第10話「因果の虜囚」
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それは遥か昔の事。幾度も文明が生まれ、滅び、自分の生まれた意味すら忘れるほどに遠い、遠い過去の話。
人の身では記す事さえ困難な、長い生に適応した龍の生でさえ気が遠くなめほどの昔の出来事だ。
かつて、高度に繁栄した文明があった。詳細な記録は残っていないが、当時の人間社会は繁栄の粋を極め、その手を宇宙に煌めく数々の星々へと伸ばし、支配圏を広げ続けていたという。故郷たる母星は海の底まで開発され尽くしたが、手を伸ばせば広大な宇宙が広がっている。それこそ無限とも呼べるフロンティアを前に、輝かしい未来が待っているのだと誰もが確信していた。
しかし、繁栄の裏側には影がある。人類にとって、宇宙という舞台はあまりに広過ぎた。
無軌道に開拓・拡張されていく生存圏、広がる格差と治安の悪化、多種多様な文明はいくつもの閉鎖的なコロニーを作り出し、反社会的勢力の潜伏を許してしまう。武力による制圧、治安維持にも限界があった。新興国家の独立と戦争、武装集団によるテロ、拡大する問題は民衆の不満と混乱を増幅し、文明そのものが静かに崩壊を始める。
星間規模まで拡大させた争いは数々の強力で手軽な兵器を生み出し、その対抗手段を生み出しといたちごっこを続け、急速に兵器の進化を加速させていく。
龍という存在も、当時の人間が創り出した生物兵器の一つだった。
敵性存在を滅ぼすためだけに作られた、自己進化する究極兵器。中には星間航行すら生身で行い、一瞬にして小惑星を消滅させるような個体も存在したという。
その旧世代の兵器をすべて過去のものとする超兵器の出現により、人類文明の統合という目的は達成された。
殲滅対象は異なる文明・民族。つまり同じ人間である。その尽くが滅ぼし尽くされ、数え切れぬ屍と瓦礫の上に、同一民族、同一文明の統一が達成された。
戦後、一部の有識者から懸念されていた龍の反乱もなく、人間は統一国家の元再び文明圏を広げ、栄華の時を極めたらしい。
制御可能な究極の抑止力。至高の暴力装置。星の守護者。勝利者である人間はそう龍を評した。
役割を終えた龍は眠りにつく。龍はあくまで兵器であり道具、そう在れと生み出されたモノだ。敵性存在がいなければただ静かに時を刻んでいくだけの存在である。当初の敵とされた存在はもういない。このまま眠りについたまま永遠を生きるのか、それとも人間の手で滅ぼされるのか。すべての龍が抵抗もなくそう考えていた。
整備も燃料もすべてが自己で賄える龍は人間の手による維持すら必要なく、経済を圧迫する事もない。そんな、所持しているだけで抑止力となる存在を破棄する事は誰も考えなかった。
龍の力を危険視する者はいる。その声は世代を重ねるごとに強くなる。ただ、それ以上に龍の持つメリットが大きかった。
その声は予言であったのか、それとも警告であったのか。ほんのわずかな平和を謳歌した人類と龍の前に新たな敵が出現した。
新たな敵性存在は自分たちを生み出した人間であり、同じ龍であった。人は長い歴史の中で過去を忘れ、内部でいくつもの勢力に分裂し争いを始めたのだ。
命令されれば戦うのが龍の使命であり、存在意義である。相手が同じ龍であろうとそれは変わらない。疑問すら持たずに戦うだけである。
究極兵器同士のぶつかり合いは破滅を呼んだ。あらゆる文明が崩壊し、制御を失い、灰燼と化すまで戦いは続く。
あまりに長期に渡る争いの中で、目的はその意味を失い、戦争そのものが目的に摩り替わる。最初のきっかけがなんだったのか、原因すら忘れ去るほどに長く戦争は続いていく。
講和は有り得ない。退路はすでに存在しない。後ろに下がれば滅びるのは自分だ。それは戦争と呼ぶよりも生存闘争と呼ぶべきものだったのかもしれない。
そうして、最後に残ったのはわずかな人間と欠片ほどの文明だった。種の存続が危ぶまれるレベルで衰退した人間は、文明、技術、知識を維持できず、原始的な営みに回帰する事を選択した。
廃棄する技術すら失われ命令を受ける事なく放置された龍は、ただ主の命を待ち続ける。主を失った龍は、長い月日をかけてその存在が忘れ去られていく。
そこに悲しみはない。命令する者がいなくなり忘れられたとしても、龍は静かに時を過ごすだけだ。朽ちる事なく、増える事もなく、ただ静かに悠久の時を刻む。
再び歴史は始まり、繰り返す。長い、とても長い年月をかけて人間は復興し、そして争いを始めた。
何度繰り返しても、自分たちの創り出したモノで自滅する人間。そんな繰り返しを俯瞰し、時には請われ介入し、衰退と栄華を見守り続ける。発展しては自壊し、滅びたあとは再度復興する。龍が兵器以外の何かであったなら、その破滅のサイクルを滑稽と感じたのだろうか。
過ちばかり繰り返す人類だったが、そのすべてが等しく愚かだったわけではない。繰り返しの中には高度に発展し、龍の存在を理解し手を加えるまでに至った文明もある。不滅に等しい存在であり、繁殖の必要性を持たなかった龍に次世代が生まれたのはこの頃だ。
当時、一人の天才がいた。科学者として、哲学者として、考古学者としても優れた存在であった彼は、龍の在り方そのものに疑問を抱いていた。
長い歴史の中で絶対者として、あるいは神に等しいモノとして畏怖された龍。触れるべきでないもの。守護者であり、破壊者。
幾度もの文明の栄華と崩壊を目にし尚も時を刻み続ける龍は、矮小な人の手に余る代物だ。だが、この存在から目を逸らす事は悪手である。手を取り合い、共に歩むべき道を模索する事が滅亡を回避する最善手なのではないか。それが、文明を維持するために最も有効な道ではないか。
人が出す濁った命令など、正解であるはずがない。扱う者が不完全で利己的な存在ならば、どんな力でも濁り破滅を呼ぶだろう。主従という関係に縛られるから、龍は愚直なまでに敵対存在を破壊し尽くすのだ。
龍は決して未知の存在ではない。理知的で対話の通じる相手である。ならば、兵器として扱うのではなく隣人として、主従ではなく同胞として、互いに足りない部分を補う事も可能ではないか。
しかし、ただ盲目的に関係を築くのに龍の存在は劇薬に過ぎる。あまりに絶対的な存在は人の手に余る。かといって、神として完全上位に置く事はできない。すべての人間がそれを許容するはずもなく、龍もそれを望まない。
賢人は考える。結果として、選択した手段は妥協案だ。
龍をそのまま扱うのではなく制御し易い劣化存在を別に創り出す。能力の制限だけではなく段階的に思考を持たせ、ただの兵器ではなく、世界の番人としての龍を創り出そうとした。
その計画は、一先ず成功と呼ぶに相応しい結果を出した。すべての試みが成功したとは言い難いが、これまで停滞していた龍の文明に多様性が生まれたのは確かであり、ある程度龍と人との融和に成功した事も事実だ。
遙か後、皇龍と呼ばれる事になる龍が生まれたのもこの計画が生み出した結果の一つである。
龍の記憶に眠る歴史を読み解く事で、過去の人類が滅亡に至った原因は容易に特定できた。
数多くの原因の中でも最大の問題は失敗の記録を次世代へと引き継げなかった事、あるいはそれが世代を重ねる事で風化してしまった事だ。
世代が切り替わり、意識の連続性が保てない以上、過去の失敗を学び訓戒を得たとしても必ず風化する。要は種としての限界、寿命が立ちはだかるのである。
劣化龍を創りだし、人に歩み寄る存在を創る事には成功した。ならば、次は人間が変革を迎える時なのだろうと賢人は考える。
人の進化の形。そういった意味で龍の因子を備え人と龍の間に立つ存在として創り出された新たな存在は概ね成功した。
遺伝子そのもの、種としての根幹部分に手を加える事は人間世界から強烈な反発を呼んだが、長い目で見ればそれ以上ない解決策でもあった。人としてそれを拒絶する者、人を古い存在として切り捨てる事を選ぶ者、あるいは龍でさえも不要とみなす者、そういった問題は時間で強引に解決させた。
賢人が最初に抱いた理想世界は、数千、数万の年月を経て完遂したのだ。
そして、その時は訪れる。
その時点で世界はある意味で終焉を迎えていたといっていいだろう。
文明進化の鈍化、停滞とも呼べる社会構造へと至った人類と龍、そして龍人は爆発的な革新を求めず、あくまで緩やかな成長と拡大で世界を広げた。
過去の訓戒、過ち、数々の失敗例を見る限り、それが最適解に近いものだと当事者たちも理解していた。
確かに世界は緩やかに過ぎる。だがその代わりに問題は起き難く、極端な失敗もない。細かい争いはあっても戦争と呼べるような規模には発展しない。長い時間で見るという前提の元であれば、永遠にも等しい文明と成り得ただろう。もはや、人類文明でかつてのような破滅は起き得ない。もし、破滅が訪れるのだとしたら、それ以外の要因だ。
……そう、崩壊をもたらしたのは外的要因に他ならない。
それは、世界の外からやって来た。
それは、そこに在るだけですべてを崩壊に導いた。
永遠に続くかと思われた世界は、たった一つの存在、たった一つの悪意によって簡単に崩壊した。
残ったのは悪意に呪われ、唯一生き残った若龍一体。
それがすべての終わりであり、皇龍にとっての長い長い戦いの始まりである。
残された若龍は悲しみの雄叫びを上げた。
すべてを失った。何もかもが滅び去った。遙か古代より生き続けた前世代の龍も、新しき隣人である龍人も、本来主人として仰ぐべき人間も、そのすべてが失われた。
自分だけが生き残り、一体どうしろというのか。
誰もいない世界で嘆き、悲しみ、慟哭を上げて数百年。残ったのは、滅びをもたらしたモノへの憎悪だけだった。
世界を駆け、星々を渡り、気の遠くなる年月をかけてソレの残滓を探す。
そして怨敵へと繋がる道、無限回廊と呼ばれる次元の裂け目を見つけた龍は、長い戦いを始めた。
一〇〇層を超え世界の管理者となった。二〇〇層を超え、三〇〇層に至り、多くの世界を支配する存在となった。
四〇〇層を超え、五〇〇層を超えた時点で、その権限は別のモノが抱えてる事を知った。
孤独な戦いはそこが限界点だった。種としての能力は強大だが、システムの補助、管理者権限なしに攻略を進めるには無理がある領域へと至っていたのだ。
その状況を打開するため、龍は無限回廊のシステムを使い、自分以外の力を創り出せないかと考えた。
しかし、無限回廊の管理者権限はその機能を権限を持つ者の知識、経験に大きく依存する。龍は生来独自の文明を持たない。わずかにあった文明も人間が創り出した文明も、すべての記録は失われている。新しく創り出す事も困難に過ぎる。観測できる世界に参考となり得るものはなく、同じく管理者権限を持つ者たちも対話が成立しない者ばかり。中には明確に敵対するモノさえいる。
――――《 中でもあの糞虫は、群を抜いて嫌悪すべき存在だった 》――
つい回想中に台詞が割り込んでしまうほどに、唾棄すべき存在もいた。
結局、長い時間を経て龍が出した結論は生物としての根幹、繁殖であった。
質で限界があるなら数を増やせばいい。自分の子であれば、十分な素質を持って生まれてくるだろうと。
単体での繁殖という問題は無限回廊のシステムで強引に克服した。そうして生まれた我が子たちと、龍は無限回廊の先へと進む。
すべてを失い、何もない世界で始めた孤独な戦いはこうして今へと至る。
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月の頭上に浮かぶ巨大龍。皇龍が語るのは世界の歴史。人間と、人間によって創り出された龍の破滅と再生、共存の歴史。そして、その破滅の歴史だった。
俺はただ、月サイズの巨体から《 念話 》を通して語られるあまりに壮大なスケールの昔話に圧倒されていた。
漠然とした敵が、更に漠然としたスケールの話を通して語られる事で理解不能に陥ったという事でもある。
とりあえずネームレスの事が嫌いなのは良く分かった。空龍たちや皇龍が好意的なのも、対話可能な理解者が存在しなかったためなのだろう。そりゃ、アレと比べたらな。
――――《 これが妾の生きてきた歴史。そしてヌシの共通の敵対者である"
皇龍の生まれた世界はある意味極度に成功した世界だ。この場合、完全な正解など存在しないと思えるので、ある意味最上に近い回答を導き出し、構築したといえる。
そんな、地球の歴史よりも遙かに高度な文明を滅ぼした存在が俺の敵だと告げられた。
その話が真実であるという保証はない。真実だからといって、その存在が俺の敵であるという保証もない。だが、皇龍から語られるソレは確かに俺の敵であるという確信染みた感覚がある。理屈ではなく、魂が持つ本能が正解だと告げていた。これまで漠然としか感じられなかった悪意が、輪郭を持ってそこにいるのが感じられた。
そして、呆然として立ち尽くしている俺とは違い、ダンマスに目を向けるといつの間にか設置されたソファで寛いでいた。
「……あんた、何してんの」
「だって、俺ここまでは事前に聞かされてたし。ここからも長話になるだろうから、ツナ君も座っていいぞ。飲み物も出すよ」
荒れ果てた月面で巨大な龍を頭上に掲げて尚寛げるかどうかは分からないが、言われたまま腰を下ろす。
皇龍は特に何も言わない。
「えっと……龍の礼儀は知らないが、こういうのは無礼だったりしないのか?」
「公的な話でもなんでもない、いわばプライベートだからな。これから一緒に戦おうって相手なんだから、胸襟開いていこうぜ」
――――《 せっかく出会えた話の通じる同胞なのだから、礼儀など気にせぬよ。そこの男に対するように話してもらって構わん。所詮はそこの男一人にも敵わぬ身だ 》――
まあ、当人がそういうならいいけどさ。いきなり気が抜けたというか……。
……って、ダンマスこれに勝てるレベルなわけ? どう戦うっていうんだよ。月サイズだぞ。今だって見上げてるだけでも目眩がしそうなのに。
そもそもの話、戦うビジョンすら浮かばない。月に剣突き立てたって、月からしてみれば毛穴を穿られた程度にしか影響はないだろう。
……ああ、周りのクレーターを造り出した威力ならダメージは通るか。……どちらにせよ、遠い世界だ。
とりあえずソファに腰掛けて落ち着き、噛みしめるように情報を反芻し整理する。月面でソファに座るという異常事態にはこの際目を瞑った。
皇龍が語った龍の歴史。世界を滅ぼした唯一の悪意。それに立ち向かう皇龍とその子供たち。そして、それが俺の敵でもある事。
飲み込み、考察すべき内容は山盛りだ。正直、現時点では唯一の悪意が俺の敵であるという一点以外、表面的にしか把握できていないだろう。間違いなく、この場だけで理解し納得するような話ではない。
皇龍はデカ過ぎて良く分からないが、目の前のダンマスは半ば混乱した俺が落ち着くのを待っているように見えた。
用意してくれたコーヒーとクッキーは水神エルゼルの紅茶と違い極めて普通のものであったが、それが逆に気持ちを落ち着かせてくれた。
長い沈黙のあとに口を開いたのはダンマスからだった。
「……さて、ここからは俺も未知の領域なわけだが、同胞ってどういう意味よ? 共通の敵を持っているって根拠はツナ君のギフトにあると思っていいのか?」
……まあ、そこからだよな。おそらく、この感覚は当人にしか分からない。何かの理由がなければ確信できない類のものだろう。
しかし、こちらは緊張が緩和されて助かるが、ダンマスはちょっと砕け過ぎじゃないだろうか。
――――《 そうだ、杵築新吾。渡辺綱の持つギフト《 因果の虜囚 》は奴の呪いに他ならない。本来であれば多重に隠蔽、偽装され、亜神となった段階で阻害解除される代物だが、同じ所有者である妾がいれば認識できるだろう 》――
ピタっと、ダンマスのコーヒーを飲む動きが止まった。
《 因果の虜囚 》というのが、ダンマスが読み解く事のできなかったギフトの正体なのだろうか。以前、読み取れたのは《 ■■の■囚 》までだから、文字面的には確かに一致する。
相変わらず日本語なのは、皇龍の言葉が自動的に翻訳されているとかそういう類の現象なのだろう。銀龍たちは日本語をしゃべっていたが、龍が本来使う現地語が日本語なわけもないし。
「……今なら見えるな……確かに。見えない部分は《 因果の虜囚 》だったか」
ダンマスは《 看破 》でもしたのか、俺を見て納得していた。それが明確にあると指摘された事で、ロックが外れたって事なんだろうか。試しにステータスカードを見てみると……おお、マジで載ってる。これで常時三つのギフト持ちだが、超いらない。
「名前すら穴抜けで解析しようもなかったんだが、皇龍はこのギフトの効果を把握してるのか?」
――――《 否である。それは同名であっても持つ者の魂が抱える本質によって姿を変える。共通しているのは、名前と唯一の悪意への負の感情、奴を滅ぼすべしという意思、そこへ誘導するべく行われる因果の改竄だ 》――
だが、分かったのは名前と概要だけ。皇龍の持つソレと俺のコレはガワだけが同じ別物って事だ。
……因果の改竄ね。名前がはっきりしてもどこまでが手の平かは分からないままだ。そして、感じている死の気配との関連性も俺独自のモノである可能性が高いと。
俺の場合は"死に難い"とかそういった部分が強調されてるんだろうか。かつてサラダ倶楽部の誰かが言っていた、紛争地帯に全裸で放り出しても無事に帰還するという戯言さえ実現できるほどに。
――――《 その呪いは魂とも呼ぶべき根幹部分を読み取り、奴の目的に合致するよう因果を操作する。保有者の本質的な性質を増幅させ、奴自身ですら把握できないバグを意図的に創り出す。真っ当な手段で叶えられるものではない目的を実現するために用意した、奴なりの苦肉の策なのだろう 》――
「お前、マジでバグキャラだったんだな……」
……いや、そんな事を言われてもな。マジでって付けるって事は、薄々そうじゃないかって思ってたって事なのか?
「続けて、俺からいくつか質問いいかな? ツナ君もまだ混乱してるみたいだし」
――――《 構わん 》――
ダンマスがちらりとこちらに視線を送った。
正確な意図は分からないが、ここはダンマスに任せた方がいいだろう。例の存在に関しては、どうしても感情的な部分が先立って冷静でいられない。話を進める第三者がいてくれるのは助かる。
「その唯一の悪意の目的とは?」
――――《 自らの完全なる死である。奴は存在の性質上、自殺ができない。代替手段として自らを滅ぼす者を望んでいる 》――
自殺志願者?
「……正体は? いくら昔の事とはいえ、一度は会ったんなら目星くらいはついてないか?」
――――《 定義は難しいが、おそらくは情報が意思を持ったモノである。生物ではなく、存在すら確かでなく、自らの死以外に明確な意思を持たない虚な存在だ 》――
「唯一の悪意というのは、固有の名前なのか?」
――――《 否である。奴は自己を表現する名は持たない。唯一の悪意というのはアレの特性から妾が勝手に呼んでいるに過ぎん 》――
「唯一の悪意という言葉の意味するところがあるわけだよな」
――――《 然り。奴は目にした者の悪意を映し出す鏡のようなモノだ。その者にとって最大の悪意を具現化し、悪意の誘導を行う 》――
「そいつにとっての唯一の悪って事ね。いや、悪ですらなく、ただの悪意なのか……」
ようするに、善悪の基準もなく、そこにいるだけで害しかもたらさない傍迷惑な奴って事だな。
「……それで、俺をここに残したのか。合点がいった」
これまでのやり取りでダンマスが何か納得したようだが、その真意は分からない。俺にしてみれば、世界規模で重要な話ではあるものの、直接関係ないように感じる。
「……ダンマスは世界の代表者としての立会人じゃないのか?」
「実はツナ君と二人で話せばいいと提案したんだ。だが、皇龍から残れって言われてここにいる。……俺には関係の薄い話かと思ってたらそうでもないらしい」
「そりゃ無限回廊の深層にいるのが相手なわけだし、不意に遭遇する事だってあるだろうが……」
「違う。そいつは俺に興味なんてないだろうさ。あるならとっくに接触してるはずだ」
そうか。皇龍は無限回廊に挑戦する以前に邂逅しているのに、ダンマスは一〇〇〇層超えても他の管理者とすら遭遇していない。
唯一の悪意の基準は良く分からないが、自分を滅ぼす相手を探しているなら、無限回廊にいる有力候補に接触しないのは不自然だ。
……俺が呪われている以上その基準は戦闘力ではなく別のモノで、ダンマスにはそれがないと。
「……じゃあ、なんの関係があるんだよ」
ダンマスがこのまま無限回廊を攻略し続けても遭遇する可能性は低い。なら、地球帰還するのに障害になるわけでも……あれ。
……あれ?
「つまり、地球は滅んでいるって事なんだろ」
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「……え?」
一瞬でダンマスの意図するところは理解した。理解したが、思考が追いつかない。
地球が滅んでいる? そんな馬鹿な。いや、何が馬鹿なんだ。俺が転生してから地球を見たわけでもない。観測していないのだから、そういう事も有り得る。
ダンマスやユキ、美弓という日本を知っている相手と話をした。遠征の際に偽物の地球に行った。そういった体験をした事で、地球がそのままの姿でそこにあるものだと思い込んでいた。
……今現在の地球を観測したわけでも、地球にいる相手と話したわけでもないのに。
吐き気がする。心臓が鳴らす早鐘は生命の危機を伝えるように響く。上手く呼吸ができない。コーヒーを飲んだばかりなのに口の中が乾いている。
この可能性はこれまで一切想像しないものだったか? できないものだったか? 分かっていて、無視していたって事はないか?
……俺の記憶の空白部分は、その滅亡の記憶なのではないか?
駄目だ。混乱するな。これは目を逸らしちゃいけない話だ。
関係がないのなら構わない。所詮、前世の事だと割り切ってこの世界で生きる事だけを考えるなら、無視しても構わない。
だが、これは今の俺自身にも関わる問題で、明確な敵の情報だ。いくら信じたくない事実だといっても目を逸らしていい理由にはならない。
……そうだ。俺が《 因果の虜囚 》を持っているという事は、過去のどこかで唯一の悪意と接触しているって事で、その可能性が最も高いのは前世で死ぬ直前。記憶の空白部分だ。
どんな超展開があったかは知らないが、その舞台が地球外であるとは考え難い。そして、唯一の悪意はただそこに在るだけで文明が崩壊するような存在だ。そんな奴と接触して地球が無事なわけがない。
「その……、なんて言ったらいいか……」
だとすると、ダンマスは帰る場所がない。誰もいない故郷に戻ってどうするっていうんだ。地球そのものが残ってるって保証もないのに。
しかし、ダンマスは落ち着いているように見える。自分で言った事を信じていないのか、アレインさんが示唆した通り帰還自体は本来の目的ではないからか、それとも別の理由があるのだろうか。
「早合点するな。俺のゴールが消えたわけじゃない。……ないならないで諦めもつくが、そうはなってないだろう。皇龍が言いたいのもそういう事じゃない……そうだろ?」
――――《 肯定する。奴とて無数に存在する平行世界をすべて滅ぼす事はしない。意味がない 》――
平行世界? 意味っていっても、そもそも地球を滅ぼす事は目的じゃないだろう。俺を狙ってとか? ……いや、それはない。皇龍の話から考えても、奴の行動は無差別だ。ネームレスと同じって事もない。もっと無軌道で、偶然に頼った……。
「接触からこれまで、皇龍の対応は極めて真摯かつ真面目だ。協力を仰ぐ相手の目的を真っ向から否定するような事はしないだろうさ。俺をここに残したのは、自分の目的に協力させるよう話を持っていけると思ってるからだ」
「……すまん、情報が足りなくて何が何やら」
「確定じゃないが、ツナ君のいた地球は高確率で滅んでるんだろう。そして多分、俺のいた地球はそれと別の世界だ」
平行世界ってそういう意味か。
「……そうだと思う根拠は?」
「ミユミだ。いつか喫茶店で言っただろう、お前やあいつの世界と俺の世界は別だって」
「…………」
そりゃ言ったが、あいつが言ったのは小さな誤差によって平行世界の存在を示唆しただけだ。明確にダンマスと別の世界だって言い切ったわけじゃ……。
『内容が内容なんで、杵築さんにははっきりするまで言い出せなかったんです。話してて、細かい日付とか、有名人の立ち位置とか、色々違うんですよ。……きっかけは大きな事件があった日付の違いでした』
……いや、違う。あいつは分かってたんだ。何かの情報を以て別の世界だと確信していた。俺の知っている美弓はそういう存在で、あの目はそういうものだ。
「怪しいとは思っていたが、言っている事は間違ってないし触れて欲しくない部分なんだと思ってた。つーか、何かの日付が多少ずれたところで違和感があっても確信できるはずもない。お前、解散総選挙が一日二日ズレたりテロが起きた日付が違ったりして、十数年後にそれに誤差があるって事に自信を持てるか? 記録として残してるわけでもないんだぞ」
「……ちょっと厳しいかも」
人の記憶なんてそんなに自信の持てるものじゃない。転生してから十数年経過している事もそうだが、転生によって記憶が欠損する可能性があるのは俺自身が認識している事だ。
……加えて、今世のあいつは人間じゃなくハーフエルフだ。人間とどれほど種族差があるのかは知らないが、性別、種族が違うだけで記憶を保つのは本来極めて希少な事例。偶然すべてを明瞭に覚えていると考えるのは逆に不自然だろう。
前世の記憶で明瞭な部分は印象的な部分がほとんどで、細かい部分は結構忘れる。……俺の場合一部、不自然に消えている部分もあるが、基本的に転生に伴う記憶の持ち越しってのは、本人がどれほど鮮明に記憶しているかが影響しているのだと思う。
そんなあやふやな情報では根拠にならない。世界が違うとはっきり自信を持つには、ありふれた社会的なイベントの日程などではなく、もっと強烈なインパクトを持つ出来事が必要だ。
「あいつはおそらく明確に俺の世界との違いを感じ、確信していた。……多分、俺が転移前に体験した出来事の内、いくつかは起きるはずのない出来事だったんだろう」
「……世界が崩壊したから」
「そうだ。俺がこの世界に召喚されるよりも以前に起きた崩壊の記憶を、あいつは持っているんじゃないか」
それなら、確信を持つのも分かる。あまりにも明確過ぎる違いだ。
そして、あいつが口を噤み、頑なに話そうとしない理由も分かってしまった。
「でもって、皇龍が交渉材料として使いたいのは俺たちの世界がある座標か方法か、とにかくそういう情報。……そうだろ?」
――――《 察しがいいな、杵築新吾 》――
「なに、最近ネームレスと近接世界の可能性やら平行世界の事ばっかり調べてたからな」
なんでそんな話になるのか分からないが、ダンマスは話の結論が見えたらしい。
「良く分からんが、ここまでの情報で地球がどこにあるのかの推測ができるって事なのか?」
――――《 平行世界は枝分かれした可能性の存在である以上、必ず近くに存在する。異なる世界だとしても、奴が姿を現したのが"地球"である以上、その付近の支配権を有しているというのは間違いない。本当に大雑把だが、無限回廊における座標も見当がつく 》――
世界を移動する方法が分からんからいまいちピンとこないが、そういう事なんだろうか。
どうしても推測が多く不確定な部分が多いが、唯一の悪意が地球に現れた可能性は高い。ダンマスみたいに一度別世界に召喚された上で接触してきた可能性もあるが、そこまで考えるとキリがない。そもそも皇龍だって唯一の悪意と接触したのは自分の世界だ。ここはとりあえず、唯一の悪意が地球に現れたと仮定する。
崩壊したであろう俺の世界の近くにダンマスの世界もあるという事はつまり、奴の行き来できる範囲にダンマスのゴールがあるって事でもあるのか。
行き来する方法など他にも問題は山積みだろうが、暗中模索で悪戦苦闘してるダンマスからしてみたら、ゴールが分かるだけでも大きな前進だろう。
――――《 妾が知る限り、奴の支配権は無限回廊二〇〇〇層。そこから動いていないはずだ。つまり、地球を含む世界は最悪のケースでもそれより手前の層になるだろう 》――
……って、あれ? 思ったより幅広いな。もっと狭い範囲かと思ってた。龍の感覚だと狭いとか、まさかそんな話じゃないよな。
「くっ……くはははははははははははははははっっ!!」
その回答を聞いてダンマスが、突然気が狂ったかのような笑い声を上げた。
今までに見た事のないような感情の発露。嵐のようなプレッシャーが吹き荒れた。普段とかけ離れた姿が、動揺と不安を誘う。
……あ、あれ。まさかゴールが遠過ぎておかしくなったとか。
『ちょっと不安定なんだよ。君も世界を滅ぼしたくはないだろう?』
それはダンマスの事ではないが、同じような力を持つ存在だ。突然気が狂って世界を壊しますとか言い出しかねない存在と考えると、恐怖すら感じる。自暴自棄になるのは勘弁してくれよ。
「だ、大丈夫か? 当てが外れたのかもしれないけど、俺も手伝うから……」
「逆だ逆、これが笑わずにいられるか。最高だ、最高の気分だ。……二〇〇〇層だと。たった、たったそれだけでいいのか」
「た、たった? 今、一二〇〇層ちょいだろ。倍近くあるじゃねーか」
それは精神が摩耗し、人間性を失うほどに過酷な道だったはずだ。倍進めと言われて、それをたったそれだけと済ませてしまうのか。
「何も指標がないままここまで来たんだぜ。ゴールが見えてるならそれくらい鼻歌混じりで踏破してやるよ」
「マジですか」
「マジもマジ、大マジだ。そこにゴールがあるって事が確信できるだけでも、どれほど違うか」
二〇〇〇層よりも手前にゴールがある。たったそれだけが、そこまで大きな情報だというのだろうか。
……いや、ここまでがあまりに情報がなさ過ぎたんだ。真っ暗闇の中、足元しか見えないような状態で気が遠くなるほど遠くにある……あるかどうかも分からないものを探し続けて来たのだ。あやふやなもので課題が多く残されているといっても、それは唯一見えた光明なのか。
「五〇〇〇層、一〇〇〇〇層、そこまで行っても何もない事を想定してたんだぞ。それに比べたらなんて事はない。少なくとも折り返しまでは来てるんだぜ」
「そりゃそうだが……」
いやね、四十層でウロチョロしている身としては桁が違い過ぎるわけで……。
「ああ、だからこそか。……その上に居座る唯一の悪意は邪魔だ。気まぐれで滅ぼされても面倒だしな。力の及ぶ範囲で全面的に協力しよう」
――――《 感謝する、杵築新吾。こちらも心強い 》――
実感のないまま、世界のトップ同士で話がまとまってしまったようだ。
……あれ、俺蚊帳の外に置かれてない?
「とはいえ、俺に資格はないみたいだからな。実際には皇龍やツナ君に頑張ってもらうしかないな」
「お、おう……」
こんな展開でいいのかな……いいか。俺たち全員の目的や利害は一致している。
情報が増え、目的が明瞭になり、協力者が増えたとしても、やる事がこれまでと変わるわけでもない。
――――《 人の子よ、どうか妾と共に進んで欲しい 》――
それは俺だけではなく、ダンマスや冒険者すべてに対する願いなのだろう。
人と共存するために創り出され、共に歩む者を失った孤独な超越者が無限に挑むための懇願なのだ。
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現時点では正式なものではないが、お互いの世界におけるトップ同士のやり取りである以上、この同盟は正式に成立すると考えていいだろう。皇龍を含む龍族とこの世界の冒険者は、協力して無限回廊攻略に当たる事になっていくはずだ。
最終的な目的もはっきりした。朧げながら、ダンマスのゴールも少しだけ見えた。
だが、現時点ではゴールが見えても途中の道が欠けている。最終目標が決まっても、そこに向かうために何をすればいいのかは別に検討する必要がある。それはおそらく想像できないほどに気の長い話で、今すぐどうこうという事はないのだろう。
明確になった事実を飲み込む事、協力体制の基盤造り、あとは圧倒的に劣る俺が力を付けて追いつく事が今やるべき事だ。
……特に最後の課題がキツイ。
――――《 では、妾はしばし眠る。あの虫ケラと言葉を交わすのは少々疲れた。何かあれば呼んでくれ 》――
「おう、おやすみ」
この場での目的はとりあえず達したのか、皇龍はそう言い残して消えた。巨大な体は徐々に薄くなり、視界にはまるで元々何もなかったかのように広大な宇宙が広がった。
……ネームレスは随分と嫌われてるな。
「さて、今後の事について少し話そうか」
「それは構わないが……ここで?」
ここ、月面なんだけど。ボロボロの月面にポツンとあるソファで話せと言われても落ち着かない。領主館か、せめてここに来る時に通った転送施設へ移動したい。
「偶にはこういうのも乙なもんだろ。空に遮られない、広大な宇宙を頭上に掲げてのお茶会だ」
「壮大過ぎるわ」
月見酒ってレベルじゃない。足元に月があるんだぞ。
……と、そんな事を言ってても始まらないので、諦めて再びコーヒーに手を伸ばす。非常識の塊であるダンマスに常識を説くべきではない。俺は弁えてる男なのだ。
「つーか、ここどうなってんだ。息もできるし重力もあるけど、時間制限とかないのか? いきなり宇宙空間に放り出されるのは勘弁だぞ」
「それは問題ない。エルシィが< 月の大空洞 >第一〇〇層まで掌握して支配権が手に入ったから、月は自由自在に手を入れられる。使い道思いつかないけど、観光地にでもするか」
「月の存在知らない連中がいきなり来ても意味分からんだろ」
「そりゃそうだ。……悪いな、ちょっと舞い上がってる。適当な事言っちゃうかも」
いつも適当な事を言ってる人の台詞ではないが、普段のは演技で今は素って事なんだろう。つまり、対外的にはあまり違いはない。
たとえわずかでも情報が手に入った事が、そんなに嬉しかったのか。
「さて、お互い最終目標がはっきりしてきたわけだが、冷静になって考えるとハードルは多いな。課題も盛りたくさんだ」
「そうね」
舞い上がってるらしいダンマスとは逆に、俺は唯一の悪意の情報以外は比較的冷静に受け入れられたように思える。それは、情報が巨大過ぎて俯瞰するしかないという事でもある。そこに辿り着くために必要な前段階が見えていない以上、今すぐどうこうという話に結びつかないというのも大きい。
皇龍の巨体や歩んできた歴史、地球が滅んでいるかもしれない事実はあまりに重い情報だったが、それでも遠い出来事というイメージが拭えない。ダンマスの嵐のような感情の発露に当てられたというのもあるだろう。
「今後、直近でツナ君がやる事は単純だ。これまで通り無限回廊を攻略してクラン設立して、上級ランク、第一〇〇層を目指せ」
「何も変わらないな」
それは、ほとんどの冒険者が目標にする道でもある。
「というより、本来はそこまで行ってようやくスタートラインなんだ。一〇〇層攻略するまでにそれ以降に必要な事すべてを覚えて、本格的に超深層の攻略に移るってのが本来の流れだからな。なのに、そこに至るどころかデビュー前からここまでわずか半年ちょっとでここまで事態を引っ掻き回したのは驚愕せざるを得ない。さすがバグキャラだ」
「バグキャラ言うな」
実際バグっぽい何かにされてるから手に負えない。《 因果の虜囚 》みたいなバグじゃなくて、もっと分かり易いチートだったら良かったのに。というか、バグキャラというなら皇龍だって一緒だろう。
「空龍たちとの交流もあるんだが、そっちは何すればいいんだ?」
「技術交流がメインだから、人間としてどう戦うのかの見本を見せて、あちらからは龍の技術を学べばいい。ディルクがいるわけだから、俺への報告に気を使う必要もない」
あいつがダンマスとの繋ぎ役兼レポート作成役って事か。恥ずかしい情報は伝えないように念を押さねばなるまい。同棲・結婚を強要した事を根に持たれていらん事を書かれないよう、細心の注意が必要だ。『渡辺さんがこちらの文化と偽って、空龍さんにエロい事をしようとしてました』とか書かれてしまったら、世界規模の外交問題に発展しかねない。
「具体的には?」
「相手を無意味に貶めたり非常識な対応したりする事を除けば、こちらから内容の指定はない。人の形をとっているとはいえ、種族的にかけ離れてるわけだから、少しずつ距離感を探っていくのがツナ君たちへの依頼事項だ。まあ、人間の常識に疎いだけで、気性が荒いわけでも気難しいわけでもないから楽なもんだろ。ここまで散々無茶振りしたボーナスステージだと思ってくれ」
楽な仕事かどうかはやってみなきゃ分からないが、あの三人は基本的に友好的で根本に善性を感じる。常識の違いによる問題は起きても致命的な事にはならないだろう。万が一何か起きたらダンマスにケツ持ちしてもらおう。
「戦闘技術の交流が前提なら、模擬戦やったり闘技場の試合にでも出場させたりしてみるか。あとは、文化的な体験したいらしいから迷宮都市連れ回して観光とか?」
「実験区画とか、立ち入り許可が必要な場所に行くなら事前に話を通してくれ。ああ、一緒に無限回廊を攻略してもいいぞ。本人たちがいいなら、いっそクランに入れたほうが楽かもな。すごいな、曰くつきのメンバーだらけだ」
「マジかよ……」
ベレンヴァールも相当だが、曰くつきっていうならあの三人は下手すりゃそれ以上だぞ。クランの戦力増強にはこの上ない人材だが、面倒事もまた多そうだ。……まさか、問題児を一箇所にまとめておくつもりとか、そんな事考えてないよな。
「割と最初からアレなメンツが多かったけど、特徴あるメンバーが多過ぎてそろそろ常識人の俺が埋もれちゃうだろ」
「常識人とかワロス」
「どこに笑う要素があるんですかね」
どう見てもあの目は自称常識人を笑う目だ。くそっ、非常識の塊のくせに。
「あの三人は構わんが……サティナはどうする?」
「…………」
ダンマスのコーヒーを飲む手が止まった。本日二度目である。……あ、これ本気で困ってるな。
「……悪いが引き取ってくれ。どこにも所属せず、那由他の下で冒険者をやるのは自滅の未来しか見えない」
「嫁さんと喧嘩したとか聞いたけど、何があったん?」
「喧嘩じゃない。ただの一方的な説教だ。……今のあいつと喧嘩なんて成立しない」
聞いちゃマズイ話なのかな。とはいえ、ベレンヴァールとサティナの関係に密接に絡んでる問題みたいだし。
「長い事一緒にいるが、あいつの中にある目的はどこまでも俺に対する贖罪で、それしか残らなかった。それを同じような境遇の子に押し付けたんだよ。ベレンヴァールは俺じゃないし、那由他とサティナは違う人間なのにな」
「ダンマスはサティナが冒険者をやる事に反対なのか?」
「いいや。意外と向いてるんじゃないかな。感情的になった俺と那由他に挟まれて啖呵を切ったくらいだから」
何それ。超すげえ。想像するだけでも、並の胆力じゃ立ってもいられなそうな状況なのに。
どう考えてもつい最近までただの町娘だった子の行動ではない。ネームレスの洗脳の影響ってやつか? 素だったら驚愕モノだが。
「それしか見えなくなって固執し続ける那由他は間違ってるし、その考えは変わらない。だけど、あの子に言われた贖罪の手段すら奪うのは間違ってるっていう言葉も反論できない。ただ被害者が許すだけじゃ加害者の罪の意識は消えない。納得しないんだ。……当の那由他は意味が分からずボケてたけど」
……どうしよう、ものすごいポンコツ臭がする。
「それに、俺と那由他は失敗したけど、あの子は別の答えを見つけるかもしれないだろ?」
「だからやらせてみると?」
「ああ、少なくとも反対はしない。道を踏み外しそうになったら、ベレンヴァールやサティナが所属するクランのマスターが止めてくれるんじゃないかなーって」
「俺って事かよ」
まあ、俺も別に反対はしていない。迷宮都市の冒険者は確かにキツイ仕事だが、それ自体はちゃんとした職業だ。ベレンヴァールが反対しているのも自分の世界にいた冒険者の認識と、当事者である事で認識し辛くなってるって部分も大きい。
だから別視点で見られる責任者がいれば対処し易いってのは分かる。……分かるが、それも俺がやるの? 成り行き上、やるしかないんだけどさ。
「……分かったよ。ベレンヴァールへの対応も含めてなんとかする」
「それでこそツナ君だ。よし、ウチの娘と結婚していいぞ」
「それはいらん」
なんでトマトさんと結婚せなあかんねん。
「……そういや、パーティにあいついなかったんだけど」
ほとんど顔見せだけだったがグレンさんも出席してたのに、リハビリ中で暇なあいつが出席しないのは少し意外だった。遠征メンバーの中核の一人だぞ。年末とはいえ、まさか同人誌即売会に参加してるって事もないだろうし。……まさか、やってないよな。
「あいつ、領主館に来るのを避けてるっぽいんだよな。昔からなんだけど、必要以上に干渉しようとしない。前世でそういうところなかったか?」
「高校入学直後は人見知りだったな。人との距離を測りかねてたというか……慣れてくると逆の意味で距離を間違えてたが」
「俺やエルシィはまだマシなんだが、那由他とメイゼルはかなり苦手意識があるみたいなんだよな。反抗期かな」
「今更反抗期もないだろ」
今世だけならちょうどそんな時期だが、転生者にその概念が通じるとは考え難い。
俺も今世の両親……特に母親とは仲が悪かったが、普通に嫌い合っていたので反抗期ではないぞ。
「トマトさんとは御免被るが、結婚はしたいな」
「あれ、結婚願望があったのか? 性欲旺盛なのは知ってるが、日本人的な感覚だと結婚は随分早いように感じるけど」
何故知っているのかは聞くまい。
「ぶっちゃけ、この溢れる性欲を処理する方法がないねん。なんなら風俗の年齢解除でもいいよ」
エロに飢え過ぎててそろそろ猛獣になってしまいそうなんですが、なんとかなりませんかね。
万が一、このタイミングで《 獣の咆哮 》を覚えたりしたら、確実にそれが原因である。
「ぶっちゃけ過ぎだと思うが、そういう話なら考えておこう。年齢制限は特例作ると面倒だからなしで」
おっと、言ってみるもんだな。風俗は残念だが、エロい嫁さんでも全然いいのよ。とりあえず出会いだ。出会いが必要なんだ。
「とはいえ、お前の場合表に出せない厄介事を大量に抱えてる中心人物だから、相手を見繕うのも大変なんだよな。剣刃の時みたいにただ有力者の娘を紹介するってのも問題あるし」
「何すればいいですかね。足舐めればいいですか?」
「いや、渋ってるわけじゃねーよ。なんで突然卑屈になるんだよ」
こっちは死活問題なんだよ。溜まりに溜まった半年分の性欲舐めんなよ。
「実は、現時点でもお前指定の見合い話はあるんだよ。俺のところでストップかけてるけど」
「なんでやねん」
「お前も成績だけで青田買いしてくる奴の娘とか、あきらかに政略結婚的な帝国の皇族とか嫌だろ。間違いなく窮屈で、本業に支障が出る」
「う……。それはちょっと嫌だ」
そうか、良く考えたら相手の実家も考慮しないといけないのか。俺側が身軽だから失念してた。
「というわけで候補を絞らなきゃいけないから、数ヶ月は欲しい。希望とかあるか? 一般人がいいとか、逆に冒険者がいいとか、年齢や好みとか、重婚OKなら何人とか」
「いや、一人でいいっす」
「ほら、転生者ならハーレム憧れたりするもんだろ? 猛獣的性欲を誇るツナ君ならとりあえず四人くらい……」
「いや、一人でいいっす」
憧れはない……事もないが、そこまでハーレムに夢を持ってたりしない。リアルでハーレムとか胃が痛くなりそうだし。
むしろ三人も嫁さん抱えてるダンマスを尊敬するわ。裏でドロドロした喧嘩したりしないのかな。
「冒険者辞めろとか言ったり邪魔したりしないってのは前提条件で、美人でスタイル良くて、夜はエロ過ぎて我慢できないって感じの子がいいな」
「このタイミングでお前に辞められたら困るから邪魔しないのは当然として、そういうのを見繕っておこう。さすがに即結婚ってのは問題あるから、まずは見合いからだが……」
「全然問題ないっス」
初対面で結婚とかいわれても逆に困るしね。肉体関係だけならOKだけど。
「しかし、付き合ってる相手もいないのか? 報告上がってこないからいねーんだろうな。……悪評考えても、普通なら放っておかれるはずない成績だろ。どう考えても若手のトップ独走してるぞ」
「いたらもっと心穏やかに過ごせるわい」
俺のファン、男しかいねーんだよ。女の子は似たような成績のユキが浚っていくんだ。
「パーティメンバーも? ほら、リリカとか……」
「なんでリリカよ」
あいつ、最近絡みないぞ。年明けには引越しの予定だが、今は魔術士ギルドで何か長期の仕事をしてるはずだ。
これからの事となると分からないが、そもそも男女の関係で考えるにはお互い接点が少な過ぎる。あっちもさすがにそういう感情はないだろう。あと、できればもうちょっと背と乳が欲しい。指摘すると燃やされそうだけど。
「あ、いや、悪い。忘れてくれ。……すまん、今どうかしてるわ……マジで舞い上がってるのかな」
「リリカもそうだが、ウチのメンツ濃いのばっかりでそういう関係に発展する見込みが薄いというか、クラン内で下手に手を出すと内部崩壊招く危険を考えちゃうというか」
「ああ、そうだな。そういう立場の問題もあるよな、うん。恋愛でパーティ崩壊とか結構聞く話だし」
あきらかに様子がおかしいんだが。リリカってダンマスと接点あったっけ?
「……って、危ね。忘れるところだった……一点注意事項だ」
「……何よ」
一瞬前までの気の抜けた雰囲気から一変して、ダンマスの表情が真剣なものに変わった。
「今日の事、ユキちゃんには秘密って事で」
「今日の事って、色々あるがどの事よ。見合い?」
アレインさんに呼び出された時に声かけてきたから、そこは隠しようがないぞ。
「それはどうでもいい。主に唯一の悪意とお前のギフトの事だ」
本日のメインテーマに関してって事ね。……って事は皇龍の過去や、地球の事もアウトだろうな。
「重要情報だから秘密ってのは分かるが、他の奴には言ってもいいのか? ディルクとか」
「ディルクには俺が伝える。……そうだな、間接的にでもユキちゃんに伝わりそうな相手には情報を止めておいてほしい」
となると、相手が相当絞られる。20%とはいえ、女子特有のネットワークは時々理解し難い速度で拡散するし。
「……しかし、なんでユキ限定よ?」
「正直な話、良く分からん。分からな過ぎて判断もつかないような状態なんだけど、無駄にリスクは背負いたくない。……情報が足りなくて不確定な事ばっかりだから、ちゃんと調べてから話すよ。今なら皇龍もいるし、もうちょっと捗るはずだからな」
要領を得ない。ダンマス本人にも分かってないのに、どうして個人指定でリスクが発生すると分かるんだろうか。
「なんだか良く分からんけど、不都合があるわけでもないし構わない。……でも、あいつ変に鋭いところがあるからな」
「よし、じゃあ話逸らすネタとして、20%をどうにかする権利をやろう」
「……アレ、あんたのイタズラなのに、それをどうにかするって言われても」
世間では、それをマッチポンプと呼ぶのではないだろうか。
「ツナ君が俺から名前の20%部分をどうにかする権利を勝ち取ってきたって言って誤魔化すんだ。一回くらいは誤魔化せるだろ」
……それなら誤魔化せるか? 最近ちょっと慣れてきたが、本人はまだ気にしてるし。
「危なそうだったら助けを求めてもいいんだろ?」
「電話は直通で繋がるようにしておく。でも、しばらく籠もるから最低限な」
まさか、こんな重要な事を話しているとはユキも思うまいし、他に話せる事は多いから大丈夫だろう。月やダンマスの嫁さん絡みの事、皇龍に関しても話題を選べば……あと見合いの斡旋。……面倒だから、ヤバそうな話題はあいつ以外にも話さないでおくか。
いや、そもそも認識阻害かかってて伝わりません、って対応でいいのか。よし、それでいこう。
……しかし、壮大なスケールの話から急に小さい話になったな。
-4-
「なんだ、待っててくれたのか」
ダンマスとの話を終えて領主館の玄関まで戻ると、そこにはユキが一人立っていた。
いつ終わるか分からない呼び出しだったから、先に帰ると思っていた。実際、他の客の姿はない。
「うん。サージェスは先に帰ったけどね。年末に緊急で除夜の鐘イベントをやるから、その企画持ち込みだって」
「そ、そうか……」
何やる気だよ。まさかリアルタイムで百八回叩かれるんじゃないだろうな。考えただけでもヒュッとなるんだけど。
「というか、もうボクとツナ以外のお客さんはみんな帰っちゃったよ。もう日が変わる」
「そんな時間かよ……。もう今年も最終日って事か」
随分と長い事月にいたらしい。時間を食ったのは主に皇龍の生い立ちの話だな。万年レベルの歴史はさすがにスケールが違った。
「なんかダンマスに呼ばれたんだって?」
「ああ、色々あり過ぎて自分の中でも整理がついてない状態だ。……とりあえず帰ろうぜ」
そうして、波乱の遠征記念パーティは終わった。
状況が転々とし過ぎて、当初の目的は一体なんだったのかという状況だが、結果的には概ね良い方向に転がったと思う。
特にダンマスにしてみれば、パーティとかどうでも良くなるくらいのグッドイベントだ。
神社までの道のりを逆に進む帰り道の案内は、水凪さんではなくタヌキのメイドさんだった。
なんでもキツネの人とはライバルらしく、アルテリアさんの後継者の座を勝ち取るべく奮闘しているのだとか。ダンマスのパーティメンバーではないらしいが、四神宮殿、領主館に自由に出入りできるって事は、この人も結構な立場の人だったりするんだろうか。……超メイドの定義について熱く語る姿はまったくそんな感じではないのだが。
行きと同様、神社から車で送ってもらっても良かったが、転送施設までは大した距離でもないので散歩がてら歩く事にした。
深夜だというのにまだ設営作業が続く境内を抜け、相変わらず長い階段を下りていく。年末という事もあり、いつもと雰囲気は違うが見慣れた風景はやはり落ちつくね。
もう何年もここに住んでいる気さえしてくる。去年の今頃なんて、馬小屋で寝てたのに。
ふと、夜空を見上げると巨大な月が目に入った。……どうやら、阻害が解けたらしい。
「ほんと色々あったよね」
「今日の事か?」
あっちこっちに移動して、その度にいろんな事があったからそろそろ飽和状態だ。表面張力だけで保っている感がある。
「今日もだけど、どっちかというと今年の事。……これまでの人生全部合わせたよりも濃い半年だった気がするよ」
「確かに濃かったな。山にいた頃は飢えながらゴブリンと死闘してたくらいで、基本的に変わりのない日々だったのに」
「いや、それも十分濃いからね」
「せやろか」
「せやせや」
まあ、本当は存在しない村であるところの故郷での生活が濃いかどうかはともかくとして、間違いなくそれ以上に波乱万丈な日々だったと思う。それは前世で体験したものよりも濃密な日々だろう。……記憶にない部分を除けば、だが。
「そういやユキ、俺の指を見てみるがよい」
人差し指を一本、空に向けて立ててみる。それ自体はただの指だ。
「……いつものゴツい指だけど」
「ゴツいのはどうでもいい。この指を差す先には何がある?」
「何って……空? 夜空。さすがに星座とかは分からないよ」
それは俺も知らない。というか、この世界に星座はあるんだろうか。
「そこで取り出したるは、このメガネ。……これを装着して夜空を眺めてみるといい」
「……何これ。何かのドッキリ? デュワッとか言ったほうがいい?」
「ある意味ドッキリかな」
変なモノマネはいらないぞ。
「……ツナの全裸とか見たくないんだけど」
「衣服が透けるメガネじゃねーよ。ネタが風化するから、さっさとかけなさい」
そんないい物だったら、誰にも見せずにこっそり使うわ。ファッションですって言い張りながら、普通のメガネと交互に装着する感じで。
もちろん、そんな素敵機能はない。このメガネはインパクトを狙って話題を誘導するためにダンマスから借りたものだ。ようは隠蔽された月が見えるようになる。
「そりゃそうだよね。……かけたけど、これが何……ひぅわっ!? え? え、どういう事?」
さすがにユキもびっくりしたのか、変な声を上げた。ないものが突然現れるんだから当たり前だが。
「って、あれ? 外しても見える。……ひょっとして、見えないようになってた?」
「正解」
「そうか……月見バーガーは地球ネタじゃなかったんだ……」
ユキも俺と同じ事を考えていたらしい。
「見えないようになってたって事は、そうする意味があったって事だよね。ひょっとして、ツナが呼ばれたのも関係あるの?」
「……あそこにダンジョンがあったんだとさ。ついでに、ちょっと前までは月面にエイリアン的な何かがひしめいてたらしい」
「うぇ……それは見たくないな。そんな所じゃお餅もつけないね」
兎だからって、餅の心配はしなくていいだろ。エイリアンに拉致される兎を想像してしまったじゃないか。
「ついさっきまであそこにいたんだぜ。月面でダンマスと茶シバいて来た」
「……は?」
ロケットもなにも使わない、六分の一の重力も無酸素体験もしていないが、れっきとした月旅行である。
ユキの周りに大量のハテナが可視化して浮かんでいるように見える。インパクトは十分なようだ。未知の情報が飽和すれば、疑問の余地もなくなる。数時間程度離れただけであんな所まで行ってきたというのだから、そりゃ意味が分からないだろう。
言えない部分は多いので、月での出来事を掻い摘んで説明する。
「良く分からないけど、すごいね。月面でソファ出すのがすごくダンマスっぽい」
「基本的にマイペースだよな」
昔からあんな感じだったのだろう。たとえ、今が素の状態でないとしてもそう思う。
結局会う事はなかったが、ドジッ子属性な嫁さんとマイペースなダンマスとで周りを巻き込んで色々やっている光景が容易に想像できた。
そして、何故か尻拭いさせられる苦労人アレインさんの姿も想像できた。……あの人、なんかそういうオーラを発してるんだよな。
もっと突っ込んでくるかと思ったが、ユキはあまり深入りしてこない。今はそういう重要イベントよりも年末の事に気が引かれているのだろう。転送施設が近づくにつれて、話題は日常的なものにシフトしていった。
「明日の年越し蕎麦も前世以来になるね。どうせだから料理できる人で手打ちでも……」
「ユキ」
足を止めて呼びかけてみた。
「来年もよろしくな」
「あはは、まだ一日早いよ。……でもまあ、よろしく」
その姿は良く見知ったユキのもので、何も変わる事はない。この関係は当たり前のように在るべきもので、これからも続いていく。
たくさん存在するらしい平行世界でも、きっと同じような関係になっているんじゃないかと……。
……何気なく、そんな事を思った。
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