幕間「森の梟」




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 冒険者というのは貧乏で危険で暇ばかり持て余す職業である、というのはつい最近まで持っていた認識だ。

 だからこそ底辺職と呼ばれて蔑まれ、冒険者たち自身もそう自覚しているからこそ、より安定した職を探すために必死になる。

 奴らは基本的に暇人である。金がないのだからその暇で仕事をすればいいと思うだろうが、その仕事がない。伝手もないし、日雇いの仕事だっていつも募集しているわけではない。かといって勝手にモンスターを狩りに行ったところで一銭の儲けも発生しない。モンスター駆除による報酬はあくまで冒険者ギルドの依頼に基いて発生するものなのだ。そして、いざ仕事を受注すれば一変して忙しくなる。スケジュール調整など利かない。定期的な休みも存在しない。極めて不安定な職業といえる。

 それがこの世界における常識で、迷宮都市における冒険者はそれとは別物と考えていいだろう。両者は名称が同じなだけで、待遇も環境も実力も比較する事が間違いなほどにかけ離れている。どちらがいいかと聞かれれば、十人中十人が迷宮都市の冒険者を選ぶはずだ。

 もちろんいいところばかりではない。完全な実力主義はより顕著になり、怪我や死を超越している分負担も段違い。軽い気持ちで冒険者になってみようなんて気持ちでいると、文字通り死ぬような目に遭うわけだ。

 それらの待遇も俺が迷宮都市の冒険者になる事を決めた一因ではあるが、根本的な理由ではない。あの戦争での体験や所属していた傭兵団の壊滅、ベレンヴァールの存在があるのも確かだが、それも決定打にはなり得ない。

 根本的な理由は俺が生まれるより以前、別人として生きていた頃の記憶にある。こびりついた負の記憶がいつだって俺の人生の指標となってきた。それがいい事かと聞かれれば、当然いい事ではないだろう。亡霊に取り憑かれているようなものなのだから。

 とはいえ、この世界に無数に存在する転生者は多かれ少なかれ似たような経験をしていて、感じ方は人それぞれだろう。俺の場合は、その割合がちょっとばかし悪い方向に傾いているだけだ。振り切れるくらいのちょっとだが。


 そんな冒険者になるための登録を済ませたところ、その登竜門、トライアルダンジョンは堅く閉ざされていた。

 過酷な試験である事は聞いていたし覚悟もしていたわけだが、そもそも年末年始の休業にぶつかってしまっては挑戦以前の問題だ。前職である傭兵もそうだが、冒険者も、もっと言えば王国市民の大半はそんな休暇は取らないというのに。

 なんでそんな規則正しいスケジュールで動いてるんだよ。週休二日制とか今世どころか前世含めても初めて聞いたぞ。

 というわけで、のっけから躓いた。最近の相方である異世界の勇者殿がいる遥か彼方に追いつこうというのに、スタートからタイミングをずらされてしまった。


「数日違う程度で大した違いもないだろうに。当面の生活費だってもらっているんだろう?」


 冒険者ではない一般向け訓練場で相方の訓練を受けつつ、そんな言葉を投げかけられる。

 確かに生活に困ってはいない。この街にやって来た経緯が経緯という事でかなり優遇されている。冒険者にならなくても一般市民としてやり直す事だってできた。しかし、目の前の不器用な男と一緒にやっていきたいと思った事が焦りの一端なのだから話は別だ。

 スタートを切って躓くなら諦めようもあるが、これでは納得もできない。


「専用の訓練場も使えねえ、対モンスターの戦闘訓練もできねえ、充実した講習とやらもお休みじゃ、こうして格が違い過ぎて目も当てられねえ相手とチャンバラするくらいしかねえだろ」

「金があって仕事もないとなれば、お前はヘラヘラ笑って過ごすものだとばかり思っていたんだがな」

「そりゃ勘違いだ。必要な事ならやるし、不要な事ならやらない。目的のない自己研鑽、成果の期待できない努力が嫌いなだけだ」

「賭博や女遊びは?」

「そりゃ別腹だ」


 ベレンが言っているのは、俺が傭兵団の訓練をサボっていた事から来るものだろう。

 あんな実りのない面倒なだけの訓練に意味があるわけがない。それを分かっているから団長だって俺の行動に目を瞑っていたに過ぎない。ホモ疑惑が浮上しているが、ああ見えて決まり事にはうるさいんだぞ、あの人。

 自分が俗物だと自覚はしているが、目的があれば努力だってする。これは必要な事だと決めたのだから、やるべき事だ。

 普段の態度からその言葉にも否定が返ってくると思ったが、ベレンは考え込むように黙り込んだ。


「……確かに、ただ漫然と傭兵やってた奴が一朝一夕で身につけるような技術じゃない。会った時から薄々感じていたが、お前の歩法は独特の……なんらかの技術体系に則ったものだ」

「……こいつは"俺"が努力して得たもんじゃねーよ」


 確かに自信はあるが、身に着けたのはサンゴロではなく『サン』の部分の奴だ。

 そいつも身につけようとして習得したわけでもねえけどな。つーか、そういうところは良く見てんだな、お前。


「言ってる事は良く分からんが、こうして打ち合ってみても才能は感じる。弟子をとった事などないが、成長する余地が見える」

「おっさん手前の相手に弟子扱いはやめてくれ。というか、お前の戦闘技術を覚えるつもりはねえよ」


 俺に合ってねえし。当たり前みたいに壁や天井に張り付くんじゃねえよ。


「俺は大将の希望通り、< 斥候 >方面の技術でも磨くとするさ。実際のところ、前に出るよりそっちの方が合ってる」

「最低限戦える技術は必要なんだがな。まだ会ってはいないが、もう一人の< 斥候 >は戦闘もなかなかの実力派らしいぞ」

「だよなー。アレやべえ」


 比較されるだろうとクラン所属予定だというもう一人の斥候役の情報を聞いてみれば、すげえエリートときた。経歴もそうだが、実力も相当だという。戦闘が必須ではないサポート枠なのに、戦闘も支援も一流ってふざけてんのかって感じだ。

 そうでなくともトライアルを抜け、無限回廊第十層までを一人で攻略するくらいの実力は必要だ。それは分かってる。サポートメインだから一切戦闘できません、なんて理屈は迷宮都市じゃ通じない。それが許されるのは完全分業された大国の軍隊だけだ。


「一人で無限回廊に潜っていて、得難いと感じていたのはいつも探知、罠対策などの技術だ。専門技術で差があろうが出番はあるだろう」

「それ、慰めてんのか?」

「一概にそういうわけでもないが……お前は別に< 斥候 >の最高峰を目指しているわけでもあるまい。ツナたちを見ていればクラスで分けられた役割など単なる指標にしか過ぎんと分かるだろう? あのシステム自体は有用だと思うが、どちらかといえば突き抜けた一部ではなく大勢の冒険者向けのモノに思えるしな」


 そんな規格外を例に出されてもな。多分、俺はそれが必要になる大勢のほうだろう。

 とはいえ……俺の適性が< 斥候 >じゃねえ事ははっきりしてる。かといって、かつての自分を完全になぞるつもりはない。サンゴロにはサンゴロなりの道があるんだろうさ。見つかってねえけど、クラスはその道を助けてくれるモノじゃねーかとも思っている。


「年も明けた。数日すればトライアルダンジョンに挑戦もできる。そうすれば、お前に足りないものも見えてくるだろうさ」

「そうだな。ま、何遍か死んでみるわ」


 と、気合を入れて挑んだトライアルは当然の如く惨敗した。

 運良く欠員の出た新人パーティに潜り込めたところまでは良かったが、全員が初挑戦となる第五層での洗礼を浴びる事になった。経験者に助けられたとはいえ、一度目の挑戦で第五層まで行けるのはなかなかに良い出だしらしいが、アレをなんとかするのはしんどそうだ。




 そうして数回のトライアル挑戦を経ても攻略の糸口が掴めないまま、一月が終わろうとしていた。

 火力が足りない。あの分厚いHPの壁を突破するには専門の火力が必要なのは分かってるんだが、臨時のパーティー募集すらロクに見つけられない。積極的にトライアルへ挑戦してるパーティは半ば固定化されていて、見かける募集はそもそも第五層まで行けなそうな連中ばかりだ。

 俺一人でなんとかするのは正直厳しい。レベルアップの恩恵を受けても< 力 >はほとんど上がらない。これまでの人生で得られたステータス値の上昇に比べれば劇的だが、成長の方向性は同じで極端に非力なままだ。あの値がただの補正値である事はなんとなく気付いていたが、そもそもの筋力も貧弱なのだろう。前世のまま、人間を解体するのに極端な腕力は必要ないといわんばかりである。

 相手が人である事のほうが珍しい環境でこれは致命的だ。その人間相手にしたってHPという壁が邪魔をする。

 ならばと、腕力の影響を受け難い武器を使用しても、アレ相手には決定打になり難い。爆弾でも使えれば良かったのだが、免許が必要な上にトライアルでは使用制限を受けているときた。

 焦燥感を感じている。平均的なトライアルの攻略期間が半年といわれていても、そんなところで甘んじているわけにはいかない。これから追いつき並ぼうとしている連中は、こんなもの鼻歌混じりで楽々と踏み越えていくような奴らなのだ。

 ……いや、大将の動画を見せてもらった限りでは結構ハードな体験だったな。……それでも一回でクリアしているんだぞ。十回やったら九回は負けるような戦力差なのに、なんで最初の一回で勝ち拾えるんだよ。意味分かんねえ。ああ、くそ。

 こんな状態で、クラン内のメンバーのみで行うイベントの話をされても乗れるわけがない。年始に断っておいて正解だった。……そういえば、一月の終わりと言っていたから今頃開催してるのだろうか。


 そんな思考の迷宮に迷いつつ、いつもの如く迷宮ギルド会館の食堂で定食を持って席を探していると、見知った顔が目に付いた。


「よう、寂しく一人飯か」


 返答も聞かずに空いた対面の席に座る。ここ数日見かけていたこいつは一人で食っていたから、今日に限ってというのはなさそうだ。

 もし見込み違いで今日は複数人でも、強引に割り込むか謝って席を立つだけの事である。図々しい奴と思われているはずだから問題もない。


「あー、あんたは確か……ボンゴレ?」

「そりゃ、お前さんが今食ってるもんだろ」


 確か男の前にある麺料理の種類の一つだったはずだ。


「これはペペロンチーノだ。……ペペロンチーノだったか?」

「もはや欠片も要素が残ってねえよ。まあ、一度組んだだけの相手だから忘れても仕方ねえな。サンゴロだ」

「ああ……って、一月も経っていないんだから忘れてはいないぞ。勘違いしただけだ。そっちこそ俺の事なんて良く覚えてたな」

「人の顔覚えるのは得意だからな。ジャック・コーウェン」


 家名だけなら、例の監禁事件で助けてもらった巨体の男とそっくりだ。あいつのは名前だし、結局一言も喋らなかったが。

 ジャック・コーウェン。男性。十九歳。トライアル挑戦中の前衛戦士。得物は槍。初歩だけらしいが、奇襲・牽制用の射撃魔術を使う。

 迷宮都市出身で親が冒険者のいわゆる二世だ。トライアルを突破したあとは中級冒険者である親父のパーティで下働きしながら経験を積むと言っていた。堅実で真面目な常識人。名前の間違えに関してもただのジョークであった可能性が高い。


「最近、ゴーウェンって名前の新人が活躍してるから、間違える奴がいて肩身が狭いんだよな。あいつが中級昇格してからはそれほどでもなくなったが」


 それは俺が連想した男と同一人物を指しているのだろう。あの事件で関わった面子の中ではどうしても印象が薄くなるが、中級ランク最速昇格のタイトルホルダーの一人だ。同期で更に目立っているウチの大将が異常なだけで、十分大型新人である。こうしてトライアルで躓いていると、そのすごさが良く分かる。


「それで、なんか用か? トライアル再挑戦の話ならしばらくは無理だが」

「ただ昼飯食いに来ただけだ。……トライアルのほうは、まあなんとかする」


 これといったアテはないが、とりあえず地道にやっていく以外の手がない。現在、俺にできる事で効果が見込めそうなものは少ないが……ミノタウロスの詳細な生態調査からだな。奴は見かけこそ人間に似ているが、構造には結構な差異が見られる。あの分厚いHPの壁がなくても解体するのは一苦労だろう。解剖図とかがあれば理想的なんだがな。


「俺たちの特別教習が終わってもパーティ探してたら声をかけてくれ。来週には終わる」

「こないだ一人足りなかったのは一時的なものだって言ってなかったか?」


 一月はじめのトライアル初挑戦の際、ジャックたちのパーティに潜り込めたのは欠員が出たからだ。いくらトライアルダンジョンに人数制限がないとはいえ、半分固定されたパーティに潜り込むチャンスはそんなタイミングくらいしかない。その欠員も突発的で、俺の参加もその一回限りという話だった。


「……あいつは冒険者を諦めた。ついでに言うと、この前のミノタウロスを見てもう一人脱落しそうだ。気持ちは分からんでもないが、メンバーが欠けるのは一応でもパーティリーダーやってる身としてはきつい」


 あの牛頭の怪物は、迷宮都市の中と外、冒険者という職業の差を象徴している気がする。

 どこぞの民話なら物語の締めとして戦うような敵だ。それが入門編だというのだから、待遇に差が出るのも当然だ。


「アレはキツイよな。真っ当な神経してれば逃げ出したくもなる」

「そういう割には、あんたはビビってなかったみたいだが」


 あの状況では他のメンバーの動向を窺う余裕はなかったはずだ。確か、早々にミンチにされていたし。これは……動画で確認したのか?


「当然ビビってたが、そういう状況でも動ける訓練はしてる。それに、ウチの大将や相方と比べるとな」


 全力で対峙した事はないが、模擬戦をしているだけでも伝わってくる怪物のオーラは比較にならない。なんだありゃって感じだ。


「そういや、所属するクラン決まってるって話してたよな。どこのクランなんだ?」

「まだ設立もしてないから、クラン名はないな。今年か来年あたりに発足するんじゃねーか?」

「ああ、昔の同僚とかが先行して冒険者やってるパターンか。俺と似たようなもんだな」

「そういうわけでもねえんだが、相方の所属が決まったからついでにな。オマケよ、オマケ」


 ……このままじゃ、実際オマケだよな。情けねえ話だ。まったく意味がねえ。


「クラン決まってるとなると、俺たちみたいなトライアル攻略までの臨時パーティくらいしか選択肢がないって事か。デビュー前からクランの支援受ける場合、普通そういう伝手も用意してくれるもんだが」

「大将にそんな伝手はねえだろうな。そもそも、デビュー一年未満の相手にそんな期待しちゃまずいだろ」


 活動期間を考えるならウチの大将の交友範囲は異様に広いが、話を聞く限りトップクランの幹部やら、迷宮都市の運営首脳陣やらやたら上方向に偏っている。下積みをすっ飛ばした分、下級ランク冒険者との関わりは薄いのだろう。デビュー前なんてもっとだ。


「……一年でクラン創設って、なんだそりゃ。その大将ってどんな奴だよ」

「渡辺綱。なんか< 暴虐の悪鬼 >とか呼ばれてるらしい」


 あの顔で暴虐とか言われてもピンとこないが、戦いぶりを見ればそう呼ばれるのは分からないでもない。


「……え?」


 フォークの動きが止まった。まさか、名前出しただけでビビられるほど知名度はないだろうに。


「知ってんのか? 有名人は有名人だが、誰もが知ってるってほどじゃねえはずだぞ」

「一般人ならともかく、冒険者志望で知らない奴はいねえよ。しかしそうか……それなら伝手がなくてもおかしくない。……というか、デビュー前にクラン入り決まってる奴がいるってのは意外だ。あそこはなんというか……一線級の怪物や変人揃いだし」


 全員に会ったわけじゃねえが、変な奴が多いのは否定できない。迷宮都市でも屈指の色モノクランだろう。俺が一番良く知ってる相手からして異世界人なのに、それと同等……それ以上におかしいのがチラホラいる。……大将含め。


「即戦力だけで固めてるってわけでもないんだな。一体どういうメンバーの集め方してるんだか知らんが」

「もうメンバーはあんまり増やすつもりはねえみたいだが、紹介くらいならできるぞ」

「いやいや、勘弁してくれ。……すげえな、あそこに入るつもりになるだけで尊敬するわ」


 どうやら入れるなら入りたい憧れのクランではないらしい。

 どんなイメージ持たれてるんだよ、大将。対外的な印象がえらい事になってるぞ。


「あー、でも分かる気もするな」

「……何がよ」

「あんた、あいつらと似た雰囲気あるよ。こうして話してる分にはそうでもないんだが、ミノタウロスと対峙している時の雰囲気は、特別なものを持っている奴のものだった。動画でしか見てないが」

「そんな事は……ねえだろ」


 ジャックの言うところの雰囲気に関して覚えがないわけでもないが、こうしてトライアルどうしようかって悩んでる時点で格が違う。

 しかし、臨時パーティで暫定的にとはいえリーダー張ってる奴は意外と見てるもんだ。ベレンといい、観察してるのはこちらだけではないという事だな




-2-




 トライアルで死を体験して一つ気付いた事がある。死からの復活、それに伴う魂を捏ね回される感覚はかつて感じたものと同種のものだと。

 あの世界で死んで、この世界のサンゴロとして生まれ変わった時の感覚。長らく忘れていたが、それを思い出させる程度には似通っている。実際に同じものかどうかは知らないし、その答えを知る事もないだろうが、どちらもロクでもないものという意味では共通だ。

 まあ、必要なのだから受け入れる。受け入れて利用する。精神を摩耗するという代償はあっても、冒険者にとっては間違いなく巨大なメリットだ。その点、選択の余地が残されていなかった転生とは比べようもなく有用である。


 転生、生まれ変わり、記憶を保持したままの新しい人生。過去の記憶や経験は生きていく上での有利を生み出すが、反面弊害も大きい。特に俺みたいな奴の場合、前世の記憶は弊害だらけだ。利点とのバランスがとれていない。


『別の自分として生をやり直すというのはどんな気分なんだ?』


 以前ベレンがそう聞いてきたのは、ただの好奇心なのだろう。転生の概念が有り触れているこの世界と違い、あいつのいた世界には前世を覚えている奴はいないらしい。少なくとも、そう公言している者に会った事はないそうだ。

 それでも、あいつは転生の弊害についてなんとなく理解していたように思える。今にして思えば、ダンジョンでの死からの復活という類似体験をしているから、というのが理由だと分かる。


『大した事じゃねえよ。ちょっとばっかし記憶の量が多いだけさ。ガキの頃は周りに比べて多少頭がいいが、今ではこんな感じだ』


 俺は転生にさほどメリットを感じていない。もう一度同じように、記憶を保持したままの転生をしてもいいと言われても断るだろう。

 貧困極まる幼少時代を生き抜けたのは、前世の知識によるところが大きいとは思う。周りに比べて頭も回ったし、上手く立ち回れた。路地裏で生きる親なしたちの中でリーダーとしての立ち位置を築けたのも前世の恩恵だ。

 ただ、大人になるにつれて見えてくるのは、生を繰り返しても尚低い天井。下手に人生を知ってしまっているから、失敗を体験しているから、自分に対する評価が固まってしまっているから、乗り越えられるハードルに線を引いてしまう。前世のクソくだらない人生を体験しているから、それよりも上等な存在になれないと決めつけてしまう。妥協する、という言い方でもマシなほうだろう。何か新しい事に挑戦すらせずに、知っている境界線の手前で線を引く。失敗すると分かっているから、それが手の届かないものだと知っているから分相応なんて言葉で誤魔化す。そうして出来上がるのは、より程度の低い劣化品だ。

 結果、子供のまま大人になる。体がでかくなっても大した事はできない。胸を張って大人だと言えない。

 地元の傭兵団に誘われなければ、どこかの街でチンピラ紛いの生活をするのがせいぜいだったろう。冒険者を選択肢には入れなかったのは、単純にそこらのチンピラよりも生活レベルが低いからだ。大成する道もなく、頑張っても人並み以下の生活しか送れない職業に就くには、人生というものを知り過ぎていた。

 そうなる事は最初の段階で予測できた。だから違う道を探そうと思った。しかし、人生の選択肢はあまりに少なく、まるで定められていたかのように前世の自分をなぞるような生き方しかできなかった。

 人生の中で出会った転生者は程度の違いこそあれ、似たような性質を持っていたと思う。誰もが少なからず前世の自分に縛られつつ、それを基準に違う自分、あるいはより高みを目指そうとしていた。生まれ変わったというのに、別人になり切れない。新しい自分になれない。すでに価値観が固まってしまっているからだ。そうして大多数は失敗する。


 迷宮都市に来て転生について調べてから、『業』という言葉を知った。なんでも仏教という異世界の教えにある概念らしい。生まれ変わる事で人の行為が精算される事はなく、以後の生を縛り、付いて回るのだと。

 なるほどと思う。確かに俺は縛られている。サンゴロと名を変え、生きる体すら変えても中身は変わらずろくでなしのままだ。ろくでなしは生まれ変わろうがろくでなし。梟が自ら体を引き千切って死んでも、本質的な部分は梟のままだった。

 過去の自分は出しゃばりなのだろう。ジャックが俺の事を指して言った雰囲気はきっとそういう事で、いくら抱え込んで表に出さないようにしても、どこかでは滲み出てしまうのかもしれない。

 そして、どうやら過去の俺を知る者にとって、姿形の違い、名前の違いなど些細なものらしい。


「森梟のサンドルって男を知っているか?」


 二月に入ってすぐの事だ。迷宮都市で再会したそいつは、過去の業というものを深く実感させた。

 表情には出さないようにしたが、内心かなり動揺していた。上手く仮面を被れている自信がない。


『森梟』はかつての……前世の俺が取りまとめていた盗賊団の名前であり、俺自身が殺したものの名だ。当然、この世界で知る者がいるはずもない。知っているとすれば、同じ世界からの転生者だろう。

 森梟、あるいはサンドルという名前、どちらかだけなら偶然で片付けられるが、両方揃っていては偶然だとは思えない。森梟の名は有名だったが、サンドルという名は仲間内にしか明かしていない。ガキの頃の俺を知る者ならその名を知っているだろうが、その場合は梟だとは思わないだろう。そもそも肉親や地元の関係者はガキの頃に死んでいる。

 つまり、目の前の男は俺と同じ世界からの転生者で、しかも関係者という事だ。


「さてな、会った事ねえよ。どこのクソッタレの名前だ?」

「そりゃそうだ。こことは違う世界で俺が憧れて、俺を殺した男の名前だからな。自分自身に会った事はないだろう」


 とりあえず恍けてみたが、こいつは確信している。それも、このもの言いなら同じ森梟所属の者という事だろう。


「実は、あんたとは迷宮都市の外でも会った事はあるんだ。その時からなんとなくそうじゃないかとは思っていたが、触れるつもりはなかった」


 確かに見覚えはある。同じ所属で戦う傭兵仲間として、あるいは戦場で対峙する敵として。

 所属が異なる傭兵と何度も相まみえる事は少ない。それは傭兵という職業の性質によるものだが、それができるくらいには腕は良かったという事だ。


「じゃあ、なんで今更蒸し返すような事をするんだよ。復讐か? ちょっと前までだったら殺されてやっても良かったが、今は大人しく殺されてやれねえぞ」

「違う。俺自身にも良く分からないが、多分……知りたかったんだ。何故、俺たちが捨てられたのか。あの日、あんたが俺たちを殺した意味を」


 かつて、森に住む梟は自らの仲間を殺した。自分以外のすべてを殺し、自分だけが生き残った。

 何故か? 大した理由じゃない。盗賊団『森梟』のリーダーであるサンドルは、自分が作り上げた集団が気に入らなかった。それだけだ。盗賊として行ってきた過去の所業に罪を感じていたわけでも、誰かに依頼されたわけでも、団員が憎かったわけでもない。ただ、目の前の集団が不要なものとして映ったのだ。そこに意味などない。意味がない事を殺したあとに気付いた。最も不要なのは自分自身だったのだと。


「何故、俺がやったと思う? 団の全員が仲良く爆死したかもしれないだろ」

「俺はあの時生きていたからな。文字通り虫の息だったが、確認しに来たあんたを目にしている。タイミング的にも、あんたがやったのは間違いないだろう」


 今更ながらに知る前世の事。念入りに爆発させたと思ったが、生きていた奴がいた事に気付かなかった。


「マジかよ。あれで生きてる奴がいたとか信じらんねえ」

「すぐに死んだよ。あんたの……団長の姿を確認して、疑問を抱えたまま死んだ。あいつの人生はそこで終わったんだ」

「転生してやり直してるなら終わってねえんじゃねえの?」

「別人だよ。前世の記憶なんていう強烈に重いハンデを背負った別人だ」


 ハンデときたか。まあ、間違ってない。多分、俺が転生に思うような事と似たような事を思っているのだろう。


「……まあいい。それであんたの名は?」

「Cランク冒険者。クラン< 森梟 >の団長クロフレードだ」


 聞き間違いか? あんまり笑えないクラン名が出てきたんだが。


「自分殺した奴の名前をクラン名にしてんじゃねーよ。馬鹿じゃねーのか」

「憧れてたんだ。俺にとっての梟はそういうものだ」

「そうかい。……俺はサンゴロだ。サンドルでもねーし、梟でもない、ただのサンゴロ。つい先日冒険者登録したばかりのルーキーだよ」


 だから転生は面倒くさいっていうんだ。過去が追いかけて縛り付けてくる。




-3-




 森に住む梟は初めから壊れていた。

 親を知らず、情を知らない。あったのは捨て駒を育てるための環境だけ。記憶に残る最も古い記憶は同類を刺し殺す感触。如何に効率的に人を殺せるか、いざという時に自害できるか。物心ついた時には、そんな暗殺者を育てるための施設にいた。表向きはただの孤児院だったらしく、梟に暗殺術を教えた師も普段は神父として評判のいい男だったらしい。

 だがその実態は、いざという時に内部から国を混乱させ、要人を殺し、国家を転覆させる埋伏の毒。そこで育成される子供は使い捨ての爆弾だ。何も考えずに言われたまま相手を殺すことだけをする自律爆弾である。俺もその一人だった。


 ただ、その毒は機能しないままに終わった。何もせずとも国が転覆したのだ。十年以上も後に調べた事ではあるが、元々情勢が不安定だった上、王の後継争いで内部分裂したらしい。その結果、後継者同士が共倒れになって死ぬという冗談のような結末だ。毒を使用するまでもなく、勝手に崩壊した。あるいはどこか別の場所で暗躍した者がいるのかもしれないが、実際のところは分からないし、興味もなかった。

 そうして、使い道のなくなった毒は存在意義を失った。元々の用途からして汚い存在だから再利用も難しいと、必要最低限だけを残して施設は解体される。……俺は処分対象だったようだ。


 数日を待たずして、俺は命令されて自害するはずだった。……にも拘わらず生きていたのは死に損なったからだ。

 賊の襲撃か何かだったのか、日課の訓練から戻ってみれば待っていたのは瓦礫と死体の山。あとに残されたのは命令されなければ動けない出来損ないが一人。ただ、じっと立ち尽くす俺は通りすがりの商人に"保護"されて鉱山送りになった。

 それからは特に辛かったという記憶はない。飯も休息も最低限、娯楽なんて欠片もない労働奴隷ではあるが、それまでの生活からしてみたら天国のようなものだ。事実、そこから解放されるまで疑問すら抱かなかった。

 人生の転機が訪れたのは鉱山の崩落事故。奴隷たちが念入りに計画した、逃亡のための偽装事故に巻き込まれた。俺が生きていた事はそいつらにとって予定外だったらしいが、そのまま計画は実行される。

 結果から言えば逃亡は成功した。その過程で予定以上の脱落者がいたものの、とりあえず首謀者は生き残った。

 だが、逃亡したからといってあてはない。隔離された、外の世界の事など知らない身の上で協力者など望めるはずもなく、そもそも、鉱山がどこにあるのかも分からない。計画されていたのは脱出まで。奴らはとにかく逃げたかっただけなのかもしれない。

 そうして、逃亡奴隷たちが始めたのは賊だ。鉱山のあった国から離れつつ、行く先々で金品と命を強奪した。

 なぜか俺もその場にいた。人間の解体技術を知り、命令通りに動く手駒は使い易かったのだろう。

 逃亡の中で一人欠け、二人欠け、最終的にはわずか数人になるまで人員を擦り減らして国境を越える。越えた先でも生きていくためにした事はやはり賊だ。俺も大概だが、他の奴らだって真っ当に生きる道など知らない。中には生まれた時から労働奴隷だった奴もいたほどなのだから当然だ。

 そんな事をしていればいつかは捕まる。リーダーだった男は慎重で臆病だったが、所詮は素人に毛が生えただけのものだ。少し大きなヤマが成功してタガが緩んだところで都市の警備隊に摘発された。……まあ、事前になんとなく察していた俺は逃げたわけだが。


 再び放り出された男が一人、当然アテはない。鉱山での奴隷生活、そして逃亡中の経験で幾ばくかの常識を身に付けはしたが、その手にあるのは暗殺技術と賊の経験だけ。それで何を始めるかといえば、やはり賊しかなかった。それしか日々の糧を得る術を知らないのだから当然である。労働奴隷に戻っても良かったのだが、奴隷になる方法を知らなかった。

 そこから、長い盗賊生活が始まる。神出鬼没で、妙に手際が良く、必要以上の殺しはしない。代わりに同業者、退治に現れた傭兵や警備隊、果ては軍の分隊に至るまで敵対した者は尽く皆殺しにした。見つかる死体は決まってバラバラだ。あまりに現実離れした噂は、どこかの地方には怪談の類として伝わり残ったらしい。深夜の森で活動する事が多かったからか、いつしか森梟という渾名まで付いた。なぜ梟なのかは知らないが、顔が似ていたとかそういう事かもしれない。

 長い時間の中で梟は生き方を学んでいく。一人だけで行動するのではなく街中に協力者を作り、代わりに仕事をこなす。そうして膨れ上がった人脈から、森梟団と呼ばれる盗賊組織へと巨大化していった。

 組織が大きくなっても、統率する頭が何の拘りも持たないイカレ梟だから、団の方向性など存在しないし目標もない。だが、周りの評価は勝手に固まっていく。勝手に期待して、勝手に失望して、勝手に裏切られた気分になるのが一般市民だ。赤の他人からどう思われようが知った事ではないと普段通りに略奪をすれば、なぜか賞賛の声があがるという奇妙な出来事もあった。やっている事は悪党のそれで間違いないのに、正義の義賊と囃し立てる声さえあったくらいだ。なにが義賊だ。ふざけてやがる。

 力を付けた盗賊団は国家規模の軍隊ですら容易に手が出せないようになり、活動は次第に大規模なものへと変化していく。都市の裏の顔とまで呼ばれ、金を払う市民を保護しつつ、敵対する者は尽く潰した。

 大小問わず敵は多いが、味方も多い。助けられたからと、好き好んで入団してくる奴もいた。

 団全体が高揚感に酔いしれ、舞い上がっていた。そんな中、冷めていたのはただ一人。俺だけだった。肥大化した梟の体は鈍重になり、自由を失った。手足として纏わり付くのは勘違いした酔っ払い共だ。気に入らない。理解できない。やっている事はクソくだらねえのに、何を勘違いしてるのか。


 それがいらないものだと判断するのに時間はかからなかった。そう判断したら、捨て去るのもすぐだ。俺は元々そういう人間で、外れた人格は矯正される事のないまま大人になっていた。

 念入りに、慎重に、最初に鉱山を脱出した時のリーダーの姿を思わせる臆病さで、アジトごと爆破した。

 それが非難される事だというのは理解している。事実を知れば団員たちは恨むだろう。義賊と呼んだ市民は失望するだろう。だが、罪悪感はない。そうして梟は体を切り捨てて飛び立ち、野垂れ死んだ。立場を捨て、手足を捨て、名を捨てて、誰でもないただ一人の傭兵として参加した戦争で死んだ。

 ……それで終わるはずだったのに続きがあった。森梟サンドルは今、サンゴロとしてくだらない人生を送っている。


 やり直したいと思った。違う自分になりたいと思った。それができるかもしれないと希望を持った。

 しかし、処世術を学び、愛想笑いを覚え、気楽に生きるための人格を作り出しても、根本にあるものは何も変わっていない。使い捨ての暗殺人形のまま、自分を慕っている仲間を爆殺して何も感じないクソッタレが奥底に眠っている。飄々とした打算的で利己的な軽い男。

 俺が最も生きやすいと感じた仮面は罅割れていて、その隙間から梟の顔を覗かせていた。


 思うに、過去の自分を否定するからダメなのだ。受け入れてしまえばいい。そう気付いたのは前世の享年よりも長く生きてからの事だった。

 否定はしない。だが肯定もしない。それを経験ではなく、ただ教訓として抱えて生きる。ろくでなしならろくでなしの自分を抱えたまま別の存在として生きる事が転生者として生きるコツだと知った。

 そうすれば、俺でもいつか人間になれるかもしれない。




「ひっでえツラだな、おい」


 寝起きに鏡を見てみると、無残な顔をした男がこちらを覗き込んでいた。

 知ってるぞ、お前サンゴロっていうんだろ。

 鏡なんて高級品はこの街に来るまで使った事はなかったが、前世の夢を見た日の朝はこれまでもこんな顔をしていたのだろうか。

 単純に考えて、あの解体魔の人生の追体験など悪夢に他ならない。普通ならこんな顔にもなるだろう。

 だが、これは前世の俺を受け入れられていない証拠でもある。精神的ダメージ喰らってる時点で、梟の精神性とはかけ離れてるという事だ。人間性が回復している兆候は普通に考えればいい事なのだろうが、受け入れると決めた以上好ましくはない。

 いつもに比べて変にリアルな夢だったのはクロフレードのせいだろう。あいつが飲もうなんて言わなければ、こんな明確に思い出す事もなかったろうに。奢りじゃなければすっぽかしてやるのに。


「……しかし、昼からタダ酒は魅力的なんだよな」


 前世の話を聞きたいというクロフレードとは、酒の場で会う事になっている。あちらさんの都合で昼からの酒飲みになるわけだが、そこには抗いがたい魅力を感じる。特に、堂々と飲む理由があるというのはいい。

 酒を覚えたのは転生してからの事だ。前世でも酒は飲んでいたが、美味かった記憶がない。はっきりとはしないが、幼少期の影響か何かで一種の味覚障害だったのだろう。普段の食事も一切拘っていなかった。そんな冷徹な梟さんも随分と人間臭くなったもんだ。


 クロフレードと出会ってから奴の情報を洗ってみたが、とりあえず分かる範囲で裏はなさそうだ。森梟団の前世が本当であるかの確証はないが、それならこんな回りくどい事をする必要もない。ある程度の隔意があるのは当然としても、梟に憧れていたというのも本当なのだろう。前世、今世と長年培った危機感も感じない。おそらくはただの飲み会になるはずだ。


 新興クラン< 森梟 >団長、クロフレード。メインクラス< 弓戦士 >のCランク冒険者。二十八歳。

 < 弓戦士 >なのに、得物は短剣。弓も使うが、基本的には短剣の投擲を重用する。触媒に植物を用いる独特な《 精霊魔術 》もどきも使う玄人好みの冒険者らしい。

 五年前までは外部でフリーの傭兵をしており、主にオーレンディア王国と近隣の中小国家群に雇われていた。この中にはラーディンも含まれるので、以前会った記憶はその時のものだろう。正直なところ、当時の印象は弱くあまり良く覚えていない。

 出身はオーレンディア王国西部の農村。傭兵になったのは、家が貧しく食い扶持を減らすためだ。

 そして、既婚者である。写真などの情報はなかったが、相手は十九歳。まだ学生だが、時々一般事務員としてバイトしているらしい。最近はダンジョン区画の住宅街にマイホームを構えたとの事。

 一般公開されている情報はこの程度。情報屋に依頼しても大した追加情報はない。

 せいぜいが、迷宮都市に来た直後に常識の違いで諍いを起こした程度らしい。外で冒険者や傭兵をやっていた奴は大抵は荒くれ者で、暴行、窃盗、恐喝などを起こして痛い目を見るまでが常らしいので、奴は随分とお行儀がいい部類と言える。

 依頼よりも遡った一週間の行動も真面目な冒険者そのものだ。ダンジョンアタックの準備に訓練、クランの事務手続き、講習、クランで決めている週一の完全オフの日は嫁とデート。

 ……なんというか、順風満帆な奴だ。傭兵出身の冒険者なのに、堅実を絵に描いたような人生を送っている。梟らしくねえぞ。




 そんな勝ち組と待ち合わせをしたのはギルド会館近くの広場だ。巨大な噴水が中央にあって、その前では大道芸人が芸を披露している。昼間という事もあって人も多い。座ろうとしたベンチも満席だ。仕方ないので広場全体が確認できる場所で木にもたれかかる。

 ……しばらく広場を眺めていると、いつもと雰囲気が違う事に気付いた。

 時間帯的に人が多いのはいいだろう。大道芸人が変な格好をしているのも分かる。行き交う冒険者に変な格好をしている奴がいるのも慣れたものだ。だが、それ以外に変なのがいた。


「……なんだ、ありゃ」


 広場のゴミ箱からゴミを回収する派手な格好の女中さん。パンダのキグルミを着た奴も同じ格好をしている……ってアレはパンダそのものだな。クランハウスで見かけた奴と同じだ。巨大なカエルはキグルミだろう。見るからに作り物だ。あとは……あの銀色のは水道の蛇口だろうか。迷宮都市には意味の分からないイベントが多いからそういうものだと言われれば納得はするが、統一性がなさ過ぎる気もする。

 その内の一人、女中服を着た奴がこちらに近付いて来た。


「すいませーん。ゴミ回収するんで……ってあれ、サンゴロだ」


 よく見れば、ウチのクランのサブマスターだった。一瞬、見間違いかと思ったが、俺の名前を呼んでるし間違いないだろう。

 フリフリの装飾が散りばめられた女中服は、そういえば確かメイド喫茶とかいう謎のサービスを提供する店の呼び込みが着ていた衣装と似ている。いや、それ自体はいいのだが、着ている中身が中身だけに困惑が加速した。

 似合ってる。似合っているのだが、確か彼女……いや、彼?は男……の成分が多目であったはずだ。


「あれ、人違い? じゃないよね」

「あ、ああ……サンゴロだぞ。……えっと……なんだその服」

「ああこれ? 例のイベントでウチのチームが最下位だったからさ、罰ゲームの奉仕活動用の衣装」


 なるほど。結果についてはまだ聞いてなかったが、つまりペナルティとして着せられているのか。

 つまり、俺が参加して最下位になっていたらコレを着せられていたという事になる。……参加しなくて良かった。


「チーム分けは聞いてないが、それを全員が着てるのか? まさかベレンとかも……」


 笑い話のネタにはなりそうだが、サティナが見たら卒倒するぞ。


「ベレンヴァールは一位のチームだよ。賞金一人頭百万円だって」


 この街の金銭価値は未だに慣れないが、今日の昼飯が五百円だった事を考えると百万円はかなりの高額だ。

 なんか奢ってくれねえかな。聞いた事もないような高い酒とか。


「ウチのメンバーはここにいない銀龍と水凪とゴブサーティワン、あとはあそこにいるミカエルと、蛙のキグルミ着てる摩耶だね」


 ここで変な格好してる奴は全員お仲間かよ。……って、いや待て。ちょっとおかしい。人数が合わない。


「じゃあ、あの蛇口はなんだ」

「あれは神様だね」

「……すまねえ。日本語が高度過ぎて理解できねえみたいだ」


 なんか神とか言ってるような気がするが、あれは蛇口だろう。蛇口の格好をした人間だ。


「まあ迷宮都市に来たばっかりだし、仕方ないよね」


 軽く流されてしまったが、フォローが欲しかった。気になってしょうがない。


「あ、ごめん、ゴミ回収しないと。今日だけでもノルマが多くてさ」

「ああ、悪い」


 どうやら俺の立っていた後ろにゴミ箱があったらしい。ペナルティとしての活動ならあまり中断させるのも悪いだろうと少し位置をずらす。

 しかし、不安になってきたな。こんなのが一回だけで済むとは思えない。あのクランに所属していたら、なんか恥ずかしい目に遭わされるんじゃなかろうか。……でも、ベレンの情けない姿とか見てみたい気持ちもある。

 年中こんな事をやっているわけでもないだろうが、いざという時に上手く回避する方法を考えておかねえと。


 ゴミ回収をしている嬢ちゃんを傍目に広場の連中を眺めてみると、回収だけでなく清掃作業全般をしているようだ。真面目にやっているのか、こちらに気付いた様子はない。謎の蛇口も放水しつつ手に持ったブラシで石畳の汚れを落としているようだ。……どうやって出してるのか良く分からないが、蛇口として機能するのかアレ。

 そんな連中から少し離れた場所、今オレがいる所からさほど離れていない木に隠れるようにして広場の様子を窺う謎の覆面ローブがいた。

 ……なんか増えたぞ。ああ、ここにいない三人の内の一人か。


「おい」


 近付いて後ろから声をかかると大げさな反応で驚いている。様子からしてサボっているのだろう。


「クラン全員把握してるわけじゃねーしそもそも誰だか分かんねえけど、そんな格好してるくらいだから例の罰ゲームってやつだろ。サボんないほうがいいんじゃねーか? 見つかるぞ」

「え? ……いやその……拙者は別枠……通りすがりの紳士でして」

「いや、そんな格好しててとぼけるのは無理があるだろうよ。おーい、嬢ちゃーん!」

「え、ちょ……えっ?」


 回収を終えたらしき嬢ちゃんに告げ口すべく声をかける。


「はいはい、何? ……あ」


 覆面ローブの姿を確認するなり、嬢ちゃんの顔が強張った。この反応なら、通りすがりって線は消えただろう。やっぱりサボりだ。


「ほらやっぱりそうじゃねーか。誰だか分かんねーが、こいつも同じチームだったんだろ? なんかそこ木の陰から覗いてたんだが」

「えーと……同志……Nさん、何してんのかな?」

「ちが……これは……その誤解というやつで」


 小心者だな。現場が気になってしまうからと遠くから覗くのもそうだが、サボるならそんなローブは脱いでしまったほうが見つかり辛いだろうに。


「何卒、何卒ご勘弁を。これはYMKの総意というわけでなく、たまたま見かけてしまった拙者の独断でして……」

「普段からその格好なの……。まあ、覗いてた事は多目に見てあげるから、手伝ってよ。人手が足りないんだ」

「あ、はい、喜んで!」


 会話の内容はいまいち分からなかったが、丸く収まったらしい。


「良かったじゃねーか。じゃあ、俺は行くけどサボるんじゃねーぞ」

「はい、一名追加ねー! エルゼ……蛇口マンさん、廃棄物処理施設担当が見つかりましたー」

「おお、なんと都合のいい。あとでとっておきの水を出してやろう」

「え、ちょ……ユキたんと一緒じゃ……」


 嬢ちゃんが呼びかけて反応したのは、謎の蛇口だ。……やはり関係者なのか。あんな奴、もらった情報にはいなかったはずなんだが、一体何者なんだ蛇口マン。


 クロフレードが現れたのはそれからすぐの事だ。清掃をしていた連中を怪訝そうに見ていたが、大して反応しないあたり迷宮都市に染まっているなと思った。とりあえず、連中とは無関係である体を装いその場をあとにする。




「高い酒をメインに扱うバーでも良かったんだが、団長は昔安酒しか飲まなかったのを思い出して普通の居酒屋にしたよ」

「あ、ああ……気ぃ遣ってくれてありがとよ」


 奢りという事でちょっと期待していたのだが、案内されたのは今の俺の収入でも入れそうな居酒屋、しかも飲み放題メニューだ。迷宮都市のアルコール類は豊富で安い物でも美味いが、いらん気遣いである。


 昔語りは特に波乱もなく進んだ。クロフレードの知らない出身の話から奴隷生活、盗賊に至るまでのエピソードを、抱いている憧れを粉々にしない程度に抑え、赤裸々に語る。とはいっても基本的にぶっ壊れた悪党の半生だ。巨大化してからの森梟団しか知らなければ、これだけでも幻滅しておかしくない。

 クロフレードはサンドル本人が盗みに入り、当主を殺害した貴族の家の子だったらしい。依頼主はその寄り親。悪評が自分にまで波及しそうだったので切り捨てにかかったというわけだ。結果的に梟は大した罪に問われるでもなく、対象の家は政治的手配により断絶した。

 そんな事情を知らないまま、突然転落人生を送る事になったクロフレードがとった行動は復讐だ。長い時間をかけても依頼主と森梟を殺そうと情報を集め、自分を鍛え始めるつもりでいた。

 しかし、情報を集めるほどにあきらかになる実父の悪名は到底擁護できるものではなく、依頼主の苦労も理解できてしまった。やるせない想いで実行犯の梟を調べても、盗賊の癖に聞こえてくるのは名声ばかりときた。本人にその気はなくとも、梟はその時点で正義の断罪者のような扱いを受けていたのだ。表に出ない部分では汚い事も大量にしているというのに。

 次にクロフレードがとった行動は森梟団への潜入だ。名声高いとはいえただの盗賊でしかない。下っ端から始める気なら入団だって容易だ。ただし、脱退は許されず、死ぬ事でしか団を抜けられない。


「それなら、実態を知って幻滅しそうなもんだがな」

「サンドルの半生は知らなくても、やっている事の想像は付いていたからな。汚い事をやっていないと思うほどお坊ちゃんでもなかった。それに団の中でも分かってる奴はいたぞ。梟は正義ではなく平等に災厄を振り撒く死神で、悪党を殺した名声が目立ってるだけだってな」


 良く分かってる。あいつはただ金のため、生きていくために仕事を選ばなかっただけだ。神格化されていたのは善悪を問わず、そのすべてを完遂していた事が原因だ。依頼主も、金さえ払えば従順で使い勝手のいい凄腕に喧嘩を仕掛けようとはしない。


「だから、梟がアジトを爆破したのを見て最初に至った理由は、『依頼だったからそうした』だ」

「ハズレだな。奴にも物事の価値を天秤で量るくらいの頭はある」


 依頼というだけで自らの手足を切り離したりはしないだろう。


「ああ、そこで思考放棄したくなるような結論に至った。至ってしまえば、それ以外には有り得ない。だが、それを認めたくない。少なくとも本人の口から聞かないと納得できそうになかった」

「あいつは森梟団が邪魔で煩わしいと思ってたんだ。一番不要なものを考えた時に、真っ先に浮かんだのがそれだった」

「……つまり、俺たちは不要で邪魔なものだったから排除したと」

「ああ、少なくとも当時のあいつはそう考えた。馬鹿だから、本来その対象にすべきなのは自分を含めた森梟すべてだと気付いたのは野垂れ死ぬ寸前だったけどな」

「そうか……」


 そう言って酒を呷るクロフレードに見えたのは失望というよりは納得だ。なんとなくでも回答に至っていたのだから当然ともいえる。


「だから、憧れるような対象でもないし、ましてや自ら名乗って体現する類のものでもない。今更クラン名変えろとはいわねえが、アレにそんな価値はねえよ」

「価値ならあるさ。本人がそう思っていても、実際に生み出されたものは否定できないはずだ。俺はそんな存在に至れそうにないが、目指すくらいはいいだろう?」

「誰も存在を知らない世界で名乗るくらい、本人だって咎めやしねえよ。俺もな」


 というか、そもそもそんな事を気にするような奴じゃない。別に自分で付けた名でもなく、思い入れすらないのだから。

 ……いや思い入れがないのはサンドルだけか。俺にとっては過去の負債を象徴するものになっている。


 その後、飲み会は何事もなく終わり、帰路についた。

 このまま一度ギルドに寄って募集していたトライアル攻略メンバーを確認して……おそらく募集要項に引っかかるような相手はいないだろうから、寮に戻って日課となった情報のまとめをする事になるだろう。これも、日本語がちゃんと使えればメールやネットなどを利用できるのだが、文字は未だ未習得のままだ。というか、なんであんなに文字の種類があるのか理解できない。

 あたりはもう暗いが、街を行く人の数は昼間よりも多く感じる。明かりの少ない迷宮都市外では治安が悪くなる時間帯だというのに、この街ではまだまだ活動時間らしい。

 罰ゲームで街を清掃している連中の姿もあった。なぜか覆面ローブの数が増えている気がするのだが、きっと気のせいだろう。……今更だが、あいつらクランメンバーじゃねえよな。


 ギルド会館は二十四時間開いているのだが、この時間帯は利用者も多い。今からダンジョンに挑むらしい冒険者も多く見られる。


「あ、サンゴロさん、お待ちしてました」


 パーティ募集結果を確認するために受付に向かうと、意外な対応が返って来た。

 この反応は、まさか見つかったのだろうか。……あんな限定的な条件なのに?


「まさか、手を上げる奴がいたのか? 前紹介してもらった、記念受験みたいなお遊びの奴は勘弁して欲しいんだが」

「あーと、その節は失礼しました。今回は条件に関しては問題ありませんよ。デビュー前で、トライアル第五層到達済み、突破の見込みがある。一定以上の火力を保持しているルーキーです」


 それはありがたいが、どうも気になる言い方だ。


「クラン所属のあてがあるから、デビュー後の固定パーティが保証できないって条件は?」

「ご存知です。ただ、個人なのでサンゴロさんと二人だけで突破できるかどうかは自分で判断していただく必要があります」

「そんな判断までしろなんて贅沢は言わねえが……」


 嫌な予感がする。当たって欲しくないが、長年培った勘がそれを正解だと告げている。


「今、ちょうど二階の面談室にいるので、このまま向かってもらってもいいですか?」

「俺のスケジュールまで把握してるような感じだな、おい」

「あ、はは……」


 なんか言えよ、受付嬢さんよ。

 危険のある予感ではない。出て来る相手も想像が付く。想像通りの奴なら、条件を満たしていてもおかしくない。それどころか、デビュー後に固定パーティだって組めるだろう。なんせ、同じクランに所属する予定なのだから。


「お久しぶりです、サンゴロさん」


 ギルド会館二階面談室で待ち構えていたのは、あまり顔を合わせたくない相手筆頭のサティナだった。


「こっちはあんまり再会したくなかったんだがな」

「相変わらず私相手だと辛辣ですね。嫌われているのは知ってますが、どこがいけないんでしょうか」

「生理的に受け付けない」

「それはまたどうしようもないというか……」


 同じクランに所属する事が確定している以上、どこかで折り合いつけないといけないのは分かるが、できればもう少し時間が欲しかった。


「……まあいい。本題に入ろう。トライアルの件だろ?」

「はい。それだけでもないんですが、とりあえずは一緒にトライアル攻略しませんかというお誘いです」


 それは分かる。元々そういう話だ。サティナがどれほどのものかは知らないが、火力が増えるというならありがたい。


「それで使い物になるのか? クランの事があるとはいえ、出した条件クリアしてねえんじゃ話にならねえぞ」

「本当に疑問に思ってますか?」


 サティナは『あなたなら分かりますよね』とでも言いそうな顔をこちらに向けてきた。

 ここ数ヶ月で何をしたのか知らねえが、サティナが放つ雰囲気は強者のそれだ。勝てないとは言わないが、< 魔術士 >なんて手の内の読み難い相手に確実に勝てるとも言い難い。話に聞いてる蟲の影響とも思えない。

 入街審査で再会した時は超然とした雰囲気は纏っていても、一般人と変わりなかったはずだ。


「……思ってねえよ。俺よりは強いんじゃねーの?」

「そこまでではないですよ。対人特化のギフトを持ってる人に勝てる気はしません」

「そうかい」


 そいつは非公開情報なんだがな。高レベルの《 看破 》をかければ別だが、今のところはギルドの登録情報とベレン、あとは大将くらいしか知らないはずだ。大方、情報も強さも領主経由のものなのだろう。


「それで、トライアルはいいとして、それ以外の用件はなんだ」

「ええ、ちょっとこっちは切羽詰まってまして。早急に他の方に追いつきたいんです」

「それは俺も同じだし、お前も前からそうだろ。勇者様のお役に立ちたいんですーって」

「もっとです」


 どんだけだよ。まさか大将と同じような昇格ペースを目指してるんじゃねえだろうな。


「具体的なプランとしては、六月には中級昇格したいところです。本当なら三月がいいんですが、昇格試験の資格を得るだけでもそこまでかかるでしょうし、現実的ではないんですよね」


 それは俺が考えていた理想のプランと同じだ。トントン拍子で戦力確保して、昇格試験に恵まれればできるかもしれないという見込みの。つまり、このまま燻っていたら不可能な目標である。


「あれ、ここ六月でも現実的じゃねーよって突っ込むところでは?」

「三月なら無言で引っ叩いてたが、六月なら絶対に不可能とまでは言わない。ただ、それをクリアするにはどうしても不確定な偶然に頼るしかねえ部分がある。多分、お前はそれをなんとかする方法があるって事なんだろ?」


 中級昇格試験。申請から発行までの期間が長いのも問題だし、その内容にランダム性があるのも問題だ。


「中級昇格試験に関してなら、四月に制度見直しがあるそうです」


 だが、その懸念はあっけなく覆された。サティナの口から出てきた情報は、楽になる事はないとはいえ、試験の不透明性の排除、早期昇格の可能性を示せるものだった。

 具体的には、不明瞭だった発行期間の明確化と、失敗・断念時のペナルティ期間の設定、そして申請時における挑戦者人数と難易度の設定が挙げられる。これまでと同難易度の試験を望むなら変わらない待機期間、高難易度の試験を受ける場合はより早く試験が発行されるようになるそうだ。

 つまり、俺たちは中級昇格試験程度軽く突破してやるよ、という連中のための改正だ。また、発行期間が明確化した代わりに、試験失敗時は再申請が可能になるまでの期間が発生するようになる。これは高難易度であるほど長期のペナルティになるらしい。


「なんでそれを知っているかを聞く気はねえが、まさかお前が領主にゴリ押ししたとかじゃないよな」

「元々、検討されていたそうですよ。渡辺さんたちの中級昇格に関して一部苦情があったとの事で」

「原因は大将たちかよ」


 冒険者側としては選択肢が増えただけでデメリットは多くない。おそらくは歓迎される流れになるだろう。ただ、冒険者の資質について格差意識は広がりそうな気はする。ちなみに、最高難易度は大将たちが受けた試験が基準になるそうだ。


「そういうわけで、三月くらいまでには先行している他の下級のクランメンバーと合流して、パーティで中級昇格試験に挑むというのが私のプランです。勇者様が活動できてない今、可能な限り距離も縮めておきたいんです」

「実現可能かどうかは置いておくとして、当面の目標は分かった。だが、ベレンは活動してるぞ。一昨日までイベントに参加してたはずだ」

「……は?」


 再会してから終始余裕面だったサティナの顔が驚愕に染まった。


「え、ちょ……それ聞いてないんですけど、ナユタ様、またですかっ!? え、知らないって、なんでそんな重要情報が漏れるんですかー」


 なんか一人語りを始めたぞ。話に聞いてる《 念話 》ってやつだろうか。

 ははーん、やけに余裕ぶってると思ったら、見えないオブザーバー利用してやがったか。


「切られた……」

「ご愁傷様だな。領主様もなかなかお茶目な方のようで」

「まあ、《 念話 》が切れたなら切れたでちょうどいいです。……分かってるとは思いますが、私は今、この街の領主であるナユタ様の支援を受けてます」

「大体は聞いてる」


 ここまで仲良さそうだとは思ってなかったが。


「それで、私が急いでるもう一つの理由もナユタ様なんです」

「良く分からねえが、昇格を急かされてるって事か?」

「その……ナユタ様は大変不安定な方でして、いつ暴発するか分からない状況なんです」

「暴発って……旦那のダンジョンマスターと夫婦喧嘩が始まったりとかか? 家くらいなら軽く消し飛びそうだな」

「最小規模で想定される被害でも、この街が消えます」

「…………」


 何言ってるんだといいたいが、ここまで得た情報を総動員しても否定はできない。できるかもしれないと思ってしまう。


「なるほど、そりゃ重要だ。つまり、お前は領主様の精神を安定させるために急いでいると。具体的には何すりゃ安定するんだ?」

「分かりません」

「…………」


 張り倒してやろうか、こいつ。


「分かりませんけど、それは私と勇者様に関わってくる事は確かです。なので、できる事だけでもやっておかないと……」

「一切納得はできねえが、状況は分かった。協力も……まあしよう。当面は中級昇格へ向けて最速を目指す。その前段階としてトライアルを突破するところから始めようか。そこで躓くようなら、俺もお前も話にならないって事だ」

「ありがとうございます」


 不可視のオブザーバーはもういないはずなのに、サティナの顔は自信に満ちている。トライアル程度、いつでも突破できると言わんばかりだ。


「でだ、今から心配しても仕方ねえのかもしれねえが、中級昇格試験でどんな難易度を選ぶにせよ、ただ無限回廊を攻略するよりは大変なんだよな。そんな試験を四人で受ける……のはまあ仕方ないとして、この四人バランス悪くねえか?」


 俺は支援、サティナの実力は知らないが、後衛である事は間違いない。吸血鬼の嬢ちゃんも後衛。辛うじてゴブサーティーワンっていう謎のゴブリンは前衛だが、一人でパーティ全体の盾ができるほど特化してはいないと聞く。となると、圧倒的に戦線を支える前衛が不足している。


「デビュー前の今よりはそういう助っ人も見つけ易いだろうが、ハードな内容となるとやっぱり厳しいだろ。今の時点でアテとかないのか? ちなみに俺はねえぞ」


 ここで必要な人材は、あの規格外だらけのクランでやっていけるだけの資質を持った奴だ。入団予定もなく、ペナルティ覚悟でそんな助っ人をこなせる奴に心当たりはない。しかも前衛という限定条件付きだ。


「あーと、その、いない事もないんですが……。渡辺さんからは最終手段にしろと言われてまして」

「なんだ、ここまでの話は大将に通ってるのか」


 最初に言えよ。断ったあとで大将に頭下げられたりしたら気まずいだろ。


「なら、どこかで挨拶には行ったほうがいいだろうな。実際に参加してもらうかどうかは別として、どんな奴よ」

「昨日聞いた話なので、私もまだ良く分からないんですが……デーモン君二世、改めデーモンちゃんという方だそうです」


 ……人の事言える立場じゃねえが、変わった名前だな。



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