第9話「月の龍」




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 アクシデントは発生したものの、世界間交流に先駆けて行われた模擬戦は終了した。

 続いて、半ば放置状態で倒れたまま代表挨拶を受けたわけだが、あまりといえばあまりな状況に夜光さんが色々治療薬を恵んでくれた。体育会的に上からブっかけられたともいう。

 それを見て空龍は不思議そうな顔をしていたが、異世界交流における文化の違いが存在するのだろう。……あちらの世界では寝たまま挨拶するのが普通とか。

 最後の最後で出番が来てノリノリだった夜光さんは出鼻を挫かれて少々不服そうだったが、これから世界を上げての交流が始まるのだからいくらでも戦う機会はあるだろう。俺には怪獣大決戦はまだ早いので、その際は見学程度に留めておきたい。


「……おっかしいなー」


 俺がこんな状態だったのに、一切のダメージがなかったようにピンピンしている銀は、何故元の姿に戻ったのかの理由は分からないらしい。嘘をついているようでも誤魔化すような性格でもないので、多分本当に疑問なのだろう。


「それで、なんでわざわざ人に変身してるんだ……ですか?」


 銀があの調子だったので、どう話していいのか分からない。


「あら、もっと気さくに話して頂いて構いませんのに。……私たちが人の姿なのは色々理由はありますが、一番はコミュニケーションのし易さですね。こちらの世界は人間が一番多いと聞きましたので」

「……この模擬戦の目的は?」

「人型戦闘の技術獲得とそのフィードバック、その前段階のテストです。わずかでも強くなれる可能性があるのなら、龍の姿に拘る必要はありません。理想は状況に応じた使い分けですが、なかなかに先は長そうです」


 なるほど。聞いてみればそうおかしな話でもない。

 他にも理由はあるのだろうが、こちらに合わせてきたという事実はあちら側の譲歩と考えてもいいだろう。少なくともこちらを軽く見ているという疑念は捨てて良さそうだ。でも、次は事前にもうちょっと情報が欲しい。


「それなのに銀ったら、負けそうだからって元の姿に戻るなんて、なんて見苦しい」

「いやいやいやいや、そんな格好悪い真似しねーよ。なんで戻ったか分からねえんだよ」

「謝罪として、あとで銀の体を削ってお送りします。武器の素材か何かに使えるでしょう」

「いや、いらんから」


 これから交流しようって相手の体とか、もらってもその……困る。


「しっかし、なんで元に戻っちまったんだろうなー。意味分かんねえよ」

「お母様が直々にかけたロックを容易く外せるとも思えませんが、お馬鹿さんの銀ならそういう事もあるでしょう」

「うむ、馬鹿だからな」

「お前ら……。俺のイメージが馬鹿で固定しちまうだろ。やめろ、玄、蹴るな」


 残りの二人にひたすら馬鹿にされているが、これが三人の関係における銀の立ち位置らしい。

 末っ子の銀龍と手のかかる弟をフォローしつつ遊ぶ空龍、その中間に挟まれる玄龍。仲は悪くなさそうである。ちなみに銀龍のイメージ云々に関してはもう手遅れだ。


「それで、今後の予定は何か決まってるのか? こっちはただ交流役をしろって依頼しか請けてないんだが……」

「具体的な事はまだ何も。……そうですね、個人的にはしばらくこちらの文化を堪能させて頂きたいところです」

「……文化?」

「文学、音楽、絵画、彫刻、こちらに来てから聞いたスポーツや映画なども興味がありますね。私たち龍はそういった何かを生み出すという行為が極端に苦手なのです。日々闘争だけに明け暮れるなんて、野蛮で仕方ありません」

「俺は特に問題を感じないのだが」

「戦闘バカの玄はお黙りなさい」

「戦闘バカ……」


 馬鹿がもう一人増えてしまった。


「そりゃこの街なら大抵の文化は堪能できるだろうが、世界の違いはあるにせよ、そっちの世界にもそういう文化はあるだろ」

「それがねーんだよな。俺たちが生まれた時にはぜーんぶ風化してた。こっちの世界、もう何千年も龍しかいねーんだぜ」

「残念ながら銀龍の言う通りでして……。人間などの意思疎通が可能な生物は一切存在しない世界なんです」


 地球でいう人間が龍になって、その龍はモノ作りが苦手と。聞く限り昔にはいたみたいだが、少なくとも現在は龍しか残っていないって事ね。……そりゃ、交流にも乗り気になりそうだ。もちろん、一番の目的は無限回廊攻略なんだろうが。


「あー、そこの渡辺君と違って俺は依頼を請けたわけでもないんだが、質問いいか?」

「はい、なんなりと」

「君たち三……人はそちらの世界でどういった立場の存在なんだ? 無限回廊攻略を担当している主力ってわけでもないよな」

「人化への親和性を重視して、若い者から順番に。銀龍がこちらの世界で最も若い幼龍になります。上には千弱の兄弟がいますので、攻略には影響ないかと」

「……兄弟?」

「はい。私たちはすべて同一の母から生まれた兄弟です」


 千人兄弟って、子たくさんってレベルじゃねーな。……それでこの三人が一番下って事は、あの水銀龍が最弱クラスって事で。ちょっと目を逸らしたい現実である。まあ、これが敵だったら逃げるか後ろに引っ込むところだが、味方になるのなら頼もしいものだ。


「しかし、さすがはこちらの世界の代表と言ったところか。馬鹿相手とはいえ、模擬戦ではこいつに勝ったのだろう?」

「痛っ、叩くなよ、玄」

「そのあと盛大にズタボロにされてるけどな」


 銀龍相手にズタボロになった姿を晒してしまったわけだが、残る二人の反応は悪くないようだ。特に玄龍と呼ばれた男は評価してくれているように見える。

 実は模擬戦については俺の勝利という事で決着がついたらしい。銀の言ったように反則勝ち……というわけでもない。単純に俺が先に三分の一以下までHPを削ったからで、< ラディーネ・スペシャルIIカスタム >の攻撃以降は蛇足だったという事だ。

 だが、正直勝ったという感覚は薄い。銀が龍にならないとしても直後に強烈な反撃を容易く喰らってるし、最後までやり合えばそのまま押し切られた可能性もある。


「前提条件が違うからな。我々が本来の姿で戦うとしたら、そちらの夜光殿クラスが必要になる。銀の奴はやられそうだったが」

「いくら強かろうが正気なくした奴相手なら負ける気はないな」

「いや……そうだな。確かに貴公相手では俺や銀だと本体でも厳しいかもしれん。……姉上くらいか」

「あら、か弱い乙女に対してなんて言い草かしら。あとでお仕置きしないと」

「……何故だ」


 空龍が実際にか弱いかどうかは置いておくとして、本体の方の戦闘力は俺が太刀打ちできるものではなさそうだ。俺たちが模擬戦の相手として指名されたのは、あくまで人の形態における基準という事である。


「それでは渡辺様、夜光様、私たちはここで一旦失礼させて頂きます。後ほどパーティ会場にて」


 そう言って去っていく空龍の姿は優雅の一言に尽きる。

 なんというか、龍のはずなのに人間としての所作が洗練され過ぎていて現実味がない。どこかのお姫様ですと言われても信じてしまいそうだ。

 いや、世界の最高権力者の娘なんだからお姫様ではあるんだろうが。……あれ、その理屈だとトマトさんもお姫様に。トマト姫……う、頭が。


「お馬鹿な銀は罰則として明日から一週間デザート没収ですね」

「なら、俺はおかずを一品もらおうか。いや、母上に告げ口されたいというのなら話は別だが」

「お前ら揃ってひでえな……」


 バラバラな性格の三人だが、立ち去っていく姿は普通の兄弟に見えた。




 脳筋な交流から始まり、その中には反則もあったが、悪い奴らではなさそうだ。

 文化の違い、種族の違いはあるものの、本来障害となりえる言語の壁もなく、利害関係もほぼ一致している。加えてトップはトップで別に交渉しているのだから、俺たちはお互いの事を良く知るために気楽に構えていればいいだろう。ダンマスの思惑が絡んでいるならともかく、今回の無茶振りはあの人が対応に困ったから発生しただけで、少なくとも俺たちが警戒するような裏は感じない。……ユキにとってはまさしくボーナスだな。


「渡辺君はアレだな。格下相手苦手だろ?」


 三人が立ち去ったあと、夜光さんがそんな事を言い出した。銀龍との模擬戦で地味に俺が不甲斐ないところを見せてしまった事を指しているのだろう。恥ずかしい話であるが、期待外れと言われるよりは精神的ダメージは少ない。


「……やっぱり、そう思います?」

「少し慣れてれば銀龍みたいなタイプは対応し易いのに、終始戸惑ってたからな。対人経験が足りてないはずはないし。昔の俺みたいだ」

「俺の相手って、極端な格下か格上か超格上ばっかりだったんですよね……」


 打ち合えるレベルで格下っていうのはあまり記憶にないんだよな。

 実力にはかなり差があるが、戦ったイメージで銀龍に一番近いのはセラフィーナだろう。あれも上手く戦えてた自信がない。対人経験の豊富な夜光さんなら、銀龍の成長速度を加味してももっと上手く戦えるのだろう。


「俺はともかく、夜光さん的にあいつらはどう評価します?」

「人型でも冒険者としては極上だな。Lv1の現時点で下級ランク上位クラス。身体能力に頼り過ぎてるが、中級ランク上位くらいまで簡単に追いついてくるんじゃないか?」

「そのあとは?」

「あいつら次第かな……。急激に強くなったのは人間の体に慣れてない今特有の現象で、ずっとあんな成長速度って事はないだろう……ないよな?」


 いや、知らんがな。

 ……まあ、どんなに控えめに見ても普通の人間以上に有利なのは間違いない。技術的に見て銀龍は多分トカゲのおっさんと戦った時の俺くらいだが、素の身体能力が違うからな。ステータスの値が少し変わっただけで簡単に強くなりそうだ。

 それはいいんだが、俺が今気になるのは人型の評価ではない。


「本体は?」

「……ありゃやっべえな。銀龍相手なら未知の引き出しを加味してもなんとかなりそうだが、残り二人はな」


 銀龍を前にした夜光さんは、短い時間ながらも終始圧倒していた。銀が正気のまま戦えばまた違うのかもしれないが、夜光さんなら単独でも勝てるだろう。


「玄龍は自分じゃ厳しいとか言ってましたけど」

「自分の評価が辛いタイプなんだろうさ。あの感触だと勝ててギリギリ。言った通りお互い厳しい戦いになる。空龍に至っては……やってみないと分からないと言いたいところだが、一対一じゃ無理臭いな。無限回廊深層のフロアボスと同等と考えて、前線クラスでパーティ組んで専用の対策取ればなんとかってところだろう」


 少し話しただけだが、そこまで分かるのだろうか。

 確かに銀龍や玄龍と違って得体の知れない感触はあった。たとえて言うなら、空龍だけは亜神に近い雰囲気を纏っているような気がしたのだ。


「人間形態でも銀龍より強いんだろうな。……そこら辺は実際に戦った奴らに聞いてみるとしよう」

「そうですね」


 気分的にはこのままパーティに行きたいところなのだが、次の行き先は< 四神の練武場 >専用の医務室である。

 空龍、玄龍の二人が現れた際にユキとサージェスがいなかったのは、つまりそういう事。……負けたという事なのだ。

 俺も威張れるような結果じゃないが、全敗よりは格好が付くよね。




 そして、土亜ちゃんに案内されて転送ゲート近くの医務室に足を運んでみると、すでに全員目を覚ましていた。

 建物の様式に合わせたのか医務室は純和風で畳敷き、ベッドではなく布団である。いつか訪れたトライアルダンジョン第一層のボス部屋を思い出す。


「……あぁー、完全に力負けだよ」


 思ったよりもひどい内容だったのか、ユキは布団に丸まって顔も出そうとしない。

 ユキの相手は空龍なわけで負けても仕方ないんじゃないかとも思ったのだが、詳細を聞いてみればユキ一人でなく水凪さんと組んでの二対一だったらしい。銀のように暴走して龍になったわけでもなく、人型のままで圧倒されたそうだ。


「その場から一歩も動かず、スキルもなしに自前の身体能力と反射速度でユキさんの剣と私の矢をすべて受け流されました。何より厄介なのは、魔力の動きが一切感知できない事ですね」

「……感知できないのは、スキルや魔術を使ってないからじゃないのか?」


 それぞれ個人に合わせた色を放つ魔力は、何かしらアクションを起こした際に発光する。実際は常に纏ってはいるらしいが、フィロスのように《 魔力眼 》を使わないと可視はできない。感度の差こそあれ魔術を使う者ならそれを感じ取る事もできるらしいが、使ってなければ分からないだろう。

 熟練の< 魔術士 >はそういった魔力の流れから相手が魔術やスキルを使ってくるタイミングの先読み、何を使ってくるのか、熟練すると効果の詳細や方向まで読み取りながら戦うらしい。

 更に高位の術者同士の戦いになると《 偽装 》や《 隠蔽 》を駆使した駆け引きが発生するようになるという事だが、随分と高度な戦いである。


「呼吸するだけでも多少は動きがあるものなんですが、空龍さんはそれが一切なかったんですよね」

「なら、《 隠蔽 》してたとか」

「それにしても一切、というのは不自然です。隠すにしても偽装するにしてもやはり魔力が必要になるので、意図的にやるのはダンジョンマスターでも不可能かと」


 未知の技術って事になるんだろうか。異世界から来たんだから、こちらが把握していない部分も多そうだ。一部特化している部分に関してはダンマス以上の能力を保有している可能性もあると。

 この話だけ聞くと空龍と銀龍の実力は隔絶しているように感じる。一体どういうマッチングで相手が決まったんだろうか。

 ……そんでもって、真ん中の玄龍については。


「サージェスは? ……なんか珍しく凹んでるけど、何されたんだ」

「いえ、特には……」


 玄龍と対戦したサージェスはさっきから何も話そうとしなかった。こいつの場合、負けたのが悔しかったとかそういう事じゃないと思うんだが。


「くそ、まさか一切の無反応とは。なんてつまらない相手なんでしょうか」

「そんな理由かよ」


 人間の形してるが中身は龍なんだから、性的な感覚は別物だ。お前の全裸を見たところで興味も嫌悪も湧かないだろうさ。


「しかし、あの金的はなかなかのものでした。完全な不意打ちに思わず声を上げて悶絶してしまいましたよ。まったく、除夜の鐘には一日早いというのに……」

「下品な除夜の鐘だな」


 もしも百八回鳴らされたら、さすがのサージェスでも轟沈するだろう。そして、煩悩は払われるどころか膨れ上がるのである。精神的、物理的両方の意味で。弱点晒すどころか見せびらかしてるんだから、そりゃ攻撃するよ。

 ……空龍と違って、玄龍の強さのほどは良く分からんな。サージェスの対応が特殊過ぎる。きっとひどい絵面だったに違いない。


「年末の最後の最後で黒星付いちまったわけだけど、ちゃんと交流すればボーナス出るわけだから問題はないだろ。ちなみに俺は白星だけど。俺は白星だけど」

「大事な事なので二回言ったんですね、分かります」


 ユキは嫌そうな顔をしつつも、一応突っ込んでくれた。相手が相手だから、負けた事を責めるつもりはないよ。別にペナルティないし。




-2-




 そしてようやく忘れかけていた本日メインのパーティ会場、領主館へ行く事になるわけだが、ここで更にワンクッション手順を踏む必要がある。領主館へと向かう転送ゲート手前の部屋にパーティ用の服が用意してあるので、それに着替える必要があるそうだ。わざわざ寸法まで合わせて用意してくれたのはいいんだが……。


「招待状には着の身着のままで構わないって書いてあったんだが、ひょっとしてここで借りる前提だったって事か?」


 着替え自体は構わないのだが、これは当初の予定にあったものなのだろうか。疑問を投げかけた水凪さんは苦笑いだから、なんか違う気がするんだが。


「……水凪さん?」

「いやーその、実は非常に言い難い話なんですが……パーティ自体、当初の予定と内容が変わっていてですね。……本来はエルゼル様が説明するところを私に丸投げされました」

「何やっとんねん」

「水神宮殿で話してる時にいつ切り出すのかなーと思ってたら、ギリギリになって私から切り出させるつもりだったとは……あはは」


 そういう水凪さんは遠い目をしていた。迷宮都市の中枢組織とは思えないグダグダっぷりである。

 水神エルゼルは一見まともそうに見えたが、迷宮都市の変人率を考えると困る水凪さんを見て楽しんでいるという線も……。


「いつもそうなんですよ。面倒な事は私に全振りで……。やる事はちゃんとやるんですけどねー」


 このまま放っておくと、延々と愚痴を聞かされそうだ。


「そ、それで、何がどう変わったんだ?」

「えーとですね……まずは根本的な部分から、ホスト役の那由他様が一身上の都合により欠席です」


 パーティ開催の土台から崩れたぞ、おい。


「……あのさ、それってさっき水神さんが言ってたダンマスに怒られてるっていう話と……「一身上の都合です」……はい」


 ユキの指摘は一刀両断である。


「いや、今回の件とはまったく関係ないんですが、ダンジョンマスターが近年見られないほど激怒したらしくてですね……いえ、今回の件とはまったく関係ないんですが」


 ただ、隠す気はゼロである。

 激怒するダンマスってのがあまり想像できないんだが、色々あり過ぎてどれが原因なのか分からない。夫婦だから遠慮がないって可能性はあるが、ダンマスの性格や背景を考えると判断に困るところだ。元々出てくるつもりがあったのか分からないが、この分だとダンマスも欠席だろうか。


「そんな夫婦喧嘩……いえ、一方的な説教の最中、降って湧いたように無限回廊第三〇〇層管理者が来訪しまして、ダンジョンマスターはそちらの対応もしないといけないと。仕方ないので、忘年会の取りまとめをしていたアレイン様にバトンが渡されて、じゃあどうせならと合同でやる事になったようです。……この分だと、主体は忘年会になりますね」


 もう中止で良かったんじゃないだろうか。……ああいや、空龍たちとの顔合わせが必要だから、どのみちここには来ないといけないのか。


「何故そうなったのかは置いておくとして、まずそのアレイン様って誰よ」

「あれ? ……ああ、知らなくてもおかしくないんですかね」

「ツナ……」


 ユキは残念そうな顔でこちらを見ている。サージェスや夜光さんも知っているようだ。……あれ、知ってて当たり前の名前だったりするのか?


「ある意味、迷宮都市で一番の有名人です。渡辺さん的にはアーシェリアさんの父親と言ったほうが分かり易いでしょうか」

「あー、そういえば聞いた事あるかもしれないな」


 過去の情報を探っていた時に何度か見た気がする。夫婦揃って冒険者の代名詞的なスター。あるいはすでに偉人と呼んでも差し支えないほどの名声を持つ英雄。トカゲのおっさんが所属する< ウォー・アームズ >の創設者にして初代クランマスターだったはずだ。


「表向きは引退しているので、迷宮都市に来て半年の渡辺さんが知らないのもそこまでおかしな話ではないんですが、この街の住人だったら控えめに言っても九割以上は知っている名前ですよ」


 迷宮都市生まれで俺たちくらいの年ならそりゃヒーローなんだろうが、実際活躍を目にしたわけじゃないからな。会った事もないし。

 俺にとって冒険者のトップは< アーク・セイバー >や< 流星騎士団 >という印象が強い。ユキやサージェスだって憧れは抱いていないだろう。


「世代が違うとどうもな……だけど、表向きって事はつまりそういう事なんだろ?」

「はい。ご想像の通り、現役です。ダンジョンマスターのパーティメンバーとして無限回廊の超深層に挑んでいる一人ですね」


 そんな人に尻拭いさせるなよ。いや、ダンマスも領主もそれ以上の大物だけどさ。


「そんなわけで、今領主館には迷宮都市の各組織のトップ……情報局長やギルド長などが集まっています」

「やっぱりそういうお偉いさん限定の忘年会か……まずいな。ひょっとして、各区画長クラスも出席してるのか?」

「領主館で開催するという話を聞いて出席率が激増したらしいので、区画長はおそらく全員……何か?」


 迷宮都市の中枢に関わる者が足を踏み入れるのはせいぜい四神宮殿までらしいから、その最奥部には興味がある者も多いのだろう。


「夜光さんは、誰か会いたくない人がいるとか」

「最近、商業区画と一般区画の区画長に見合い薦められてるんだよな。忘年会と合同になったならウチの奴らも来てるはずだし、女性メンバーに口裏合わせてもらうか」


 見合いか。確かに適齢期ではあるし、師匠の剣刃さんの奥さんもどこかの区画長の娘さんらしいからありそうな話である。

 ……俺にはそういう話はないんだろうか。


「それでお着替えって事だね。……いいんじゃない? これ可愛いし」


 説明を聞く間にユキは着替えていたらしい。その格好はスカートでこそないものの、あきらかに男性が着るものではない。こいつの事情に合わせて用意されたものなのだろう。

 サージェスと夜光さんは着替えてもあまり変化がない。サージェスに用意されたのはフォーマルなスーツだし、夜光さんはやはり和服と袴だ。

 俺はというと、中級ランクの昇格式典で着たようなスーツが用意されていた。ついでに、着替えてからみんなに首を傾げられる反応までまったく同じである。……なんでや。《 原始人 》のせいか。




 身だしなみを整えたあとは、いよいよグダグダになって原型を留めていない遠征記念パーティ……という名の忘年会である。

 あまりに変貌し過ぎて、最初の遠征記念という名目はなんだったのかというレベルだ。ビーフシチューを作っていたら肉じゃがになったというくらい違う。東郷さんもびっくりな状態である。

 その会場である領主館に行くには、中央宮殿最奥部にある< 不可思議の門 >という専用の転送ゲートを抜ける必要がある。

 水凪さんの豆知識によると、"不可思議"という名は不思議とかそういう意味ではなく、数字の単位から付けられたらしい。無量大数の手前の不可思議だ。おそらくは無限回廊の無限に合わせて付けられたダンマスネーミングなのだろう。領主さんの那由他という名前もそれっぽい。

 俺たちが足を踏み入れた< 不可思議の門 >は、中央宮殿の建築様式を残しつつ部屋の規模を拡大させたような、いわゆる謁見の間の様相だった。玉座の代わりにあるのはゲートだが、転送用としてだけ使うには異様に広い。


「渡辺さんたちは水神宮殿でエルゼル様に謁見しましたが、従来の手順としてはここで四神様のどなたかと謁見する事になります」

「なるほど、圧迫面接だね」

「そうとも言います。小賢しい真似ですよね」


 ユキの台詞も大概だが、水凪さんも否定しろよ。

 ……が、なるほど。この空間は四神の本来の大きさに合わせたもので、領主館に向かう人相手に四神の内の一柱、あるいは全員による圧迫面接という名の洗礼が行われる場所という事だ。普段表に出ない四神の見せ場という事ではりきってしまうのかもしれないが、緊張で思わず粗相をしてしまったり意図的に粗相をしてしまったりする人もいるので、そういうアピールは勘弁してあげて欲しいものである。……粗相してしまったのが、具体的に誰とは言わないが。

 今は誰もいないが、俺たちはすでに水神に会っているのでスルーしてもいいという事なのだろう。

 ちなみに、水神エルゼルも水神宮殿で会った姿が本来のものではなくもっと巨大な姿を持つ亜神で、俺たちが話しやすいように人間の姿で応じてくれたという事らしい。

 水凪さんに聞いてみれば他の参加者はちゃんと謁見したようで、ついさっきというレベルで圧迫面接が繰り広げられたという事だ。遠征参加メンバーだけでなく、忘年会参加の迷宮都市の首脳陣もである。


「帰りは私の案内になるか分かりませんので、ここでご挨拶を。皆様、来年も良いお年を」


 水凪さんとはここでお別れだ。今日の彼女はあくまで四神宮殿の案内人であり、< 不可思議の門 >を潜る権利を持っているのはパーティ参加者だけという事らしい。

 水霊殿に神楽を見に行くかもしれないが、話ができるかどうかは分からないからな。


「来年早々にはさっさと第四十層攻略して、水凪さんの出番増やさないとな」

「お待ちしてます。あ、サーペント・ドラゴンのドロップが出たら安めに売って下さい。あれ、美味しいのに出回らないので」


 ……サーペント・ドラゴンはワイバーンと比較にならないくらい巨大なんだが。アレ一人で食うんだろうか。

 一部位だけがドロップしても、人間何人分の体積か分からんレベルなんだけど。




 そして、< 不可思議の門 >を抜けた先に、今日の目的地である領主館が待っていた。

 はっきり言って敷地は狭い。そして、その敷地の外側には何もなかった。視界の広がる夜空は開放感はあるものの現実味がなく、クランハウスの窓や庭に見られる遠景投影機能にも見えた。


「……これが、領主館か」


 待望の、というわけではないが迷宮都市の真の中枢だ。心のどこかではどんなものかと期待していた部分もあったのだろうが、目の前に建つ領主館は期待外れを通り越して、とても反応に困る建物だった。せいぜい迷宮都市の外でも見られる下級貴族の屋敷といったところで、廃墟とは言わないが老朽化の進んだ学校校舎にも見える。正直、周りの庭の方が立派だ。少なくとも迷宮都市で一番偉い人が住む建物には見えない。


「初めて見た方は大抵同じ顔をしますが、千年以上前から存在するほとんど遺跡のような建物ですからねぇ」


 あまりに貧相な領主館に目を奪われていたのか、傍らに近付いて来ていた気配に気付かなかった。

 振り向けば、そこにいたのは見覚えのある……一度会ったら忘れられない驚異の胸囲を持つ金髪美少女が立っていた。


「あ、ああすいません、意外だったんでつい……サローリアさん? ……なんでメイドさんに」


 壮絶な自己主張をする胸と柔らかい雰囲気は、いつかあったグロウェンティナ三姉妹の次女さんのものだ。露出度の低い本格的メイド服と合わさって強烈な色香を放っている。……バイトかな?


「いいえ。良く間違われますがサロちゃんじゃありませんよ。あの子たちの母親で、アルテリア・グロウェンティナといいます。はじめまして、皆様」

「……はは、おや?」

「はい。娘たちから色々話は聞いてますよ」


 確かに言われてみれば、というレベルでは別人である。だが、双子のアーシャさんよりあきらかに造形が近い。

 あの三姉妹の母親なら少なくとも三十歳以上、四十歳を超えている可能性だってあるのにこの造形……これは今更か。いつもの迷宮都市マジックである。

 ……そうか、人妻か。アリだな。


「ちなみに名誉メイド長なので、メイドさんなのは何もおかしな事ではないですね。超メイドなのです」


 何が超メイドなのかは分からないが、とにかくすごい自信だ。胸を張ると、その自信に違わぬ主張をする山がアピールされる。

 ……うん、自信持っていいわ。超メイドに異存はありません。


「んー、なるほどなるほど。あなたがサージェスさんですか。こうして間近で見て、主人の言っていた事が分かりました」

「……私が何か? あまり波長が合うようには見えませんが」

「いえいえ、こちらの話です。でも、あんまりウチの娘を虐めないでくださいね。あの子ウブだから、今も時々夢に見るそうなので」

「はて?」


 サージェスは分からないという顔をしているが、新人戦の《 パージ 》の件だろう。

 大した実害はないが、娘が半裸男に《 フライングボディプレス 》を喰らったのだから、親としては一応言わねばならないのかもしれない。

 あと、サージェスの変態センサーには引っかからないらしい。ここもサローリアさんとは違う部分である。……つまり、この人はエロスキル持ちではないという事か。


「では、四名様ご案内~……って、四名? なんで夜光君がここに?」

「色々ありましてね。ちょっと遊んできました」

「< 月華 >の皆さんが怒ってましたよ。いつもの事ですけど」

「いつもの事なんで謝って許してもらいます。じゃあ、渡辺君、また会場でな」

「あ、はい」


 と言うと、夜光さんはアルテリアさんから控え室の場所を聞いて一人で領主館へと入っていった。その様子は勝手知ったるという感じで、ここに来たのも初ではないんだろう。


「あの子は昔から自由人ですねー。じゃあ、控え室に案内しますので」


 この人も……なんというか、ノリの軽い人だ。




-3-




 夜光さんと別れたあと、アルテリアさんに案内されて通されたのは俺たち用に用意された控え室だった。

 フィロスたちと一緒になるかなとも思っていたが、< アーク・セイバー >は別に控え室があるらしい。ベレンヴァールもいない。

 ここで待っていれば、忘年会……パーティが始まる前にメイドさんが呼びに来てくれるらしい。


「今更だけど、なんか緊張してきたよ。……昇格式典と同じ感じでいいのかな」

「分からんけど、なるようにしかならんだろ。いくらお偉いさんが多い場だからって、無礼な真似しなければ大丈夫じゃねえ?」


 立場的にはダンマスや領主さんの方が上だ。あまりそんな感じはしないが、元々の予定が関係者のみ食事会だった事を考えると難易度は下がったともいえる。

 夜光さんの故郷を滅亡させるような相手とテーブル囲むのとたくさんのお偉いさんに挨拶をするのは、どっちが気が楽かって聞かれたらそりゃ後者だろう。少なくとも迂闊な発言をしても滅亡するような危険なルートは存在しない。


「ツナはほんとそういうの気にしないよね。心臓に毛が生えてるのかな」

「レントゲンでは生えてなかったぞ」

「いや、マジレスされても困るんだけど。……サージェスは、こういう……王侯貴族のパーティみたいなのに出席した事はある……わけないか」

「ありますよ」

「うえっ?! あ、あるの?」


 ユキは緊張を誤魔化すために話を振ったのだろうが、サージェスから返って来たのは意外な回答だった。


「ええ、帝国で戦争に参加した際、そこの領主主催のパーティに出席した事があります。傭兵団ではなく個人での参加でしたが、そこそこ活躍したもので」


 そういえば、そんな事をしていたって話は聞いたな。サージェスなら、システムの補助がなくてもそれくらい活躍するかもしれない。

 ……なんか、俺もできそうな気がするな。


「ちなみに……参考になりそうな体験談とかあるかな」

「そうですね……とりあえず、ハイヒールを履いたお嬢様に出会い頭で踏んで下さいと言うのはやめたほうがいいですね。出禁になります」

「……サージェスを当てにしたボクが馬鹿だったよ」


 当たり前だ。どこの世界にそんな自己紹介をする傭兵が存在するというのだ。……知らなかったのかもしれないけど、こんな劇物をパーティに呼ぶなよ。


「お前、今回は自重するよな? 迷宮都市の懐が深いからって限度はあるんだぞ」


 中級ランク式典の時のように保護者として迎えに行くのは勘弁して欲しい。


「ええ、玄龍さんに受けた金的の効果が出てますね。これなら生半可な事では昂奮しないので安心です。代わりに常時大きくなってますが」

「よし、そこが今回の妥協点だな。今日は変態紳士ではなく、紳士的な振る舞いに期待する。別に勃起はしたままでいいぞ」

「了解しました」


 素直に妥協してくれたのは意外だったが、サージェスは暴走せずに済みそうだ。

 言っている事がかなりおかしい事は分かっているが、もうそこら辺は諦めるしかないというのは分かっている。ユキもノーリアクションだ。




 と、王城で開かれるような格式ばったパーティを想像していた俺たちだったが、蓋を開けてみるとそんな事はなかった。

 個別に名前と役職を呼ばれて入場なんて演出もなく、代表挨拶を求められる事も社交ダンスもない。食事は立食形式で、待機しているメイドさんに注文すればすぐに飲み物をくれるのはサービスが行き届いていると思うが、それくらいならちょっと高級な会場であれば提供しているだろう。超が付く豪華賞品が当たるビンゴや、ギルドごとに企画した催し物など、王侯貴族というよりはどこかの企業が主催する忘年会のようだ。

 違いは、出席している人のほとんどがとんでもない権力者であるという事だろう。ダンマスや亜神に比べれば格は落ちるのだろうが、ここにいる人たちはそれぞれ迷宮都市の外であれば国王並の力を持つのだ。

 そんな中にあって俺はせいぜい壁の花になっておけばいいかなと思っていたら、そういうわけにもいかないらしい。


「いやー、噂はかねがね。当社でも最も今後が期待できる若手として、名前が上がらない日はないという状態で……」


 お前らはどこの日本人だ、と言わんばかりの名刺攻勢と挨拶。

 それもどこかの会社の営業ではなく巨大企業グループ会社の重役、下手したら会長が挨拶と自己紹介のためにわざわざやってくる。

 無数に繰り出される提案やジョークはどこまで本気にしていい話なのか分からず、曖昧な返事しかできない。しかもこちらは名刺なんてないから、いちいち断りを入れる必要があるのだ。

 軽く聞いてみたところ、こういう場でもない限り、直接的な接触はギルドを通す必要があるらしい。特にデビューまもない時期は厳格に禁止され、何をするにもギルドから許可をとる必要があるのだとか。


「私のお友達にもユキ様のファンが多いので、こうして直接お話しできた事は自慢になります。もしよろしかったら今度……」

「え、えーと、スケジュール確認しないといけないので、ちょっと安易に返事は……」


 社交界デビューの場に連れて来ましたといわんばかりの可愛らしい女の子もいるが、それはすべてユキへ吸い寄せられていった。

 一方、俺の周りは見事におっさんだけだ。しかも迷宮都市の美容技術のせいか無駄に精悍で逞しく若々しい人しかいない事で、威圧感が倍増している。


「新商品は調子がいいみたいだね。ウチの商品開発部も動画やレポートを見る度にやる気になっているらしい」

「ええ、さすがゲバルトさんの名前をコードネームにしただけの事はありました。内部から少し膨張するだけで、狙ったように破裂するのはバランス調整の神業とも言える仕事でしたね」


 何か極自然に歓談している奴もいるが、あいつの場合は寄ってくる層が特殊極まりないのでむしろ助かったといえる。

 内側からのダメージに弱いパンツの話なんて、あいつ以外に対応できない。




「あーーーー、しんど」


 専用に用意された休憩用のボックス席で、ソファに倒れ込んだ。

 どうやら何かしらの配慮がされているのか、この席にいれば挨拶攻勢は止むらしい。どうしても、という時はメイドさん経由で呼び出されるそうだが、しばらくは安心だ。もう少し早く気付けば消耗も抑えられたんだが。

 たった数十分のやり取りで、数時間経過したような疲れが全身を覆っている。これなら、ダンジョン籠ったり訓練してたほうがマシだ。向いてない。


「思ったよりハードだね。警備として王宮のパーティを見た事はあるけど、こんなにアグレッシブじゃなかったよ」

「優雅さが必要ない分、実利優先なんだろ」


 一緒に逃げてきたフィロスは、そんな言葉とは裏腹に大して疲れた様子はない。対照的に、隣のゴーウェンは相変わらず何も言わないが疲れているように見える。


「とはいえ、クラン独立に必要なコネが作れるのは大きいよ。資金的な問題は随分ハードルが下がりそうだ。ひょっとしたら裏方の人員的バックアップも期待できるかも」

「あーそれはそうだな」

「< アーク・セイバー >傘下の企業を頼ってもいいとは言われてるけど、やっばり一色になるのも問題らしいしね」


 このパーティに参加しているのはどこかのギルドの幹部か、大グループのトップだ。当然、法律や会計に強い傘下企業を持つ人も多い。中にはダンジョン攻略用の装備や消耗品を開発している企業を抱えているところもあるから、実利的な面ではかなり有利になるはずだ。スポンサーとして、提携先として、そういったところに繋ぎを作れるのは一から組織を立ち上げようとしているフィロスには大きいだろう。

 ユキさんも、ちょっと離れたところで装備のスポンサー契約についての話を受けている最中だ。性能重視かつ、可愛い系のデザインが売りらしいので本人も乗り気である。


「そういえば、君の方も大変だったみたいだね。なんというか、いつも通りって感じもするけど、あそこにいる三人が例の異世界人なんだろ?」


 空龍たち三人はその存在が認知されていないのか、ひたすら食事を続けていた。水凪さんの暴飲暴食に比べたらささやかなものだが、三人とも用意された食事を一心不乱に食べ続けている。

 パーティの合間に少し話した限りでは、人間の形態だと食事が美味いとか。……にしてもあいつら食い過ぎだろ。周りの人たちドン引きしてるぞ。


「ああして見ると人間にしか見えんが、確かに強者のオーラを持っているな」

「お前の場合は、あいつらと違って異世界人だって認識されてるんだろ? こんなところにいていいのか?」


 隣で涼しい顔をして座っているベレンヴァールは俺以上に注目株だったはずだ。存在を秘匿する必要性がない以上、広告塔としての価値は計り知れない。異物だろうが構わず受け入れる迷宮都市なら、いつの間にかCMに出演しててもおかしくない。

 角があったり、普通の人間から離れた容姿も、迷宮都市ではアクセントにしかならないし。


「ああ、言葉が分からないフリをしていたら自然と人が少なくなった。サンゴロが逃げた時は張り倒してやろうかと思ったが、むしろいなくて良かったかもしれんな」


 意外と強かな手で挨拶攻勢を逃れていたらしい。特に緊張している様子もないから、こういう場に慣れているのかもしれない。


「領主とサティナの話は聞いたか?」

「ああ、詳しい事情は聞いてないが、欠席らしいな」


 領主に加え、サティナもこの場に姿を見せていない。どんな相手か確かめようとしていたベレンヴァールにとっては肩透かしだろう。


「……拍子抜けではあるが、今更焦る事もないだろう。お前のクランに入団するという話に関してはちゃんと話し合う必要がありそうだが、それも先の話だ」

「全面的に反対ってわけじゃないのか?」

「今でも冒険者になる事自体は反対だが、どうせなら近くにいたほうが安心できるという面もある。……難しいところだな」


 ベレンヴァールからサティナに対する感情はおそらく保護者と被保護者、親子のものに近い。

 ほとんど話していないから確信はないが、逆にサティナが抱いているのはおそらく恋慕。そして、お互いがそれを認識している節がある。

 種族の違いによる認識の差もあって、難しい関係だよな。……なんで俺が巻き込まれかけてるんだかは分からないが。




 そんなこんなでパーティは続く。

 迷宮都市上層部基準で超豪華な景品の当たるビンゴ大会や、ギルドの催しものもあり、挨拶攻勢と合わせて退屈はしない時間が流れた。

 ユキが超巨大な餅つきセットをゲットしたり、ゴーウェンが免許と体格の二重の意味で乗れもしない車をゲットして困ったりしていたが、ここに来るまでの経緯を考えると平和なものだ。

 合間で空龍たちとも少し話をしたが、やはり実際に交流を始めるのは年が明けてからになるだろうとの事。今はとりあえず目の前の食事のほうが魅力的らしい。話している途中に追加の料理が来たら、ものすごい勢いで飛んでいった。

 こうして、パーティは無事終わりを迎えるかに思えたのだが……、終わりも近づき帰宅する人がチラホラと現れ始めたあたりで、ここまでノーアクションだった人が声をかけて来た。


「こんばんは、渡辺君。ちょっと時間をもらえないかな」


 ムカつくレベルで整った容姿と圧倒的な強者のオーラ。ダンマスにこのパーティの幹事をぶん投げられた迷宮都市一の有名人、アレインさんだ。

 大体予想はしていたが、このまま帰らせてはもらえないらしい。……おそらくは、本日最後のイベントが始まったという事なのだろう。




-4-




 アレインさんに連れられ、領主館の通路を移動する。連れ出されたのは俺だけだ。


「ついて来てから言うのもなんですが、俺一人でいいんですかね?」

「ああ、というよりも君一人限定だな。他の子たちには先に帰ってもらう手配をしてある。ちゃんと説明込みだから心配はしなくてもいい」


 ユキさんたちはそれを聞いてもまたかって思うだけで、心配はしないと思います。


「それで、どこに連れていかれるんですかね」

「はは、警戒する必要はない。新吾が呼んでるんだよ」

「ダンマスが?」


 こうして呼び出すって事は、あの場に顔を出せない理由でもあるんだろうか。

 しかしどうでもいい話だが、ダンマスの事を呼び捨てにする人は新鮮である。


「どうも、無限回廊第三〇〇層の管理者が君との対話を要望しているらしい。新吾と君との三名で」

「えっと……アレインさんは?」

「私はただの案内役だな。転送ゲートの設定が済んでないから、権限持ちが一緒じゃないと移動できないんだ」


 という事は、またどっかに転送されるのか。今日はゲートを潜った回数最多じゃねえか?


「個人的にも君とは少し話してみたかったんだ。道すがら色々聞かせて欲しいな」

「はあ……」


 別にそんな関係でもないのに、恋人の父親に会ってしまった気まずさのようなものがあるのは何故だろう。

 この人はあのアルテリアさんの旦那なわけで、加えて三人の美少女な娘もいる完璧なリア充というやつだ。

 だが、いつもなら感じる対リア充の嫉妬感はあまり湧かないのは、本人が放つ苦労人っぽいオーラのせいだろうか。なんか、不憫って感じがするんだよな。


「今回は迷惑をかけたね。本来はただの食事会のはずだったのに」

「いえ、そこは気にしてませんけど……結局、何があったんです? ダンマスが怒ってるって聞きましたけど。……マズイ話なら聞かなかった事にしてもらってもいいですが」

「新吾本人からは、君には聞く権利があると言われてるから説明しよう。少し前までなら君を巻き込むのは気が引けたんだが、状況が状況だ。少し踏み込んでもらう」


 どうしよう。急に聞きたくなくなって来た。


「といっても、あいつが怒ってるのは大した話じゃない。ベレンヴァール君に自分を重ねてるだけだ」

「ベレンヴァールに?」


 異世界召喚、勇者としての立場故の共感が原因って事だろうか。だったら、あいつも連れて来ようぜ。俺よりあいつのほうが重要人物だろ。


「君もある程度事情を把握していると聞いているから詳細は省くが、巫女様が件の召喚士……サティナを煽って、同じ事をさせようとしているのが気に食わないらしい」

「それが原因なんですか。てっきり第三〇〇層の管理者の話かと」

「そっちはむしろ喜ぶべき話だな。手間はかかろうが我々にとっては不意に齎された希望だからね」


 意外といえば意外である。


「あの二人の立場や関係性は、新吾と巫女様のものに良く似ているが別物だ。なのに、巫女様は自分と同じ価値観と基準でサティナを安易に引きずり込んだ。境遇や論理も合わせてほとんど洗脳に近いものだから、ベレンヴァールに共感している新吾としては許せないってわけさ」


 ……なるほど。自分たちと同じ道を歩ませたくないと。いや、この場合は選択肢すら奪っている事が原因か。


「問題は、おそらく素の部分でサティナも巫女様に共感しているって事だ。怒られてる巫女様を庇われたら、新吾も強く言えない。というわけで、夫婦喧嘩が冷戦状態に突入だ」

「一概にどっちが悪いとかじゃなさそうですね」

「そうだな。だからちょっと面倒な状態なんだ。出会った時からほとんど喧嘩をした事ないから、巫女様もグロッキー状態だよ。パーティどころじゃない」


 それで、今の状態に繋がると。


「長い事一緒にいたから忘れていたが、あいつは基本的に温和で周りを優先して自分の事を後回しにする気質が強い。そんな中で、譲れない一線を超えると普段から想像できないほどに激怒する。本人曰く、日本人的な気質らしいが……当たってるのかな?」

「そっスね」


 元日本人としては失笑ものなんだが、実際当たってる。食い物の話とか。

 大阪風と広島風で終わりのない論争が始まったり、きのことたけのこで何十年にも渡る派閥争いを繰り広げたり、真面目な話だと輸入食材とか? 外国の人には理解できないだろう。


「そして、その譲れない一線というのが我々にとっては非常に重いんだ。長く生きて人間性が摩耗していくほどにそれを感じる」

「……アレインさんも?」

「私……俺の場合は第一に家族の事、そしてその次が巫女様と新吾の二人の事、この領域を侵す事は絶対に許容できない」

「……大切なものを大事にするって普通の事じゃないですか?」

「それが極端になるのさ。それ以外の優先順位が下がってどうでも良くなる。必要なら世界を滅ぼすくらいやるだろう」


 言葉に詰まった。おそらくこの人はやると本能で理解した。

 そして、それはこの人に限った話ではなくダンマスもそうで、無限回廊深層に至る者は少なからず備えている気質なのだと。

 ネームレスの場合はその大切な一線がない。自分すらも大切じゃない。ないからゴミクズのように世界を滅ぼす。それが当たり前になっている。

 ……安易に娘さんたちに手を出したら殺されるかもしれん。


「新吾にとっては巫女様が唯一絶対のラインで、今回はその一線を超えたって事だな」

「……それは、変じゃないですかね。ダンマスの行動原理って地球へ帰る事じゃ……」

「その願望も元を正せば巫女様から来ている。一つボタンがかけ違えば、あいつは地球への帰還などに拘らずにこの世界で生きる事を選択しただろうさ」


 それは、なんとなくだが想像していた事ではある。ダンマスが本当に帰りたいのなら、この世界に余計なしがらみを作り過ぎなんじゃないかと。


「まあ、そこら辺の詳しい話は俺の口から言う事じゃないから本人に聞くといい。ただ、巫女様にこの話題を振らないで欲しい」

「何故かって聞いてもいいですか?」

「ちょっと不安定なんだよ。君も世界を滅ぼしたくはないだろう?」


 勘弁して下さい。


「さて、ここだ。転送ゲートを抜けてもちょっと歩くけど勘弁して欲しい」


 到着した先は領主館地下にある、なんの変哲もない部屋だ。その中に入ると、見慣れた転送ゲートがポツンと設置してあった。




 アレインさんに連れられて転送ゲートを潜った先は、無機質でどこかSFチックな様式の場所が待っていた。

 そこには窓一つなく、装飾もない。実用的といえば聞こえはいいが、極端に飾り気のない最低限の機能性だけを持たせた建物に見える。たとえていうならシェルターか何かの内部のようだ。


「あの……ここ、どこなんですかね」


 スタスタと歩き始めたアレインさんを追いかけながら疑問を投げかける。

 少なくとも俺の知識には存在しない。予想するならば、いつかトマトさんが口にした実験区画がそれっぽいだろうか。


「目的地までは時間があるから、一つずつ説明しようか。あ、ここから自動で動くから気をつけて」


 そう注意された直後、何かに反応したように床が発光し動き始めた。

 ……いや、動いてるのは床ではなく俺たちだ。機能だけなら動く歩道だが、床は動かずに俺たちだけが運ばれている奇妙な状態である。


「君は、我々が住んでいる惑星にいくつ大陸があるか知ってるかな」


 唐突な話だが、それはつい先ほど夜光さんから聞いた話だ。


「三つだって聞いてます。迷宮都市のある大陸と暗黒大陸、あとは夜光さんの故郷の大陸。名前は知りませんけど」

「行き来も国交もないから名前はないって認識でいい。……実はそれ以外にも、新大陸と呼んでいる大陸が存在してね。これは最近認識された未踏領域という事になる」


 インディアンでも住んでるんだろうか。


「わざわざ認識できたっていうのは……阻害がかかってたとか」

「勘がいいな。……その通り、新大陸が認識できるようになったのはつい一年ほど前の事だ。それまでは阻害されていたのか、衛星写真でも確認できなかった。阻害の外れたトリガーはおそらく無限回廊の攻略層だ」


『実は阻害については俺も受けてる。無限回廊を攻略してると段々条件が緩和されてきて、情報が入ってくるんだ。確定じゃなくて断片的ではあるけど、地球への帰還の手がかりもこれに含まれる。でも、まだ足りない。何かしら、俺がまだ認識できない情報がたくさん隠されてる』


 それは、いつかダンマスに言われた事だ。……情報というのは、大陸の可視状況まで影響するものなのか。


「という事はまさか、ここはその新大陸ですか?」

「はは、それは結論を急ぎ過ぎだな。新大陸は今メイゼル……だと伝わらないか、新吾の奥さんの一人が攻略している最中で、転送ゲートを設置する権限がない。上陸するためには真っ当に海を渡る必要がある」


 設置に権限が必要だというのは初耳だが、ここへは転送ゲートを使って来たわけだから違うって事だな。


「単純に言うと、そういった世界の管理権限は無限回廊本体だけじゃなく複数存在する。つまり、新吾の奴が世界の管理者権限を手に入れても、その権限が及ばないエリアが存在するわけだ」

「はあ……」


 迂遠過ぎて話をどこに持って行こうとしているのかは分からないが、言いたい事は分かる。つまり、ダンマスは完全な意味でこの世界、いやそれどころかこの惑星の管理者ですらないって事だ。その支配権を広げるために無限回廊以外を攻略していると。


「攻略って、何を攻略してるんです?」

「そりゃダンジョンさ。未踏破地域には必ず無限回廊から別れた枝のようなダンジョンがあるんだ」

「転送施設から飛べる無限回廊以外のダンジョンみたいなものって事ですかね?」

「そう。実は君が以前攻略した< 鮮血の城 >やいくつかの個別ダンジョンもそういったものの一つで、攻略後にコピーされたもの……というのは脱線が過ぎるか。とにかく、我々は無限回廊攻略の他にそういったダンジョンの攻略を並行して進めている」


 元々未踏破地域にあったダンジョンを移設したって事だろうか。< 鮮血の城 >も元々は別の場所にあったとか。


「……それは何か意味があるんですよね? 支配権なんて、ダンマスの目的には直接結びつかないと思いますけど」


 迷宮都市は別に拡張戦略はとっていない。この世界で手間をかけて支配域を広げる事に意味があるとは思えない。


「その疑問に関しての回答は『分からない』だ。支配権以外にどんな権限が開放されるのかの情報は攻略して初めて判明する。新吾が地球に帰るためには無駄な行為なのかもしれないが、過去に得られた権限が支配権だけでない以上、無視はできない。だから悩ましくはあるが、手が及ぶ範囲では攻略するというのが現在の指針なんだ。時間をかければ我々が単独攻略できる難易度だから、保険をかけているという面もある」


 現時点で決定的な手掛かりが見つかっていない以上、やれる事はやっておくという事か。


「そして、こういった大規模ダンジョンは、現時点で判明しているだけでも五つ存在する。メイゼルが攻略している新大陸の< 煉獄の螺旋大迷宮 >。手付かずのまま半ば放置状態になっている暗黒大陸の< 生命の樹 >。俺が攻略許可の交渉を続けている魔の大森林の< 深淵の大洞穴 >と< 地殻穿道 >。……そして、ここ月に存在する< 月の大空洞 >だ」

「…………は?」


 ……ここ? 聞き間違いじゃなければ、ここって言ったよな?

 え、俺いつの間にか宇宙に飛び出してたの? って、いやいやいや、それ以前の問題だろ。


「えっと、今世で月なんて見た事ないんですけど……」

「少し考えれば想像が付くと思うが、新大陸と同じで見えてないだけ、認識できていないだけで実際にはこうして衛星は存在する。『月』という名前なのは、多分新吾の影響だろうがね」


 認識阻害されているって事か……。つまり、夜光さんのクラン< 月華 >や、ギルド会館近くのファストフード店で売ってる月見バーガーも、別に地球からの輸入というわけでは……。

 いやいや、そんな事はどうでも良くて、今問題なのは俺が月にいるって事だ。……実感もないまま宇宙旅行しちゃったよ。この壁の向こうは月面。宇宙空間が広がってるって事かよ。


「つい先日、一部月の支配権を手に入れて、こうして転送ゲートを設置する事ができるようになったわけだが、そのタイミングで邂逅したのが無限回廊第三〇〇層の管理者ってわけだ」


 ……そういう風に繋がるのか。


「という事は、ダンマスとその管理者は月にいるって事ですか?」


 なんでわざわざ留まっているのか分からんが。


「その通り。……あの隔壁の向こう側にいる」

「え、ひょっとして月面に出る必要があるとか……宇宙服とかは」


 いくら冒険者の体がタフでも、宇宙空間に放り出されたら死ぬぞ。ダンマスなら大丈夫っぽいけど、俺は無理だろ。


「はは、そこはもちろん対策しているよ。外に出てすぐのエリアは地上と変わらないから心配しなくていい」

「は、はあ……」

「さて、ここからは一人で行ってくれ。無限回廊管理者と君の三者会談だ」


 ……本当に大丈夫なのか?

 不安は残るが、アレインさんが開けたドアを潜り、多重に保護された隔壁を抜けて先に向かう。




「マジで宇宙なのかよ……」


 いくつかの自動開閉する隔壁を抜けて、俺の目の前に広がったのは月面だ。もちろん空もなく、頭上には無数の星々が大気に邪魔される事なく輝いている。

 息はできる。重力もある。なんか体が重い気がするのは、あまりの非現実的状況に対する感情的なものだろう。


「疑ってたのか? ここに来るまでに説明を受けたと思うけど」


 出口を出てすぐの岩場にダンマスの姿があった。


「そういうわけじゃないが……あまりに現実味がなさ過ぎて」


 夢でも見ているようだ。

 宇宙空間なんて前世でも訪れた事はない。月の存在だって認識していなかったのだ。いきなり連れて来られても反応に困るというものだろう。


「つーか、なんでこんなボコボコなん?」


 月面が不毛の地なのは分かるが、視界に入っている部分は無数の隕石が落ちたあとのようにグチャグチャだった。

 クレーターとか、断崖とか、遠くから見たら星の形が歪むような規模の変形部分すら肉眼で確認できる。


「エルシィが掃除したあとだからじゃないか? 月面モンスターだらけだったから」

「……モンスターだらけって……駆除したら地表ズタボロになるってどんな規模だよ。というかエルシィって……」

「俺の嫁」

「あ、はい」


 ……三人目の嫁さんか。となると、その人が月を攻略してたって事だな。

 こんな災害に等しい規模の駆除作業を行ったエルシィさんもそうだが、そもそもどれだけの数のモンスターがいればこんな状況になるというのか。


「いやー、一般人が見たらSAN値直葬コース。ウジャウジャいてすげえ気持ち悪いの。今度どんなんだったか見せてやるよ」

「ノーサンキューで」


 なんで好んでグロ画像見なきゃいかんねん。結構耐性はあるほうだが、興味本位でも見たくない。


「それで、俺がお話する相手はどこにいるんだ?」


 ダンマスだけならここに来る必要はない。だが、周りに人影はない。


「ああ、《 隠蔽 》かかってたか。……ほら、上」

「……上?」


 ダンマスが何かをしたのか、急に真上に巨大な何かが出現した。宇宙空間を遮る蓋を閉じたように。あるいは星がもう一つ現れたように。


「……冗談だろ」


 それは、あまりにでか過ぎて縮尺がおかしくなる規模の存在。


――――《 初めまして、唯一の悪意に呪われし我が同胞よ。妾が皇龍。無限回廊第三〇〇層の管理者である 》――



 衛星サイズの龍がそこにいた。



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