第20話「タイムリミット」




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 遥か彼方まで延々と続く白い空間に建ち、あるいは浮かぶ無数の扉。ここが《 魂の門 》内という事から考えて扉なのだろうが、そのほとんどは物理的に干渉して開かないんじゃないだろうかというくらい、扉としての意味を成さない歪な形をしている。そもそも扉の反対側に何があるわけでもなく、あるのはただ扉だけだ。

 そんな扉の一つにエリカ・エーデンフェルデは腰を下ろし、俺を待ち構えていた。


『戦闘は……ないとは言えない。上手く表現するのは難しいけど、この術は魂に干渉して研磨するためのものだから。そのための世界が待ってるはず』


 《 魂の門 》は魔術士としての素養を研磨する術だとリリカは言った。つまり、中で待っているのは本来魂を研鑽する類のものなのだろう。

 構図だけ見れば、こいつも俺の魂が創り出した試練。RPG中盤のボスに見えなくもないが、まあ……本物なんだろう。あれだけ伏線張っておいて、本人が干渉してこないのはちょっと考え難い。そして、エリカがここで敵対行動をとってくるようには見えない。戦闘行為には発展しないと確信している。


「待ちくたびれたって、どれくらい待ってたんだ?」

「体感時間にしておよそ五分ほど」


 エリカは手を開き、こちらに向かって突き出した。

 それ、《 魂の門 》が発動してからの時間とほぼ同じなんだけど。それくらい我慢しろや。


「つまり、お前は俺たちに合わせてここに来たと」

「はい。正確に言えば少し違いますが、干渉するために割り込みをかけました」

「割り込みね」


 無数の扉が乱立するこの世界は如何にも心象風景といった感じだが、本来待ち受けているものとは違うのだろうか。

 秩序立っているのに混沌としていて、扉の形は歪。果てがあるかどうかも分からない、ただ白い空間。俺が今立っている床だって本当に存在しているのかも怪しいもんだ。エリカという異物があるからマシに感じるのかもしれないが、ここは立っているだけでも精神を摩耗する空間だろう。


「ここは渡辺綱の魂へ至る第一の門、その手前です。とはいえ、元になった世界をそのまま流用しているので、これがあなたの心象風景の一部である事に違いはありません」

「リリカが言うには奥に門があって、それを潜れれば魔術士として一人前だって話だったんだが……どれがその門よ」


 たくさんあり過ぎて分からない。そもそも、これらは開く事ができる門なのだろうか。物理的に開かなそうな扉ばっかりだぞ。


「さあ。そこは私の世界ではないのでなんとも。まあ、本来の門については本人なら知覚できるので、自分の感覚に頼るべきかと」


 待ち受けてはいたが、この世界について知っているわけでもないと。あくまでここは俺の心象風景。次の段階に至る門は、俺だけがそうだと分かるものって事か。……これは門の形をしているかも分からんな。案外、化け物の口が入り口になってたりして。


「そもそも、《 魂の門 》で待ち受けるのは孤独な試練で、挑むのはただ一人。内部に他人が入る事はできません。私にしても、ここが第一門の手前だから干渉できるというだけで、奥までついて行く事はできません」

「そこまで面倒な真似をして、超すごい魔法使いさんは俺に何をさせたいんだ?」

「忠告、警告、予言、情報交換、呼び方はなんでもいいですが、ようするにお話です」


 話をするためだけに、わざわざこの場を用意したっていうのか?


「興味を惹くために色々無茶な事をやったという自覚はありますが、私はあなたのいる世界に深く干渉できません。以前のような無理やりな方法でも数分程度しか接続できないし、それすら条件が厳しい。だから、あなたとちゃんとした話をするにはこうして特殊な方法をとらざるを得なかった」


 まあ、なんとなくは理解していた。罠に嵌めるには指示が直接的過ぎるし、敵対する意思も感じない。エリカからは、もっと友好的な……空龍が俺たちに向ける好奇心に近いものを感じている。


「そんで、結局のところお前はなんなんだ」

「エリカです。エリカ・エーデンフェルデ。超すごい"魔法使い"ですよ」


 自己紹介されたのだから、それは分かる。それがお約束の口上のようなもので、俺が聞きたい事を理解しているという事も。


「お前の存在は、平行世界の住人としても不自然過ぎる。色々調べたが、お前のような存在がいるのはおかしい」

「一応聞きますが、何故そう思います?」

「リリカに良く似た顔、魔法使い、謎の空間干渉、魂の門の存在を知っている、ディルク自身も知らないフルネーム、宇宙人、平行世界人、定義しか存在しないSランク冒険者、挙句の果てにこんな場所にまで現れるときた。どれか一つ、いや、二つ三つでもいいがそれだけなら分からないでもない。だが、やり過ぎだ。不自然を演出し過ぎて意味が分からない。そして、ここにきて未だに目的は不明だ」


 過去に二度、今回を入れれば計三度の邂逅でした事といえば、自己紹介と《 魂の門 》を発動させる指示くらいだ。細かい指示や情報交換はあったものの、目的や意図はさっぱり分からない。自己紹介の内容だって意味不明なままである。


「お前は味方なのか、敵なのか、それともただ俺を利用するために誘導したいのか、それすらはっきりしない」

「はっきり言ってしまうと、完全に味方です。敵対の意思なんてこれっぽっちもありません」


 そうなんだろうな、とは思ってた。なんせ、ここまでずっと怪しい行動ばかりとっていたのに、まったく危機感を覚えない。何故か無条件で信用してもいいと、俺の中の何かが主張している。


「目的も私自身の情報も隠す気はないんですけど、何を話せばいいのか迷ってる状態なんですよね。すべてを開示するのはまずい。だけど、何も開示しないのは多分もっとまずい」

「何言ってるんだ」


 まるで秘匿すべき事柄は別にあって、エリカの存在自体には重要性はないとでも言わんばかりだ。


「たとえば、さきほど言ったいくつかのキーワード。リリカ・エーデンフェルデに似ている。それはそうです。血縁ですから。彼女の娘ですよ、私。背は似なかったみたいですけど」

「な……に?」


 娘……? 娘って言ったのか。いきなりの爆弾発言なんだけど。

 それ、そんなあっさりバラしていい情報なの? 物語の終盤とかで実は……って明かされる類のものじゃなかろうか。


「もちろん、この世界のリリカ・エーデンフェルデの娘じゃありません。平行世界の可能性の一つとして生まれた存在です。まあ多分、この世界では生まれないでしょう」

「あいつ、まだ十七歳だぞ。平行世界のどこかでは、お前みたいなドでかい娘がいる可能性があるってのか」


 いくら貴族の婚期が早いとはいえ、限度があるだろ。


「女の子にドでかいって失礼ですね。そんなでもないと思うんだけどな……」

「いや、あいつが小さ過ぎるだけで標準的だな、うん」


 なんでスネるねん。


「私が大……成長している理由も簡単です。私は平行世界の未来から来たんですよ」


 とんでも具合が加速してきたぞ。もはや意味が分からないレベルだ。というか、これだけ簡単に明かすという事は、ここまでの話すら重要じゃないのか。


「じゃあ、宇宙人は?」

「月生まれなんですよ。元の世界でこの星に降りた事はありません。……ああ、渡辺綱の前世と同様、この星にも衛星があるんです」

「それは知ってる。年末に行って来たばっかりだ」

「……そうなんですか?」


 月……なら宇宙人って呼べなくもないのか? 一応大気圏外だ。種は同じだが、言い張れば宇宙人だろう。


「《 魂の門 》について知っているのはリリカ・エーデンフェルデの娘だからです。正式に継承しました。これ、私の世界でも解明されていない魔法なんですよ。だから魔法使い。超すごいでしょ?」

「……ああ、すごいな」


 というか、他がすご過ぎて霞むレベルである。


「この《 魂の門 》ってのはなんなんだ。リリカからは、魔術の素養を研磨する術式と聞いてるが」

「第三の門まで開いていない者はそう感じるかもしれませんが、結果として魔術素養の研鑽になっているだけで、それは本来の使い方ではありません。渡辺綱もそう思ってるんじゃないですか?」

「……そんな気はしてた」

「《 魂の門 》は世界の門。あらゆる可能性を繋ぐ境界門。おそらくは無限回廊と似たようなコンセプトで開発された、起源不明の術式です」

「無限回廊と……?」

「詳細は使ってる本人にも分かりませんので、聞かれても答えられる部分は少ないですけどね」


 意外な回答だった。魔術研鑽に使う修行用の装置……ではない事は分かっていたが、それはあまりにも印象として遠い気がする。


「最初に言ったように、この程度の情報、特に私の個人情報なんて隠す理由は存在しません。だからいくらでも答えられます。プライベートな意味で黙秘する事はあるかもしれませんけどね」

「ならなんで情報を小出しにした。なぜ、ここに俺を呼び込んだ」

「ここに来てもらったのは、私が無制限に干渉できるのがここしかなかったから。さっきも言いましたけど、現実世界だとどうしても時間制限があるんですよね。その点、ここならほぼ無制限で干渉できます。無限回廊と同じで、時間もほとんど経ちませんし」


 ……ここ、時間経たない系の空間だったのか。ほとんどっていうからには少しは経過してるんだろうが、それは無限回廊だって同じだ。確かにここまでの話だって、深く聞こうとしたら数分なんて簡単に超過する。そして、エリカには数分程度では到底伝えきれない内容の話があると。いちいち脱線していたら追いつかないほどに。


「ここなら時間気にしなくていいっていうなら、聞いておきたい事がある。いや、大した事じゃないんだが……」

「どうぞ、どうぞ。情報開示するかどうかについては別ですけど」

「どうでもいい事かもしれないが、なんでリリカの事フルネームで呼ぶんだ? 母親なんだろ?」

「…………」


 エリカの動きが止まった。意外な質問だったのかもしれない。それか、あまりにどうでも良くて逆にオーバーフローしたとか。


「ああ……と、ちょっと想定外でした。えーとですね、なんというか……実際に会った事ないんですよ。だから、あまり母親っていう印象がなくて……《 魂の門 》を継承したのも眼を使ってですし」


 良く分からないが、リリカの使っている義眼にそういう機能があるのだろうか。


「……なんか触れちゃいけない部分だったみたいだな」


 会った事ない相手を母と呼ぶのは恥ずかしいのかもしれない。分からないでもないが、それならそれで会ってみようとは思わないんだろうか。……確実にリリカはフリーズするけど。


「いや、そんな事は……。あまりに関係ない事だからびっくりしただけです。……さ、さて、指摘された残りの不自然な点はディルクさんのフルネームとSランクについてですか」

「あ、ああ」


 露骨に話を戻したが、俺の質問タイムじゃなかったのかよ。というか、ディルクは"さん"なんだな。


「まずSランクですが、これは単純に無限回廊第一〇〇層を攻略したからです。他にも同様の称号を持っている人はいます」

「まあ、ここまでの話ならそうなんだろうな。元々予定されてたものらしいし、未来での話なら別段おかしくもない。つまり、そっちの世界では< アーク・セイバー >や< 流星騎士団 >だってSランクって事なんだろ」

「……あー、と……すいません。どう答えたものか……その二つのクランはSランクに到達してませんね」

「…………は?」


 いや、おかしいだろ。その言い方なら知っていないって事はないはずだ。なのに、第一〇〇層攻略してないってどういう事なのか。今王手掛けてるような状態なのに? 平行世界故の違いがあるにしても、ちょっと不自然じゃないか。


「ま、まあ、その詳細は置いておいて」

「置かれるのかよ」


 言いづらい事なのか? それとも情報開示の判断が難しいって事か? だが、それ自体に機密性があるってわけでもないっぽいが。


「次に、ディルクさんのフルネームですが、これは無限回廊システムに開発スタッフ名として残ってました」

「……ああ、まあそういう事もあるのか?」


 開発スタッフがソースコードに名前を残すのは珍しい話じゃない。プログラムと同様に扱っていいものかは知らん。


「はい。無限回廊のマイナス層……いわゆる管理者用の空間に存在している情報の一つです。かなり奥深い部分にあるんで、この世界で知っている人はいないのかもしれません。本人が知らないのは驚きでしたが」


 なるほど、知らずに相手のフルネームで呼んだって事ね。ディルクの反応見て、なんか慌ててたみたいだしな。


「それで、とりあえず終わりですか?」

「あと一つ。お前がディルクに聞いた、管理者が死亡した場合の話はなんだったんだ」

「あれは……興味本位ですかね? これから話す内容にも含まれる話です」


 それが本題なんだろうか。


「分かった。他にも色々聞きたい事はあるが、本題があるならそれを片付けてくれ」

「はい。これから話すのは、衝撃的事実であり、未確定の未来です。私にとっては過去、渡辺綱にとっては未来の出来事になります」

「まあ……そうなんだろうな」


 普通に聞いたら意味不明な話だが、こいつが平行世界人かつ未来人って事を前提に考えるなら理解できなくもない。何を言うつもりかは知らんが、ここまでの内容が前置きっていうくらいだ。とんでもない話が飛び出してくるんだろう。


「予言をしましょう。もうじき、この世界は終わります」

「…………は?」


 ある程度は覚悟していたのに、一瞬にして頭の中が真っ白になった。

 いや、いきなり何言ってんの、こいつ。


「遠くない未来。それは数日後かもしれないし、一ヶ月後かもしれない。確実なのはこの星が崩壊するという事実だけ。タイムリミットはどんなに長くても迷宮暦〇〇二五年四月。それ以降に存在している可能性は一つしか観測できていません」

「……なに、言ってるんだ?」


 理解が追いつかない。いや、理解はできるが、なんでそんな事になる。予言とは言ったが、こんな場面で適当な事を言う意味はない。そもそも、エリカの表情は真剣で冗談を言っているようには見えない。

 迷宮暦〇〇二五年四月って、あと二ヶ月後だぞ。それまでに世界が終わる? 無茶苦茶言うにもほどがあるだろう。しかも、この言い方だと最長で四月。今すぐってケースだって十分に……。


「なので、早めに言っておきたかったんですよね」


 え、冗談ですってオチはないのか。マジ話のまま終わらせんなよ。全然早めじゃねーよ。


「ちょっと待て、説明を……くれ。いや、その前に……それが本当だとして、なぜ俺だけに言う」

「世界が終わるのが本来確定している事だからです。発生した現象はその因果が平行世界まで流入する。何かしらの方法で改変しようとしても、結局はそこに行き着く。近い世界であれば尚更強く影響を受ける」

「だから、なんで俺なんだよ」

「あなたが渡辺綱だからです」

「意味分からねえよっ!!」


 渡辺綱って名前が世界を救う英雄か何かの称号だとでもいうのか。名前の元ネタになった渡辺綱だってそんな事はしてねえよ。ファンタジー気味な視点で見たって鬼や土蜘蛛を退治したくらいで、現実的に見るなら反朝廷勢力を叩きのめした程度の存在だ。英雄には違いないが、間違っても世界を救ったりはしていない。


「……私にも分かりません。実際、あなたがそれを回避できるのかも分かりません。でも、可能性があるとしたら、この広い平行世界の中でただ一人、あなただけです」

「どうして、そこで俺なんだ。ダンマスでもいいだろ。……ネームレスや皇龍だって」

「?」


 何故か、会話が止まった。え、なんか変な事言ったか、俺。


「その前に、こちらも疑問な事がいくつかあるんです。聞いてもいいでしょうか?」

「……なんだよ。ちゃんと説明してくれるなら、別に脱線しても構わないが」


 正直、頭の中がパニックで理解が追いついていない。今矢継ぎ早に情報を出されても混乱するだけだろう。

 だが、ここで話が横道に逸れてそのままって展開だけは勘弁してくれ。気になって夜も寝れなくなる。世界が終わる恐怖に怯えながら過ごすなんて冗談じゃない。


「それは本題なのでもちろん。えっと、……ダンマスというのは、ダンジョンマスター……杵築新吾さんの事でいいんですよね?」

「それ以外に誰が……ひょっとして、お前の世界では違うのか?」

「ああいえ、これはただの確認です。……では、ネームレスというのは?」

「無限回廊第二〇〇層の管理者だ。パラサイト・レギオンっていう蟲の総大将だな。頭おかしい奴だ」


 詳しいわけじゃないが、間違ってはいないはずだ。


「……皇龍というのは?」

「無限回廊第三〇〇層の管理者だよ。龍しかいない異世界で唯一残った生き残り。この前会った時にいた空龍の母親らしい。唯一の悪意を滅ぼす目的を共有した同志だ」

「……あの人が。そういう事……」


 どういう事だ? なんかこいつ、知らない事が多過ぎやしないか?

 そういえば、最初に会った時も空龍を知らないようだった。なんでも知ってる事情通のように感じていたが、あいつらがここにいるって事はこいつにとってもイレギュラーケースって事なのか?

 ……同じような歴史になる平行世界を観測してるんじゃないのか?


「……じゃあ、唯一の悪意ってなんです?」

「無限回廊第二〇〇〇層の管理者……らしい。俺の前世の地球を滅ぼした張本人じゃねーかって話だ。俺のギフトも……」

「そうか……《 因果の虜囚 》。それが……」

「……なんで分かった」


 《 看破 》のメッセージなんて出てないぞ。いや、ダンマスと同じでSランクならできるっていうなら分からんでもないが。


「この眼です。《 天眼通 》と呼ばれる能力を付与された魔眼のようなもので、簡単に言ってしまえば相手の情報を読み取れます」


 ああ、リリカの言ってたやつか。だとするとリリカも俺のギフトが見えているって事になるんだが……それは今は気にすべき部分ではないか。

 天眼通ってのは確か、仏教の言葉の一つだったはずだ。超人的な力……神通力。ユキやトマトさんあたりなら詳しく知っているだろうか。まあ、名前がそうってだけで実際の神通力とは異なるものだろう。スキルやクラスなんかで見られるこの世界の命名機能は、そこに住んでる生物の知識からそれっぽいもの付けてる節があるし。……俺の《 原始人 》とかさ。


「……少し、休憩しましょう。ここなら時間は有り余ってるんですから、じっくりと腰を据えたほうが良さそうです」

「俺、パニックに近い状態なんだが」

「はは。……私もです。……なんだこれ。どうなってんの」


 どうやら、お互いに情報が噛み合っていない。平行世界というからには似たような世界のはずなのに、想像以上に状況が違うのだろう。……ひょっとしたら世界が終わるって部分も違うのかも……って考えるのは楽観的だろうか。




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 エリカがどこからか取り出した缶コーヒーで一服する。

 それで気が付いたのだが、ここは《 アイテム・ボックス 》が使えるらしい。試してみれば普通にあの謎空間が開いた。ここで使ったり放置したアイテムはどういう扱いになるのだろうか。


「色々前提条件は変わりますが、結果的に見れば私の判断は正解だったって事なのかな……」


 エリカが何やら呟いているが、多分独り言だ。色々情報を整理しているみたいなので、邪魔はしないほうがいいだろう。それが結果としてこの世界の滅亡に関わるというのなら尚更だ。ここで下手に突っ込んで最善手を逃しましたなんていったら泣くに泣けない。


「……まず、私の目的はこの世界の破滅の回避です」


 そうして、チピチピ飲んでいた缶コーヒーが空になる頃、エリカが話を始めた。どうやら整理が終わったらしい。


「何故って聞いてもいいか? この世界を救ったらお前らの世界も救われるっていうわけじゃないんだろ?」


 聞く限り、エリカの世界はこことは違う平行世界で、更に未来……すでに崩壊している世界だ。この世界が無事に済んだからといって、過去に発生した現象が元に戻るとは思えない。


「正直なところ、どんな影響があるかは分かりません。ほとんど藁にも縋る思いで干渉しているというのが実情です。因果の流出で歴史自体が変わる、なんて都合のいい事はないでしょうが、せめて世界崩壊の原因でも分かれば対策の取り方も変わってきますし」

「……なんで滅びたかも分からないのか」

「はい。私を含め、ほとんどはダンジョンマスター……杵築新吾が死亡した事が原因と考えていました」


 ……ああ、ディルクに聞いていたのはそれか。

 世界自体が消滅するとか言っていたよな。……それなら星一つで済むはずがない。月は残ってるみたいだし。


「でも違った。いや、正確に言うなら多分違うだろうってところですか。私たちの世界は惑星こそ崩壊していても、世界そのものは残っている。ディルクさんの予想から離れ過ぎています。誤差というにはズレ過ぎです」

「……お前、月出身って言ったよな。惑星壊れて、なんで衛星が残ってるんだよ」

「当代のダンジョンマスターが重力制御をしてなんとか形を残しているって状況です。ほとんどそれにかかり切りになってますが」


 とんでもない事してんな。その人。


「その次代のダンジョンマスターについて聞いてもいいか?」


 あまり好奇心だけで情報開示を求められない。おそらく、エリカが情報開示を渋っている部分は事の根幹に関わる部分だ。ここでの一手がどう影響するか分からない以上、判断はエリカに任せるしかない。


「……LC302-X5012」


 だが、エリカが暫し悩んで口に出したのは意味不明な言葉だった。何かの型番のような。


「通称エルシィ。杵築新吾の妻の一人。現時点のこの世界でも存在しているはずです」

「ああ、ダンマスの嫁さんの一人か。< 月の大空洞 >を攻略したっていう……」


 ……てか、そんな名前なの? LCって頭文字でエルシィと呼んでいるのは分かるけど。


「< 月の大空洞 >まで知ってるんだ……」


 月の存在を知らないと思っていたなら、その反応も当然か。俺も、聞いただけで入ったわけじゃないし。


「なあ、お前が情報開示を渋っている理由は大体分かる。だが、このままじゃ会話するだけで綱渡り状態だ。そこら辺の理由と条件を明確にできないか?」

「……そうですね。すいません。落ち着いていないといけない私がパニックになってしまって」


 それを責める権利は俺にはないが、事が事だからな。質問する内容も選べないんじゃ話にならない。


「ただ、明確な条件定義は難しいところですね。何を話したって問題はないんです。ただ、それがどう影響するかがさっぱりなので取捨選択せざるを得ないという状況というわけで……」

「多分だが、俺がそれらの情報を知って行動が制限されるのを懸念してるんだろ?」


 予想するに、このまま何も情報を得ないまま過ごせば滅亡ルート。情報を出すにしても、内容を厳選しないと望む展開に至れるか分からない。


「はい。……では、なぜ渡辺綱にだけこの話をするのかの話からにしましょう。ここはどうしても触れないわけにいない部分ですし」

「ああ、そりゃそうだな」


 俺が現在持っている最大の疑問でもある。


「これを見てください」


 と言って、エリカは俺から少しズレた部分に視点を移動した。そこには何もない。無数にある扉すら存在しない開けた部分だったのだが……。


「……俺? ……と、なんで猫耳」


 何故か俺がいた。そして、その渡辺綱と対峙しているのは、いつか死闘を演じた猫耳こと< 獣耳大行進 >のチッタだ。本物でないと分かっていても、殴りたくなるドヤ顔をしている。


「ただの再現映像です。配役が渡辺綱なのは単にこの世界で再現しやすい存在というだけで、特に意味はありません。猫耳さんに関しては……この人が誰かは知りませんが、対峙する相手として適していると判断したという事でしょう」


 そういう意味なら分からんでもないか。あれほどの苦戦を強いられたのは、そこまでの人生の中では類を見ない。未だに深く記憶に残っている出来事の一つだ。あと、殴りたくなる顔をしている。


「しかし、リアル過ぎて不気味だな」


 ガルドのヘッドマウントディスプレイで俺を見たらこんな感じになるのだろうか。

 動画で見る時もそうだが、自分で自分を見るというのは変な気分になる。最も身近な存在ではあるのだが、普段俯瞰して見る事が有り得ない存在なだけに違和感を覚えるのだ。それが立体になっているのだから、余計に不気味である。


「んで、これをどうするんだ?」

「こうします」

「ニャッ!」


 唐突に、目の前の俺が猫耳へハイキックを入れた。情けない声を出して猫耳がよろめく。


「……ストレス解消用のサンドバッグとか?」

「なんでそうなるんですか。……えーと、今のがパターンAです。次はパターンA'」


 再び同じ位置に戻った二人。そうして、さきほどの行動を再現するかのように猫耳がハイキックを受けた。


「……同じだよな?」

「渡辺綱が腰を落とすタイミングがコンマ1秒遅かったんですよ」

「分かるかそんなもん」


 コンマ以下の世界で生きている冒険者だが、ただ見ているだけ、それも攻撃の準備動作の違いなど判別できるはずもない。違いを知った今なら、見直せば分かるかもしれんが。


「ただのたとえなので違いが分かる必要はありませんが、この二つのパターンの違いが可能性の縮図を表しています。近しい世界。結果の変わらない分岐。こういった無数の可能性世界が、私たちの世界の横に存在するわけです」

「平行世界の概念自体は分かるが……」


 いつかユキが言ったように、分岐路で右を選ぶか左を選ぶかという選択に似ている。これは更に細かいが。


「同じように、考えられる行動ごとに世界は存在します。この例でいうなら、キックのスピードが少しだけ遅かったり、猫耳さんがダメージを受けた際に考える事に違いがあったり。……だけど、この程度の違いで結果は変わらない」


 バタフライエフェクトが発生するには些細過ぎる違いって事だろうか。


「だけど、中には稀にこの枠を飛び出る存在がいます」

「ギニャッ!」


 突然、俺が走り出したかと思うと、猫耳にドロップキックをかました。当然、二人とも大きく吹っ飛ぶ。


「これがパターンB、つまり渡辺綱です」

「いや、意味が分からん」


 そりゃ、猫耳と素手で対峙していたらそういう選択肢もあるだろうが、今はそういう話をしているわけじゃないだろう。


「同じ環境、同じ条件で結果の変わる行動をとる。そうして変わった結果が更に異なる結果を生み出し……と、離れた世界を創り出していく。そうやって、私の世界とこの世界のような差異が生まれるわけです」

「理屈は分かる」


 言いたい事は相変わらず分からんが。

 ドロップキックすれば自分も飛ぶわけだから、その後の行動にも制限ができる。ダメージだって違うだろう。それなら、そのあとの結果だって変わる。


「あなたは、そういった世界が分岐するような変化を偶発的に生み出し易い存在という事です」

「ああ、それでパターンBが俺って言ったのか。……でも、別に俺に限った話じゃないだろう? 個人差はありそうだが、これは誰にでも起き得る話じゃないのか?」

「はい。無数に広がる平行世界で渡辺綱の立ち位置や行動が妙に異なる、という不思議な体質ではありますが、ここまでならそれだけの話です。かなり無理やりですが、このドロップキックくらいなら個人差で済ませられる範疇でしょう」


 エリカさんの眼が遠くを見ているんだが、これまで見てきた平行世界の俺は何してるんだろうか。そんな突拍子もない事をしてる奴がいるの?


「だけど、この世界のあなたは違う」

「ギニャーーーッッ!!」


 エリカの言葉に合わせるように、猫耳が爆発した。見れば、映像の渡辺綱は何かのスイッチを手に持っている。……リモコン式の爆弾?

 猫耳はギャグっぽく吹っ飛んでいったが、普通ならバラバラになってもおかしくない。


「……猫耳を倒した時に爆薬を使った覚えはないんだが」

「ただのたとえです。……ようするにですね、無数の平行世界の中であなただけが……この世界の渡辺綱だけが異質なんです」

「そ、そんなに突飛な行動をしていると」


 普通ならキックで済ませるところを爆発させるくらい変って事なのか? たとえ話で分かりやすくしているだろうとは思うが、事前に仕込んでおかなきゃいけないんだから、さすがに偶発的な可能性とは言い難いはずだ。どの世界でも、俺って前提があるならそう変わるとは思えないんだが……。いや、違う。その範囲から逸脱しているとエリカは言っているんだ。……ひょっとしたら、ネームレスや皇龍の存在だって平行世界の俺は知らないのかもしれない。


「多少の誤差なら分かる。その結果、流れが変わるのでも理解できる。でも、あなただけは根本から違う。平行世界に存在するどの渡辺綱にも《 因果の虜囚 》なんてギフトは存在しない」

「…………え?」


 それは……どういう事だ?

 これが唯一の悪意に植え付けられたギフトという事は、皇龍の話からしても間違いない。前世で俺がどんな結末を迎えたかは知らないが、そのどこかで唯一の悪意とは接触しているのだろう。なのに、俺以外はこのギフトを持っていないというのは有り得るのか?

 たかだか動作の違いで生まれるような数多の平行世界の中で、俺だけ特別というのは無理があるだろう。


「おかしいだろ。さっきの話から考えて、この俺から発生した分岐世界だってあるはずだ」


 俺だけじゃない。この俺がいる世界すべてに分岐する可能性があるはずなのだ。


「……ありません。あなたの……この世界の可能性はこの世界のみで収束している。歪で、有り得ない構造です。……あなたには、もしもの世界が存在しない。……少なくとも観測できない。これでは、この私との邂逅すら組み込まれていたものに感じられます」

「意味が分からん」

「分からないのは私も同じです」


 選択肢のあるゲームで同じ選択肢を選び続けたのとはわけが違う。膨大な人数が参加するMMO-RPGで全員が全員同じ行動をとり、同じタイミングで同じアイテムを使い、乱数すら完全に一致させるようなものだ。まさしく有り得ない。有り得ない……そうだ、有り得ない。俺はそれを知覚している。


「いや、おかしい。そんなはずはない。それだと、俺がスキル連携する際のタイミングすら予め確定した未来って事になる」

「はあ……なんでスキル連携ですか?」


 俺以外に言っても理解できないだろう。だが、そんなはずはないんだ。極限の中での出来事だし上手く言い表せないが、俺がベレンヴァールと対峙した時、複数の可能性から未来を選択した自覚がある。あれは、あの時の俺が選び得る最善の選択肢だったはずだ。そして、少なくともあの瞬間は確かに別の可能性が存在していた。


「上手く説明できない。ただ、最初から存在していないってのはない。それだけは言える」

「良く分かりませんが、隠蔽されて観測できないだけかもしれませんし、存在していた可能性がなくなったのかもしれません」

「……なく、なった?」


 不意に、猛烈な違和感を感じた。

 ……なんだ。俺は何に違和感を感じている? この強烈な不快感はなんだ。


「どうしました?」

「いや……なんでもない。続けてくれ」


 今、俺は何に触れた。

 世界の終わりが重要な話なのは間違いない。この世界が歪っていうのもそうなんだろう。だがそれ以上に、何かとてつもなくヤバイものに触れた。決して触れてはいけない、渡辺綱の■■に……。




-3-




「ともあれ、この世界が歪で異質で唯一無二な存在なのは間違いありません。そして、私はこれをチャンスと捉えました」

「チャンス?」

「こうして別世界に干渉するのには大きな代償が伴います。観測だけに留めても、私たちにはあまり猶予はない。残された時間は少ない。残された可能性も少ない。だけど私が観測した中で唯一の、異質過ぎるこの世界ならその可能性も残されているかもしれない……と考えました」

「……それが、俺に接触してきた理由か」


 エリカは静かに頷いた。


「その鍵になるのは渡辺綱。あなたです。あなただけが唯一可能性の外側にいる」


 他の誰に情報を渡しても崩壊の未来は変えられない。それこそ、別世界の俺だって不可能。だけど、この俺ならば可能性はあると。


「保証なんてない。失敗する可能性だってある……って、考えないわけないよな」

「そうですね。……正直なところ、その可能性のほうが高いと思っています」


 失敗のビジョンは明確に存在する。そもそも結果として残っている。だが、成功のビジョンはそこに辿り着く方法どころか存在するかどうかも分からない。


「だけど……在るべき世界とはまったく別の、分岐した隣接世界すら存在しない可能性。在り得ない世界の中ですべての中心にいるあなたなら、あるいは本来存在したはずの可能性、途切れた未来、……その無限の先へと進む事ができるのかもしれない」


 俺たちが進む道には大きな隔たり……世界の終わりがあって、立ち向かうべき存在はその更に先にいる。

 そのタイムリミットは目の前にまで迫っていて、猶予もわずかにしか存在しない。そして、それに対応できる"かもしれない"のは俺だけと。

 くそ、とんでもないものを押し付けられた気分だ。だが、座していてどうにかなる問題でもない。


「何もしなきゃ世界が終わる。そんな状況で何もしないなんて選択肢はそもそも存在しない。……俺は、そのためには何をしたらいい?」

「分かりません。ろくに情報もなく何もかもが手探りで、チャンスも一度だけ。そもそも望んだ結末など存在しないのかもしれない。でも、こうして可能性に賭けるしかないんです。ひどい博打もあったものです。……それを人に押し付けようとしているのだから余計にタチが悪い」


 博打も博打、大博打だが、そこしか賭ける場所がないなら賭けるしかない。ただ見ているだけじゃ何も変わらないのだから。まあ、エリカにしても原因すら分かっていない状況だ。対策を聞かれても答えようがないのは分かる。


「だけど、こうして私が伝えた事で多少なりとも違いは生まれたはずです」

「……まあな」


 つい三十分前までの俺だったら、残る数ヶ月を普通に勉強して過ごしていただろう。そういう意味では、エリカは誘導に成功したといえる。少なくとも無駄ではない。


「さっきも言ったようにダンマスの手を借りるとかは?」


 伝えるのが俺からになるだけでも印象は違うだろう。あの人がそんな事を気にするとは思えないが、信用はされ易いと思う。


「ここからの判断は任せます。情報の拡散を禁止しているわけではないので、思うままに最善と信じた道を進んで下さい。多分、それが最良の結果になると思います。……ただ、参考までに言うのなら、以前別の世界で杵築新吾にこの話を伝えても結果は変わりませんでした。正直、影響すらあったかどうか……正確なところは分かりませんが、私が本来ここにいるはずのない存在だからという可能性はあると思ってます」

「……そうか」


 さすがに俺が直接干渉して何も変わらないってのは考え難い。

 話して信じてもらえるか……いや、完全に信じるかどうかは別にしても、あの人なら何かしらの行動を起こすだろう。それだけでは足りないって事なんだろうな。その他にも……ネームレスはともかく、皇龍に助力を願うのはアリだ。


「ひょっとして、皇龍やネームレスがいる事も有り得ない事なのか?」

「はい。私はそれらの存在を知りません。無限回廊の管理者システムについては知っていますが、層別に管理者が存在するというのも初耳です。助力を願える相手なんですか?」

「多分、皇龍なら無条件でも協力してくれる。ネームレスは分からん」


 あいつの場合、存在や価値観が歪過ぎて、どうすれば誘導できるのかさえ分からない。ただ、完全な意味で敵対しているというわけでもないから、あるいはって事も有り得る。逆に引っ掻き回される可能性もある。

 星が崩壊するって話だったから、たとえば隕石くらいなら皇龍の巨体で受け止められないだろうか。……いや、隕石ならダンマスがなんとかするような気もするけど。


「本当に意味が分からないくらい状況が違いますよね、この世界」

「そんなに違うのか?」

「違います。先ほどの管理者たちもそうですし、無限回廊の攻略層にしてもなんで第一〇〇層に手をかけてるんだって話ですし。渡辺綱だって、なぜか中級ランクに昇格してるし」

「え、本来……というか、平行世界の俺ってまだ下級ランクなの」


 極端なハイペースだって自覚はあるが、別の俺と比べても早いのかよ。


「ほとんどの場合、三月に昇格する事になります。昇格した直後に世界が崩壊するわけですから、中級ランクで活動した経験を持っている渡辺綱はあなたくらいじゃないでしょうか。現在の内訳は知りませんけど、パーティメンバーも違いますよね」


 パーティっつーか、クランもどきっつーか……下級ランクにいるなら、クラン作ろうともしてないっぽいな。

 真っ当に下級冒険者やってるっていうなら、ユキ、サージェスは確定として、他のメンバー候補といえばフィロス、ゴーウェン、ガウル、ティリア、あとはリリカの中から誰かってところだろうか。< 鮮血の城 >イベントは発生していなそうだし、摩耶と組んでいる事はないだろう。……まさかパンダは組んでないだろうな。

 しかし今更ながら、とことん前のめりな構成である。


「ああ……危ない。忘れるところだった」

「まだ何かあるのか?」


 他に忘れてる事はないだろうな。後出しは勘弁してくれよ。


「……あのユキって人は何者ですか?」

「何者って言われても……俺と同じ前世が日本人の冒険者だ。王都出身ででかい商家の三男。前世は女だったから女に戻りたいと奮闘して現在20%だ」

「……なにが20%?」

「性別が。あいつ、20%だけ女なんだよ」

「なんですか、その面白生物は」


 面白生物なのは間違いないが、ウチでは真っ当なほうだぞ。究極マゾやキメラやサイボーグのインパクトのほうがでかいだろ。……いや、この反応はそういう意味じゃないな。


「……まさか、ユキの事を知らないのか」

「知らないどころか、平行世界のどこを見渡してもあの人が冒険者だったという履歴はありません。怪し過ぎですよ」

「ユキが……いない?」

「渡辺綱がパーティを組むのはフィロスさん、ゴーウェンさん、ガウルさん、ティリアさん、あとはリリカ・エーデンフェルデでほぼ固定です」

「……サージェスは?」

「あの人は、迷宮都市にいる記録は確認できたので、多分会っていないとかそういう事じゃないかと」


 それはどういう違いなんだ。ユキがいないと俺の冒険者としての活動は根本から変わる。トライアルだって最速攻略しようとはしないだろうし、そうすれば時期を考えても新人戦はスルーだ。……だからサージェスがいないし、下級ランクのままなのか? ……ああ、だから気をつけろって事ね。


「よし、ここは腰を落ち着けて情報の摺り合わせといこう。どうせなら最初の最初から……時間はあるんだろ?」

「ここにいる限りは。……そうですね、あなたがどんな道を辿ってそこに至ったのか興味はあります」


 そうして、俺の半生を語る事になった。エリカの知る俺の情報は断片的なモノだが、それでも概略程度は把握しているらしい。

 結果としては、《 因果の虜囚 》の有無という違いはあるものの、やはり迷宮都市行きの直前……ユキとの出会いからが大きな差異が生まれている。

 トライアル最速攻略、五つの試練、サージェスとの出会い、新人戦、鮮血の城、クラン設立へ向けた準備とメンバー確保、遠征、ベレンヴァールとの出会い、再現された日本、無限回廊マイナス層、静止した時計塔、ネームレスとの邂逅、無限回廊中層以降の攻略、龍の世界からの来訪者、月、四神練武と、こうして見るとユキの出会いからすべてのイベントが連鎖して発生しているようにも見える。

 別にすべての原因がユキってわけじゃない。だが、最初のあの出会いがなければ今の俺がここにいないのも確かだろう。


「なるほど、ここまで違えばお前も警戒するよな」

「……実のところ、表面的に見える部分しか把握できなかったので、ここまで違うと思ってませんでした」


 とりあえず聞かされた平行世界の俺に関しては、行動の端々に俺らしさは見えるものの極めて一般的な冒険者だ。固定メンバーになっている連中を含め、結構優秀なルーキーという枠を出ない。

 まあ、それはそれで楽しそうではあるが……ダメだな。フィロスたちと道を違えたとはいえ、今の環境よりもその状況のほうがいいなんて思えない。ユキがいないのも嫌だが、立場や環境だけではなく特に人間関係……ここまで作り上げてきたものが大き過ぎる。

 サージェスだって、いなくなって欲しいとは思っていない。あんな、いつ逮捕されるか分からない奴でも、いなくなれば寂しいだろう。


「実はダンマスからもユキに気をつけろって言われてるんだよな。ひょっとしたら、同じような情報を持ってるのかもしれない」

「ダンジョンマスターが平行世界へ干渉する術を持っているという話は聞いた事がありませんが、より上の権限でならそういう事ができるのかもしれないですね」


 ダンマス本人はともかく、ネームレスや皇龍なら知っていてもおかしくはない。

 より高位の権限を持っている事もそうだが、あいつらは別の世界から移動して来ているわけだし、平行世界の仕組みくらい認識している可能性はある。


「ユキに気をつけろったって、何を気をつけろって話なんだけどな」

「そりゃそうですよね。これじゃまるでユキさんの存在が……」


 言葉が止まった。


「……考えても埒が明きません。私がこうして話を伝えた以上、ここからは渡辺綱の領域です」

「丸投げされるには重過ぎる案件なんだが……気になる事があるなら言っておけよ」

「協力しないって言ってるわけじゃないです。私がすべてを伝えてもそれが最善手とは限らない。実際にこの世界の人間ではない私が深く干渉する事も叶わない。なら、渡辺綱が持つ本能に賭けるべき……あなたが必要と感じた情報、行動で動くべきです」


 この世界とそれ以外の俺を比較してみると、確かに常に正解を選び続けているようにも見える。けど、それは俺だけが決めたというわけではなく、少なからず《 因果の虜囚 》の力で誘導された部分もあるだろう。この際、その力を利用するのも仕方ないのかもしれない。信頼すべきものでないにしても、そこは割り切れなくもない。

 忘れてはいけないのは、世界の崩壊を回避するよう誘導されている可能性もあるって事だ。失敗したらジ・エンドなわけだから、そうだとしても誘導されるしかないんだが、その後ろにいるものを忘れてはいけない。


「ユキはどうする?」

「彼……彼女が遠因になって作り出されたこの状況は、本来よりもいい状況と思わざるを得ません。警戒は必要というのは変わりませんが、すべてを開示して助力を願うというのも選択肢としてはアリでしょう」


 ブン投げやがったな。つまり俺の判断に委ねると。

 ……俺の勘に従うなら、ユキの存在には特別怪しいものは感じない。少なくとも、あいつ本人がどうこうしてるってのは考え難い。ここまでのすべてが演技っていうならむしろダンマスたち以上に狂ってるだろう。……そして、それはないと俺の勘は言っている。あいつの行動は素だ。その上で何か超常的な力が働いていると思ったほうがいい。というわけで、情報開示するかは保留。


「星が砕けた原因については分からないって話だったが、実際にどうなったか詳しく教えてもらえるか? ダンマスたちに説明するにしても、もう少し情報が欲しい」

「はい。……そうですね、一度視覚的に見てもらったほうが分かり易いと思います」

「え、見れんの?」


 エリカが地面に持っていた杖を一突きすると、何もない真っ白だった地面が真っ黒く染まっていく。併せて無数にあった扉が消えた。


「……宇宙?」


 闇に包まれた空間の中に、細かい星々が見える。夜空というよりも、月で見た光景に近い。

 絶景なんだが、あまりにスケールがでか過ぎて押し潰されそうになる。


「私の記憶から再現した映像です。……あそこにあるのが月。今の私たちの本拠になります」


 エリカが指差す方向には確かに小さな星があった。表面にSFチックな構造物があるのを除けば、この前訪れた月を俯瞰しているように見える。妙にでこぼこなままなのもそれっぽい。

 にも拘わらず、その周りには何もない。あるべき惑星の代わりに宇宙空間が広がっていた。


「肝心の惑星がないけど、丸々消滅したって事なのか?」

「いえ、普段は認識阻害をかけて見えないようにしてあるんです。月の住人……特に元々本星に住んでいた人たちにはショッキングな光景なので……」


 月の表面に人が住んでいるようには見えないが、何かしらの方法で外を見る事はできるのだろう。ぶっ壊れた故郷を眺めて生活したくはないか。


「認識阻害を解いた本来の光景がこちらです」


 再びエリカが地面らしき部分に杖を突いた。すると、それまで何もなかった月のすぐ側に、本来在るべきものが出現する。


「こいつはまた……ショッキングな光景だ」


 出現したのは、今にもバラバラになりそうな砕けかけの惑星。スケールの問題もあって、月からなら今にも飲み込まれそうな大崩壊が目の前に迫っているように見えるだろう。ここまで崩壊した星が形を保ち続けられるはずがない。おそらくは月と同様に何かしらの重力制御を行って保持しているのだ。


「私たちの生活圏は月のみ。重力制御をやめた途端、本星の崩壊に巻き込まれて木っ端微塵になるでしょう」

「他の星へ移住する事は考えなかったのか?」

「一応、地球の火星に相当する惑星にダンジョンが存在する事は確認できているので、それを攻略すればあるいは。……ただ、それを実行できる最大戦力……ダンジョンマスターは重力制御に手をとられて、という状況です。私たちだけでは移動もままなりません」


 ハードな状況だな、おい。


「それでも、これはマシな部類。ほとんどの平行世界では崩壊に巻き込まれて跡形もなくなっています。世界の住人が生き残った唯一の観測例が私たちというわけです」

「この状況で、迷宮都市の上層部……たとえば四神やアレインさんたちはどうしてるんだ? ダンマスの嫁さんが権限引き継いでるなら、本人は行方不明とかそんなところなんだろうが」

「四神は星の崩壊と連鎖して消滅したのが確認されていますが、エルシィさん以外は生死不明です。その他、迷宮都市運営に関わっていたメンバーは数名だけ生き残っています。冒険者もほとんどが生死不明……。迷宮都市外の人間に至ってはほんの数十名しか生き残っていません」


 この場合の生死不明なんて、軍隊でいうMIAより希望がない。ようするに死んだって事なんだろう。

 そうか……< アーク・セイバー >や< 流星騎士団 >がSランクでないと言ったのは、第一〇〇層を攻略する前に星が崩壊してクランそのものがなくなったって事なのか。こんな大崩壊に巻き込まれたらクランを維持するのなんて不可能だろうさ。わずかに生き残ったメンバーがいたとしても、元々大規模で回していた組織は機能しない。


「そんな中でお前は第一〇〇層を突破してSランクになったわけだ。……すさまじいな。ほとんどバックアップなんてなかっただろうに」

「パーティメンバーに恵まれたのが大きいですね。特にすべてにおいて先導してくれた燐さんには頭が上がりません」

「…………」


 ……なるほど。こんな状況になって尚夢を叶えたのか。自称天才は本当に天才なのかもな。変なところで希望を感じてしまった。


「さて、もういいですか? この光景は私にとってあんまり気分のいいものではないので」

「悪いな。……この映像を他の奴に見せる事は可能か? 夢みたいな場所の映像だから無理があるかもしれんが、説得力が違う」

「データだけならなんとか送信は可能かと。上手いことやってみます」


 と、言いつつ、周りの風景が元の扉だらけの真っ白空間に戻る。


「さて、とりあえずはダンマスや皇龍に相談だな。エルシィって人にも会っておきたいし、ユキはまだ分からんが他にも助力を願わないといけない人はいる。あとは……現時点で何ができると思う? なんでもいい、思いついた事を言ってくれ」

「大崩壊についての情報がない以上、何が対策になるかは分かりませんが……とりあえず、今の状況を活かす方向で考えてみましょうか」

「今の状況……ああ、この中なら時間が経たないんだったな」


 とはいえ、情報の共有にも俺の選択ってネックが残るから、安易になんでもかんでも聞き出すわけにもいかない。

 ……訓練するにしてもベースレベルが上がるとは思えないし、クラスやスキルも怪しい。模擬戦してもいいが、相手はエリカくらいしかいない。

 無駄とは言わないが、劇的な効果はないだろう。


「それもありますが……このまま《 魂の門 》に潜り、第二門を目指すというのはどうでしょうか」


 俺はエリカと会う事になるだろうとここに来たが、《 魂の門 》が持つ本来の機能を利用するって事か。確かにこのまま帰るよりは前向きだ。


「この先、個人戦闘力が役に立つかどうかは分かりませんが、やらないよりはマシかと」

「しかし、俺が魔術を使えるようになったところで劇的な戦力向上にはならないぞ」


 無駄ではないんだろうが、俺の魔術適性はたかが知れている。それをフルに活かせるようになったところで誤差の範疇だろう。


「魔術士しか使わないので誤解されてますが、《 魂の門 》は本来魂を研鑽する場です。リリカ・エーデンフェルデならリリカ・エーデンフェルデの、渡辺綱なら渡辺綱の、その人に合った試練が用意されるようになっています」

「相性の問題があって誰でも使えるわけでもないから、そんな認識になるわけだな。なら、戻ったらリリカに相性見てもらって潜れる奴は全員放り込むべきか……」

「それも一つの手ですね。そもそも相性が合う人なんてほとんどいないし、いちいち発動しないと確かめられないから術者の負担も大きいでしょうけど」


 ……ん?


「相性見るには発動しないといけないのか?」

「え、はい。……ああ、渡辺綱がここに来れる事を指示したのは、知ってたからですよ。リリカ・エーデンフェルデの《 魂の門 》を使用した事があるという話は聞いてました」

「……いや、それはいいんだが」


 エリカがそれを知っていたのは分からないでもない。母親がリリカだっていうなら、そういう情報が伝わっている事もあるだろう。……じゃあ、なんでこの世界のリリカがそれを知ってたんだ?


「……一応聞くが、その目はリリカから受け継いだもので、機能も同じって認識でOK?」

「はい。多分私のほうが使いこなしてると思いますが、本来付与された能力は同じものです」

「それで《 魂の門 》の相性を見る事はできない?」

「さすがに無理ですね。《 魂の門 》自体、未解析の魔法ですよ。その相性とかいわれても、トライアンドエラーで探すしかないです」


 ……んんん? なんか変じゃね?


「何か疑問でも?」

「いや、いい。お前に対する疑問じゃないから本人に聞く」

「はあ」


 ……なんか大して関係ない話のようにも感じるが、引っかかりを覚える程度の疑問でも可能な限り潰していくべきだろう。そういや、あいつ最近挙動不審気味だし。




-4-




 俺は一人、白い空間を歩く。目的地は《 魂の門 》第一の門。

 エリカは入り口のところで待機したまま、俺の帰還を待つ事になった。どうやら、門の中で諦めた際に戻る先を変更したようだ。つまり、第一の門の試練のあとでもエリカと話す機会はあるという事である。


『これから《 魂の門 》を発動すれば、お前といつでも会えると思っていいのか?』

『いえ、こうして干渉できるとしても、おそらくはあと一回が限度です。なので、余裕があれば、今回の内に門の中で情報整理しておいてください』


 観測する分にはそこまで制限を受けないので、こちらの状況は伝わるらしい。だから、基本的にはこの《 魂の門 》が最後の邂逅となる。すべてが上手くいったとしても干渉してくる事はない。あと一回というのも、失敗した場合に別世界へと干渉する最後の切り札というわけだ。聞きたい事があるなら、今回の内に聞いておけという事である。


『《 魂の門 》の中で受ける試練がどんなものかってのは分かるか? 魔術士じゃないわけだから、リリカの話も参考にならんし』

『それはさすがに……。第一門では肉体の感覚と切り離された上で、抽象的、魔術的に負荷の高い空間に放り込まれ、その中で魔術的なアプローチによって門を探すというのが一般的です。ただ、それも同じ人でも使う時期や環境、心境によって内容も変わるので……』

『何それ……想像してた以上にハードなんだけど』

『魔術士が一足飛びに成長するには、これくらいやらないといけないって事ですね。常人なら発狂しかねないですし、優秀な術者でも数回に渡って挑戦します』

『……多分、《 魂の門 》に挑戦できるのはこれが最初で最後だ。できれば第二門に到達しておきたいんだがな』

『参考になるかどうかは分かりませんし、前例もないので確証はできませんけど……』

『なんかあるのか? 気休め程度でも情報があれば助かる』

『《 魂の門 》が創り出す世界はその人の魂に刻まれた情報を元にしているので、転生者はまた違ったものになるかもしれません。今世の渡辺綱だけでなく、前世の分も含んだ試練になる可能性があります』


 気休めというか、それは更に不安になる情報だった。

 一応、一般人よりは少々強靭なメンタルをしているつもりだから、精神的負荷ならある程度は耐えられるだろう。魔術的なアプローチは良く分からんが、耐える事に関してなら自信はあった。

 だが、前世の記憶、トラウマ、そういった部分が関係してくるとなると、話は別だ。特に記憶のない死亡前後、唯一の悪意と接触したであろう時期が含まれるなら、普通よりもハードな試練になる気がしてならない。

 なんとなくだが、予感がする。俺がこれまで避け続けた、真のトラウマ部分。それに向き合えと言われているように感じるのだ。


 こうして歩いているだけで、死の気配を感じる。

 かつて< 鮮血の城 >で左腕から感じた、唯一の悪意の気配が近づくのを感じる。

 澱み、瘴気、不浄なるものの気配が濃く感じられる方向に俺の魂の門があると、そう感じている。

 足を止めたい。このまま諦めて帰ってしまいたい。《 魂の門 》のシステム的にそれは許されている。


 だが、あいつへ向かう道を歩み続けると決めた。今更、その決意を違えるつもりはない。

 そもそも、これは避けて通れない道なのだという事を、こうして近づいてよりはっきりと認識している。

 《 因果の虜囚 》が伝えてくる。それは確信、断定、予言染みた宣告。

 今、魂に刻まれた傷と向き合う事が、唯一の悪意へと辿り着くための最善手だと。

 世界の終わりに抗うために残されたか細き道のりの一歩だと。

 ようするに、これは予め用意された舞台なのだ。唯一の悪意が用意したレールの一部分という事である。エリカ・エーデンフェルデの存在すら、きっと用意されていたものなのだ。

 不快感を飲み込め。恐怖を飲み込め。死の因果を逆に辿り、最善手を超えてみせろ。それが、唯一の悪意を滅ぼす道となる。


 どういう道のりを辿ったのか、どれくらい歩いたのか分からない。気が付けば、俺の前には巨大な門がそびえ立っていた。大きさや形は、リリカと見た最初の門に酷似している。だが、そこから放たれる威容はまるで別物だ。まるで何者か未知の怪物の口にさえ見える。

 軽く手を触れると、扉は自然と開いていく。その先にあるのは闇。

 ああ、最初の門で見た暗闇はなんて明るかったのだろうと思うほどの真の闇だ。足を踏み入れたら二度と帰って来れないと確信できるほどの闇がそこにある。


「はっ」


 大した事はない。舐めんな。この程度で怖気付くような柔なメンタルしてねーよ。

 この手足の震えは武者震いだ。武者震いだから何も怖くない。怖くても関係ない。だから進む。

 一心不乱に。


「あああああらああっ!!」


 体中に纏わりつく恐怖を振り払い、勢いのまま門へと駆け出した。

 止まるな。退路はない。あってもそれは使えない。使わない。俺がそう決めた。だからひたすら前を向いて進め。

 この先に臆病者が避け続けた答えがある。











 意識が戻った先でまず感じたのは草の感触だった。

 エリカが言っていたような肉体と切り離された感覚はなく、普段通り、先ほどまでと変わらない。いや、そもそも《 魂の門 》自体夢のようなものなのだが、それは置いておく。

 視界もある。非常に暗いが、目は見えている。手足も動くようだ。懸念していた転生者特有の試練って事なんだろう。

 スキル持ちの専門家には叶わないが、夜目は利くほうだ。少しずつ視界が慣れてきて分かった事は、ここはどこかの森だろうという事。それも、あまり深くない。見渡せば、木々が切れている方向があった。森というよりは林なのかもしれない。

 気配はない。モンスターの気配どころか、動物、鳥、虫もいないように感じる。……というか、妙に静かだ。

 ここは夢の中のようなものだからおかしな事ではないのかもしれないが、生命の感じられない場所である。


 一応足元に気をつながら、木々が切れている方向へと向かった。

 距離的にはせいぜい数十メートル。冒険者どころか、現代日本人でも迷う事はないだろう。その先にあったのは道だった。


「…………なるほど」


 アスファルト。それも、見覚えのあるガードレールや電柱のおまけ付きだ。

 迷宮都市ではない。ここは日本だ。どこだかは分からないが、俺の記憶から日本を再現しているのだろう。遠征の際に飛ばされた偽者の日本と大差ない。

 《 アイテム・ボックス 》は変わらず使えるらしいので、懐中電灯と手鏡を取り出す。

 念のためというレベルで確認したが、俺の姿もそのままで、前世の渡辺綱に戻っているという事はなかった。

 あたりは暗く、懐中電灯があってもロクに視界が確保できない。街灯もあるのだが、消えたままだ。


「あの偽物の日本だったら、多分点いてたんだろうな」


 愚痴を言っても仕方がない。とりあえず周囲の情報を集めるべく、懐中電灯片手に奔走する。

 その結果分かったのは近くに民家はなさそうだという事。モデルが日本というならそう遠くない距離にはあるのだろうが、少し歩いた範囲にはそれらしきものはなかった。

 そして、どうもここはかなり山奥らしい事。道路が通っている以上、人の行き来があるような場所ではあるのだろうが、ガードレールの向こう側は崖だ。まあ、ここは実際の日本でないのだから、どちらにしても人と会う事はないのだろう。


「つーか、ここで何しろと?」


 ようやく建物が見つかったかと思えばバス停だった。それも破棄されたものらしく、長らく使われた痕跡がない。

 一応ベンチは残っていたので腰を下ろす。大して疲れてはいないが、これからどうしようという感じだ。さっぱり状況が掴めない。

 《 魂の門 》の試練なのだから、次の門……第二門を探すべきなのだろうが、まさか日本のどこかにあるから探せって事じゃないだろうな。というか、日本にあるとは限らないのがまた厳しいところである。

 ……こういう状況なら、まず向かうとしたら東京だろうか。ここがどこか分からない以上、道も方角も分からないから、とりあえず道路沿いに山を下りて……。


 バス停の壁に朽ちかけた紙が張られていた。地元の祭りの案内らしく、内容自体はたいしたものじゃない。

 しかし、告知には付加情報として開催地などの情報も含まれている事に気付く。そして、よくよく考えてみたら他にも情報はあった。

 錆び付いた時刻案内、そして電柱の住所標識。そこに、現在位置の分かる情報がある。掠れて読めない部分も多かったが、とりあえず分かった事は……。


「……群馬?」


 どうやら前世でもほとんど馴染みのなかった場所に俺はいるようだ。

 ……いや、なんで群馬県やねん。



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