第19話「八本腕」




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「第五十層だ。休息に入る前に八本腕を倒しておくぞ」

「二度言わんでも聞こえてるが……マジで?」

「マジだ」


 週刊漫画における話の繋ぎを思わせるセリフだったが……マジで言ってるのかよ。そりゃ、ガルドがいるならタンクは問題ないだろうけど。


 無限回廊第五十層ボス、八本腕。冒険者たちの間で使われる主な呼称は『はっぽんうで』だが、正式には『はっぽんかいな』である。

 分類としては魔法生物に属するが、ゴーレムのようなモンスターではなく機械人形……ロボットに近い作りらしい。巨大な蛇の上に人間の体があり、そこに二本の腕、蛇の体のほうに更に六本の腕が存在する。代わりにというわけではないが足はなく、蛇のように這って移動をする。シルエット的に近いのはムカデだろうか。

 主な攻撃手段は武器攻撃。その八本の腕によって巧みに武器を操り、相手に合わせて《 ウエポン・チェンジ 》による切り替えを行う。扱う武器に法則性のようなものは少ないが、基本的に最上部の人間腕が使うのは長柄武器、それ以外の六本が使うのは片手武器か盾であるらしい。射撃武器、投擲武器は使わないそうだ。

 ドロップアイテムは色々あるが、メインは八本腕自身のフィギュアパーツである。他のフロアボスやユニークモンスターたちと同様、八本腕のフィギュアもギルドショップで売られているのだが、それとはモデルスケールが異なる仕様で、ここでしか手に入らないレアアイテム扱いである。特に効果があるわけではなく、ただのコレクターズアイテムなのだが、意外と中級ランク冒険者の間では愛好者がいるそうだ。第五十層という区切りの層にいるボスだから、特別な人気があるのかもしれない。また、ドロップするのがパーツである事からも分かるだろうが、当然一回攻略しただけでは集まらない。人間の頭と胴体と腕、蛇の胴体と腕、尾、そして各手で持つ武器のパーツが存在し、ランダムでドロップするのだ。当然、狙った物が出て来る保証はない。ちなみに、本体とは違って複数の胴体を繋ぎ合わせる事で延長でき、超長い百本腕なども作れるらしい。飾るには面倒な形状だ。


「まさか、フィギュアパーツが欲しいとかいう話じゃないよな。なんか特別な理由でもあるのか?」

「特別ってほどでもないがな。このままだと、いつまで経ってもワシの出番が来ないだろう。さっさとクラン立ち上げてくれ」

「ああ……クランマスター講習か」


 クランマスター講習は第五十層突破が受講条件になるクラン設立の必須講習だ。クランマスターよりコマ数は少ないが、半分ほどはサブマスターも受講必須である。

 確かに、このままだとガルドはしばらく庭石のままだ。< 四神練武 >のようなイベントがあれば別だが、あんなイベントを何度もやっていられない。なんかティレグアあたりを焚き付ければ再度開催できるような気もするが、やる意味はないだろう。

 いや、別にどこかの臨時パーティに参加したっていいんだろうが、あんまりそういうタイプでもなさそうだし。


「クランマスター講習はコマ数が多いからな。受講するなら早いにこした事はない」

「なんだ。ガルドは受けた事があるみたいだな」

「あるぞ。必要ないし、つまらんからすぐに受けるのは止めたが。パーティリーダーもそうだが、クランマスターは根本的に向いとらんと自覚したわ」


 あるのかよ。というか、やっぱりつまらんのね。


「急ぐ必要はないが、冒険者として活動できない時期があるのなら話は別だ。その時期にまとめて受けてしまえ」

「……ガルド的に、第五十層攻略のための戦力は足りてるって見立てなのか? 第四十一層開始だから、結構長丁場だぞ」

「十分だ。むしろ< 四神練武 >であれだけ戦える奴が今更第五十層以下で燻ってても仕方あるまい」


 やはり、< 四神練武 >での経験か。まあ、同感ではあるし、ユキも同じ考えみたいだが。


「最近暇だったからな。< 四神練武 >含め、お前さんたちの過去の動画を色々見とったのだ。良く分からん奴らも多いが、地力は十分にあるだろう。足りないのは装備と経験だけ。それも必須というレベルではなく、カバーできる程度のものだ。……というかだな、八本腕など< 四神練武 >第四エリアで戦った鬼二匹より弱いぞ」


 剛烈鬼と陰陽鬼か。薄々分かっていても記憶が曖昧だからあまり実感が持てないのだが、あのエリアのボスなら有り得る話である。動画で見た限り、再戦しても勝てる気しないし。


「ワシが手伝ったら攻略した気になれんというのなら、休息明けに再攻略すりゃいいだろう。どうせ第五十一層以降は一筋縄ではいかんし、他の連中の攻略進度を合わせる必要もあるしな」

「お前が手伝ってくれるなら挑戦するのは構わんが。……リリカもいいか? 一週間遅れる事になるけど」

「それは問題ない。中級昇格試験も全員クリア済みだから、その手伝いもないし。……時間できるなら日雇いの仕事探さないと」


 お前、< 四神練武 >の優勝メンバーだよな。賞金はどうしたんだよ。


「分かった。他の奴ら次第って部分もあるが、来週のアタックで挑戦する方向で話を進めておく」

「そうしてくれ。どうしても都合がつかないというのであれば仕方ないが」


 挑戦するとしても、問題はメンバーだな。目的が講習なら俺とユキは確定、ガルドと水凪さんがカバーできないポジションの摩耶も必要として、残る一枠はサージェスかボーグかキメラか……。いや、第四十一層から一気に第五十層突破を狙うなら、途中でメンテナンスできないボーグは除外だ。

 水凪さんと摩耶にも都合を聞いておかないとマズイ。ガルドは思いつきで言っただけだろうから、他のメンバーの都合は考えてないだろうし。来週四十層を攻略するつもりだったメンバーにも話を通しておかないと。……ユキ、もうメンバーに話しちゃってるかな。


 どちらにせよ攻略しないといけない層なのだ。時期が早まっただけともいえるし、経験者が手伝ってくれるのは助かる。こういう経験だって、無駄にはならないだろう。


「ところで全然話は変わるんだが、ひょっとしてあそこにあるでかいテレビはお前の私物なのか?」


 さっきから目に入ってはいたのだが、ガルドのいる奥の方に巨大なモニターが鎮座している。天候調整可能だから問題ないのだが、野ざらしの庭にデンと置かれているのはかなり違和感だ。最初は引っ越しの荷物かと思ったのだが、良く考えてみたら迷宮都市に来て間もないリリカがテレビを買っているのも不自然だろう。

 暇だったから動画を見ていたという話だったが、ガルドの巨体はウチのリビングには収まらない。ギルド会館の編集室もそうだし、ティリアの部屋だって天井を高くしていないはずだ。だから動画を見るにしてもどこで見るんだという疑問が出てくるのだが、アレがその答えという事なのだろうか。


「おうよ。オーディオ関連まで気を使った屋外用のセットだぞ」

「確かにスピーカーやアンプもでかいな。モニターと比較するとサイズ感がバグるけど」

「ちょっとばかりこだわって、金をかけてある」



 ちょっとばかり……。鎮座しているのは映画館かと思うような巨大モニターとスピーカーで、一般家庭に設置できるようなサイズではない。目算だが、100インチ以上はありそうだ。ここはクランハウスだから遮音もできるし問題ないだろうが、普通の庭だったら苦情が来るだろう。

 迷宮都市の家電屋でテレビの値段を見たが、日本と比べてそこまで安いという印象は受けなかった。あんなデカイモニターがちょっとばかりというのはおかしいだろう。高ランク冒険者ならではの金銭感覚という事だ。やっぱ、金持ってるなこいつ。


「最初はティリアに気を使ってヘッドマウントディスプレイを使おうと思ったんだがな。ワシのサイズに調整できるもんがなかった。仕方ないから、部屋と庭で遮音設定してみたわ」

「お前のサイズに合うもんは一般流通に乗らないだろ」

「普通のヘッドホンならあるのだ。高いし大抵は受注生産になるが、巨人向けに売られとる」


 そんな物があるのかよ。巨人向けとはいえ、そんな需要あるとは思えないんだが。ゴーウェンなんて、年末のビンゴで当たった車、結局売る羽目になったんだぞ。


「だから、《 サイズ調整 》付いたものならあるいはと思ったのだが、ダメだったな。一般流通品とは違って返品不可だから持て余しとる」


 と言いながら、ガルドは《 アイテム・ボックス 》からヘッドマウントディスプレイを取り出した。……確かめもせずに買ったのだろうか。見た目はただのバイザーだが、きっと大画面で見る事ができるのだろう。ちょっと高そうだ。前世でもこの手の商品は手を出していないから、興味はある。


「テレビじゃなく、それで動画が見れるの?」

「携帯型のテレビみたいなもんだ。これを被って中の画面を見るんだよ……ほら」


 説明しても理解できていない様子だったのでリリカの頭に被せてみる。こういうのは体感してみるのが早い。

 こうして装着したところを傍から見たらビームでも撃ちそうな外見である。青タイツ着れば完璧だ。


「わっ……って、真っ暗なんだけど」

「起動は右耳の近くにあるスイッチだ。それで周りも見えるようになるぞ」

「耳……あ、見える。……というかコレ、どうなってるの。着けてる感触はあるのに、視界が普段と変わらない」


 バイザーを着けたままこちらを向くリリカ。思わず笑ってしまいそうになるが我慢だ。

 どうやら、画面だけでなく周りも見えるようになる仕組みらしい。実際に透過しているようには見えないので、おそらくはカメラが設置されていて、それを内部のモニターで表示する仕組みだろう。


「ちょっと待て、今動画を再生する」


 と、ガルドは巨大な手でどこからか取り出したリモコンを操作した。器用だな。


「うわ、なんか出た。……宙に画面が表示されてる。あそこ」

「あそこと言われても俺には見えんが……ARってやつか」

「AR方式なら複数画面にも対応した高機能品だぞ」

「……なんか画面が増えた」


 多分、以前ディルクが見せたステータス画面のような感じで空中に浮かび上がっているのだろう。

 説明を聞けば、対応したソフトを使えば画面だけでなく立体映像を表示したりもできるらしい。エロが捗りそうな機能である。あったとしてもどうせ使えないが。くそ、めっちゃ興味あるのに。


「俺も試していいか」

「あ、うん。えっと……そのまま外せばいいのかな?」


 リリカから受け取ったバイザーをそのまま装着する。自動で《 サイズ調整 》が利くようで、俺の頭にピッタリとはまった。

 電源は入れっぱなしなので、被っても周りが見えたままだ。


「おお……すげえ」


 ステータス画面が浮かぶ事に比べたらなんて事ない話なのだろうが、やはりこういった技術には感嘆せざるを得ない。ユキとか絶対真っ先に飛びつくタイプだ。これでゲームでもやってみたい。

 ……良く考えたら、視界に映っているのは岩の巨人と魔法使いだ。ゲームじゃなくても十分ファンタジーだった。


「どうせワシには使えんから、クランの共用品として寄付してもいいぞ」


 正直使い道は思いつかないが、娯楽品として置いておくだけでも誰かが使いそうだ。俺とか。


「ありがたいが、それだとお前の丸損だろ」

「じゃあ、八本腕のパーツがドロップしたら優先的にくれ。特に本体の左腕」

「やっぱり集めてるんじゃねーか」

「集めてないとは言っとらんわい。一つだけパーツがなくて気持ち悪いのだ」


 まあ、事前に言っておけば誰も文句は言わんだろう。興味持ってそうな奴もいないし。

 ガルドにリモコン操作をしてもらっていろんな表示を楽しむが、内部からでもタッチパネルで操作ができるらしく、空中に浮かんだオプションを弄ってみる。双眼鏡のようにズームさせたり、周りの表示を消して映画のような大画面表示にしたりもできるらしい。

 一切の情報を断って数百インチはありそうな大画面で映画を見るのは、なかなかに迫力がありそうだ。


「ダンジョン・アタックの動画の中には、周りの景色ごと表示するものもあるぞ」

「おお」


 そうして俺の視界に表示されたのは懐かしのトライアルダンジョンだ。知らない冒険者が攻略しているのを、まるでその場にいるような臨場感で体感できる。どこに視界を移動させても、見えるのはダンジョンだ。これはすごい。

 手動でも移動可能だが、しゃがめばそのまま視点は下がるし、歩けばちゃんとその分移動する。当然触る事はできないが、冒険者に近づけば透明人間にでもなった気分を味わえる。

 編集時点でAR用の設定をしないといけないらしいが、手間を考えても需要はあるだろう。ククルにお願いしたら編集してくれるのだろうか。


「これに対応しているソフトはあまりないんだがな。大抵は、ゲームか普通にテレビを見る用途に落ち着くらしい」

「まあ、そうだろうな。ガルドは普段どんな番組見てるん? ダンジョン・アタックの動画ばっかりってわけでもないんだろ?」


 と言いつつ、俺は女性冒険者のスカートの中を覗こうと視点移動させる。ふふふ、この子もまさか映像で覗きをしている奴がいるとは思うまい。


「一体何がどうなってその体勢になるの……?」


 傍から見たらよほど変な格好をしているらしい。まあ、尺取り虫みたいになってるからな。

 この探求心を満足させるのには些細な犠牲だが、スカートの中は見えない。くそ、認識阻害か。ガッデム。


「ワシが普段見てるのは時代劇とかだな。長く続いた長寿番組を片っ端から見る事が多い」

「岩場とかの風景動画とか旅行番組が好みかと思ってたんたが、思った以上に俗っぽいな」

「そういうのも好きだが、時間は有り余っとるからな」


 寝ないから、時間も余るって事か。数百話あろうが余裕で完走できそうだ。

 永久に年を取らない海産物の話とか、未来から来た青い狸とかも余裕である。


「一年かけて放送される特撮モノなども大抵は見とるぞ。順に見ていくと技術の移り変わりが感じられてなかなか興味深い。あとは、特撮に続いて放送される魔法少女モノとかも手を出しとる」

「あ、悪食だな」


 なんでもいいのかよ。見かけによらないが、萌えとかそういうものに興味があるわけでもないんだろうな。岩だし。


「最近ではリアルタイムの放送も追うようになってな。ついこの間から始まった魔法少女☆ミラクルるるなど、癖は強いがなかなか見所のある作品でな。パンダ……」

「……パンダ?」


 なんだ、幻聴か? 何がどうなって魔法少女の話からパンダが出てくる。まさか、カポエラパンダの呪いが再発したとでも……。


「ぬおっ! なんだ一体っ!? ……何故、そんな的確にワシのコアを! ぬわーーっ!?」


 だが、説明はない。そして、ガルドの悲鳴を言葉に遮るように、何かが砕ける音がした。何、なんなの!? 世代交代しちゃうの?

 視界はトライアルダンジョンだから状況が確認できない。ここは脱ぐべきなのか。いや、しかし……。


「ど、どうした? 何かあったのか?」

「何もないから」


 返事をしたのはガルドではなく、リリカだった。


「何もないから」

「いや、二度言わなくても分かるが……ガルド? ガルドさん?」


 肝心のガルドからの返事はない。今、俺の周りで何が起きているというのか。

 ……どうしよう。バイザー外す勇気がない。


「何もないから」




-2-




「ああ、なんとなくそんな展開になるんじゃないかと予想してました。問題ありませんよ」


 翌日、予定変更について摩耶に説明したところ、そんな回答が返ってきた。これで道中必須になる< 斥候 >ポジションは安泰だ。


「予想してたのか。……マジで?」

「最近は想像できる範囲で最大限に突拍子もない展開が起きる事を想定しているので、まだ大人しいほうじゃないかと。理由も納得できるものですし。確かにクランマスター講習のスケジュールを考えるなら、理想的です」


 常在戦場の心得というやつだろうか。いつ敵に襲われても即応できるようにとか。俺、そんな心構えしてないんだけど。


「こんな心構えをしてても、その斜め上を行くのが渡辺さんなんですけどね」

「いやいや、いくらなんでもそこまででは……」

「討伐指定種遭遇までは予想しても、完全な新種は予想外でした。私の認識ですらまだ甘かった」

「魚マンは誰も予想できんわ」


 前情報なしにあんなのが出て来る事を予想できたら、それは予言者とかそういった類の存在だろう。脈絡がなさ過ぎる。

 存在も唐突さも理不尽ギャグの登場キャラみたいなアレが俺のせいっていうのはさすがに解せない。


「俺の事は置いておくとしてだ。……って事はOKだな?」

「はい。八本腕の攻略情報については概ね調査済みですから、あとで打ち合わせでもしておきましょう。時間がなければ攻略中でもいいですし」

「第五十層に辿り着けないって可能性も十分にあるし、途中で誰かが脱落してても挑戦しないつもりだぞ」


 いくら攻略し尽くされたボスだとはいえ、そこまでの道はまた別だ。四十一層を覗いた時には普通のフロアだったからのっけから進めないっていう展開はなさそうだが、それ以降は未構築のランダムダンジョンである。ラディーネがいないからフロア構造を把握してから進むという事も難しいし、滞在時間内に次の層に辿り着けないなんて事もありえる。

 < 四神練武 >の第四エリアと比較して大丈夫なつもりになっているが、モンスターだってこれまで以上に強力な奴らが出て来るだろう。

 中継ポイントである第四十五層を突破できれば上々と呼べる結果である。普通のパーティならそれでも出来過ぎの部類だ。


「ところで今回の件はクラン創設時期に関わってくる問題なんだが、摩耶は< アーク・セイバー >の寮から引っ越しをするつもりはないか?」

「……ああ、そろそろそういった事も考えないといけない時期ですね。でも、退団の話を通すならともかく、引っ越しは早いんじゃ」

「いや、実は最近引っ越した奴の中に一人で部屋を使わせるのが非常に不安になる奴がいてだな、ルームシェアというやつをしてみないか? 今なら相部屋に拡張するためのGPも出しちゃうぞ」

「嫌です」


 即答である。


「……り、理由を聞いてもいいかな? 相部屋が嫌とか……」

「今の寮も相部屋なので、それは別に。ただ、この上なく、猛烈に嫌な予感がします。最近、勘に従う事が渡辺さんたちと上手く付き合ってく方法だと実感しているので、ここはノーです」


 くそ、正解であるのがまた腹立たしい。会った頃の摩耶なら、簡単に騙されてくれそうなのに。

 もうあんまり候補がいないんだ。ここはやはりロッテさんに期待するしかないのか。


「というか、その話だとリリカさんしか候補がいませんよね。ディルク先輩から聞いた、片付けができないという話でしょうか。……そんなにひどいんですか?」


 知ってるのかよ。パーティ組んでたディルクからの情報なら有り得そうだ。


「……ひどい。パンダ軍団総がかりで一日仕事だった」

「それはまた……」


 あのあと、ガルドの持っているオーディオ機器やらゲーム機やら良く分からない面白グッズで時間が経つのも忘れて遊んでいたのだが、アレクサンダーに声をかけられて時間を確認するとすでに夕方。しかし、そんな時間になっても引っ越しは終わっていなかった。運び出すのは精々二時間程度だったので入れるのもそれくらいだとタカを括っていたのだが、どうも入り切らなかったらしい。

 最終的にラディーネの許可をもらってパンダたちのログハウスの一部を借りる事になったのだが、それでも一部屋が埋まる量である。ウチのクランハウスの部屋は寮と比べてもかなり広いはずなのに、不思議な事があるものだ。ちなみに、そのままティリアの庭に置くのは庭のヌシに反対された。

 これは、リリカがGPを稼いで部屋を拡張できるまでは買い物を禁止しないといけないな、と本人に話したところ絶望的な表情をされたが自業自得である。リリカさんはもう少し自重しないといけないと思います。

 実はこの前のイベントの賞金だってもうないっていうし。……耳を疑ったわ。


「そもそもの話、クラン設立したら一人暮らししようと思っていたんですよね。弟たちも手がかからなくなってきて、頻繁に実家に戻る必要もないですし。クランハウスだと、結局共同生活のようになってしまうので」


 なんだ、もともとクランハウスに住むつもりはなかったのか。


「一人暮らしね。姉弟多いんだっけ?」

「多いですね。私が一番上で、下に弟が二人、妹が四人います」


 そらまた賑やかそうな家庭だな。両親頑張り過ぎだろ。

 迷宮都市の外から来た人が家庭を持った場合はそんなケースも多いと聞くが、それと同じだろうか。


「迷宮都市が豊かな証拠だよな。ウチの故郷だったら売られるか、最悪間引きされてる」

「それはまた……色々聞いてますけど、闇が深い村ですね、ははは」

「笑い事で済まないんだよな。あの村だと」


 本当にシャレになってないんだぞ。今度ゆっくり聞かせてやろう。話したら泣くかもしれんが。……主に俺が。




 そんなわけで、ユキと水凪さんにも同じように参加の了解をもらう。結果として、特に問題なく第五十層攻略が決まった。もう少し問題が出るかと思っていたので、拍子抜けしたくらいだ。


『え、もう来週のオーダー決めちゃったんだけど……』


 この展開を一番予想していると思っていたユキが一番動揺していた。以前あったように自分メインで一ヶ月ダンジョン・アタックしなければいけないという使命感に燃えていたのかもしれない。だが残念、その使命は一週間後ろ倒しである。


 そうして第五十層攻略に向けての準備を始める。

 なんせ、予定していなかった層のダンジョン・アタックだ。今後の事を見据えて情報を集めていたものの、その絶対量は足りていない。摩耶やユキが集めていた情報を元に打ち合わせを繰り返し、参考になりそうな攻略動画を何度も確認する。ガルドと組んだ事のないメンバーが多数なので、連携確認のために攻略メンバーでの模擬戦も行った。

 そうしている内に、あっという間に一週間が過ぎる。世間は< 血のバレンタイン >イベントで賑わっているが、ウチは普通のダンジョン・アタックである。アンチスレに投稿され続ける大量の罵声は無視だ。

 メンバーは俺、ユキ、サージェス、摩耶、そしてガルドと水凪さんの六人。キメラではなくサージェスなのは対八本腕の相性を想定しての事だ。アレ相手にはスキル連携が得意な< 格闘家 >のほうが望ましい。

 意外に……というか、第四十層攻略のメンバーよりもパーティバランスは良い。盾も回復も補助も後衛火力もいるよ。大体水凪さんだけど。



[ 無限回廊第四十六層 ]

 摩耶の懸念や最近の展開的に意外ではあるが、何事もなく攻略は進んだ。

 四十層以下に比べてハードな難易度ではあるが、それは想定の範囲内である。懸念されていたハズレマップにも今のところ遭遇せず、スタンダードな洞窟や迷宮ばかりだ。討伐指定種にも遭遇していない。当然、魚マンもいない。いや、あいつも討伐指定種だけど。


「もうハズレマップ男とは言わせない」

「誰も言ってないから」


 なんとなく口に出した言葉にユキのツッコミが入る。固有の名称で言ってないだけで、思ってはいただろうが。俺がいるとハズレマップになるって、何度か言われたし。


「で、このまま続行?」

「ああ。特に問題もないし、予定通り五十層まで行くぞ」


 現在地は第四十六層。転送ゲート付近の安全地帯だ。帰還するなら中継地点であるここだが、引き返す理由はない。

 経験者であるガルドや水凪さんに聞いてみても、ここまでの道のりはかなり無難なフロア構成らしい。ここはむしろ引き返して再挑戦したら第四十七層あたりでハズレマップに当たるフラグである。


「それで、ずっと気になってたんだけど何読んでるの? 最近、層の合間はずっと読書だよね?」

「読書っつーか、勉強だな。参考書だ」

「……参考書?」


 基本的に転送ゲートの前後……安全地帯は暇だ。制限時間の余りを使って次の層攻略に向けての準備、前階層での反省会と問題の洗い出し、新たな連携確認に純粋な鍛錬などやる事はたくさんあるが、目下必要なのはクランマスター講習や付随する資格試験に向けてのお勉強である。

 現在読んでいる参考書も付箋や書き込み、蛍光マーカーの線が引かれていたりと気分は受験生だ。つーか、受験の時もこんなに勉強した記憶がない。


「よし、お前も必要だからこれを貸してやろう」

「わ……って分厚いんだけど、なにこれ?」

「だから参考書だ」

「……なんの?」

「それはクランマスター講習の。俺の半分でいいとはいえ、お前も受講するんだから予習しとけ」

「…………え?」


 ユキの表情が引きつった。

 冒険者が受講する講習は、基本的に試験などは存在しない。一部実技試験などもあるが、特定の資格を得るためのものだけだ。だからこうして参考書が必要になるような講習を想定していなかったのだろう。俺もそうだが、大抵のクランマスター候補たちは面食らうらしい。

 俺とユキが受けるクランマスター講習はかなりの長期に渡る。その途中で四回、前期二回、後期二回の試験があり、試験をパスしないと先の講習に進めないのだ。サブマスター資格だけ取得すればいいユキが受講するのは前期分のみだが、それでも勉強は必要だ。正直なところ、俺が今受けている仕打ちに比べたらヌルい事この上ない。


「あとは参考問題集と……一般教養試験も必要だな。あとで渡す」

「ちょ、ちょっと待って。講習必要なのは知ってたけど、参考書がこんな分厚いの?」

「言っておくが、それはマシなほうだ。……俺なんて悲惨だぞ。見ろ、この参考書の山を。これでほんの一部……氷山の一角だ」

「うわあ……」


 《 アイテム・ボックス 》に積まれた参考書の山を見せてやると、ユキの表情がなんともいえないものに変わった。

 この大部分はユキには関係ない部分……というか、一般的なクランマスターには関係ないものなのだが、少しでもクラン設立を早めるためには必要なものなのだ。パッと見、まったく関係ない分野が含まれているようにも見えるが、中身を知るとなるほど意味はあるな、と納得させられてしまうからタチが悪い。これでは愚痴もこぼせない。


『ダンジョン内なら時間経過しませんし、勉強時間は確保できますよね?』


 と笑顔で言い放ちながら大量の本を渡してきたマネージャーの顔が浮かぶ。最近では夢にまで出てくるから恐怖しか覚えない。

 違うんだ。ダンジョンの空き時間は攻略の傷を癒す時間、休息時間に当てるべきであって、殺伐とした二宮金次郎を演じる時間ではないんだ。いつか想像した光景を自分が演じる事になってしまって、正直困惑しているんだ。

 ユキさんも、相棒としてこの苦楽を一部分かち合うくらいはしてくれてもいいだろう。分かちあっても結局同じ部分を勉強しないといけないから実質的な意味はないが。


「えっとね、言い辛いんだけど、ボク中卒なんだよね」

「前世の話なら、そら知ってるが」


 それは癌で闘病生活に入ったからであって馬鹿だからではあるまい。言い訳にはならん。というか、多分お前地頭はいいからイケるさ。いける、いける。なんなら半分くらい他分野の試験を受け持ってくれてもいいんだぜ。クランマスター資格以外は、所属者に資格保有者がいればいいんだし。


「高校どころか日本の一般教育課程で習う部分には一切触れてないから問題ない。安心したまえ」

「そりゃそうだろうけどさ……声かけるんじゃなかった」


 声かけなくても、最終的には覚えないといけないんだから関係はないぞ。

 ああ、どうせならスキルオーブのように知識を焼き付けるアイテムとか、睡眠学習装置があればいいのに。

 ……いや、駄目か。ありそうな気はするが、それはそれで悪夢のような苦しみが待っているような気がしてならない。


 というわけで、波乱こそないものの、ある意味これまでで最も過酷なダンジョン・アタックとなった。




-3-



[ 無限回廊第五十層 ]


 そして、勉強以外は大した波乱もなく目的の層に到達する。あとはボス部屋までの道のりを残すのみだ。摩耶が先行偵察して来た限りでは、ここも特殊なマップではないらしい。俺たちは比較的安全が確保できた場所で最後のブリーフィングを始めている。……うん、なんか直接関係ない知識ばっかり詰め込んでた気がするけど、冒険者は本来こうでないと。


「八本腕の対策の要は各腕の破壊です」


 用意した資料を元に、摩耶が八本腕の解説を始める。大体が既知の情報なので、再確認の意味合いが強い。


 八本腕が強敵と呼ばれる理由の一つは、各腕が独立して行ってくるスキル連携にある。

 技の精度や威力、発動速度が高水準なのもそうだが、こちらから割り込みをかけない限りほぼ100%の確率で三~五連携を決めてくる。機械だから正確なのは分からんでもないが、それに加えて発動後の技後硬直も異様に短いというおまけ付きだ。

 なら、魔術なら突破できるのかといえば、奴は《 魔力切断 》などの魔力干渉スキルを持っているので、広範囲で発動するようなものはともかく、射撃魔術や指定箇所で発動する魔術は阻害される。奴の腕を粉砕するには物理攻撃にしても魔術攻撃にしても一定回数以上の連続性が必要になるのだ。スキル連携にはスキル連携。あちらは避ける事よりも迎撃を主体として動いてくるから、同じ回数のスキルを当ててやればいい。

 この条件を満たし易い< 格闘家 >ツリーは、ここを初見攻略したい冒険者にとっては必須と言われているクラスらしい。当然だが、安定して高回数の連携スキルが発動できる前衛職であれば問題はない。もちろん、技後硬直などのリスクを考慮した上での話だ。

 つまり、援護を含めて八本腕のスキル連携を超えてダメージを与えるのが攻略の最低条件なのである。


「ようするに、渡辺さんやサージェスさんのような人たちがいる場合は、特に問題のない相手という事ですね。肝心の正面戦力はガルドさんがいますし」


 八本腕攻略の説明を続ける摩耶が言う。まあ、ダメージソースがないと始まらないから重要なのはそうなんだが、他にも奴の攻撃を受け止める盾や補助だって大事だ。ただ、今回はその盾や補助も経験者ときてる。


「攻撃職が最低限機能しているかの試験官ってところかな。ボクでも条件はクリアしているし、他にもガウルや摩耶、あとは連続性って意味ならボーグでも単独でいけるかな」

「私の場合は連携を多用しない事もあるので、ギリギリといったところですが」


 確かに摩耶がスキル連携してるところはあまり見た事がない。基本的に、要所要所で最大効果を狙って攻撃スキルを発動する程度だ。今回も主力に回る事はないだろう。

 実際やってみないと分からない部分は多いが、最悪複数人でかかればダメージは通るんじゃないかと思う。


「正攻法はスキル連携を上回る連続攻撃で腕を破壊して最終的に本体を倒すという手段ですが、複数の攻撃役がタイミングを変えて攻撃してもいいですし、スキル連携の中断を狙うという手もあります。奴が持つ武器は多彩ですが、各武器種一つずつしか保有していないので武器破壊も有効みたいですね」


 武器種自体が多いからあんまり現実的ではない気もするが、実現可能かと聞かれれば可能だろう。本職の< 鍛冶師 >やアーシャさんあたりならやってのけそうだ。


「火力があれば腕を無視して本体を叩くという手もありますが、推奨はされていません」

「なんでだ?」

「本体は硬いのだ。腕が破壊されるごとに弱体化する仕様らしい。一応、ダメージは通るから倒せはするのだが、上のランクが腕試しとして使う手段だな。ワシらの火力では厳しい。というか、< ストーンヘンジ >の連中でもできなかった」

「まるっきりゲームのボスだね」


 同感である。親切なゲームだと画面端に指示が出たりするんだぜ。『右腕を破壊しろ』とか。

 今は攻略方法が分かってるから問題ないだろうが、初見の攻略パーティなどは大変な目に遭ったのではないだろうか。


「この先、条件を満たす事で弱体化するモンスターも出てくるので、その練習相手でもあるんでしょうね」


 いつも通り、この先必要な実力を有しているかを確認するための試験って事である。

 ここは最低限を備えたパーティならただの強敵、足りていないパーティには超え難い壁。ウチにとってはただの強敵である。もちろん強いのは強いので油断などできるはずもないのだが、ガルドと水凪さんがいれば戦況はかなり安定するだろう。真っ当に戦うつもりなら、ダメージを通すために前衛攻撃役が二人は必要。正面の本体を抑えないといけないからそこに盾役は一人必要として……パーティ構成によっては詰むな。どうしても、パーティとしての総合力が試される。ここで躓くのは一人の技量に頼った歪なパーティや、後衛のみで火力を叩き出すような尖った方向性のパーティ。少人数やソロなんて論外だ。


「実際、本気で作業を分担するなら、六人でも足りないくらいだね」

「基本的に中層以降に要求される戦力はフルメンバーのパーティ前提だ。ソロでここを突破するのはほとんど不可能に近い」

「ソロの冒険者……たとえば、バッカスはどうやってここを抜けたんだ?」

「公開はされとらんな。あいつは一人でないと極端に弱体化する特殊な例だから、ソロ特有の方法があるのかもしれん。あるいは一時的にパーティを組んだという事も有り得る」


 パーティを組むってメリットを捨てている代わりに個人能力が高いと……。あいつ、そんなスタイルの冒険者だったのか。嫌われてて誰も組んでくれないのかと思ってた。上司とはいえ、テラワロスが助けたとも思えないし。


「トップクランの前線組なら一人でも余裕らしいぞ。ダダカの奴は、時々スキル連携の実戦練習に使っていたらしい」

「何やってんだ、あの人」


 いや、練習相手には最適なのかもしれんが。……まさか、フィギュアパーツが欲しかったわけじゃないよな?


 そんな最終確認を終え、俺たちは第五十層のボス部屋を目指す。

 道のりは複雑で険しく、強敵は多くと、決して楽な道のりではないが、地上での戦いというだけで随分気が楽だった。逆に水中なら水凪さんの独壇場になるらしいが、その見せ場は来ないままボス部屋まで辿り着く。目の前には巨大な扉。無限回廊では久しぶりに見た気もするが、ボス部屋の扉が伸しかかるような重圧を放っている。


「さて、……行くぞ」


 全員が頷くのを確認して、俺は扉を開けた。




 部屋の中に入り、まず感じたのは殺気。鋭い、矢のような殺気がビシビシと肌に突き刺さる。

 その気配の先にいるのは機械仕掛けの多腕蛇。ここまで散々映像で確認した第五十層ボスの姿だ。

 それは俺たちの姿を確認するや、猛烈な勢いで突進してきた。武器を手に巨体が跳躍し、頭から飛び込んでくる。


「どおおおっせいっ!!」


 ガルドが全員の前に立ちはだかり、真正面から体当たりを受け止める。

 予定通り。予定通りなのだが、想像以上に八本腕の動きが速い。正面の攻撃をガルドが受け持ってくれるとはいえ、跳ね回る胴体部分の腕を捉えるのは至難の技だろう。手にしたハルバートでガルドへと加えられる猛攻。巨大な盾でそれを防ぐガルドは頼もしい事この上ないが、あの猛攻を受け止める事が他の誰かに可能だろうか。少なくとも俺は不可能だろう。

 この戦いで要求される戦力は腕を破壊するダメージソースが第一に挙げられるが、それ以前に正面から攻撃を受け止める盾役がいないと話にならない。避けてはいけない、いなす事も最小限。でないと他のパーティメンバーに被害が出かねない。純粋にすべての攻撃を受け止めるだけの防御力と体力が必要となる。

 長丁場になる。その確信があった。事前情報があろうが、こいつはタフな相手だ。


 俺たちがまずしなければいけないのは、動き回る体の腕を射程に収める事。その口火を切ったのはユキの< アンカー・ショット >だ。水中でなくとも、接敵するための手段としては有効である。突き刺さったロープに引っ張られるようにユキの体が飛ぶ。

 胴体の腕もただ待ち構えるだけではない。蛇腹のように伸び縮みする腕が、鞭のように襲い掛かってくる。そして、それを迎撃してもすぐに逃げられる。腕だけでヒット・アンド・アウェイを実現してくるのだ。


「行くぞっ!! 合わせろっ!!」

――Action Skill《 フォートレス・バッシュ 》――


 ガルドの合図に合わせ、一瞬だけよろめいた八本腕に肉薄する。

 正面から攻撃を受け止めるという最重要ポジションを担当しつつ、更には攻撃のサポートまでやってのけるガルドが如何に盾として優秀か思い知らされる場面である。だが、その分負担は大きいはずだ。

 まずは一本。一本でも腕を潰せば俺たちだけでなくガルドも楽になる。だが、焦りは禁物だ。ここは時間をかけてでも確実に敵戦力を削るべきだ。

 蛇から生えた蛇のような腕を捉える。手にした武器は長剣。


――Action Skill《 パワースラッシュ 》――


 小手調べとばかりに発動してくるのは、馴染みの深い基本剣技。それを叩き落とす。

 弾いた腕との距離が離れる。追撃ができない。くそ、スキル連携で迎撃する以前に、まずは一対一の構図を作り出すのが困難だ。

 一応、あちらが連携を始めれば動きは止まるものの、その連携には対処する必要があるわけで……。


「ツナ、横っ!?」


 ユキのかけ声で、横から急接近するもう一本の腕に気付く。

 単純に切り払うだけで不意打ちは避けられたが、危ない。伸びてくるんだから一本だけを相手にするわけにもいかないんだが、こうしていざ実戦となると厳しいな。大部分の負担をガルドに任せてもこいつは強敵だ。

 誰だよ、問題ないなんて言った奴。全然楽な相手じゃねーよ。


「リーダー。真っ当な方法でアレを正面から捉えるのは不可能です」


 先ほどから八本腕の周りを飛び回って隙を窺っていたサージェスと合流する。

 確かに言う通りだ。打ち合った感触からして、アレを一体の相手と考えるのは間違っている。一本一本が独立して動いてくるが、結局のところすべてが連携してくるのだ。そこを履き違えたらえらい事になる。


「二人がかりで行くぞ。俺が打ち合ってる隙を狙え。狙うのはできれば伸び切った腕部分だ」

「了解」


 バラバラに腕を攻撃するのではなく、確実に一本ずつ仕留める作戦にシフトした事が伝わったのか、ユキと摩耶の動きが変わったのが分かる。事前の作戦通りなら、不意を付いてくる別の腕に対処してくれるはずだ。時間はかかるが、ここはガルドを信じるしかない。


 そこから長い戦いが始まった。

 ユキと摩耶が誘導している間に俺が腕を捉え、スキル連携で動きを封じつつサージェスがダメージを稼ぐ。稼ぐだけですぐに仕留める事はできない。そうして逃げられる。

 損傷した腕は温存を始めるので、連続して同じ腕に攻撃する事も難しい。少しずつ、本当に少しずつダメージを蓄積させていく。その間も、ガルドは真正面から猛攻を受け止めている。正規の盾役……たとえばティリアでも、この戦線を長時間支え続けるのは不可能だろう。次回以降が不安になる戦いである。


 一本目の腕を破壊するチャンスが訪れたのは、時間にして数十分が経過してからだ。

 こちらの動きに合わせて水凪さんが放った矢が命中し、一瞬だけ動きを止めたところを俺が強襲。その後ろで伸び切った腕部分へサージェスが飛び込んだ。ほとんど防御無視の特攻でなんとか一本目を粉砕する事に成功する。

 喜んだのもつかの間。同じ事をあと五本分繰り返してようやく本体と対決かよ、という流れを想像してゲンナリした。

 とはいえ、一本破壊すればその分腕同士の連携も減る。併せて本体も弱体化する事でガルドの負担も減った……ように見える。

 二本目、三本目と数を減らしていくにつれ、目に見えて八本腕の動きが悪くなってきた。いや、もう五本腕だが。そうして、四本目の腕を破壊したところでしびれを切らしたガルドの鉄拳が飛び、八本腕の体が吹き飛んだ。

 あとは総力戦である。やたら長い戦いで鬱憤の溜まった俺たちのストレス解消が始まった。


[ 無限回廊第五十層階層ボス八本腕撃破 ]


「長いっ!! さすがに疲れるわい」


 戦闘が終わった直後にガルドが叫ぶ。どうやら本人もここまで長くなるとは想定してなかったらしく、途中で面倒になっていたらしい。

 つまり、俺たちでは火力や戦闘経験が足りていないのだ。だから盾依存の長期戦闘になってしまう。あの八本腕を真正面から受け止めるのはガルドの巨体があってこそだ。人間サイズの盾役ではどうしても無理が出る。同じ事をティリアにやれと言っても不可能だろう。そもそも、あの猛攻に対して長時間は保たないはずだ。

 ……これは課題だな。第五十一層の壁以前の問題として、第五十層の壁も想像以上に厚かったという事だ。


 ともあれ、とりあえずの目的である第五十層突破は叶った。これでクランマスター講習も受けられるわけだ。


「しかもなんで尾ばかり三つもドロップするのだ。意味が分からん」


 フィギュアパーツもお目当ての物は出なかったらしい。それは俺たちのせいではない。




-4-




「まさか、本当に第五十層攻略してくるなんて……」


 ダンジョンから帰還したあと、打ち上げもそこそこに、報告がてらリリカの部屋に行く。散らかしていないかのチェックも兼ねているのだが、まだ人が活動する範囲に収まっているので良しとしよう。散らかっていないとは言っていない。


「攻略するにはしたが、ありゃダメだ。現時点の火力じゃ、ガルド並みの盾がいないと話にならない。しばらくは第四十層付近がメインだな」


 第五十層では、ガルドの存在は反則に近い。それに頼り切ってようやく攻略できたのだから、俺たちの地力が足りていないという事なのだ。基準に達しているのはせいぜい水凪さんくらいだ。

 まだ四十層を超えていない奴は大半なのだから、それを順に引き上げるのが直近の目標になるのは変わらないだろう。それをやるのは主にユキだが。


「それで《 魂の門 》だ。いつならいける?」

「いつでも。ツナ君が横になれる場所……この場合は自室がいいと思うけど」

「分かった。じゃあ、さっさと済ませちまおう」


 と、やる事を全部済ませた勢いでこちらも片付けてしまおうと移動する。

 女の子を部屋に呼ぶというシチュエーションなのだが、何故かあまり興奮しない。あの汚部屋騒動の直後だからだろうか。

 《 魂の門 》の発動時間は人にもよるが一、二時間程度。初回は長くなる傾向にあるらしいので、長めに見て三時間というところだろうか。しばらく予定もないので何時間かかろうと問題はないのだが。


「いいかね、リリカ君。部屋というものは普段からこうして片付けておくものなのだよ」


 部屋に入るなりそう説明したら無言で後ろから抓られた。解せぬ。


「結局、なんで《 魂の門 》を使いたいのか分からないままなんだけど。そんなに魔術使いたいの?」

「そういう事にしておいてくれ」


 実際には超すごい魔法使いに言われたからなのだが、今時点でそれを明かすつもりはない。

 リリカの説明によれば、《 魂の門 》は魔術の素養を訓練するための術式。そういう認識らしい。ただ、おそらくそれだけではない。わざわざエリカが指示してくるくらいなのだから、何か別の目的があると思ったほうがいい。そもそも俺には魔術の素養はない。基準に達している適性値が一つもない時点で、メインにする事は不可能という結論に達している。修練してもせいぜいがトカゲのおっさん程度。補助に使う程度にしか体得できないだろうとの事だ。


 自分のベッドに横たわり、右手をリリカが握る。すこぶる元気なのだが、気分は入院患者だ。


「じゃあ始める。スキルとしては確立してないから。少し時間かかるけど」

「よろしく」


 軽い感じで始まったが、直後、リリカの周囲に猛烈な重圧が集まるのを感じた。おそらくは魔力。濃密な魔素が魔力に変換され、術式を構築しているのだろう。良く分からんが、プレッシャーだけはただ事でないと分かる。

 そうして数十秒後、特にスキル発動のメッセージも出ずに《 魂の門 》は発動した。


 瞬きをしたわけでもないのに急に視界が切り替わり、あたり一面白い空間に覆われている。寝ていたはずが立っていて、右脇には変わらずリリカの姿があった。……何もない。ただ白い空間にポツンと二人で立っている。


「これが《 魂の門 》?」


 たとえて言うなら、あのモノリスがあった場所に似ている。神様が現れて、土下座でもしてきそうな空間だ。


「違う。ここは入り口。門の形成には少し時間がかかるから。……多分、正面に大きな門が出現すると思う」

「思う?」

「人によって違う。その人の魂の形、心の形、深層意識を表したものが形をとって現れる。だから、発動する時期によって形は変わるし、中身も変わる」


 その時の心理状況が反映されるって事か。


「ただ、奥に行けば行くほど門は歪になる。それは、深層心理の根源が美しいものではないという意味でもある。そこに例外はない。自分の内面を見て落胆しないで欲しい……気をつけて」

「門ってのは一つじゃないのか? というか、リリカも一緒に来るの?」


 てっきり、俺一人が潜るものだと思ってたんだが。


「私……というか、対象以外が干渉できるのは表層部分であるここまで。第一の門以降は一人の戦いになる」

「戦い? 戦闘があるって事か?」


 武器とか持ってないんだけど。こんな世界に持ち込めるのかも分からんが。


「戦闘は……ないとは言えない。上手く表現するのは難しいけど、この術は魂に干渉して研磨するためのものだから。そのための世界が待ってるはず」


 良く分からん。穏当なものではないと思っていたが。


「多分だけど、ツナ君の世界は苛烈なものになると思う」

「なんでそう思う?」

「世界が彩るのはその人の魂の形だから。ツナ君、普通じゃないし」


 なんでやねん。


「……その兆候はもう出てる。ほら」


 リリカに促されて空間の奥を見ると、そこには何かが出現しつつあった。輪郭しか分からないが、あれは巨大な門だろうか。


「普通、第一の門があんな巨大になる事はない。私が見た事あるのは自分と師匠のものだけだけど、それでもはっきり分かるくらい違う」

「普通はどれくらいなんだ?」

「その人が普通に潜れるくらい」


 ……ビルサイズやぞ、あれ。ガルドが二人で肩車しても余裕で潜れる。

 はっきりと見えるようになった門は、一切の装飾がない、ただ巨大な門だ。材質は石に見えるが、良く分からない。こんな世界で材質に意味などないだろうが。


「門が大きいとおおらかな人とか?」

「人格との因果関係は良く分からないけど、……形や大きさは、中で待っているものとの関係はないって師匠が言ってた」


 でかいからすごいってわけではないと。まあ、占いってわけでもないしな。


「さっき、第一の門って言ったのは?」

「多分辿り着けないと思うけど、あの奥には更に門があるの。奥に行けば行くほど深く魂に干渉する事になる。第二の門に辿り着ければ、ツナ君でも魔術の術式を感覚的に制御できるくらい……一般的な魔術士が数年かがりで体得する感覚を一日で得る事ができる」


 魔術士になりたいわけではないんだが。いや、使ってみたいとは思うけど。

 ……なにか根本的なところで履き違えている気がするのは気のせいだろうか。アレはもっと……魂の潜在的な部分に干渉するための扉じゃないだろうか。実際、目の当たりにしてより強く思う。

 ……あれは、決して魔術の素養を磨くためだけのものではないと。


「第三の門は?」

「分からない。あるのは確かだけど、私が開いた事はないから」


 つまり、リリカが辿り着けているのは第二の門という事なのだろう。


「他に何か注意する事は?」

「特には……細かい事はあるけど、ツナ君なら問題ないと思う。……それに、一回でどうこうなる世界でもないし」


 普通は二度三度と繰り返して素養を身に着けていくという事か。俺の場合、次があるのか知らんが。


「んじゃま、ちょっくら行ってくるわ。帰る時はここに戻ってくればいいのか?」

「戻ろうと思った時点でここに戻るはず。そこが現時点の限界だと思えばいい」


 なんだか不思議仕様だが、そういうものなのだろう。迷宮都市で色々体験しているから今更ともいえる。




 リリカと離れ、一人門への道を歩く。遠いのか近いのか良く分からない。この空間は距離感まで曖昧になるのだろうか。気がつけば、手が届きそうな距離にまで迫っていた。

 特に触れるでもなく、門が開く。巨大な門が音も立てずに口を開いていく。門が開いた形は無限回廊で良く見る転送ゲートのものに似ている。ただし、その奥にあるのは闇だ。何もない。覗き込むと吸い込まれそうなほどの深淵が広がっている。……足踏み入れたら、いきなり落ちるとかないよな?


 一度だけ振り返ると、リリカは変わらずそこに立っていた。ここで止めないという事は、これが普通なのだろうか。怖いんだけど。

 こんなところで立ち止まっていても仕方ないと、足を踏み出す。この先に待っているのは俺の深層心理というやつらしいが、そこに出るのは果たして鬼か蛇か、それとも超すごい魔法使いなのか。


 一瞬にして視界が切り替わり、目の前に現れたのは無数の扉。いくつもの扉が物理法則さえ無視して鎮座している。俺が通るには小さ過ぎるものから先ほどくぐったビルサイズの巨大なものまで、ほとんどは開ける事もできないんじゃないかというほどに歪んだ扉ばかりだ。




「遅かったですね。待ちくたびれました」


 ……予想通り、自称超すごい魔法使い、エリカ・エーデンフェルデがそこにいた。



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