Interlude「????」




-1B-




 < 魔術士 >はソロで戦うのには向いていないクラスであり職業である、というのは魔術士を知る者の共通認識だ。

 魔術の研究が進んでいる迷宮都市でもそれは同様で、ギルド登録後、ルーキー向けに開かれるトライアルダンジョン攻略研究会でも必ず触れられる話題である。トライアル挑戦時点でそれを学ぶのは、魔術に過度な期待をして、あるいは不要なものと安易に判断してしまわないために必要な処置なのだろう。

 特に外部から来た冒険者にとって魔術は良く分からないがすごいものという程度にしか知見を持たないため、ここで初めて実体を知る事となる。魔術は強力だがお手軽な力ではなく、魔術士は頼りになる仲間であっても単体でその力を活かす事は困難であると。

 何故かと聞かれれば答えは簡単だ。単純に、魔術の準備には時間がかかる。

 それは迷宮都市で活躍する魔術士も例外ではない。スキルとして定型化された魔術を使い、数々のパッシブスキルで簡略化しようとも限界はある。

 未熟な者は構築・発動に失敗する事も多い。平時や訓練時なら100%成功させる事ができても戦闘時にはそうもいかない。戦いながら、走りながら、疲労、緊張、焦りなどの精神状態に左右されながら精密な魔術を構築する事はほとんど曲芸に等しい。いくら魔術スキルとして定型化されたものでも、前衛が武器で戦いながら並行して魔術を扱う上級冒険者の姿は、本職の魔術士から見たら異常の一言に尽きる。

 小回りが利かず、面倒で、術の習得も本人の資質に大きく左右される。武器を以て戦う多くの前衛職からしてみれば、同じ前衛や< 射撃士 >よりも連携の取り辛い相手といえるだろう。

 攻撃魔術は弓に似ていると言われる事が多い。矢筒から取り出し、つがえ、引き、狙いを付けて、放つ。しかし、魔術を矢として見立てた場合、まず矢を作るところから始めなくてはならない。スキルで途中の動作をいくつか省略できても弓の方が早く、更にいえば単純に武器で殴る方が早い。

 かつて、魔術は今では想像もつかない複雑な手順を必要としたらしい。魔法陣、触媒、詠唱。それは今でも魔術の増幅方法として残り、迷宮都市でも使用する者はいる。詠唱しているわけでもないのに《 ファストキャスト 》なんてスキルがあるのはその名残だろう。

 だが、高速で状況が推移する戦闘の中、それらを行うのは無謀といえる。単純化し高速化を続ける魔術はそれでもまだ遅く、前衛必須といわれる技能だ。

 もちろん、火力、効果範囲、射程といった攻撃特性は他にないものだし、それ以外にも回復や防御、補助と多彩な分野で活躍できるメリットもある。冒険者として習熟するにつれて、それは必須の力となっていくのは間違いない。しかし、ハイリスク・ハイリターンな戦術は新人未満の冒険者が当てにするには安定性に欠ける。前衛が未熟であればなおさらだ。


 術式を事前展開する事でとりあえずの単独戦闘が可能な私も、決して例外とはいえない。

 事前に用意した大量の火矢が尽きてしまえば、ただの的。迷宮都市の外なら部隊規模の人数すら相手取れる火力でも、トライアルダンジョンですら突破できない。

 自前の身体能力で第四層ボスから逃げ切る事には成功したが、第五層はどうにもならない。二度目以降、弱体化したミノタウロス相手でも私の火力では燃やし尽くせないのだ。

 当然、多少武術の心得があろうが生身で勝てる相手でもない。こちらはその腕と変わらない程度の質量しかないというのに、倍どころじゃない身長差をどう縮めろというのか。……決して、私が小さいという意味ではない。

 アレを仕留めるための火力を手に入れるには迷宮都市の魔術について学ぶか、何度か《 魂の門 》を潜る必要があるだろう。多少慣れたとはいえ、あの苦痛はできれば避けたいところだ。

 時間もかかる。早く安定した収入が欲しいのに、月単位のロスは厳しい。下手に時間をかけて迷宮都市の生活レベルに馴染んでしまう事で意欲を失ってしまわないかという心配もある。




「それで、俺のところに来たって事か」

「そう。あなたも第五層で躓いていると聞いた。役立たずのフェイズと違って、一度でそこまで行ったとも」


 そうして私が出した答えは、共に戦う前衛と組むという最も正道なものだった。

 候補はあまりいない。どうやらこの時期はトライアルに挑戦するルーキーの人数が少なく、連携を取りづらい魔術士は敬遠されてる節もある。

 戦力として役に立つかという問題も大きい。一緒に戦ってくれれば誰でもいいというわけではなく、あのミノタウロス相手に打ち合える、最悪でも魔術構築の時間を稼ぐ壁になれなければ意味がない。

 そういった意味で、目の前の少年は理想に近いパートナーだった。門の前で遭遇した際は武装を一切持たず、とても戦闘ができるようには見えなかったのだが、こうして武装を身に着けた彼は一端の戦士に見える。実際、ソロで第五層まで辿り着き、あのミノタウロスとも一対一で殴り合える実力は、迷宮都市の外なら一流を名乗っても問題ないだろう。

 迷宮都市に来るまで一緒に商隊の護衛をしていたフェイズという元傭兵も誘ったのだが、彼は早々に脱落した。迷宮都市の外では一流の傭兵でも、ここではトライアル突破の即戦力には成り得ない。むしろ、特に軍人でも傭兵でも冒険者でもない彼がミノタウロスと一対一で殴り合えるのが異常事態なのだ。外の冒険者事情を知ってる身からしてみたら本当におかしい。


「魔法使いにアレはしんどいよな。俺も火力が足りないから、毎回泥仕合になって押し負けるんだよ。ダイナマイト持ち込んでやろうかと思ったけど、取り扱いに免許いるんだよな」

「前に出て時間を稼いでくれるなら、仕留める火力は用意できる」

「具体的には何分くらい?」

「一分……いや、三十秒あれば」


 これまでの感触なら、事前に用意した《 火矢 》をすべて命中させ、もう一度その半分ほど用意できれば落とせる。

 MPという魔力タンクのような仕組みでこれまでの三倍近くの数を展開できるというのに、あの化物はどれだけタフなのか。


「なら決まりだ。次ペアで潜ろうか。どうもこの時期って新人が少ないらしくて、目ぼしい奴がいなかったんだよな。正直助かる」


 どうやら彼もメンバー探しに苦心していたらしい。

 確かにこの段階で即戦力となる者は限られる。攻略の目がある者はさっさとデビューしてしまうし、第五層、あるいはその手前で躓く者はかなり長い目で訓練しないと戦力には成り得ない。ソロでもある程度ミノタウロスと戦える相手がこうして存在するのはお互い運がいいのだろう。


「こちらも助かる。えっと……知ってると思うけど、一応自己紹介する。私はリリカ。リリカ・エーデンフェルデ」

「知ってる。俺は渡辺綱だ」


 それは、以前聞いた名とは違うものだった。家名を言い忘れていたという事もないはずだ。


「……ただのツナじゃなかったの?」

「この前、ダンジョンマスターに会って改名したんだよ。名前の読み方は変わってないから、ツナと呼んでくれればいいぞ」

「分かった。ツナ君」


 それが私たちの始まり。冒険者として、デビューしてからも続く事になるパーティの最初の一歩だった。




 お互い慣れないパーティ戦闘で多くの問題が発生するかと思われたが、いざペアを組む事が決まってからは順調といってよかった。

 結局、彼以外のメンバーを見つける事はできなかったが、数回の連携訓練のあとに挑んだトライアルでは十分過ぎるほどの力を発揮してくれた。

 ツナ君の予備武器、この場合はカード化されたものを確保するために第五層の探索を行った時には、すでに即席とは思えない連携を取る事ができた。

 迷宮都市の外出身のはずなのに、何故か魔術士の戦術についてある程度知見を有していたというのも大きい。曰く、役割分担がはっきりしているから逆に動き易いそうだ。


 かなり長めの準備を整えてボス戦に挑む。後ろから見るツナ君の姿は、強敵を前にして尚洗練されたように感じる。

 途中、何度か危ない場面もあったが、ツナ君はミノタウロス相手に怯まず、恐れず、常に私の前に立ち、一人で前線を支える。普通なら致命傷と判断するような傷でさえ、ツナ君を止める事はできない。

 迷宮都市の外では冒険をしない冒険者なんてよく言われるが、その姿は本来冒険者とはこうあるべきだという理想像を体現しているようにも見えた。

 ツナ君は魔術士のパートナーとして、十分な働きをしてくれた。……そう、彼は何も問題はない。

 ……ミスをしたのは私だった。トドメとなるべき魔術の調整ミス。最後の詰めを誤った上に、仕留めたと油断してしまった。

 MPという魔力タンクを手にいれた事で驕っていたのか、頼りになる前衛がいた事で気持ちが緩んでしまっていたのか、とにかく一人で戦っていた時なら考えられない失態を犯した。

 爆炎の中から飛来する斧。そこからすべてが崩れた。

 一瞬の分断。その一瞬で、瀕死のミノタウロスが私に肉薄する。初撃は躱した。しかし、奇襲を受けた事による動揺と混乱、圧倒的質量が放つ威圧感に気圧されて放たなければいけない反撃の一手を仕損じた。

 一から魔術を構築する事の弊害。迷宮都市の魔術士のように魔術をスキルとして使用していれば発生しない、術式の構築失敗。

 完全に終わったと思った。この時点で私は、次の挑戦でどうすべきかの反省に意識が移行していた。


 ……しかし、そんな甘えた考えは目の前に立ちはだかったツナ君の姿で霧散した。

 諦めかけた私への必殺の一撃。その一撃を身を挺して庇われた。一人ならば攻略のチャンスはいくらでもあったはずなのに、むざむざそれを捨てさせてしまった。

 吹き飛ばされ、動かなくなったツナ君を見て覚悟を決めた。この場、この瞬間で諦めても何も失わない。苦痛が伴うとはいえ次もある。勝ったところで得るものといえば迷宮都市の冒険者としてスタートが切れるだけだ。

 だが、それがなんだというのだろうか。ツナ君はまったく同じ状況で、ああまで必死に戦った。

 ツナ君の体はピクリとも動かない。魔化していない以上、それはまだ生きているという事だ。彼が生きている間くらいは死んでたまるものか。

 ミノタウロス相手に一から術式を構築する時間はない。あと少しのダメージを稼ぐ手段がない。おそらく負けは確実なのだろう。だからせめて、最後まで足掻いてみせよう。

 ……これは、私が真に冒険者であるかどうかを試される分岐点だ。諦めるわけにはいかない。


 人並み以上、そこらの冒険者や傭兵に比べて動けるという自信はある。

 無手のミノタウロスを前に、繰り出される攻撃を見切り、躱す。ギリギリだがやってやれない事はない。受ける事はできない。あの攻撃はガードの上からでも容赦なく私を潰すだろう。

 牽制として放つのは、術でもなんでもないただの魔力放出。当然ダメージはないが、何もしないよりはマシだ。死と紙一重の戦いの中で、牽制を繰り返しわずかなチャンスを待つ。

 幸い魔力……MPはまだ残っている。倒すための手段は残されている。足りないのはそれを構築する時間。どんなに隙ができようが、まともな術式を構築する時間は捻出できない。本来必要な工程を極限まで削ぎ落とし、完成までの道をショートカットする。瀕死のあいつに威力はそこまで必要ない。暴発の安全装置も不要。射程も誘導もいらない。必要なのは速度だ。

 こんな危ない術式など組んだ事はない。そもそも戦闘中に術式の構成を変える事など普通はないし、成功しない。……だけど、一撃は絶対に通す。これはそのために必要な事だ。

 ……集中。集中。集中。

 嵐のような攻撃への対処と、牽制、そして逆転の一撃を構築する処理すべてを並行して意識をフル稼働させる。大丈夫、できる。私はそうできるよう鍛えられてきた。

 術が完成したタイミングで懐へと飛び込む。発動までの待機時間すら削り落とした骨組みのみの魔術は、その一瞬しか意味を成さない。

 最後に必要なのは勇気。あいつを仕留めるために、死中へ飛び込む一歩の勇気だ。

 ミノタウロスの懐で私の魔術が発動した。射出も範囲指定もできないゼロ距離で放たれた魔術は私の両腕を粉砕しつつも成功した。

 反動で吹き飛ばされる。もうそれだけで死にそうだが、動けないだけで私はまだ生きている。

 ……そして、ミノタウロスもまた生き残っているのが分かった。

 《 看破 》するMPはないが、すでにHPは尽きているのが分かる。鋼のような肉体は全身裂傷と火傷だらけで、それでも立っているのは種族本来の性能によるところが大きいのだろう。

 ……私が苦し紛れで作り出した最後の足掻きでは届かなかったというわけだ。


 ――――Passive Skill《 飢餓の凶獣 》――


 岩の砕けるような音と共に、ミノタウロスが崩れ落ちた。


「……え?」


 最後の時を待っていた私の目に突如映るメッセージ。時間が消し飛んだかのように唐突に、それはミノタウロスと私の間に割り込み、立ちはだかっていた。

 何が起きたのか理解できなかった。幻覚かとも思った。しかし、ミノタウロスの巨体を素手で吹き飛ばし、追撃をかけるのは確かにツナ君の姿だ。

 有り得ない。理屈も何もかも放り出して、そう断定してしまうのは魔術士失格なのだろう。それほどに現実離れした光景が展開されていた。

 理性が欠片も見えない、武器も持たず格闘技とも呼べない動きなのに、身体性能だけで巨獣を圧倒する姿はあまりにも原始的で、禍々しく、凶悪で、美しかった。

 飢えた獣による暴虐はあっという間に決着がついた。

 ……雄叫びを上げるツナ君の姿に、私は見とれていたのだろう。渡辺綱はそのただ一度の戦いで私を魅了した。


 終わってみれば、残されたのはボロボロの私と何故か怪我一つないツナ君だけ。

 彼はあの瞬間の事を覚えていないらしく、動画で確認した際にも首を傾げていた。あれは、理性を犠牲にする事で戦闘能力を向上させる類のスキルという事なのだろう。

 理性がなかろうが、ボロボロだろうが、とにかく私たちは勝利した。

 それは、この後に続く冒険者としてのはじまりでもある。……私たち二人のスタートだ。




 その後は、冒険者として極普通で順風満帆な日々が待っていた。

 時期的な事もあり今年は参加できなかった新人戦でフィロス君、ゴーウェン君、ガウル君と知り合い、無限回廊十層でパンダを燃やしたあとに先行していた彼らと合流。一気に下級ランクの攻略限界である第三十層まで進む。

 攻撃的な構成のパーティで必須とされる< 斥候 >すらいない中、煽りを受けて補助に回る事になったのは私だ。本来< 斥候 >が技術でこなす探索行動を魔術で無理矢理代用する。

 ガウル君の紹介でメンバーに加わったティリアは女性的にちょっとアレな趣味の持ち主だったが、戦力としては間違いなく一流で、私が適性を持たない回復役を埋めてくれた。

 盾役をこなしつつ回復、後衛火力をこなしつつ探索補助と、何故か女性二人だけに負担がかかってるようにも見えるのは気のせいと思ってあげよう。

 それまで助っ人をお願いしていたパーティの六人目の枠も埋まり、私たちは新人冒険者を阻む最初の難関といわれる中級昇格を目指す。

 個別に提示される中級昇格試験はどれも高難度で、九月、十二月の中級ランク昇格には間に合わなかったが、三月には全員揃って昇格できるだろうと見込んでいる。

 メンバーに恵まれた事もあって、私たちは一年もかけずに迷宮都市の冒険者として一人前と呼べる立場を手に入れる事となった。少し前までは日々食べるにも困っていたというのに、人生分からないものである。

 ……そう、人生分からないものだ。


「分からないもんだよな……まさか、リリカが魔法少女に……」

「それは忘れろ」


 ツナ君が言っているのは、私がコスチュームの販促モデルとして依頼を受けた魔法少女☆ミラクルるるの事だ。

 一体何故、あんな事態になってしまったのか。今でも理解できない。


「年明けに放送だろ? せっかくでかいテレビ買ったんだから一緒にリアルタイムで見るか」

「残念。買ったばかりなのに、もう壊す事になるとは」

「やめろよっ!? 高かったのに」


 新居用にとお金を出し合って買った記念の品だが、あんな辱めを鑑賞する事になるなら葬るしかない。

 私たちが暮らす新居のために二人で買った物だから、寮のロビーに設置された物と違って怒られる事はないだろう。


 あのトライアルから半年。私たちは極自然に距離を縮め、極自然に恋人関係を構築していた。

 上級貴族の結婚観を植え付けられ、冒険者になってからはその底辺ぶりを味わってきた私には恋愛というものは遠いものだったというのに、当たり前のようにそうなっていた。

 正直、悪い気はしない。結婚にはまだ早いだろうが、中級ランク冒険者ともなれば収入も安定しそういった事を考える余裕も出てくるだろう。

 そこから先の事は良く分からない。私には漠然とし過ぎていてイメージすら掴めない。


 だけど、私の手を包む温もりはこれからも続いていくのだろうと、そうなればいいなと、ただ素直に幸せを噛み締めていた。




-2A-




「……また、この夢か」


 目を覚ませば、そこは現実である。

 ツナ君と同居するために引越したマンションでも、中級に昇格してから購入を検討していた一軒家でもない、ギルド寮の一人部屋だ。

 妄想のような夢を見てしまったのは初めてではないが、何度見ても気恥ずかしいものだ。悶える。

 なんというか、恥ずかしくなってテンションが下がったので、枕元に置いたテラワロス人形を殴ってみた。

 ……うん、テラワロスというデュラハンの事は良く知らないが、これはいいストレス解消グッズだ。Tシャツにランダムで表示されるムカつく言葉が怒りの矛先を集中させてくれる。ええい、笑うな。


 しかし、《 魂の門 》を使ったあとは、何故かあの夢を見る事が多い。願望という意味ならもう少しパターンがあってもいいものなのに、内容は決まって同じだ。

 しかも妙に生々しい。特にツナ君絡みのアレやソレは、ちょっと有り得ないほどにリアルで克明だ。いや、実際には良く知らないからリアルも何もないのだが……。


「まさか、欲求不満だとでもいうの……」


 これまで長い事余裕のない生活を送ってきたから、この街に来てそういった方面の欲求が増してきたのかもしれない。

 食うや食わずの生活に比べたら、現在の環境は比較しようもなく恵まれているのだからそれはいい。代々引き継いできた魔術の伝承という意味でも、子供がいた方がやりやすい。

 いけない。思考がおかしな方へと向かっている。……子供とか、話が飛躍し過ぎである。

 ……まあ、余裕が出てきたのは間違いない。それは良い事ではあるのだが……現実は非情である。現実の私にそういった色恋沙汰は縁遠い話なのだ。

 ツナ君は妄想の産物ではないが別に恋人というわけでもないし、そもそもそこまで関係は深くない。今後は同じクランに所属する事で接点は増えるだろうが、今現在どうこうという事もない。あの夢のように、トライアルの時からずっと同じパーティでやって来たのなら有り得ない事ではないのかもしれないが、それはもしもの話である。

 実際には私が審査をしている間にトライアルを突破し、そのまま中級ランクまで駆け上がって行ったのだから、もしももクソもあったものじゃない。それ以外のパーティメンバーも、フィロス君とゴーウェン君は迷宮都市最高峰のクラン< アーク・セイバー >所属で、残り二人もすでに中級に昇格済みと。……よく考えたら、私以外はあの夢以上に成功している気がする。どうなってるの。

 一方私はといえば、周りにいるのは主にパンダである。……ディルク君やセラフィーナもいるからパンダオンリーではないが、夢との落差がひどい。

 パンダが冒険者としてどうという事ではないのだが、もうちょっとこう……どうにかならなかったものか。思い返してみても、何故パンダとパーティを組んでいるのか理解不能である。

 子供カップルのせいでパーティ内は色めいているが、他にパンダしかいないのだから、そんな話が発生する余地もない。……いや、決して不満なわけではないのだが解せぬ。

 たとえば一年前の私に現在の状況と夢の状況の二つを見せてどちらがあなたの未来でしょうと問えば、間違いなく夢の方が現実味のある未来だと思うだろう。ツナ君との関係を置いておくにしてもだ。


「あ゛~~~っ」


 この、脳内のピンク色をどうにかして欲しい。

 悶えながらベッドに倒れ込むと、否応無しに部屋の惨状が目に付いてしまう。見渡す部屋内は収拾がつかないほどに混沌としている。

 ……ついでに、この散らかった部屋もどうにかして欲しい。こんな散らかった部屋にいるから鬱屈して色々変な事を考えてしまうのだ。

 手に入れた経済力を背景に際限なく増えていく物、物、物。長期間の底辺冒険者生活は私に潜在的な物欲を植え付けていた。

 そして、こうなってから初めて気付いたのだが、私は致命的なまでに掃除や整理整頓といった作業が苦手だった。

 掃除しようにも最初に何から手をつけるべきか。こうしてベッドから眺めて、掃除する想像をするだけで満足してしまう。そうしてまた物が増えるという悪循環へと移行するのだ。……いや、溜まる一方だから循環してないのだが。

 そうだ。最近は籠ってばかりだったし、気分転換に模擬戦をするのがいいかもしれない。ミカエルを燃やせば多少は鬱憤が晴れるだろう。


『あ、リリカさんですか。ミカエル? ミカエルなら今日はバーテンダーのレッスンで外出してまして、帰りは夜遅くになるとか』


 しかし、アレクサンダーに連絡を入れてみたらミカエルはいないとの事だった。……なんでバーテンダーなのかは分からないけど、運のいい奴め。

 パンダを燃やすのはもっと計画的に行う必要があるという事か。……仕方ない。今日も大人しく魔術士ギルドに行くとしよう。




[ 魔術士ギルド 魔術実験室 ]


 真っ白で壁や床に等間隔の線が引かれただけの、訓練所よりも殺風景な部屋。愛用の杖を携え、一人ポツンとその中央に立つ。

 ここは魔術士ギルド地下に設置された魔術の実験用施設で、内部で発動した魔術処理の全記録を解析する機能を持つ……らしい。

 魔術は同じ術式でも発動する者によって細かい差異が出る。それは《 ファイア・アロー 》などのように、一つのスキルとして確立した魔術でも同様で、術者のクセ、体調、あるいは細かい環境の違いだけでも大きく変わる。私のように、一から魔術を構築する技術を持つ魔術士の場合、更にその違いは顕著だ。

 そんな違いを含めた記録をそれこそ解析不能な部分も含めて記録し・研究するのがこの施設の役割であり、記録を元に解析・研究を行い更なる効率化を図るのが魔術士ギルド所属の研究者たちである。聞いてみれば、取得できる記録の八割は専門家でも理解不能なものだというのだから恐れ入る。

 私は一ヶ月ほど前からここで研究・実験を行っている。ダンジョン・アタックのない日はほぼ毎日だ。実は迷宮ギルドに行くよりも訪問回数が多い。


 あの忌まわしい撮影所炎上事件から数日、中級昇格試験の発行を待っていた私に魔術士ギルドへの登録依頼と推薦状が舞い込んできた。

 外部の魔術士は少ないらしく以前から魔術士ギルド登録の打診は受け続けていたのだが、迷宮ギルドの推薦を受けたのはこれが初である。

 当然このタイミングにも意味はある。詳しい話を聞いてみれば、中級昇格試験の代替としての要請も含むらしい。魔術士ギルドへの登録と、迷宮都市外の魔術について情報提供と解析作業に協力する事、その二つで中級昇格試験が免除されるというのだ。ついでに、内容によっては魔術士ギルドの中級ランクとしても扱う事を約束された。基本的に冒険者として活動するため、魔術士ギルドの肩書はほとんど名義上のものだけとなるが、わずかながら研究費が出るらしい。素晴らしい。

 これはあくまで要請であり、受領するかどうかは任意。外部の魔術士は技術を秘匿する傾向がある事は迷宮都市も知っているのか、そこまで強い要請でもない。

 だが、そもそも私……もっといえば師匠にとって唯一つの秘奥義を除いて魔道技術の秘匿などしていなかった。

 条件が良ければ断る理由はまったくない。……決して提示された研究費に目が眩んだというわけではない。




『じゃあ昨日の続きから。ターゲットが展開する魔術式を阻害、あるいは術式ごと破壊してみて』


 部屋の中に、担当研究者の声が響き渡る。

 それに合わせて空間内に浮かび上がるターゲットは実体のない存在。完成した魔術を受けても大した被害はないが、構築・展開する魔術式は本物と同様である。


『最初は外でいう見習い並の展開スピードでお願い、少しずつ速くしていくから』


 その術式を構築段階で阻害し、発動を阻止する。間に合わないようなら発動後に対抗用の魔術を射出して相殺する。

 迷宮都市の外では基本的に魔術士同士の戦闘は想定しないので、こうした他者の術式へ干渉するという行為は経験がなかったのだが……。


『術式の精度の影響か、適性通り《 阻害 》は得意みたいだね。《 偽装 》も《 暗号 》もかかってない素の魔術だったら大体潰せるんじゃない? 来年の新人戦で中級ランクの魔術士相手に完封したら< インターセプター >を名乗っても構わんぞ。わはは』

「……その二つ名はあなたの許可が必要なの?」


 どうやら、やった事もない《 阻害 》は私に合っていたようだ。

 次は全周囲どこからか射出される魔術を相殺する実験。必要なのは相殺用魔術の展開速度と威力の調整、そして判断能力。

 専用に特化した魔術で相手より速く効率的に展開、必要な属性、威力を瞬時に判断し、術式が着弾する前に相殺する。術者を認識内に置く事で、発動前に相殺用の魔術を先行して構築する事も可能だ。

 本来、射撃系統の魔術は先手を取れば撃ち負ける事はない。後手に回りつつもそこから逆転する事さえ可能とする戦術は私に合っている気がした。

 これはソロだけではなく、パーティ戦でも有効活用できる戦法である。モンスターよりも冒険者の方が顕著だが、主力を魔術士に依存するパーティは多い。その行動をすべて潰し、前衛の安全を確保する事で一方的な戦局を演出できる。まだ実用の域には達していないが、攻撃だけでなく、回復、補助、あるいは召喚などの魔術も潰せるようになるだろう。


『お見事。この速度が出れば、下級ランクの魔術相手なら一方的に封殺できるね』


 直接的なダメージはないが、被弾が増えてきたところで終了した。まだいけそうな気もするけれど、実戦形式でない訓練にそこまでの意味はないし、本来の目的は研究だ。




「お疲れー。あ、冷蔵庫から好きな飲み物出していいよ」


 実験室から出て一つ上の階の観測室に入ると、先ほどまでの声の主が待っていた。

 およそ魔術士らしからぬ、普段着に白衣を羽織っただけの魔術士ギルド所属の研究員ミーネミーナ。帝国の辺境に似たような音を繋げた名前が多い地方があるので彼女も外部からの移住者かと思ったのだが、聞いてみればどうやら迷宮都市出身らしい。聞いてはいないが、親かその親の世代に移住したのではないだろうかと思っている。

 いつ見ても不思議なのだが、壁の一面には巨大な窓枠があり、私がいた実験室が見下ろせた。その更に脇、申し訳程度にちょこんと置かれた冷蔵庫を開けてみると、何も記載がない透明なボトルがいくつか並んでいる。初見だとどれがどんな味か分からないが、もう慣れたものだ。何の味かは未だ良く分からないが、これまでで一番気に入った色のボトルを取り出した。

 以前聞いたのだが、これは飲料商品の開発の過程で破棄された物らしい。ミーナのコネで大量に余った物を持ち込んでいるそうだ。


「さて、それじゃこれまでの結果を振り返ってみるよ。詳細は解析待ちだから簡易なものだけどね」


 観測室内に設置された応接セットのソファにミーナと向かい合って座る。ミーナの手元にあるボトルは、私の苦手な薬品っぽい味のするものだ。研究者に愛飲者が多くいるらしい。

 テーブルに置かれたのは私の写真が載せられた紙資料。数字やグラフの意味くらいは分かるが、日本語ですらない謎言語は相変わらず何が書かれているか分からない。


「まず最初に、気になってると思う冒険者の中級昇格に関してだけど、あっちのギルドから提示されたラインは軽く超えてるから心配しなくていいよ」


 その回答に少しだけホッとした。事前に聞かされた条件では、あまりに芳しくない結果だと失敗扱いになるという話だったのだ。

 元々そう厳しい条件ではなかったらしいが、実際に結果が出るまでは不安なものだ。


「んでもって魔術士ギルドの方だけど、こっちも問題ない。異例だけど、多分中級ランク扱いで所属できる。所属自体は任意だけど、どうする?」

「事前に提示された条件であれば、特に断る理由はありません」

「元々魔術研究はしてたみたいだしねー。秘匿する気がないなら、デメリットはないも同然か。定期的な研究結果報告は必要だけど、これも冒険者の方で結果出してるならおまけ程度だし。今回みたいな協力要請はあると思うけど、それくらいかな?」


 まったく問題なかった。それだけの事で、この施設を含んだ魔術士ギルドの設備全般を使用でき、かつ他の研究員の協力も得られるのだから願ってもない話である。冒険者を本業として魔術士ギルドへは登録だけ、という例も多いらしいのでトラブルも少ないだろう。


「こっちが本業の私としてはウチのチームで研究に専念してくれたりすると助かるんだけど、魔術士としての腕を磨くなら冒険者の方が都合がいいのも事実なんだよねー」


 残念だが、そこは譲れない一線である。私自身を鍛えずに研究だけで魔道を極めるのは無理があるのだ。


「んじゃ次に実験の総評。手元の資料は専門用語だらけで読み難いだろうから、いつも通り参考程度に。……外部の魔術士自体、そう前例があるわけじゃないから比較は難しいけど、どれもハイレベルな水準に達してる。特に、魔術構築と操作の精度は下級ランクでは見られないレベル。魔術スキルやMPがない環境での最適解に近いものなんだろうね。……惜しむらくは、この術式のほとんどを構築したっていうリリカさんのお祖母ちゃんが亡くなってるって事だよね。そこまでの術者がなんで放置されてたのやら。というか、なんで冒険者やってたの?」

「それは家庭の事情で……」


 外で冒険者をやっていた経緯についてはあまり触れて欲しくない部分である。

 師匠については……彼女は迷宮都市内なら寿命を誤魔化せるからとか、おそらくそういう意味で言っているのだろうが、その仮定は無意味だ。死因が寿命でも怪我でも病気でもない以上、迷宮都市内でも対処ができたとは思えない。あの死は師匠にとって逃れ得ぬ運命のようなものだったのだろう。


「今回協力して見せてもらった部分だけでも、相当に独自性が強い。独自性が強過ぎて、リリカさん以外に弟子がいなかったっていうのも少し納得した」


 私は最初からこの方法でしか魔術を扱った事がないのでいまいちピンとこないのだが、他の魔術士から見ればウチの流派はかなり独特だというのは迷宮都市に来る以前から聞いている話である。使い易さや汎用性よりも威力、速度、効率を重視した術式は複雑に過ぎて理解が追いつかないのだそうだ。

 知識を持たない者に扱わせるには危険だから安易に公開したりしないが、相手がちゃんとした魔術士ならば教示する事も禁止されていなかった。実際、対価をもらって部外者へ教示した事は何度もある。

 そんなオープンな環境であるにも拘わらず弟子が私しかいなかったのはエーデンフェルデ本家絡みの問題もあるが、一番の理由はその独自性だ。

 そして、私よりも遙かに進んだ技術を持つ迷宮都市からしてみても同様の印象を持つらしい。


「独自に発展した術式は迷宮都市と比べて無駄が増えて非効率なだけのものになり易いけど、一見非効率に見える部分も何かしらの意図をもってそうしているように見える。改良の余地も多分にあるけど、参考になる部分も多いんだよね。こんなのを魔力精製から手動で、しかも戦闘に耐えるくらいの速度で展開してるわけだから恐れいるわ」


 その言葉には、こんな面倒臭い事をやる奴は迷宮都市にはいない、という意味も含まれているのだろう。迷宮都市の< 魔術士 >が使用するある程度発動するまでの流れを定型化した魔術スキルと、発動の度に魔力精製からすべての手順を踏む私の魔術は、比較する必要もないほど明確に差が出る。曲りなりにもこの街で半年間冒険者を続けている身としては理解できてしまう部分である。


「参考になりますか?」

「なるなる。上手く調整して魔術スキルに適応できれば、既存の魔術が最低でも5%は効率化できるね」

「それだけ聞くと大した事なさそうですけど。5%って数字は大きいんですか?」


 %というのは、全体を百としてその割合を表した単位だったはずだ。


「すごく、とてつもなく大きい。そしてこれはただの単純比較で同じ術者が同じように使ってって意味だから、リリカさんが使うならもっとだろうね。あなたの場合は、何使っても速くなりそうだけど」


 もし、その効率というのが消費魔力、展開速度、威力などあらゆる意味での効率を指しているのなら確かに驚異的な差かもしれない。


「その恩恵を直接受けてるのが、今日のテストでもやった《 阻害 》や《 相殺 》かな。全体的にハイレベルだけど、並んで適性の高い《 遅延 》や《 待機 》よりもこの二つが群を抜いてる印象を受けた。冒険者仲間相手にも試してみたんでしょ? どうだった?」

「ディルク君には一切通用しませんでしたけど、とりあえず《 パンダ・ファイア 》は確実に潰せるようになりました」


 術の構成が意味不明なので対処はどうしても発動後になるが、《 魔導相破 》で出だしを潰す事はできる。ようは少し変な炎の魔術なのだから、真っ向から相殺すればパンダの形の炎の代わりに燃えるパンダができ上がるのだ。現在対策を考えているようだが、その度に潰してみせよう。奴だけには負けるわけにはいかない。

 ディルク君の方は……言う通りしばらくは例外扱いでもいいだろう。彼の場合、素で自分の魔術に《 偽装 》や《 暗号 》、《 圧縮 》をかけるから、手を抜いてもらわないと《 阻害 》もままならない。訓練として私が突破できるギリギリまで対策レベルを落としてくれたりするが、段階的に引き上げられる難易度は遊ばれているようにしか感じない。それでいて本職の魔術士ではないというのだから、異次元の存在としか思えない。


「天才少年は例外中の例外だから置いておくとして、パンダのアレも意味分かんないけどねー」


 さすがの魔術士ギルドも、ミカエルの非常識さはお手上げらしい。所属が違うなら私もお手上げしたい。


「次に攻撃系魔術だけど、適性の問題なのか電気よりは火の方が変換効率はいいね。冷気に至っては火の半分くらいの効率。それでも一般的な魔術士よりは遙かに効率いいけど……」


 そうして何回目めかの評価を受け、私の中級昇格試験は無事完了した。

 正式な結果は魔術士ギルド内で報告が上がるのを待つ必要があるので来年一月以降、遅くとも二月中には迷宮ギルドから通達されるとの事だったので、とりあえず三月の昇格には間に合うだろう。内定ではあるが、パンダには先行できた。




「それで、名義だけとはいえおそらく魔術士ギルドの上司になるであろうミーナさんから聞いておきたい事があるんだけど」


 今日の分の評価を終えたミーナが真剣な顔をして話題を切り出してきた。

 上司云々は所属後の問題だから現時点でどうなるかなど分かるはずないのだが、彼女は自前の研究チームを抱えた上級ギルド員なのでそういう事もあるのだろう。


「な、なんですか」

「真面目な話、魔術士ギルド所属の研究員はモテない」

「……は?」


 いきなり何を言い出すのだろうか。


「インテリ気取った女は理屈っぽくて面倒臭そうだとか、研究ばかりして暗そうだとか、すごい重い女ってイメージがあるとか、とにかくイメージ先行して雑誌の恋人にしたいランキングはいつも下位。でも、そんなイメージを払拭しようにも出会いがないのよ。迷宮ギルドみたいに積極的に出会いの場を用意してくれないし、ちょっと死活問題なのよね」

「は、はあ……。それで、私に何を……」

「冒険者なら男の知り合いも多いでしょ。合コンセッティングしたまえ」

「…………え?」


 どういう事なの? それをよりにもよって私に頼むとか。そんな伝手はない……事もないけど、それを私が切り出すとか。


「リリカちゃん彼氏いないって話だったけど、気になる人くらいいるでしょー。コレを口実に誘えば、お互いWin-Winな関係を築けると思うのよ。期待してる。大丈夫、ちゃんとフリーの子だけにするから」

「いや、そんな人……いないです」


 何故、言い淀む私。夢は夢であって、現実はそんな関係ではないのに。


「またまたー、そんな事言ってるとすぐに二十歳超えて、……私みたいになっちゃうぞ」


 絞り出すようにしてまで言う事だろうか。居た堪れない気持ちになるのだけど。


「いや、ミーナさんもうアラサーなわけでさ……色々とさ、必死なわけなのよね……。お肌のお手入れとかちゃんとしてるんだけどな……」

「そもそも恋愛ってよく分からないんですけど、結婚なら普通家長が相手探すのが筋なんじゃ……」


 身寄りのない冒険者や実家から勘当状態の私のような状況ならともかく、迷宮都市出身なら実家もあると思うのだけど。


「あー、そういえばリリカちゃんは帝国貴族だったか……。あのね、迷宮都市にそんな風習はないの。いや一部はあるんだろうけど、政略結婚とか家同士の繋がりとかそういうのはないの」

「そ、そうなんですか……」


 カルチャーショックだった。いや、薄々は気付いてたけど、事実として突き付けられると改めて文化が違うと思い知らされる。


「大丈夫、高望みはしないから。稼ぎ少なくても気にしないし、隠してるけどダメンズ好きな子もいるし。とりあえず声かけて集まりそうな相手を見繕って欲しいの」

「……パンダならいっぱいいますけど」

「いや、いくら高望みしないっていってもパンダはちょっと……。人間か、人間に近い種族がいいな……」


 いきなりテンションが下がった。誤魔化すにしても、さすがにパンダはそういう相手として成立しないか。……あっちもそういう対象としては見てないだろうけど。


「いや……この際、パンダでも……ん?」


 ミーナの血迷った台詞を遮るようにして、甲高い音が鳴り響いた。聞き慣れない音だが、多分この部屋に設置された電話か何かだろう。


「はい、こちら第三魔術実験室……はい、実験は終わってますけど、確か時間はまだ……はあ……」


 予想はあっていたらしく、壁にかけてあった電話器を取り会話を始める。

 ……このまま話題を逸らせないだろうか。私には荷が重い。


「うーん、なんだかよく分からないけど、リリカちゃんにお客さんだって。五階のギルド長室に」




-3A-




 話題が中断された事で正直ホッとしつつ、会館の五階へと向かう。五階はギルド長室くらいしか入れるところがないので、行けば分かると案内もなしだ。

 四階から専用のエレベーターに乗って五階に降り立つと、四階までの廊下とは違い、見るからに高級そうな絨毯が敷かれている。壁も造りが違うので、いかにも偉い人の執務スペースという印象だ。貴族の屋敷のような派手さはないが、置物はどれも想像を絶する価値がある物だと分かる。

 ギルド会館には来客用の応接室はあるし、ギルド員向けに貸し出される部屋もある。迷宮ギルドもそうだが、普段、五階に立ち入るような機会は存在しない。

 なのにここに呼ばれたという事は、お客さんというのは相当な立場の者なのだろう。……まさか、ウチの父親とか。いや、帝国の伯爵でもこの街では木っ端のようなものだろう。ないない。


 長い廊下の先に一つだけあった[ ギルド長室 }の扉をノックする。中からの返事を待ち、入室するとそこに待っていたのは、お爺さんが一人。

 魔術士ギルドのマスターに会った事はないが、確か女性だったはずだから彼は別人だろう。という事は彼がお客さん?


「嬢ちゃんがリリカ・エーデンフェルデかの?」


 見覚えはないのだが、相手は私の事を知っているようだった。


「はい……その、ギルド長はどちらに」

「先ほどまでここにいたが、今は席を外してもらっているよ。なに、お前さんを呼んだのは儂じゃから気にせんでええよ」


 と言われても、部屋を主不在のまま使っていいのだろうか。


「はあ……、それでどういったご用件でしょうか」

「昔馴染みの弟子らしいのが登録してきたので気になった、というところかな。嬢ちゃん、魔術士って事はリアナーサ・エーデンフェルデの弟子じゃろ?」


 ……ああ、お祖母ちゃんの知り合いか。いろんな所を旅していたと聞くし、迷宮都市に知人がいても不自然ではない。


「お祖母ちゃん……師匠とはどういった知り合いですか? あ、その前にお爺さんは一体……」

「ああ、すまんな。儂はガルスという。お前さんも登録しとる迷宮ギルドのギルドマスターで、一応全ギルドマスターの総括役でもある」


 思った以上に大物だった。

 迷宮都市の外にある冒険者ギルドの長ならまだしも、あの巨大組織の責任者となると、この街でも上から数えた方が早いくらいの立場じゃないだろうか。統括と言われてもピンとこないが、それなら勝手に部屋を使っても問題ないのかもしれない。


「といっても、普段はあまり迷宮都市におらんから名誉職みたいなもんじゃがな。実際、冒険者連中もあんまり儂の事知らんし。嬢ちゃんも気楽にしてええよ。まあ座りなさい」


 確かに名前すら聞いた事がないが、その肩書だけでも気楽に接するには重いだろう。

 高級ソファに腰掛け、あまりの柔らかさに内心緊張が加速した。この状況で落ち着けというのは無理がある。


「それで、リアナ……お前さんの師匠との関係は……いざ考えてみるとなんじゃろうな。……悪友? 儂が二十代でピチピチの時、あいつにギャンブルで負けて物理的にケツの毛まで毟られた事があるぞ」

「聞かなければよかった……」


 関係を尋ねて最初に出てきた言葉に顔を覆いたくなった。破天荒で自由人なお祖母ちゃんならやりかねないという事実がまたキツイ。


「お爺さん……ギルドマスターが二十代の頃って事は、若い頃の師匠を知ってるんですか?」


 師匠の人生は謎に包まれている。冗談にしか聞こえないような逸話が実際の事だったり、地方によっては民話にまでなっている事すらある。吟遊詩人が謳う英雄譚のモデルがお祖母ちゃんだったという事も珍しくない。中には本当の嘘も混じっているので、あまり本人の話を鵜呑みにできない事が余計にリアナーサ・エーデンフェルデの人生の謎を加速させている。


「お前さん何言っとるんじゃ。あいつの若い頃など知っとるわけなかろう」

「…………?」


 意味が分からなかった。

 このお爺さんは軽く見積もっても老人だ。そのお爺さんが若い頃なら、お祖母ちゃんだって若いだろう。話が咬み合わない。


「……まさか嬢ちゃん、リアナの事勘違いしとらんか? さっき、お祖母ちゃんとか言っていたが、言葉通りの意味じゃないよな?」

「そのままの意味ですけど……ウチの父、帝国のエーデンフェルデ伯爵の母なので」


 祖父は私が生まれた時点ですでに故人だったが、お祖母ちゃんは先代伯爵夫人である。……と、聞いている。


「……それ、嘘じゃ」

「は?」

「あいつひどいのう……。弟子にまで自分の素性を話しとらんとは」

「いや、そんなはずは……」


 私と父の血縁は魔術的に証明され、帝国の貴族謄本にも登録されている。その系譜に間違いはないはずだ。

 お祖母ちゃんの方が嘘という事だろうか?


「おそらく嬢ちゃんの祖母であろう女性は儂も面識がある。ちっこいが可愛らしい嬢ちゃんでの、手を出そうとして当時の伯爵に殺されそうになったわ」


 何してるの、このお爺さん。


「あの……お爺さん、ひょっとして民話伝承や歌に出てくる剣聖ガルスですか?」

「おう、その本人じゃ」

「……あの、ガルスを見たら娘を隠せという話の?」

「若い頃はヤンチャしとったからの。さすがに行く先々で村娘全員孕ませてたわけじゃないが、一回くらいはそんな偉業も達成してしまったかもしれん。長居した事はないから確認はしとらんが」


 最低だ、この人。

 辺境の村落では外部の血を取り込むためにそういった事を行う事もあるようだけど、さすがに全員を差し出したりはしない。伝承で謳われるような偉業を成した英雄を歓待するのだとしても、それでは村の秩序が崩壊するだろう。

 まさか、ここに私を呼び出したのも……いや、ないな。私にはそういった興味はなさそうだ。

 しかし、そうなると気になるのはお祖母ちゃんとの関係だ。


「まさか、師匠ともそんな関係だったとか……」

「あのババアと肉体関係はないから気にせんでいいぞ。わりかし何でも食う雑食系男子だが、さすがにババアはな。アレが欲求の対象になるのは表向き熟女好きと公言してて、裏では閉経後の女にしか興味がないグローデルの所の嫡男くらいじゃ」

「いや、そういう情報はいらないんで」


 知らない人の特殊性癖は全然関係ない無駄情報だ。今知りたいのはお祖母ちゃんとこの人の関係と、何故ここに呼ばれたかである。


「なんじゃ、貴族の変態っぷりには興味がないか。お前さんの祖父も実はなかなかの趣味でな。初めて行った娼館でケツの穴を舐めさせるというプレイを……」

「いやいや、お祖父ちゃんの趣味も聞きたくないです!」


 会った事ないけど、身内の恥を暴露されるのは厳し過ぎる。


「ちなみに儂のここ最近のマイブームは未亡人じゃ。未亡人はいいぞ。戦争で旦那を失ったばかりで傷心の女につけ込んでな、つい先日も子供が寝てる隣の部屋で燃え上がるような……」

「黙れジジイ。燃やすぞ」

「はい」


 脱線し過ぎである。何故、爺さんの性癖まで暴露されないといけないのか。しかも全部猥談である。


「……ほっほっ、なんじゃ、やっぱりあいつの血縁じゃのう。何代離れてるか知らんがキンタマが縮み上がったわい」

「何代って……さっきの話が本当だとしても、せいぜい曾祖母くらいじゃ……」

「そんなわけあるかい。あいつ、儂が二十代の時にはすでにババア、爺になってから会っても変わらずババアの妖怪じゃぞ。いつ会ってもババアだからマジビビるわい」

「よ、妖怪?」

「ちなみに儂、八分の一ほどだがエルフの血が混ざっててな。純粋な人間よりは遙かに長生きだぞ。その儂から見てあの年齢不詳っぷりは妖怪扱いしても問題ないと思うんじゃが」


 妖怪って、確かモンスターの種族だったような。人のお祖母ちゃんをモンスター呼ばわりとは、随分と無礼な人だけど……。

 いや……そういえば物心付いた時から変わってなかった気も……。お祖母ちゃん、一体何歳だったんだろう。


「昔、本人からエーデンフェルデが帝国に併合される以前、エーデンフェルデ王国だった頃の話を聞いた事がある。儂も若い頃じゃったから話半分にしか聞いとらんかったが、本当だとするとマジモンの化物じゃな」


 帝国の建国以前、ウチが王国だったという話は聞いた事があるけど、それは数百年も前の話で正確な資料すらロクに残っていない。いや、それはさすがに……。


「正体不明なアレとは何度か冒険をした仲でな。時には仲間だったり、敵だったりしたもんだ。だから、関係といっても一言では言えんわけよ」

「は……はあ……」


 やけに伝承に謳われていると思ったけれど、そんなに長い間活動していたなら分からない話でもない。冗談だと決めつけていた話の中に本当の事が多く含まれていそうだ。


「それで、嬢ちゃんを呼び出したのはあのババアの事でな。以前、迷宮都市に誘った際に弟子を一人仕込んだら行くと言われたんじゃが、なんでお前さん一人なんじゃ?」

「ええと……それは……」


 お祖母ちゃんもここに誘われてたのか。呼び出された事に合点がいった。


「あのババアの事だから、暗黒大陸あたりでハッチャけてるのかもしれんが、一度くらい顔を出してもええじゃろうに。居場所は知っとるのか?」

「亡くなりました」


 ギルドマスターが固まった。


「……いやいや、あのババアがくたばるはずなかろう。魔導研究所にカチコミした時も周辺数キロが更地になるような爆発に巻き込まれてケロリとしとったし、山みたいな巨獣数匹に囲まれて絶体絶命という状況でも首担いで帰ってくる化物じゃぞ」


 ……何それ。このお爺さんもだけど、どんな大冒険してたの。


「いや……その、それでも実際に死んだわけで」


 ギルドマスターの中で、お祖母ちゃんが死ぬというのはよほど有り得ない事なのか、ふざけていた雰囲気が急に真面目なものに切り替わった。


「……死因は? どうやったらあの化物ババアを殺せるか興味あるんだが。……そりゃ今の儂なら殺せるだろうが、迷宮都市を除けば世界最強クラスじゃぞ」

「その……あまり公言できなくて」

「……ああ、魔術実験か。《 魂の門 》じゃな」


 なんで知ってるの、このお爺さん!? まだ魔術士ギルドにも話してないのに。


「正解か。……となると、それ死んどらんぞ。賭けてもいい」

「そんな馬鹿な」


 体が分解されて、魂だけになって生きていられるはずがない。それをこの目で見たのだ。


「どんな形になろうが、あのクソババアが死ぬもんかよ。……《 魂の門 》の特性を考えればあり得ん話でもないしな」

「……《 魂の門 》の事、どれくらい知ってるんですか?」

「魔術は専門外じゃし大した事は知らんが、一度あのババアに連れられて潜った事がある。《 第一門 》で、魂レベルで魔術適性なしと判断されて落ち込んだわ」


 それは、随分と危ない真似を……。いくら術者の補助があろうが、常人なら発狂コースだ。よほどお祖母ちゃんと相性が良かったのだろうか。


「魂のままか魔素で化身を構築するかの違いはあるが、アレは無限回廊のダンジョンシステムに近い。じゃから、体が分解されても死んだとは限らん」


 あまり実感は湧かないが、思い当たるフシはある。死んだあとの再構築の際に感じるものが似ているのはそういう理由なのだろうか。


「確かに私では未知の領域の話でしたから、ゼロじゃないかもしれませんけど、何か他に根拠は?」

「勘じゃ。儂の勘が言っとるよ。そう遠くない内に会う事になるとな」


 普通なら荒唐無稽もいいところで有り得る話ではないのだが、このお爺さんは英雄の類だ。その人が疑う事なく信じてるのを一笑に付していいものか。


「あるいは、嬢ちゃんが魔術士としてアレと同じ位階に達すれば会えるかもな」

「……師は偉大だったので、いつの事になるのやら。《 魂の門 》もそうです。この街に来てから発動もしましたけど、アレだけは魔術スキルとして定型化できる気がしません」

「そりゃそうじゃろ。儂も色々見てきたが、アレに比類する魔術はほとんどお目にかかった事はない。リアナ自身使いこなせてたとは言い難い」


 迷宮都市以外にアレを解明できそうな場所はない。

 魔道の深淵に辿り着くのに《 魂の門 》が必要なのは間違いない。師から託されたこれを研究し次の世代に繋げる事は、継承者としての私に課せられた責務だろう。

 ……次世代。うん、次世代。……弟子の話だから。子供って事じゃないから。


 その先にお祖母ちゃんがいるのなら、会ってみたいという気持ちはある。あんまりこのお爺さんと絡ませたくはないけど。





 そんな事を話していると、ノックもせずに誰かが入って来た。


「うーす。ちょっと古い資料出してもらいたいんだけど……っていねえ!」


 ここは魔術士ギルドのギルドマスターの部屋だから、目当ての人物がいない事に驚いているのだろう。

 青年は随分と軽い雰囲気だが、ギルドの幹部か何かだろうか。この建物内で会った事はないが。


「……なんでガルスがここにいるの?」

「留守番じゃよ。それと、この嬢ちゃんに用があってな」

「嬢ちゃんって……。爺さん、最近のマイブームは未亡人とか言ってなかったか? ブームのサイクルが短過ぎるぞ……」


 青年はギルドマスターの事を知っているようだけど、それにしては態度は軽いものだ。

 そして話の流れの中、私の顔を見て動きが止まった。


「リリカ・エーデンフェルデ……」

「なんじゃ、嬢ちゃんの事知っとったのか。昔話した妖怪ババアの弟子じゃ」

「あ、ああ……そうか。外から来た魔術士は珍しいからな。ツナ君のクランの事前申請に名前あったし」


 ツナ君の知り合いか。彼の交友範囲も良く分からない広さだから、分からないでもない。


「……そういえば、初めましてだな。ダンジョンマスターの杵築新吾だ、よろしく」

「リリカ・エーデンフェルデで……ダンジョンマスター?」


 ……え、どういう事?


「そいつはこの街で一番の権力者じゃから、媚売っといたほうがいいぞ。エルシィを嫁にするくらいじゃから、守備範囲内じゃろうし」

「人をロリコン扱いするな。エルシィに告げ口して的にするぞ」

「馬鹿な。隠居した老人を労ろうという気持ちはないのか」

「ねえよ」


 さり気なく人をロリ扱いするのはやめて欲しい。相手が相手だけに抑えるしかないけど、ロリが幼ない少女を表す言葉という事くらい知ってるぞ。


「というか、エルシィああ見えてそこそこ身長はあるし……。こうして実物見るとリリカはすげえ小さいな」

「小さくないっ!!」


 抑えられなかった。


「……まあ、身長については不毛な争いになりそうだから置いておくとしてだ。リリカも身内の知り合いだからってノコノコこの爺さんと二人きりになったりしないほうがいいぞ。今は未亡人ブームとか言ってるが、いつ切替わるか分からないんだからな。こいつ、姿を見ただけで妊娠するとか伝説が残るような爺さんだぞ」


 それは知ってる。


「儂、一応口説いた相手しか手を出してないんじゃがな……」

「つーか、いい加減種バラ撒くのやめろよ。いくらなんでももう十分だろ」

「だが断る!」


 断るな。誰でもいいから、このお爺さんを止めて欲しい。


「このガルスには夢がある。数世代遡れば誰もが儂の遺伝子に辿り着く。そんな美しい世の中にしたい!」


 あまりに無茶苦茶な夢を自信満々で宣言するギルドマスターに脳が理解を放棄した。こいつならやりかねないという現実からの逃避かもしれない。


「サラブレットか何かかよ。俺、そろそろ爺さんを外宇宙に向けて放逐したほうがいいんじゃないかって思ってるんだ……」

「そんな事されたら帰って来るのが大変じゃろうが」

「爺さんの場合、マジで帰って来そうだから怖いよ」


 ……なんで、こんな権力の中枢にいる人たちの馬鹿話聞かされてるんだろう。


「あー、悪いけど俺ちょっと疲れてるから爺さんの相手してられないんだ。メモ置いておくから、資料用意しておいてって伝言お願い」

「珍しいな。面倒ごとならいつも通りウチの孫に振ればいいじゃろうに」

「できるならアレインに振ってる。そうもいかない案件なんだよ」

「まあ構わんが……。ああ、ちょうどいいから帰るのはちょっと待ってくれ。そんな忙しい新吾に頼みがあるんじゃが、一つ未知の魔術を解析してもらいたい」


 ギルドマスターがチラリとこちらを見た。……まさか、《 魂の門 》の事だろうか。解析できるのだろうか。……いや、ダンジョンマスターという肩書を考えるなら有り得る事なのかもしれない。


「なんで剣士の爺さんが魔術……ああ、そういう事か」

「以前話した《 魂の門 》じゃ。門外不出の秘奥義だったはずじゃから、本人が駄目だというならやめておくが。そもそも新吾には詳細を説明済みじゃ」


 《 魂の門 》が門外不出なのは術の危険性によるもので秘匿自体が目的ではないから、すでに知られているのなら今更隠す必要はない。


「対象の潜在的な可能性を門として具象化し、段階的に自身の魂に触れさせる事で魔術の理解を深める術だったな」

「……はい。自己の魂に向き合う代償として、激しい苦痛が伴います。もし本当に解析できるならお願いしたいところですけど、自分以外に使用する場合は相性があるので」

「とりあえず見てみないと難度も分からないからな。[ 赤空のコロッセオ ]は使えないから、……とりあえずここで見せてもらってもいいか? ああ、発動前まででいい」


 それなら相性も関係ないけど、それだけで何か分かるんだろうか。

 発動前までならただ疲れるだけで再使用時間に影響しないから、とりあえずという事で試してみる事になった。


 スキルとして確立していない魔術の準備は長い。その中でも《 魂の門 》の発動準備時間、難易度は私が知る魔術の中でも群を抜いている。

 発動直前まで術式を構築するのに、今の私で三十分以上。散々使っている術なので失敗はしないが、見られている中で構築するのは初だからちょっと勝手が違う。

 ダンジョンマスターがそれを見て何をしているのかは分からない。目に魔力が集中しているのは分かるが、あまりの密度と精密さに詳細は掴めなかった。

 あと一手で私を対象として発動する、という段階に至り、処理を止める。そのまま数秒……初めてやったけど、地味に疲れる。


「ああ、もういいよ」


 ダンジョンマスターから声がかかったので、そのまま術式を放棄。解放した。


「どうじゃ? 今のは《 魂の門・第一門 》という最初の術で、最低でもあと二つは上の段階が存在する」

「……結論から言うと、難度が高過ぎてここじゃ良く分からん。ただ、分類するなら多分 世界魔術 。那由他の《 ワールド・エンド 》と同じ系統だと思う」


 そのナユタという人は知らないが、随分と物騒な名前の術だ。どういった基準でそれを判断しているのだろうか。




「……一体全体どういう事なんだろうな。このタイミングで、しかもツナ君の近くにいるって事はやっぱりそういう事なのか?」

「ツナ君?」

「ああいや、こっちの話。 緊急性はないだろうけど、《 魂の門 》はどこかでちゃんと解析した方がいいだろうな。時間作れたら連絡するよ」


 そういうダンジョンマスターの表情は晴れない。《 魂の門 》がどうというよりも、それ以外の疑問に悩んでいるようにも見える。


「……最後に一つ聞きたいんだけどさ、リリカは平行世界ってあると思う?」

「平行世界?」

「可能性の分岐。もしあの時逆の道を辿っていたらっていう、もしもの世界がこことは別に存在するっていう話かな」

「それは……」


 何故、今この時にその質問になるのだろうか。

 異なった可能性の世界が存在するか。そう問われて、今の私が思い至るのは先ほども出たツナ君の事で、あの夢の事だ。


「……有り得ると思います」


 それは、私の願望だったのかもしれない。




-4A-




「疲れた……」


 ギルド寮の自室に戻って来た私は、そのままベッドに横たわった。

 なんというか……色々疲れる日だった。実験で無数の魔術を展開したのに加え、発動直前までとはいえ《 魂の門 》まで起動する事になるとは。

 実際に使った時とは比較にならないが、あんな複雑な術式、起動するだけでも神経を擦り減らされる。

 偉い人に囲まれて行使するというのも疲労感の演出に一役買っている。帝国貴族の子女だからといって、社交慣れしてると思ったら大間違いである。大体、こんな街の上層部が帝国貴族程度と同等であるはずがないのだ。迷宮ギルドのマスターやダンジョンマスターは、あるいは皇帝よりも遙かに上の立場であると考えたほうが自然である。


 ダンジョンマスターがあの時何を考えていたのか。あれは何を考えての質問だったのか。

 それは《 魂の門 》と関係のある事なのか。まさか、あの夢と関係がある事なのか。……あの反応から想像するに、多分本人も回答に辿り着いていないのだろう。

 すべてが噛み合っているようで、微妙に噛み合っていない。そんな気持ち悪さを感じている。

 胸のモヤモヤが消えない。それが何の感情なのかも分からない。グルグルと思考は同じ場所を回り続ける。


 よし、気分転換にミカエルを燃やそう。今の私なら奴の魔術を完全封殺して尚、その上から攻撃できるはずだ。確か、予定では明日模擬戦だったはず……。


『アレクサンダーです。すいません、何か急用ができたとかで、明日の模擬戦ミカエルは欠席でお願いします。それ以外のメンバーと時間はいつも通りなんで、予定通り訓練所集合で。あと、渡辺さんから、そろそろ引越しの準備をしておいてくれとの伝言が……引越し自体は手伝いますけど、年明け前までに部屋は片付けておいて下さいよ。アレはちょっと……』


 しかし、ステータスカードの留守番電話という機能に残されていたアレクサンダーの伝言を聞いて、上手く逃げられた事を知る。……勘のいい奴め。


「……引越しか」


 改めて、自分の部屋を眺めてみる。あまり広くはない部屋だが、ゴチャゴチャと積まれた物品の数々は許容量を確実にオーバーしているのが分かる。

 私の引越しが遅れているのは魔術士ギルドの仕事の件もあるが、ひとえにこの部屋の掃除が面倒だという理由が大きい。ちなみに、ギルドの倉庫はとっくの昔にいっぱいだ。


「掃除は明日にしよう……」


 ああ、明日は模擬戦か……報告書も書かないといけないし、まだまだ拙い日本語の勉強もしないと。大丈夫、まだ年明けまでには時間あるから。……多分、大丈夫。

 ベッドに横たわっていると、強烈な眠気が襲ってきた。まだシャワーも浴びていないが、迷宮都市に来るまではそんな贅沢とは無縁の生活を送っていたのだ。ダンジョンアタックしたわけでもないし、一日くらい大丈夫、大丈夫……。

 まどろみの中、意識が深く沈んでいくのを感じる。


 ……今日もあの夢を見るのだろうか。

 今まではただの不思議な夢と思っていたけれど、ひょっとしたらアレはダンジョンマスターが言っていた違う可能性。平行世界とやらを見ているのかもしれない。だとしたら、ツナ君と私がああいった関係になるのも無数にある平行世界の一つ程度には有り得る話なのだろうか。

 ……なんて、ロマンチストを気取っても現実は変わらない。私の部屋は汚いまま。一緒に片付けてくれる人はいない。……くっ、急に夢の私が羨ましくなってきた。

 いや、夢は夢、現実は現実。あやふやな部分も多いが、いつも見る夢と現実は色々と前提条件が違う。


『そういえば、この列に並んでいる人たちって、みんな冒険者志望なのかな』


 そういえば、あの夢には何故一度もユキちゃんが出てこないのか。彼女……彼? はフィロス君たちよりもよっぽどツナ君に近い。サージェスもそれに近いけど、彼は何度か見た覚えがある。

 あの迷宮都市にはいないという事なのだろうか。……いつもは夢の事だと思って気にしていなかったけど、良く思い出してみれば色々違うものだ。


 異なる可能性の世界。あり得たかもしれない関係。それは、まず前提があってそこから分岐するもののはずだ。

 だとすると、あの夢は平行世界ではないのだろう。


 あのツナ君は私が知るツナ君ではない。

 夢では二つ。現実では三つ。"ギフトの数が違う"なんて、下手をしたら在り方そのものが変質している可能性すらある。それでは前提が崩れてしまう。

 だからあの世界はやはり夢であり、本来有り得ない世界なのだろう。


 あれは、なんというギフトだったか。……最初に会った時はまだ日本語を習得していなかったから、目に映るそれを見て絵みたいな字だと思って記憶していたはず。

 ……あとで調べたら少し不穏な言葉で……『運命』に類似した単語。……ああ、そうだ。



 確か……《 因果の虜囚 》……だ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る