Epilogue「理想」




-1-




 古い夢を見ていた。


 偏屈で変人な科学者、ロクトル・ベルコーズとの会話だ。

 その思い出はいつも資料の山に埋もれた部屋のみで完結する。思えば、あいつとは友人らしい事をした覚えがない。

 魔族としても科学者としても探索者としても異端。異端同士気が合ったのかもしれないが、奴との思い出を夢に見る事が妙に多いのは、単純にあいつしか交友関係がなかったからだ。

 無限回廊の中で科学など大した力を持たない。頼りになるのはいつだってシステムに裏付けされた身体能力とスキルだ。

 なのに、あいつは文明の力を以て先へ進む。いや、先に進む事には興味がなく、ただ研究材料がそこにあるから向かう。

 そのために苦痛に耐え、精神を摩耗させ、魂を傷つける。それが研究の代償といわんばかりに。


 一緒に攻略する事もほとんどない。辛うじて研究に俺の手が必要になった時だけ声をかけてくるくらいだ。

 俺はあいつがどんな研究をしていたのか、その研究がどう役立ったのかの詳細を知らない。興味がなかったというのもあるが、俺にはそれがただの道楽にしか見えなかったのだ。高度過ぎて理解できなかったのもある。

 誰にも理解されない。唯一といっていい友人の俺でさえ、あいつの生き方は理解できない。

 無限回廊なんて悪夢に自分から飛び込むのは、決まって破綻者なのだ。同じ破綻者同士が理解し合おうとしても不可能なのは、何もおかしな事ではない。だが、あいつは逆に俺の事を理解しようとしていた。


 何故、無限回廊に挑むのか。

 何故、正義の味方を目指すのか。

 何故、力を求めるのか。


 結局のところ、俺自身にも良く分かっていなかった。あいつの方がよほど俺の事を分かっている。話をしていると、ふとした事でその事に気付かされるのだ。


『何故、君は勇者になりたいと思ったんだ?』


 ある日、その偏屈者の科学者が問いかけて来た。いつもの事だ。数年に一度、こうして会う時には大抵こういった話に踏み込むのが俺たちの会話なのだ。ほとんど定型文といっていい。


『最近、実のところ勇者になりたいわけじゃない、という事を理解した』

『ほう』


 俺の回答はその度に変わる事が多い。長い無限回廊攻略の中、一人自問自答を繰り返すと自分というモノが見えてくる。

 正解かどうかは分からない。俺の根本部分であるにも関わらず、それは揺らぎっぱなしだ。

 振り子時計のように行ったり来たり。だが、それは無駄ではなく、そうして自分というモノの根幹に少しずつ近付いていく。


『絵本の勇者が君の目標だと言ってなかったかな』


 憧れたのは絵本の勇者だが、勇者という立ち位置に憧れたわけではない。

 最初は勘違いをしていた。いい事をする。正しい事をする。正義の味方こそが俺の求めた生き方だと。だが、長い生の中で、本質的な物はもっと別にあるんじゃないかと思ったのだ。


『それは変わっていない。しいていうなら、憧れたのは子供の頃一番最初に見た絵本の勇者だな』


 同じ題材でも、発行された時期によっては内容が変わる。

 どれも面白くはあるが、それは単に面白いだけで別物だ。俺がそれらを好むのは趣味だな。基本的に英雄譚が好きなのだ。俺が英雄になりたいわけでもない。


 最初の絵本に出てくる勇者には、特徴らしい特徴はなかった。

 台詞もない。自分で行動の指針を決めるような事もない。ただ、魔王討伐を命じられてそれに立ち向かい、それを成すだけだ。


『俺は、やると決めた事をやり抜く勇者の在り方に憧れたのだろう、と思った』

『初志貫徹という奴かな』

『そうかもしれない』


 実際、情報が少な過ぎて勇者が何を考えていたのかは分からない。実は受けた命令を遂行するだけのロボットのような奴という線も有り得る。

 それでも、戦いの中で何度も苦境に陥り、その度にそれを乗り越える。そうして、巨悪である魔王を討伐するに至る。諦めない不屈の精神だ。

 当然、絵本はシンプルな内容だから見る人が違えばまた違った印象を受けるのだろう。

 後年、キャラクター性を重視するようになった時代の勇者やその仲間たちは悩み、苦しみ、時には挫折する。物語としてはそちらの方が面白い。

 しかし、俺が憧れたのは最初の迷いのない勇者なのだ。

 勇者の在り方は俺が無限回廊を進む上で強い力となっている。それは他の後付設定と同じように、俺の中で勝手に歪められた勇者像なのだろう、とも思う。


『つまり、その勇者はベレンヴァールが理想とする自分なわけだな』


 違いない。

 キャラクターが確立されていない、情報が足りない、だから自分で補完する。そうして出来上がるのは、こう在って欲しいという理想の姿だ。

 理想は果てしなく遠く、俺は挫折と苦悩を繰り返すばかりだが、そういう姿を追い求める事で自分を保っていられる。

 俺はそこに至る事はないのだろう。そう在りたいと思った時点で、それは紛い物なのだ。だから、それに近付くよう一歩を踏み出す。


 その一歩の勇気をくれるのが、俺にとっての勇者なのだ。




-2-




 悪夢を見ていた。


 俺が異世界に召喚され、勇者という名の奴隷になって戦う夢だ。

 その国は勇者を讃え、取るに足らない悪役に操られて崩壊の一途を辿っていた。現実を見ていない愚か者たちの国だ。

 俺はその国を救うべく召喚された救世主らしい。嫌われ者の魔族である俺が勇者だというのだから、実にふざけた話だと思う。


 俺を召喚した少女は何も知らない、ただの哀れな被害者だった。

 妄信的に俺を勇者だと信じ、身を投げ出してでも国のために尽くす事が、正しい事であると刷り込まれていた。それが正しいと教え込めば疑問すら持てない。それを判断する材料を持たないからだ。

 俺は、俺の在り方を貫くため、この少女を救うべきだと思った。せめて自分のした事を理解し、飲み込めるようになるまでは導くべきか弱い存在だと。


『はい、私はこの通り目も見えませんし、歩けもしないですが、その代わりここでずっと祈っています』


 その召喚士サティナは目が見えない。歩く事すらできない。ロクに教育を受けた事もない。そんな、善悪の判断すらできない雛鳥のような者を操るのは、さぞかし楽だっただろう。

 世界を跨ぐようなスケールのでかい話だが、言ってしまえば彼女がやっている事は拉致だ。それは俺の基準では悪である。

 だが、何も理解できず、ただ言われたままにそれを実行した彼女を断罪する事もまた俺の基準では悪なのだ。


『だからさっさと逃げろ。早く逃げろ。消えちまえ』


 掃き溜めのような国で出会った小男の傭兵、サンゴロもまた守るべき対象と感じた。

 風貌だけみればただのチンピラだ。ついでに名前も変だ。だが、あいつはあいつなりに根幹部分に信念を持って生きている。前世という不可思議な体験がそうさせるのかもしれないが、人が理不尽な目に遭う事に反発しているように見えた。飄々とはしていても、それは素顔を隠す仮面だ。本人はそれが素だと思っているかもしれないが、あいつの根幹は愚直で、誠実で、正義の味方なのだ。

 不器用な生き方だと思う。同じ不器用でも俺とはまるで違う。合わせ鏡のように正反対の不器用さだ。


 だから、この一件に明確な悪がいてくれたのは助かった。

 見た目は肥えた豚。先代から国を引き継ぎ、暗愚のままに成長し、国民を食い物にするラーディン三世。

 見た目は痩せ細った蜥蜴。その王を誑かし、自身の利益のために戦争を引き起こす魔術士グラス・ニグレム。

 頭の悪い俺でも理解し易い黒幕だ。ついでに見た目からして悪役というのもいい。


 俺は、俺が庇護の対象と決めたモノしか助けない。悪と断定したモノしか断罪しない。

 その在り方は勇者ではない。正義の味方でもない。ベレンヴァール・イグムートの生き方なのだ。



 しかし結局のところ、悪と断定した者たちは悪ではあってもただの手先で、黒幕はもっと裏側にいたらしい。

 まったく知覚できないような深淵からグラスを操り、サティナを操り、俺を操った。おそらくそれは召喚が行われる前から決まっていたシナリオで、条件付けだけで定義された無機質な舞台だ。

 群体生物の特性を利用し異世界へと干渉、数多の世界を滅ぼしながら目的の存在を見つけ出す無差別テロ。その目的は俺には理解し難いモノで、その黒幕はきっと本人にしか分からない価値観で動いてる。

 そしてそれは俺が進む先にあるモノで、無限回廊の深淵に潜む闇そのものにも見えた。

 ベレンヴァール・イグムートはそいつの手駒で、玩具で、価値のないモノだった。サティナもまた、奴にとってはただの中継器だ。

 グラスとラーディン王は更にそれ以下で、いっそ哀れみすら覚えるほどに無価値な存在である。

 同類の存在、その存在とのコミュニケーション以外には価値を見出せない虚無の塊。それがこの事件の真の黒幕、無限回廊二〇〇層の管理者だった。


 俺は知らない内に寄生されていたモノに操られ、魔王として戦う事になる。相手は俺が助けを求めようとした迷宮都市の戦士たちだ。

 その戦いに意味などない。勝敗にも意味はない。ただの余興に過ぎないお遊びのようなものだ。俺は勇者にもなれず、魔王としても成り損ないだった。

 ただ操られるままに戦い、この世界の住人を巻き込んで、その尻拭いまでさせる。出来の悪い道化なのだろう。

 操られていた間も意識だけはあった。それは、自分の惨めさを見せつける管理者のお遊びだったのではないだろうか。

 迷宮都市の戦士たちと戦う中、あまりの惨めさに笑いすら込み上げて来た。情けない。くだらない。こんな存在が勇者になどなれるものか。


 魔王の力を与えられ、凶悪で理不尽な強化をされた俺と戦う者たちこそ勇者だ。勝ち目などあるはずもない。この魔王には俺自身だって手が出ないのに、立ち向かうのは更に脆弱な者たちだ。

 なのに諦めない。諦めても構わない何も失わない戦いなのに、彼らは勝利を掴むために死力を尽くした。

 その姿は、かつて俺が憧れた勇者の姿そのものではないのか。


 こんなにひどい状況でただ一つ見つけた光が、失われかけた俺の理想だった。

 なのに、そこにいるのは追い求めた自分ではない。俺は滑稽な悪役を演じつつ、障害として立ち塞がる三下魔王だ。


 理不尽な数の魔術にも耐え、いくら切り刻んでも立ち上がる。

 決して闘志は失わず、四肢をもがれようが食らいついてくる。

 ただ一つの突破口のため、一丸となって立ち向かい、それを通す。

 全身全霊をかけた死闘だった。文字通り、彼らはすべてを尽くして戦った。


 だが、悪夢は続く。

 俺は更なる闇に飲まれ、変貌しようとしていた。その変質が完了すれば、本当の意味で俺は俺でなくなるだろう。

 ただ一人残った男は満身創痍。立ち上がるので精一杯の状態のはずだ。こんな絶望の中でも、その男は諦めない。

 一体どこにそんな力が残っていたのかというほどの猛攻で、再度勝利を掴みに来た。


『意地ぃ張らねえとなあっ!!』


 それを意地というのか。こんな極限の中で、何かを超越して挑む活力が意地だというのか。

 理解し難い。俺の知らない世界の住人だ。そんなモノは俺の閉じた世界にはない。

 あれが勇者だ。俺の求めていた理想だ。そう確信した。


 銃のような物から放たれる一閃が俺の心臓を貫いた。様子から、それが正真正銘最後の一撃だと分かった。

 だが、届かない。まだ足りない。このふざけた魔王を打倒するには、あと一歩が必要なのだ。

 止めて欲しかった。勝たせてやりたいと思った。そして何より、その理想が砕けるのを俺が目にしたくなかった。


 ――俺の中で何かが変わった気がした。

 あと一歩が足りないなら、それを踏み出すのがお前の役目だと、そう言われた気がした。

 一歩を踏み出す自由が利かなければ、無理矢理にでも動かせ。魂を削ってでもその意思を貫徹するのがお前の理想だろう。


『う……ぉおおおおっっ!!』


 元凶は見えている。文字通りあと一歩で届くのだ。

 ここまでお膳立てされて動けないようなら、俺は勇者になどなれない。なるべきではない。


 それは奇跡なのか。極限までダメージを喰らった事で生じた必然なのか。

 俺は、胸に開いた孔から魔王の心臓を抉り出した。


 この戦いは勝利ではない。勝敗によって何かが変わるわけでもない。

 だが、確かに一歩は踏み出した。何十年と停滞していた俺の足が、今ようやく前へと進み始めたのだ。




-3-




 夢は覚めた。


 サンゴロには身を張って助けられ、サティナは未知の黒幕に操られて失いかけた。

 結局のところ、俺は庇護対象であった二人を守る事すらできず、自身すら操られるという無能っぷりを晒してしまったわけだ。

 俺が見ていたのは夢なのか、悪夢なのか、それとも現実そのものなのか。


「よう勇者様」


 出発の準備の最中、サンゴロと同じような言葉で現れたのは、ある意味想像通りの男だった。洗脳された俺との戦いで最後まで生き残った男だ。


「……実際には、俺が勇者でもなんでもないという事は知っているだろ」


 ただの魔王の成り損ないだ。


「そうでもないさ。お前のいた世界ではどうだか知らないが、俺の前世の世界では勇者っていうのは魔王を倒す役だ」

「なら、お前が勇者なんじゃないのか?」

「あの時も言ったが、俺はお膳立てをしただけだ。最後の一歩を踏み出したのはお前だよ、ベレンヴァール」


 無理やりにもほどがある気がするが、どうとでも捉える事はできる。

 俺にとっての勇者は子供の頃に見た絵本の登場人物で、決して諦めない不屈の精神を持ち、困難に負けず立ち向かう者だ。

 あの時、魔王という絶望に立ち向かったのはお前で、お前たちだ。一緒に戦ったとは言ってくれても、その枠の中に自分を入れてしまうのはどうかと思う。

 確かに一歩は踏み出した。だが続く道のりは果てしなく、俺は未だ歩み始めたばかりだ。勇者を名乗るには分不相応だろう。


「まあ、別に勇者談義をしたくて来たわけじゃないんだけどな」

「そろそろ迷宮都市とやらに帰ると聞いたが」


 彼らのほとんどは、今日迷宮都市に帰るらしい。

 俺も一緒に行く予定だったが、わがままを言って歩いて行く事にした。

 俺はこの件の重要参考人だ。異世界の情報を含め、ダンジョンマスターからしたら聞きたい事は山ほどあるだろう。

 だが、緊急の連絡手段と位置情報の把握を要求されたが、それ以外には制限もなく了解してもらえた。


「ああ、今日立つ。迷宮都市にはお前も来るんだろ?」

「行くさ。サティナもサンゴロもいるわけだし、無限回廊もあるんだ。行かない理由がない」


 二人もそのまま迷宮都市に住む事になるだろうと聞いている。

 サティナと違い、サンゴロは今回の件に深く関わっているわけでもないが、冒険者として生きる事を決めたそうだ。


 俺の目的地は無限回廊の深層で変わりはない。どこの世界だろうが、そこに繋がっていれば問題はない。深層に至る事そのものが目的ではないが、その道のりは変わらない。

 ただ、少し考える時間が欲しかった。だから一人で歩いて行くと決めた。そう遠いわけでもないし、この世界を見るいい機会でもある。俺の足なら何ヶ月もかかるような距離じゃない。

 迷宮都市の住人を除けば、たとえ襲われても危険すらないだろう。道中、気が向いたら正義の味方ごっこをしてもいいくらいだ。


「用件は挨拶だけか?」

「んにゃ、……あんな形での決着になったから、お互い不完全燃焼かなって思ってさ。……ちゃんとケリ付けようぜ。今度は魔王とかそういうのは関係なしに、一対一で」

「……はは、面白い奴だなお前は。……いいだろう、言っておくが俺は結構強いぞ」

「知ってるよ。だからさ、つまり迷宮都市で待ってるぞって言いたかったんだ。目的が増えただろ?」

「そうだな。少し楽しみだ」


 あの戦いで見せたこの男の力は決して侮れるものではない。レベルは隔絶していても、クラスとやらの力もある。

 それだけじゃない。この男はそれ以上に、そういう差を引っ繰り返す力があるような気にさせる。油断をしたら簡単に負けるだろう。


「あと一つ、事前に言っておきたい事がある。……ダンマス……ダンジョンマスターの事だ」


 ダンジョンマスターとは、突然現れて二〇〇層の管理者を封殺した男の事だ。すでに帰ってしまったようだが、この駐屯地に来てからも何度か顔を合わせ、話をしている。

 掴みどころのない飄々とした性格で、背景に溶け込んでしまいそうなほど地味な男だ。目の前の男も地味だが、それよりも特徴がない。


「あの人はあの管理者程ぶっ壊れてはいないが、それでも無限回廊の攻略を進める事に取り憑かれてる部分がある。そのためにはなんでもする……とまでは言わないが、お前が無限回廊の攻略を進めるためのエサくらいはチラつかせてくる可能性が高い」

「迷宮都市全体で無限回廊の攻略を推進しているとは聞いているが……それは何か問題なのか?」

「はっきり言うと、あのサティナって子の目と足を治す事を条件に攻略を進めろって言ってくるかもしれないって事だ」

「……それは」


 判断の難しいところだ。取引としては決して悪い物じゃない。普通だったら治すのは困難なものなのだ。


「お前が強要されずとも無限回廊の攻略を進めるつもりなら問題ないだろうが、そういう点ではあの人は強引だからな」

「事前に提示されるなら、そう悪くもない話だとは思うがな」


 だが、相手によっては脅迫に近い事にもなるか。そのエサが大事な物であるほどに。……俺には問題なさそうだ。


「言いたい事は分かった。忠告は感謝する。……ただ、俺は言われんでも攻略を進めるから、事前に言われる分には助かるな」

「なら問題はない。あの人は捉えどころのない人だけど、悪い人じゃない。少なくともあの管理者みたいな奴でない事は確かだ」

「アレ相手の場合だと、寄生虫植え付けられて強制的に働かされるからな」

「比較するべくもないが、いきなり条件突きつけられる事もあるから事前に言っておきたかったんだ」


 なるほど……ある程度分かってはいたが、こいつはいい奴なんだな。


「ところで一つ聞き忘れていた事があるんだが」

「なんだ」

「実は、俺はまだお前の名前を聞いていない」

「…………」


 それを聞いて、随分と間の抜けた顔をしている。俺は自己紹介をしたし、仲間内で呼び合っているのは聞いたが、正式には聞いていない。


「あ、ああ、悪いな、忘れてたわ……俺は渡辺綱。綱の方が名前な」

「やはり、この世界の名は変わっているな」

「この世界じゃなく、前世の名前そのままだよ。昔から大抵の奴には変な顔をされる」


 サンゴロのように、前世の名前と組み合わせたとかそういう事ではないのか。

 随分変わった響きに聞こえるが、この世界ですらない別世界の事だからな。そういう事もあるだろう。


「じゃあ、俺も再度言っておこう。ベレンヴァール・イグムートだ」

「ああ。またな、ベレンヴァール」


 そうして、綱たちは迷宮都市へと帰って行った。

 この戦争は彼らにとっては特殊なイベントのようなモノで、本業はあくまでも冒険者と呼ばれる無限回廊の探索者らしい。

 綱はその中でも中堅どころに足を踏み入れたばかりの新人だという。ダンジョンマスターは別格として、グレンと呼ばれていた男がその最高峰に近い存在らしいが、どちらを見てもこの世界の……いや、迷宮都市がいかに高度な環境にあるかを思い知らされる。

 元の世界への未練はそう強くないが、この世界でも俺は無限回廊に潜り続けるだろう。その目標が見えているというのはいいものだ。

 迷宮都市のトップ、更にはその遙か先にいるダンジョンマスターへ辿り着く。それには一体どれほどの時間が必要となるのか分からない。これまでの経験からすれば、魔族の寿命ですら軽く超えるような歳月が必要になるような気もする。ただ、案外そう遠い未来の事でもないような気もするのだ。


 俺はもう一人ではない。

 友人のロクトルとすら歩む道を違えたような、あの世界にいた頃の俺ではない。

 肩を並べて戦う事になるかどうかは分からないが、それでも綱と張り合い、助け合い、競い合うという事はその歩みを早い物に変えてくれるような気がする。

 綱だけではない。あの時戦った者たちや、五階にいた者たち、それ以外にもたくさんいるという冒険者たちの存在は、長い年月の中で摩耗した心を奮い立たせてくれる。

 召喚されてからずっとひどい世界だと思っていたが、楽しみも増えた。今なら、惰性ではなく自分の意思で無限回廊へ挑めるだろう。



 迷宮都市についたら手紙を書こう。

 届ける手段などない。伝わる事のないメッセージだが、それでもロクトルに俺は元気でやっていると、そう残したい。

 あいつはロマンチストだと笑うかもしれないが、そういうのも俺の一面なのだ。




-4-




 俺の現実は続く。

 ようやく歩き始めた道を一歩ずつ、しっかりと踏みしめながら。


「やっぱりさ、迷宮都市の連中の食ってた飯は羨ましいよな……」

「そう言うな。これでもラーディンの飯よりは遥かに美味い」


 迷宮都市に向かう道中、立ち寄った街で食事をする。向かいの席には王国騎士のジェイルという男が座っている。

 道中の護衛兼道案内という事で王国軍の責任者から同行を命じられたらしいのだが、本来騎士の仕事ではないらしい。

 彼曰く『辺境伯が迷宮都市に媚を売りたいだけ』との事だ。俺を護衛する事のどこに媚を売る要素があるのかは分からないが。

 護衛はともかく、道案内は助かる。俺のいた世界と違って、交通機関も街路も発達していない道を行くのは少し不安だったのだ。


「お前も迷宮都市に行くという話だったな」

「ああ、家の事を片付けてからになるから数ヶ月はかかるだろうけど、もう決めた」


 彼の道案内はオーレンディアの王都までだ。とは言っても、そこから迷宮都市へは定期便の馬車が出ているらしいので、案内もいらなくなるだろう。

 ジェイルはオーレンディア王国の伯爵家の人間で、つまり貴族である。嫡男でないとはいえ、大国の身分の確立された立場の人間だ。そんな彼でも向かう魅力が迷宮都市にはあるのだろう。元の世界の常識から考えると有り得ない事だ。


「お前は、迷宮都市に行って何を目標にダンジョン攻略をするつもりなんだ?」

「そりゃ、女の子にモテたいからな。あと飯が美味い」

「そ、そうか……」


 そんな理由でいいのだろうか。

 ……ジェイルも事前にある程度の話は聞いているらしいし、即物的だがこの世界ではそれでもいいのかもしれないな。


「それより異世界の話を聞かせてくれよ。もうこんな機会はないかもしれないしな」

「俺としては、この世界の話が聞きたいんだがな……」


 どう考えても、今必要なのはこの世界の常識だ。

 特にオーレンディアの情報はラーディンから見た脚色されたものが多く、実態とかけ離れていてどれが正しいのかも分からない。

 とりあえず現時点で分かった事は、ラーディンよりは飯が美味いという事だ。これは王都に近付くほど値段とグレードが上がるらしい。

 当座の路銀はもらっているので、目的地に近付くごとに食事が美味くなるのはモチベーションが上がる。


 ジェイルは迷宮都市行きがほぼ確定しているという事で、ある程度の情報を公開してもいいとグレン氏から言われている。

 断片的ながらあの戦いの事を話すと、金髪の盾持ちの戦士の戦いぶりに驚愕していた。フィロスという名らしいのだが、ジェイルの元同僚らしい。

 確かに無茶をする奴だった。両腕が使えない状態なのに、口で《 パワースラッシュ 》を放つなど、洗脳されていた状態でも目を疑ったほどだ。

 というか、今でもどうしてあんな事ができたのか分からない。奴は確信を持ってスキルを使っていたようだが……。

 ……それも、迷宮都市に着けば分かるだろう。




 ジェイルと共に、王都までの道を行く。途中、近道をしようとして道に迷ったり、身のほど知らずの盗賊を返り討ちにしたりと、なかなか新鮮な体験をした。


 迷宮都市の物と比較すると遙かにグレードは落ちるが、最初に言っていた通り食事は王都に近付くほどに美味くなった。

 流通の問題で、特に香辛料などは都会の方が集まり易いのだろう。店を覗けば、ラーディン国境近くの街よりも品数が多かった。

 それでも、元の世界でいうなら未開拓地の現地人が食べる物に近い。流通の発展していないこの世界では当然ともいえるが、最底辺に近い食事を最初に体験しているので新鮮な気持ちで食する事ができる。もう塩肉は勘弁だ。

 聞いたところ、あの塩肉を食べる方法はちゃんと別にあるらしいのだが、それを試してみてもやはり塩だったのだ。丸齧りと大差ない。

 基本は野宿になるが、街に寄れば宿にも泊まる。これも王都に近付くごとにグレードが上がるのが分かった。……最初の方は虫が湧いていたからな。魔術で殺菌してやる必要があるのだ。


 途中、ジェイルの実家が持つという領地を通る。普段は代官が治めており、当代の伯爵は王都にいるらしいが、代わりに当主代行として在住の長男が歓迎してくれた。

 無駄に華美な装飾が目に付く館は、俺の世界では博物館などでしか見られない物だ。これもなかなか面白い体験だ。

 ジェイルもそうだが、グローデル伯爵家の人間は奇妙な性癖を持つ者が多いらしい。歓談の最中、妙にそういった話題が上がるのだが、そもそも人間でもなく性欲の薄い俺には理解不能な世界だった。

 ちなみに伯爵は、王都で買った男娼に首輪を着けて四つん這いで歩かせながら自分の館の敷地を散歩するのが最近の日課らしい。

 これまでであれば、奴隷を買っても数ヶ月で飽きてしまって捨てられるのがパターンだったらしいので、今回はかなり珍しい例との事だ。

 その男娼は、ポルノダンサーとしての修行を始めて近々王都の劇場でデビューするという。一緒に見に行かないかと誘われたのだが、まったく興味が沸かなかった。

 性欲が薄いから誤解されがちだが、男に興味があるわけでもないのだ。


 そして、長い道のりを経てオーレンディアの王都へと辿り着く。

 その王都は妙に閑散としていた。人も建造物も多いが、ゴミが散らかり、何より雰囲気が悪い。メインストリートを歩いていても、どんよりとした暗い空気が立ち込めている。

 ジェイル曰く、最近は王都も不景気らしい。仕事にあぶれた者たちがスラムを根城にしているせいで治安も悪いそうだ。

 これまで通って来た街よりは発展しているが、お世辞にも国の中心とは言い難い街だった。王城は立派な物であるが、見るべきところはそこくらいだ。


「じゃあ、俺はここでお別れだ。またな」

「ああ、迷宮都市での再会を待っている」

「……ああ。くそ……俺も色々放り出して、さっさと行きたい。あー、騎士団に戻りたくねえ。絶対にやばい事になってるし」


 道中色々聞いたが、王国騎士団はあまりいい職場環境ではないらしい。一般兵と違い、騎士の大半は貴族だ。強さよりも家の爵位や家格が優先される、歪な戦闘集団である。俺の世界でも似たような慣習は残っていたようだが、どこも同じという事だ。

 そんな中にあっても、何度か稽古をつけた限りではジェイルの筋は悪く無い。レベルやスキルに頼らない動きとしては合格点だろう。地味な訓練を苦にせず、逆に楽しんでいるのも好材料だ。しばらくしたら、迷宮都市で活躍する姿が見れるかもしれない。




 迷宮都市行きの馬車に揺られる事三日。本当に何もない荒野を抜けていく。

 道中、気になったのは魔素の薄さだ。モンスターも出現しない死の大地と呼ばれる荒野は、生きるのに必要な物のほとんどが存在しない。

 聞いている迷宮都市の技術力ならばこの荒野に自然を蘇らせる事もできるのだろうが、おそらく情報の隔離にも使われているのだろう。

 あまりに不自然な空間だ。感知系の能力があればよりはっきり分かるのだろうが、空間が歪んでいる。馬車で三日ほどと言われたが、徒歩では辿り着く事もできないかもしれない。

 その荒野も終わりに近付き、巨大な地面の亀裂にかかる橋を越えると想像を絶する大きさの壁が待っていた。


「でかいな……」


 あまり戦術には詳しくないが、アレを攻略するのは超大型の戦略兵器が必要となるだろう。つまりこの世界の文明レベルでは不可能という事だ。

 大軍が空間的に歪曲した死の荒野を抜けるだけでも困難極まるのに、その先にあの壁が立ちはだかっていたら戦意も失墜するというものだろう。

 そもそも、相手が迷宮都市の戦士たちだとそれ以前の問題だ。勝てるわけがない。


「壁が見えてもまだまだ距離はあるんだけどな」


 御者をしていたクラーダルという青年が言った。

 彼は迷宮都市の冒険者で、迷宮攻略の合間に臨時の仕事としてこの往復便の御者をやっているそうだ。実はあの戦争にも参加していたらしく、俺の噂も聞いていたようだ。未だ本人だとは気付いていないが、正体をバラすつもりもない。


 壁に到着したが、ここから数日街に入るための審査があるらしい。一度列に並び審査を受けたあとでそう聞かされた。

 面倒だが、入国審査と思えばそうおかしな話でもない。食事、宿泊の面倒まで見てくれるのだから文句を言う必要もない。


「というわけで、俺様登場というわけだ」

「サンゴロ」


 宿泊用に充てがわれた部屋に行くと、見覚えのある小男が待っていた。どうやら、俺がこのタイミングで来る事は事前に聞いていたらしい。

 一度迷宮都市の病院に運ばれ、再治療とリハビリを行い、移住のためにこうして審査に来たとの事。特別、俺が来るタイミングを狙ったわけではないそうだ。


「腕ちょん切られるし、目抉られるし、全身ズタボロにされるし、マジで死ぬかと思ったぜ」


 王国軍の駐屯地であった事を聞いてみる。軽く言っているが、聞いている限りサンゴロの怪我は死ぬ一歩手前だったはずだ。

 傭兵だからそういう事もあると割り切っているのは、サンゴロがよほど強い精神力を持っているという証拠だろう。

 そして、やはりサンゴロも冒険者になるつもりのようだ。この移住手続きが済んだら、そのまま登録に行くつもりらしい。

 なんのためと聞くと『金と女』と答えるあたり、ジェイルと似たような精神構造なのかもしれない。……こんなのしかいないわけじゃないよな。


「ちなみに、サティナはどうしてるか知ってるか?」


 そう聞くと、サンゴロの表情があきらかに曇った。


「ああ……知ってる。あの子も今移住手続き中だ」

「なんだ、歯切れが悪いな」

「すまねえが、俺にはそれがいい事なのか悪い事なのか判断が付かない。……取り敢えず会ってくるといい」

「良く分からんが……分かった」


 移住手続きというからには目覚めてはいるだろうし、あの管理者に操られたままという事もないだろう。

 綱の言っていたように、足と目を治すために無限回廊を攻略しろというのなら、頑張って攻略しようと思う。


 サンゴロに手渡された簡易地図を頼りに壁の中の道を行く。

 あの巨大な壁の中という事もあって、通路は長いが構造は単純だ。迷う事もない。

 そこに近付くにつれ、人気がなくなっていく。この付近には宿舎も審査用の部屋もない。通路ばかりだ。


「……ここか」


 その通路の脇にドアがあった。『職員用』と書かれていて、普段は施錠されているらしいのだが、メモを見る限り開いているらしい。

 ……どういう事だろうか。何かの罠か、と疑いたくもなるが、こんなところで俺を罠にかける必要はない。そもそも、罠の危険があるならサンゴロが言うだろう。

 疑問は残るが、そのまま扉を開けた。




-5-




 扉の先は石造りではなく、研究施設のような材質の通路だった。扉一つ隔てただけで、文明レベルが数百年分上がったように見える。

 通路の先は一直線で、奥の行き止まりには階段とエレベーターがある。……ある程度予想はしていたが、迷宮都市と外ではこの程度の差はあるという事だ。

 行き先は屋上。階段とエレベーターのどちらを使えとも指定されていないが、エレベーターを使う。……あの壁の高さから想定して、階段は少し辛い。


 エレベーターを降りるとそこはすでに屋上だった。一歩外に出ると、強烈な風が吹いている。壁の端から外を見下ろすと、ここに来るまでに通った荒野が一面に広がっていた。

 となると反対側は迷宮都市の内部という事になるのだが、一体どんな事になっているのやら……。超高層ビルでも立ち並んでいたりするのだろうか。

 屋上は平坦ではなく、段差が多い。反対側に行くには少し高い場所へ階段を登る必要がある。

 そして階段を登った先に、見慣れないドレスのような服を着たサティナが立っていた。

 ……そう、立っていた。


「サティナ……」

「お久しぶりです、勇者様。いえ、こうしてお顔を見るのは初めてですから、初めましてでしょうか」


 目が見えているのか。

 俺がここに来るまでにダンジョンマスターが治療してくれたのだろうか。となると、綱の懸念は何もない事になるのだが……。


「勇者様はそういう顔をしてらっしゃったんですね」

「ああ、人間にはこの角は奇異に映るかもしれんが、種族的にはそう変わらん」

「格好いいと思いますよ。ずっと、勇者様がどんな方なのか想像しながら過ごしていたので、一つ夢が叶いました」

「俺の顔でいいのなら、いくらでも見るといい」


 見られて困るようなものでもない。サティナは歩いて俺の前まで来ると、目が見えなかった頃のように手で顔を触り始めた。


「やはり勇者様ですね。こうしてみると良く分かります」

「……気になっていたんだが、お前が俺をここに呼んだのか?」

「はい。サンゴロさんにお願いして、呼び出してもらいました。ここの宿舎は男女別なので」


 それは分かるが……。


「それなら屋上でなくてもいいだろう」

「どこでも良かったのですが、誰もいないところで勇者様とお話したかったんです。そうしたら、ここを用意してくれました」


 ……誰が用意したというのだろうか。迷宮都市の職員か、ダンジョンマスターか?

 いや、それよりもさっきからサティナの様子がおかしい。こんな雰囲気は纏っていなかったはずだし、話し方も妙に理知的だ。

 別人ではない。あの管理者が操っているというのでもないだろう。だが、違和感が拭えない。


「ここで勇者様に伝えておきたかった事があるんです」

「……なんだ」


 嫌な予感がする。予想をしていなかった事を突きつけられるような……。


「私、冒険者になります」

「……な、んだと」


 それは、俺の知っているサティナからは一切想像が付かない言葉だった。


「ちょっと待ってくれ……意味が分からない。何故、そんな事になるんだ」

「……そうでしょうか? 私は勇者様に救って頂きました。その勇者様の力になりたいと思って、何ができるかを考えたら自然とこういう答えになりました」

「いや待て。俺はそんな事望んでいない。目と足が治って、あの悪党共からも解放されたのだから、これからは平穏に暮らせばいいだろう」


 あまりに想定外の展開に、混乱していた。冒険者にならずとも迷宮都市に住む事は許されているはずだ。そう聞いている。


『あの人はあの管理者ほどぶっ壊れてはいないが、それでも無限回廊の攻略を進める事に取り憑かれてる部分がある。そのためにはなんでもする……とまでは言わないが、お前が無限回廊の攻略を進めるためのエサくらいはチラつかせてくる可能性が高い』


 出立前に綱から言われた事が脳裏を過った。

 なんでもする。誰でも良いとかそういう事なのか。いや違うだろう。そんなはずはない。そんな意味のない事をする必要がない。

 なら、ダンジョンマスターはこれが俺のエサになると考えて……駄目だ、どうしても結び付かない。俺は一人でも攻略を進める。そこにサティナが冒険者として介入する余地などない。


「……ダンジョンマスターにそう強要されたのか?」

「強要? ……いえ、これは自分の意思です」

「さっぱり分からない。どうしてそうなるんだ。ダンジョンはそんな甘い物じゃない。迷宮都市の環境が整っているといっても、本質的なものは変わらないんだ」


 魂を摩耗させて、苦痛に耐えながら進む。この街では、仕事として成立する程度には対策しているとは聞いているが、それでも過酷な仕事である事には変わりない。


「冒険者の仕事は知っています。事前に動画という物を見せてもらったので、辛い仕事である事も分かるつもりです」

「では何故だ!」

「私の贖罪のためです」

「……しょく……ざい」


 サティナの真剣な表情に気圧される。

 予想外の単語に、言葉の意味を理解するまで数秒を要した。しかし、理解できたのは意味だけだ。この子は何を言っている。なんの罪があって、それを拭うつもりだというんだ。


「……この街に来て、ある方に出会いました」

「誰だ。そいつに何かを吹き込まれたのか。……まさか、ダンジョンマスターか」


 あの男がそんな事をするイメージがどうしても沸かない。


「いえ、この街の領主様です。ダンジョンマスターから見ると奥さんですね」

「領主だと……」


 それは、これまでまったく話に上がらなかった人物。完全に想定外の場所からのアプローチだ。警戒のしようもない。


「その方は私と良く似た境遇で、ずっと悔やんでいらっしゃいました。故意でないにせよ、異世界からダンジョンマスターを召喚してしまった事に」

「それは……」


 世界間転移術……。ダンジョンマスターが異世界の人間だというのは聞いている。

 術を使って呼び出したのがその領主という事なのか。だから、同じ境遇のサティナに接触したと……。


「これは『拉致』と変わりません。……私もそう思います。私たちは、あなたたち勇者の元の生活を破壊し、同意もなしにこの世界へと呼び込んだ咎人です」

「待て! それは……」

「否定はできないはずです。勇者様は被害者で、私は加害者という立ち位置は決して覆りません」


 確かに否定はできない。そう考えていたのも事実だ。


「だがそれは、強要されて何も知らずにやった事のはずだ」

「そうです。……余計にタチが悪い。優しい勇者様はそれを責める相手もいない」


 なんだこれは。一体どういう状況なんだ。冷静になれない。状況に飲み込まれている。


「勇者様を召喚した頃の私は無知で、愚かで、それが悪い事という事にも気付かずにいました」

「当たり前だ。悪いのはグラスたちだ」

「確かに彼らも罪はあるでしょう。だからと言って私が……私だけがそこから逃げていい理由にはなりません」


 奴らを引き合いに出すのはまずい。あいつらは死刑になるだろう。同じ罪と思っているなら、サティナが自殺する可能性すらある。


「無限回廊の管理者に操られている時、私には断片的ですが意識があったんです」


 それは有り得る話だ。洗脳されていた時の俺も意識だけはあったのだから。


「群体生物の構造はあまりに人間とかけ離れていて、得られた情報は多くありません。ですが、あの時私は管理者の知識を共有していました。……正直、理解できない事の方が多く、役に立つ情報なんて皆無です。けど、それでも無知だった頃の私が如何に愚かだったかを知る事はできました。……本当に、無知というのは罪だと実感しました」


 先ほどから感じていた違和感の正体はこれか。話し方も違うと思っていたが、あの管理者から知識を得た結果なのか。


「私には稀有な召喚魔術の才能があるそうです。世界を跨いだ召喚を成功させるくらいですから、当然ともいえますが」

「……だから冒険者になると? 召喚魔術の才能があるからといって、それだけでどうにかなるものじゃないぞ」

「いえ、才能はおまけです。そんなものとは関係なく、私はあなたの力になりたい。いえ、せめて道具になりたいのです」

「馬鹿げている。俺はそんな事望んでいない」


 俺は元の世界に帰る事を望んでいない。望郷の念がまったくないとは言わないが、それは極めて弱いものだ。

 力になりたい? それはあの世界に帰る事か、それとも無限回廊の深層へ辿り着く事か。そのどちらも俺にとっては手段だ。目的ではない。そこにサティナが介在する余地などない。


「勇者様の意思は関係ありません。これは私の意思で、私の贖罪です。勝手に強くなって、勝手にあなたの隣に立ちます。隣に私の居場所がないというのなら、道具として役に立ちましょう。……それとも、私はただ黙って罪を抱えたまま生きて行けと?」

「……そんな事は言っていないんだ」

「ベレンヴァール・イグムート。……あなたは私にとっての勇者ですが、私は勇者の助けを待つだけの囚われの姫ではありません。そんな救いなんていらない。私は自分の意思で前に進みます。そう決めました」

「…………」


 何故こうなったんだ。何をどう間違えた。

 それともこれが正解なのか。俺が間違っているのか。

 サティナに罪があるというのは分かる。確かに彼女は加害者で、俺は被害者だろう。だが、彼女は俺が守るべき相手で……。

 ……そもそも、それが間違いなのか。


「分かった……勝手にしろ。……ただし、一つだけ忠告する。そんな贖罪だとか誰かの道具になりたいとか、そんな考えで進めるほど無限回廊は甘くない」


 過酷だろうが、この街では冒険者は職業として成立している。俺のいた世界とは違う。

 だから、その道を選ぶのも本人の自由なんだろう。事実、俺はサンゴロに対しては止めたりはしていない。

 ……だが、それは決して罪を償うための方法であってはならないはずだ。


「それが苦しい道だという事は分かってます。でも、これが私の道です」

「……いつか絶対に壁にぶつかる。その時になってからでもいい。……良く考えてみるといい」


 贖罪のために力を手に入れるなんて、絶対に間違っている。それは確かなんだ。

 だが、俺はその意思を引っ繰り返す言葉は持っていない。別の回答も提示できない。


 どんな歪な形であれ、サティナはもう俺の正義の範囲からは飛び立った。あとは彼女本人が悩み、答えを探すべきなのだ。



 これは、俺の望んだ結末ではない。

 サティナがこの街の領主に何を吹き込まれ、どう思考誘導されたのか。

 あるいは真に自分の意思という事も有り得るが、少なくともきっかけは領主との出会いのはずだ。


 綱はダンジョンマスターを警戒しろと言ってくれたが、どうやら警戒すべきは別の奴だったらしい。






 夢は終わった。

 そしてここから始まる現実は、俺にとっての悪夢なのか、それとも救いなのか。


 ……誰にも答える事はできない。







- 第四章「理想へと至る一歩」完 -



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