第8話「銀の咆哮」




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「さ……んびゃく層?」


 水神エルゼルの口から飛び出した爆弾発言に言葉を失った。

 呆然としていたのは俺だけではないようで、夜光さんも同じ表情だ。ユキはそこまででもないが、遠征の当事者ではないから実感がないのかもしれない。

 まったく動じずに平然としているのはサージェスだけだ。理解できないわけでも予想していたというわけでもなく、単純に興味がないのだろう。

 水神エルゼルはこちらが落ち着くのを待っているのか、静かに口を噤んでいる。

 直接交渉に現れたという事は、まさか本人がここに来たという事なのか? ネームレスだって手当たり次第という力技で探索していたのに、ピンポイントで発見された?


『情報局というより、ダンジョンマスターの依頼です。それは今日終わりましたよ。……もっと大変そうな話が舞い込んできましたけど』


 ディルクが言っていた話せない事ってのはこの事か。……そりゃ禁則事項だわ。第二〇〇層管理者であるネームレスですら迷宮都市……いや、この世界を揺るがしかねない存在なのに、その上が直接現れたらいくらダンマスでも対応に困るだろう。

 ……しかし、交渉という事は少なくとも敵対はしていないという事なのだろうか。友好的かどうかはともかくとして、話の通じる相手ではあるって事だ。


 無言のまま、少しばかり時が過ぎる。

 静寂に包まれた談話室に水凪さんが戻って来て、洗練された所作で俺たちの前に紅茶を置いたあと、座らずにそのまま水神エルゼルのソファの後ろに立った。

 ここにいる水凪さんは、あくまで水神エルゼルの従者という立ち位置なのだろう。この静寂の中でカップの音も立てないなんて、すごいよ水凪さん。

 発言のタイミングを掴むため、とりあえず紅茶に手を伸ばす。


「なにこれ、超うめえっ!?」


 あまりの美味さに場も弁えず叫んでしまった。

 こんな場所で出される紅茶だ。さぞかし上等なものが出てくるのだろうとは思ったが、その予想を簡単に超えてきた。

 味、風味、喉越し、後味、口の中にわずかに触れた時点で高貴な味が広がり、その芳醇な風味は喉を通って体に伝わる過程でさえ多幸感が押し寄せてくる。

 間違いなくこれまでで最高の味だ。究極とも言っていい。およそ想像できる範囲を飛び越え、味の知覚領域さえ広がったようだ。きっと、驚いて気管部に入っても幸せになれるだろう。

 俺の反応が面白かったのか水神エルゼルは笑っているが、こんなもん出されたら他の奴だってそうなるだろう。


「仮にも水神を名乗っている者が下手な飲み物は出せないだろう。本当は水そのままが一番美味いんだが、客人に出すのにただの水は失礼に当たる事も多くてね」


 そんなレベルじゃない。これは人間の理性さえ簡単に破壊する味だ。一度飲んでしまえば、もう一杯飲むためになんでもするという人さえ現れるだろう。


「……噂には聞いていましたが、これは一般人が口にしてはいけないものですね。一杯のためだけに国が滅びかねない」

「本来、ここに来るような客人でも出さない代物だからね。これからの面倒事に対する個人的なお詫びも兼ねている」


 詫び……どんな面倒事か知らんが、これは大層な詫びだ。

 夜光さんの反応も、この紅茶を口にしたあとでは冗談に聞こえない。成分的な依存性はないだろうが、味だけで麻薬と同様の中毒性を持ちかねない。

 見かけや存在感、戦闘力ではなく、たった一杯の紅茶で亜神の力を理解してしまった。正に水の神という事か。

 ……いかんな、完全に飲まれてる。相手は気を使っているのかプレッシャーさえ感じさせていないのに、強大さを身に染みて実感してしまった。相手が友好的で気安いから問題はないが、これが真っ当な交渉事ならこの時点で負けだ。

 非常に名残惜しいが、鉄の精神を持ってカップを置く。これ本題じゃねーし。


「……それで、三〇〇層の管理者が持ち込んだ話っていうのはなんだったんでしょうか」

「ああ、話を戻そうか……といっても物騒な話じゃない。先ほども言ったように、彼女の目的は交渉だ」


 彼女……女性なのか。つまり性別の存在する種族という事になる。軍艦みたいな意味じゃないだろう。

 人間じゃないんだろうな。ネームレスの反応を見る限り、人間が攻略を進められるケースは稀のようだし。


「俺たちが何かを手伝うといっても、今回は遠征の時のように戦争や妙なダンジョン攻略は発生しないと?」

「今後絶対にないとは断言できないが、現段階ではなさそうだ。先方についても、味方と判断するには現時点では未知な部分が大きいと言わざるを得ないが、少なくともネームレスのような無軌道さはない」

「……管理者としてはあいつが例外って事ですかね」


 寄生やら洗脳やらを駆使して世界を滅亡に導く輩なんて、正直何度も相手にしたくない。そのすべてで被害を出さずに動くのはダンマスだって難しいだろう。前回だって、俺たちに影響のある範囲での被害が少ないだけで戦争当事者の両国は結構な被害を出している。ラーディンなんて目も当てられないような状況だ。

 交渉から始まってくれる相手ばかりなら、突発的な被害は防げる。更に深層の管理者と遭遇しても対応は可能だ。


「彼女の話を真実とするなら、無限回廊の管理者というのはネームレスのような輩のほうが大多数らしい。残念ながら、彼女や主殿の方が例外という事だ」


 しかし、その淡い期待は簡単に砕かれた。今回はともかく、今後遭遇する相手は話が通じない可能性の方が高いと。


「先方もまともに話の通じる相手が欲しかったのかもしれないな。今回の交渉の目的も、世界同士の交流、可能ならば無限回廊攻略の共同戦線を構築したいという事だった。どうも、過去に接触した世界群の中でも、特にここ……迷宮都市のように組織立って攻略を進める世界は稀有なようだ」


 一方、その例外さんはすごく普通だ。言葉だけ聞くと、せいぜい国同士の外交にしか聞こえない。

 話が通じない相手ばかりという事実を悲観するのではなく、その中にも話が通じる相手がいた事を喜ぶべきか。


「第三〇〇層の管理者って事は権限的にはあちらのほうが上ですよね。従属でもしろって話ですか?」


 ダンマスの目的はあくまで地球への帰還であって、この街の繁栄じゃない。内容次第ではそれもアリだろう。

 無限回廊攻略のために今の迷宮都市を構築している以上、簡単に売り渡すというのは考え難いが、それでも条件次第では有り得る。あの人の置かれた状況を考慮するなら、そこは信用してはいけないラインじゃないだろうか。


「いいや、先方が求めているのは基本的には対等な協力関係だ。運営担当として創り出された身では理解し難い価値観ではあるが、必要なのは無限回廊を攻略するための戦力と組織構築のノウハウで、街や世界そのものには興味がないのだろう……と、主殿は言っていた」


 そこら辺の価値観はやはりネームレスに近いという事か。世界の管理者っていっても政治家ではないって事だ。


「そもそも、主殿が真っ当な第一〇〇層管理者でない事は向こうも承知だ。細かい条件を決めるのは交流を始めてからになるが、そう無茶な事にはならないだろう」


 ……少なくともネームレスは瞬殺だったからな。あの人と普通の管理者の間には権限だけで飛び越えられない壁があるという事だ。

 今回の話はダンマスとしても願ってもない話だろう。異なる文明、世界との外交はさぞかし面倒だろうが、それを差し引いても単独で攻略を進めるよりは遥かに効率はいい。

 < アーク・セイバー >や< 流星騎士団 >に見られるような競争原理だけでもない。この場合、重要なのは多様性。物事を複数の価値観で観測し、検討し、対策し、次に繋げる。無限回廊のような巨大な未知に対して、違う視点を持った存在が協力し合うのは極めて有用だ。これが情報交換だけで不干渉という結果に終わるとしても十分な戦果といえる。

 なんというか、真っ当過ぎてむしろ裏があるんじゃないかと疑うレベルだな。


「あの……本当に信用できるんですかね? 例外っていわれても権限持ちの参考例はアレなわけで、どうしてもマイナスの印象がチラついて安心できないんですけど」

「それを含めての話し合いと段階的交流だな。主殿は圧倒的戦力を背景にした恫喝ならともかく、国家レベル以上の外交が得意というわけでもないからかなり慎重に動いている」


 主人の事なのに、随分と評価が辛辣である。

 そら、大体一方的なパワーゲームが成立するから、外交的手腕なんて磨かれようがない。王国相手に何しているのかは、辺境伯を見れば大体分かるし。あの人、ダンマスの顔見ただけで『げぇっ!』とか言ってたぞ。


「ダンジョンマスターたちは、ウチの故郷で盛大に失敗してますからね。長く続いて歪になった国家の構造は権力や暴力だけではどうしようもない部分もある。都市丸ごと壊滅させても、あとに残ったのは無軌道な混乱で、根切りにして更地にでもしない限り収拾がつかない。いや、当事者として責めているわけじゃないですが」

「あの教訓も主殿にとって苦い経験だろう」

「その点、今回の件は利害関係がすっきりしている分、国家同士の関係より遥かに分り易くていい。国が崩壊しても個人の利益を奪い合う輩に見習わせたいところです」

「吹き飛ばした相手に対して団結するでもなく、身内同士の権力闘争に終始するような国は静観するに限る。君が正統な王位継承権を持つ者としての責務を果たすつもりなら、主殿も協力は惜しまないだろうが」

「全力でお断りします。根切りしたいのなら手伝いますけど」


 夜光さんの故郷は、それほどまでにひどい状況なんだろうか。


「まあ、そんなわけで今のところ世界間の交渉は順調と言っていい状態だ。もちろん、まったく異なる文明相手なわけだから認識や条件の摺合せは大変だろうが、それは必要経費だろう。……ああ、一つ絶対的な条件としてネームレスの引き渡しを要求されたらしいね。どうも長年殺しあった宿敵らしい」


 ……それは渡しても何も問題がないんじゃないかな。協力的な情報源が他にあるなら、用済みになる可能性も高い。

 先方も宿敵を捕まえて殺す手段まで確立した恩人相手なら協力は惜しまないだろう。個人的にも助けたい気持ちは皆無だし、味方をする奴もいないはずだ。もし改心して味方になります、とか言われてもノーサンキューです。


「現在は、殺し方を含めて先方とネームレスの三者間で話し合いを続けているようだ。自分の殺し方についての積極的協議など、理解し難い話ではあるが」

「じ、自分の殺し方を協議してるんですか……」

「死ぬ事は最後の未知として楽しみにしているそうだ……つくづく生物として終わっているな」


 直接会った事のないユキには衝撃だろうが、俺はむしろありそうな話だと納得していた。

 あいつを理解するのはほとんど不可能に近いから、諦めたほうがいいんじゃないかな。


「えーと、ネームレスの処遇は置いておけば、現段階では特に動きらしい動きはないという事ですかね?」

「最終的には超深層攻略を最終目的とした同盟を目指し、文明、戦力の世界間の積極的交流を段階的に行う、というのを目標にお互いの状況確認と情報の摺合せを行っている最中だ」


 あれ、終わっちゃったのか? それだと、この状況の説明が付かないんだが。


「……というところで本題なんだが、君たちに第三〇〇層管理者の世界との交流で仲介役に立ってもらいたい。段階的交流の先陣だ」

「は?」


 いきなり何言ってんだ。本題に至るまでの過程が抜けてるじゃねーか。


「……すいません、何がどうなってそうなったのか分からないんですが」

「まあ、そうだろうね。主殿もせいぜい今回のパーティのついでで、現状説明と相手を紹介をする程度の思惑だったらしいからね。君たちを……いや、渡辺綱を指名したのはあちら側だ」


 何故そんな展開になる。しかも、わざわざ俺の名前に言い換えるって事は、俺本人に用事があるって事なのか?


「理由を聞いてもいいですかね。世界同士の仲介役なんて、正直荷が重過ぎると思うんですが」

「実は、君を指名した理由については、主殿を含めて誰も把握していないんだ。仲介役の候補として何名かの情報を提示したあとに指名されたから、元々君を知っていたという線はないはずなんだが……」


 という事は、ダンマスも俺をそんな面倒なポジション候補として投げ込もうという意思は持っていたという事だ。何してくれてるねん。

 まさか、その管理者が俺の知り合いというわけでもないだろうに……ないよな? もしもドレッシングさんの転生体です、とかだったら泣いて逃げるぞ。そういうのはトマトさんに任せるべきだ。……美弓が指名されてないって事はその線は薄そうだけど。

 こないだの遠征見る限り、裏方の仕事すら斡旋している時点で候補には入るだろうし。


「……そもそもこれ、断れる話なんですかね?」


 こちらのメンツを指名して、他の出席者とは別に迷宮都市の最高管理者の一人が交渉の場に現れる。

 ダンマスお得意のサプライズってだけでもないだろう。ここに来た時点で強制力が発生しているのは理解しているはずだ。


「内部だけの話ならばなんとでもなったんだが、心苦しくはあるが強制という形にさせてもらいたい。もちろん十分な報酬は用意するし、非公式な場なら微妙に不甲斐なかった主殿を土下座させても構わない」

「いや、ダンマスを土下座させるのはちょっと……」


 嬉しくないし、そもそも主人を土下座させるなよ。そんな軽いもんじゃないだろ。大役で責任も重そうだが、別にダンマスを責めるつもりはないし。

 意見を聞こうとユキとサージェスに視線を向けるが、どちらも断る気はなさそうだ。


「まあツナだしね」


 そろそろ否定できなくなってきたのは認めざるを得ないが、なんでもその一言で片付けようとするのは良くないと思います。


「リーダーの手間以外には問題はないかと。長期に渡る話だとしても、ここにいないメンバーで反対する人もいないでしょうし。……ただ、個人的に一点確認したいのですが、本件に関わる事で別の世界に赴く事は有り得るのでしょうか」

「現段階ではなんとも言えない。あるとしても、無限回廊の攻略に支障のない範囲で留めるようにはしたいと思っているが」

「世界を渡る手段と権利、あるいは異世界の情報が優先的に手に入るのでしたら、私としては積極的に賛成します。もちろん、最終的な判断はリーダーにお任せしますが」

「……分かった。それは主殿に伝えておこう」


 そこにどんな目的があるかは分からないが、サージェスは乗り気らしい。

 ひょっとしたら真面目な話なのかもしれないが、未知の性癖を異世界というフロンティアに求めてる可能性も否定できないのがサージェスの怖いところである。……異世界文明の拷問に興味があるとか。


「とりあえず、こちらが用意できる報酬はクエスト発行システムでいうところの難易度:7を基準として欲しい。これは、異世界との仲介役を引き受けて正式に交流が始まるまでの報酬だ。その後、依頼が発生する場合は別枠で報酬が発生するだろうが、内容についてはその度に検討だな」


 太っ腹……なのか? 難易度:7基準って言われてもその基準が分からん。

 クエスト発行システムの難易度って【易】と【普】と【難】の三段階なんだけど。ちなみに新人戦の無茶振りで【難】だったはずだ。


「……すまない。迷宮ギルドでいうところの【難】の事だ。つまり、クエスト発行システムで提示できる最高報酬を基準として構わない」


 俺たちの頭の上にハテナが浮いていたのか、水神エルゼルは補足を入れてくれた。

 良く分からないが、あのシステムの難易度は本来数字で決めていて、ギルド側でそれを簡略化しているとかそんなところなのだろう。

 ……といっても、いきなり報酬と言われてもな。遠征での無茶振りも個別に交渉したいところではあるし。


「ちなみに、ダンジョンマスターからは< 五つの試練 >の二つ目を先行攻略した事にしてもいいと言われている」

「よし、請けよう」

「おいコラ、勝手に決めるな」


 間髪入れずにユキが賛成するが、それは反則だろ。ユキがいる以上、その報酬を提示されたら断るのは不可能に近い。


「個人的には少々卑怯だと思うのだが、それくらいはこちらも本気で、面倒事を押し付けてしまったという自覚もあるという事だな」

「はあ……」


 まあいい。内部だけで制御の利かない事態という事もあって、おそらくはダンマス側もかなり譲歩しているのだろう。

 新人戦や< 鮮血の城 >の難易度を考えるなら、請けるだけでほぼ報酬が保証される今回の依頼は正にボーナスといっていい。

 どちらにせよ、請けないという選択肢はないのだ。ここはいつものように理不尽な展開を飲み込むとしよう。意趣返しとして、俺の報酬はダンマスが困りそうなものにしたいところだな。

 美人でスタイル抜群、普段はお淑やかだけど夜はド淫乱に変貌する嫁さん用意してとか。……スタイル抜群って時点でトマトさんは排除できるよな。


 そして、今回の報酬は俺たちだけに用意されたものであり、夜光さんが関わるとしても無報酬。水凪さんは通常業務の延長としての扱いになるらしい。

 その二人は特別何も反応していなかったが、元々そういう認識なのだろう。




-2-




『まず、最初にお願いしたいのは先方の代表との顔合わせだ』

『……ひょっとして、ここに来てたりするんですか?』

『三日前から三名滞在している。そして、先方から一つリクエストがあってだな……』




「はあ……なんでこんな事に」


 通路の先を行く水凪さんが頭を抱えている。その後姿に漂うのはすでにいつも通りの印象で、お仕事モードのそれとはかけ離れたものだ。

 水凪さんにとって、これまで俺関連で超展開を体験したのはワイバーンくらいだから耐性がないのかもしれない。ユキはもう諦めてるし、サージェスなんて最初から気にしてないぞ。他の奴らもそろそろ怪しい。俺本人は甚だ心外であるが。


「それで、< 四神の練武場 >ってのはどんなところなんだ?」


 異世界交流第一弾として依頼されたのは、あちらの世界代表者との肉体言語による交流だった。

 無限回廊攻略という大前提があっての協力体制だから理解できなくもないが、ようするに模擬戦でもやってお互いの事を手っ取り早く理解しようぜ、という事らしい。会話の通じる相手ではあっても、脳筋さんという事だ。

 相手は現在滞在しているという三名の使者。ただし、代表とはいっても戦力としては一線級ではないようで、中級ランク程度の相手を想定すればいいらしい。元々俺たちが候補として挙がっていたのは相手側の代表に合わせての事のようだ。

 負けてもまったく問題ないが、手を抜いたりせずに全力でやるようにと指示を受けた。まあ、脳筋さん相手に舐められたらまずいからね。

 ちなみに、俺たちの相手はすでに中央宮殿にある< 四神の練武場 >というダンジョンでスタンバっているらしい。


「中央宮殿に移動しながら説明しましょうか。あそこは時間調整のないダンジョンですから、先方を待たせるのもなんですし」


 歩きながら、これから行く< 四神の練武場 >について説明を受ける。


「< 四神の練武場 >は私たち四神の巫女の鍛錬の場として用意された専用ダンジョンです。無限回廊のような探索型ではなく時間調整機能もありませんが、レベルアップも可能な訓練場ですね」


 なんと、巫女さんたちの園という事か。空気の美味そうなダンジョンである。

 聞く限りでは専用のダンジョンとはといっても、各宮殿に合わせた入り口が四つあるくらいで、構造としては通常のダンジョンと大差ないらしい。レベルアップの可否という違いはあるが、地獄の無限訓練で使った< アーク・セイバー >の訓練用ダンジョンが近いだろうか。


「拳闘士ギルドの< 虎の穴 >みたいなもんだな。俺たちでいうところのトライアルの代わりなんだろう」


 夜光さんの補足によれば、迷宮ギルド以外のいわゆる戦闘を行う者が所属するギルドにはそれぞれ専用の訓練用ダンジョンがあるそうだ。

 その職業に必要な技能を身につけるためだけに用意されたトライアルの亜種のようなもので、過去に登録したレスラーのコピーと試合したり、鉱山での採掘ができたりと、内容はギルドによって様々だが、ベースレベルもLv5程度までは鍛えられるらしい。

 実際、迷宮都市において一般人の境界線はそのあたりに引かれている。スポーツ選手などの制限もこのあたりがメインのはずだ。

 それ以上に鍛えたい者は冒険者として登録しろという事だな。で、ミノタウロスにミンチにされると。

 訓練用ダンジョンで鍛えてからトライアルに挑戦する、という方法もあるが、冒険者を本業に考えているなら直接トライアルに挑んだ方が効率はいい、という程度のダンジョンでしかないらしい。

 ……この街の職人はトライアル中盤までは突破できる人が大半だと考えたほうがいいな。ジェイルくらいなら勝てそうだ。


「あれ、でも水凪以外の巫女さんって冒険者じゃないんだよね?」


 その疑問はユキのものだ。俺が他の巫女さんたちの存在について知ったのはつい先日の事だが、遠征の際にでも聞いたのかもしれない。いつの間にか呼び捨てだし。

 四神の巫女というからには一般人とは異なる資質や技能は必要になるんだろうが、専用にダンジョンを用意してまでレベルアップする必要があるのかというと確かに疑問だ。少なくとも迷宮都市の運営管理には必須ではない気もする。


「そうですね。迷宮都市の運営という観点から見れば戦闘訓練は必要はありません。ただ、実は私たちにはそれとは別の……位階を上げ四神様に近付くという命題が課せられているので」


 この場合の位階ってのはレベルの事なのか、それとも種族としての格の事なのか。

 ……実現可能かどうかは置いておくとして、亜神になる事は目標として掲げてそうだ。また大変な目標だな。


「無限回廊じゃ駄目なの?」

「問題ありませんよ。ただ、< 四神の練武場 >は通常のダンジョンに比べて様々な制約が省かれ、私たち用に最適化されていますので、鍛錬の効率だけを考えるならこちらの方が上なんです」

「でも、水凪が冒険者やってるって事は、何か理由があるんだよね?」

「結局は無限回廊の模造品なので訓練にも限界があって、どこかで無限回廊に挑む必要があるんですよ。私が冒険者をやっているのは、そういったノウハウを確立するという目的があります」

「水凪さんは未知の食材と食費のために冒険者やってると思ってたんだが」

「それもあります」


 あるのかよ。いや、知ってたけどさ。


「結局のところ私たちで二代目ですから、まだまだ試行錯誤の段階なんです。全員、< 四神の練武場 >の訓練範囲を超えられてません。特に土亜は拝命してから日が浅いですから、戦闘力は一般人のそれと変わりませんし」

「土亜ってのは水凪さんがプロフィールくれなかった子だよな。どんな子なんだ?」

「何もらってるのさ……」


 巫女さんの情報だぜ。ユキさんには理解できないかもしれないが、そらもらうよ。

 まあ、プロフィールといっても、水凪さんのくれた情報は本当に最小限だけのパーソナルデータだ。一般に公開している冒険者の情報と大差はない。

 名前と容姿、年齢や趣味・特技と、ついでに戦闘スタイルも書いてあったが、一番聞きたかった好みのタイプの情報はなかった。しかも丸々一人分歯抜けである。


「あれ? すいません、ひょっとしたら少し古いデータを送ってしまったかもしれませんね……あ、失礼」


 会話を遮るように、水凪さんが突然立ち止まる。

 耳を押さえる仕草から察するに《 念話 》だろう。周りの音が混在しないようにしてるんだけど、あれ必要ない時でもやっちゃうんだよな。


「……たった今エルゼル様から《 念話 》で補足がありました。先方の要望で模擬戦は一対一で行う事になったので、< 四神の練武場 >の各門へ個別に案内するようにと」


 夜光さんと水凪さんが参加するというイレギュラーへの対策なのか、元々その予定で伝え忘れていただけなのか、とにかく対戦形式は一対一になったらしい。


「となると、私が案内するのはユキさんですね。他のお客様の対応をしている焔理以外の二人が、渡辺さんとサージェスさんを案内するようですが……夜光さんはどうしましょう」

「んー、せっかくだから渡辺君についていって見学するかな。< 四神の練武場 >とやらも興味があるし」


 そうだよな。勝たなければいけないというわけでなく、負けてペナルティがあるわけでもない。二対一では力を見せつけるという目的も達成し辛い。チーム戦なら組み合わせを変えようもあるが、これじゃ同行してもあんまり意味はないな。せいぜい二戦目をやるくらいだ。


「夜光さんとしてはこういう展開を望んでたわけだし、出番がないのは不服じゃないんですか?」

「前回みたいに強制参加だったら腕の振るいようもあるが、模擬戦じゃな」


 そりゃごもっとも。相手も俺たちくらいの戦力だって話だし、そんな相手に夜光さんはオーバースペックだろう。


「ここまでの展開でも十分楽しめたぞ。俺の勘も捨てたもんじゃないな」

「そうっスね……」


 強制イベント進行だったしな。




 再度昇降台を使って地上まで降り、中央宮殿方面へと水神宮殿を抜ける。上層部にあった応接室から見た限りでは良く分からなかったが、いざこうして建物を目にするとこの宮殿の巨大さが良く分かった。

 何に使うのかは知らないが、高層ビルの大きさのまま面積も広がったような超巨大宮殿だ。俺たちがいた応接室も地上数十階という高さだったのだろう。……地上ってのも変な話だよな。ここ天空に浮かんだ島だし。

 異世界交流とはいうが、こうして平安京のような建物が並ぶ中を歩いていると、ここが異世界のようにも感じる。

 人影はない。迷宮都市の運営管理を担当する者の中にはここを訪れる者もいるらしいが、少なくとも視界には入らない。人っ子一人どころか動物も鳥も虫の気配もない死の街だ。これらの建物が廃墟ならそれらしくもあるが、正常に維持されていると余計に不気味に思えてくる。

 時刻はすでに夕方だ。外気から守られているのか肌寒くはないが、かなり薄暗くなってきている。

 俺たちが中央宮殿に向かうのに合わせて、街全体に明かりが灯った。電灯が設置されているわけでもなく、道や主要な建築物がぼんやりと光るような神秘的な光景だ。


「なんかRPGの終盤エリアっぽいよね」

「なら領主館がラストダンジョンだな」


 ゲーム的に考えるならユキの感覚は間違っていないだろう。新宿駅とは違った意味でラストダンジョンである。

 この場合のラスボスは領主さん。これまで聞いた話だとダンマスに説教されるドジっ子のイメージが強いが。


 中央宮殿手前にある超巨大な門を潜り、中の敷地へと足を踏み入れる頃には完全に暗くなっていた。

 空を見上げれば雲に遮られる事のない満天の星々。これで月でもあれば更に風流なんだが、残念ながらこの世界に月はない。……夜光さんのクランである< 月華 >も地球由来の情報から取って付けたものなのだろう。暦のほうは知らん。

 無機質なまでに整然とした敷地の先にあるのは、四方の宮殿よりは規模の小さい、だがそれ以上に威圧感を放つ建物だ。

 それはこれまで相対してきた強敵の放つプレッシャーに似ている。水凪さんや夜光さんは涼しい顔をしているが、ユキもサージェスも戦闘態勢に似た状態へと移行したのが分かった。

 気を張っていないと呼吸すらままならない。手足がひどく重く感じる。中央宮殿に近付くごとに深海へと引きずり込まれているような幻覚さえ覚える。

 中央宮殿に足を踏み入れると、そのプレッシャーはより強烈なものになる。まるで何かに捕食されたような、巨大な何かの口に飛び込んだような感覚だ。心弱い者だったら立ってもいられないだろう。究極まで研ぎ澄まされた神性が訪れる者を選別しているかのように纏わりついて離れない。


『四神宮殿は……通り抜けるだけでも気疲れするから、ワシだったら勘弁願いたいな』


 なるほど。これは好んで訪れたい場所じゃない。ダダカさんの感覚は真っ当だ。

 ……出席を辞退したサンゴロは賢明である。何か危機感のようなものを感じ取ったのかもしれない。


 中央宮殿の中心部に位置する< 不可思議の門 >ではなく、俺たちは水凪さんの後について< 四神の練武場 >へと向かう。

 訪れる者もほとんどいないはずなのに無数にある部屋を素通りして地下への階段を下ると、水神門のような地下祭殿が広がっていた。奥にあるのは形こそ鳥居だが、波打ってるところを見ると転送ゲートなのだろう。


「ようこそいらっしゃいました」


 そこで待っていたのは水凪さんのものとは色違いの巫女さんだった。< 四神の練武場 >の風神宮殿側の門までの案内役という事で、ここで待機していたらしい。

 水凪さんから事前にもらったプロフィールによれば、彼女は風神ティグレアの巫女、四神宮風花。水凪さんの『水』のように名前に『風』が含まれているが、巫女さんの家系にはそういう命名ルールがあるのかもしれない。

 年は俺と同じ十五歳。おかっぱ頭の人形さん的な可愛らしさだ。ロングの方が好みではあるが、これはこれで素晴らしい。ばっちりストライクゾーンだ。

 確か趣味・特技は絵画、彫刻と芸術方面に寄っていたはず。もう少し詳しい情報があれば良かったんだがな。冒険者でない相手の戦闘スタイルとかスキル構成なんて、無駄情報でしかない。

 彼女の担当はサージェスなわけだが、俺の案内役がいないな。地神の巫女さんは遅刻でもしてるんだろうか。


「ほうほう、なかなか良いものをお持ちで」


 お仕事モードっぽい状態は瞬時に立ち消え、風花さんはニヤニヤとした表情でこちらに近付いてきた。

 ……なんだ。マジマジと見られてるんだけど、ひょっとして好みのタイプとかそんな感じなのか? 地味と言われて続けてきたが、ついに分かる人が現れたのか。


「ちょっとスケッチしてもいいですか」

「……は? い、今って事か?」

「大丈夫、すぐ終わります。サラサラサラ~」


 風花さんはどこからか取り出したスケッチブックとペンで写生を始めた。案内人が来ていないから時間があるといえばあるのだろうが、唐突過ぎる。

 この展開はなんだ? 俺はどうすればいいの? キメ顔した方がいいんだろうか。

 手の速さが尋常じゃないんだけど。残像すら残すそのスピードはオーク麺を前にしたMINAGIと同等の……う、頭が……。


「できました。記念にどうぞ」


 と考えている内に終わったらしい。本当にすぐだった。くれるみたいだし、せっかくだからもらっておくか……。

 ふむふむ、わずか数秒で描いたとは思えない。そこには俺が長年親しんだものがハイクオリティで描かれている。これはまた、なかなかリアルな……。


「って、チ○コじゃねーかっ!?」


 スケッチブックに描かれていたのは、無駄にリアルな男性器だった。しかも見覚えのある……というか俺の臨戦態勢時のモノと完全一致する。

 え、この子なんで俺のマイサンの形状を把握してるの? まさか、顔見ただけで分かるとかじゃないよな?


「夜光さん、夜光さん。久しぶりに夜光さんもどうですか? 前のやつと成長具合を比べてみましょう」

「断固拒否する」


 説明を求めて水凪さんに視線を送ると、非常にバツの悪そうな苦笑いをしていた。

 清楚でお淑やかな大和撫子を過剰に期待する俺もアレだというのは分かるし、人間誰しも何か問題はあるだろうとは思うが。……さすがに初対面でチ○コ描いたスケブ渡されるとは夢にも思っていなかったよ。


「渡辺さん、渡辺さん。実は私、渡辺さんのところに大変絵心を刺激される方がいるんですが、今度紹介願えないでしょうか」

「だ、誰の事だよ」


 誰描いてもチ○コになるんじゃ、大して変わらないような……。つーか、なんて言って紹介すればいいんだよ。


「ガウルさんです」

「さすがにマジ泣きするから、やめてあげて下さい」

「えー」


 局部模写になってもダメージデカイのに、もしも普通に全身画を描かれてしまったらガウルさん立ち直れないだろ。


「じゃあ、サージェスさん。案内しますね。宜しくお願いします」

「はい。風花さんはなかなかのド変態ですね」

「嫌ですねー、褒めないで下さいよー。あ、そういえば、サージェスさんが出場したこの前の試合の事なんですが、コーナーポストに登る際はカメラの位置を考慮すると、もう少し角度を調整すると画面映えすると思うんですが。モザイクをかけるにしても実は微妙な差が……」

「なるほど、勉強になります。ところで、アレは私ではなく覆面戦士ラージェスなんですが……」


 すごい勢いで意気投合したサージェスと風花さんが、頭悪い会話に花を咲かせつつ移動していった。

 スケブを持ったまま放置された俺は一体どんな反応をすればいいというのか。


「……ユキさん、これいる?」

「いらないよっ!? こっち向けないでよっ!」


 ……俺もいらないんだけど。

 くそ、巫女さんへの幻想を粉々にされたってレベルじゃねーぞ。もう残弾は二発しか残っていない。


「……まさか、俺たちの案内する子もあんなんじゃねーよな」

「さすがにアレはないです。というか土亜はいい子ですよ」


 土亜ちゃんね。最近巫女になったって子だったか。

 いい子ですと言われても、俺が求めているものとは違う気がするんだよな。女がいい子ですって紹介してくる子は大抵微妙なんだ。いや、経験談とかではなく。

 もう巫女さんへの幻想は捨てたほうがいいのだろうか。……いや、さすがにアレは最大瞬間風速だろう。いくらなんでもアレ以上が現れる事はないはずだ。きっと、清楚でお淑やかな和風美人さんが待っているに違いない。


「といっても、あの子を一言で言い表す言葉は思い浮かびませんね……最年少で選出されただけあって能力は飛び抜けているんですが、人格面は普通にいい子ですよ」

「最年少……」


 風花さんが俺と同い年なわけだから、年下って事だろうか。年下の巫女さんか……。


「すいませーん。遅れましたー」


 と、そんな事を話していると、その本人が現れた。

 元気で、第一印象からして好感の持てる子だ。小さい体に合わせた特注らしき巫女服も良く似合っている。


「はじめまして。地霊……じゃない、間違えました。四神宮土亜です」

「ああ、渡辺綱だ。よろしく」


 うん、挨拶だけで分かった。多分、この子は変な特徴は抱えていない。確信が持てるくらいに『いい子』だ。


「……ところで、土亜ちゃんは何歳かな?」

「七歳ですっ!」


 だが、ガチ幼女だった。いくら俺のストライクゾーンが広いといっても、さすがにそのコースは危険球である。これに手を出すとか、ロリコンってレベルじゃない。

 ちなみに、ユキさんには大好評だった。




-3-




 俺と夜光さんは、そのまま幼女に引き連れられて俺の相手が待つ鳥居……いや転送ゲートへと移動する。

 移動中に少し土亜ちゃんと話してみたが、子供が持つ謎の元気パワーはそのままに受け答えや所作は洗練されているという、少しアンバランスな印象を受けた。

 四神の巫女というのはそれぞれ専属の一族から選定されるルールはあるものの、選考基準は非常に厳しい。加護を受けるための適性の他、高度な学力、教養など多くのものが求められるそうだ。その基準に年齢は関係なく、あくまで適性と能力のみで選定されるという事だから、この子はつまり大人顔負けの能力を備えているという事になる。

 こんなにちっちゃいのに、迷宮都市運営の中枢に関わるなんて偉いものだ。俺の煩悩は刺激されないが、微笑ましくて癒されるね。

 ちなみにこの選考基準通り、オーク麺のブラックホールさんや初対面で本人のチ○コのイラストを渡して来る人も能力的には優秀なのだ。

 ……もう理想の巫女さん像は最年長の焔理さんに期待するしかないな。


「急な話だったんで事情は聞いてないですけど、頑張って下さいねー」


 < 四神の練武場 >へ入るのは俺と夜光さんだけで、土亜ちゃんは外で待機である。

 このダンジョンではそのまま時間が流れるらしいし、土亜ちゃんを待たせるのも悪いから早めに済ませたいところだ。


「そういえば俺、渡辺君の戦闘を直接見るのは始めてなんだよな。やっぱり、模擬戦でも極限の死闘を演じたりするのか?」

「いや、ないです。超地味なんで面白くないと思いますよ」


 本番でそういう状況になる事が多いのは認めざるを得ないが、訓練でまでそんな極限状態だとさすがに保たないだろう。

 実際、俺を含めて冒険者の訓練なんて地味なもんだ。基本的には地道な繰り返し、反復練習と講習がメインである。あと筋トレ。

 最近はククルがメニューを作ってくれるからマシになったが、どんな訓練をするかも自分たちが検討しないといけない。大型クランはこういう方面のノウハウも確立できている分、強みがあるよな。専任のコーチがいたりもするらしいし。


「ここが< 四神の練武場 >か……。なんというか、面白みに欠ける造りだな」

「外と同じですね」


 俺たちが足をする踏み入れた< 四神の練武場 >のフロアは中央宮殿そのままで、ただの大きな部屋だった。

 装飾を含めて雅な造りではあるものの、外と同じというのは手抜きにしか見えない。まあ、巫女さんたちしか使わない場所だから、気を遣うようなものでもないんだろう。

 そこでしばらく待っていると、反対側の通路から俺の相手がやって来た。


「ありゃ、二人?」


 通路の奥から出ていたのは槍のような形状の長柄武器を携えた銀髪の少年。

 背も低く幼さが残る風貌で、年の頃は十代中盤……つまり今の俺と同じくらいかわずかに下だろうか。俺の場合は背や容姿、性格含めてあんまりそんな感じはしないが、本来の十五歳ってこんな感じだ。

 銀眼銀髪は特徴的ではあるが、一見普通の少年である。そう、"人間"の少年に見える。


「……人間なのか?」


 夜光さんの呟きは俺の疑問を代弁したものだ。

 ここにいるという事はつまり世界の代表なわけで、いきなり模擬戦を提案してくる事から考えても実力者なんだろう。

 だが、ネームレスが言っていたように、ただの人間が無限回廊を踏破するのはかなり厳しいわけで……、てっきり見た事のない種族が出てくるものだと思っていた。


「……人間? おー人間、ニンゲンなー。そーそー、俺ニンゲンだよ」


 おちゃらけているように聞こえるが、酔っ払ってるわけでも馬鹿にしてる体でもない。人間と呼ばれ、それを肯定する事のどこに面白い部分があって笑顔なのかは分からないが。


「んで、どっちの兄ちゃんが渡辺綱だ? 俺、渡辺綱って奴と戦って来いって言われたんだけど。……あ、ひょっとして渡辺と綱っていう二人組みだったりするのか?」


 二人合わせて渡辺綱でーすって……んなわけねーよ。

 突然依頼された俺たちはともかく、そっちは事前に話通ってるんじゃないのか? 俺の情報見て指名してきたんじゃないのかよ。


「俺が渡辺綱だ。こっちは夜光さんっていう別人だな」

「ほー……???」


 紹介したはいいが、ならなんでここにいるのかと少年の頭にハテナが浮かんでいた。


「俺は立会人みたいなもんだ。渡辺君が優先だが、やり合ったあとで不完全燃焼なら相手になるぞ」

「おー、タチアイニンなー。とにかく戦えばいいんだな」

「お、おぉ……」


 やだこの子、すごく馬鹿っぽい。絶対意味分かってない。こんなのが世界の代表でいいのか?


「よーし、じゃあ早速やるかー」

「やるのはいいが、そっちの名前くらいは聞いておきたいんだが」

「名前?」


 何故、そこでハテナが浮かぶよ。


「あー、名前、名前ね。……俺の名前、なんだっけ?」


 いや、知らんがな。こっちが聞いてるんだっての。あれか? 世界間の文化差による常識の違いなのか?


「えーと、髪」

「髪?」

「そうそう、俺の髪の色」

「……銀?」

「それだっ! 銀っていうのが俺の事だ。名前」


 頭痛くなってきた。馬鹿にされてるわけじゃないよな。


「なんだよー。名前もらったのつい最近なんだから、しょーがねーだろー」

「……ああ、そういう事ね」


 どうやら、常識の違いだったらしい。

 こいつのいた世界には、名前って概念がないのか。不便そうだが、ネームレスの例もあるし理解できない事もない。

 漢字があるわけもないし、銀色って日本語もないだろうから、『銀』っていう名前もこっちに来てから付けられたんだろう。

 惜しかったな。金髪だったらあだ名は『金太郎』で確定だったのに。そしたら、めでたく四天王入りだ。


「おっしゃこーい!」


 そんなこちらの脱力感も知らず、銀はフロアの真ん中に移動して自らの武器を振り回していた。

 ……なんというか、これまでにいなかったタイプである。


「渡辺君」

「なんスか?」

「アレ、相当変だ」


 いや、そりゃ話してれば分かるけど……。


「戦闘中、余裕があったら《 看破 》で見てみるといい。種族は異世界人だからUnknown表示なのはいいとして、あいつ、Lv1だぞ」

「は?」


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。こんなところに来るって事は、あいつは異世界の代表で、それなりの実力者じゃないのか?

 確認しようにも俺の《 看破 》じゃレベルは確認できないが……1ってのはいくらなんでも。


「足の運びもド素人だ。なのに見て分かるほどに強靭な身体能力を持っている」


 見た目で判断するのは早計だって事ね。アンバランスさも含めて慎重になって然るべき相手という事だ。


「まだかー」


 どう見ても裏があるようには見えないが。




「で、ルールはどうする? 模擬戦っていうなら、お互い死ぬまでやり合うつもりもないだろ」

「それでもいいけど、兄ちゃんの資質を見極めてこいって言われただけだから、それなりでいいぞ。HPが三分の一切ったら負けとかでいいんじゃねーか?」


 意外と真っ当なルールである。脳筋基準なら死ぬまでやるって言われると思ってた。


「そう言って、いざ負けたらお前の事を認めないとか、そういうパターンは?」

「ないない。つーか、こっちじゃ俺も本気出せねーし。これ終わったら美味いもの食わせてくれるらしいから、さっさと終わらせようぜ。腹減った」


 さっさと終わらせたいのは俺としても同感だが、なんか制限でもあるのかね。


 というわけで、緩い空気のままフロア中央で対峙する俺と銀。

 使う武器は< 不鬼切 >。こういう時にはコストパフォーマンス重視の《 不壊 》武器である。模擬戦で武器壊すような真似はしたくない。

 銀が構えるのは最初から持っていた長柄の棒だ。槍とも薙刀とも違う変な形状の物体が穂先にあるが、どう使ってくるのか分からない。

 構えは槍のものだが、正直堂に入っているとは言い難い。最近武器を使い始めた素人ですといっても通じるだろう。……先ほど言った本気云々が関係しているのだろうか。


「…………」

「…………」

「あ、夜光さん、合図お願いします」

「グダグダだな」


 始める取っかかりがなく、構えたまましばらく向かい合っていたので合図を出してもらう事になった。


「試合用の時計使うぞ。この様子だとグダグダのまま終わりそうにないから、制限時間も決めよう。十分時間過ぎたらアラーム鳴るからそこで終わりな」

「……なんかすいません」


 段取りが悪くて、ゲストさんに仕切らせてしまった。銀も少しバツが悪そうだ。




 夜光さんのセットした時計が試合開始のアラームが鳴り、先に動いたのは銀だ。最初は様子見するつもりだった俺は、そのままの位置で迎え打つ。

 一気に距離を詰めてくるダッシュは真っ直ぐ過ぎてフェイントを疑ったが、裏も何もなくそのまま全体重を乗せて武器を突き出して来た。半身だけずらしてそれを回避し、体勢が崩れたところへ反撃の一撃を加える。

 銀は攻撃体勢から切り替えができておらず、俺の一撃はそのまま直撃になると確信したが、振り切ってみれば掠っただけで逃げられた。かなり無理な体勢から回避行動を取ったにも拘らず、銀は次の瞬間には反撃に移っている。

 刺突ではなく、上段からの振り下ろし。今度はこちらが回避する余裕がない。そのまま< 不鬼切 >で受け止めると、想像以上の力が伝わってきた。


「ぐ……」


 力を逃して相手の武器を振り払い、一撃を置き土産に再び距離を取る。

 実戦なら相手に未知の部分があってもこのままラッシュをかけるが、これは模擬戦だ。正道に近い戦い方のほうがいいだろう。

 俺の一撃は大して効いていないのか、銀は再度距離を詰めてくる。繰り出されるのは再び初心者めいた、フェイントも何もない素直な攻撃。

 アーシャさんを始め、長柄武器を使う相手との戦闘経験は過去に何度も体験しているが、それらと比べてあまりに拙い。こいつのはただ振り回しているだけ。武器の扱いだけじゃなく、間合いや足の運び、呼吸の取り方、どれも素人だ。

 だが、そんなお粗末な技量とは裏腹に身体能力はずば抜けていた。先ほどの振り下ろしだって、Lv1と侮っていたらそのまま押し切られただろう。

 パワー、スピード、反応速度、そして多分打たれ強さも並以上。身体能力と技量があまりにもアンバランス過ぎる。


「ちょいやっ!」


 力任せに振られた武器の軌道をずらし、間合いに入り込む。

 一瞬目が合ったが、反応はしている。だが、体は動いていない。まるで、どういう風に対応すればいいのかを知らないかのように。


――――Action Skill《 旋風斬 》――


 横薙ぎに一閃。ガードも何もない直撃を受け、銀の体が飛ぶ。


「うおわわわわっ!!」


 追撃……はしない。そのまま構える。


「いってぇー! つーか、軽いなこの体」


 HPの感触はあったが、それ以外で防がれた形跡はない。モロに当たった。なのにあいつはピンピンしている。

 もちろん手加減したわけじゃない。俺の一撃はそんなに軽いものではない。さっきのだって、岩くらいなら簡単に砕く一撃だ。


「しかしいいね、いいね。戦ってるって気がする。力任せの暴力より遥かに面白い。玄の奴の気持ちが分かったぜ」


 一瞬にして先ほどまでとは雰囲気が変わった。

 違いは、溢れんばかりの闘争心。ただ楽しんでいただけの気配から俺を倒そうという意思が伝わってくる。


「……さっさと終わらせるってのは撤回する。少し面白くなってきた。時間一杯やろう」


 ……長い十分になりそうだな。




-4-




 新人戦で戦ったアーシャさんは自らの事を『戦いの中で成長する怪物』と言い、俺たちはそれに類似するものだと評し警戒した。

 圧倒的技量差は為す術もないほどに隔絶していて決して埋まる事のないものだというのに、警戒される側としては何故そこまで、と思ったものだ。というか、もうちょっと大人な対応をしてくれても良かったんじゃない、とは今も思っている。

 対して、アーシャさんは一体どんな感覚で戦っていたのか。あの時は漠然としか理解していなかったが、今でははっきりと理解できる。

 戦いながら急激に成長していく相手と対峙する事は、恐ろしくやり辛い。


「はっはーっ!!」


 振り回していただけだった攻撃は鋭さを増し、それに合わせるように体捌き、重心移動、行動ごとの流れが急激に洗練されていく。

 相手に合わせて最適化したタイミングが尽くズラされる。数秒前の情報がまったく役に立たない。

 急激な成長を加味して合わせても、それが通用するのは一度だけだ。次にはその成長幅さえ飛び越えていく。まだ技量差は一方的といっていい範囲だが、それも時間の問題だろう。

 加えて、その成長を許しているのが最初から強靭だった身体能力だ。特にタフさは異次元の領域に達し、同格の相手ならすでに何度も終わるような攻撃を叩き込んでいるにも拘らず、こうしてピンピンしている。《 看破 》で見てもHPは半分も減っていない。どんな< 防御力 >と< HP >してやがるんだ、こいつ。

 ……いや違う。技量の成長速度に誤魔化されそうだが、肉体そのものも成長している。

 向上する技術に合わせて必要な筋肉を膨張させ、不要な部分を削ぎ落としているようにも見える。体格すら一回りでかくなったように見えるのは錯覚ではないだろう。……確かに種族:Unknownだわ。少なくとも人間の範囲から逸脱してる。


「なるほどなるほど、こうだなっ!」

「んなっ!?」


 打ち合いの中で突然攻撃の精度が跳ね上がった。

 これまでの成長速度を考慮しても異常な変化に対応し切れず。遂に直撃をもらってしまった。


「ようやく当てたぞー」


 くそ、多分だがこいつ何かスキルを習得しやがった。一手前とあきらかにキレが違う。

 この構図に何か既視感を覚えると思ったら、トライアルでの俺とトカゲのおっさんだ。……なるほど、これは確かにやってられない。すげえ理不尽に感じるわ。

 経過時間はまだ半分くらい。最後まで付き合ってたらマジで追いつかれかねない。

 どうする。このまま最後まで付き合うか。それともラッシュで決めに行くか。まだアクションスキルは《 旋風斬 》だけしか見せていない。スキル連携、特に《 瞬装 》を使った多段連携には対応できないだろう。あちらが何も使ってこないのは気になるが、この様子だと何かの制限で使えないという線が濃厚だ。そもそも覚えていないという可能性もある。

 これは模擬戦で、しかもこいつは協力関係になる相手であって敵でもライバルでもない。蹴落とす必要性はない。

 ……つーか、連携使うなら初手で仕留められないとあとが怖い。こいつの場合、その場で見て覚えてくるなんて事もやりかねない。


 こんな事を考えている間にも銀の攻撃は苛烈さを増し、俺の《 刀術 》だけでは捌き切れない域に達しようとしている。

 ……あかん。このまま続けたら、十分保たずに俺が押し切られる。

 仕留めにいく。その気配を感じとったのか、常に攻め続けていた銀が距離を取った。それは、真っ向から受けて立つという意思表示だ。


――――Action Skill《 ブースト・ダッシュ 》――


「はやっ!?」


 その距離を、《 ブースト・ダッシュ 》の直線的な速度で詰める。案の定、こいつはまだ急激な緩急に対応できていない。

 加速が加わった《 旋風斬 》が直撃で決まり、さすがに苦悶の表情を見せた。

 続けて《 瞬装 》からの《 パワースラッシュ 》、《 ハイパワースラッシュ 》。わずかに見えた回避動作が突然切り替わった武器と異なるリーチに阻まれ、驚愕の表情を見せる。

 これまでの打撃と違い、剣による斬撃は銀の体に裂傷を刻む。切断には至らないが左腕を切り裂き、その機能を破壊した。

 だが、次の《 マキシマムパワースラッシュ 》を放つと、完全にではないがわずかに直撃をズラされた。もう対応し始めてんのかよ。

 ……くそ、このままだと、仕留める前に完全に対応されかねない。使うつもりはなかったが、決めに行く。


―――― Skill Chain《 瞬装 - ラディーネ・スペシャルIIカスタム 》――


 完全な零距離。外しようのない接射攻撃で< ヘヴィ・ペネトレイター >を叩き込んだ。無免許での使用になるが、ここなら怒られる事もないだろう。こいつは、ワイバーンやベレンヴァールの体だって貫通させた一撃だ。これで決まり……。


 《 クイック・ドロウ 》に移行する瞬間、その着弾点付近を銀の魔力光が一瞬にして収束したのが見えた。

 HP操作か、MP操作か、あるいはその両方か。見た事のない精度とスピードで、トドメになるはずの一撃に対して強靭な壁が作られた。

 < ヘヴィ・ペネトレイター >は使用する側への反動も大きい。事前に分かっていても後続にスキル連携を繋けるようなものじゃない。ここで確実に連携は終了する。

 発射の衝撃で後ろに吹き飛びながら銀の状況を見ると、健在。< ヘヴィ・ペネトレイター >の一撃はガードの上から胸から腹にかけてをごっそりと削り取った。左腕のダメージや裂傷、これまで積み上げた各所のダメージを鑑みればすでに致命傷といっていい状態である。

 しかし、終わる気がしない。あいつはまだ臨戦状態だ。


 ……おおよその予想通り、銀の口元に笑みが浮かぶのが見えた。

 深刻なダメージにも拘らず、銀は動けない俺へと即座に肉薄し、追撃を始める。その脚力は衰えるどころか、更に速度を増しているようにも感じられた。

 回避しようもなく、血塗れのまま右腕一本で振り払われた銀の武器が俺の右半身に叩きつけられた。完全に無防備な状態で右半身にめり込んだ武器と骨が粉砕する感触を受けながら、俺は地面に叩きつけられる。


「カハッ……」


 横からの強烈な力を受け、ゴロゴロと地面を転がる。

 読み違った。仕留め損なった。その上でのカウンターだ。これは俺の未熟さが生み出した危機だ。

 勝ちに行くなら最初から決めにいくべきだ。模擬戦と割り切るなら最後まであいつの成長に付き合えばよかった。どっちつかずで適当な判断をしたのが誤りだ。

 だけど、まだ終わらない。受け身も取れず、血を吐きながら無残な姿を晒してしまったが、まだ立てる。

 ろくに呼吸ができない。内臓や骨もひどいダメージを負っている。噴水のように噴き出した血は足元に池を作っている。視界も虚ろで焦点も定まらない。

 追撃は……ない。あちらも似たようなもんだ。不明瞭な視界に映る銀の姿は棒立ちだ。お互い戦闘続行できるような状態じゃない。


「あー、終わりだ。時間はまだだが、HPはもう……」


 ここまで完全に沈黙していた夜光さんの声が響く。ああ、さすがに三割は切ったか。ならこの模擬戦も終わり……。



「アア……ソレカ……」



 終了を確信し、勝敗などどうでもいいと倒れ込もうとしたところで、これまでとは違った声が響いた。一瞬、銀が発したとは認識できないほどに無機質で機械的な声だ。様子がおかしい。……ソレ? 何がそれだ?


「ガアアアアッッ!!」


 次の瞬間、銀の体が膨張し、弾けた。

 まずい。何が起こってるのか分からないが、とにかくまずい。終わったと思って力を抜きかけた体に無理矢理活を入れて踏み留まる。


 ぼんやりとした視界に映るのは、銀。先ほどまで対峙していた銀ではなく、銀色に輝く龍の姿。それがあいつの本来の姿だという事を瞬時に理解した。

 その姿はただ銀の体色をした龍ではない。流動的に姿を変化させてはいるが、構成要素の大半は金属に見える。角も鱗も牙も、目さえも全身銀色の金属龍だ。

 ああ、なるほど……だから銀なのか。安直だな。黒い馬にブラックって付けるくらい安直だ。


 そんな事を、猛烈な加速で迫る銀の龍を目にしながら考えていた。

 辛うじて倒れず踏み留まっているような状況だ。当然、体は動かない。あんな怪物に対応できる手段などありはしない。

 あちらさんも正気ではないのか、デタラメに繰り出された爪は俺の体に巨大な裂傷を作り出したものの、トドメには至らない。

 命の危機に反応する生存本能だけで次にとった回避行動とも呼べない動きは、すぐさま銀の追撃に捉えられた。

 巨大な尻尾による尾撃。為す術もなく、俺の体が宙を舞う。


 そして視線を向けると、そこには巨大な口から何かが放たれるのが見えた。

 動け。なんで模擬戦でこんな事になってるのか知らねえが、動かないと死ぬ。


――――Action Skill《 アマルガム・ブレス 》――


 巨大な口から噴き出されたのは霧状のブレス。対して俺は、残りの力を振り絞り腕を交差させて防御体勢に入る。入ってしまった。

 一瞬だけ見えたスキル名を考えるとそれは悪手だ。蒸発した金属ってだけで驚異なのに、よりにもよって水銀化合物のブレス。人体には毒にしかなり得ない。何と化合してるのか知らないが、そんなものを生身だけで受けられるはずがない。


「ぐあああっっ!!」


 猛烈な勢いで放たれたブレスは容易く俺の防具を融解、蒸発させ、肉を溶かしていく。

 このブレスの驚異は直接的なダメージだけじゃない。冒険者の肉体がどれほど耐性を持つか知らないが、わずかでも吸い込むわけにはいかない。腕でのガードなんてなんの意味もない。落下の影響でブレスの射程から外れていなければ、そのまま全身溶かされていただろう。

 受け身も取れずに地面に落下した体がいうことを利かない。身体ダメージなのか、水銀の毒性なのか判断できないほどに体全体がイカれてる。特に腕へのダメージ深刻でまるっきりいう事を利かない。


「ま……ず」


 視界を上を上げると、そこには銀の龍がこちらを睨みつけていた。そこに浮かぶのは、殺意。

 ……ああ、ヤバイな。これ終わったわ。模擬戦の勝敗とかどうでもいいが、なんでこんな事になってるんだか……。意味分かんねえ。

 再度ブレスを噴かれれば完全に蒸発する。踏まれても爪や牙、尾で攻撃されてもアウト。というか、何されても死ぬだろう。

 あとで模擬戦ルール破った事で抗議してやるからな、くそ。


「…………」


 覚悟を決めて顔を伏せたが、いつまで経っても追撃がない。


「ストップだ。さすがに模擬戦の範囲を逸脱してる」


 再度顔を上げれば、そこには観戦者だったはずの夜光さんの後ろ姿があった。




-5-




 次の瞬間、銀の体に巨大な斬撃痕が刻まれ、半分液状化した銀の両腕が大きな音を立てて落ちた。


「や……光さん?」


 どうやって音も立てず一瞬で俺たちの間に割り込んできたのか分からないが、立会人としては無視できない状況だったらしい。


「まともな状態なら殺し合いだろうが介入するつもりはなかったが、あきらかに異常事態だ」


 こちらに向けられた視線は『文句はないだろ』と言っている。

 ……ないが、あんた絶対楽しんでますよね。出待ちしてたみたい。


「ガアアアアッッッ!!」


 もはや原型を留めないほどに変化した銀が雄叫びを上げて迫る。

 すでに銀のターゲットは俺ではなく夜光さんへと移っていた。その夜光さんも迎撃の体勢に入る。

 俺はただ見ているだけである。つーか、顔上げてるだけでもしんどい。


――――Action Skill《 瞬連閃・八光 》――


 肉薄する銀に対し、目視できないスピードで斬撃が放たれた。辛うじて認識できたのは剣閃が描く魔力光の光だけだ。

 一瞬、同時に放たれたとしか思えない八つの斬撃で、銀の顔から胴体にかけてがバラバラに切り裂かれた。

 それを見て俺が感じたのは、助けられた事への安堵でも銀の異常性でもなく、夜光さんの斬撃に対する戦慄。動画や遠くから観戦しただけでは分からない、近距離で目にして初めて感じ取れる凄味だ。

 ……え、これ捌くのとか無理じゃね?


「ガッ……グ……」


 四肢どころか体全体をバラバラにされて地に這い蹲った銀だったが、まるでそれ自体が生きているかのように切断された手足が元に戻ろうと集まっていく。それは生物の再生というよりも、流体金属同士が同化していくように見えた。


「エンシェントドラゴン以上の再生能力だな。……アレがあいつの正体って事か」


 再生、変形を続ける銀の体は質量を増し、更に巨大な龍の姿となって俺たちに影を落とす。

 人間の姿はあくまで仮初。これが銀の本来の姿だという事だ。スキルを使わなかったり、武器の腕前が未熟だったのは、人間の体に慣れていないとかそういう事なんだろうか。

 つまりあの姿があいつの本領発揮……本気、出せないんじゃなかったっけ?


「グラスといい、巨大質量の超再生持ちに縁があるのかね。……全部切り刻むのは骨が折れそうだ」


 骨が折れる。こんな化物も、この人にかかればそんな程度なのかもしれない。

 夜光さんは腰を落とし、再度抜刀の体勢に入る。対峙する銀は未だ再生途中だが、今にもこちらに襲いかかってきそうだ。

 すでに俺は蚊帳の外へと放り出されていた。……もう帰っていいかな? 体動かないけど。



『お馬鹿さん』


 だが、二者が動き出すよりも早く、介入する手があった。

 銀の額へと、ほとんど光のようなスピードで何かが投擲される。


「アガッ!!」


 夜光さんの斬撃でも止まらなかった巨体が、その一撃だけで吹き飛ばされ、再度地に伏せた。

 ついでに変身した体も元に戻り始めている。……いや、元が龍だったとすると、人間になっているのか?

 地面に転がっているのは先ほど投擲された物だろうか。……扇子?


「まったく、人の姿で戦うための模擬戦で元の姿に戻るなんて、なんて不甲斐ない情けない」


 そんなセリフと共に、銀が出てきた通路から人影が現れた。和装っぽい格好の女の子だ。


「おおおおおーー! いってぇ!! 何すんだよ、空っ! ってアレ、……俺なんかやらかした?」


 額を抑えながら起き上がる銀の姿は、すでに龍の姿ではなく少年のものだ。

 龍の姿をとっていた間の事はあまり覚えていないのか、周りの状況に混乱しているように見えた。


「やらかしました。未熟な弟の失態に赤面しそう火が出そう。あー恥ずかしい」

「たかだか数百年早く生まれたくらいで姉貴面するなよな……。って、うわサイアク。反則負けとか格好悪いにほどがあるぞ」

「お前が未熟なのが悪い」


 眉間への投擲で正気に戻ったのか、言い争いを始めた二人に割り込むようにしてもう一人増えた。

 オールバックにした真っ黒な長髪を後ろで三つ編みにした、長身で均整のとれた体格の男だ。


「状況も原因も知らんが、そんな時は大抵お前が悪い」

「ひでえけど、俺も原因分かんねえ。なんでこうなってんだ?」


 それは俺が一番聞きたい。お前、覚えてないのかよ。ソレとか言ってたじゃん。


「……不完全燃焼もいいところだが、まあいいか」


 完全に戦闘モードに入っていた夜光さんは不服そうである。……模擬戦も終わりって事でいいのかな。だったら、誰でもいいから治療して欲しいんだけど。


「さて、とんだ失態をお見せしてしまいました。……えっと、渡辺様?」

「人違いだ。渡辺君はそっち」

「あら、重ねて失礼。おほほ……」


 この二人は銀と同じく異世界の使者って事なんだろうか。

 ……ユキとサージェスと水凪さんはどうした。この二人と戦ってるんじゃないのか?


「改めまして、渡辺様。空龍と申します」

「……龍」


 地に伏せる俺の前に立った着物姿の女の子が言う。

 まさか、銀だけじゃなくこの子も龍だっていうのか?



「私と玄龍、並びにお馬鹿さんの銀龍の三名、この度世界間同盟の代表を勤める事になりました。以後、お見知り置きを」



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