幕間「蛙と鯨」




-井の中の蛙大海を知らず-




 井の中の蛙大海を知らず。

 知る必要があるか、知ったところで蛙が大海に泳ぎ出すかと言われれば疑問ではあるが、とにかく小さい世界で完結した見識、狭い視野しか持たない人という意味合いで使われる慣用句であり、冒険者としての私に突き付けられた言葉だ。

 あの拷問階段の下でそれを突き付けられた時、私は自惚れてはいなかっただろうか。増長してはいなかっただろうか。今にして思えば、そういった面が少なからず存在していたのは間違いない。つまりは図星であったと確信している。かつて自分を天才だと過信し自惚れていた頃と、本質的な部分は変わっていなかったのだ。

 あの男は何も嫌味や罵倒で口にしたわけではない。今はもちろん分かるし、あの当時だって少し冷静になれば分かった事である。

 そもそも、あの男は必要がなければそんな事をしない。ド変態で狂人である事は自他共に認める事実ではあるが、それ以外の部分では極めて合理的で真面目で冷酷。根本的に他人に対して好感や嫌悪などの感情が希薄な空虚さは、なるほど、救国の英雄としての人間離れした一面を覗かせているように見える。もっと言えば、人として破綻している。

 あの言葉にしても、必ずしも結果を出せるとは思っていなかったはずだ。駄目元だっただろう。私を矮小な蛙と思っていたのも確かだろう。しかし、あわよくば程度でもそれが良い結果に結び付くかもしれないと、極めて客観的に考えた結果の行動なのだ。

 なにせ、あの男は他人からどう思われているかを重要視しない。中傷や侮蔑の視線はむしろご褒美になってしまう。デメリットが皆無なのだから、必要なら挑発くらいするだろう。

 それを理解した上で挑発に乗った。見返してやろうと意地を張った。結果、珍しく驚かせる事はできたようだが、ド変態の掌で踊らされるのが不愉快であったのも事実だ。

 かくして、大海を知る蛙は井を出て海を目指すのではなく、内側から壊すために鯨になる事を決意したのである。

 決意したところで、そんな奇天烈なメタモルフォーゼを実現する方法は知らないのだが。




「わーー! すっごいねー。でっかいねー」


 ガラスに張り付くようにして、専用の水槽の奥を回遊する鯨の巨体に感嘆する妹。

 私たちの間には何重にも防護壁があって、距離としてはかなり離れているのだが、それでもその巨体は圧巻の一言だ。

 巨大モンスターと対峙した時とはまた違う雄大で神秘的な存在感は、発見・保護された地域では長きに渡って崇められていたという事実も頷かせる。正直、摩那のお守りとしての名目を忘れて見入っていたほどだ。

 当たり前だが、井戸には入りそうもない。いつもの比喩ではあるが、これだけ大きければ内側から粉砕できるだろう。うむ。


 迷宮都市中央水族館。

 その名前は中央区画にあるという意味ではなく、水族館としての一番・中心を意味する。他の水族館もそれなりに立派なものではあるが、一番というだけあってその規模は隔絶している。観光区画という場所柄他の施設に観光客を奪われがちだが、超巨大規模の水槽や先鋭的なショー、飼育するのに環境整備が困難な水棲生物など、ここでしか見る事のできないものが多い。チケットの値段、海洋生物の研究機関が併設されている事もあって軽く訪れるにはハードルは高いが、機会があれば足を向けてみたいと思っていた。

 今日は雑誌の取材のおまけでもらったチケットを使い、末の妹と二人でここを訪れている。ようするに子守だ。一緒に来る予定だった二番目の弟は、薄情にもデートの予定が入ってしまったらしくドタキャンである。

 私があのド変態から変な影響を受けていないか確認する意味でも、あとで何かしら理由を付けて折檻する必要があるだろう。……鞭打ちはさすがにアレなのでケツバットくらいで妥協してあげよう。


「お姉ちゃんが戦ってるモンスターさんとどっちが大きいの?」

「このサイズはなかなかいないかな」


 まったくいないというほどではないだろうが、私たちが到達している層までだとお目にかかれないサイズだ。

 同じ水棲生物であるサーペント・ドラゴンと比較してもかなりの体格差がある。あまりに大き過ぎて把握し辛いが、近いのはガルドさんの騎獣であるグロスグロンだろうか。正確に言えば全然違うのだろうが、どちらも全体像を把握し辛いという意味では同じだ。


「なんでこんなにおっきいんだろうねー」

「直接聞いてみれば?」

「鯨さんと話せるの?」

「直接は無理みたいだけど、この機械に録音すれば伝わるみたい」

「おー。やってみたい!」


 この水族館は一部の水槽だけだが、内部の魚や動物と交信できるようになっている。

 とはいえ、大多数は人間の言葉が分からないので多少反応を返す程度、言葉を使って返答してくれるのは極一部だ。この巨大鯨は後者らしく、よほど機嫌が悪くなければ返答してくれるらしい。

 水槽の前には会話用と思われる機器とその簡易マニュアルが設置されている。一応キーボードもあるが、音声入力で問題なさそうだ。ただ、どちらにしてもあまり長い会話文は入力できない。

 簡単な仕組みではあるが、小さい妹には難しいだろうと代わりに操作をする。簡単な手順を行い、録音待機状態となった備え付けのマイクに向けて摩那が声を入力し始めた。


「鯨さん、鯨さん、なんでそんなおっきいの?」


 声が文字に変換されて、画面に表示された。この時点で相手に伝わっているわけではなく、発信ボタンを押すと水槽中で回遊中の鯨に伝わるらしい。返答も音声ではなく画面に表示されるそうだ。そして数秒ほど待って返って来たのは、実に簡素な回答だった。


『知らんがな』

「えーーーーっ!?」


 妹が不満の声を上げるが、確かに鯨が何故大きいのかなんて鯨自身が知るはずもない。普通に生活しているだけで大きくなるし、彼らにとってはそれが当たり前なのだ。

 しかし、鯨の側はどういった仕組みで入力しているのだろうか。パッと見、特別何かしているようには見えないのだが。


「あなたは外に出たいとは思わないんですか?」

『いや、特には。この水槽広いし、不自由ないし』


 ついでに私も質問してみるが、やはりそっけない態度だ。迷宮都市には愛想を振りまく動物が多いが、彼はそういうタイプではないのだろう。


「外には未知の世界が待ってるかもしれませんよ」

『勝手に出て勝手に戻ってこれるから、未知もクソもないんだけど』

「あ、はい」


 どうやら彼は大海を知る鯨だったらしい。想定外だった。


『でも、旦那探す時は面倒でも外に出なくちゃ』


 しかも彼ですらなかった。




 と、些か噛み合わない交流もあったが、妹は全力で楽しんでいたようである。


「私、水族館の飼育員さんになる」


 などと、幼児にありがちな将来の職業候補になるくらいだ。今日見た中では、例の鯨とオオサンショウウオがお気に入りらしい。その趣味は変わっているが分からなくもないあたり、やはり私たちは姉妹なのだろう。

 子守ではあるが、実のところ私も楽しかった。普段足を運ぶ事はないが、水族館に抱いていた地味なイメージが払拭された気分である。


「この前言ってたのパティシエだっけ?」

「ケーキ屋さん! 余ったケーキもらえるんだって」


 それは、ウチの近くのケーキ屋の話だろう。これといって特徴のない店だが、住宅地に近いのでそこそこ需要がある。


「あと、幼稚園の先生!」


 摩那は感受性豊かなのか、見知ったものにすぐなりたいという。

 だが、その中に迷宮都市の花形である冒険者はない。それだけではなく、競争が激しそうなものはすべて除外されているようだ。

 長女の私が冒険者という事もあって、他の弟妹はそれなりに興味を示すのだが、摩那だけは一切その気がないらしい。どちらかと言えば嫌っている様子も感じられる。

 まだまだ幼児であるから今後心変わりする事もあるのだろうが、能天気で争い事が嫌いな末の妹が冒険者になるという未来はちょっと想像できなかった。

 私がそうだからって強要するつもりはないし、する意味もないが、私の時よりも冒険者に憧れを抱かない世代なのかもしれない。それはある意味、成熟した迷宮都市の新世代の姿と言えるだろう。二十歳前なのに、少し年をとってしまった気がする。




-井の中の蛙身のほどを知らず-




 非常に今更ながらの話ではあるが、迷宮都市は歪な街だ。

 外から来た冒険者が言うには、時間が経つにつれて急激に常識が上書きされていく恐怖を感じるらしい。

 一部冒険者を呼び込む以外、外部との交流を遮断しても内部ですべてが賄える生産力。周辺地域に向けた極端な隠蔽・偽装工作。正式な領軍こそ存在していないものの、迷宮都市以外のすべてを相手にしても問題なく勝利するであろう戦力すら保有している。やらないだけで、世界征服しようと思えば簡単にできてしまうのだろう。本来、国や街といった統治機構はこのような形をとらないし、とれない。当たり前である。

 では、私のように迷宮都市で生まれた者にとってはどうかと問いかければ、大方は歪なのは認識しているという答えが返って来るだろう。生まれてから変わらずそこにある常識ではあるが、それが世界の基準とは認識していないのも常識だ。

 それがおかしな形であるというのは義務教育の範囲で習う事であるし、少し考えるだけでも理解できる。

 学校の授業で王都の映像を見せられた時は、あまりの違いに愕然とするのも通過点だ。比べれば一目瞭然で、観光に行きたいとさえ思えない文明差が存在する。加えて言うなら、それでさえある程度フィルターにかけられた情報であり、実際の体験談は聞けば更にひどい現実を知る事になるだろう。……主にウチのクランマスター(予定)の体験談の事であるが。

 迷宮都市出身者にとっては、陸地で繋がった王都でさえ異世界。それこそ、今回交流を始めるという龍の世界と同様というわけである。


 迷宮都市が歪な構造なのは、主に都市基盤の構造に原因がある。

 つまりは冒険者や無限回廊をはじめとしたダンジョン群こそがこの街の中核であり、歪さの原因だ。ダンジョンマスターや四神を中心とする運営機構も、結局のところ根幹部分のそれらに合わせて最適化した結果に過ぎない。

 その中に住む迷宮都市の大半の住人はダンジョン攻略をサポートする存在であり、冒険者予備軍だ。一般的な業種に就いていても、何かしら冒険者に関わっていたりする。強制される事はないが、一定以上の年齢になれば適性試験を受け、結果によっては冒険者になる事を勧められる。住人も適性があるなら冒険者として活躍したいという程度には願望も根付いている。

 冒険者学校はその人材育成の中心である。学問としての最高学府ではない。資格取得補助の制度はあっても、学位がもらえるわけではない。卒業したからといって冒険者として成功する事が約束されるわけでもない。しかし、間違いなく迷宮都市の中心を担うエリート育成のための機関なのだ。

 それがダンジョンマスターが想定した本来の目的に沿えているかどうかについては、未だ回答が出ていない。




「高校に進学する時に一応進路として検討はしたんだけど、ハードル高過ぎるんだよな。子供の頃漠然と感じてた姉ちゃんすげえっていうイメージがだんだん明確になっていく感じ? 俺のクラスで挑戦した奴もいたけど尽くが惨敗したし、入試の体力測定の内容見る限り要求の半分も満たせそうにないんだよなぁ」


 最近実家に戻った際、高校に進んだ弟の摩央との会話でそんな話題が上がった。末の妹とは違い、一応候補に入れはしたらしい。

 実際のところ、入試で一番キツイのは学力テストでも体力テストでもなく第二次試験の実地サバイバルなのだが、そこまで辿り着ける者がそもそも少ないので有名ではないのだろう。

 それを加味しても、冒険者学校への入学はハードルが高い。付属の幼年学校からの繰り上がりや一芸特化、あるいは推薦持ちなら免除される項目もあるが、最終的なハードルに大差はない。弟のように高校受験の代わりとして考える者も多いが、本来は大学卒業後に改めて入学するのが通常のルートと言われるほどである。


「姉ちゃんはそんな連中の中でもトップクラスだったわけだろ? なんで< アーク・セイバー >クビになったのかは良く分からないけど、デビューしてからも活躍してるし」


 身内なのにひどい誤解である。


「いやいや、クビになったわけじゃないし。そもそも< アーク・セイバー >はまだ辞めてない」

「そうなんだ。でも活躍はしてるだろ? ほら、この雑誌にも出てるし、TVでも名前聞くし」

「そうね」


 < アーク・セイバー >では冒険者育成の妨げになる要素が大きいと下級・中級冒険者への取材をほぼ遮断されていたが、外部で活動する場合にはそんなルールは存在しない。加えて、ウチのような話題性の多いクランに取材が集中する事は当然ともいえる。そして、私がその対応をする事が多いのも確かなのだ。あとマネージャー。

 他にできそうな人もいるが表に出たがらない人も多いし、出たがりだけど社会的に劇物扱いの某S氏もいる。一見して……いや深く知っても絡み辛い人が多いから、無難な私に話を振りやすいという理由もあるだろう。迷宮都市出身だから、という理由もあるかもしれない。

 知名度が上がったおかげか、開発した健康飲料の売上まで上がっているほどだ。私由来の成分など入っていないのに『摩耶汁』なんて商品名になってしまったが、小売業者に言わせれば分かり易くていいらしい。

 ……あの粉末飲料の事は別にしても、私自身の知名度は< アーク・セイバー >メインだった頃よりも上がっているといっていいだろう。


「ただ、ウチのド変態に言わせると、私は冒険者の才能がないそうだけど」


 しかし、肝心の冒険者業に関してはどうだろうと思わざるを得ない。

 他の冒険者や同期と比べて相対的に活躍はしているだろうが、それはあくまで現時点での話。自分が一流だとは思えないし、一流になれるかどうかも試行錯誤中なのである。

 弟のように外側から見ていると、本物とそれ以外の差は見え難いものだ。なんせ、当事者たちだって気付き難い問題なのだから。


「姉ちゃんで才能ないなら、他の冒険者どうすんだって話だよな。いや、姉ちゃんのところにいろんな意味でものすごいのが集まってるのは知ってるけどさ」


 あのド変態が言っているのは迷宮都市の住人が一般的に抱いている冒険者像とはかけ離れているから、そこで卑下するつもりはない。

 ただ、私たちの上にいる人たち……特に第一線に君臨し続けている人たちがその才能を持っているのは確かなのだ。そこにある差は才ある冒険者であればいずれ直面した壁で、私は早めにその洗礼を受けただけともいえる。

 あの時、置き去りにされた私は拷問階段を井戸を脱出するための経路のように考えていた。井戸の内に階段があるはずもないのだけど、言葉を突き付けられて階段の下で蹲る私と上へと続く螺旋階段という円形の舞台がそう感じさせていたのだろう。ついでに言えば続く[ 尖塔の間 ]も同様で、ひたすら上へと上る事を要求される。そうしてその先で待ち構えていたのがド変態の偽物だ。ロッテさんはただの偶然だというが、出来過ぎなシチュエーションである。

 そうして、あの試練を通じて理解したのは自分の限界。少しは乗り越えたような気もするけど、井戸の出口は見た目よりも遥か彼方にあって、未だ矮小な蛙の身ではただ見上げるばかりだ。

 限界は知った。では次にやる事はその限界に妥協するか、それとも無理やり殻を破る事か。

 妥協してしまえば楽だ。殻に護られた才能はその中でだけなら遺憾なく発揮できるのだから。

 一方、殻を破る事はリスクを伴う。外にある未知に対して中身が耐えられる保証はなく、飛び立てる保証もない。最悪の場合は才能を食い潰して自滅する可能性だってあるだろう。

 私は殻を破る事を選択した。その選択に正解はなく、あるのはただ自身の責任のみである。……残念ながら結果はまだ分からない。


「まあ、姉ちゃんばっかり負担かけるわけにいかないからさ、俺もさっさと稼げるようになるよ。……下もまだまだ多いし」

「あんたはそのまま大学まで卒業しなさい。お金の事なら……正直、< アーク・セイバー >にいた頃より稼げてるし、これからも倍増する見込みだから」


 なんなら、出向の立場故に二重取りになっている部分もある。さすがに丸々もらえているわけではないけど。


 迷宮都市の福祉は充実しているが、住民の生活すべてを保護してくれるものではない。

 特に高等教育については本当に必要な者だけが学ぶものというスタンスで、ぶっちゃけ学費は高い。奨学金制度はあれど、誰もが利用できるわけではない。私の場合は選択するまでもなく夢と才能と実利が噛み合ったが、それは稀な例なのだ。

 可能ならば下の弟妹の選択肢を広げてあげたいというのは姉心だろう。少なくとも、お金がないから進学できないという事態は避けたい。


「冒険者以外からすると、すでに高額所得者の域なんだけどな。……すげえな」


 否定はしないが、私の場合は環境に恵まれているところが大きい。

 主要な装備はともかく、< 斥候 >の費用負担が大きい消耗品もすべて経費扱い、ラディーネ先生の試験という名目で信頼性はともかく最新以上のアイテムも使える上に、< アーク・セイバー >と比べるほどではないが実はスポンサーだって多い。

 鍛えるための実戦だって機会は豊富……というか、多分過去の迷宮都市でも例を見ないほどに過酷だ。ついでに言うなら私の他に斥候役をできる人がいないので自然とダンジョン・アタックの機会も多くなる。将来的に代役に成りそうなサンゴロさんもデビューしたばかりで、私の立ち位置はしばらく変わりそうにない。

 そうすれば当然、収入だって多くなる。下の弟妹たちの学費に悩む事はなさそうだ。




-獄中のカンガルー刑期が明け再起する-




「全然関係ない話だけど、前に姉ちゃんが在庫処分市で買って来たTシャツのカンガルーが再起するんだってさ」

「あー、あの」


 本当にまったく関係がない。アレは以前渡辺さんが着ていたのがたまたま目に入ったから、弟に買ってきただけだ。なにせ百円だったし。

 弟の雑誌を覗けば、『刑務所から蘇る薬物製の王者ダーティボナード二世』と書いてある。

 というか、これはなんの雑誌なんだろうか。お前は何を読んでいるんだ。




-深海に潜むリヴァイアサン浅海の魚を蔑む-




 幼い頃、自分は天才だと自惚れていた。

 当時の私の中で、『天才』とは飛び抜けて才能がある優秀な人程度の認識しかなかった。クラスで成績がいい者、足が速い者、歌が上手い者と、各分野でとびきり優秀な結果を残している者がそうなのだと思っていた。だから、自分もそうなのだと勘違いしてしまったのだ。

 何事にも理解は早く、記憶力もいい。運動神経も人並み外れて良く、比較になるような対象が周りにいなかった。

 それは冒険者学校に入学しても同様で、いつの間にか《 スピード・スター 》なんて称号スキルを得て、周りからも囃し立てられたりもした。今思うとその二つ名は恥ずかしいし、当時だって恥ずかしかったと思う。というか、やっぱり恥ずかしい。なんだこの称号スキル。

 有り体にいって、図に乗っていた。なんでもできると過信していた。

 学生の身分だから本職の冒険者に及ぶはずがないのは当然としても、デビューしてしまえば成功が約束されていると、当時英雄の如き活躍をしていたグロウェンティナ夫妻と同じ場所へ無条件で行けると思っていたのだ。

 当時の制服と同様、不意に思い出して身悶えする黒歴史というやつである。


 それらの過信は、いわゆる本物に触れる事で簡単に霧散した。

 スカウトされてから受けた< アーク・セイバー >の戦闘試験で剣刃さんに瞬殺されたのは……まあいいだろう。勝てないのは以前からであったし、あの人や他のクランマスターはステージの違う人たちだ。冒険者になっていない者が抗えなくても仕方ないと思える。

 問題はもっと身近なところにあった。

 冒険者資格を得てもデビューせずに研究を続ける少年に敗北した。

 最年少でトライアル攻略したにも拘らず燻り続け、自ら歩み出そうとしない少女には一蹴された。

 相手は同じ冒険者学校の生徒であり、遥か年下だ。相手にその気はなくとも、安っぽいプライドを粉砕するには十分だった。

 更には、自分より遥かに年下の二人にとって、私は路傍の石と同様の存在だったらしい。

 無礼というわけではない。学校での先輩だからと居丈高に振る舞っていたわけでもない。やや偏りはあっても対人コミュニケーションは普通の範疇だ。しかし、冒険者としては見下されていたのだろう。大多数の冒険者がそうであるように、私も凡百のカテゴリに含まれていたというわけだ。

 今となってはなるほど、とも思う。何せ当時の私は本当に井の中の蛙で、更にはそれに気付かないほどに愚鈍だったのだから。外を見ず、枠内だけを見てなんでもできると自惚れていた。


 卒業し、当初の予定通り< アーク・セイバー >へと入団する。同期の入団者はほとんどが冒険者学校と同じ顔ぶれだ。優秀な成績を維持し続け、更には卒業前から冒険者としての実力も認められてる者たちである。

 その中で、駆け出しの冒険者としては優秀な実績を積み重ねた。下級ランク冒険者はとにかく基礎的な力を蓄える時期であるという< アーク・セイバー >の方針で目立ちこそしないが、その分成長の実感はあった。それは十分以上に順風満帆と言える。

 しかし、少しずつ自分の天井が見えて来たのも確かだった。このまま続ければ一流にはなれるだろうが、目指していた超一流には届かないと。


『お前はアレだな。分っかりやすいエリート様だな。それじゃ、今の俺たちに追いつくのが関の山だぞ』


 その頃になれば、剣刃さんの言わんとする事は理解できていた。

 結局のところ、私はとても優秀な新人冒険者でしかない。自惚れのように聞こえるだろうが、それ以上ではなかった。

 鍛えれば現在のトップに追いつける。その評価は一流の才能があると認められた事を意味するが、同時にそれを超える天才ではないという意味でもあるのだ。

 脳裏に浮かぶのは年下の先輩二人や、かつて憧れたトップ冒険者。彼らだけでなく今一線を走り続ける者たちにしても、教科書通りの事しかできない私とは異なる存在だ。前人未到の荒野を行く者と舗装された道を歩く者では比較になるはずもない。歩き易い道が用意されているのだから、移動が早いのは当たり前だというのに。

 しかし、そこにある差を越える方法は分からなかった。前例によってマニュアル化された最適解だけを学ぶ者には、何をどうすればいいのか見当もつかないのだ。

 だから、その機会が向こうからやって来たのは僥倖といえるだろう。


『そんなわけで、クランマスター様の権限でお前に出向を命じる。ちょっと外で遊んでこい』

『は?』


 予想だにしていなかった展開だった。

 < アーク・セイバー >でも別クランへの出向はあるが、それは中級以上の事だ。私のような下級ランクでは前例がない。つまり特例である。

 話自体は興味深いものだったので素直に受諾したが、話を振られた時点で断る事はできなかっただろう。あとになって調べてみれば、すでにクラン内の各方面へ根回しが済んでいた上に、私が所属しているパーティも再編済みだったのだ。結果としては良かったのかもしれないが、強引にもほどがある。


 ……そうして、激動の日々が始まる。正直な話、半年前の私に今の私を見せたらあまりの違いに理解が及ばないだろう。

 驚くとか失望するとかではなく、単純に理解できない。あまりに違い過ぎて、どうしてその思考に至ったのかの筋道が見当もつかないはずだ。

 現在の私自身、どう変化したのか把握し切れているとは言い難い。少しずつ……では決してないが、私の価値観を揺さぶる出来事に繰り返し触れた事で、いつの間にかこうなってしまっていたというのが本音だ。それほどに、これまで体験したターニングポイントはどれも鮮烈で苛烈なものだった。壮絶と言ってもいい。

 そして、おそらくこれから先もそれ以上に激しい体験が待っている。私が選択した道はそういったものだと理解している。

 ……なんせ直近の問題が世界崩壊である。飲み込まなければ死ぬのだから、理解するより他はない。




-通りすがりの渡辺綱井戸を壊す-




 我々のリーダーであるところの渡辺綱という人物は、なかなかに評価の難しい人物である。

 一見すると平凡な少年に見える。体格も身長も平均以上ではあるが、冒険者には珍しくもない。

 強烈なリーダーシップで周りを引っ張っていくタイプではない。

 これまでの激戦を潜り抜けて来た事で誤解しそうだが、戦士としての力量はそれほど飛び抜けたものではなく、技量的にはせいぜい上の下といったところだろう。

 面白い性格だとは思うが、アクの強さだけなら周りにいる面々のほうが遥かに強烈だ。

 変わってはいるが、通常評価される部分だけなら平々凡々の域を出ない。

 良く掲示板で言われている『実際に相対してみれば分かる』という言葉は比喩でもなんでもなく、とにかく外側からだけ見ると評価し辛い人物である。直接の面識がない者が書類上だけで見れば、なぜあんな経歴を作り上げられたか理解できず困惑するだろう。


 しかし、渡辺さん以外に今後立ち上げるクランの代表を務められるかと聞かれれば否と断言できる。

 パーティ単位で切り分ければまとまるかもしれないが、全体を率いるのには無理があるだろう。

 どんな危機的状況でもなんとかしてみせるという信頼感。実際にどうにかしてきたという実績は、クランマスターとして得難き才能だ。

 深く事情を知ればそれがギフトの影響によるものが大きいと知るが、それだけとも思えない。私だけでなく、おそらく全員がそう感じている。

 ギフトやスキルよりもさらに奥、もっと本質的な部分で渡辺綱はそういう存在なのではないかと思うのだ。


 良く考えたら年下なのだが、まったくそんな印象がない。むしろ年上のティリアさんのほうが妹のように見えてしまう。




[ クーゲルシュライバー船室 ]


「それにしたって今の状況は異常です。渡辺さんにばっかり負担かかり過ぎだとは思いませんか?」

「……なるほど。それで私に相談しに来たと」


 サージェスさんが神妙な顔をして頷く。

 顔は真面目そのものだが、全裸だ。いきなり押しかけた私が悪いのかもしれないが、会話に入って尚服を着ようしないのはもっと悪いだろう。

 今はいないが、ベレンヴァールさんと同室なのにいいのだろうか。異世界の勇者とやらはルームメイトが全裸でも気にしないのか。

 まあ、今更なので指摘する気もないのだが。……むしろ指摘すると喜んでしまうので、ここは放置が最適解だ。


「ユキさんは渡辺さんと一緒に行動する事も多いですから、やれる事があるなら自発的に行動するでしょう。となると、次点でまず最初期からパーティを組んでいたあなたに相談してみようと思いまして」


 以前リーゼロッテさんが私たちに下した評価の上で、ユキさんとサージェスさんは別格の扱いをされていた。

 あまり自分から近寄りたくはないのだが、渡辺さんの事を相談するには外せないだろう。


「実のところ、私もリーダーの負担は懸念していました。他にも同じように考えてる人は多いと思います。ただ、現在リーダーが抱えてる問題というのは、どうにも本人でないとどうしようもない要素が大きいので手も出しづらい」

「まあそうなんですが、だからこそ目が届かない部分があるんじゃないかと思いまして」

「……なるほど」


 ようは渡辺さんでなくとも対処できる問題は、極力こちらでなんとかしてしまおうという提案だ。

 実際、ここまで負担が集中すると目が届いてない部分は多いはずだ。そうでなくとも現状私たちには余裕があるのだから、できる事があるならそれだけでも負担を分散すべきである。

 少し前から使っている専用の掲示板はまだ生きているが、そこで触れていない部分があるのも確かなのだ。御用聞きではないが、直接話をしてみるだけでも違うはずだ。


「違和感というほどでもないですが、サージェスさんも最近随分と大人しいじゃないですか」


 以前よりも奇行が減った印象を受ける。


「そうですか? ……摩耶さんが慣れてしまっただけでは?」

「あはは、そんな馬鹿な……」


 いや、馬鹿な。よくよく考えてみたら、何故全裸の男と当たり前のように会話をしているのか。

 しかし、このド変態にとってこれは日常とも呼べる事であって……。そういえば、< 鮮血の城 >に挑戦する時にはすでにこれが当たり前になっていたような気も……。あの訓練がいけないというのか。


「とりあえず、それに関しては問題なさそうなので保留するとして……」

「いや、問題あるでしょうっ!?」


 まずい。今更ながらまずい状況だ。別に貞操の危機とかそういう問題ではない。この男相手にそんな事を気にしても無意味だが、全裸の男を前にして極当たり前に話しているというのは女としてまずいのではないだろうか。重度の精神汚染を受けている気分だ。


「うむむ……」

「……まぁ、これに関してはなんというか心当たりはあります。こうして現実に異世界へ行く事になると、遠いと思っていた目標が近付いているのが実感できるというか……浮足立っているのかもしれません」

「あなたはあまりそういった感情を抱かない人だと思っていましたが」


 変態的な行為以外。

 たとえば「明日お前を未知の方法で拷問してやる」とか予告されたら、この男が浮足立つのも理解できる。だがそれ以外……真面目な話ならどれだけ窮地だろうが冷静なのがサージェスさんだ。……いや、まさか目標とやらがそういう話なのだろうか。


「といっても龍の世界に直接関係あるわけではないですがね」


 しかし、サージェスさんの表情や声色は真面目で、そういった事を考えている時のものとは違う。いや、全裸なんだけど。


「差し支えなければ聞いてもいいですか?」

「いいですよ。自分から話すつもりはありませんが、特に隠してるわけでもないですし」


 と気にした様子もなく語られるのは、私の価値観では理解し難い目標だった。

 前世の自分が成した結果を知りたい。興味がある程度ならともかく、それを人生の目標にするとなると本人にしか理解できないだろう。

 かかる労力の割に見返りは皆無。自身が納得するくらいしか得るものがない。人生の目標などそんなものかもしれないが、冒険者全体を見ても異質な目標だろう。サージェスさんの異常性を考慮しても尚だ。

 ……あるいは、それ以外に目標となるものが存在し得なかった可能性もあるが。


「もしもですが、その結果が望ましくないものだったとしたら……」

「私としてはなんとも。求めているのは納得だけなので、結果の確認以外に望むものがありません。ただ、迷宮都市で地球の歴史について調べた限り、国家として上手く行ったという事はないでしょうね。あの男が処刑された直後に崩壊しててもおかしくありませんし」

「……そうですね。何をもって上手く行ったかという話でもありますが、国体すら維持できそうもない」


 そもそも、客観的に見ればサージェスさんが処刑される事に意味などないのだ。追い詰められた国民が犯人探しをして、それっぽい理由をつけてガス抜きをしているに過ぎないのだから。

 おそらくは、最終的に革命に関わった人物のほとんどが処刑されたのではないかという想像もできる。そして、指導者たる存在を処刑する事は自らの首を落としているのと同じ事で、体制など維持できるはずはない。地球でいうところのナポレオンのような偉人がいれば別だが、フランス革命よりも遥かに状況が悪いだろう。


「話を戻しますと、リーダーの負担を軽減するのは賛成です。平時であれば見逃さない変化、問題、違和感がないかこちらでも洗ってみましょう。その結果リーダーの負担が増える可能性もあるわけですが、見逃すよりはいい」

「はい。一手ミスがあれば致命的になりかねない状況での見逃しは避けたいので」


 何かを見逃した結果、世界崩壊してしまっては笑えない。


「他に何か具体的に気になる問題はありますか? あるなら優先して話をしてみようと思いますが」

「とりあえず気になるのはあと二点ほど。その一つはサージェスさんなんですが……調べてもちょっと分からない事がありまして。……正月に会っていたという外部の友人とは結局誰だったんでしょうか?」


 話でしか聞いていないが、サージェスさんは何故か初詣の予定をキャンセルし、迷宮都市外部から来た友人と会っていたらしい。渡辺さんたちはスルーしてしまったようだが、あの時期外部から街に入るのは相当審査が厳しいはずだ。


「ああ、風獣神パロです」

「……は?」


 あまりに意外な名前が出てきたので固まってしまった。獣神の事には詳しくはないが、それは友人と気軽に呼ぶには無理のある相手ではないだろうか。


「あれ、以前話した時摩耶さんは席を外していたんでしたっけ。実は暗黒大陸を放浪していた際に知り合いになって意気投合しまして」

「一体どういう部分であなたと意気投合するというの……」

「彼の神はドSらしく、私のマゾ研究に興味を持ったのがきっかけです。正月に来た時は配下の獣人に加護を与えるための試練の参考にすると、色々案内しました」

「あーはい」


 何故だかガウルさんがひどい目に遭うフラグのようにも感じるけれど、とりあえず今は関係なさそうだ。


「あと一つも私ですか?」

「いえ、もう一つはティリアさんですかね。例の《 再生 》について」

「ああ、確かに少し気になりますね」


 初詣の件同様、今回の件に直接関係あるとは思えない些細なものではあるが、違和感は違和感だ。


「軽く聞いた時は本人も良く分かっていない風でしたが、やはり違和感が拭えないのでもう少し探ってみようかと」

「でしたら、それは摩耶さんに任せます。ただ、もしも帝国の地理や風土で分からない事があれば役に立てるかもしれないので言って下さい。結構広範囲に渡って放浪してるので」


 どうやらサージェスさんは、帝国の辺境と呼ばれるような地域や山奥に住む少数民族にも詳しいらしい。それも実際に訪ねた経験を元にした知識だ。ティリアさんは抜けている部分があるから、その知識が役に立つかもしれない。


「私の方は男性を中心に聞き込みを始めましょう。このあとの全体訓練後にでも話してみます」

「訓練までは時間はまだありますが、そうですね」


 艦内を探すよりも、確実に集まる場で話を振るのが早いだろう。

 非常に遺憾な話ではあるが、こういった真面目モードのサージェスさんは頼りがいがある。常時この状態でもそれはそれで問題がありそうだというのがまた困った話なのだが。


「君! 待ちたまえ、そんなかっこうで」


 と思っていたら、廊下で職員に捕まった。極自然に出てきてしまったが、全裸のまま部屋から出てくれば呼び止められもする。

 警備室に連行されたサージェスさんを放置し、私はそのまま訓練場へと向かった。

 ……この毒され方はまずいかもしれない。
















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「その名を《 宣誓真言 》といいます」


 ディルク先輩が提案したという全体訓練。そこで渡辺さんに実演してみせた切り札は、私には極めて理解し難いものだった。

 訓練後に改めて私たちも見せてもらったのだが、『あ、私の一番苦手な分野だ』という感想を抱いてしまったほどだ。

 とりあえず先行して渡辺さんに見せたのも納得である。もちろん一朝一夕で身につくものではないが、偶然でも奇跡でも実現できそうなのは確かに渡辺さんだけだろう。適性がどうという話ではなく、予想外の事をしでかすという意味で。

 全体的な印象としては普段感覚重視で動いているユキさんやガウルさんがある程度の理解を見せ、ラディーネ先生を筆頭にまず頭で考える人はしきりに首を傾げていた。そういった意味ではディルク先輩だって苦手な分野だと思うのだが、その彼が使えているという事は私でも使える可能性があるという事なのかもしれない。

 ……いや、どうなんだろう。これを使いこなすには、極端なまでに常識よりも自分が正しいと思い込める強固な我が必要だ。正直、これまでの無茶難題のどれよりもハードルが高いように感じる。

 そして、どちらかといえば後者に分類されるティリアさんは一人違った反応を見せていた。


「うーん?」


 首を傾げているのは同様なのだが、それは理解できないというよりももっと別の……たとえば既知のものを思い出せないという雰囲気だ。


「どうかしましたか?」

「あ、いえ……なんでしょうね? この感覚知っているような気がして……こう、喉まで出かかっているというか」


 それが《 宣誓真言 》そのものか、それともそれに伴う常識の揺り戻しかもはっきりしない。

 とりあえず、オークに対して常識改変を行うという話でない事には安心した。


「これは僕のオリジナルというわけではないので、ひょっとしたらガルドさんが知ってたのかもしれないですね。星の精霊なら有り得そうです」

「師匠……だったかな……うーん」


 骨格としてギリギリまで首を捻って唸るティリアさん。

 本人のいないこの場で確認しようもないが、スキル欄に載らないのならそれも有り得る話ではある。弟子とはいえ、こんな意味不明なスキルを教えるような段階ではないだろうし。……だが、こんなスキルを見て忘れるだろうか?


「こんなに印象的なスキルなら忘れそうもないですけどね」

「忘れますよ。今は使った直後なので認識できていますが、改変された常識が戻る際、ある程度は《 宣誓真言 》の存在ごと霧散します。それだと認識していなければ、見た事があっても思い出せないかもしれませんね」


 見た事自体も異物であるから、元に戻そうとするという事だろうか。聞けば聞くほど面倒臭いスキルである。

 迷宮都市の認識阻害に近い印象を受けるが……あれも良く分からないシロモノだったはずだ。


 ともあれ、無駄に首を傾げたティリアさんを残して全体訓練は終了した。移動中は時間のとれる限り《 情報魔術 》の訓練をするという話なので、私としてはこちらのほうが大変だ。

 ティリアさんは部屋に戻るまでずっと首を傾げていた。




 同室なので、例の話をするのに改めて呼び出したり訪ねたりする必要はない。

 特に急ぐ事もなく、就寝準備後に話をする事になった。先ほどの件でどこか上の空な部分はあるが、ティリアさんは特に嫌がる事もなく承諾してくれた。


「私も気になるといえば気になるので、問題はありませんよ」

「助かります」


 とはいえ、これまでにも雑談レベルでは確認している話題だ。深く突っ込むのには少々情報が足りないという事もある。なので、今回はもう少し離れた部分から情報を補完していくつもりだった。


「帝国の地図を用意しましたので、ティリアさんの経歴から追っていきましょうか」

「ほ、本格的ですね」


 外部で活動していた冒険者の大まかな経歴は、各地の冒険者ギルドを通じて迷宮都市に伝わっている。

 ティリアさんの場合は一般公開こそしていないものの冒険者であれば閲覧可能な設定になっているので、本人の許可を取るまでもなく確認可能である。

 ただ、それで分かるのはあくまで拠点レベルの話で、しかも仕事として請け負った情報だけだ。冒険者の場合、交易商人の護衛などで街を移動する機会は少なく、移動方法も徒歩になる事が多いから、どうしても途中経過に抜けが出る。なのでまず埋めていくのは各冒険者ギルドに残っている拠点移籍申請と活動記録だ。それらの日付を用意した地図に記載していく。

 こうして見ると、帝国内だけではあるが、かなり転々と各地を移動しているのが分かる。


「私の田舎が辺境も辺境なので、どこを拠点にするべきなのかという基準がなかったんですよね。あと、女性冒険者は少ないので歓迎されない場所が多かったというのもあります」

「ああ……普通女性がやる仕事じゃないですよね」


 それらの事情を加味しても、かなりヘビーな移動範囲だ。ギルドの仕事も一つか二つ程度受注するだけで、長期間一つの拠点に留まる事がない。これだと、冒険者と呼ぶよりも旅人だ。


「外では日雇いなどの仕事を受けるのが当たり前と聞いているんですが、そういった仕事は受けなかったんですか?」

「冒険者業自体もそうなんですが、外部の人間、それも女というのがどうしてもネックでして……ぶっちゃけ雇ってくれるところがありませんでした」

「……それで仕事を求めて転々、というわけですか」

「私よりはマシだったようですが、リリカさんも似たような事情だったみたいですよ」


 事情は分からなくもないが世知辛い話である。


「あとは、これがオークに殺されかけた場所ですね」

「……なんでこんなに多いんですか」


 いや、理由は分かっているのだが突っ込まざるを得なかった。

 ティリアさんの指摘したポイント帝国全土……一部王国にまで分布している。

 ギルドの記録ではオークが絡んだ時だけ依頼の失敗が多い……というか壊滅的だ。それより上位のモンスターを討伐している経歴もあるのに、根付いた性癖だけでここまで悲惨な事になるとは。

 ……いや、ギルドの依頼だけじゃ数が合わない。これは、依頼関係ないところまで突撃しているな。


「オーク退治の依頼も実はゴブリンでしたーとかそういう誤報ばっかりで、偶に本物でも有無を言わさず殺しに来るんですよね。同行者がいなかったら死んでた可能性高いです。私としては、パーティが壊滅して私だけが囚われの身となってというシチュエーションが……」

「いや、オークの話はいいです。何度も聞いてるので」


[(´・ω・`)]


「なんでキメラさん用の顔文字表示板持ってるんですか……」


 非常に今更ではあるのだが、何故そんな話を聞かせたがるのか。他人の性癖というだけで敬遠しがちなのに、そんな特殊性癖を喜々として聞かされても困るのである。


「……やはり、こうして見ると空白期間が多いですね」

「移動がほとんどですしね。立ち寄っても依頼受けてない都市もありますし、依頼がない場合も結構……」


 そういった記憶に残っている範囲の情報を含めても尚空白が目立つ。ほとんどは移動期間だが、細かい部分は忘れている部分も多そうだ。

 《 再生 》を最初に確認した時期とその前に教会を利用した時期も結構な期間が空いている。加えてスキル習得順や体感的に《 再生 》が発動していたと思われる時期である程度までは絞込めるが、それでも不明瞭だ。

 たまたまというか運悪くというか、該当すると思われる時期は大都市に立ち寄らず、帝国北部の山脈地帯を転々としているのが問題だろう。


「この時期は、ここら辺一帯……山脈全体に分布しているモンスターの巣を駆除するという依頼を受けていたんです。珍しく半額先払いで依頼料自体も良かったんですが、かなり長期の拘束期間があったんですよ」


 なるほど。これほど範囲が広ければ期間が長いのも頷ける。


「半分ダンジョン化していた巣もあったので、結果的にあまり美味しい仕事ではなかったんですけどね。半分くらい山の中でサバイバルしてたので、リーダーさんほどじゃないですけど野生に還りそうな体験でした。あと、この山脈は環境的にオークはほとんどいないみたいです」


 あの人と比較できる経験があるだけでもおかしいだろう。……あと、いないオークの情報をわざわざ追加する必要はない。


「ただ、この時は別に大怪我したってわけでもないんですよね。《 再生 》を習得するなら、そういう体験をしてそうなものですが」

「適性のある人が死ぬような体験をしてようやくという感じらしいですからね」


 普通迷宮都市外でそんな目に遭っていたら、スキルを習得する前に再起不能だ。例外は渡辺さんくらいである。


「補給はどうしてたんですか?」

「この地図には載ってませんが、結構集落はあるんですよ。その集落が合同しての依頼なので、装備以外は困るほどでもありませんでした」


 どうやら、領地の地図レベルでは記載されていない集落らしい。

 今回用意したものではなく更に詳細な地図を見れば確かに集落らしき場所は散見されるが、名前がない。聞けばどこも二桁程度の住人しかいないとの事で、領地に登録はされていても名前を付けるほどの規模ではないという事だろう。


「集落の数はもっと多いですね。正確な場所はさすがに覚えてませんが、この地図に記載されている倍くらいはあったはずです」


 そこの住民には認知されていても未登録というケースはあるだろう。税金対策という可能性もある。

 あるが……なんだ、この違和感は。


「ここら辺の大きな空白地帯も結構な数の集落があったはず……というか、ここら辺に一番大きな集落があって……そこで大規模討伐を……」

「一番大きな集落が漏れているのは変でしょう。……どうしました?」


 ティリアさんが地図の一点を凝視して固まっていた。


「大規模討伐……そう……大規模なら、もっと冒険者や傭兵がいてもおかしくない……あれ……」

「こんな大きな依頼なら、ティリアさん一人ってわけじゃないですよね」


 山岳での活動、しかもこれほど広範囲だと、迷宮都市の冒険者でもカバーし切れないだろう。地元の人間がいて、活動拠点があるとしても結構な人数が必要になるはずだ。

 しかし、ティリアさんの様子がおかしい。そういう意味ではないのだろうか。


「いや……それ以上に……あ、れ……ちょっと待って下さい。摩耶さん……そもそも、この話以前にもしてませんか?」

「は? いえ、初耳のはずですが。この地図だってわざわざ売店に行って買って来たもので――



――その時、世界が歪むのを認識した。



 ……おかしい。確かに地図は買ったが、それは最初に使った大雑把な地図で、こんな詳細な地図は売店に置いていなかったはずだ。

 それを極自然に取り出した。《 アイテム・ボックス 》に入っていた? こんな用途の限定されそうな地図が?

 そもそも、何故こんな物を持っている事に疑問を持たなかった?


「……これだ。違和感の正体」


 合点がいったようにティリアさんの表情が強張る。それが《 宣誓真言 》の際に言っていた事だと気付くのに、そう時間はかからなかった。

 良く見れば、地図の端には複数の『正』の文字。おそらくそれは私が書いたもので、回数を示したものなのだ。

 ……そうだ。そもそもの話からしておかしい。

 世界崩壊まで話の規模が拡大する以前でも、あんなに怪しい《 再生 》の話題に触れないわけがない。ガルドさんが気にしていたという話もあるのだから、雑談ベースでもただ「良く分からない」の一言で済ませるはずがない。時間があったのに渡辺さんが問わないはずもない。

 前提からして違うのだ。……聞いていなかったわけではなく、"聞いた事の大部分を忘れていた"。


「まずい……」


 まずい。まずい。まずい。

 背を伝わる強烈な悪寒。あやふやだった違和感が危険信号に切り替わる。

 これを認識できたのは、おそらく《 宣誓真言 》の常識改変に一端でも触れたからだ。

 このまま放置すれば、この記憶も失う。現に今、ボロボロと零れ落ちている感覚がある。ナニカ分からないものが零れ落ちている。

 感覚的に分かる。理解できてしまう。現状どう関係するのか、そもそも関係あるのかも分からないが、こんなものが地雷でないはずがない。放置してはいけない問題だ。


「そうだ……あの時、私たちは全滅した。村の存在そのものが消えた」


 なにか打開策はないのか。忘れても取り戻せる方法はないのか。

 『正』の文字だっておそらくは苦肉の策なのだ。そんな都合の良い方法があれば試していないはずがない。


「……私が、死んだ?」


 これは《 宣誓真言 》なのか? ティリアさんを中心として今、世界が改変されたというのか?

 そんなはずはない。そんな限定的な干渉であるはずがない。これはもっと大規模で、世界の根幹から定着している。だからこそ、何も起きなかったという"正常な状態"に揺り戻しが起きているのだ。


 駄目だ。抗えない。世界が書き換わる……修正される。

 世界改変などという超常に抗う力など持ち得るはずがない。もしここで私が《 宣誓真言 》を使えたとしても抗う事は不可能だ。


「くそ……っ!!」


 残された時間で私ができたのは『正』の画数を増やす事だけだった。



 世界が変わる。世界が戻る。特大の地雷と、絶望の底を覗いたようなティリアさんの表情を残して。




-孤独な女騎士■■の■と■■しナニカを失う-



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