持ちで始めた問答が、カウンターで突き刺さっていた。


『大将、俺は人間になりたい。ベレンやあんたが向かう先にその答えがあるかもしれないと思った。だから冒険者をやろうと思った。……そんな答えでいいかい? クランマスター』


 それはあまりにも真摯な答えで、いつものヘラヘラしてる印象からかけ離れたものだった。

 むしろベレンヴァールよりも、よほど冒険者という存在に対して向き合っている気がした。


 そして、その言葉は渡辺綱という存在に対して投げかけられているようにも感じられた。




 渡辺綱にとって、因果の起点はどこにあるのか。それはもちろん《 因果の虜囚 》を植え付けられた時に他ならないだろう。世界に亀裂が走った時、東京へ向かった時、そこへ至る道筋はあっても、決定的なのはその瞬間だ。

 だが、一つ疑問がある。何故、唯一の悪意は《 因果の虜囚 》を植え付ける相手をわざわざ選別しているのか。

 少なくとも近い境遇にあった美弓は対象ではない。元々が無差別に近い行動だ。植え付ける対象だって無差別でいいのではないか。

 もちろん、これが有効に働く素養のようなものはあるのだろう。輪廻を超えての復讐劇を果たさせようとしているのだから、誰にでもできる事ではない。しかし、それは対象を絞る直接の要因には成り得ない。そこには何かしらの条件があるはずなのだ。

 おそらく、俺や皇龍はその条件に合致した。条件とはなんだ。

 あの終わった世界で生き抜く事? それは違う。俺が最後の生き残りだったはずもないし、あの地獄を創り出した者が別にいる可能性も指摘されている。

 では世界の亀裂に辿り着く事? それも違う。皇龍が無限回廊を発見したのは、虜囚となってから時間が経っての事だ。

 唯一の悪意……己の憎悪する姿と対面した事? そうかもしれない。だが、それだけが選別の条件になり得るとは思えない。むしろ、それは結果だろう。

 おそらく何か別の要因がある。因果の獣が阻んで見せようとしない、俺が目を逸し続けている記憶の底に。きっとそれは、因果の獣が渡辺綱の原罪と呼んでいるものなのだ。それが本当の意味での因果の起点。すべてのはじまりなのだろう。


 同様に、今直面している星の崩壊にも原因があり、その事象が確定した起点があるはずだ。

 今求めているのは、閉ざされた未来をこじ開ける方法。そこへ至る道筋を導き出す事。

 因果の起点が分かれば、それが可能になるかもしれない。いつ、どこで、何をした……あるいはしなかった結果、未来が閉ざされたのか。

 もしくは、はじめから道などなかった可能性もある。

 エリカ曰く、平行世界での渡辺綱は様々な道を歩んでいて、そのすべてで星の崩壊は発生しているという。ダンジョンマスターがいなくとも、迷宮都市が今の形でなくとも発生するのなら、原因は別にあると考えるのが普通だろう。これは、星の崩壊に渡辺綱の行動は関係ないという証左ではないのか。


 ……本当に?


 本来ならばそれが答えで、まったく未知の何かが原因だと考える。しかし、これまでの経験がその判断を拒んでいる。

 人の常識や物事の限度を知らない情報生命体が、さあ超えてみろと出して来た試練のようにしか感じられないのだ。


 ダンマスは俺がすべてを知っていて、俺の行動一つ一つがそこから導き出されたものではないかと言った。

 ならば、俺の行動のどこかに星の崩壊を決定付ける何かがあったのかもしれない。今、この状況にあって、想定すべきは俺の行動を原因としたパターンだ。その他の可能性はダンマスたちに任せたほうが無難なのだから。


 それは転生したその時か、ユキと出会った時か、迷宮都市へとやって来た時か。

 遡り、前世の渡辺綱が死んだ時か、無限回廊の亀裂に飛び込んだ時か、美弓を放り出して東京へ向かった時か、悪意が出現したその瞬間か。

 それとも、すべての起点である《 因果の虜囚 》を植え付けられた時に星の崩壊すら決まったのか。


 列挙した原因は、おそらくすべてが間違っている。視点がズレている。これらはどれも因果の起点ではない。俺の中のなにかがそう訴えかけている。

 因果の獣はそれを知っている。回答を知っていて、それは俺自身が向かい合うべきものだと沈黙している。

 まるで、いつかはそれに向かい合うと確信しているかの如く。


 ……あるいは、星の崩壊に連なる起点となる事象は"これから起こる"のかもしれない。




-1-




 クーゲルシュライバー号が皇龍の世界へ到着してから丸一日が経った。

 しかし、俺たちは未だ現地に降り立つ事なく船内に留まったまま、移動中と同様の生活を続けている。元々、人間どころか冒険者ですら生存不可能な死の大地だ。到着後、しばらく環境整備に時間が取られるのは予め決まっていた事ではあるのだが……。


「……アレだよね。現地に着いてるのに、降りられないってのはもどかしいよね」

「不満なのは分かるが、クリームソーダで泡立てるのはやめなさい。はしたない」

「ぶー」


 ガランとした食堂の片隅で、ユキは不満気にストローから息を吹き続けている。せっかく頼んだクリームソーダはまったく減らず、泡だらけだ。

 ……このストロー、壁際からこちらを窺い続けている同志Aさんだったら高く買ってくれたりするんだろうか。あとでこっそり回収できないかな?


「だけど、降りたって特別やりたい事があるわけでもないだろ?」

「それもそうだけど、気分の問題かな。ほら、船乗りの人たちが港に寄って、陸に上がる許可出なかったら不満出るでしょ」

「たかだか一週間の旅と、何ヶ月も船上で過ごす人たちを比べちゃいかんと思うが。……というか、降りたいか? 外の映像見る限り、極限の世界ってレベルを超越してるぞ」


 ダンマスに立体映像見せられた時はそこまで気にならなかったのだが、それは極端に過酷な嵐を見たあとだからであって、実際にそれだけを見てみれば障壁の中でも十分に地獄だ。普段見る事のできない未知の風景を観光したい……という名目なら分からないでもないが、好んで見たいものでもないと思う。少なくとも俺は用事もないのに好んで降りたいとは思わない。


「極限環境を体験したいっていうなら、例の体験コーナーに挑戦してみるとか?」

「人類の限界に挑戦的なアレはちょっと……。そういうのはサージェスに任せるよ」

「あいつは絶賛挑戦中だ」

「挑戦中なんだ……」


 実は昨日、船の一角にこの星の環境を再現した体験コーナーが設置されたのだが、大多数の人間は見学だけでお腹いっぱいという有様だった。

 再現といってももちろん嵐が吹き荒れる結界外のものではなく、結界内……つまりこの船の付近の環境と同程度のものなのだが、それですら人間が活動するのには無理があり過ぎたのである。超重力や気温、未知のガスまで含んだ大気はハードルが高過ぎる。

 一応俺も宇宙服を着て挑戦してみようかなと思ったのだが、意気揚々と挑戦したリグレスさんの絶叫を聞いてしまっては好奇心も萎むというものだろう。ちなみに、実際に体験してみたら圧力で体の体積が萎みかねない。

 アレを楽しめるのはサージェスを筆頭とするマゾの方々だけだな。実際、楽しそうだったし。……いつの間にかサージェスと合流してたけど、あいつら、どこから湧いて出てきたんだよ。


「まあ、土地や風景に特別興味があるわけじゃないんだよね。ただ進展がないのが嫌なのかも。現地の龍とも会ってないし」

「もうじき、何体かはこの船に来るらしいぞ」


 この言葉はユキの対面にいた俺ではなく、更にその後ろ、背後から突然かけられたものだ。振り返ってみれば、そこには銀髪の少年が立っている。


「銀龍。……三人とも戻ってたんじゃなかったっけ?」

「空も玄もまだあっちで色々やってるけど、俺は戻って来ちまった。マジでつまんねーし」


 そう言いながら銀龍も俺の隣に座り、勝手に俺の水を飲み始めた。セルフサービスなんだから注いで来いよ。


「俺の水を飲むな。……つっても、久々の故郷だろうに」

「そんな事言われてもな。昔もそうだったけど、あっち……迷宮都市を知った今じゃ退屈なんてもんじゃねーし。自分の事ながら、こんなところで生きてたかと思うとマジでビビるレベル。正直、向こうで想像してた以上のカルチャーショックだった」


 迷宮都市と比べてもな。比べるならあっちの辺境の村……いや、それより何もないのか。子供なら木登りでも楽しめるが、植物も動物も川も海もないし、ついでに食い物もない。遺跡と無限回廊はあっても楽しくはないだろう。おら東京さ行くだ、という気分になるのも理解はできる。


「えーと、ほら、家族とか。たくさんいるんでしょ?」

「面白みがないのは兄貴たちも共通だしな。……あ、でも、変な日本語は面白かったかも。何故か関西弁もいたし」

「なんでやねん」

「そう、そんな感じ」


 お前が関西弁を理解しているのもアレだが、それは楽しむ部分を間違っている気がする。

 スペックが高いからなのかほぼすべての龍が日本語を習得しているのは助かるが、早期習得故に間違って覚えている部分も多そうだ。こいつらはすでにネイティブに近い感覚で話せるが、それでも間違いや知らない言葉は多いし。あと、偏ってる。


「つーか、場所もそこに住む龍も黒歴史を見せられてる気分なんだよな。俺たちもちょっと前まであんなんだったかと思うとマジきっつい。空とか平然としてたけど、内心絶望してるぜ、アレ。玄は自分だけっていう優越感に浸ってるみたいだけどさ」


 色々見知った上で改めて故郷を見返してみたら、余計にひどいところが目についてしまったという事か。


「さっき言ってた、この船に来るっていうのは?」

「挨拶。徐々に慣らすためとか、認識の摺合せとかするためだと思うぜ。迷宮都市の情報をもらってても、やっぱり直に話さないと分からない事も多いし、頭悪い龍に暴言吐かれて印象悪くしたくないだろうし、空や玄は俺の事馬鹿扱いしてるけど本物は次元が違うし」


 銀龍もかなり雑で適当な性格だが、せいぜいヤンチャという程度だ。……中にはそんなレベルじゃない龍も多いんだろう。

 文化の差によって、捉え方が違うという可能性だってある。そういう事を防ぐには事前の摺合せは大事かもしれない。


「というわけで、暇だったらバスケしようぜ」

「なんでバスケやねん」

「あ、ガルドがいないからサッカーでもいいぞ」

「いや、そういう意味ではなくだな……」


 そりゃこの艦内はレジャー施設も一通り揃ってるからスポーツもできるが、今の時期にやろうと思うヤツは少ないだろう。

 基本的にこの船に乗っている者たちは龍の世界への交流を目的としているのだから、暇つぶしにしてもその目的に準じたものが優先される。娯楽用に作られたわけじゃないのだが、龍の世界についてのビデオとか結構好評だったりするのだ。


「そもそも人数足りないから、バスケだと1on1とか、サッカーだとPKになっちゃうよ。参加者探す?」

「あー、そうな。迷宮都市だとスポーツ施設に行けば誰かしらはいたけど、ここではそうもいかないか」


 よほど暇だったのか、ユキさんは意外とやる気らしい。つーか、銀龍は飛び込みでスポーツに興じてたのかよ。


「一対一でやれるものやればいいだろ。テニスとか」

「そだね。テニスならラケットがある意味制限になるし、冒険者でもちゃんとした試合になるかも」

「おお、ルールは知ってるけどまだやった事ないな。いいじゃん、やろうやろう」


 というわけで、俺たちは銀龍の誘いに乗ってホイホイとテニスをする羽目になったのだった。ちなみに対戦者はユキであって、俺はただの審判だ。一応、近くにいる同志Aさんを誘えばダブルスだってできたのだが、ユキさんの手前それもできない。殴られるし。




 予想通り、移動したスポーツ用のスペースには誰もいなかった。

 元々このスペースはおまけで設置されていたようなもので、冒険者以外の職員が時々利用するくらいだったから、この空き具合は不思議でもなんでもない。


 冒険者の大多数はあまりスポーツを好まない。肉体的に規格が違い過ぎて一般人と試合が成立しない事もそうだが、当の冒険者同士でも差があり過ぎるという問題もある。スキル制限、ステータス制限をかけるという手もあるが、それにだって限界はあるし、大きな制限を受ければ普段通りの動きはできないと問題は多い。スポーツのルールはあくまで同じ人間同士というカテゴリで作られたものだ。それを冒険者に当てはめるのは無理がある。

 だから迷宮都市で行われてるプロスポーツにはレベル制限、スキル制限があり、一部を除いて冒険者は登録できない。エキシビジョンのような試合をやったりはするがそれくらいだ。その中でプロレスは結構緩いらしい。

 まあ、冒険者がやらないからといって、カテゴリ内に収まっていれば亜人だろうが動物だろうが参加しているので、絵面的には十分カオスである。種族などで細かくカテゴリ分けされているが、リザードマンが尻尾を使ってドリフトしてもOKだし、巨人が立ちっぱなしダンクをしてもいい。パンダだって野球をする。各種アニマルスポーツだって、性別や体重による階級分けのようなものなのだ。


 そうして始まる超人テニス。冒険者の脅威的なパワーにも耐えられるように作られたテニスボールが、常人なら視認できないほどのスピードでコートを駆け巡る。本職のテニスプレイヤーの使うようなテクニックなどない、ボールが来たら打ち返すだけの力と力のぶつかり合いだ。アウトになるボールでも普通に拾うくらい適当である。


「ちょいや!」

「へあっ!!」


 ただ、元々器用な二人だ。いつの間にか動きに緩急が付けられるようになり、球にスピンがかかるようになり、コートの隅を狙うようになりと、経験者のような動きになってきた。ボレー合戦になったりしたらもう意味が分からない。……うーむ、今俺が参加したらどっちが相手でも負けるな。あと、掛け声はもうちょっとなんとかしようぜ。


「これは一体……」


 延々と終わらないラリーに見入っていたら、いつの間にか隣に空龍の姿があった。目の前で繰り広げられている人外魔境な超テニスに困惑している模様だ。


「これはエクストリーム・テニスという超人スポーツだ。別名テニヌ。達人になると対戦者の五感を消失させたり、分身したり、ブラックホールを作り出したりする」

「はあ……すごいんですね」


 まあ嘘なんだが。目の前で繰り広げられているのも似たようなもんだし、大して問題はないだろう。

 ……こうやって誤解が広まっていくんだな。


「現地の用事とやらは終わったのか? 玄龍はいないみたいだけど」

「玄は向こうに残って、迷宮都市で身につけた武術のお披露目をしています。基本脳筋なお兄様たちには好評だったみたいで」


 お兄様と呼んでいるのに脳筋呼ばわりである。


「用事というのもただの帰還報告ですから。お母様のところに行くのに多少時間はかかりましたけど、それだけです」

「皇龍は衛星軌道にいるんだっけ?」

「この星の周りを周回している旧文明の人工衛星を住処にしています。降りてくるのは無限回廊に挑戦する時くらいでしょうか」


 龍たちが住むこの遺跡は直径が月よりデカイらしいが、それでもあの巨体では手狭だろう。嵐で見えないが、その人工衛星とやらも月どころじゃない大きさなんだろうな。


「そこには転送装置か何かで?」

「はい。これまでは旧文明の遺物で壊れていないものを使用していたんですが、迷宮都市の方が新しく設置してくれました。これで、三回に一回は座標エラーで宇宙空間に放り出されていた危険がなくなります」


 怖いわ。何千年も前の機器が動いてるのはすごいが、誤作動恐れずに使い続けるのもすごい。時間がかかったのはその設置作業かな。


「渡辺様も安心して使えますね」

「そりゃ新しいのなら使えるだろうが、俺が使う機会なんて……いや、あるのか。ひょっとして皇龍が呼んでたり?」

「はい。上陸許可が降りた時点で顔を見せるようにと」


 良く考えれば極めて真っ当な話である。この船の責任者はヴェルナーで冒険者代表はグレンさんだが、それは表向きの話だ。本当の目的での代表は、《 因果の虜囚 》の同胞である俺だろう。その俺が顔を出さないのは問題がある。

 月で会った皇龍は異様なプレッシャーを放ってはいたが、あれはホログラムのようなもので実体ではない。礼儀としても一度くらいちゃんと会って話をするべきだろう。……会うっていっても、衛星サイズの龍に対してどこまで近付けば会った事になるのかは疑問であるが。

 転移装置にしても、新しい物に変えてあるのなら問題はない……はずだ。ないよね?


「そういえば、先ほどラディーネさんが渡辺様を探してましたけど」

「なんか用事かな」

「緊急ではないようでしたが」


 と、ラディーネの話題を振られたところで、施設の扉が開いて本人が現れた。出待ちしていたようなタイミングである。

 テニスコートで繰り広げられる超絶ラリーに少しだけギョっとしたようだが、そのままこちらへと向かって来た。


「なんか、俺を探してたんだって?」

「ああ。ちょっとばかしデートでもしないかというお誘いだ」


 ……どうしよう。冗談なのか本気なのか良く分からない。ラディーネが嫌というわけじゃないが、ここまであんまりそういうイベントなかったしな。これで妙に気合入った服装や化粧をしてるなら本気って可能性もないわけではないが、ラディーネはいつもの白衣である。

 もし本気なら、上手くいけば乳くらい揉ませてもらえるだろうか。いや、ラディーネだったら手が滑ったとかそういうベタなネタでも軽くスルーしてくれるような気も……。問題は、なんか変な研究の材料にされないかどうかだが……。


「というわけで、空龍もどうかね?」


 やはり色気のない話のほうだった。一方、振られた空龍はデートの定義について考えているのかハテナが浮かんでいた。異性と出かける事って認識だったはずだからな。


「といっても、艦内じゃ行けるところは限られるだろ……それとも、今設営してるっていう施設に行くとか」

「それよりも遠くだ。具体的にはこの船……というか遺跡から五十キロほど離れた場所だな」


 それ、俺たちが行ったら死ぬんじゃないだろうか。五十キロくらいならまだ結界内ではあるんだろうが。

 ……いや、ラディーネだから宇宙服のテストとかかな。それだと目的地を設定する意味は分からんか。


「いやな、例の< 黒老樹 >なんだが、鍛冶師連中が群がって量が足りなくなってしまったらしい。それで急遽追加で伐採しようという事になってな」

「それで木こりの真似をしに行くと。やりたい事は分かったが、それでなんでラディーネが?」

「別にワタシである必要はなかったが、職員も設営で手が足りないらしくてね。それで、スーパーボーグ(仮)の試運転を兼ねてドライブしようというわけだ」


 ボーグはいつの間にかパワーアップイベントを消化していたらしい。




-2-




 ボーグが接続されたクーゲルシュライバーの小型艇……仮名称スーパーボーグが無人の荒野をひたすら走る。人どころか海も植物もない死の荒野だが、無人なのは間違っていない。全周が透明な素材でできている小型艇は本来なら風景を楽しむのに最適な構造なのだろうが、これでは気が滅入るだけである。船内は女子率が高く華やかなので、どちらかというと内側に視線を向けたほうが精神衛生上よろしいな。……ちょっと視線をずらすとボーグの顔だけが鎮座しているのはアレだが。

 小型艇のシートには俺とユキ、ラディーネ、空龍が乗っている。六人乗りなので銀龍も誘ったのだが、すごく嫌そうな顔で断られてしまった。とはいえ、ユキが参加する事で対戦相手がいなくなるのも可哀想だったので、代わりに覗きをしていた同志Aさんを生贄にしておいた。今頃は二人で超人テニスを続けている事だろう。同志Aさんの身体能力は知らんが、冒険者なんだからそこまでひどい事にはなるまい。


「これは思っていたより……なんていうか」


 想像以上の光景だったのか、同乗したユキも表現に困っている。やはり、映像で見るのと肉眼で見るのとは違うようだ。

 間近の荒野もかなりアレなのだが、遠くに見える結界の境界あたりのインパクトが強烈だ。結界が透明である関係からか、遮られている暴風が目に見える壁となり、地上から空までを覆う死の台風のドームになっているのである。

 ……じっと見ていると吸い込まれてしまいそうだ。観光には向かないと思っていたが、スケールのでかさは一見の価値があるのかもしれない。


「しかし、ボーグの顔の位置はどうにかならなかったのか?」

「エ……?」


 当のボーグは何言ってるのか分からない風ではあるが、お前はもうちょっと待遇を気にすべきだと思うぞ。


「配線的に最も効率が良い位置がここだったんだ。ボーグも同乗者と自分の口で話せたほうがいいだろう?」

「ソウデスネ」

「いや、お前がいいならいいんだが」


 この小型艇はボーグの頭と物理的に接続していて、コントロールのすべてを担っているらしいのだが、そのボーグの頭は車でいうシフトレバーの位置にある。その下に体があるわけでもなく、頭だけだ。一応、横回転はできるので視点変更は可能らしい。

 つまりこの小型艇はボーグ操縦による自動運転なわけだが、ラディーネが座る席にはハンドルもついていて、何かしらのトラブルの際はラディーネが対応する事になっている。更には、万が一の際は龍に助けてもらえる手はずになっているのだとか。


「そういえば、クーゲルシュライバーの小型艇ってあのトンネルでしか使えないんじゃなかったか?」

「それを乗り込んでから聞くのかね……」


 そりゃ今更ではあるが。

 誘われるままに乗り込んでここまで来てしまったが、以前聞いた話だとかなり限定された仕様だったはずだ。

 迷宮都市の環境なら問題なく動作しても、この星の環境下で動作させるのは結界内でも無理があるとか。


「こいつは特別仕様だ。元々の小型艇にはタイヤもないし、各種アタッチメント機能もない。正確に言えば制御用のモジュールが完成していないわけだが、これはそれらをボーグの脳で代用しているわけだな」

『戦闘用デナイノハアレデスガ、特別仕様トイウ響キハ心ガ踊リマス』


 専用とか特別といういう言葉に心惹かれるのは分かるが、こんな特別は嫌だ。ここから人型ロボットに変形でもしたら惹かれるかもしれないが。


「乗って移動できるという利点はあるが、戦闘となるといつもの本体のほうが強い上に汎用性も高いな。アタッチメントも使い回せるし」

「純粋にパワーアップってわけじゃないんだな」

「水中装備もこれも、大型パーツを接続する前段階という感じだ」

『ユクユクハ、巨大ロボット二モナッテミタイデスネ。変形機構ガアレバ尚良イデス』


 ボーグは相変わらず自分自身を弄られる事に一切の抵抗を感じていないようだ。こいつの中で自己のアイデンティティはどういう扱いになっているのか。まともな人間なら遥か以前に自我が崩壊しているだろうに。


「そういえば、ボーグさんは元人間なんですよね? どういう経緯でサイボーグになられたんですか?」


 ここまであまり絡みのなかった空龍がボーグの来歴について聞いてきた。おそらくその問いは以前からのメンバー……ここにいる全員に向けられたものなのだろうが、詳細については俺もユキも知らないのでラディーネへと視線を向ける。


「エルシィ殿がユニーククラスである< アンドロイド >だったので、対抗して新しいクラスを創れないかと挑戦した結果だ」

『被験体二立候補シマシタ』


 まともかどうかは別として、意外にシンプルな回答だった。そういえば、新たなクラスを創る云々の話は聞いた覚えがある。

 つまり、ボーグは進んで改造されたというわけか。最初から頭おかしかったんだな。


「利害が一致したのが大きいが、一応延命処置でもあったんだ。当時、ボーグ……アンドレは迷宮都市でも治療不可能な難病に侵されていてね」

『ソノ男ハ死ニマシタ』

「……まあ、ある意味死んだのかもな。今ならクローン技術を使って人間に近い体を作る事もできるんだが、肉の体に一切未練がないらしい」

『肉ボディハキメラ二任セマシタ』


 役割分担が必要なものではない気がするんだが。

 しかし、本人が気にしていないとしても、結構ヘビーな過去があったんだな。千切れた腕でも元に戻す迷宮都市で、治せない病気とかあったんだって感じではあるが。……いや、そりゃあるか。


「という事は私たちと同じですね。仲間です」

『オオ、確カニ』


 なんか意気投合してしまったが、空龍とボーグは同じカテゴリなんだろうか。


「えっと……なんかその分類だと、ボクも同類って事になっちゃいそうなんだけど」


 広義的にはユキもそうなるのかもな。人の体を捨てて機械になるのと、龍の体を捨てて人になるのと、男を捨てて女になる。方向性はバラバラだが、元々の姿を捨てて新しい自分を求めたわけだから。突き詰めていけば、転生した奴はみんなそうだともいえる。


「実はキメラにもそういう過去があるとか」

「あいつのアレは種としての本能だ。元々が単体で生存できないほどに脆弱な種族で、周りの生物を取り込む事でしか生きられない。その中でもあいつは強い存在になりたいという欲求が大きい故に利害が一致した。ワタシがいなくても、あいつはどこまでも生物としての究極の形を目指すだろうな」


 強さ、というのは分かり易くシンプルであるが強固な欲求だ。モンスターを取り込み、糧とするのもその延長線上にあるものに過ぎない。

 その欲求が満たされるなら姿形に拘っていない。元々そういう種族なのかもしれないが、どんな異形になろうともあいつは気にしないだろう。

 多かれ少なかれ、冒険者になるのはそういう欲求を抱えた奴だ。最初は違うと思っていたが、俺もそうだし。


「究極っていうなら、発声器官は必要だと思うんだが」

「一応器官はあるんだが……最近はまったく喋らないな。あの顔文字ボードで十分だと思ってるんじゃないか?」




 そんな話をしつつもスーパーボーグは疾走を続け、しばらくすると目的地である< 黒老樹 >が見えてきた。結界の端、あと少し進めば嵐に巻き込まれるような位置である。なんでも、物理的な壁があるわけではないので、突っ込もうと思えばそのまま突っ込めるとか。……突っ込む前フリではないぞ。

 近くまで来てみてようやく< 黒老樹 >の巨大さが分かる。特に枝分かれもしていない真っ直ぐな棒であるが故にスケール感が掴み辛いのだが、この樹は意味不明なほどに巨大だ。龍はこの星由来の存在ではないから理解できるが、元々この星に存在していた生物としてこの巨大さはおかしいだろう。巨大惑星の超重力を無視している。


「これ、本当に樹なのか? この環境下で育ったにしてはでか過ぎる気が……」

「解析もしたが、今のところ不明だ」

「迷宮都市の技術をもってしても、なんでここまででかくなったか分からないと」

「巨大さもそうだが、本当に樹なのかすら怪しい。加工したものを《 鑑定 》すると木製アイテム扱いになるんだが、普通に調べても樹木の要素が皆無なんだ」


 ……どっちも不明かよ。そこまで意味不明だと、むしろ加工して木製扱いになる事のほうが不気味だ。


「まあ、そういうのは専門家に任せるとして……これ、どうやって伐採するんだ?」

「もちろんボーグを使う。こいつの先端部は色々アタッチメントを付けられるように改造してあって、今はノコギリが装着されている。ワタシやワタナベ君たちはただの見学だ。さあボーグ、頑張れ」

「イエッサー」


 と、セリフに合わせてフロント部分からノコギリの刃らしきものが現れ、そのまま伸びていく…………伸び過ぎじゃね?

 スーパーボーグの車体以上に伸びたノコギリはそのまま巨大な< 黒老樹 >に巻き付いていき、そのまま刃部分だけが回転し始めた。ノコギリっつうか、可変型のチェーンソーだな。歯の全長が足りていないのでそのままでは両断できないが、車体側がグルリと一周する事で対応した。最後に倒れる方向を調整して終了だ。音は聞こえなかったが、振動だけでもその重量が分かる。ビルが倒壊したようなもんだ。


「えらい頑丈だって話だったが、結構簡単に切れるもんなんだな」

「いや……想定以上の硬度だ。刃が欠けている。このノコギリはクーゲルシュライバーの掘削機と同じ素材を使ってるんだが……」


 それがどんな素材なのかは良く知らんが、とにかくすごいものだって事は理解できた。

 空間に穴を開けるようなものに妥協は許されない。それと同じものという事は、迷宮都市でも最高品質のものなのだろう。それが欠けるという事は防具にでもすればかなりの防御力が期待できるというわけだ。木製最大の弱点である可燃性があるかどうかも怪しいし、すげえな樹。


 その後、倒した樹をどうやって運ぶのかと思えば、このまま引きずって行くらしい。ボーグのアタッチメントをアンカーに変更し、そのまま牽引を始めた。この小型艇には荷台も付いているのだが、それは使わないらしい。というか、サイズが合わない。

 こんな小型艇で何倍も体積のある巨大な樹を引っ張れるのかとも思ったが、少しスピードが落ちるくらいでちゃんと運べるようだ。詳しく聞いてみれば、なんか部分的に重力制御を駆使しているそうだ。




 帰りの道中、後部座席でユキが引っ張られる樹をボーっと眺めているのに気付く。そういえば、途中からずっと会話に混ざってこなかった。


「なんか気になる事でもあったか? 切り口が真っ黒で年輪がないのが気になるとか」

「あ、いや、樹はどうでもいいんだけどさ。この状況で何かに襲われたらどう対処すればいいんだろうって」

「どうって……そういえば、どうにもならんな」


 車体の外は冒険者でも即死しかねない環境だ。こんなところで戦闘などできない。


「今回の話を聞いてから、こっちの世界で戦闘になる事はずっと想定してたんだけど、そもそも戦闘どころじゃないよね。遺跡で環境調整してるっていっても極一部だし、調整用の機械が壊れてもアウトだし」


 あまり考えていなかったが、こういう場所で戦う事も考慮に入れる必要があるんだろうか。

 星の崩壊までに何かが起こるとは考えていたが、その何かを考えるなら十分に可能性はあるのかもしれない。


「ココナラ、吾輩ノ独壇場デスネ」

「私も動けますけど」


 空龍は問題なく戦える。ボーグもアタッチメント次第では十分に戦力として数えられるだろう。だが、肝心の俺たちが無力だ。俺を中心として何かが起きると考えるなら、俺自身が無力なのは問題だろう。

 そうでなくとも、今後無限回廊を進む上で人間では適応できない環境下での攻略は出てくるはずだ。たとえばエルシィさんが攻略したという< 月の大空洞 >は、ダンマス曰く月に依存した環境で空気がなかったらしいが、アレが迷宮都市のダンジョンに加わるなら似たような環境になるんじゃなかろうか。


「ボーグはこの状況下でどれくらい戦えるんだ?」

「結界内なら十全に動けるよう強度を調整してあるが、結局はアタッチメント次第だな。クーゲルシュライバー……いやセカンドと呼んでいるのだったか……彼女とヴェルナー殿の許可が出るなら、空間掘削用のドリルも装着できない事はないが……アレは出力の問題がな……」

「ドリルノ方ガデカイノハ不格好デス」


 歪でも、それを考慮した上でなら戦えない事もないと。まあ、この状況なら戦うよりも逃げる事を想定すべきだろう。


「あのー、渡辺様? 忘れてるかもしれませんが、この世界で戦闘するなら戦力は大量にいるんですが」

「……そういや龍は味方だったな」


 万全の体制で戦える連中が大量にいた。ついでにいうなら皇龍までいる。

 とりあえずあの遺跡の近くにいれば救援が見込めるというのは大きいな。今回は何も考えずに出て来てしまったが、あまり遺跡を離れないようにしよう。というか、今回も護衛として何体かついて来てもらったほうが良かった気がしないでもない。


「どちらにせよ、現時点でこういう極限の環境下だと俺たちは無力だな。逃げ回るにせよ、それを許してくれる状況かも分からんし」

「こういうどうしようもない場所は諦めるしかないとしても、ギリギリなんとかなりそうな場所での戦闘は考慮しておいたほうが良くない? 世界の間にあるトンネルとか」


 正論である。加えて、ありそうな展開だ。

 それがどんな状況かは置いておくにしても、通常空間でない場所での戦闘は検討しておくべきだろう。


「耐圧スーツや小型酸素ボンベなども少数はそれぞれ常備しておいたほうがいいな。検証以前のシロモノだから、安定性はまったく保証できないが」

「まあ、ボクらが試作品のテスト要員を兼ねてるのはいつもの事だしね」

「せやな」


 以前、サーペント・ドラゴン戦で使用した水中装備に改良を加えたものも準備はしているらしい。宇宙空間に放り出されても、冒険者なら酸素ボンベさえあればなんとかなる可能性はあるから、それだけでもありがたい。試作用段階でも配布してもらおう。


「現地環境体験コーナーでサージェス君に耐久テストはしてもらっているんだが、彼の評価は微妙にズレているからな」


 ……アレ、一応テストだったのか。




-3-




 そうして特に何かがあるわけでもなく、クーゲルシュライバーへと戻って来た。一応伐採という名目はあるが、俺たちは本当にスーパーボーグに乗っていただけである。つまり、当初の目的通りドライブだ。……何も問題はないな。

 艦内に戻る前にちょっと足を伸ばして遺跡や設営中の施設も覗いてみたが、思っていたよりも順調で、すでに東京ドーム一個分くらいのスペースは人間でも活動できるようになっているらしい。いくつかは仮宿泊施設も建設済みだ。一日しか経っていないのにすさまじき速度である。


 ボーグから降りて格納庫を移動していると出入り口付近に玄龍とヴェルナーがいるのに気が付いた。真剣な表情で話しているので何事かと思い、近付いてみる。


「なんかトラブルか?」

「渡辺さん。トラブル……ではないですね。取扱いに困る案件ではありますが」


 状況を見る限り玄龍が持ち込んだ案件だろうと、説明を求めて視線を向ける。


「現地に戻ったら、兄上たちが自分の名前を付ける事で揉めててな」

「玄龍とか空龍とか単純過ぎて揉める要素なさそうだけど、もっと複雑な名前にしたいとかそういう事か?」

「いや、杵築殿に付けてもらって以降、いつの間にか暗黙のルールになっていた"龍"に漢字一文字というのは変わらないんだが、誰がどの漢字を使うのかで取り合いになったのだ」


 なんじゃそら。ダンマスもそこまで考えて付けたわけじゃないだろうに。


「でも、私が話した時はそれほど関心はなさそうでしたけど?」

「姉上が戻られたあとにアドバイスを求められてな。最初はそれっぽい漢字をそのまま付ける流れになっていたんだが、意味そのままよりも、少しズラしたもののほうがそれっぽくて格好いいぞと助言をした事から始まり……そこから字の形や音の響きなどに拘り始めて、被った龍同士が取っ組み合いになってと、予想外の状況に……」

「子供か」


 自分の名前なんだから妥協はできないかもしれないが、何故それで取っ組み合いになる。


「お兄様……なんて恥ずかしい」


 空龍が頭を抱えていた。

 でも、お前らのお兄様はまだ可愛いほうだぞ。俺のお兄様なんてポルノダンサーなんだぜ。恥ずかしいってレベルじゃない。


「ねえねえ、『雪』とか付ける龍さんはいるのかな?」


 話題に興味を惹かれたのか、ユキが割り込んできた。


「む? ……ああ、お前の名か。そういえばいたような」

「その龍さんはセンスいいね。仲良くなれそう」

「ちなみに『綱』はいないな」

「その補足はいらん」


 綱龍とか、微妙に格好悪い上に、なんかすごく細長いイメージだ。


「それで、お前は取っ組み合いから避難してここに来たと」

「それもあるが、どうせなら取っ組み合いを中継して見世物にしたらどうだと提案していたのだ」

「交流先の相手を見世物にするのは如何なものかと頭を悩ませている最中なわけです」


 それであんなに真剣な表情をしていたわけだな。超どうでもいい内容だった。


「どうせならトーナメント戦かバトルロイヤルにして、冒険者向けのトトカルチョにしたらどうかな。で、勝ち抜いた人は今後の命名権を持つ責任者になってもらったりして。それでクジを買った人はどんな名前がいいかとか提案してもらうとか……」

「ほう」


 こういうのが大好きなユキさんに火がついてしまった。

 ……まあ、提案自体は相手さんから了解もらえるなら問題はないのだが。


「で、最下位の龍は恥ずかしい名前が付けられるという罰ゲームが……」


 そして、妥協できない罰ゲームが付くのもユキさんなのだ。

 その後、延々とあーでもないこーでもないと提案と妥協を繰り返し、いつの間にかやる前提で話が進むまでがセットである。


「というわけで姉上、《 念話 》で母上の許可をもらって下さい」

「えぇ……」


 空龍に助けて下さいという視線を送られるが、どうしようもないんじゃないかな。


「はぁ……お兄様たちも、あなたも覚えておきなさいね」

「は……俺もですか?」

「玄も、というか、私の中ではあなたが首謀者で扇動者です」

「馬鹿な……」


 間違ってはいないな。一番悪いのは着火済みの火にガソリンぶちまけたユキさんのような気もするが。


「ユキ……お前、自分はそのままフェードアウトするつもりだろ」

「しーっ! 責任者はヴェルナーさんで、発案者は玄龍って流れにするんだから。ボク、名前が出ないオブザーバー、いいね?」


 ……こういう奴である。

 龍の寿命考えたら、下手したら何千年も付いて回る問題なんだがな。本名が恥ずかしい名前になるとか、シャレになってないと思うぞ。


 そうして空龍が打診したところ、特に関心のない皇龍は許可を出してしまった。むしろ、円滑な交流に良さそうだとお褒めの言葉を頂く有様である。褒められた空龍は真顔だ。


 最終的に決まったのは龍三十二体によるトーナメントだ。優勝までに五回勝ち抜く必要があるものの、半日ですべてを終わらせる強行スケジュールである。

 実はもっと参加希望はいたらしいのだが、兄弟の上のほうが一喝して黙らせたそうだ。結果、現時点で名前の付けられていない龍の内、比較的上位の個体が参加する事となった。その中に亜神化している者はいないので、大体Lv50~Lv90くらいの分布になるらしい。

 娯楽に飢えていたのか、トトカルチョにはかなりの人数が参加した。チケットの値段は一律なので気にする乗客はいなかったし、< 雷雷軒 >がスポンサーとなって特別食事会のチケットが用意されたのも一因だろう。


 チケットには賭け対象の龍に相応しい名前と、最下位の龍向けの名前の案を提示する権利が付いている。漢字の意味も追記しなければならないので、騙そうとした場合はチケット自体が無効になってしまうので注意だ。尚、あくまで提案であって、最下位の名前の最終的な決定権は優勝者に与えられるあたり、俺たちが押し付けたわけじゃないですよという逃げ道になっている。

 ベスト16までに残った龍はトトカルチョで提示されたものを参考に自身の名前を付ける権利を得る。これは権利なので行使する必要はない。

 そして見事優勝した龍は今後の命名についての権利と責任を追う命名大臣の座を得ることになる。今後、どういう方法で命名が行われるかは命名大臣によって決められるわけだ。大臣の方針によっては、第二回のトーナメントが開催されるかもしれない。


 尚、このトーナメント開始時点で龍が好き勝手に決めていた命名権は凍結された。これに伴って一部の龍が駆け込みで名前を決めてしまったあたり、龍の中にはノリだけで動いていない奴もいるんだなと感心したものだ。


 舞台の設営はそう時間もかからずに完了した。特に環境整備をする必要もなく、中継用カメラと審判用の拡声器、巨大プロジェクタの設置くらいで、施設建設の遅延から見たら誤差の範疇らしい。


 この時点で俺たちはトーナメント運営中枢から距離を取っていた。チケットを買うだけ買って、あとは見学モードである。ユキさんは兎だけに逃げ……自然にフェードアウトするのが上手いのだ。実際にトーナメントが始まる頃には、暇していた連中を集めて、比較的大きい部屋が割り当てられていたラディーネの研究室で鑑賞会である。一番人が集まっているロビーには近寄るつもりはない。


「あのよ……なんかめっちゃ心が痛いんだけど……」

「言うな」


 特に関係のないガウルさんが一番心を痛めていた。




 そうして、ある意味残酷なトーナメントは予想以上の盛り上がりのまま開始する。

 この熱狂は、現地についたものの未だ接触のない現地龍との交流が間接的ながらも成されるイベントだというのも大きい。後半戦になってチケットを購入した龍へ通信による応援が取り入れられたのも一因だろう。キメラのように厳つい容貌ではあるが、彼らは基本的に純粋だ。応援されれば応えようと頑張る。

 ただ、戦闘的な面で見た場合はそれほど見るべき点はなかったように思える。

 確かに龍の巨体と膂力、各個体が持つ特性は強力なものが多い。しかし、それを前面に押し出した力押しがほとんどで、技巧的な部分は少ないように感じられた。背景から考えればそれも当たり前で、彼らはとにかく自身を強化して実力で上回る事しか考えない。勝つために工夫するよりも、勝てるように強くなればいいというスタンスなのだろう。

 ただ、誰かが応援メッセージでアドバイスしたのか、決勝戦だけは格下が格上を下すという番狂わせが発生した。単純なフェイントではあるが、相手が相手だけに効果は覿面である。


「それは、これまでに起こり得なかった龍の進歩、その第一歩といえるかもしれない」

「いや、ドヤ顔で言われても。お前と玄龍がやった事は変わらないからな」


 俺の脳内言語に被せるが如く、ユキがそんな事を言い出したが、それですべてが帳消しになるはずもない。もし今回の件で外交問題になったら、俺は迷いなくお前を差し出すぞ。


『よし、これでワシが大臣という事だな。というわけで、早速だがここ一番で負けるような最下位の奴には……』


 ズタボロになった優勝者が、その体躯に合わせた巨大なマイクを使い宣言する。

 記念すべき最下位の名前は命名大臣によって『糞龍』という擁護しようもないものに決まった。この容赦のなさは身内故のものなのか。

 漢字だったら捉え方によってはいい意味にできるものも多いのだが、これはどうしようもない。とりあえず、俺には思いつかなかった。

 名付けられた最下位の龍の顔がアップで表示され、『命名:糞龍』テロップが被せられる。その顔は表情が乏しく、何を考えているのか良く分からないものではあったが、何故か哀愁を感じさせるものであった。


「……お前、どーすんだよ、これ」

「いや、ボクのせいじゃないから」


 直接的にはな。でも、あとで糞龍さんが復讐したいって言い出したら協力するよ、俺。ついでにガウルも。




-4-




 悲しい事件は終わった。なんでこうなったか良く分からない展開ではあったが、とりあえず終わった事にしたい。

 銀龍によれば現地の龍たちは面白みのない個体ばかりという話だったはずなのに、その設定はどこへ消えてしまったのか。彼らのノリだと、どんなイベントを開催したとしても盛り上がってしまう気がしてならない。




「準備ができたので、お母様のところに行きましょうか」


 唐突に俺の部屋を尋ねて来た空龍がそう言った。

 それは艦内調整時間で言うところの深夜。トーナメントに決着が付き、今日はもう寝るかという頃合いである。


「まだ船を降りる許可は出てないぞ」


 それどころか、挨拶に来るという龍もまだ来ていない。艦内は依然として移動に制限がかけられたままである。


「突貫ですが、お母様のところまでの工事は終わりましたので許可は頂きました。そのままの格好でも大丈夫ですよ」

「さすがにTシャツ短パンで行く気はないが」


 環境調整したといっても、気温まで完全に調整したとは限らない。艦内からして少し低めの気温設定だから、この格好だと寒いだろう。というか、いくらなんでもこんな格好で相手の代表に会うほど失礼な奴ではないつもりだ。


「昇格式典の時の礼服着れば? あんまり着る機会ないし」


 敷居代わりにしてあるカーテンから顔だけ出したユキがそんな事を言い始めた。髪が濡れているから、備え付けのシャワーを浴びていたのかもしれない。

 礼服が似合わないのはアレだが、間違っても失礼という事はないなと、《 瞬装 》でいつかのスーツを身に纏う。


「行くのはツナだけ?」

「制限は聞いてませんが、最初はそのほうがいいかもしれません。話の内容によっては私も追い出される可能性がありますし」

「そっか。じゃあ、皇龍さんに会うのは別の機会にするよ」


 何故だろうか。ユキの言葉には着替えるのが面倒だとか、もう寝たいからという意思が込められているように感じられる。


「とりあえず挨拶くらいだろうしな。何かあったら例の掲示板にでも書き込んでおくわ」

「りょーかい」


 エルシィさんが用意した掲示板やチャットは、こちらに来ても一応機能している。

 あちらの世界との同期が取れないのでダンマスたちとやり取りはできないが、情報共有ツールとしてはかなり有用だ。ただでさえ、迷宮都市の各種サービスは使えないし。




 おっかなびっくり格納庫の出入り口から足を踏み出すと、そこはもう龍の世界の大地である。


「体調に問題はありませんか?」

「若干息苦しいような、体が重いような、微妙なところだな。差し当たっては問題なさそうだ」


 環境設定が万全でないのかもしれないが、多分気のせいだろうというレベルでしか違いは感じられない。一般人なら些細な変化でも体調を崩しかねないが、冒険者なら問題ないだろう。万が一問題が起きたら、ラディーネ謹製の装備を《 瞬装 》する準備だけはしておく。


 そうして移動を開始して空龍に案内されて遺跡の中を移動する事……数時間。すでに艦内調整時間の上では日付が変わっている。いくら歩きだからって、遠過ぎねえ?


「あのー、空龍さん。転送ゲートはまだでしょうか」

「すいません。もう少しです」


 すでに設営班が作業をしている場所からはかなり離れてしまっている。皇龍のいる場所と繋ぐためだけに突貫で作業したという事なのだろう。


「まさか道を間違えたとか……」

「な、ないですよっ。そもそも道を間違えたら環境が激変しますし」


 どうやら決まった通路以外はまだ環境整備が行き届いていないらしく、少し道を外れれば外と変わらない地獄が待っているそうだ。こうして宇宙服なしの徒歩で移動できるのも迷宮都市から派遣された技術者さんたちのおかげである。


「……でも、距離の見積もりは少し甘かったかもしれないです。昔は龍の体でしたし、昨日は職員さんの車に乗せてもらったんで」

「いや、間違ってないならいいんだ。うん」


 この際、死ぬような目に遭わなければいい。急いだら道間違えるかもしれないから、走ったりはしないが。


「そういえば木を切りに行った時から明るさが変わってないが、今って昼間なのか?」


 少し落ち込んでしまった空龍の気を紛らわそうと、ちょっとだけ気になっていた話題を振る。

 この遺跡を中心とする結界はドーム状になっているのだが、遺跡の隙間から見える空は暴風に覆われている。つまり空は見えないにもかかわらず、あたりはぼんやり明るく視界はそれなりに良好なのである。現時刻は深夜だが、艦内時間はあくまでクーゲルシュライバー内で便宜上使っている時計に過ぎないからこれも当てにはならない。星のサイズも違えば恒星との距離だって違うこの星に当てはまるはずはないのだから、昼時間が長く続くのはそうおかしな事でもない。となると、この光源が恒星によるものなのか、それ以外の要因によるものなのか良く分からなくなってくる。


「この光は恒星からのものではなく、結界が放っているものです」


 空龍の解説によれば、そもそもこの星は恒星から遠く、昼夜の概念がないらしい。

 結界が外の防風を遮断する際の反応で発光し、それ故にここは常に明かりがある状態というわけだ。また、台風にも強弱はあるので、それに合わせて明るさも変わるのだとか。便利なんだか不便なんだか良く分からない仕組みだ。




 更に二人で歩く事数十分、遺跡の中では比較的構造物の形が残ったエリアに辿り着く。ここが転送装置のある目的地らしい。

 もう少しと言われてから、更に一時間超の道のりである。口に出すと空龍が落ち込むから言わないけど。


「でかっ!?」


 そこに、見慣れた転送ゲートの超巨大版が鎮座していた。隣にもう一つある古ぼけた機械は、これまで使っていたという転移装置なのだろう。


「迷宮都市の職員さんが龍のサイズに合わせて造ってくれたそうです。さすがにお母様は入りませんけど」

「そりゃ皇龍はな……ひょっとして、無限回廊の入り口もこんな大きさなのか?」

「本当は見たほうが早いと思うんですが、ちょっとルートから外れてるんですよね。ここから少し離れた場所にあるんですが、無限回廊の入り口はこれと比較にならないサイズです。文字通りお母様が入るので」


 ……ようは月サイズのゲートって事か。とんでもねえな。


「迷宮都市のゲートも似たような大きさだと聞いてますよ。普段は同じ機能を持った人間サイズのゲートを使っているだけとか」

「地下に本物のゲートがあるってのはダンマスから聞いた事があるな。……そんなにでかいのか」


 そこまででかいとさすがに不便だな。そりゃ人間サイズ用のゲートも作るか。

 とはいえ、それは今は関係ない話である。これから使うのはこの星の衛星軌道への転送ゲートだ。ちょっと不安になるでかさだが、だからといって機能に支障はあるまい。



 そんな巨大過ぎて不安になるゲートを二人で潜ると、抜けた先は文明の香りが強い場所だった。

 地上にあったような完全な瓦礫ではない。人工の火こそ灯っていないものの、自然物ではない素材で造られた建物の中。そんな場所だ。最低限の明かりがあるが、これらは迷宮都市の職員が用意したものである。

 イメージとして近いのは、朽ちた宇宙基地といったところだろうか。ここには確かに文明があったのだと連想できる。


「ここはかつて地上の観測用に造られた衛星だったそうです。人類の世代を超えて地上の文明を観測し、情報を集めるだけの観測所。人間が住んでいた惑星には必ずこういった観測所が存在し、龍が管理していたのだとか。……お母様が生まれる以前の話ですが」

「皇龍に聞いたな。龍を使った宇宙戦争が起きて文明が後退したとか」

「ここが観測所として使われたのは、その後の話ですね」


 廃棄人工衛星まで来たあとも空龍の案内に従って移動する。ルートを間違えればやはり死ぬ環境が待っているのだが、地上と比べてこちらは俺でも数分は耐えられる環境だ。超重力も未知のガスも嵐も、この高度まではほとんど届かないらしい。


「そのあと偉い学者さんが出て来て、皇龍みたいな自分で考える次世代の龍を創ったんだっけ?」

「そうですね。その賢人本人も龍の因子を取り込んで龍人という存在になりました。この方の名前は記録が残っていて、ゲルギアル・ハシャというそうです。ただこの名前も時期によって差があるのか、発見されている中での最終的な記録上はゲルギアル・ハシャ・フェリシエフ・ザルドゼルフ・アーマンデ・ルルシエスとなっているそうです」

「……ゲ、なんだって?」

「フェリシエフ以降は龍の名としても残っているので、何かしらの理由でそう名乗るようになったのではないでしょうか。経緯などは分かりませんが、取り込んだ龍の因子がこれら龍のものという可能性が高そうです」


 長過ぎるだろ。古代ローマの人とかそんな感じかもしれんが、本人は忘れたりしなかったんだろうか。良く言われるピカソさんとかも。


「彼の人はこの世界で名前の残っている唯一の偉人です。私たちを創ったのはもちろんお母様ですが、そのお母様を創った存在という事で考えるなら、現存する龍すべての始祖という事になりますね」

「めっちゃ偉大だな」


 世界が崩壊しなければ、唯一の悪意が現れなければ、それこそ数万年単位に讃えられる偉人だったはずだ。もっとも、その場合空龍たちは存在していなかったのだろうが。


「なあ、たとえばさ、この世界が崩壊する直前に時間が戻せるとして……唯一の悪意を滅ぼせるとしたら、どうする?」

「それは……すべてをなかった事にするという意味でしょうか」

「そうだ。滅びた世界も偉人もそのまま残り、自然のままに進む。そこには崩壊も、皇龍の慟哭も……お前の存在もない。それでも止めるか?」


 空龍の歩みが止まった。それに合わせて俺も止まる。

 ……少し意地悪な質問だったかなと思う。真っ当な人間なら、自分の存在を天秤にかけられれば困るだろう。だが、なんとなくだが答えは決まっているような気がした。彼女は皇龍の後継者だ。《 因果の虜囚 》の影響を、間接的ながらも受けているのだから。


「それができるのなら、もちろん滅ぼします。私以外でも同じでしょう」

「それが、そこから生まれたすべてを否定するものだとしても?」

「それが私たちの根底に刻まれた存在意義ですから」


 迷いはない。そういう目をしていた。そして、実際にできるのなら彼女はやるのだろう。

 彼女だけではなく他の龍でも。皇龍なら更に迷いなく。……そしてきっと、俺もそうなのだ。俺たちはそういう風にできている。


 ふと、建物の亀裂から少しだけ外が覗き見えた。

 強烈な台風と雷に覆われた死の星。これもまた俺たちにとっては否定すべき結果なのだろう。

 ……全然関係ないが、外が見える亀裂ってめっちゃ怖いんだけど。




-5-




 最低限の環境調整だけが行われた廃墟同然の人工衛星の中を歩く事、更に三十分ほど。途中にあったエレベーターらしきものは当然動いていないので、階層を跨ぐ移動は非常階段である。迷宮都市の職員さんたちも、どうせならエレベーターくらい直してくれればいいのにと内心愚痴を吐きつつ足を動かす。

 だから、階段の先を行く空龍の尻を眺めてもバチは当たらないだろうと心の中で言い訳をする。実際、本人は気付いていないし。


 よくよく考えたら、帰りもこの道を移動しないといけないんだよなと思ったりしつつ揺れる空龍の尻を追いかけていると、次第に壁や床などの構造物が整ったものに変わっていくのが分かった。瓦礫がないというだけで亀裂などはあるのだが、それでも転送装置付近に比べればかなりマシだろう。なんとなくだが、皇龍の住処とやらが近い事が感じられた。

 そして、用途は分からないが一際開けたホールのような場所に出る。外壁の一部に巨大な出入り口らしきものが見えるあたり、ここはロビーのような場所だったのかもしれない。


「ふはは、待っていたぞ、ワタナベ・アミ!」


 そのホールに足を踏み入れたところで、反対側の通路から巨大な影が立ちはだかった。


 俺たちの前に立ちはだかったのは一体の龍。

 銀色に輝く複雑な装甲を備えた姿は生物というよりも機械。背中には広げられた六枚の翼はここから先は通さないという意思表示のようだ。

 表情は読み取れない。他の龍のように分かり辛いわけではなく、顔らしき場所は装甲に覆われている。


「ここから先は母上の住まう神域。押し通ろうとするならば覚悟はできていような?」


 どこから出ているのか分からないが、その声は《 念話 》ではなく肉声だ。

 ……覚悟とか言われても、俺は呼ばれてここに来たんだが。あとツナな。良く間違えられるけど、ネットじゃなくてロープだから。


「覚悟があるというのなら、その身でそれを証明してみせ……ぬわっ!!」


 RPGの中ボスみたいなセリフだったが、その途中で空龍の扇が脳天に直撃した。スコンと。


「馬鹿ですか、アホですか、何邪魔してくれてるんですか! お母様の招いた客人相手に何してるんですかっ!!」

「し、しかしだな妹よ」

「黙らっしゃいっ!! それと、渡辺様はアミではなくツナです!!」


 控え目に言っても激昂していた。銀龍や玄龍が馬鹿な事をした時にはただ呆れるくらいだったのに、これまで見た事ないような怒りっぷりである。


「馬鹿なっ!? 何故そんな間違えそうな字をっ!?」

「何に影響されたのか知りませんけど、これまで百年単位で喋らなかったのがなんでいきなり饒舌になってるんですか」


 多分、迷宮都市の悪影響だと思うぞ。日本語だし。覚えたてじゃなくても、綱と網を間違えるのはあるある。


「さ、どいて下さい。邪魔です」

「く、なかなか上手くいかんな……」

「さっさとどきなさい」

「……はい」


 空龍に言われて広間の端に移動した龍の姿には哀愁が感じられた。それは『糞龍』の名を付けられてしまった彼の雰囲気と似ている。

 補足だが、彼の名は『機龍』というらしい。体を覆うパーツが実際に機械かどうかは分からないが、見たままの名前である。


「なんかもう……本当にすみません」

「いや、気にしてないから」


 特に実害があったわけでもないし。

 むしろ、もう少し兄貴に優しさを向けて欲しい。彼の事は良く知らないが、ポルノダンサーよりは立派だと思うんだ。


「まったくもう……相手の迷惑を考えずにはしゃぎ過ぎです。大体、今日のトーナメントにしても……」


 と、その先の道中は空龍の愚痴に付き合わされる羽目になった。

 愚痴はいいんだが、道間違えないようにお願いします。下手したら俺死ぬんで。




「さて、この通路の先にお母様がいます。申し訳ありませんが、この先はお一人で」

「俺以外は入室禁止とか?」

「《 念話 》で止められました。私はここで待機しています」


 ただの挨拶かと思っていたが、《 因果の虜囚 》持ち同士で何か話でもあるんだろうか。もしくは身内がいると話し辛い内容とか。

 とはいえ、ここまで来れば案内は必要ない。通路は一本道だし、その先にある扉も見えている。ついでに、皇龍の住処という事でリフォームしたのか、ここだけはちゃんと壁や床が修復されている。ここまでのボコボコした通路に比べてとても歩きやすい。


 一人、通路を歩きながら考える。特に気にせずここまで来てしまったが、皇龍はどんな状況で迎えてくれるのか。

 あの巨体だ。全身が収まるフロアがこの先にあるとは考え辛い。ひょっとしたら、顔だけフロアに入れた状態かもしれない。わざわざこんな場所まで用意するくらいだから、ただの幻影で済ませるとも考え難いのだが、どうも間抜けな絵ヅラになりそうだ。そもそも皇龍がでか過ぎるのが問題なのだが。


 通路が終わり、扉の前に立つ。巨大ではあるが人間サイズ。俺でも問題なく開けられそうなものではあるが、このまま開けていいものか。その前にノックとか……いや、皇龍がそこら辺のルールを知っているとは……。


 ――――《 何をしておる。さっさと入れ 》――

「あ、はい」


 どうしたものかと悩んでいると、《 念話 》で突っ込みが入ってしまった。仕方ないのでそのまま扉を押し込……いや、これ引くのか。

 微妙に悪戦苦闘しつつ扉を開けて中へと入ると、そこは意外なほどに狭い空間だった。いや、皇龍の体基準で考えていたから狭く感じるのであって、広さ的には普通のホールくらいはある。つまり、人間基準のサイズという事だ。

 そこまで飾り立てられてはいないが、ここは玉座の間だ。その証拠に、真正面には王の座る椅子がある。


「久しいな、渡辺綱。我が同胞よ」


 そこに収まるはずのない皇龍の巨体はなく、椅子に座っているのは一人の少女だ。……というか、見覚えあり過ぎて反応に困る容姿である。


「……空龍?」

「皇龍だ。姿は似とるかもしれんが、こればっかりは仕方ない」


 通路の向こうから急いで移動して出待ちしてたのかと思ったが、どうやら別人らしい。

 確かに髪や目の色、服装は違うが各部の作りはほとんど一緒だ。2Pカラーといっても誤魔化せそうなくらい。


「え……と、どういう事? 皇龍も人間になったとか?」

「なに、本体と対しても話し辛いと思ってな。対話用に幻影を用意した。本体はこの上におる。と、……こういう場合は椅子を勧めるのが礼儀だったな。まあ座れ」

「あ、どうも」


 皇龍の近くに椅子が現れた。玉座の真向かい……つまりホールのド真ん中である。超落ち着かない。

 用意してくれたのが玉座なのは、俺が同格の存在と認めるっていう向こうなりの気遣いなのか、それとも何も考えていないのか。


「えーと、なんで空龍の姿なんスか?」

「先ほども言ったが、これは妾の姿だ。むしろ、あやつが妾に似とるのよ」


 どういう意味なんだろうか。そもそも皇龍は人間になったわけじゃないから、似てるもクソも……。


「これは妾が人化した場合にこうなるであろうイメージだ。意図は分からんが、龍としての根幹部分にそういう情報があるらしい。妾も純粋な龍ではなく、人との間の子というわけだな」

「つまり、母親と娘なんだから似てて当然と」

「それもちと違う」


 違うんかい。なんか喋りかたは龍の時そのままのはずなんだが、こうして姿が違うとやたらと気さくな感じに見えるな。どうせなら語尾に『のじゃ』とか付けてみればいいのに。


「まあ、その件もヌシに頼みたかった事に繋がるから、ちょうどいいといえばちょうどいい」

「俺に頼み事?」


 なんだろうか。大抵の事ならなんでもするが、またとんでもない事を振られたりするような……。

 今色々立て込んでて処理が輻輳気味だから、あまりスケジュールに影響しないような事がいいな。


「なに、普通に考えるなら有り得ん話よ。ただ、ヌシと杵築が直面している件を見ていると、妾も最悪のケースを想定しておくべきかと思ってな」


 俺たちが直面しているというのは星の崩壊の事だろう。しかし、そこに皇龍が直接絡む要素はない。

 ……今のところは。この先まったく影響がないとは言い切れないのは確かだ。だからこその想定って事か。


「最悪とは?」

「妾が死した場合。亜神が通常の方法で死なんのは承知だろうが、そうも言ってられん状況だからな」


 確かに今のダンマスならやろうと思えば殺せるだろうし、理屈の上では多分クーゲルシュライバーの直撃でも消滅させられるな。

 あと、可能性があるとすれば……《 宣誓真言 》。


「今、いくつか妾を殺す方法に思い当たったはずだ。それらを最悪のケースと想定している。他にもあるかもしれん……いや、確実にあるだろう」

「絶対ないとは言えないな。ダンマスたちがどうこうするかっていうのはともかく、同じような存在がいないとも限らない」


 いや、実際いるんだろう。皇龍の三〇〇層以降、唯一の悪意までの無限回廊の管理者もいるはずだし、相まみえていないものの俺たちと同じ《 因果の虜囚 》持ちだっているはずだ。そういう存在が亜神を殺す手段を保持してないと考えるのは楽観的に過ぎる。


「そうだな。妾は対面した事はないが、始祖の龍でも可能だろう」


 え、無限回廊とか潜ってない前提だよね? 元々のスペックでそれって、どんだけ究極兵器だったの。


「そういった前提は別としてだ。もし妾が死んだ場合、ヌシには空龍を保護してもらいたいのよ」

「そりゃ構わんが……空龍だけ? 銀龍とか玄龍とか……他にも」

「もちろん範囲を広げるならキリはないが、優先度の問題だ。最低限あやつだけはなんとか生き残らせたい」


 それは子を想う親の願い……じゃないな。もっと別のものだ。感情を挟む余地はなく、空龍とそれ以外に明確な線引きがされている。


「……理由を聞いても?」

「アレは妾の後継者だ。最悪の場合……妾が滅したとしてもアレが残れば終わりではない。そう創った」


 それは龍の種族としての終わりを指していない。この場で、俺に相手に言うという事はつまり……。


「ほとんど偶然の産物による保険だがな。妾に近いものを創り上げようとしてできた、唯一の成功例とも言える」


 だから似てるって事か。……ひょっとして、空龍しか女性体がいないのもそれが原因だろうか。


「保護したあとは?」

「安全さえ確保できるなら好きにしてもらって構わん。ヌシや杵築なら無体な事はせんと思うが」

「そりゃそうだろうが……まあ、分かった。必要になるとは思えないが、心には留めておく」

「頼む。まあ、駄目でも文句は言わん。その想定では言える状況でもないしな」


 そりゃ、あんたが死んだ場合の話だからな。ブラックジョークのつもりか。


「さて、妾からは以上だ。ヌシからは何かあるかな?」

「あ……と、いや特には」


 ここに来たのも、到着の挨拶だけのつもりだったのだ。いや、細かい事を言うなら、地上の龍たちをもう少しどうにかしたほうがいいんじゃないかとか色々あるんだが、ここで切り出すような事でもない。


「では、もう一つの用件に移ろう」

「……終わりじゃないのか?」

「妾からは終わりだ。今、杵築と通信が繋がっとる」

「ダンマスと?」


 と、次の瞬間、空中に巨大なウインドウが浮かび上がった。画面には今この世界にいないダンマスの顔が映っている。

 世界の代表者同士のホットラインという事か。


『ん? もういいのか。ツナ君との話は終わった?』

「終わったぞ」

「あんた……ダンジョン攻略中じゃなかったのか?」


 画面の向こう側に映るダンマスは食事中だ。とてもダンジョン攻略の最中とは思えない。


『全力って言っただろ。< 深淵の大洞穴 >は攻略して制圧処理中。< 地殻穿道 >もほぼ攻略は完了した』


 え、もう? 実時間ってまだ三日くらいしか経ってないんじゃ……。


「って、あれ? その言い方だと、< 地殻穿道 >の攻略は終わってないのか?」

『ああ、ダンジョン内は99%探索してマッピング済み。ボスだけが残ってる状態だな』

「なんでそこまでやって攻略しないんだよ」

『ダンジョン攻略した事がトリガーになって何かあっても嫌だしな。目的は攻略じゃねーし』

「そりゃ……」


 目的は星の崩壊に繋がる何かの発見と対策だ。ダンジョン攻略自体は目的じゃない。

 ん? という事は……。


『結果から言えば大正解だったぞ。……あきらかに崩壊の原因と分かるシロモノを発見した』


 ……え、マジで?



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