幕間「虎の正論」
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< 流星騎士団 >といえば、迷宮都市で序列二位とされる大型クランである。
クランマスターは< 蒼の騎士 >ことローラン、サブマスターは< 朱の騎士 >アーシェリア。二人の知名度は迷宮都市屈指と呼んでも過言ではなく、トップクランである< アーク・セイバー >のクランマスター五人よりも高いと言われているほどだ。
五人のクランマスターと大量の人材を抱え、人海戦術気味に歩みを進める< アーク・セイバー >よりも、個人としての格は上だと評する者も多い。迷宮都市に来たばかりの頃の俺ならともかく、住人であれば知らないほうがどうかしている知名度である。
だが、そのトップ二人以外となると急に名前が挙がらなくなる。俺の場合、比喩ではなく頭がピンクなアネットさんとの面識はあるが、それ以外となると交流は皆無に近い。もちろん冒険者としては個々が弩級の人材ではあるし、ちょっと興味を持つ人ならいくらでも名前を挙げられるだろうし、生真面目なローランさんが代表を務めている事で表に出なくても済んでしまっているという事情もあるのだろう。想像でしかないが、面倒ごとを押し付けているだけにも見える。
そんな< 流星騎士団 >にあって比較的良く挙がる名前がある。
< 猛虎 >リグレス。< 流星騎士団 >の幹部にして同クランにおける個人戦闘力一位。冒険者全体の枠組みの中でも剣刃さんに次いで二位という評価を持つ。
メディアへの露出が少ないにも拘らず彼の知名度が高いのは、冒険者としての名声や< 流星騎士団 >幹部としての地位によるものではなく、その分かり易い戦闘スタイルによるものが大半だ。
とりあえず真っすぐ行って殴る。小細工は無用。搦め手など力で粉砕し、押し通る。小難しい事を考える前に殴れば強い方が勝つ。レベルを上げて通常攻撃だ。殴ってればいつか倒れる。力、パワー、ストレングスの三要素があれば他に何もいらない。……などと、それこそ冒険者の事をほとんど知らない一般人が見ても納得できるほどに分かり易い魅力らしい。
頭が悪い奴は通用しないと言われる上級ランク冒険者の中で尚脳筋と呼ばれる単純さは非常に分かり易い"強さ"であり、そんな理由から一般人に彼のファンは多い。……いや、別にバカではないらしいのだが。
「ほらどうしたガウル。そんな縮こまったガウルではガウルの名が泣くなあっ!」
「ガウルガウルうるせえんだよっ! クソ虎!」
……本当だろうか。
目の前でガウルと子供染みた口喧嘩をしつつ戦っている姿は、とても超一流の冒険者には見えないのだが。
クーゲルシュライバーの訓練場で、あの二人の周りだけ異色の空間と化している。
「ほら、また全身が硬くなっとるなガウル。いくら名は体を表すとはいえそれはいかん、いかんぞガウル」
「だあああああっ!!」
幼稚な挑発に乗せられて、ガウルは発狂寸前だった。
普段の柔軟性に富む緩急織り交ぜた戦闘スタイルは見る影もない。こんな有様ではウチの下級組相手ですら負けてしまうだろう。
ただ自分の名前を連呼されるだけでこんな事になってしまうなんて、なんて情けないんだガウル。
「あいつは何故あんな事になっているんだ? 実力差があるのは仕方ないにせよ、あまりに無残な状況なんだが」
「ウチの狼さんには色々あるって事なんだ」
事情を知らないベレンヴァールには理解できないらしい。説明するのは楽でそれこそ数秒で済む話なのだが、非常にデリケートな話題なので口に出していいものかどうかは悩む。下手にバラしてしまうと、あとでガ……狼さんに殴られかねないのである。
「ほら、ベレンヴァールにもあるんじゃないか? どうしても許せない一言とか、トラウマとか」
「むぅ……。そこまで極端になると俺の事では思い当たらないが、確かにそういった例はあるな。周囲からしてみればなんでもない一言が戦争にまで発展したケースはあったらしい。そうしたものほど禍根は深く残るものだ」
「そこまで深刻じゃないが、方向性は近い……かもしれないな」
比較するにはあまりにも低俗なイメージが付きまとうのが問題だ。歴史を紐解いてみれば、国家・種族間の争いにも低俗な理由が発端なものがあるのかもしれない。
「まぁ、ガウルのほうはとりあえず置いておくとしてだ、あちらの虎獣人のほうはすさまじい技量だな」
「お前には分かるのか」
俺の目から見ると、リグレスさんがガウルを弄んでいるようにしか見えない。絶対的な実力差があるのは分かるが、技量的にどうだとかいう範囲を超えている。もう少し実力の近い者同士の模擬戦なら分かり易いのだが。もしくはガウルがもう少しまともな状態なガウルであれば。
「傍目にはじゃれ合っているようにしか見えんだろうがな。意識的にやっているかは別としても、距離の取り方、間の開け方、武器の持ち方までいちいち理に適っている。腕力でゴリ押ししてくるタイプと聞いていたが、それは誤りだな。あれはかなり理詰めで動くタイプと見た」
……こうして見る分には分からないが、分かる者には分かるのかもしれない。あるいは、俺でも実際に立ち会ってみれば見えてくるものがあるのだろう。
実際、リグレスさんの評価は見る者によって大きく異なると聞いた事がある。一般的には猪突猛進の脳筋、玄人的には脳筋に見えて計算され尽くした熟練のそれだと。つまり、ベレンヴァールの談と同様である。
言われてみればなるほどと思う。加速度的に多様化、高度化していく技術・人材の中で、ただ身体能力が高いだけの脳筋が一流と評されるはずもない。ただ一人で暴れるだけの猛獣なら、パーティを組まずソロだけやっていればいい。それが不可能でないと証明しているバッカスもいるし。
脳筋的な戦闘スタイルが擬態というわけではないのだろう。実力を誤魔化す必要はないし、そういった性格でもない。ただ、高度な技術に裏打ちされた戦闘スタイルが性に合っていて、パーティに貢献し立ち位置を確保する事ができる。そういう冒険者なのだろう。
「ガウルは貴様の名前ではないかガウル。それともお前はガウルではなくガウレなのか。自己否定かガウル。それは感心せんなガウル。ガウル」
「意味もなく付け足してんじゃねえっ!!」
……技術はともかくとして、素の性格によるところも大きそうな印象である。
ちなみに、< 流星騎士団 >内における彼のポジションは突撃前衛、あるいは重機と呼ばれているらしい。
有効な形でパーティの連携に組み込むのは至難の業と考えたのか、ローランさんやアーシャさんは飼いならす事はせずに解き放った。つまり、六人パーティではなく、パーティ五人と勝手に動く重機一体という換算というわけだ。なるほど、意味が分からない。
……つーか、ガウレって何よ。
「ちくしょおおおおっ!!」
盛大な雄叫びと共にガウルの姿が消える。どうやらHP全損したらしい。今頃は隣の医務室で悶えている事だろう。
思い返せばいいところが一つもない、無残な模擬戦だった。思わず目頭が熱くなる。
「ふん、あの程度の挑発に乗せられるとは、同じ獣神の使徒として情けない限りだ」
俺たちのほうへと歩いて来たリグレスさんも辛辣だった。まあ、あの醜態では仕方ない。
「いい機会だから鍛えてやろうと思ったが、アレではな。銀狼の連中は揃って直情的だからいかん」
その言葉に呆れや残念さは感じられるが、嫌悪感や恨みつらみなどの負の感情は感じられない。というよりも、リグレスさんはガウルがどうだとか銀狼がどうだとかいう感情を持っていないように見える。どちらかといえば、生意気な後輩に駄目出しする体育会系出身の上司のようでもある。やはり、種族の対立とやらは銀狼側の一方的な感情なのだろうか。
「銀狼と金虎って仲悪いって聞いてたんですが、リグレスさん的にはそうでもなさそうですね」
「オレはさして気にしとらんが、過去何度も大規模な衝突を繰り返して来たくらい種族間の仲は悪いのは事実だな。魔の大森林では、銀狼と金虎が顔を合わせると唐突に殴り合いが始まるほどだ。まあ、近親憎悪という奴なんだろう」
「……近親?」
獣人としてのカテゴリは同じとはいえ、虎と狼ではまったく異なると思うのだが。
「ほとんど神話染みた話だが、我らの主である焔虎と凍狼は、暗黒大陸から共にこの大陸へと渡って来たという話なのだ。当然、祖先である獣人が誕生した経緯にも大きく関わっている。いわば兄弟のそれに近い」
「へー」
「地方特有の知られざる歴史というやつだな。興味深い」
ベレンヴァールはそういうの好きそうだよな。
「確かにほとんどが口伝で、迷宮都市の資料にも詳しくは残っておらんな。魔の大森林の研究者なら辛うじてといったところか」
意外といえば意外な話である。つまり、大々的な兄弟喧嘩というわけか。
「顔を見たら殴り合うという慣習も、元々はお互いの種族を鍛えるために獣神様が用意したルールだったらしいが、いつの間にかガチの争いへと変化したらしい。特に銀狼の連中は獣のほうの虎を見ても我を忘れるほどだ。あいつもオレ自体がどうだというほど詳しいわけでもなく、単に種族的に刷り込まれた対抗心で動いている部分が大きいのだろうな。多くの銀狼や金虎と変わらん」
殴り合うのが獣神公認の慣習なのかよ。もはや遺伝子レベルで刷り込まれている感情なら、むしろこの人が異端というわけか。
「どいつもこいつも顔を見れば話もせずに殴り合い。クレスト出身の亜人は仲がいいというのに、まったく困った話だ」
「クレストって……夜光さんの?」
「そうだな。我がライバルの出身である。国自体はもうないも同然だが……。まあ、あっちはあっちで大変だから、どちらがいいという話でもないのかもしれん。殴り合えるだけでもマシというか」
名前くらいしか知らないが、何やら重い背景がありそうな物言いである。
誰がクレスト出身なのかとかそういう情報はまるでないから、たとえ話にされてもピンとこないのだが。
「関係者でもなければ知らんよな。……ほら、あそこでふとした事で自分が年を食った事に気付いてこれまでの人生なんだったんだろうという感じで虚空を眺めているリザードマンがいるだろう?」
「具体的過ぎる……」
リグレスさんの指差す先には、とても見覚えのあるトカゲのおっさんがいた。まだショックから立ち直っていないのか、何をするでもなくぼんやりとしている。
「あの御仁はクレスト出身だ。最近はそうでもないが、同時期の< ウォー・アームズ >はかなり多いな」
「へー」
おっさんは迷宮都市がある大陸の出身じゃなかったのか。
確かに、俺が知っている範囲でもトポポさんやペルチェさんとは仲が良かった。他の< ウォー・アームズ >所属冒険者はあまり知らないが、亜人同士にはなにか言い表しづらい結束のようなものがあるのは確かだ。
「お前さんの故郷でも、種族間の諍いなどは多かったのではないか? 異世界といってもそういうところは変わるまい」
「そうだな。歴史を見ると人間に迫害され続けていたようだ。数百年の間になくなった魔族の国は山ほどある」
「それもまた、なんとも反応に困る回答よな……」
ベレンヴァール自身は気にしてなさそうだが、そのタイミングで俺を見るのはやめて欲しい。多分、お前の世界の人間とこの世界の人間はほとんど別種族だからな。どんな世界でも人間にそういう面がある事は認めざるを得ないが。
「まあ、これで俺が例の食事会に参加する事に文句はあるまい」
「反対してたのガウルだけですしね」
この船で同室になって以来事あるごとに殴り合っていたらしい二人だが、さきほどの模擬戦はそれとは別の真剣勝負だったのだ。俺とベレンヴァールが立会人を務めているのもそういった事情による。
元々の発端はといえば、ラーメンだった。
突貫作業の影響か、クーゲルシュライバーの食堂で提供されるのは朝昼晩変わらずギルド会館のレギュラーメニューだけなのだが、一週間もそれが続くと飽きる者が増えて来た。口にこそ出さないが、乗客にはあきらかに不満が溜まっていたのだ。
往復と現地滞在時間を合わせても体感的に一月もない旅行なのだから、代わり映えのしないメニューくらい我慢しろという話なのだろうが、レギュラーメニューは元々冒険者が普段食べているものと同じものである。つまり、贅沢な話だが最初から少し飽きているのだ。そこに食えるだけマシという理屈は通用しない。
そこでとあるクランが自前の材料を使ってラーメンを提供し始めたところ、客が殺到した。これが最初の問題だ。
予想より多くの客に対して用意した食材では心もとないと判断したそのクランは、艦に積まれた食材を提供してもらうべく交渉を始める。しかし、マニュアル的にそれはアウトだったらしく、交渉は決裂。
そもそもの話、何故提供されるのがレギュラーメニューだけなのかといえば、在庫管理が容易である事が大きな理由である。
この艦に積み込まれている食材はかなり余裕のある量らしいのだが、龍の世界で相手側に振る舞う可能性を考えた場合、どれくらい必要になるのか分からない。いざという時に食材が足りないという事態を避けたいという思惑で、管理のし易いメニューに行き着いたのだろう。だから、無闇矢鱈に食材を消費する事はできないというのが食堂側の言い分である。
これが前例のある航行であったりすぐに食材を取り寄せられる環境なら話は別で、柔軟な対応も可能だったのだろうが、いかんせん世界間の移動自体が初の試みだ。処女航海故のトラブルというやつである。
『必要ないんですから、兄上たちに食べさせなければいいんですよ』
などと匿名希望さんの供述もあったのだが、外交としてそれは問題あるだろうという事で発言自体なかった事にされた。
結果的に艦の責任者であるヴェルナーを引っ張り出して来て、元々想定されていた消費量の余剰分だけを随時放出する形で決着が付いた。その際、ヴェルナーに振る舞われたという麻婆ラーメンが決定打になったという話もあるが、本人は買収行為を否定している。
というわけで、食堂では相変わらずレギュラーメニューのみの提供。それで満足できない人は放出される余剰分の材料を買って、各自に調理してくれという話に落ち着いた。
そうして始まったのが、第一次クーゲルシュライバー料理ブームである。第二次があるかは知らないが、今、クーゲルシュライバーの中では異様な熱気を伴って料理ブームが訪れているのだ。
長々とした説明ではあったが、とにかくそれに便乗してグレンさんから食事会しようという企画が挙がったのが昨日の事。他の料理好きや奥さんも巻き込んで、何故かユキが張り切っている状態である。
リグレスさんに関しては誰が誘ったというわけでもないのだが、ブームに乗じていろんなグループの食事会を渡り歩いている中で情報がヒットしたらしく、いつの間にか参加する事になっていたのだが、これに反対かる者がいた。というか、ガウルだけが反対した。
そして孤立無援の中でガウルは決死の一騎打ちを挑み敗北したのが先ほどの場面である。わずかでも勝てる算段があるのかと見守っていれば単なる玉砕であった。
「ところで、さっき言ってたガウレってなんですか?」
「銀狼や金虎はその出自故に言語が似通っているのだが、ガウルもガウレも基本的に同じ意味だ。ただ縮こまった状態がガウレに対してガウルは臨戦状態というわけだな」
「は、はあ……」
超くだらねえ。子孫繁栄の観点から無理やり見れば、はっきり使い物になると分かるガウルのほうがマシなのかもしれない。いや、何がとは言わんが。
「リグレスさんのほうはなにかそういうトラウマ的な言葉とかないんですか? 33-4とか」
「……ダンジョンマスターにも言われた事があるんだが、それは何かの暗喩なのか? 不吉な数字とか」
虎にとっては不吉な数字かもしれない。……しかし、すでに聞いていたとはさすがダンマスである。
-2-
というわけでグレンさん主催の食事会である。
俺たちが利用している一般船室はビジネスホテルと大差ない設備だが、幹部用ともなるとかなり快適な空間になっているらしい。
スイートルームと呼ぶほど豪華絢爛ではないが、寝室や来客用の応接室がちゃんと分かれていたりシャワーだけではなく浴室も完備されていたりと、通常のホテルのような仕様だ。小型のバーカウンターまである。
大人数での利用も想定されているのか、キッチンもかなり広めだ。食堂の調理場と比較するようなものではないが、簡単なホームパーティの準備には十分な作業スペースを確保できるそうだ。
ただ、今回は参加人数が多い事もあって会場は別途に空き部屋を借りた立食形式である。気を使わなくていいから、こちらのほうがありがたい。
「でも、バーベキューじゃないんですね」
「何故屋内でバーベキューなんだ?」
聞き返してくるグレンさんのアメリカンな容姿的に、ホームパーティといえばバーベキューという変な固定概念を持ってしまうのは仕方ないだろう。普通に考えたらわざわざ船の中でバーベキューをするはずもなく、会場にはちゃんとした料理が並んでいるが。
「余剰分の食材しか使えない関係からか、肉類は比較的多いがな。逆に野菜と炭水化物が少ない」
「オレは一向に構わんが」
「……お前はそうだろうな」
リグレスさんはそのイメージ通りに肉が好みらしい。肉食獣の獣人だからという理由ではなく、単に好みの問題のようだが。
一方、ウチの肉食獣さんは隠れるように会場の隅のほうに佇んでいた。負けて当然のような試合だったのに、未だショックらしい。
ユキなど、料理が得意なメンバーはまだ厨房で腕を奮っている。どちらかといえば歓待される側なのだからパーティを楽しめと言いたいところだが、あいつはあいつで楽しんでいるらしい。
基本的にこの食事会は< アーク・セイバー >を主体としたものであり、参加者はクラン員とそれぞれに招かれた者がほとんどだ。チラホラと見知った顔はあるのだが、顔と名前が結びつかない人がほとんどである。表向きの開催理由は慰労会だが、それはとってつけたような理由であって、本来の目的はこういった普段交流のない人たちと顔繋ぎをするためにグレンさんがセッティングしてくれた形になる。
ウチにしても全員が参加しているわけでもないが、今後のため、何かあった時に話をスムーズに進行させるために顔を売っておくのは悪くないだろう。
ただ、他の参加者側のほうはほとんど俺の事を知っているようだった。全部が全部とはいわないが、概ね好意的な反応である。
しかし、どういうわけか集まってくるのは男性ばかりだ。さり気なく女性の多そうなほうへと移動しつつ会話を振ってみても、それが続かない。俺の話術の問題ではないと思う。避けられているわけでもない。ただ、俺に興味を持っている男連中が積極的なのだ。
いや、彼らがホモとかそういうのではないのは分かる。実際、俺のファンクラブも男ばかりだし、俺の戦闘スタイルが男受けし易いというのも理解しているつもりだ。合コンではないのだから、あまりがっついても印象が悪くなるだけというのも問題である。……おのれ。
そうしてしばらく歓談をしていると、不意に一人の女の子と目が合った。
リスのように頬を膨らませている顔はどう見てもここにはいるはずのない人なのだが、他人の空似と言うには似過ぎている。あちらも俺に気付いているのか、口は動かしても目を逸らさない。近寄ってくる様子はないので、こちらから話しかけるべきなのだろうか。
「あ……と、どうも?」
「はい、どうも。渡辺綱」
俺を知っているという事は、やはり間違いではないのだろうか。そんなはずは……。
「あの、なんでこんなところにエルシィさんが?」
「私はオリジナルではなく、クーゲルシュライバーです」
「……は?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。確かにクーゲルシュライバー……セカンドはエルシィさんと同じ顔をしているが。
「女の子?」
「この義体はオリジナルのクローンで作られたものなので、当然女性ですね」
「ああ……」
そういえばそんな事を言っていたような気もする。
ホログラムの彼……いや彼女しか知らなかったから違和感があったのだ。あの立体映像は中性的とはいえ少年のそれだった。それが、目の前のいるのは体型も髪型も完全に女の子である。というか、エルシィさんそのものだ。
「なんでこんなところに?」
「ヴェルナーに人間の食事をしてみたいという要望を挙げたところ、ここを紹介されました。他にも龍人たちが参加している食事会もあるようでしたが、大勢が参加するこちらのほうがいいだろうと」
俺に用事があったわけでもなく、単なる好奇心によるものか。食事をした事がないというのなら分からないでもないが。
「セカンドがここにいても問題ないのか? その……船の操縦とか」
「船内であれば、義体がどこにいようと関係ありませんが」
ああ、あくまで本体は俺たちが会ったあの立体映像……というか、船そのものということか。この子は末端装置であると。……こうして話していると、そんな気はまったくしないのだが。
「現在も、本体はダンジョンマスターからの定期報告の受信作業中です」
「ダンマスから報告来たのか。……ちなみに例の件はなんて?」
「別途個別に報告書を提出致しますが、簡潔に言えば『憂慮する問題と判断するが、現状できる事がない』との事です。報告自体は感謝するとの事でした」
そりゃまあそうか。ダンマスにしてもほとんど意味不明な存在なんだ。自分に取り憑いている亡霊のような存在が他人に見えたからといって、何かできる事があるはずはない。せいぜい警戒するくらいで、その目的は達成できたと。
「< 地殻穿道 >の攻略は?」
「まだ移動すら完了していません。船内の体感時間では一週間経過してますが、あちらでは数秒~数十分程度なので」
「……悪い。ここがダンジョンと同じように時間制御されてる空間だってのを失念してた」
「いえ。実のところ、どうもダンジョンと比較して誤差が発生しています。定期報告時の同期にも影響がありました」
セカンドに言わせれば、移動中で空間が安定していないが故の現象らしい。何かの間違いで時間漂流するなんて展開もありそうだが、そこら辺の対処はしてあるらしい。ついでに皇龍の世界と双方向で繋がって穴が固定されれば、通常のダンジョンと同様の時間制御も可能になるそうだ。
ダンマスにとっても未知に近い空間なのだから、想定外の事も発生するだろう。むしろ、この程度で済んで良かったといえる領域だ。
「で、どうだ? 初めての食事は」
「良く分かりません。この義体の感覚が未熟なのか、味もただの刺激にしか感じませんし」
どうやら、しばらくの間……というか今も夢中になって食事を摂り続けている空龍たちとは違うらしい。リスみたいに頬を膨らせているのも、単にちゃんとした食べ方を理解していないだけかもしれない。表情を変えずにひたすら詰め込んでいるのは少々不気味だが。
「ただ、こうして直に話せるのはいいですね。オリジナルに近付いた気になれます」
「常時その状態ってわけにはいかないのか?」
エルシィさんと見分けが付かないから、多少イメチェンするにしても。
「現在の権限だと移動可能な場所はかなり限られますが……」
「ますが?」
「……慣れておいたほうがいいかもしれませんね。条件付きですが、この義体を使っての戦闘行動も一応想定されていますので」
何故、俺の顔を凝視して言うのだろうか。
それは、お前がいるとそういうピンチに陥りそうだからと言いたいのか? 否定はできんが。
「許可を出されているのはこのクーゲルシュライバーが活動不能に陥るような正に最悪の事態なので、出番はないほうがいいと思いますが」
「……あるかもしれないって?」
「分かりませんが、すでに謎の道化師などのイレギュラーが起きています」
例のピエロは確かにそうだな。クーゲルシュライバーの運行が優先だから、動くのは最悪の状態にしても最低限の保険にはなりそうだ。
「ちなみに戦闘行動って、セカンドはどれくらい強いのよ」
「稼働実績がないので正確には分かりませんが、理論値のスペックなら現在のヴェルナー・ライアットを超えると」
「そりゃすごいな」
比較対象の実力がいまいち良く分からないのはアレだが、迷宮都市側の最大戦力と比較になる程度には戦える……かもしれないと。
実践経験がないなら全力で動く事は期待できなくても、そこそこでも十分戦力になり得る。
「私だけでなく、ダンジョンマスターは最悪に備えていくつか保険をかけてあります。なので、ギリギリの一線でも諦める事のないようにと今回の報告書に念押しがありました」
「助かるな。……そういう保険も無駄に終わってくれるのが一番だが」
ちなみに、こうして話している間もセカンドは常に食事を口の中へ詰め込み続けていた。
発声器官自体に仕掛けがあるのかもしれないが、それで喋るのだから器用なものである。
-3-
食事会も終わり、夜。ここ一週間続けられている全体訓練の時間だ。食事会から直接来たのでいつもより早い時間だが、すでに訓練場の利用者はいないようだ。この分なら多めに時間を取れそうではある。
ただ、訓練場自体に利用者はいないが、休憩用のベンチには人影があった。
「……何やってんだ、おっさん」
「ん? ああ、ツナか」
トカゲのおっさんが数時間前とまったく同じ場所に座っている。……まさか、あれからずっとここにいたのだろうか。
「これからウチの全体訓練で貸し切ってるんだけど」
「……悪いな。貸し切りだったのか」
「いや、見学するならそれでもいいけど、どうする? 参加するっていうのでも歓迎するぞ」
「……そうだな」
動かないが、通じてるのか不安になる応答である。これは重症だ。
……このまま放置するのはアレだよな。かといって直接話題を出すのも気が引ける。何を話すか決めずにとりあえずで腰を下ろしてしまったが、当然の如く沈黙が訪れた。……超気まずい。
「なんか、お前第五十層突破したんだって?」
さすがに気を使ったのか、おっさん側から話しかけて来た。
「あ、ああ。クランマスター講習のためで、正直自力突破とは言い難いけど」
ほとんどガルドの力と言ってもいい。ガルドなしで攻略する場合、ウチだとどの組み合わせでも厳しい。ベレンヴァールを組み込めば勝つ事はできるかもしれないが、役割の面からいって安定した勝利は不可能だろう。
まずは目の前の問題を片付けないと話はそこで終わりだが、続いてもちゃんと第五十層突破するのには時間がかかりそうだ。下手したらディルクたちの合流のほうが早いかもしれない。
「確かお前らを迷宮都市に運んで来たのが六月頭だから、一年も経ってねえ内に並ばれたか」
そういった意味なら、おっさんは俺とユキの出発点のようなものだ。冒険者としての最初の壁だったといってもいいだろう。
「壁があるんだろ? 第五十一層の」
「それだって、お前らならそう苦戦しねえだろ。そういうメンツを集めてるんだから問題ねえよ」
……まあ、その壁に長年直面してるおっさんなら分かるよな。どういうパーティなら攻略できているかは、嫌になるほど見てきてるわけだろうし。
第五十一層以降は複数エリア制、エリア内の人数制限や特殊攻略条件の追加、ランダム転移、エリアボスの登場と、ただハードルが上がるだけでなく、パーティとしての攻略難易度が急上昇する。誰か一人死んだ時点で攻略が詰む可能性もあるような仕掛けが多いらしい。ついでにボス戦での死亡確率も極端に上がる。
だが、これらはウチにとってはむしろ得意分野だ。簡単に攻略できるとは言わないが、数年単位で壁になるようなものじゃない。極少数ではあるが、ソロでやって来た連中も苦にしないだろう。
ここでふるいにかけられるのは、本人の実力は足りていないが他のパーティメンバーの助力でなんとか立ち回ってきたようなタイプである。第五十層まで以上にパーティメンバーの選定に妥協ができない。野良パーティ、臨時編成パーティなんて論外だろう。俺たちが第三十一層でやったような狩りなら成立するだろうが、攻略は不可能に近い。
それでも時間をかけ、対策を練った上でなら一層二層の攻略はできるかもしれない。しかし、おそらく次の中継地点である五層には届かないだろう。ボスもいるわけだし、届いたところで更にハードルが上がる第五十六層以降に次の展望が見えないのも問題だ。
< ウォー・アームズ >の場合はこれに加えてそもそも自力で攻略するつもりがない、という問題も抱えていると推察している。内部でメンバーを厳選して攻略に挑むような奴は推奨されてクランを脱退していくのだから、戦力不足も深刻化するだろう。
そもそもの話、ここに足を踏み入れているだけで十分な精鋭で成功者なのだ。収入だって、他の職種から比べたら遥かに多い。生活のため、家族のためというのなら、これ以上を望む必要がない。よほどの目標がないと、先へ進むモチベーションが保てないというのが現実だろう。
ここまでがそうであったように、ここから先も厳選、ふるい落としは続く。正に狂気染みた世界であるというのは少し考えれば理解できる。そんな才能の生存レースに、挫折を味わうまで挑戦するなんて行為はなかなかとれるものじゃないだろう。
そして、できるところまでやってみたいという向上心がある奴は、そういう志を持った連中で固まるのが当然である。だからここがクラン創立の条件なのかもしれないとも思う。
考えれば考えるほどに悪循環であり、迷宮都市や冒険者全体を見るなら好循環なのだ。おっさんの苦悩は、そういった個人ではどうしようもない領域の話なのである。迷宮都市が正常に稼働するほどに< ウォー・アームズ >が先に進む道が閉ざされてしまう。
これらは半分以上は推測だが、大きく間違ってはいないだろう。実際、知っている人間に否定もされない。
正直、おっさんが望む形で決着を付けるのは不可能だ。俺には解決方法は思いつかない。
「おっさんの故郷は、夜光さんと同じクレストだって聞いたんだが」
だから、話題転換するしかなかった。このまま話を続ければ、確実にクランを辞めるのが正解だと突きつける事になる。
「生まれたのは確かにあの国だが、故郷ってのは語弊があるな。俺たち亜人はあの国では存在を認められていなかったから、国民とは言えないし、言いたくない」
「あんまり楽しい話じゃなさそうだな」
「あの国の亜人は言ってみれば奴隷や家畜、良くて野生動物同然の身分だから、間違っても楽しい過去じゃねえな」
「……そんなに迫害されてたん?」
話題を逸らすために更なる地雷原に踏み込んでしまったのだろうか。いや、それでもクリフさんよりは……。
「環境としてはこの国の奴隷のほうが法整備されている分、かなりマシだろうな。王国じゃ射撃訓練の的に使いたいから売ってくれって言っても売らねえだろ? 名目上は誤魔化すはずだし、一応財産扱いでむやみやたらに殺していい存在でもないからな」
それはひどい。
「クレストはそれが罷り通る国だった。国民は上から下までその認識で、どうにかしようって奴は一人もいねえし考えもしねえ。亜人の大量生産、使い捨ては環境に悪影響がないよう効率的に行いましょうって呼びかけがされる始末だ。そういうものとして社会に組み込まれてた」
せいぜい人種差別程度のものと考えていたが、現実は更に過酷だったらしい。下手すれば家畜以下の扱いだ。
「え……と、ひょっとして夜光さんを恨んでたりする? 確かクレストの結構偉い身分の人なんだよな」
「……そういう奴も未だいるが、俺の場合はあいつの事情が特殊だってのを知ってるから恨んじゃいない。国体が崩壊する時も反体制側だったし、身分もあって一般市民のクソガキ以上に何も知らなかったからな」
なんか、そこら辺複雑な経緯がありそうだな。具体的にいうなら小説で数冊分くらい。迷宮都市なら、探せば映画になってたりしそうだ。
「ツナー! もう始めるよー!!」
「……呼んでるぞ」
いつの間にか来ていたらしいユキから声がかかる。おっさんと話している内に、全員揃っていたようだ。
空龍たち三人はいないが、今日は元々参加予定ではない。あいつらいろんな交流会や食事会に呼ばれていて意外とハードスケジュールなのだ。
……その代わりではないが、何故かヴェルナーとリグレスさんの姿があった。
「というわけで、今日は特別ゲストとして< 流星騎士団 >のリグレスさんに参加して頂きます」
「さっき食った肉を燃焼させに来たところ、貸し切りと言われたものでな」
どうやら、入口でウロウロしていたリグレスさんにディルクが声をかけたそうだ。みんな《 情報魔術 》にもある程度慣れて来たところだから、そろそろ内輪だけで模擬戦をするよりも効果があると判断したのだろう。
一方、ヴェルナーのほうはただの見学らしい。ディルクの《 情報魔術 》については既知らしいが、実際にパーティ単位で利用するところを確認しておきたいとの事だ。
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というわけで、ある程度全体訓練を行ったところでリグレスさんとの模擬戦が組み込まれる事になった。
六対一かつこちら側だけ《 情報魔術 》アリと、かなりのハンデ戦ではあるが、実力差を考えるとこれでも不利だろう。
メンバーはベレンヴァールを軸にユキ、サージェス、摩耶、ティリア、キメラの六人。外された事に不満そうな目を向けるガウルだが、『お前、昼にあんな醜態見せておいてなんでそんなに自信あるの?』という冷めた視線を送ったら簡単に黙ってしまった。以心伝心というやつだな。
「なんだ、お前は出んのか」
「病み上がりなもんで」
実のところ《 魂の門 》の後遺症は完治しているのだが、それを理由に俺は参加を見合わせた。
《 情報魔術 》の俯瞰的視野で戦況を見たいというのもあったし、何よりこの人は一対一で戦うべき相手のように思えたのだ。
「……まあ、そうだな。楽しみはあとにとっておくとしよう」
その目は年末のクラン対抗戦で待つと言った夜光さんと同じものに見えた。あるいは、その話を知っているのかもしれない。
……実際、あの大会で夜光さんと戦うにはシードを除いた決勝トーナメント四枠に残った上で、抽選に恵まれる必要がある。お互いが勝ち進めばその確率は上がるものの、夜光さんと当たる前にリグレスさんや剣刃さんとぶつかる可能性は十分に有り得るのだ。
あんな約束をして戦えないというのもアレだし、戦えても三位決定戦とかはちょっと格好悪い。
各自訓練を始めるが、最初の頃から比べて《 情報魔術 》の扱いにはかなり慣れてきた感がある。
意外と戦闘に影響しない情報量というのは少ないもので、無駄な情報があるとそれだけで脳のリソースを奪われる。いらない情報はバッサリと切ってしまうのがコツだ。最初のほうから上手く使えていたユキなどは、逆に削り切れなくて困っている。
慣れてきた今となっては、これがあるかないかで戦術の幅が大きく変わる。特定の何かに依存した強さというのは、できれば避けたいところではあるが、そこら辺は一連の問題を乗り切ってからの課題になるだろう。今は状況が許してくれないのだから飲み込むしかない。
「んで、お前はどう見る?」
「あちらがどれくらい本気かにもよりますが、勝ち負けについてなら勝てるはずはないですね。どれくらい善戦するかなら、ベレンヴァールさん次第でしょうか」
ディルク的にリグレスさんとの一戦にサプライズはないと思っているらしい。それには俺も同感だった。
同じトップクランでも指揮官のアーシャさんが相手ならまだ芽はあったかもしれないが、相手は前衛戦闘の専門家である。しかも一人で多数と戦う事を苦にしない重機だ。
「おおおおおっ!!」
試合開始直後に重機……いや虎が吼えた。空気を伝わり休憩所にいる俺たちまで振動が伝わってくるような雄叫びだ。エンジン音か。
この構図で最も注意すべきは各個撃破。こちら側の最大の武器である数の優位を潰されるのが最も痛い。だから、盾役であるティリアがどうカバーするかが序盤の鍵になる……と思っていた。
しかし、リグレスさんのとった行動は、フェイントもなしに放たれるティリアへの奇襲。その思惑は、数を減らすよりもまず面倒な盾から潰すという分かり易いものだろう。実力差がなければ通用しない戦術だ。
これが通るようなら開幕から劣勢が決まるが、さすがにそれは通さない。若干困惑が見られたティリアだったが、それを真っ向から受け止めた。
――Action Skill《 戟咆 》――
真正面からの強烈な刺突。
《 情報魔術 》によればリグレスさんの持つ長柄武器は実のところ槍でも薙刀でもなく戟らしい。あのスキルは、使用者の少なさからあまり目にする事はない《 戟技 》である。
――Skill Chain《 虎連戟 》――
それが追加で三発。おそらく受けた本人か、こうしてダメージ情報を俯瞰していないと回数すら確認できないほどの超スピードの連打だ。
普通なら盾が粉砕しかねない、あるいは持っている手のほうが壊れるような威力ではあるが、ティリアはそれを受け止め切った。
「まだまだぁっ!」
――Skill Chain《 ライジング・スマッシュ 》――
問題はそのあとだ。受けた衝撃で動けなくなっていたところに、下から掬い上げるような一撃。それはティリア本人を狙ったものではなく、その手にある盾を弾き上げるためのものだ。
タワーシールドというだけでもかなりの重量で、更には専門盾職の盾だ。生半可な重量ではないのに、リグレスさんの戟によってあっさりと宙に舞い、無防備になったティリアへ追撃の一撃が放たれる――
「ていっ!」
――Action Skill《 シールドバッシュ 》――
――ところで、動きは止められた。
「んなぁっ!?」
ティリアの小手に仕込まれた任意展開型のバックラーによって、リグレスさんの戟が弾かれる。
ただ弾くだけなら上級冒険者相手には困難を極めるだろう。実際、最初の三連撃や続く《 ライジング・スマッシュ 》を止めるには反応速度が追いつかない。しかしスキルを振り切ったあとであれば、ただ合わせるだけでインターセプトが成立する。ベテランとはいえ、これはさすがに想定していなかったらしい。
「……まさか、本当に使う機会があるとは」
ティリアが使う面白装備の開発者であるラディーネが後ろの席で呻いていた。
元々あの展開型バックラーは盾を破壊、あるいは今回のように弾かれるなどして無力化された際の対応策として用意されたものだ。
盾としては補助も補助で防御力もさほどではない。機構も複雑かつ重量もそれなりだ。しかし、元々重装備のティリアには大した違いではないし、なにより"盾スキルが発動できる"。今回のように、主装備の盾を失って勝利を確信した相手に痛恨の一撃をかますのには最適な装備というわけだ。初見の相手なら尚更である。
この場面で一瞬でも動きが止まったなら、それは好機以外の何物でもない。
まず、タイミングを見計らったように< ホバーボード >で接近していたユキから、動きの止まった戟へ< アンカーショット >が放たれる。重量差を考えるなら継続的な行動阻害は不可能だと判断したユキは即座にそれを破棄。更なる追撃と補助のために行動に移る。
そうしてティリアとユキが稼ぎ出した時間は一瞬で、上級冒険者にとっては技後硬直まで含めても些細な隙に過ぎない。しかし、それを狙っていた連中からしてみればボーナスタイムだ。展開していた摩耶、サージェス、ベレンヴァールから多重の攻撃が入り、その直後に控えていたキメラの空中からの《 バスター・タックル 》が決まった。やられ放題である。
ダメージとしてもなかなか。一連の波状攻撃でHPも四分の一ほどは削れている。これが中級冒険者や同クラスのモンスター相手なら、ほぼここで決まるだろう。
「ええぃっ!! どけ!」
――Action Skill《 金剛爆砕陣 》――
纏わり付く相手を強引に跳ね除けるためのスキルが発動した。
床に突き立てられた石突から八方向へ衝撃が伝わる。それは攻撃スキルではあるが、本来は敵中で孤立した際に戦闘スペースを確保するための技なのだろう。《 旋風陣 》のように長時間に渡って展開されるようなものではないが、技後硬直の時間も余裕で確保できる全周囲型スキルだ。
その衝撃によって吹き飛ばされたのはティリア、摩耶、サージェス。そしてホバーボードに乗っていて飛ばされやすい状況だったユキは訓練場の壁まで飛ばされ、変な声を上げながら叩きつけられた。
それをものともせず突き進んだのはキメラだ。ダメージなど知った事かと捨て身に近い突進で衝撃の壁を突き破り、リグレスさんへ肉薄した。
肉を切らせて骨を断つという言葉を体現したような強襲。しかし、それも次の一手の布石に過ぎない。
――Action Skill《 ペイン・ザッパー 》――
残る一人、ベレンヴァールはそもそも《 金剛爆砕陣 》の影響範囲にいなかった。その異常なまでの跳躍力で訓練場の高い天井に張り付き、衝撃波を回避、今正にリグレスさんの体目掛けて落下中である。それに気付いた時には、キメラの触手がリグレスさんの手足に巻き付いているという徹底ぶりだ。《 両手剣技 》の《 ペイン・ザッパー 》が如何に大振りとはいえ、さすがに直撃が入る。
「ぐっおぉぉぉ!」
「追加だっ!!」
――Skill Chain《 刻印術:火矢の弩砲 》――
――Skill Chain《 刻印術:爆砕する貫杭 》――
続けてベレンヴァールの手の平と背中の紋が光り、瞬時に展開される二つの魔術。それは、本来有り得ないとまで言われた魔術同士のスキル連携だ。
武器技が発動した直後に追撃として放たれるそれはほぼ必中。しかも魔術では実現し難い至近距離からのそれとあって、如何にリグレスさんといえども未知に近い体験のはずだ。
そのすべてが直撃した。……したが、さすがに仕留め切れてはいない。
追撃も困難。技後硬直が発生したベレンヴァールは爆風で距離を取るのが精一杯のようだし、キメラに至ってはフレンドリーファイア染みた攻撃で吹き飛ばされ、ノックダウン中である。
[( ´Д`)・;'.]
……いや、見た目とは裏腹に余裕あるのかもしれない。
と、ここで開始直後から連続していた戦闘に間が空いた。仕切り直しである。
外傷もそうだが、《 情報魔術 》で見た限り先ほどよりもHPの減りが鈍い。おそらくは残HPをトリガーとするパッシブスキルが複数発動しているのだろう。この手のタイプは追い詰めるほどに強化されるから厄介だ。通っていたダメージが通らなくなるというのは、戦術を組み立て直す必要があるという事でもあるのだ。
「ふはははははっ!! 面白いな、お前たちは! どこぞの腑抜けた男性器に見習わせたいものだ」
「あの野郎……っ!!」
別に誰と明言したわけではないが、俺の隣に座っていた男性器さんから声が上がった。
「……おいガウルっ! いい機会だから良く見ておけ。これがオレたち獣神の使徒共通の切り札にして到達点の一つだ」
空気が一変する。ベレンヴァールの《 刻印術 》によって発生した煙が渦を巻き吹き飛ばされるほどの熱量がそこに発生していた。
――Action Skill《 獣王転身 》――
煙の中の影でしかなかった姿が巨大化し、その形を露わにした。
そこに在ったのは猛攻撃によってダメージを受けた虎獣人ではなく、身体のほとんどが金色の獣と化した姿だ。
……って、え、あれ? なんでHPまで回復してんの!?
「さて、第二ラウンドだ」
――Action Skill《 獣王の咆哮 》――
《 獣の咆哮 》の直接の上位スキルである《 獣王の咆哮 》。実際に見たのは初めてだが、空気の振動が距離の離れた休憩所まではっきりと伝わってくる雄叫びは、精神の弱い者であれば即座に失神するほどに強烈な代物だ。特に直接相対しているウチのメンバーはその影響が見て取れる。
< 恐怖 >の状態異常が発生した摩耶、状態異常という目に映る形ではないものの萎縮が見られるティリアとユキ。精神的にアレなサージェスと特性として精神耐性を持つキメラは行動に支障があるレベルではないだろうが、影響は皆無ではないといったところだろうか。
変わらず十全な動きが期待できそうなのはベレンヴァールくらいだ。
そこからの戦闘は、正直一方的な展開と言っていい内容だった。
単に巨大化しただけならなんとでもなっただろうが、あきらかに身体能力のすべてが強化されている。その中でも特筆すべきはパワーだろう。
さきほどよりも確実に威力が上がったと分かる一撃で、受けたティリアの盾が粉砕された。受け切れないと判断したのか、逸らすようにして尚だ。
そこから返す攻撃でティリアが脱落し、パーティに穴が空いてしまう。元々純後衛なしで組んだパーティ故に即座に連携が崩れる事はなかったが、盾役兼回復役の損失は大きい。徐々に押される形で、最大の優位である人数も減らされていく。
最後まで奮戦したベレンヴァールだが、さすがに一対一でどうにかなる力量差ではなかったらしい。単純に見てもベースLv80とLv100オーバーにはそれくらいの隔たりはあるだろう。充填に時間がかかる《 刻印術 》も全開放すれば……いや、無理だろうな。
健闘はしたが、これが現在のウチとトップクランのエースの差といったところか。
前提が違うから明確ではないが、新人戦の時の俺たちよりは差が縮まっていると思っていいだろう。……いいよな、多分。
「そんな顔せんでもオレの《 獣王転身 》にあれだけ喰らいつけるなら、中級クラスにしては上出来も上出来だ。ベレンヴァールなどは上級でも問題なく前衛を張れるだろうさ」
そんな顔というのは俺の事だろう。実力差を測りかねていたのを察せられたらしい。
まあ、リグレスさん的にも及第点といったところだろうか。もう少し時間をかけて仕上がりを見たいところだったが。
「ただまあ、これだけじゃなんだな。……不完全燃焼気味だから、もう少し燃え上がりたいところだ」
模擬戦としては上々でも、本人は少し不満らしい。何が目的かは知らないが、更なる闘争を求めていらっしゃるようだ。
「お、おおお、やってやろうじゃねーか……」
半ば反射的に腰を浮かせたガウルだが、お前一人でアレをどうするつもりやっちゅうねん。昼間の無残な体験を忘れたわけでもないだろうに。
「お前には言っとらん。大人しく《 獣王転身 》の記憶を反芻しておけ。距離の関係から、早ければ明日以降はもう見せられんしな」
「お、おお……」
当たり前だが、ガウルは眼中になかったらしい。相手にするつもりはなさそうだが、《 獣王転身 》を見せた事といい、やっぱり先達としてガウルの見本になるつもりなんだろう。優しい先輩じゃないか。顔怖いけど。
しかし、となると……え、まさか俺に相手しろっていうの? 嫌なんだけど。誰かグレンさんとか呼んでこいよ。あ、わざわざ呼ばなくてもヴェルナーがいるんだから……。
「とはいえ、渡辺綱は不調らしい。……というわけで、そこで暇そうに見学しているリザードマンなどが相手してくれると助かるんだがな」
「……俺の事か?」
「ぼんやり宙を眺めているよりは有意義だろう?」
だが、実のところ明確なお目当てがいたらしい。
ヴェルナーならアレ相手でも蹂躙できるんだろうが、確かにおっさんでも対戦相手としては不足ないはずだ。シード落ちしたとはいえ、個人戦で上位に居続けた上にリグレスさんとの対戦成績も豊富だ。実際、クラン対抗戦で直接当たった事もあるようだし。
「まあ、ロートルは大人しく身を引っ込めるというのなら仕方のない話だがな。傷心の年寄りに鞭打つつもりはないぞ」
「……珍しく、突っかかってくるじゃねーか」
しかし、その言葉に少し違和感を覚えた。
ただ模擬戦したいというのなら、こんな挑発をする必要はないだろう。ここにはヴェルナーだっているし、やりたくはないが俺やラディーネもいる。今医務室に飛ばされている連中だって、再戦の機会があるならやるだろう。なのに、まるでトカゲのおっさんが本命で、逃がさないように挑発しているように聞こえる。
「相手して……いや、今はお前の方が序列が上なわけだからな。胸を貸してもらおうか、虎小僧」
「随分と懐かしい呼び名だな」
思惑はさっぱりだが、良く分からない内に妙なエキシビジョンマッチが成立した。
-5-
「あの……あの二人って何か因縁があったりとかするんですかね?」
「いえ、特にはないはずですけどね。出身も違えば世代も違いますし、同じクランに所属していた事もありません。どちらもベテランの域ですし個人戦トップランカーなのでそれなりに交流はあるかと思いますが」
ギルド職員なら冒険者同士の関係にも詳しいだろうとヴェルナーに聞いてみたものの、やはりそこまでの関係はないらしい。
「ただ、十年以上も前の話ですが、リグレスさんはデビュー当初グワルさんに憧れていたという話を聞いた事はあります。私もまだやんちゃしていた時期なので、あまり記憶が定かではないのですが」
何、その俺も若い頃は的な話は。木刀持ってバイク乗り回してたわけでもないだろうに。そういう人はレタスさんとドレッシングさんに廃ビルに閉じ込められて、バルサン地獄の刑に遭わされてしまうんだぞ。
とはいえ、この人で知らないなら他の連中も知らないだろう。……一番関連ありそうなガウルはアレだし、ここは大人しく状況を見守るべきだろうか。
模擬戦として見た場合、個人戦の序列もそうだが常に離れ続けている力量差が問題だ。リグレスさんの圧倒的優位には違いないだろうが、どこまでおっさんが喰らいつけるか。ベテラン同士ならさぞかしレベルの高い戦闘をするはずだ。
「ほらほらほらっ、なんだ遊んでおるのか!? < 夢幻刃 >ともあろう御方が情けないな!!」
「ごちゃごちゃうるせえんだよっ!! 虎小僧」
しかし、始まった模擬戦はなんとも言い難い内容だった。
傍目には一方的な蹂躙に見えるだろう。リグレスさんがおっさんを終始圧倒している。素の身体能力で差があるのは当たり前なのだが、技量差以前におっさんの剣筋も体の動きもとにかくキレがなかった。不調なんて言葉では済まされないレベルだ。
夜光さんやs6……エリカシャドウのように何かされているのかといえば、そうではないだろう。リグレスさんはとにかく直接的な手を好む傾向がある。そういう搦め手は否定しないし技術に依った戦い方もするだろうが、主体になる事はないだろう。また、得意でもなさそうだ。
ここまで見て分かったのは、あの人の戦い方は対戦相手の全力を引き出し、引き上げ、その上でその相手を粉砕するものだ。まるで自らの糧とするように全力の相手を望んでいる。そして、闘争そのものを楽しんでいる。
……ただ、今は楽しそうには見えない。辛うじて致命傷は避け続けているおっさんも、圧倒し続けているリグレスさんもとても見れたものじゃない。二人共卓越した技量で戦う戦士であるにも拘らず、これではただの路地裏の喧嘩だ。
「そのご自慢の《 夢幻刃 》はどうしたっ!? 引退一歩手前のロートルが縋り付くしかない唯一の切り札は!!」
「いん……てめえっ!!」
それは今のおっさんには禁句なんじゃないだろうか。本当に引退しかねない状態なんだが。
「あー分かったよ! あんまりロートル舐めんじゃねえっ!!」
――Action Skill《 夢幻刃 》――
フェイントも何もなし。言われたから発動したといわんばかりの《 夢幻刃 》は、適当な状況で放たれたにも拘らずリグレスさんの巨体に無数の裂傷を生んだ。
確かに回避困難なスキルではある。俺がベレンヴァール相手に放った見窄らしいレベルのものでさえ、多方向からの同時斬撃を繰り出したのだ。本職のそれが今一線で戦う人たちに通用する事も年末のクラン対抗戦で見た。だから当たる事自体は驚くような事じゃない。"どれかは当たる"、当てるように繰り出すのが《 夢幻刃 》なのだから。しかし、目の前で起きている事態はそういう問題ではない。
「……どうした。そんなもんか」
「……お前」
リグレスさんは一切回避行動を行わなかった。直撃も直撃。斬撃のすべて……おっさんの叩き出せる最大ダメージを自ら受けに行った。
なんともない体を装っているが、傷は深い。深いが、しかし決定的なダメージにもなっていない。
「……つまり、貴様の切り札などこの程度という事よ。多少の力量差を覆す事はできる。回避困難な無数の剣閃は、知っていても必勝の切り札になり得る。……ああ、剣刃殿や夜光の《 夢幻刃 》は怖いな。だが、貴様の《 夢幻刃 》は怖くはない。避けるまでもないわ」
……言葉を失っていた。
リグレスさんの紡ぎ出す言葉が真実であるのは、今の状況が物語っている。決定打なき必殺技は切り札足り得ない。回避困難だろうが防御不可だろうが、ダメージを許容できるなら受け切ってしまえばいい。
しかも、今のようにすべてを真正面から受ける必要などない。リグレスさんほどの技量がなくても、ある程度なら捌く事はできる。わざわざすべて喰らったのは、"奇跡的に全弾命中してもこの程度だぞ"と言いたいがためだ。そう分からせるためだ。
「もはやステージが違う。そこに留まるなら一切の脅威足り得ない。……貴様が呼び込んだ風というのはな、周囲のすべてを巻き込む嵐であり、状況に適応できない者を弾き飛ばして置き去りにする突風だ。呼び込んだ者自らが置き去りにされてどうする」
「……俺、は」
「お返しだ。……偉大なる先人グワル殿に見せるにはまだまだ練度が足りんと思うが、まあ見るといい」
――Action Skill《 夢幻演舞 》――
その刹那、リグレスさんの巨体がブレた。
おっさんの四方八方、足元や真上、斬撃、刺突、薙ぎ払い、あるいは武器によらない体当たりや蹴打を放つ可能性の姿が無数に出現した。高速移動で残像が発生したわけでない。今、この一瞬はそれぞれが希薄な可能性としてそこに存在し、視覚化している。
それは、おそらく《 夢幻刃 》と根本を同じくするものだ。回避困難な剣閃を無数に同時発生させる《 夢幻刃 》は、その名の通り刀刃武器でしか発動できない。ならばと、武器によらないスキルを別に創り上げたのだろう。
ディルクに視線をやると、無言で首を振る。そんなスキルは迷宮都市のデータベース上に存在しない。ひょっとしたら、ローランさんやアーシャさんすら知らないかもしれない。切り札たる存在にまで練磨し、昇華させ切ってはいない未成熟なものなのだろう。
……俺がそのスキルに感じたのは《 夢幻刃 》の始祖であり、先達として立ち続けた者への敬意だった。
未知のスキルに対しおっさんは対処できず、先ほどのリグレスさんと同様、ほとんど棒立ちのままそれを喰らう事になった。
しかし、結果は一目瞭然だ。おっさんは地に伏して立ち上がる事もできない。下手に《 情報魔術 》で見えてしまっている分誤魔化しが利かない。どう見ても決着だ。
「そのまま医務室に転送されるかと思ったが、上手く"加減できた"ようだ」
「て……めえ」
つまり、これですら全力ではないと。
「偉大なるグワル殿には、はっきりと言っておきたい事があったからな。ただ話しかけても届きはしないだろう。こうしてプライドごとズタボロにされて、地に伏した状態なら耳を傾けざるを得まい」
……そのために、わざわざこんな演出をしたのだろうか。この状況なら、嫌でも話を聞かざるを得ないだろうが。
「オレはな、常々迷宮都市で不満を抱いている事があるのよ。……ダンジョンマスターの気質のせいかそれとも別の要因があるのか、とにかく迷宮都市は事なかれ主義者が多い。ロクに他人の事情に口出ししようとしない。本人の問題だ、自分の組織の問題だと及び腰になる。それ自体は別に悪いとも思わんし、とやかく言うつもりはない。オレが気に入らんのも好みの問題だ。だが、その影響で生まれる歪みは確実に存在する」
……確かにその傾向はあるな。どこか日本で見られるような気質が見え隠れしているような気はしないでもない。
言ってみれば、おっさんのそれは表面化している歪みそのものだ。
「偉大なる冒険者には敬意を払う。当然だ。ロクに整備もされていない、支援もない状況で冒険者の先駆けとなったのだからな。ダンジョンマスターやアレイン殿は別格としても、黎明期の< ウォー・アームズ >所属者は英雄といって差し支えないだろう。オレも貴方たちの話には心踊らされたクチだ。だから、そんなザマでも誰も言わない。今の瓦礫の山と化した無残な姿を見ても過去の栄光に目を眩ませる。昔あれだけ頑張ったんだから……とな」
少し耳の痛い言葉だった。俺にもその気質があるのは確かなのだ。現に、おっさんの問題へは踏み込んでいない。
「どうせ誰も言わないのだから、オレが言ってやる。立ち止まって背後にある栄光しか見れないのなら、冒険者など辞めてしまえ。そんな無様な英雄の姿は見るに堪えん」
「俺は< ウォー・アームズ >を……」
「あのクランにそれをする意味などない。ダンジョンマスターへの恩返しだなんだと理由を付けて、無理やり形を変える必要はないだろう。ついでに言うならその理由も気に喰わん。そうなった経緯は知っているし無理もないとは思うが、あまりあの男に負担をかけてやるな」
「……ふ、たん?」
会話が止まり、リグレスさんはこちらを見た。正確に言えば、その視線は俺ではなくヴェルナーに向けられている。
「自分を地獄から救い出した神の如き存在だからといって、アレは神ではないし、本人もそれは望んではいない。あの男も事なかれ主義な部分があるから、問題が表面化しなければ放置する傾向がある。だから貴様"ら"はそれが本人のためになると勘違いし、身を削って奉公する。だが、あの男は人間だ。人で在りたいと思っているのに神扱いされるのは、さぞかし迷惑だろうよ」
以前、神扱いについてダンマスが軽く触れた事はある。あの時は軽く流していたが、嫌がっていたのは確かだ。それでギルド職員と距離を置いた。直接向き合わずに目を逸した。結果、ある程度意識改善はされたものの、未だ崇拝の念が深く残ったままだ。
黒歴史であり、今尚払拭し切れていない問題にヴェルナーが頭を抱えていた。
……あんた責任者なんだから、この状況治めないといけないんじゃないのか? 何、ダメージ喰らってんだよ。
「神の幻影に縋らず、自分の理由で決めるんだな。その結果なら誰も文句は言わん。……その上で引導が必要ならオレが渡してやる。憎まれ役くらいなら演じてやろう」
と言って、這いつくばるおっさんを放置したままリグレスさんは訓練場から出ていった。
すれ違いに訓練場へ再入場して来たユキたちが場の異様な空気にギョッとしていたが、本人はそのままスルーだ。
……あれ、まさかこれって俺がなんとかしないといけないのかな。
-6-
何やら押し付けられた感がしないでもないが、ヴェルナーも役に立たなそうだしと俺が残る事にした。訓練も終わりだ。
ユキたちは状況を飲み込めていなかったが、外で誰かが説明するだろう。
「あー、なんだ。……さんざんだったな、おっさん。大丈夫か?」
俺たち以外誰もいなくなった訓練場で、未だ地に伏したおっさんへと話しかける。
「……見ての通りだよ。こんなズタボロのまま放置しやがって」
あ、うん。大丈夫じゃないな。回復薬や自己治癒能力である程度マシにはなっているが、未だ死体にしか見えない状況である。
……さて、何をどう話したものか。
話すのに立ったままというのもアレなのでその場に座り込んだ。持久戦になりそうな気もしたが、ほどなくしておっさんはポツポツと話し始める。
「……いつかトライアルの時にも話したが、お前らは迷宮都市に台風を巻き起こしてるよな」
「あ、ああ。色々起きてるな」
あの時は風とか言ってた気がするが、いつの間にか台風になっている。
「風でも吹けばって感じで駄目元だったのが、マジで弩級の台風だった。俺の目に狂いはなかったって事だ」
「……だけど、それはおっさんの望んだ形じゃないんだろ?」
だからこそ、こうして放心状態なわけで。
「……分かっちゃいるんだ。どうにもならねえって事くらい分かってたんだ。あの虎の言う事は、どうしようもないほどに正論だよ。何一つ言い返せねえ。足掻いてたのは俺だけで、当の本人たちは変わる気がねえんだからな。ダンジョンマスターもアレイン団長も、あのクランに愛着なんざ持ってないって事は分かってた。でも、分かってても口に出せねえ。口に出せば自分たちの存在意義に罅が入るような気がするから目を背ける。そんな、なあなあのぬるま湯に浸かり切ってんだ」
状況は理解している。それは知っているし、リグレスさんもその上での行動だった。
あの人はそれを直視せず、させようとしない状況が気に入らなかったから現実を突き付けたのだ。口は悪く不器用だが、戦い方と同じでどこまでも真っ直ぐな人だ。直接的な物言いを嫌う人も多そうだが。
「……だけどよ、あそこは国も居場所もない俺たちにとって初めて手に入れた家なんだよ。簡単に見切りつけられるならとっくの昔に独立してる。それができねえから、みっともなくしがみついてるんだよ」
おっさんはもう諦めているようにも見える。実際、どうにもならない事のようにも感じる。
問題はおっさんのクランに対する拘りだけでそれ以外は在るべくして在る状態なのだから、それを変えようというのはむしろ傲慢ともとれるだろう。少なくとも、今のおっさんにそれを強行する気力は感じられない。
「結局のところ、第五十一層から先に進めたとしてもその先には更に厳しい試練が待ってるわけで、正気なら歩けないような道が続いている。大多数は途中で挫折するし、むしろ第五十層までだって常人から見たら頭おかしい世界なんだ。どうやったってふるいにかけないと先に進めない。< ウォー・アームズ >は進めないんじゃなく、自ら足を止めているって事で、つまり冒険者全体の土台になろうとしている。……先に行くなら、別のとこで頑張れってな」
今後、冒険者全体が底上げされれば< ウォー・アームズ >の攻略層も進むんだろうが、それは亀の歩みになるはずだ。おっさんの求めるものとは違う。
「……だから、団長はクィグなんだ。あの羊は日和見って言われててもクラン全体の事は見えてる奴だからな。頑固なヴェルギムが黙って副団長をやってるのも、それに同意してるからだ」
直接は知らないが、< ウォー・アームズ >現団長のクィグというのは大羊族という巨大な角を持つ獣人だ。副団長のヴェルギムは熊獣人だった気がする。実のところ、どちらも世間の評判はあまり良くない。< ウォー・アームズ >所属経験のある者は違う意見らしいが、日和見的で緩い団長とただ黙ってそれに従う副団長は、個人としてならともかく冒険者としていい印象を抱けないらしい。
……これまでの話を聞くなら、なるほどと思う人選でもある。
「……最初はよ、情熱とかやる気とか、そういったものが致命的に欠けてて、若い連中を見て奮起してくれればと思ってたんだ。それで、お前らが現れていい方向に転がると思った。新人戦の時なんか、これで奮起しないようなら冒険者じゃねえとまで思ったさ」
ローランさんが一番顕著な例だが、直後にデビューを決めた冒険者は急増したのは数で見ているし、その他にも影響を受けたという冒険者は何人もいるらしい。
掲示板でも良く目にする。ただ、肝心な俺のスレでは『渡辺綱 暴虐の歴史』として紹介されているのは解せない。負けてるっちゅうねん。
「……だけど、違ったんだな。転がるどころか地面奥深くまで根を張ってて、大木のように小揺るぎもしなかった。それが本来望まれた形で、腑抜けてると思ってた連中はみんな必死に役目を果たそうとしてたわけだ。今の形が最適解だっていうなら、俺がやろうとしてた事はただの勇み足だ。さぞかし滑稽だったろうよ」
「だけど、それは冒険者としては正しい形だろ」
ダンマスに追いつこう、力になろうというのは一部の人だけかもしれないが、ダンジョン攻略を進めようというのは本来冒険者に求められている姿だ。それこそ、初心者講習で最初に教えられる事である。
「その正しさを保つために< ウォー・アームズ >がある。下級の連中を引き上げ、上級へと押し上げるための循環装置だ」
先を目指さない。そもそも挑戦していない。自分たちの役割はそこまでで、その先へ行ける奴は独立して複数のクランを立ち上げる。
おっさんが知らなかったくらいだ。明確な方針として掲げているわけではないのだろう。しかし、その在り方は実際に体現されている。< ウォー・アームズ >単体が大きくなるよりも、全体として見ればそちらのほうが効率がいいのだろう。……おっさんのように、クランそのものに拘りがなければ。
「……多分、俺は間違ったんだ。< ウォー・アームズ >をそういうクランにしたいんだったら、"俺が"三代目になっていれば良かった。そうすれば、ダンジョンマスターやアレイン団長は何も言わなかっただろう。クィグだってクランマスターを引き受けるのはかなり消極的だったし、それならそれで納得しただろう。ようは俺がやるべき時にやる事をやらなかったのが今の形だ」
やっぱりというか、おっさんが団長になる話もあったのか。
「面倒くせえ、性に合わねえって役割放り出して、あとになってからこれは違うっていうのは間違ってるよな。クソかっこ悪ぃ」
なんとも言えなかった。
今の状況が正しいとも間違っているとも言えないし、ならばより良い在り方はと聞かれても思いつかない。
ついでについさっきリグレスさんに言われた通り、この状況にあっても当事者でないからと一歩引いている感もある。
「それで、おっさんは今後どうするつもりなんだ?」
多分、クランは辞める事になるだろう。冒険者自体は続けるだろうが、引退だって視野に入るはずだ。
口に出せばそうなってしまいそうで、抽象的にしか聞けないのがまた虎さんに説教されてしまいそうな話である。
「どうすっかな……。実際、昔から色々声はかかってる。冒険者以外もな。だけど、< ウォー・アームズ >のグワルじゃない俺なんて想像がつかない」
ここまで拗れるほどに拘っていたのが、そう簡単に割り切れるわけはないか。
「……完全に吹っ切ったっていうなら別だが、迷ってるなら来年まで今のままでいないか?」
「踏ん切りつかないのは確かだが、今更何も変わりようなんてねーぞ」
これを言う俺は卑怯なのかもしれない。
結局のところおっさん自身が決断しないといけない問題ではあるが、問題を先延ばしにする提案をしている。……大半は俺の都合だというのに。
「それで答えが出ないようなら、年末のクラン対抗戦、俺がその< ウォー・アームズ >のグワルに引導を渡してやる。お互いノーシードなんだから、多分予選のどっかで当たるだろ」
「……言うじゃねーか」
そこへ辿り着くには未知の大崩壊を乗り越えなければならない。それが分かっていて未来の提案をする。その未来を手繰り寄せるためのモチベーションにできないかと考えてる。だからせめて、外部からの傍観者ではなくおっさんの関係者として決断の一助になれるよう踏み込んでみよう。
そう、思った。
「負けるつもりはねえが、あの虎の言いなりになるよりはマシかもな」
おっさんも真意は分かっているんだろうが、簡単に素直になれるはずもない。性分かもしれないが、リグレスさんも嫌な役目を引き受けるものだ。
-7-
そうして、今日もクーゲルシュライバー号は未知の空間に穴を開けつつ航行を続ける。
「なんというか、特に何も起きなかったね」
ユキの言う通り、何かあるだろうと思っていた旅路は無事に終わりを迎えようとしていた。色々あるにはあったのだが、どれも問題になるようなものではない。往復便だから帰りも残っている上に向こうでの滞在期間もあるのだが、とりあえず往路は問題なさそうだった。
何もないのが一番ではあるのだが、こうしている内に何か水面下で胎動している問題があるかもしれないと考えると気が気ではないのも確かだ。向こうの滞在期間中に、ダンマスとの定期連絡なりでせめて星の崩壊についての詳細が分かれば少し違うのだろうが。
「例の《 宣誓真言 》は使いものになりそう? ちなみにボクは駄目っぽい」
「今のところ、手が出せる段階にも至ってないな」
というよりも、何をどうしたらアレができるのかがさっぱりである。強制起動を前提にしているのなら《 飢餓の暴獣 》頼りになるから、どうしてもぶっつけ本番にならざるを得ないというのもアレだ。できるなら少しくらいは取っかかりのようなものを掴んでおきたい。
「ただ、使えるとなっても役に立つ場面があるかは微妙だよな」
「かなり限定的だしね」
アレが強烈なスキルであり、切り札になり得るものである事は確かだ。しかしスキルとして見た場合、戦闘における利便性は首を傾げざるを得ない。
なにせ効果は一瞬、自由自在に発動できるわけでもない。アクションスキルなのに連携に組み込む事はほぼ不可能だ。何故かといえば、このスキルは発動に必要な前動作が存在するというのが最大の理由だ。
『《 我は迷宮の始祖の一であり、世界の理を変革する権利を持つ者であるとここに宣言する 》』
あの時、ディルクがスキル発動前に唱えていた呪文詠唱のような言葉がその前動作に当たるわけだが、どうもスキル発動の一部と捉えられているのか他のスキルと併用して行う事ができないらしいのだ。
『これは今から《 宣誓真言 》を発動するという宣言になります。おそらくは省略可能ですが、今のところこれがないと発動できないというのが現実なんですよね。僕だけでなくセラも』
『中身を短縮する事はできないのか?』
『ルールのようなものは一応あります。内容に決まりはないんですが、長くなればなるほど発動し易いんですよね。僕も最初はこの数倍の長さの宣言が必要でした』
『つまり、慣れれば慣れるほど短縮できると』
『分かっている限りでは、はい。これをゼロにするか、極限まで圧縮すれば連携にも組み込めるかもしれません』
超ハードル高えな、おい。
『そもそも決まった形はありません。これは言ってしまえば自分に対する理由付けなんですよ。自分はこうだから世界を書き換える資格があるという自己催眠のようなもので、究極的にはなくてもいいはずなんです』
自分と世界を騙し、信じ込ませるための準備って事か。
『だから駄目元なんですよ。普通に考えたら使いものになるはずはない。だけど、渡辺さんの非常識っぷりならあるいはどうにかできないかなーと』
超適当である。ほとんど願望に近い。
『まあ使える使えないはまた別の問題として、たとえばお前はどういう感じで使ってるんだ? あとセラフィーナ』
『基本的には自己暗示による身体能力向上ですね』
やはりというかなんというか、《 宣誓真言 》で発動する内容にも得手不得手はあるらしく、二人は自己暗示による強化が得意らしい。
何か対象を指定して無理やり改変するよりも、自己という明確な存在であればその権利があると主張し易いのかもしれない。実際その効果は落ちないリンゴのような一瞬ではなく、ある程度効果が継続するらしい。すべてのカテゴリを超越した万能強化が見込めるのは、確かに分かり易く有用である。
……というか、セラフィーナはそんな反則気味な手段で俺を潰しに来たのか。ディルクが止めてなかったら負けてたんじゃねーか?
「ただ使えるだけじゃ役に立つ場面は限られる。だけど戦闘中とっさに発動可能となると更にハードルが上がる。強制起動はそのスキルに本来必要とされる練度を無視して発動するものだから、目も当てられない事になりそうだ」
「発動できればいいって話じゃないもんね。当てにしちゃいけないって事か」
今後を考えるなら必要だろう。しかし、一朝一夕に習得して使い物になるレベルまで練度を上げられるかといえば、はっきりと否だ。ディルクの言う通り、そういうものが存在すると頭の片隅に置いておくくらいしかできそうにない。
「地力を鍛えるのが一番の近道っていうのはそうなんだけどさ、こういう何が起きるか分からないって状況だと、なんかこう……強い武器でもスキルでも、なんでもいいからパワーアップしておきたいよね」
そりゃまあ当然そうだ。保険はいくらあっても足りないような状況なんだから。
何かが起こる前提としても、戦力だけで切り抜けられるような単純な話になるかも怪しいが。
「七つ玉集めたら皇龍さんあたりが願い事叶えてくれないかな?」
「意味が分からず困惑するだけだと思うぞ」
そりゃ確かに龍だが、パロネタが通じるほど地球の情報は持っていないだろう。
「だがまあ、向こうで皇龍に相談してみるか。すでに滅びたとはいえ異世界の文明があったわけだし、何かしら存在してるかもしれない」
「あんな大嵐で文明の痕跡も残ってないような星に期待できるかな?」
「資料的なものなら残ってるかもしれないし、あの星じゃなくて……他の星にはなんかあるんじゃね?」
「……ああ、そっか。なんか異世界って言われてあの星しかないって勘違いしてたけど、別の星も普通にあるよね。しかも、龍は惑星間の移動もしてたらしいし」
皇龍があの星に根を張っているのは無限回廊の入口があるからに過ぎない。唯一の悪意が出現した以上文明が残っている可能性はないだろうが、自然災害のない星なら遺跡レベル程度には残っていそうな気もする。移動も可能だろう。
あの< 黒老樹 >もそうだが、皇龍たちが見て価値なしと判断したものでも、迷宮都市の人間なら新しい発見があるかもしれない。今後の事を考えるなら、そういう調査をしたほうがいいと打診くらいはしてもいいはずだ。向こうの滞在期間を考えるなら真っ当に移動している時間はないだろうというのがアレだが。
正直なところ、情報でもいい。唯一の悪意や、美弓の言うところの便乗している奴について断片でも分かれば、対策を取るべき方向性が見えてくるかもしれない。
そんな事を話していると艦内放送が流れ、出発時と同様に各自の部屋で待機するよう通達があった。
まもなくクーゲルシュライバー号が空間の壁を突き破り、世界の壁を超えるという。到着の様子もテレビで見られるそうだ。
「テレビで映すのはいいけど、そもそも何か映るのかな?」
「知らんが、とりあえず点けとけ」
「点けたらピエロが映ってるとか、そういう展開はないよね?」
「おいやめろ」
ただでさえ有り得ないとはいえないのに、妙なフラグを立てるんじゃない。
こうして、特に何かが起きるわけでもなくクーゲルシュライバー号は世界を渡った。
最低限、人間が活動できる環境を構築するまでしばらくは艦内の生活が続く事になるが、到着は到着である。
全然実感が沸かないが、俺たちの住む世界とも地球とも違う異世界へとやって来たのだ。
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