第15話「ダンジョンマスター」
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現れたダンマスはグレンさんたちよりも先……玉座のある手前まで歩を進めた。
誰も動かない。ダンマスが来ていた事を知っていたグレンさんを含めて、ダンマスが放つ異様な雰囲気に気圧されていた。
伸しかかってくるような威圧感ではなく、ただ静かで何も感じさせないような、少し動いただけで吸い込まれそうになるような感覚。
その中で動くのはダンマスと、その先にいる管理者だけだ。
『……なんだ、随分と意味の分からない状況だけど、この世界で当たりだったんじゃないか。ひどいなあ、グレン君』
ほんのわずかだが、管理者の声色が変わった気がする。
それに合わせて、ダンマスが放っていた雰囲気も霧散した。表情は変わったように見えないが、いつものダンマスのように感じる。
「嘘は言っていないがな。そちらが勝手に勘違いしたんだ」
「グレンだって、こんな展開じゃなければ素直に俺を呼んだだろうさ。人の世界荒らし回ってる相手に、はいこの人が代表ですって紹介はできねえだろ」
それはそうだ。何されるか分かったもんじゃない。
いる、という情報だけ渡した場合はもっと最悪だ。あいつはダンマスを探すために手段を選ばないだろう。それこそ世界を滅ぼしかねない。
管理者はそれを聞いても特に怒るでもなく淡々としている。自分の事なのに、騙された事にも興味がないようだ。
『そうかね? そこら辺を気にするという事は、管理者権限を得てからそう時間は経っていないという事かな』
「さあな、元々の種族の違いだろ。群体生物には分からねえよ。人間に寄生虫の考えなんて共感できるわけねーだろ」
『そうか、君たちは元々人間なのか。……珍しいな。脆弱な精神力しか持ち得ないはずの種族が管理者権限を得るとは……。随分変わり種なんだな』
どうやら、君たちという括りには俺たちも含まれているらしい。俺たちは無限回廊を攻略する上で、何か別のものから人間になったと思っていたと。
……え、それが普通なの? そりゃ、群体生物の方が向いてそうだが、迷宮都市には人間たくさんいるぞ。
「んで、俺になんの用だ。ウチのシマ荒らしてくれたんだから、よっぽどの理由があるんだろうな」
なんで急にヤクザになるねん。
ただ、ダンマスのその態度を見て少し安心した。少なくとも余裕の持てない相手ではないという事だ。
「すまん……状況がまったく理解できないんだが、アレは誰なんだ?」
隣で呆然と状況を見守っていたベレンから説明を求められた。
そりゃ突然過ぎて分からんよな。俺たちにとってあの人の唐突さは慣れっこだが、事情を知らない人間からしたら急展開過ぎる。
「この世界でいう……あの管理者みたいなもんかな。お前の保護を依頼した人だ」
「そうなのか……」
そうは言いつつも、納得できている様子はない。
見た目だけならこの中の誰よりも弱そうだし、いつもより格好は華美だが偉そうにも見えない。出てきた時ならともかく、今は雰囲気も普通だ。人間性をまるで感じない管理者と同じ存在といわれても首を傾げてしまうだろう。
「あの人が出てきた以上、もう俺たちにできる事はねーよ。……何か飲むか?」
「イチゴ、ジュース、下さい」
「ミネラルウォーターはあるかね」
ベレンではなく、近くで聞いていたニンジンさんとブラックが飲み物を要求してきた。お前たちに言ったわけじゃないんだが……まあ、いいか。
どちらも狙ったように《 アイテム・ボックス 》に入っていたので手渡すと、ニンジンさんはブラックに水を飲ませ始めた。和む光景である。
「……この状況で何をやってるんだ」
呆れる気持ちは分からんでもないが、もう観戦モードでいいんじゃないかな。たとえ戦闘になっても手出しできる世界じゃないぞ。
軽く腹パンするだけで俺をバラバラにするような人の全力戦闘なんて……観戦どころか逃げた方がいいのかな。でも、ここ出れないし。
そんな俺たちのノリとは関係なくダンマスたちの話は続く。
「お前の目的は俺なわけだろ。周り巻き込んでるんじゃねーよ」
『連絡手段も、ロクな探索手段もないんだ。多少の被害は大目に見て欲しいな』
「いくつも世界ぶっ壊してる奴の言う事じゃねーな。それは多少なんて言わねえんだよ」
『多少だよ。君だって目的があれば躊躇なんてしないだろう。……我々はそういうモノだ』
それは、なんにも興味が持てなくなったから世界が滅んでしまっても何も感じないという意味だ。
ダンマスとあいつの違いは分からない。元々の種が違い、生まれた世界も、どうやって無限回廊を攻略したのかも違うだろう。あるいは、どんな存在だろうと行き着く先はそこなのかもしれない。
「俺は違う」
ダンマスの返答は否定だ。確かにダンマスは目的のために手段を選ばない。そういう意味では方向性は同じなのだろう。
だけど、少なくとも今のダンマスは違う。あの人が何も持っていないなんて、そんな事があるはずはないんだ。
『違わないさ。こうして対峙して感じるのは、確かに同種の気配だ。擦り切れて、何も感じなくなった超越者の気配だ』
「悪いが勘違いだな。杵築新吾の自我は健在だし、まだ擦り切れるわけにいかないんだよ。俺の向かう先はそんなところじゃない。一緒にするんじゃねーよ」
その向かう先にあるのは故郷の地球なのか。そこに戻るという目的のために生きているのだとしても、その夢がすでに残骸であるとしても、それは何も持たないというわけじゃない。ダンマスは確かに人として必要な物を持っている。
……ただ、どうしても疑問が残る。少し前から感じている疑問だ。
本当にダンマスは帰りたいんだろうか、と。それが彼の本当の目的なのだろうかと。
帰ろうとしているのは事実で、そこを終着点としているのも本当の事なんだろう。だけど、俺にはそれが目的のようには見えないのだ。何か別の目的があって、地球への帰還はそのついでのようにしか感じられない。
「……ようやく分かった。お前、目的ないんだな。探してたとか言いつつ、俺にも用なんてないんだろ」
『あは、やはり分かるかね。それはそうさ、我々が目的など持つはずがない。君に会いたかっただけだ』
つまり、あいつは用もないお前を探すためにたくさん世界を滅ぼしましたと言っているのに等しい。快楽主義ですらない。
ダンマスは疲れた顔を見せて溜息を付くが、その反応は人として極当たり前の事だろう。
「まあいい。お前、無限回廊の二〇〇層の管理人なんだってな」
『そうだ。なんならこの権限を賭けて殺し合いでもしてみるかね。殺せば移譲されるかもしれない。概念に近い存在となった亜神を殺す事など無理だと思うがね』
それはダンジョン内だから殺せないという意味ではなく、そういう存在だから殺せるはずがないと、あいつは言っている。
『さあ、存分に殺し合おうじゃないか。ああ、どういう仕組か知らんが、私の力は封じられているのだったね。なら、まずは私を殺すといい。何度でも、何度でも殺し合おう!』
それはこれから始まる超常の戦いの幕開け。おそらくは、俺たちには理解できないレベルの死闘が繰り広げられるのだと……そんな予感を感じさせた。
「……ああ、殺す」
そう言った次の瞬間、ダンマスの姿はその場にはなく……。
俺たちの目に映ったのは、遙か先の玉座の前で管理者の体を腕で貫くダンマスの姿だった。
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「サティナッ!!」
目の前で展開されたあまりの光景にベレンヴァールが叫ぶ。
今にもダンマスに飛びかかりそうだったが、飛び出して行かなかったのは俺が止めたからだ。
「何故止めるっ!?」
そりゃ止める。
ダンマス相手に丸腰で何かできるはずもないし、そもそもあの人が何も考えずにあんな事をするはずがない。
「大丈夫だ、ベレンヴァール。良く見ろ」
サティナの体を貫いたダンマスの手には謎の結晶体が握られ、貫通部分は異次元にでも繋がっているように発光している。少なくとも出血はない。
ダンマスはそのまま腕を引き抜くと、倒れ込みそうになったサティナを抱き止めた。やはり怪我はないように見える。
「さて、捕獲完了だ。おーし、みんな集まれー」
数秒前の張り詰めた空気から一転、気の抜けた声が響いた。
「……は?」
ダンマスが上げた声はひどく緊張感に欠けた物で、少なくとも表面上は普段のダンマスに見える。
管理者は動かず、ダンマスに抱えられたままだ。さっきまでのふてぶてしい言葉は聞こえない。誰も状況を理解できていなかった。
なんだか良く分からないが、終わったのか? もう? ……早過ぎない?
「……何がどうなってるんだ」
傍らでベレンヴァールが呟くが、俺も詳細なんて分からない。
これで終わったのだとすると、とんだ三下だ。あんな思わせぶりな登場をしておいてもう退場かよ。
……いや、ダンマスが規格外なだけか。あの管理者だって、俺たちから見たら実力を測る事さえ困難な規格外だが、それと比べてもダンマスは異常という事なのだろう。
「どうやら説明してくれるみたいだし、行こうぜ。……あの人は訳分からないから、せめて話はちゃんと聞いた方がいい」
玉座の前に立つダンマスの周りに、この場にいる全員が集まった。
グレンさんと小さくなったリンダ、夜光さん、ブラック、ニンジンさん、そして俺とベレンヴァールだ。
サティナは玉座に座らされているが、今は眠っているらしい。怪我もないように見える。
「で、あの管理者はどうなったんだ」
全員、呆けているような状態だったので俺が口火を切って説明を求める。
「ここにいる」
ダンマスが見せたのは、先ほどサティナの体を貫いた時に持っていた結晶体だ。
言ってる事そのままならこの中に閉じ込めたって事だが……呆気無さ過ぎないか?
瞬殺ってレベルですらない。やられ台詞すらなしに退場してしまった。あっさり風味にもほどがある。なんだったんだよ、あいつ。
「俺の方も色々聞きたい事があるんだが、とりあえずこいつがどういう状態かを説明しようか」
それは、この場にいる全員が一番聞きたい事だろう。見渡しても反対意見はない。
「……この結晶体は今、無限回廊の管理者領域一層分を使った隔離領域になっている。管理者層についての説明は今は省くが、とにかくダンジョン化したという事だ」
「殺したわけじゃないのか?」
「まだ殺してない。まあ、普通の方法じゃ亜神化した奴は倒せないからな。その上ダンジョン内では殺しても蘇るだろ?」
そのはずだ。捕らえたところで死ねば逃げられてしまうんじゃないのか。
ダンジョンで死んでどこに行くのか確信はないが……あいつの言った事を信じるなら迷宮都市だ。自殺されたら、むざむざあいつを呼び込む事になる。病院の人も困っちゃうだろう。
「まあ、懸念は分かるが、あいつは今ここから逃げられない状況だ。ルール上そうした」
「ルール……ダンマスがそれを決められるって事なのか?」
それが管理者権限というやつって事なのだろうか。
「ああ、そういえばツナ君。お前さ、前に管理者を殺す話してただろ?」
あの赤黒い空の闘技場に行った時の事を言っているのだろう。俺の敵が超深層の管理者だった場合、どうするかと聞かれた時の話だ。
「あの時、『殺せないなら殺せる所に連れて行けばいい』って言ったのを覚えているか?」
「……ああ、そう言った。俺たちだって、ダンジョンの外なら死ぬわけだし、そういう場所があってもおかしくないだろ」
「その言葉がヒントになった。その結果がこれだ」
ダンマスは光る結晶体を掲げて見せる。……やべえ、全然意味分かんねえ。
「実際のところ、そういう空間はあるのかもしれない。何度か訪れた事のある無限回廊の狭間みたいなところでは変な場所もあったしな。ただ、亜神を殺せる、消滅させる事が可能な場所は俺は知らない」
「しかし、ダンジョンマスターの持つそれは、殺す事を可能にするという話だったのでは?」
それを言ったのは、ずっと考え込んでいたグレンさんだ。他の面子は状況に付いて来れていないのか、何かを考えるような表情でじっと話を聞いている。
「そう、俺はそんな場所は知らないし、あるかどうかも分からない。大体、それを見つけたとしても連れて行くのは困難だろう? ……だったら作ってしまえばいい」
「……なるほど」
グレンさんはそう言うが、理解はしても納得はしていないという表情だ。
それは、あまりにも俺たちの常識とかけ離れた世界の話だったから。ダンマスが規格外と認識していて尚、今の状態は異常だ。
「無限回廊の管理者権限持ちを殺せるダンジョンを造って、脱出できないようルールを設定、閉じ込めた。それがこいつだ」
簡単に言うが、それが簡単じゃない事くらいは分かる。
これまでの情報から推測するに、ダンジョンの創造というのは一つの箱庭世界を一から創り上げる事に等しい。
無限回廊、多分クランハウスや、あの偽物の地球、そしてこのマイナス層、あいつを閉じ込めるためだけにそれに匹敵する空間を造り上げたと。
「……あの管理者は二〇〇層の権限を持っていると言ってたんだが、ダンマスはそれ以上の権限を持ってるって事なのか?」
確か、以前ダンマスが持っていると言っていたのは一〇〇層以下の管理権限だ。
管理権限とやらで何ができるのかは知らない。一〇〇層と二〇〇層の権限でどう違いがあるのかも分からない。だが、ダンジョン創造は管理者権限由来の力だろう。それは権限を超越できるものなのか?
「持ってない。権限だけならあいつの方が上なんだろうな。だが、一〇〇層以下の権限だけしか持っていなくても、条件を限定すればそれくらいは可能って事だ。この部屋に入る前に力技で権限掌握したから、事前に確認は済んでたんだが」
「……では、その中にいる管理者も同じ事ができるのでは?」
「いや、こいつが俺以上の深層に潜ってるなら有り得るが、それはない。あいつはせいぜい二〇〇層よりちょっと先までしか攻略していない。……絶対に逃さねえよ」
……やはりそうか。詳細は情報が足りな過ぎて分からないが、要はダンマスは権限の壁を地力で抉じ開けたのだ。
「閉じ込めて逃がさない、何もさせない。管理者を殺す事だけに特化したダンジョンだ。今、この中は時間がほとんど停止している状態だから、対策も取りようがない。閉じ込められた事に気付いてすらいないかもしれない。……あとは俺が中に入って殺すだけだ」
「……まだ殺さないのか?」
「殺す前に聞きたい事がたくさんあるからな。こいつは情報の塊だ。全部吐き出させてから殺す。……えっとベレンヴァールだっけ? お前が最大の被害者だから、殺したいならトドメは譲ってもいいぞ」
「あ、ああ……いや、別にそいつに恨みがあるわけでもないしな。正直、黒幕と言われてもピンと来ない」
突然話を振られてあきらかに戸惑っていたが、それはベレンの本心なのだろう。サンゴロさんやサティナの心配はしていたが、別段恨みで戦っていたわけでもなさそうだし。
「召喚という名の拉致被害者のお前が言うなら別にいい。こっちで処分しておく」
「……もう一つ懸念があるんだけど、……その中にいるのは本物なのか?」
「本物だぞ。ちゃんと確認済だ」
「いやさ、< パラサイト・レギオン >って群体なわけだろ。俺にはどうしても、その子に張り付いてたのが本体とは思えないんだが」
あいつは伝令を使う際にも、ラーディン王の体を使って会話をした。なら、サティナの中に寄生していた奴が本物である必要はない。奴は群体なのだから、別のところに潜んでる可能性だってあるだろう。高みの見物なんて、悪党のやりそうな事じゃないか。
「ああ、そういう意味か。確かにこの子の心臓に寄生してたのはこの世界出身のパラサイトで、中継器として動作していただけだ。本体は多分別の世界にいただろうな」
そうだ。世界の移動ができないからこそダンマスは地球に帰れないと言っているんだ。違う世界の存在に手出しなんて……。
……いや、そうじゃないな。それが可能な事は、ダンマス自身やベレンヴァールが証明している。
「ツナ君も気付いたみたいだが、引き寄せる事はできるんだ。中継器があるんだから、それを起点に引きずり込めばいい」
「つまりダンジョンマスターは、あの一瞬で世界間転送術を発動したと?」
「同じ物じゃないが、正にその通り。大嫌いな術だが、それでも必要なら使うさ」
それが簡単な術じゃない事は良く分かるつもりだ。スケールがでか過ぎる。なまじ理解できてしまうのか、グレンさんは頭が痛そうだ。
「さて、俺の方からの説明はとりあえずこれくらいにして、ここまでの状況の推移を聞かせてくれ。昨日の定時報告以降はグレンからの《 念話 》しか情報がないからな」
「ええ、では簡潔に……」
そうしてグレンさんは、サンゴロさんが目覚めてからの事を報告し始めた。
ベレンヴァールに仕掛けられたトラップで周囲の高レベル者が転移させられた事。
美弓と俺の記憶から再現された日本のコピーの話、その後の白い空間や管理者との邂逅、[ 静止した時計塔 ]が始まってからの話。
一部、特に四階での戦いについては俺たちから説明した。ベレンヴァールが操られて四階のボスとして登場した事、フィロス、ゴーウェン、美弓がその戦いで脱落した事。
……ついでに勢いで誤魔化せないかなと< 紅桜 >を壊してしまった事も含めて説明する。俺は悪くないんですよ。
「は?」
あまりに衝撃を受けたのか、夜光さんが固まった。やはり、思い出の品を壊されたのはショックだったのか。
「……す、すまないが、本当に?」
「本当にすいません、どうしようもなくて他に手もなかったもんで……」
俺も全力で頑張った結果なので、どうか弁償は勘弁してもらいたい。
隠してネコババしようとしたわけじゃない事は、戦ったベレンヴァールが証明してくれるぞ。
荷物検査してもいいが、他に持ってる物についてはスルーしてくれると助かる。主にコンビニから持ち出したエロ本とか。
「《 不壊 》付きの武器壊すとか、どんな戦いだったんだ。壊すなよっていうのは、ほとんど冗談のつもりだったんだけど」
壊れた事そのものに驚いていたようだが、《 不壊 》付きだったのか。……間違いなく
詳細は良く分からないが、スキルレベルにマイナス補正かかってたからその影響じゃないだろうか。あれが相当な無理だっていうのは分かる。現在のスキルレベルの最大値が10である事を考えると、マイナス9なんてひどい数字だ。あれは、俺はスキルレベルを9上げるくらいの努力をしないと《 夢幻刃 》を習得できないって事なのかね。
「強制起動使ったんならそういう事もあるわな」
一応、ダンマスがフォローを入れてくれた。どうやら強制起動自体は既知のシステムらしい。
《 飢餓の暴獣 》の能力は未だ不明な点が多いが、《 見様見真似 》というスキルでも同じ事が実現できるらしく、その場合は確かに耐久値の消耗に大幅なマイナス補正を受けるそうだ。
「……あの、なんとか許してもらえないでしょうか」
あんまり金はないんで、できればそれ以外の謝罪方法で。土下座とかいくらでもするんで。なんなら久しぶりに靴を舐めてもいいよ。
「あー、分かった分かった。話を聞く限り、よほど切羽詰ってたんだろうしね。ロストしたと思って諦めるさ」
ロストと違って全損だから質屋に行っても買い戻せないが、それはありがたい。
でも、グラスを切り刻んでいる時の顔を見てしまった身としては、ただ許してもらうのは逆に不安になる。
新しい刀の切れ味を試させてくれとか言われないかしら。……サージェスでいいならいくらでもレンタルするんだけど。
「よし、じゃあこうしよう。……俺と勝負してくれたら綺麗さっぱり水に流してあげよう」
フィロスとやったような一対一の決闘って事だろうか。この言い方だと模擬戦じゃ済まないよな。
「俺と夜光さんじゃ勝負にならないと思いますけど」
勝負してくれって事は勝たなくてもいいって事だ。それで許してもらえるなら受けるが、どう考えても一方的な展開になるだろう。この人、迷宮都市個人戦ランキング三位だぞ。
「今じゃない……そうだな一年後にしようか。君ならそれくらいで追いついてくるんじゃないか?」
「はい……分かりました。じゃあ一年後に」
一年というのは、一線級の冒険者に追いつくには短過ぎる期間だろう。
俺も強くなっているが、夜光さんだって日々進歩しているのだ。追いつくのなら、それ以上のスピードで強くなる必要がある。
でも多分、この人はそれくらいで勝負になると見込んでいるんじゃないかと思う。ただ俺を痛ぶりたいだけなら、今すぐやればいいわけだしな。
「んじゃま、そろそろ帰ろうぜ。俺王国との会議の途中で抜けて来たから、戻って色々調整しないと。こいつに話を聞くのは迷宮都市に戻ってからだな」
ダンマスはそう言いながら結晶体を宙に放る。壊れて出てくるような事はないんだろうが、不安になるのでそういう事はやめて欲しい。
「……すまない、サティナはどうなるんだろうか」
「あー、外傷はないが、このまま迷宮都市に転送したほうが無難だろうな」
サティナはラーディン側の要人だ。捕虜として扱う事も可能だろうが、わざわざ一度駐屯地に連れて行くよりは迷宮都市に送ってしまったほうがいい。
それに管理者が操っていた時は立って歩いていたが、別に足や視力が治ったわけでもないだろう。
「その……やはり目と足は治せないものなのだろうか」
「普通の障害じゃなく、スキルとして発現してるものだからな……さすがに簡単にはいかない」
「……そうか」
ダンマスならなんとかできてしまうような気もするんだが、そう都合良くいかないか。"都合良くいかない"のか、"都合良くいかせない"のかは知らないが。
「スキルオーブの在庫次第だな。最悪、お前が無限回廊に潜って探すっていう手もあるぞ」
「……分かった」
この手の事に関して、あまりダンマスは信用してはいけない気がする。ベレンヴァールに無限回廊を攻略させるためのエサに使う可能性も考慮すべきだろう。この場で言うとまずそうだから、あとでそれとなく話しておこう。
「じゃあゲート開くぞ」
「ここから出たらラーディンの王城に出るとか管理者が言ってたんだが、やっぱり歩いて帰るのか?」
できればサティナと合わせて転送してもらえるとありがたいんだが。
「それは面倒だから、出口は別の場所に繋げる。迷宮都市の転送施設でいいか?」
「すいません、事後処理があるので王国軍の基地にしてもらってもいいですか」
「ああ、そうか。悪いなグレン」
確かに戦争が終わったわけじゃない。良く考えてみたらサージェスも拾っていかないといけないしな。
「じゃあ、出口は駐屯地にするか。……ついでに俺も辺境伯に会っていくかな」
ダンマスが何かをしたのか、玉座の近くにワープゲートのような入り口が出現した。
同時に、玉座に座っていたサティナの姿も消える。どうやら迷宮都市の病院に転送されたらしい。
俺たちは揃ってゲートを抜けた。
最後の最後で気の抜けた結末だったが、これでこの戦いも終わりなのだろう。
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ゲートを抜けると、そこは何処かの部屋の中だった。雰囲気からして、迷宮都市の宿舎に仮設置された医療の個室か。
ベッドには見た事ある入院患者が一人。……辺境伯だ。会うつもりでも、相手の部屋をピンポイントで指定するなよ。
「な……何事だ!? う、馬っ!?」
そりゃ、個室に突然ゾロゾロと現れたらビビるよね。馬もいるし。
「やあ辺境伯、久しぶり」
「き、杵築ぃっ!? な、何故ここに。王都にいるんじゃ……」
「来ちゃった」
来ちゃった、じゃねーよ。辺境伯顔真っ青じゃねーか。
内戦が辺境伯のトラウマというなら、ダンマスがその原因である事は間違いないのだ。ただでさえ精神的なダメージ喰らってるんだから、虐めてやるなよ。
「あー、俺ちょっと辺境伯と話して行くから、お前らは仕事に戻っていいぞ」
「はあ……では失礼します」
「ノクッ……グレン君っ!? 夜光君、どっちでもいいからここにいてくれっ!! この際デーモン君でもいいっ……くそ、いないのかっ!!」
ここにいるけど正体を明かすつもりはない。デーモン君は謎の暗殺者なのである。
俺たちは悲鳴を上げる辺境伯を置いて部屋から出た。しかし、ベレンヴァールの存在にすら気付かないとは……ダンマスの出現はよほど衝撃的だったらしい。
「ダンマスと辺境伯は知り合いだったんですか?」
「ん……ああ、難しい関係だが、一応親戚関係になるのかな……奥さんの一人が辺境伯の親戚なんだ。……もう長い事、絶縁状態らしいが」
面倒そうな関係だな。裏で色々あった事が想像できる。
「俺はここにいていいものなのか? 顔を知られてしまっていると思うんだが」
「あー、そうだな。ベレンヴァール氏には私が幻術をかけておこう」
ベレンヴァールは正面から王国軍とやり合った仲だ。その敵地でウロウロするのは確かにまずい。
「お前も迷宮都市に転送してもらえば良かったんじゃないか?」
「それでも良かったんだが、サンゴロの事が気にかかるからな。案内してくれると助かる」
ああ、そうか。あそこがダンジョン扱いだとすると、サンゴロさんが目覚めてからまだ半日も経ってないのか。《 偽装 》がかかった姿はすでに別人だが、説明して分かってもらえるだろうか。
「では、私と夜光は面倒で大変な事後処理だ。おそらくすぐに帰る事になるだろうが、しばらくは待機しててくれ」
「戦争終わったわけじゃないから、グレンさんたちはともかく俺はしばらく帰れませんがね」
「遠征軍の部隊長なんだから頑張ってくれ」
「なんか、依頼以上に仕事してる気がするな……」
それは確かだが、あとでグレンさんかダンマスに報酬を要求するといいと思う。本来関係ないはずのところにまで出張って助けてもらったんだから、それくらい許されるだろう。
そしてグレンさんと夜光さんは事務所へ、ニンジンさんも迷宮都市に連絡を取りに事務局に、ブラックはそのまま馬小屋に戻っていった。
志願したわけではないのだが、俺がベレンヴァールの案内役になってしまったようだ。……面倒だから逃げたわけじゃないよな。
残された俺とベレンヴァールでサンゴロさんの入院している部屋へと向かうと、そこはもうもぬけの殻だった。どうやら、サンゴロさんは俺たちが出たあとすぐに迷宮都市に搬送されたらしい。
本当なら多少は養生期間を置いて移動するはずだったらしいのだが、王国軍の基地にいると拷問されかねないからと、逃げるように迷宮都市との定期便に乗り込んだそうだ。……拷問されたわけだし、その気持ちは分からないでもない。
いきなり出鼻を挫かれてしまったが、他にやる事は……サージェスの見舞い? 別にあとでもいいと思う。
「急にやる事がなくなってしまったな」
「腹減ったし、飯でも食うか」
良く考えたらあのコンビニ以降、ほとんど何も食っていない。死にそうというほどでもないが、腹は減っている。《 飢餓の暴獣 》の影響もあるだろう。
というわけで、二人で宿舎の食堂へ足を運ぶ。グレンさんの《 偽装 》で容姿が人間に見えても見覚えのないベレンヴァールの顔に、何人かはこちらを窺っていた。普通に食事を取っているだけなので興味はなくなったのか、次第に視線も感じなくなる。ジェイルの時と大した違いはない。
少し時間は遅いが、晩飯時なので酒が入った冒険者の姿もあった。隅のほうでいじけるように負のオーラを放ち、一人酒を飲んでいる受付嬢さんの姿が見えたが、見ない事にした方がいいだろう。事実、誰も近寄ろうとしていない。
ベレンヴァールはこちらの食事に関しては何も知らないという事なので、適当に注文する。
「美味いな……」
運ばれて来た料理を一口食うなり、泣きそうな顔で呟いた。
「忘れかけていたが、これが文明の味というやつなんだな。……塩の塊は食事とは言わない」
会った時にも少し話したが、ラーディンの食料事情は随分とひどいらしい。
塩を使った保存食の文化が根強いらしく、何を食っても塩辛い。特に保存食はそれが顕著で、それこそ塩の塊を食っているような気になるらしい。
試しにベレンの《 アイテム・ボックス 》から干し肉を一つもらったが、確かに塩だ。食えないよりはマシなんだろうが、それにしても他にやりようはあるだろう。スープにすればマシにはなりそうだが、それでも塩味だけが主張するものになるだろう。
「長らくそればかり食べていたせいで舌が馬鹿になっているな。どれを食っても美味いが、細かい味が分からん」
「ここは迷宮都市基準だから、王国軍はもう少しグレードは下がるぞ」
「それでも塩の味しかしないよりはマシだ。ダンジョン攻略中だってその干し肉に比べたら文明の味はしたな。改めて贅沢をしていたと痛感させられたよ」
「向こうでは普段何食ってたんだ?」
食事の話からベレンヴァールの世界の文明についての話題に移る。
どうやらベレンヴァールはそこまで食に興味はなかったようなのだが、聞く限りでは食事を含めかなり高度な文明圏だったようだ。
話だけでは俺の知識では想像できない物も多く固有名詞の補完もできないが、それでも宇宙開拓が始まっているという時点で文明のレベルは分かるだろう。
ただし、地球と比べてかなり歪な文明が形成されていて、地域ごとの文明格差も大きい。争い事の絶えない世界だったらしい。特に人間以外にも多数存在する種族間の諍いはあとを絶たなかったそうだ。
「我々魔族はその中でも嫌われ者だ。辛うじて小さな国を維持できる程度の勢力しかない。物語でも大抵は悪役になる」
「ありそうな話だ。……ベレンヴァールがこっちに来て、その国が傾くなんて事になったら困るよな」
「俺はほとんど国に顔を出さない逸れ者だから、魔族の中でも異端中の異端だよ。いなくなっても困らんだろ」
以前会った時に、無限回廊に挑む者は狂人の類か罪人だけと言っていたから、ベレンヴァールはよほど変な奴なのかもしれない。
「正直、あまり故郷に思い入れはないから、無限回廊に潜っていて変な目で見られない環境というのはありがたいな。この世界は俺に合っているかもしれない」
「元の世界に戻りたいとは思わないって事か?」
「……そうだな、元の世界で持っていたアイテムはロスト扱いだろうし、友人はいたが俺が突然いなくなっても気にも止めなそうだ。……しかし俺の騎獣は心配だな。なんとかこちらに呼べないものか……」
ダンマスと同じ境遇だが、そのスタンスは随分違うらしい。
聞いていいのか分からないが、無限回廊を攻略するのにも独自のモチベーションがあるのが感じられた。多分、何をエサにしなくてもベレンは無限回廊を攻略するだろう。
そうして、ベレンの世界の事や迷宮都市の話をしつつ、その日の夜は更けていった。
-4-
静かな部屋に将棋の駒の鳴らす音が響く。
隣で興味深そうに見ているベレンヴァールには分からないだろうが、この対局はもう終わりだ。
「……駄目だな。この一ヶ月で強くなったと思ったんだがな」
グレンさんの投了である。結局、ハンデなしの将棋でグレンさんに負けたのは、< アーク・セイバー >の今後を聞かされた時の一回だけだ。
待ったをかければ形勢が入れ替わるような場面もあったのだが、最後の対局でそれをするのはプライドが許さなかったのだろう。一応、本気の勝負である。
やはり、あまり強くはない。俺もさほど強い方ではないから、グレンさんの実力は明白だ。最後の対局という事で受けたが、本人は自信があったのかガチへこみである。
「お前もルール分からないゲーム見せられてつまらなかっただろ」
「いや、そうでもない。細かいルールは分からないが、向こうにも似たような物はあった。友人と良く遊んだが、ほとんど勝てなかったな。数年に一度勝てるくらいだ」
今のグレンさんのような状況か。しかし、数年に一度の勝利で続ける気になるのは随分気の長い事だ。勝敗を気にしてないのだろうか。
「迷宮都市では、この手の卓上ゲームが流行っているのか?」
「そうでもない。愛好家がいない事はないんだろうが、娯楽が多いから人口が分散してる」
ベレンヴァールの世界で娯楽がどの程度発展しているかは分からないから、説明するのはなかなか難しい。
コンピュータゲームやらカードゲーム、TRPGといわれたって簡単には通じないだろう。スポーツ観戦や芸能関連のほうが取っ付き易いかもしれないな。
「おそらくは俺も無限回廊に潜る事になるのだろうが、話に聞く挑戦間隔の制限がある以上、何かしらの趣味を持った方がいいのだろうな」
今後の話という事で、ベレンが冒険者になる可能性も高いだろうと迷宮都市の仕組みについては大雑把に説明済だ。それには週一の挑戦制限のルールも含まれる。
ベレンの元の世界での日常はひたすらダンジョン攻略と訓練だけという随分とストイックな環境だったらしい。ダンジョンに再挑戦するにも中日を開けるルールはないらしく、隙間なしの挑戦だ。強制されているわけでもなくそれを続けてきたのだから、相当にタフな精神力の持ち主である事が分かる。
ダンマスが言っていたが、この中日のルールは冒険者のメンタル保護のために作られた後付けの物らしい。つまり他の世界の無限回廊には存在しないルールだ。
冒険者がダンジョンに潜り続けて擦り切れるのを防ぎたかったんだろう。実体験を元に作られた処置かもしれない。
あの管理者のように元々から特殊な精神構造なら別だが、人間が人間であるためには、冒険者ではない人間としての生活も必要なのだ。
だからダンマスや迷宮ギルドはダンジョン外のサービスを充実させる。……潤いって奴だな。娼館などの風俗関係が妙に充実しているのも、そういった事の一環なのかもしれない。
俺はこれまで突っ走って来たから、趣味っぽい趣味はない。せいぜい食い歩きくらいだ。しかし、今後はダンジョン攻略も冒険者としての成長も、自然と長いスパンで取り組んでいく形になるだろう。食べ歩き以外にも、何か趣味を持ったほうがいいのかもしれないな。
「とりあえず、お前が迷宮都市に来たら、庶民派のB級グルメ食べ歩きコースに招待しよう」
「それは楽しみだ。ラーディンの飯は不味かったからな」
ラーディンの飯の不味さはこれからもベレンの記憶の片隅に残り続けるのだろう。事あるごとに比較対象として出てきそうだ。
ちなみに、その塩ラーディンの事については、現時点である程度終息したといえる。
俺たちの仕事はベレンヴァールとサティナを回収した事で終わったわけだが、表向きの依頼である戦争への遠征もすでに終了目前で、現在はオーレンディア王国軍はラーディンの主要都市、及び王都の制圧を行っている最中だ。何せ親玉はもういないのだ。残存兵力は多少残っていても抵抗らしい抵抗すらない。
俺たち以外の迷宮都市遠征軍も帰還準備に入っていて、すでに戦場には出ていない。勇者ベレンヴァールという懸念も消えた今、もう過剰な戦力は必要ないのだ。戦力としては辺境伯軍や周辺領地の軍だけでも十分。王国騎士団もそろそろ王都に帰る事になるだろうと、ジェイルが言っていた。
実をいうと、グラスやラーディン国王は生きている。あの[ 静止した時計塔 ]で死亡したあと、迷宮都市の病院に転送されたらしいのだが、当然の如くそのまま捕縛された。
洗脳状態だったあいつらにしてみたら何が何やら良く分からない内に捕まっていたという状況だが、無駄に戦争が長引くよりはいいだろう。
喋られてまずそうな事は丸々記憶を消去したらしいので、迷宮都市としては完全に用済みである。グラスのささやかな《 呪術 》スキルも完全封印だ。
今後、奴らがどうなるかは引き渡した王国次第だが、処刑は免れないだろう。リディン共々あの世か来世で頑張って欲しい。
リディンといえば、フィオちゃんは一旦オーレンディアの王都に戻されるらしい。その後どうするかはフィロス次第だが、多分プロポーズでもしに行くんだろう。しばらくしたら迷宮都市で彼女を見る事になりそうだ。……リア充は爆発するといいよ。迷宮都市なら復活するし。
「ラーディン王国はこのあとどうなるんですか?」
多少でも関わった身としては、あの国の行く末は気になるところだ。戦争に敗北したのだから、滅亡して王国の統治下に入るというシナリオが一番有り得そうだが。
「ラーディン王国という存在は残る。元々がオーレンディアの属国だからな。オーレンディアの息のかかった王族を後釜に置いて傀儡政権の誕生するシナリオになるだろう」
「……意外だな。滅亡するものだとばかり思っていた」
ベレンヴァールは何かラーディンに思うところがあるのか、その言葉は辛辣だ。サティナはともかく、ラーディンという国は嫌いなのかもしれない。
しかし、滅亡と大差ないが名前だけ残るのでも大した温情だ。傀儡とはいえ、自治権もあるようだし。
「当初の予定では、ネーゼア辺境伯領に大部分を組み込んで統治を任せようという話だったのだが、本人が嫌がってな」
「……まあ、進んで自領に取り入れたいとは思わないでしょうね」
火種も問題も多過ぎる。ラーディンに特筆すべき資源があるわけでもないし、得られるメリットといえば、純粋に土地が増える事と辺境伯領に自前の港が持てる事くらいだろうか。引退したい人が抱えるデメリットではない。
「この領地は属国三つに加え、帝国へ直接接している。これ以上領地を増やすよりは、残して緩衝地にしたいのだろうな」
よくよく考えて見ると面倒臭い領地だ。辺境伯の胃が心配になる。
「他の貴族も飛び地の領地は嫌だという事でこんな形になった。とはいえ、最終的には三分の一ほどは切り取られて、新興貴族や領地のない貴族へ分配されるだろう。……王国貴族になりたいならチャンスだぞ。私からダンジョンマスターに進言してもいい」
「冗談じゃない」
迷宮都市の支援は受けられるかもしれないが、そんな面倒で実りのなさそうな事は御免だ。冒険者やってる方が性に合っているし、第一、無限回廊の攻略をやめるつもりはない。食うに困っていた頃なら、デメリットも考えずに飛びつくだろうけどな。
グレンさんだって分かっていて言っているはずだ。本人がそういう立場だし。
「ところで、泣きの一回という事でもう一局どうかな」
「嫌ですよ。ここは勝ち逃げします。グレンさんはまだまだですからね」
「……ぐ」
カウンターも完了だ。
そうして、俺たちの遠征も終わる。表向きの方の事後処理は残っているので夜光さんは残る事になるが、それもそう長くかからないだろう。
ベレンヴァールは何を考えたのか、迷宮都市へは歩いて行くつもりらしいので帰りは別行動だ。
この世界に召喚されてずっと戦争していたわけだし、迷宮都市に行く前にこの世界を見ておきたいという事なのかもしれない。
ダンマスからは直接了解はもらったみたいだし、緊急の連絡手段と迷宮都市からは居場所がすぐに分かるGPS付きだから危険もないだろう。
そもそも、今回のような超イレギュラーケースでもない限り、迷宮都市の外であいつに太刀打ちできる奴はいない。道中、盗賊狩りとかを楽しんじゃうつもりかもしれない。
「よう」
用意された馬車に向かう途中、街の外れで見覚えのある袴姿の男と出くわした。これから事後処理が大変になる予定の夜光さんだ。
事務処理で忙しいこの人が、こんな場所に用事があるはずがない。……待ち伏せでもされたのだろうか。
以前よりかなり気さくな感じだが、プライベートだからか俺が後輩だからか、そういう理由だろう。
「どうも……何か色々世話になりました。本当は関係ないはずなのに」
「俺も迷宮都市の一員である以上、それは構わないさ。それに、それはどちらかというとグレンさんから聞きたかった言葉だな」
違いない。責任者だし、引っ張り込んだのもあの人だしね。
「ひょっとして俺に用事ですか?」
「ああ」
やはり待ち伏せしていたらしく、夜光さんは何かを投げて寄越す。[ 静止した時計塔 ]と同じやり取りだが、受け取った物は刀ではない。それよりも少し短い、多分小太刀に分類される物だ。
「なんですか、これ」
「やるよ。銘は< 紅 >。本来は< 紅桜 >と一対で使う物だ」
「えーと、どういう事でしょう?」
俺にはこれを受け取る理由がない。< 紅桜 >は壊してしまったし、あの時のように武器を受け取るような状況でもない。
「元々、時計塔で君がそれなりに活躍するようなら、< 紅桜 >と合わせてあげるつもりだったんだ。壊したのは流石に予想外だったけど」
さすがに《 不壊 》付きの武器を壊してくるとは思わなかっただろうな。
「あ、勝負は有効だぞ。それ使ってさっさと上がって来いって事だ」
「はあ……」
過剰な援助は制限されている身だが、これはその制限に当たるのだろうか。
今回の予定外のイベントを引き合いに出してちゃんと説明すれば、OKしてくれそうではあるけど。
「思い出の品ではあるが、もう使っていない武器だ。< 紅桜 >は壊れたが、どうせなら対の武器も持っていけ。……壊せって事じゃないぞ」
「つまりこれは、早く勝負しようって激励ですか?」
「激励はそうだが、早くっていうのはちょっと違う。……勝負の時期は決めた。来年の年末、クラン対抗戦にしよう」
「それは……」
迷宮都市では年末の十二月二十六日から二十九日にかけて、クラン単位で代表を出して争うお祭りのようなものを行っている。
ランキング上位などの特例を除き、基本的にクランに所属していないと参加はできないイベントだ。
当然、今年は客側での参加になる。出場するならフィロスやゴーウェン、摩耶の応援でもしようかなと思っていた。
来年、もしも参加するとしたら、それはクランを設立していなければいけないわけで……。
「今年の年末はさすがに無理だろうが、来年はクラン設立狙ってるんじゃないか?」
夜光さんはどうやらお見通しらしい。
「……そのつもりですけど、最速記録になりますし、できるかは分かりませんよ」
「一年後に俺と勝負になるところまで上がってくるなら、必然的にクランくらい作れてるだろ」
逆に、クラン作れてないようなら話にもならないと。
「一年後のクラン対抗戦、その個人戦で存分にやり合うとしよう」
「俺はいいんですが、ウチのクランメンバー候補は個人戦に向いた奴多いんで、確実に代表になれるかどうか」
「それくらいはマスター権限でゴリ押ししろよ。俺も個人戦じゃなくチーム戦に出ろって言われてるが、毎年無視してるぞ」
……まあ、こうして目上から指名されているならゴリ押しもできるか。
「お互い組み合わせ次第じゃ当たれるかどうかも分からないが、まあ、決勝まで行けば必然的に当たるだろ。その小太刀は願掛けみたいなものでもある」
クラン対抗戦はトーナメントだ。夜光さんより順位が上の二人も出てくるだろう。ランキング上位のシード選手ならともかく、俺はその人たちと当たる可能性が高い。……一年ぽっちで剣刃さんと勝負になる気がしないんだが。
「今、迷宮都市は激動の時を迎えようとしている。一〇〇層突破も目前だし、君やフィロス君たちのような勢いのある新人も出て来た。注目はされてても動きのなかったトライアル最年少記録保持者のセラフィーナも動き始めた。おまけにその後ろには燐ちゃんのような怪物も控えてる」
ディルクではなく、セラフィーナの名前を挙げるという事は、個人戦として見た場合の評価なのだろう。……確かにアレは脅威だな。
しかし、燐ちゃんはそれほどなのだろうか。まだデビュー前で実績もないのに怪物と呼ばれるほどに。
「時代を変える大きな波だ。俺はこの波に飲み込まれずに上手く乗り越えたい。これは俺がこの先一線で戦い続けられるかどうかの試金石でもある。……待ってるぞ」
「……分かりました。じゃあ、一年後に」
随分と一方的な宣言だったが、いい目標ができたと考えるべきだ。
先を目指すなら確実に途中にいる人なのだ。乗り越える時期が明確になっただけともいえる。
随分先の話に聞こえるが、一年なんてあっという間だ。……せいぜい、鍛え上げて挑むとしよう。
-5-
グレンさんやニンジンさんと共に馬車に乗り、迷宮都市から来た時とは違う場所に用意されたワープゲートへ向かう。御者はまたしてもサージェスだ。いつの間にか覆面まで復活している。
デーモン君の全身甲冑と< 鬼面斧 >は記念という事でもらう事になった。別にいらないのだが、適当な場所に飾っておいてもいい。魔除け程度にはなるだろう。
道中、俺も御者台に座りながらサージェスに今回の事を説明する。大雑把には話してあるので補完程度だ。
「しかし、なかなか興味深いイベントだったようで……私は放置プレイもいけるんですが、残念です」
「無理矢理にでも連れて行けば良かったと思ってるよ」
サージェス一人増えただけで、[ 静止した時計塔 ]の戦いは随分楽になっただろう。ひょっとしたら、ベレンヴァールを倒し切る事も可能だったかもしれない。
そういった意味だと、やはり夜光さんの参加はありがたかったんだなとも思う。
たとえば、対グラスの戦力を万全にするために美弓が五階に行ったとする。そうしたら時間稼ぎは俺たちだけだ。三階の攻略ですらすでに怪しい。
その場合、ダンマスが間に合ったのかどうかも分からない。簡単にケリが付いたから勘違いしそうだが、あの結果は意外に綱渡りだったのかもな。
あと、お前が放置プレイがいけるのは言われなくても知ってる。お前ならあの東京でもなんだかんだで順応してしまいそうだ。
多分、置いて行った事もこいつの中では放置プレイの一種として捉えられているのだろう。……今度からはボロボロだろうが優先的にこき使ってやるとしよう。
何事もなく指定の場所までやって来ると、そこには見慣れたゲートがあった。これがこの遠征のゴール地点というわけだ。
ゲートを抜けた先は転送施設。来る時に使ったのと同じ区画のようだ。
「では、また会おう。とはいえ、これから本格的に一〇〇層攻略に入るから、しばらくは会う機会もないだろうが」
「勝てる自信がついたら将棋のリベンジマッチは受付けますよ」
「ぐ……考えておく」
本気で悔しそうである。よほど、最後は勝って締めたかったのだろう。
「あたしは、ミユミちゃんの、お見舞いに、行ってきます」
「ああ、俺も一度顔を出すって言っておいてくれ」
[ 静止した時計塔 ]で死亡した三人の内、フィロスとゴーウェンはすでに退院済だ。一応休養している事になってるはずだが、自主訓練も始めているらしい。
問題は美弓で、あいつだけはまだ入院中だ。《 魂の一矢 》は死亡以上にダメージの残るスキルで、二週間程度は入院して安静にする必要があるらしい。すでに目覚めてはいるらしいが、冒険者として復帰するには短くても一ヶ月ほどかかる見込みだ。
そんな《 インモラル・バースト 》のような後遺症の残るスキルを使わせてしまったのだから、今日明日にでも病院には果物でも買って見舞いに行こうと思う。……果物よりトマトの方がいいんだろうか。
< ラディーネ・スペシャルII >の実体験レポートも書かないといけない。
とんでもない自爆武器だったし、護身用とはとても呼べないが、アレが今回の戦いで重要な役割を果たしたのは確かだ。
爆発は勘弁だが、切り札として今後作られるであろう後継機も使用武器の候補にしたいものである。……その前に銃の免許取得も必要か。
ギルドへの報告、美弓の見舞い、ラディーネへのレポート提出とやる事は多いが、一度クランハウスへと戻る。
……いや、近いしね。一度落ち着きたい。
「ただいま」
クランハウスに戻るとガウルがいた。リビングでテーブルを挟みながらユキと談笑している。ティリアは留守らしい。
一ヶ月しか経っていないはずなのだが、懐かしい光景だ。
「あれ、早かったね。まだ戦争終わってないんじゃないの?」
「俺たちの仕事は戦争じゃないからな。事後処理している人たち以外は大体撤収してる。……ガウルの方も用事は終わったみたいだな」
「……ああ、色々あったが終わった……色々終わった」
なんで塞ぎこんでるねん。
「新婚なのに何落ち込んでるんだ。まさか、婚約者にフラれたとか……」
そういえば婚約者とやらの姿はない。挨拶に来たのならいてもおかしくないはずなのに。
……まさかのNTR展開なのか。狼さんの寝取られ物とか需要ないだろ。そんなエロゲ売れないぞ。
「いや、そっちは問題ねえよ。今移住手続き中で、外壁の施設で寝泊まりしてる状況だ」
移住といってもすぐに街に入れるわけじゃないのか。寝泊まりしてるって事は、冒険者の手続きよりも大変だったりするのかね。
……なら、結婚祝い買う時間はありそうだな。何が欲しいか、あとでそれとなく聞いてみるか。
「じゃあ何落ち込んでるんだよ。あ、例の獣神の加護がもらえなかったとか」
今回の帰郷の目的は結婚ともう一つ。獣神の加護とやらをもらってくるという話だったはずだ。それが上手く行かなかったから落ち込んでるのだろうか。
「……地獣神様……地獣神のクソヤロウ様に加護は頂きましたが、あの野郎余計なモノまでよこしやがったんだよ」
仮にも神様をクソヤロウ呼ばわりである。
「なんかね、改名できなくなるギフトが付いて来たんだって」
「だ~~っ!! 俺はいつまでこの名前と付き合っていけばいいんだよっ!!」
暴れるな。ソファ傷つくだろ。
なるほど……つまり、ガウルさんは名前変えようにもギフトレベルで改名不可の呪いをかけられてしまったと……ひどい話だな。
絶対に相手は状況を理解している。狙ってやったとしか思えない嫌がらせだ。……お茶目な神様である。
「……先に改名しておくべきだった……どーすんだよ、これ」
「知らんがな」
別に悪影響があるわけでもないし、当面は問題ないだろう。
大体俺たちにとってガウルはガウルであって、改名されるとそのイメージが大幅に崩れてしまう恐れがある。由来を知っている女性陣が呼び辛いというくらいしか実害はないから、しばらくはこのままでもいいんじゃないだろうか。
不確定だから言うつもりもないが、獣神が亜神と同カテゴリであるって事は無限回廊の管理者権限があればなんとかなりそうな気もする。
……しかし、何故だろう。ダンマスに相談しようが、ガウルは永遠にガウルのままのような気もするのだ。きっとこれはフラグに違いない。
「どうせなら暗黒大陸まで風獣神に会いに行きますか? 案内しますよ」
「お前、どう考えても面白半分に嫌がらせされる事確定じゃねーか。あいつら、揃いも揃ってこっちの事情に詳し過ぎるんだよ。絶対横で連携してる」
……迷宮都市から情報が流れてる可能性があるな。遺跡の探索に関して、亜神と交渉してるみたいな事をグレンさんも言っていたし。
このまま獣神のおもちゃにされ続けたら、果たしてガウルさんはガウルさんのままでいられるのだろうか。
加護と引き換えに、名前だけじゃなく種族や姿形までガウルさんになってしまう事もあるんじゃないのか? ……さすがにそんなのと一緒にダンジョンアタックはしたくないぞ。
「で、なんでサージェスは< レスラーズ >の人みたいになってるの?」
「は、しまった。……違う、私はラージェス、ちょっぴりマゾな覆面戦士だ!」
「はいはい」
本人もキャラ付けを忘れていたらしい。遠征終わったんだから、もうそのキャラ付けいらんだろ。
「ユキの方は何か変わった事あったか?」
「あ、うん……にへへ、無限回廊三十五層突破したよ」
ドヤ顔ピースである。
一ヶ月あったわけだから、フロア構成次第じゃ不可能ではないのかもしれないが、あの三十一層の難易度体感している身としては単純にすごいと思うぞ。
「じゃあ、俺もさっさと追いつかないとな。全員突破したわけじゃないんだろ? そこで死んでるガウルとか」
「あ、あれ? もうちょっと驚くと思ったんだけどな……インパクト薄い?」
「驚いてないわけじゃないが、ちょっと前までとんでもなくスケールのでかい話に巻き込まれてたからな」
間に挟んだイベントが強烈過ぎて、地味に聞こえるのは確かだ。
「ククルが心配してたけど、やっぱり何かあったんだ」
「ああ、東京に行ったり、無限回廊のマイナス層に行ったり、イベントだらけだったよ」
「は、東京!?」
偽物の東京だがな。
というわけで、項垂れているガウルにも聞こえるように遠征であった話を説明する。
デーモン君の事はおいておいて、偽物の東京や母校、無限回廊の管理者やベレンヴァールとの戦い。マイナス層は阻害のかかっている情報らしく伝わらなかったが、そういうヤバめな情報があるという事は認識できたようだ。
「はー、大変だったんだね……」
「お前はそういうイベントに巻き込まれないと済まない性質なのか?」
「……それは洒落にならんから言うな」
名前がガウルに固定されてしまったお前も、結構なイベント体質だろうに。
ともあれ、山場は越えた。事後処理もあるが、明日からは冒険者として通常のスケジュールに戻るだろう。とりあえずはガウルや他の未到達組と一緒に三十五層攻略だな。ユキに追いつかないと。
「あ、一つ提案があるんだ。ジムでもプールでもいいから、みんなで水中戦闘の訓練をしておこう」
「なんだ、フロアギミックに水路でも出てきたのか?」
「うん……本当は三十六層以降も攻略するつもりだったんだけど、それで足止め喰らっちゃったんだよ」
以前、ユキは泳げないとか言ってたしな。泳ぐだけじゃなく、水中での戦闘となるとかなり厳しいはずだ。
「前々から三十六層からはその類のマップが発生するって事は分かってたんだけど、ランダムだからなんとかなると思ってたんだ。……だけど、次のボスがいる四十層はほぼ確定らしくてさ……」
水路程度ならまだいい。これが猫耳が以前言っていた物だとしたら。そしてそれが、ランダムではなく確定で発生するのだとしたら……。
「前から懸念してた、水没フロアの登場ってわけだよ」
それは、これまでとはまったく違う戦闘技術やサポート技能が必要となるという事だ。
「あのよ……すげえ言い難いんだが、……俺、泳げないんだけど」
お前、《 凍獣神の加護 》とか水属性っぽいギフト持ってる癖に泳げないのかよ。
「……みんなで水泳の特訓だな」
マネージャーに水中戦闘用の訓練メニューを作ってもらわないといけないな。
第三十五層超えても大変そうだ。……前途多難である。
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