第14話「負の境界を超えて」




-1-




 ベレンヴァール・イグムート。この世界ではない、異世界よりの来訪者。

 異世界の無限回廊の挑戦者であり、第七十層まで攻略済。ベースLv83。同じ基準で考えていいものかどうかは不明だが、それはこの世界では上級ランクに位置付けられる強さだ。

 存在しなかったはずのクラスは現在……< 魔王 >。種族名すら< パラサイト・レギオン >に書き換えられている。

 その手に持つ黒く歪な大剣を含め、おそらくはあの管理者が何かをした。パーソナルデータ……存在としての根幹部分を弄られたのだ。

 ただでさえベレンヴァールの戦闘能力は謎な部分が多い。元より強者なのだ。そこに上乗せされた力がどんなものであれ、無駄に強化されているのは間違いない。

 詳細なんて知らないが、< 魔王 >なんてクラスが弱いはずがないだろう。ロッテさんが存在を知ったら真っ先に取得しそうなクラスだ。


 ベレンヴァールは笑みを浮かべたまま動かない。黒い大剣は右腕からダラリと下げられ、戦闘態勢には入っていない。

 様子見にしてはおかしい。構えすら見せないのはいくらなんでも対戦相手として有り得ない。三階までの敵は出現とほぼ同時に襲いかかって来た。

 ……俺たちが始めるのを待っている?

 確かにここは制限時間付きのダンジョンだ。一時間以内に決着を付けなければいけない以上、こうして対峙だけしているのは俺たちが不利になるだけ。

 正々堂々っていうのでもないな。……ようするにヨーイドンで始めましょうって事なんだろう。……そんな気がする。

 これは余興だ。この戦いそのものが余興。あの管理者は遊んでいるだけ。勝敗すらどうでもいいと考えている。ましてや時間稼ぎ役の俺たちなんて、路傍の石のような物だろう。

 だって、ここは絶対に来なければいけない場所ではない。賭け自体はグレンさんたちとグラスの戦いで決着が付く。制限時間だって、三時間半も四時間半もそこまで違いはない。

 戦局にほとんど影響のない、こんなところに重要キャラクターを配置するメリットは一切ない。賞品が敵というのも面白いんじゃないか、という思い付き程度のイベントにしか見えない。

 調子に乗った奴らがパーフェクトを目指してるからその鼻っ面を折って遊んでやろうという程度の催し物だ。お前たちはそいつで遊んでいろと。


「……舐められてるな、僕たちは」


 傍らでフィロスが呟く。

 そうだ、舐められている。あの管理者はグレンさん以外が目に入っていない。そのグレンさんとグラスの戦いだってただの余興だ。

 あいつにとって俺たちは更にその添え物で、ベレンヴァールですらそれを弄ぶために使い捨てにできる程度の価値しかないと。

 ベレンヴァールも忙しい奴だ。あいつの掌でコロコロと転がされて、勇者だの魔王だのと。正直、同情する。……だが、負けてやる気は一切なくなった。


「ベレンヴァール、俺はあいつが気に入らない。だから、悪いがお前を倒して、そのまま五階に向かわせてもらう」

「センパイ……」


 美弓の声は、アレ相手に本当に勝つつもりなのかという疑問を含んでいた。だが後輩よ、この場でアイツに勝てないと思ってるのはお前だけだぞ。


 ゴーウェンが持つハンマーが石畳を鳴らす音には苛立ちが含まれている。

 フィロスからは見ずとも感じられる怒りが立ち上っている。

 俺を含めて、やる気のなかった負けず嫌い共の心に火が付いた。


「苦情は迷宮都市ででも聞いてやるから、いくらでも言え」


 向かい合い、剣を構える。わさわざ合わせたのか、俺たちが戦闘状態に入ったのを確認してベレンヴァールの殺気が膨れ上がった。



 静から動、一瞬でこの場が戦場へと切り替わる。

 戦闘開始したベレンヴァールはそのまま一直線にこちらへと飛び出して来た。極度の前傾姿勢。スプリントというよりはもはや四足獣の如き疾駆。距離などあってないような物といわんばかりの高速移動だ。

 ベレンヴァールが最初に狙いを定めたのは、俺たちの生命線である美弓。一番脆く崩しやすい上に、この中での最大戦力、そしておそらくは唯一まともにベレンヴァールへダメージを通せる火力だ。真っ先に狙うのは当然。どう見ても暴走状態なのに、そんなセオリーは守ってくるのか。それとも本能だけで一番危険だと察知したのか。

 だが、それは俺たちにとっても当然警戒していた展開だ。爆発的なスピードで迫るベレンヴァールと美弓の間にはすでにフィロスが陣取り、盾を構えている。


――――Action Skill《 魔装盾 》――

――――Skill Chain《 連装盾 》――


 美弓もただ守られているだけでなく、すでに短弓での迎撃体勢に入っている。

 ベレンヴァールの一撃目。突進からの斬撃は複層の魔力コーティングを施された盾によって完全に防がれた。

 合わせて俺とゴーウェンが迎撃に入るが、次の瞬間にはフィロスの盾を足場に大きく跳躍。そのまま天井を蹴り、すでに放たれていた美弓の矢を回避。


――――Action Skill《 トマト・キャノン 》――

――――Skill Chain《 連装弓 》――


 更なる追撃のため、《 トマト・キャノン 》で展開された超大型の弓に七本の矢が装填された。


――――Skill Chain《 ホーミング・シュート 》――


 発射と同時に発動したのは自動追尾付与のスキル。ただでさえ同時に七本。更に追尾能力まで付与された魔力の矢を回避する事は、ベレンヴァールとはいえ困難なはずだ。

 ダメージが通るかどうかは別として、まず当てる事に重点を置くのは正しい選択。

 俺とゴーウェンもベレンヴァールの着地地点へと向かう。飛んでいるのでもない限り、着地の瞬間は無防備になり易い。


――――Action Skill《 イリュージョン・ステップ 》――


 矢が着弾する瞬間、ベレンヴァールの姿がブレた。着地の直前に発動したスキルは以前アーシャさんが使用した《 ミラージュ・ステップ 》にも似ている。だが、見えた限りでも同じものではない事は確実だった。発動後もベレンヴァールの姿はブレ続けて見える。実体は判別できるが、残像が追尾しているような状態だ。

 美弓の矢だけではなく、俺たちの追撃も軽く躱される。予想はしていたが速い。美弓の矢の回避方向を予想して、二人でその先を塞いでも軽く逃げられた。ベレンヴァールはバックステップで距離を取る。


「……追尾無効化」


 呆然と、美弓が呟くのが聞こえた。


――《 動画で見たユキちゃんのクリムゾン・シルエットに近い効果みたいです。さすが異世界人。常識が違います 》――


 以前、ユキがそのスキルを使ったのは知っているが、俺たちが確認できるデータベース上に詳細はなかった。

 ユキ本人でさえ試行錯誤している状態なのに、そんな事を言われても良く分からん。とりあえず、《 ホーミング・シュート 》が無効化されているのだけは分かった。


――《 ひょっとしたら近接攻撃の追尾効果も無効化されるかもしれません 》――


 そんな効果のついたスキルは持っていないから関係ない。知る限り、三人ともそうだ。


――《 お前はどうするんだ 》――

――《 自力で当てるだけです 》――


 頼もしい事だ。頭に響く声からは自信が感じられる。追尾などなくても当ててみせると。

 なら、俺たちがやるのは当て易い状態を作る事だ。最悪、俺たちごと射線に巻き込む形でもお膳立てしてやらないと。

 ……仕切り直しだ。




-2-




 ニンジンさんが減った事により四人になったが、俺たちのフォーメーションはそう変わらない。前衛の俺とゴーウェン、盾役のフィロスと遠距離攻撃・司令塔の美弓だ。

 司令塔といっても状況判断して行動するのは個々人主体で行う。あいつがその役割を担うのは最後衛であるが故に状況が俯瞰できる事、あとは……


――《 トマト・キャノンの再使用まで三十秒、上手いこと足止めお願いします 》――


 最大火力を持つ美弓の攻撃タイミングの調整、そして何より《 念話 》による指揮ネットワークの構築だ。特に《 念話 》が能動的に使えるのが大きい。

 《 トマト・キャノン 》が展開できない間は、短弓を使い援護に回る。かなり威力は落ちるが、それでも準上級クラスの援護攻撃だ。俺たちにはありがたい。


――――Action Skill《 風装刃 》――

――――Skill Chain《 エア・スラッシュ 》――


 フィロスの主体はあくまで美弓の盾役だが、限定的ながらも遠距離攻撃が可能だ。それを火力として扱うには厳しい威力でも援護・牽制なら地味に助かる。


 戦いながらベレンヴァールの戦力を分析する。

 何かしらのスキル、あるいはクラスでブーストされているのか、パワー、スピード、反応速度、おそらくはHPまで怪物染みた身体能力。

 中でもヤバイのはスピードだ。俺もゴーウェンも攻撃速度はそこまで速くない。フィロスや美弓の援護があってようやく戦線を維持できるような状態だ。

 気を抜くと一瞬で形勢が変わる。そのフォローをしなければいけないのは後衛だ。ほとんど唯一のダメージソースである美弓の手が止まる。

 そしてあの黒剣。アレがかなり厄介だ。見かけの時点で普通じゃないが、性能もただの剣じゃない。


「くっ!」


 跳躍から振り下ろされた剣を受け止めると、そこから変形して鞭のように刃が曲がってくる。《 瞬装 》で一瞬だけ武器を仕舞い、すぐに戻す。

 ゴーウェンの巨大ハンマーのような重量物でなければ、こんな手段でもない限り絡め取られるか弾かれる。下手したら折ってくる事も有り得るだろう

 ロッテが使っていた鎌ほど自由自在ではないし、オートで変形もしないみたいだが、それでも伸びてくる剣というのはやりづらい。分かっても対処が困難だ。

 お互いに決定打はないが、確実に追い詰められている。

 あいつの動きは野獣のようだが、その目は俺たちの動きを冷静に観察し、すぐに戦闘行動にフィードバック、反映される。戦闘開始直後から比べてあきらかに動きが変わっていた。対応が早過ぎて、俺たちが追いつけない。このままでは《 トマト・キャノン 》を当てるどころではなく、攻撃が一切当たらない状況に陥りかねない。長引けば確実にこちらが不利。


――《 三秒後に足元でトマトちゃんを自爆させます。合わせて下さい。3……2…… 》――


 存在を忘れていたが、美弓は《 隠れ身 》を発動したトマトちゃんズを展開していたらしい。ナイスだ。俺からもその姿は見えないが、爆発するタイミングさえ分かれば対応できる。


――――Action Skill《 ストライク・スマッシュ 》――


 俺のスキル発動とほぼ同時にベレンヴァールの足元で立て続けに爆発が発生した。正確な数は分からないが、おそらくは残りをすべて投入した賭けだろう。

 複数回に分ければとも思ったが、確実に当てられるのは初見の今だ。その判断も正しい。ダメージはないが、一瞬だけベレンヴァールの動きが止まった。俺の剣がそのまま直撃コースに入る。


「らあああっ!!」

「グッ!!」


 初めてまともに通った攻撃。浅いが、これで終わりにするつもりはない。


――――Action Skill《 ハンマー・スイング 》――

――――Skill Chain《 パワースラッシュ 》――


 絶妙のタイミングでゴーウェンのハンマーが横合いから迫る。チャンスとばかりに俺も連携に入った。

 ベレンヴァールは剣で防御体勢に入るがどちらかは確実に決まる。このまま振り抜け!


――――Action Magic《 刻印術:ダーク・テリトリー 》――


 ベレンヴァールが切り返しに選択したのは、初見のスキル……いや、魔術なのか。

 一切の溜めなしに発動したそれは、ベレンヴァールの足元から黒い瘴気を一瞬にして立ち上らせ、結界のように覆い尽くす。

 結界系の防御魔術ではない。振り抜いた俺のスキルは剣で防がれたが、ゴーウェンのハンマーは命中したはずだ。問題はこの瘴気の効果……。


――状態異常効果のレジスト失敗――

――状態異常・毒/麻痺/呪縛/衰弱が発生――


 にゃろう……お前はどこの竜人だ。

 異常の効果はあまり大きくはないが、俺の指に装備された< メンタルリング >がなければ、精神系の異常も発生した可能性がある。

 [ 鮮血の城 ]のボーナスで一つだけもらったものだが、こういう場面に直面するとありがたみが大きい。現に装備していないゴーウェンは、俺以上に深刻そうな状態に陥っていた。


「センパイ、上っ!!」


 《 念話 》ではない美弓の声が上がる。

 瘴気が目眩ましになったのか、ベレンヴァールの姿はそこにはない。見上げるとベレンヴァールが天井に張り付いて……いや、立っていた。

 なんだそりゃ。足に吸盤でも付いてるのかよっ!!

 次の瞬間、天井を足場にして俺目掛けて落下……いや、跳躍。その加速は驚異的で、弾丸にも等しい。受け止めるだけでもダメージを受ける事必死だ。

 ……舐めるなよ。


――――Action Skill《 旋風斬 》――


 わずかコンマ数秒にも満たないタイミングに合わせ、ベレンヴァールの強襲を寸前で回避。そのまま回転で横から剣を叩き付ける。

 この土壇場でこれ以上ないタイミング。完全にカウンターで《 旋風斬 》が決ま……らなかった。

 ベレンヴァールは利き腕でない方の腕で< 不鬼切 >をガードする。その感触は超硬質の壁でも叩いてるような強固なものだ。剣でも盾でもなく、ただの生身で完全に防がれた。

 HPは削れたのか? 美弓かフィロスが見ているはずだが、それ以上に追撃するのに躊躇いがあった。

 こいつは攻撃途中から放たれたカウンターに対し、完全なタイミングでガードに入った。しかも武器を持った方の腕はフリーだ。《 旋風斬・二連 》で軌道を変えようが、受け身に入られれば逆にこちらがカウンターを挟み込まれる。その確信がある。

 ここは逃げの一手。スキルの硬直時間を無視する事はできない。だから、俺が逃げるのは前だ。


――――Skill Chain《 ブースト・ダッシュ 》――


 体勢を崩しながらもゴーウェンとベレンヴァールの間に入るように移動。


「立てるか?」


 俺の問いにゴーウェンが頷いた気がした。……返事しろよ。

 ベレンヴァールが振り返り、再び俺たちへ肉薄しようと屈む。


――――Action Skill《 雷装刃 》――

――――Skill Chain《 サンダー・スラッシュ 》――


 意識から外れた事でフリーになったフィロスが、横合いからベレンヴァールに迫る。

 《 エア・スラッシュ 》のような飛ぶ斬撃ではないが、雷属性と麻痺の追加効果を伴ったそれは、若干の射程延長の効果もあり瘴気を纏うベレンヴァールには正しい選択だ。

 実際掠る程度だが、その攻撃は命中し、わずかにベレンヴァールの体勢も崩れる。しかし、フィロスが考えなしに美弓から離れるはずがない。それは、必殺の一撃を放つための前準備だ。


――――Action Skill《 トマト・キャノン 》――


 見れば、美弓の手には巨大な魔力の弓が展開されている。フィロスが作り出した隙に合わせて、俺たちの最高火力が放たれる。


「ガアアアッッ!!」


――――Skill Chain《 トマト・ボンバー 》――


 光の矢が体を貫いた瞬間、辺りに閃光を放ちながら炸裂。

 ようやく命中した、俺たちのメインダメージソースだ。この結果によっては戦術を組み立て直す必要がある。ダメージは間違いなく通った。

 ……そんな状態でも動けるのか、ベレンヴァールは大きく後方へと飛び、俺たちと距離を取った。




-3-




 眩い光は数秒で消え去り、離れた場所にいるベレンヴァールの姿が確認できた。

 纏わり付いていた黒い瘴気はない。ダメージでキャンセルされたのか単純に効果時間が切れたのか、それは分からないが、ダメージの確認がし易くて助かる。

 ……ダメージ確認は必要なのだが、いっそ見なければ良かったかなとも思ってしまった。

 確かにダメージは入っている。入っているが、すべてのトマトちゃんズを投入してからの全身全霊、全力の一撃で与えられたダメージはHPにして一割も満たない。HPダメージに比較して肉体の損傷が多いように見えるのは、弓矢による貫通と内部爆裂の影響だろう。


――《 まずいですね。これであの程度のダメージじゃ決定打になりません 》――


 ベレンヴァールの腹部には大きな貫通痕が見られる。それだけを見るなら大ダメージのようにも思えるが、先ほどの跳躍を見る限り行動には支障がなさそうだ。ようやく届いた切り札のダメージとしては厳しい。しかも、その傷はなんらかのスキルか魔術ですでに修復が始まっている。

 最低でもこれを十発以上、自然回復する事を考慮すると短時間にそれ以上のダメージを叩き出す必要がある。

 ……不可能だ。博打にすらならない圧倒的な差がある。ただでさえ、ベレンヴァールは俺たちの戦闘方法を観察し対処を変えて来ているのだ。一度見せてしまった以上、二発目の《 トマト・キャノン 》すら当たるかどうか分からない。ついでにトマトちゃんズも品切れだ。


――《 ……リスクは覚悟しましょう 》――

――《 何かまだ手はあるのか? 》――


 隠してる秘密兵器でもあるなら助かるんだが、それなら前持って言っておいて欲しい。


――《 限界までスキルを上乗せして、トマト・キャノンの一撃に賭けます。当たればアレの数倍はダメージが稼げるはず 》――


 切り札はあくまで《 トマト・キャノン 》なのか。

 数倍じゃ届かないんだが贅沢は言えない。HP基準ならともかく、貫通ダメージによる肉体損傷なら可能性はありそうだ。


――《 どうしても溜めがいります。なんとか時間を稼がないと…… 》――


 それは美弓の援護なしでって事だ。しかも、そこから警戒されるであろう切り札を当たるためにお膳立てをする必要がある。

 冗談じゃない高難易度ミッションを提示されたもんだが……。


――《 分かった。溜めに入るタイミングは任せる 》――


 返答はないが、フィロスもゴーウェンも合意してくれたのが分かった。それしか手がないなら、なんとかするしかないのだ。


――――Action Magic《 刻印術:憤怒の剛腕 》――


 ベレンヴァールの体の一部が光を放ち、上半身、特に肩から腕にかけての質量が増大した。ただでかくなっただけではなく、密度まで増しているかのような迫力。付与魔術にある《 マキシマムパワー 》のような攻撃力増幅効果だろうが、《 憤怒の剛腕 》なんて魔術も《 刻印術 》も未知の物だ。

 状況から判断するにベレンヴァール本人が言っていた刺青の効果。予め刻み、魔力を貯め込む事で瞬間発動を可能にする特殊な魔術だ。

 先ほどの《 ダーク・テリトリー 》も同じ部類だとすると……厄介極まりないな。


――――Action Magic《 刻印術:暗黒の楼観 》――


 もう一つ。刺青が発光した。空中に魔法陣のような幾何学模様が展開され、そこから黒い魔力の矢が飛んでくる。


「散開!」


 飛んでくる矢は単発ではなく複数。展開された魔法陣から断続的に次々と射出されている。あれは、そこにある限り継続して矢を吐き出してくる類のものだ。


「フィロスっ!!」

「分かった!」


 対抗手段はフィロスの《 術式切断 》しかない。次々と吐き出される矢とベレンヴァール本人を警戒しながら、《 エア・スラッシュ 》で破壊してもらうしか……。


――――Action Magic《 刻印術:暗黒の楼観 》――

――――Action Magic《 刻印術:暗黒の楼観 》――

――――Action Magic《 刻印術:暗黒の楼観 》――


 おいこら。

 一瞬にして魔法陣が追加で三つ展開。飛んで来る矢が四倍に増えた。ご丁寧な事に射出間隔までずらしてあるようだ。

 一つはフィロスが《 エア・スラッシュ 》で破壊したが、そんなスピードで展開されては対応が間に合うはずがない。

 そして、ベレンヴァールが動き出す。向かう先はフィロスだ。《 術式切断 》ができるあいつ、そしてその後ろにいる美弓を狙うのは当たり前だが、《 暗黒の楼観 》から発射される矢が邪魔で俺たちと分断されている。

 ゴーウェンがギリギリのタイミングで割り込んだようだが、その体には複数の矢が刺さっていた。数が少ないように見えるのはあいつのギフト《 矢避け 》のおかげだろう。おそらくそれで割り込めたのだ。

 だが、一点突破の攻撃力もあり、防御力も高いゴーウェンでも盾役には向いていない。防御手段が少ない上にスピードがない。被弾覚悟でベレンヴァールと打ち合っているが、ほとんど一方的な展開だ。

 躊躇う時間はない。このままでは戦線が瓦解する。俺も被弾覚悟でベレンヴァールへと突っ込む。


――状態異常効果のレジスト失敗――

――状態異常・毒が発生――


《 暗黒の楼観 》から射出された矢を喰らった瞬間、毒の状態異常が発生した。くそ、こんな効果まであるのか。やりづらい。

 ベレンヴァールの後ろから斬りかかり、前後から攻め始めてようやく互角。矢が飛んで来る分、持久戦になればこちらが圧倒的不利。だが突破口がない。


――――Action Magic《 刻印術:暗黒の楼観 》――

――――Action Magic《 刻印術:暗黒の楼観 》――


 また追加の魔法陣。冗談じゃないぞ。

 これはどう見ても瞬間発動できるような類の魔術じゃない。フィロスが合間を縫って破壊するが、間に合ってない。


――《 あたしも魔法陣の破壊に入ります 》――

――《 くそ……分かった 》――


 美弓も《 術式切断 》に似たスキル《 術式貫通 》を持っている。

 線の斬撃でなく点の攻撃となるそれは、どちらかというと攻撃よりのスキルで魔法陣を破壊するのには向いていないが、この際構っていられない。美弓が溜めに入れないのはまずいが、それでもこのままではジリ貧だ。


――――Action Magic《 刻印術:偽装魔導陣 》――


 俺とゴーウェンが肉薄する中、無数の攻撃を捌きながらベレンヴァールが新たな魔術を展開する。

 それは攻撃の魔術ではなく、矢を発射する魔法陣と同じ物が複数展開された。名前からしてダミー。

 魔法陣は固定型だ。最初は新たに発生したそれを壊していけば良かったが、新たに《 暗黒の楼観 》が展開されると同じタイミングでダミーの魔法陣が展開される。

 矢は射出されないが、等間隔で放たれるわけでもないそれを待ち、見極めるのはこの状況では厳しい。


 ロッテが牽制用の《 ファイアアロー 》を放つような……いや、それ以上のスピードで次々と大魔術を展開してくる。

 ベレンヴァールにとって、魔術の行使は接近戦の一動作と同じような物なのだ。呼吸をするのと同じような感覚で行使する事が、一人で無限回廊に潜る上で必要な技術だったのだろう。

 溜めの時間が必要ない。MP消費も必要ない。魔法陣が必要な大規模魔術ですら関係なく展開可能。それはメリットばかりに見えるが、本人から聞いてる事でもある。

 デメリットは、あくまでそれらは残弾制という事だ。体に刻まれた刺青の分。そこに充填された術の分しか行使ができない。いくらでも使えるわけではない有限の攻撃手段だ。

 問題は、一体どれだけの術式を刻んでいるのかが分からないという事……。

 ベレンヴァールの体が自身の魔力光に反応して発光し、肌に模様が浮かび上がる。注視すると、発動する以外の刻印も薄っすらと反応しているのが分かる。それは多分、継続して発動している魔術の刻印。よく見れば全身に隙間なくびっしりと刻まれ、膨大な量の魔術のストックがある事を意味していた。

 ……駄目だ。残弾切れは狙えねえ。どんだけ刺青してるんだよ。普段は見えないとはいえ、銭湯に入店拒否されるぞ。




 高速で振り回される黒剣をひたすら凌ぐ。

 正面からではパワー負けするのは確実だ。打ち払い、力を受け流しながら必死に耐えても、次の瞬間には斬撃が待っている。パワーでもスピードでも勝負が成立しない。

 その上、その合間合間で展開された《 暗黒の楼観 》から矢が飛んで来る。掠ったくらいではHPの壁に阻まれるが、HPを貫通してわずかでもダメージを許した瞬間、状態異常判定が発生した。

 効果は判定の度にランダム。これは、どれかには耐性がないだろうと、あたりすら付けずに不特定多数の状態異常を狙ったゴリ押しの戦術だ。

 おそらく、異常抵抗に失敗したものを重点的に狙うための布石に使うだろう。

 精神系の異常は装備した< メンタルリング >の抵抗で防いでいるが、毒、麻痺などへの抵抗は不可能だ。一回一回の効果は弱くても無数に状態異常が積み重なっていく。

 ゴーウェンは《 矢避け 》の能力で俺より被弾は少ないが、確実に俺より深刻な状態だ。顔色が悪い。

 こんな相手に持ち堪えるのは二人でも不可能に近い。攻撃が通る度にダメージは通ってる実感はある。だがそれは本当にわずかで、自己回復でなんとかしてしまうんじゃないかという程度のものでしかない。

 わざと攻撃を受けているという事も考えられる。ベレンヴァールはこういう多対一の戦局に慣れているはずだ。どうすれば攻撃するための隙を作れるのか、どうすれば戦闘を優位に運べるのかを熟知している。

 感覚を研ぎ澄まし、矢を潜り抜けながらベレンヴァールの嵐のような斬撃に対応する。

 両方合わせても、少なくとも剣刃さんよりは隙はある。手数は多く尋常じゃないスピードだが、打ち込む隙はあるのだ。そこに至らないまでも、俺たちは二人だ。ゴーウェンが攻撃する隙くらいは作ってみせろっ!!


「ああああっっ!!」


 わずかに発生した隙に合わせて渾身の振り下ろし。それは剣で防がれるだろうが、一瞬でも動きは止まるはずだ。

 その攻撃がぶつかり合う瞬間、違和感を感じた。注意がそこに向いていなかった。あれだけ打ち合えば気にしてしかるべきなのに、頭から抜けていた。


 剣が砕ける。グレンさんから借りた、高耐久値の剣が全損した。ベレンヴァールはそれに気付いている。……いや、狙っていた?

 まずい。ここで手を止めれば二人ともゲームオーバーだ。そうすれば瞬く間にフィロスと美弓も倒されるだろう。

 技後硬直のリスクを負ってでもここは追撃をかけるべきだ。ならば最適な行動はなんだ。相手の警戒の上を行く行動は……。


――――Action Skill《 瞬装:ニーダガー - パワースラッシュ 》――


 剣の代わりに膝用の剣を装備、ジャンピングニーを放つ。体術スキルではないが、《 パワースラッシュ 》の影響でスピードだけなら速い。

 膝蹴りは想定していなかったのか、ベレンヴァールの動きに一瞬迷いが見えた。

 ベレンヴァールの斬撃は肩口に受けたものの軽傷。代わりに俺の加速した膝蹴りが入り、一瞬動きが止まる。


「ゴーウェンっ!!」


 それは大きな隙だ。狙っていたかのようなタイミングでゴーウェンのハンマーが振り下ろされる。


――――Action Skill《 バスター・クラッシュ 》――


 振り下ろされる巨大ハンマーは、それ単体ならベレンヴァールに命中する事はないスピードだが、今は俺に注意が向いている。

 剣も振り切ったあとだ。ベレンヴァールは左腕でそれを迎撃しようと振り上げるが、少なくとも必中は間違いなしの攻撃。

 左腕だけで防ぐには強力な攻撃だ。いくらなんでもそれはダメージ必死の苦し紛れの行動に見えた。


「食ライツケ」


――――Action Skill《 魔狼の顎 》――


 ベレンヴァールの左腕が膨れ上がり、その姿を変える。黒い塊と化したベレンヴァールの左腕がハンマーに向けて大きく口を開く。

 鋭い牙を持つその口はゴーウェンの巨大なハンマーを丸ごと喰らい、その柄までも飲み込んだ。


「ぐぅっ!!」


 ゴーウェンの声が上がる。巻き込まれて右手の指が何本が食い千切られ、更には巨大化した腕に吹き飛ばされた。それだけで致命傷に近い一撃だと分かる。

 まずい。

 まずい。まずい。まずい。

 ゴーウェンが武器を失った。代用品はあるかもしれないが、あいつに即時に装備を変更する手段はない。

 戦線が崩壊する。俺だけが動けてもしょうがない。


「センパイっ!!」


 美弓の声が上がる。その意図は理解した。

 ここを逃せばあとは時間が経つほどに状況が悪くなる。数分後には瓦解するだけだ。崖っぷちもいいところだが、ここで決めるしかない。

 フィロスがこちらに向かうのが分かった。最低限の魔法陣は破壊したという事だろう。美弓の盾役を放棄してでも、ここはベレンヴァールの足止め、時間稼ぎをすべきと理解したのだ。

 ここが正念場だ。




 俺は《 瞬装 》で片手剣を装備、手数で攻め始める。ダメージを通す必要はない。

 合流したフィロスが選択したのは麻痺狙いの《 サンダー・スラッシュ 》だ。

 ゴーウェンへ回復魔術をかけにいく余裕はない。ここで粘ればあいつは手持ちのポーションで回復するはず。ここはひたすら攻めろ!


――――Action Skill《 HP変換 》――

――――Action Skill《 能力値変換 》――


 美弓が足を止めて行動を開始した。必要最低限のみの能力を残し、魔力とMP以外変換し矢へ上乗せする捨て身の戦法だ。

 空気が変わった事にベレンヴァールも気付いた。その発信源が美弓である事はすぐに看破される。だが、行かせるわけには行かない。あれは正真正銘の切り札だ。

 何がなんでも通す!


――――Action Skill《 トマト・キャノン 》――


 これまでにない大きさの魔力弓が展開される。体の数倍はあろうかという巨大な弓、それは美弓のすべてを注ぎ込んだ最強の弓だ。

 ベレンヴァールが剣を左腕に持ち替えた。

 ……何かが来る。


「……穿テ」


――――Action Skill《 蛇龍の暴走 》――


 ベレンヴァールの右腕が、ゴーウェンに食らいついた物とはまた別の黒い蛇となって伸びた。その先にいるのは美弓だ。

 俺の斬撃は片腕だけで捌かれ続け、間に合わない。

 代わりに距離を離して戦っていたフィロスが、伸びた腕と美弓の間に飛び込んで立ちはだかり盾を構えた。フィロスの体はそれに押され、盾もまたヒビが入るほどのダメージが発生したが、辛うじて踏み留まる。蛇は尚も顕現し、暴走を続ける。

 だが、ベレンヴァールの追撃は更に続く。


――――Action Skill《 終の断頭台 》――


 最初にそれに気付いたのは、発動地点から距離のあった俺だ。

 スキルであるはずなのに本人からは遠く離れた場所で発現したそれに、対象であるフィロス本人が気付いていない。

 宙に展開されたのは本来武器として使われない処刑用の器具ギロチン。巨大で真っ黒な刃のみが猛スピードで迫る。


「フィロスっ!! 逃げ……」


 フィロスが抑えこんでいる蛇を放置はできない。

 だが、そのギロチンはマズイ物だ。決して喰らってはいけない。形状はシンプルで、ただの刃物にしか見えない。だが、そんな簡単な代物であるはずがない。

 数瞬前に気付いたフィロスだが、回避は間に合わない。ギロチンはフィロスの頭上から落ち、容易くフィロスの両腕を切断した。

 盾で抑えこまれていた蛇も、力を失った盾を粉砕しつつ最後の突進をかける。


「がっ、があああああっっっ!!」


 時間制限なのかその後すぐに蛇は消えたが、フィロスのダメージは甚大、死んでないだけの状態だ。

 戦闘の継続は困難極まる。治療に人員を割けない以上、このまま失血死する可能性も高い。あれではポーションも飲めない。


「くそっ!」


 ベレンヴァールは左腕で俺と打ち合いながらこれをやってのけた。もう一度同じ事を俺にやられただけで完全に終わる。


――――Action Skill《 魔装弓 》――


 だが、そんな状態にありながら、美弓は諦めてない。


――――Action Skill《 収束矢 》――


 大きく展開広がった光の矢が収束する。


――――Action Skill《 収束矢 》――

――――Action Skill《 収束矢 》――


 巨大だった矢はその光を強く、強く放ちながら凝縮されていく。ただ、一点を貫くために。美弓は俺たちを信じてただ一点のみを見ている。

 その勇ましい姿を見て、諦めかけていた心がわずかに奮い立った。

 大丈夫だ。まだ俺は立っている。体張って止めてやるよ。


 わずか数秒間の攻防。たったそれだけの間にどれだけの斬撃を放ったのか。

 ほとんどが避けられ、弾かれ、受け流され、一方ベレンヴァールの斬撃は浅いながらも俺の体に切り傷を量産していく。

 本当だったら足を止めてしまうような攻撃も受けたが、止まる気はない。そんなのは慣れっこなんだ。

 ベレンヴァールの斬撃にも迷いがあるように見える。何故俺を仕留め切れないのか理解できないのかもしれない。

 時間がないのはこいつも一緒だ。美弓の準備はほとんど終わっているはず。あとはそれを当てるための隙を俺が作れるかどうかの戦いだ。


――――Action Skill《 収束矢 》――


 最後の収束が終わる。太陽の如く輝く、これ以上ないほどに圧縮された光の矢は今にも放たれそうだ。

 しびれを切らせたのか、動き出したのはベレンヴァールからだ。


――――Action Skill《 魔狼の顎 》――


 ゴーウェンのハンマーを噛み砕いた黒い狼の大口が再び顕現した。

 その動きは速く、このままだと俺はただ飲み込まれるだけだろう。武器すら飲み込むそれに対応するには、本来なら大きく回避する必要がある。

 しかし、俺の目にはこの最高のタイミングで接近する仲間の姿が映っていた。

 ベレンヴァールの背後からゴーウェンが突進を仕掛ける。武器もスキルも何もないただのタックル。だが、放たれた《 魔狼の顎 》の軌道がズレるには十分だ。

 狙うならここだ。あとは限界までスキルを叩き込んで、美弓に俺たちごと仕留めさせるっ!


「ああああっっ!!」


――――Action Skill《 瞬装:不鬼切 - 旋風斬 》――


 武器を持ち変えての全力での横薙ぎ。ゴーウェンが体勢を崩してくれたおかげで直撃が入った。


――――Skill Chain《 旋風斬・二連 》――


 続く二撃目。これも直撃が入る。そして、三撃目を放つ瞬間、俺は強烈な違和感に襲われた。

 ザワリと……全身の体温が一瞬にして奪われるような悪寒。おかしい。いくら体勢を崩されたとはいえ、こうまでまともに喰らってくれる相手じゃない。だが、もう連携は始まっているのだ。もう、止まれない。


――――Skill Chain《 旋風斬……

――――Action Skill《 蛇龍の暴走 》――


 俺のスキルに割り込みをかけるが如く、ベレンヴァールの右腕が膨張した。こいつ、相打ち覚悟で……。


「がああああっっ!!」


 至近距離。ノーガードで俺の胴体へと巨大な蛇が食らいついてくる。

 スキルを中断された俺は何もできずに、暴走する蛇の突進で天井まで運ばれた。

 胴体に噛みつかれてはいるが、まだ食い千切られてはいない。だが、HPがなくなれば一瞬で真ん中から分断されるだろう。

 ガリガリと天井を削り取りながら、俺はベレンヴァールとの距離が離れていくのを見つめていた。


 くそ。くそ! くそっ!!

 最後の最後でなんてザマだ。

 これまで連携中に割り込みをかけてくるのを狙って来る奴なんていなかったが、ここまで身体能力の差があれば可能かもしれないと想定してしかるべきだった。俺ならできると、安易に連携に頼ったのが間違いだった。これは致命的なミスだ。

 視界に映るゴーウェンはまだ諦めていない。ベレンヴァールの背後から組み付き、その動きを止めている。だが、その程度じゃ簡単に抜けられる。美弓が狙いを付けるのは足りない。不可能だ。


――――Action Magic《 刻印術:バーニング・テリトリー 》――


 ベレンヴァールの周囲が、ゴーウェンを巻き込んで燃え上がる。

 その熱量は分からないが、類似した名前の《 ダーク・テリトリー 》の効果から察するに、致命的な熱を放ってもおかしくない。


――――Action Magic《 刻印術:バーニング・テリトリー 》――

――――Action Magic《 刻印術:バーニング・テリトリー 》――


 重ねて二度、ゴーウェンを炭にでもしようかという勢いで燃え上がった。

 なんとか、なんとかしないといけない。距離が遠い。蛇をどうにかする手段もない。ゴーウェンは今にも崩れ落ちそうだ。このままじゃ終わる。


――《 大丈夫、任せて 》――


 そのタイミングで聞こえたのは戦線復帰は不可能と思われたフィロスからの《 念話 》。

 死角になって見えなかったが、口に剣を咥えたまま疾走するフィロスの姿が見えた。

 ベレンヴァールがそれに気付いたのは、接触のほんの少し前。今にも起死回生の一撃が放たれるという、その時だ。


――――Action Skill《 パワースラッシュ 》――


 フィロスは口で咥えた剣で、ベレンヴァールの顔面目掛けて《 パワースラッシュ 》を放つ。

 両腕がない状態。ほとんど死体同然の状態で、訓練で一度しか成功させていない手以外での剣技発動を成功させた。

 ベレンヴァールの動きが……止まる。


「美弓っ!! 今だっ!!」


――――Action Skill《 魂の一矢 》――


 俺のかけ声が合図になったどうかは分からないが、美弓の弓から強烈な光の線が伸びた。

 射出の瞬間には部屋の外壁に到達する、回避不可能な閃光の一撃。


――《 センパイ、また迷宮都市で…… 》――


――――Skill Chain《 トマト・ボンバー 》――


 強烈な、部屋の中のすべてが消滅したのではないかと思わせるほどの光。美弓はその最強の一撃を当て切った。


 消滅した蛇から解放され、天井から投げ出された俺は、視覚が回復するのを待って美弓の姿を探した。

 体中の傷と骨折でボロボロだが、こんなものは慣れている。それよりも状況確認だ。

 見渡しても美弓の姿はない。最後の《 念話 》で予想する限り、あいつの最後の一撃は本当に身を削って撃った一撃だったのだ。

 爆発の至近距離にいたフィロスとゴーウェンの姿もない。


「……はは」


 思わず、乾いた笑いが出た。

 光が晴れた向こうに影があった。それは見慣れた姿で、俺たちが全身全霊を賭けて挑んだ男のものだ。

 あの究極の一撃を直撃させて尚、ベレンヴァールはまだ健在だった。


 その姿は至るところに貫通痕と火傷、裂傷があり、満身創痍といえる。あの分だとHPだってほとんどないはずだ。だが、こうしてまだ立っている以上、死んではいない。

 なら、最後の締めくらいは生き残った俺がやらないといけない。あんな状態でも強敵に違いはないだろうが、やり切らないとあいつらに顔向けできない。

 俺はベレンヴァールに向かい、再度駆け出し――


――足が動かなかった。


 なんだ。俺はもうボロボロだが、歩けないというほどじゃない。ここまでの無数の死闘で得た経験則でそれは分かる。なのに、足は前へ進まない。


「……あ、れ……?」


 不意に出た声が震えている。

 ああ……知ってる。これは恐怖だ。あれが、今に至って尚最大の脅威であると本能が警告を発しているのだ。

 ベレンヴァールの体が震えた。自分で動かしたというよりも、中身から膨張するというイメージが近い。


「グ……ガアアアアアアッッッッ!!!!」


 耳を劈くような咆哮は、衝撃波でも起こしたように部屋の空気を震わさせた。

 ……ベレンヴァールの姿が……変わる。



――――Passive Skill《 進化する魔人 》――




-4-




「ゥガァアアアアアッッッッ!!」


 ベレンヴァールの体が内側から膨張し、急速に傷を修復、全身が鱗のような物体に覆われていく。

 角が更に巨大化し、手には凶悪な鉤爪、そして黒剣が同化していた。尻尾まで生えてきぞ、おい。正真正銘の化け物へ大変身だ。どこのラスボスだ。

 冗談の一つも言いたくなるような理不尽な状況。

 こうして対峙していると良く分かる。……アレは危険なモノだ。

 向かい合っているだけで本能が絶叫を上げるような魔の化身。心の弱い者が見ればそれだけで自らの命を断つような、そんな存在。


「ぐっ!?」


 これだけ距離が離れていて尚感じる圧倒的気配。

 状態異常など発生していないのに、足が張り付いたように動かない。本能が近付く事を拒否している。アレに近付けば死ぬと。

 だからといってどうする。このまま放置しても状況は悪化するばかりだ。あいつの姿はこうしている間にも変形を終えようとしている。

 それに伴ってプレッシャーが増していく。どこまでも広がるような負の気配が場を支配していく。この場に立っているだけで心臓が停止するような脅威は時間を追うごとに増幅していく。

 ただやられるのを待つだけなのか。そんな事のために俺は生き残ったのか。


 何かがあるはずだ。命にしがみついて抵抗するのは得意だろ。渡辺綱!



――――Action Skill《 強制起動:飢餓の暴獣 》――


「な……に?」


 有り得ないシステムメッセージを見た。一瞬ベレンヴァールが発動したのかとも思ったが、これは俺のスキルだ。

 少し遅れて、何度か体験した《 飢餓の暴獣 》の感覚が体の芯から湧き上がってくる。

 状況が理解できない。発動条件は満たしていない。HPはないだろうしズタボロでもあるが、まだ動ける範疇だ。過去に《 飢餓の暴獣 》が発動したような危機的状況には、まだ追い込まれてはいない。


 ……おそらくは、本能が《 飢餓の暴獣 》を必要とした。

 今、正に変わりつつあるベレンヴァールの姿。《 進化する魔人 》に誘発されるように、《 飢餓の暴獣 》が強制起動した。

 原因は生命の危機。生きるために必要な力を無理矢理引っ張り上げてきたような状態だ。


 不意のスキル発動に合わせて、急速に俺の理性が塗り潰されていく。


 黒い何かが俺の存在を掻き消していく。


 獣性と暴力が支配する本能の獣に近付いていく。


 このまま身を任せれば、いつものあの状態に陥るのだろう。意識はあっても、凶悪な獣性に支配されたあの状態に。




 意識が闇に落ちていく感覚の中で、ふと疑問に思った。本当にこれで良いのかと。


 あの怪物を相手にするのは確かにこのままでは不可能だ。勝利への道なんて糸のようにか細過ぎて、果てしない。

 このスキルは確かに強力で、異常なまでの力を俺に与えてくれる。ここで勝ちを拾うつもりなら絶対に必要な力だ。……だからといって、本能にすべてを任せてしまっていいのか?

 それは本当に俺なのか。勝ちたいと思った俺自身なのか? それで本当に勝てるのか?


 飢えた獣は理性を失っているのか。

 暴れる獣は何も考えていないのか。


 程度の低い獣はそうかもしれない。理性を殺し、興奮状態で肉体を維持し、本能のまま暴れ回る。それは生きるという本能に根付いた闘争のシステムだ。


 しかし、真に強い獣とは。

 どんな極限状態だろうが自分を見失わず、ただ冷静に生き抜くための最善を尽くす。

 興奮と凶暴性だけでは勝てない。意識を閉じて考えず本能に身を任せて感覚のまま戦うには、目の前の敵は強大に過ぎる。

 このか細過ぎる道は、本能だけで踏破できる物では決してない。


 だから冷静に、冷徹に、冷酷に、生きるための道を探し出し、見つけ出し、走り出せ。

 凶暴なる獣を本能ごと飲み込み、か細い因果の道を踏破しろ。

 それは決して舗装された道ではない。誰もが歩める道ではない。そもそも道ですらないかもしれない。

 だが、獣が生き抜くための道は確かにあるのだ。勝利への道はある。


 大体、こんな劣勢に追い込まれた状態だろうが、元々地力の差が嫌になるほどある相手だろうが、そこを本能だけに任せていいはずがない。

 こんな大事な場面で自分を見失ってたんじゃ、それではい勝ちましたって言われても嬉しくもないし、楽しくもない。

 ……引っ込めとか言うんじゃねえよ。お前が引っ込んでいろ。ここは俺の戦場だ。


『だが、君はそれでいいのか?』


 いつかラディーネに言われた煽り文句が蘇った。ああ、そうだ。オトコノコなんだからさ……。


「意地ぃ張らねえとなあっ!!」


 俺の中で、何かが鼓動するのを感じた。

 生物としての本能で、《 飢餓の暴獣 》のステージが上がったのを理解した。




 荒々しい暴力染みた力が体の奥で蠢いている。膨張した筋肉が傷口を覆い隠し、急速に修復が始まっている。

 しかし、理性はそのままに、俺は俺のままベレンヴァールと対峙している。


 状況は整った。次が最後のぶつかり合いになる。そう確信がある。

 《 飢餓の暴獣 》は俺の切り札でもあるが、推測するに、発動してようやくさっきまでのベレンヴァールとまともに戦えるかどうかといったところだろう。

 その上、タイムリミットは短い。今の状況は長く続ければそのまま終了だ。大体、アレはそんな生易しいものじゃない。


 深く、深く息を吐いた。


 次で全力を出し切る。俺のすべてを出し切る。それで届かなければ負けだ。その次はない。

 攻撃を許してはいけない。何か行動を起こす前にケリをつけろ。それが勝利への第一条件で、絶対条件だ。


 あきらかに強化されているベレンヴァールに対し、ダメージを通せる可能性のあるものはなんだ。

 グレンさんから借りた剣はすでに耐久値限界を超えて粉砕した。< ヘヴィ・ペネトレイター >なら貫通はするかもしれないが、残弾は一発だ。当てるにしても俺の腕では前段階がいる。

 ……ならば。


――――Action Skill《 瞬装:無銘の刀 》――


 おそらく、この瞬間最も適した武器は刀だ。飲み込んだ本能でそう理解した。

 《 看破 》で確認する限り、ベレンヴァールのHPは回復していない。それでもまだ一割以上は残っている。

 弓と同じく、あの分厚いHPの壁を貫きダメージを与えるためのクリティカル。その補正がかかる刀なら、最低限の博打は打てる。

 何より今手元には< 不鬼切 >と< 紅桜 >という二つの武器もある。十分とは決して言えない状況だが、それでもこれが最適解だ。

 問題はスキルだ。刃が付いている刀であれば《 ストライク・スマッシュ 》も発動可能になるが、《 旋風斬 》と合わせても火力が足りない。《 鬼神撃 》なら多少ダメージの見込みはあるが、鬼じゃないから特攻効果は乗らないだろう。あいつ魔王だし。


 何か、新しい手が必要だ。

 引っ掛かりのような閃きは頭の片隅にある。だが、考える時間はない。あいつが変身を終える前に、終わらせる必要がある。

 あとは本能と理性を信じて立ち向かう。


――――Action Skill《 ブースト・ダッシュ 》――


 《 飢餓の暴獣 》が発動した状態での《 ブースト・ダッシュ 》はほとんど瞬間移動とも呼べるレベルでの接近を可能とした。

 強化された感覚で辛うじて知覚できる移動速度。物理限界はどこに行ってしまったのかという速度を実現する。

 変身途中とはいえ、ベレンヴァールも反応した。その肉体の一部となった剣で俺への迎撃体勢を取る。

 まだ俺の刀は鞘に収まったままだ。納刀状態から発動できる技は今の俺にはない。

 ……そう、そんなものは習得していない。


 お互いの距離がゼロになる瞬間、俺は刀に手をかけながら不思議な感覚に襲われていた。

 発動している今だからこそ分かる。《 飢餓の暴獣 》は人間では使用できないスキルを使用可能にする効果を持っている。《 食い千切る 》に代表されるモンスタースキルがその例だ。

 しかし、今なら更にその先があるんじゃないかと、体が反応した。

 抜刀。鉄拵えの鞘から刀を一気に引き抜く。居合いの理で抜刀速度が加速した。


――――Skill Chain《 強制起動:瞬閃 》――

――――System Alert《 強制起動によりスキルレベルにマイナス2の修正 》――


 ほとんど無意識の内に発動したのは、習得していないはずの刀技。剣刃さんとの訓練で何度か見せられた超神速の抜刀術だ。

 加速に上乗せされた加速、そこから放たれる抜刀術はマイナス修正があったとしても、光のような速さでベレンヴァールに深い裂傷を刻む。


 なんだこれは。何が起きている。

 いや、今は自分の感覚を信じろ。その上から理性で本能を制御しろ。習得してようがしていまいが関係ない。自分の"識るすべて"を叩き込め!


――――Skill Chain《 旋風斬 》――


 そのまま《 旋風斬 》の横薙ぎに繋げると、刀が爆散した。バラバラに砕けた鉄の欠片が舞う。《 瞬閃 》を強制起動した弊害なのか、耐久値は全快だったはずなのに、たった二撃で粉砕だ。


――――Skill Chain《 瞬装:不鬼切 - 旋風斬・二連 》――


 そのまま< 不鬼切 >へと切り替えての《 旋風斬・二連 》。軌道を変えるまでもない。今の状態なら当たる。全力で叩き込む!

 そして、次の攻撃を放つためにもう一回転した瞬間、先ほどの違和感の正体に気付いた。《 瞬閃 》と同じ、習得していないスキルを発動する感覚。俺は、無意識の内にこれを出そうとしていたのだと。


「まだだっ!!」


――――Skill Chain《 強制起動:旋風斬・逆風の太刀 》――

――――System Alert《 強制起動によりスキルレベルにマイナス3の修正 》――


 剣刃さんに一度しか見せてもらった事のない《 旋風斬 》の逆回転。反動で更に高速になった刃は光の竜巻となってベレンヴァールの体へと叩き付けられる。

 体が中心から軋み出した。これは本来なら有り得ない技の発動だ。必ずリスクを背負っている。だが、無難な選択肢など有り得ない。

 ならば、と。俺の中で確信めいた予感があった。


 刃のない< 不鬼切 >では発動できない技。俺の見た事のある中で最も攻撃力のある刀技。

 それを無理矢理発動させる。< 紅桜 >なら無理矢理でも発動できるはずだ。


――――Skill Chain《 瞬装:紅桜 - 強制起動:夢幻刃 》――

――――System Alert《 強制起動によりスキルレベルにマイナス9の修正 》――


「おおおおおおっっ!!」


 それは、この技を創り出した男のものとは似ても似つかないような貧相な技。

 使いこなせていないという剣刃さんに見せても、きっと苦笑いされるだけの未完成品。未熟な俺が発動するには過ぎたシロモノだ。


 血のような赤い刃の斬撃が無数に残像を残す。

 刀の速度ではなく、任意で放たれた斬撃のみの速度を変え、狂ったタイミングで斬撃が乱れ咲く。

 奥義とも呼べる"発動前の斬撃"の顕現はできない。極めれば防御困難、攻防一体の剣の結界を作り出す《 夢幻刃 》には至らない。だが十分だ。


 《 旋風斬・逆風の太刀 》で体勢を崩したベレンヴァールに無数の赤い斬撃が放たれる。

 同箇所を同方向から同時に斬り割く斬撃。《 夢幻刃 》はそんな物理法則を無視した攻撃を可能とする。

 凶悪なまでに強化されたベレンヴァールの皮膚でもそれは例外ではなく、いとも簡単に無数の裂傷を作り出した。

 それは美弓の《 トマト・キャノン 》に匹敵するダメージを叩き出したはずだ。


 ……あー、すいません夜光さん。


 < 紅桜 >が砕け散る。

 あまりに無理なスキルの発動。巨大なマイナス補正を喰らったアクションスキルは、武器の耐久値も大量に消費した。

 粉々に砕け散った< 紅桜 >は《 夢幻刃 》の赤の軌跡と重なり、その名前の如く血の桜が舞う風景を連想させる。

 この血みどろの戦場には不釣り合いな、見とれてしまうような幻想的な美しさだ。


 ここで止まるわけにはいかない。ベレンヴァールはまだ生きている。この程度で沈むなら、美弓の一撃で終わっている。

 相手のダメージを確かめる余裕はない。だから、肉体の限界まで、俺の限界まで、渡辺綱の限界まで、すべてを叩き込め!


「あぁあああっっ!!」


――――Skill Chain《 ローリング・ソバット 》――


 《 飢餓の暴獣 》で爆発的に向上した上での、ただの回し蹴り。

 スキル連携の途中で武器が壊れた際の保険として習得しただけの体術スキル。サージェス直伝とはいえ、スキルレベルは1。何の補正もかかっちゃいない。

 だが、次に繋げるためならば発動するだけで十分なのだ。スキル連携は繋げれば繋げただけ、後続スキルの発動の難易度と威力に補正がかかるのだから。


――――Skill Chain《 強制起動:サイクロン・ソバット 》――

――《 強制起動によりスキルレベルにマイナス5の修正 》――


 だから、無理矢理にでも繋げる。体がバラバラになりそうでも、そんなものは無視だ。

 《 ローリング・ソバット 》を放った逆方向からの連続回し蹴り。サージェスお得意のスキル連携の一つだ。散々見せられたんだから、たとえ習得してなかろうが今の俺にできないわけがない。


 無理な連携、スキルの強制発動の反動が肉体へと返ってくる。《 飢餓の暴獣 》で強化された肉体ですら悲鳴を上げる。

 体感的に分かる。これ以上の無理は俺の体が文字通り爆散する。……あと一手が限界だ。

 今ならきっと、可能性があるのならどんな低確率の事象でも引き寄せる事ができる。だが、確率0ではそれも成立しない。

 ならば、最後の一手は一つしかないだろう。


――――Skill Chain《 瞬装:ラディーネ・スペシャルII - クイック・トリガー 》――


 [ 静止した時計塔 ]の三階と同じ締めだ。

 < 紅桜 >をぶっ壊してまで放った《 夢幻刃 》で届かない以上、今の手持ちで奴の防御を貫けるのはこれしかない。

 これが今の俺が用意できる最大火力。連携補正に加え、HPを削り切った今なら貫通させる事は可能なはずだ。

 < ヘヴィ・ペネトレイター >の小さな貫通孔だけじゃ、ベレンヴァールを戦闘不能にする事はできない。それは手持ちのどの材料でも不可能だ。それは理解した。

 だから狙うのはただ一点――


――心臓だ。


「穿けええぇぇぁあっ!!」


 心臓に寄生していると思われるパラサイトへの一点攻撃。《 サイクロン・ソバット 》でわずかに距離の離れたベレンヴァールに向けて引き金を引く。

 < 童子の右腕 >を以ってすら抑えきれない超反動が発生し、< ラディーネ・スペシャルII >自身もその反動に耐え切れず爆散した。

 すべての指の、拳、腕の骨、筋肉や神経に至るまで反動でズタズタにされた。

 これ以上は継戦不可能。そう判断せざるを得ないほどに破壊された。なんて危険物持たせんだよラディーネ。……ありがとよ。


 銃や、それを撃った俺はボロボロでも弾丸は発射されたあとだ。< ヘヴィ・ペネトレイター >は真っ直ぐ一直線にベレンヴァールの心臓目掛けて直進する。

 反動で宙に投げ出されながら、それだけは確認しようと視線を固定する。

 この一撃で決まらなければ俺の負けだ。攻撃手段どうこう以前に体が持たない。


 弾丸はベレンヴァールの心臓部を貫通し、体の裏側まで突き抜けていった。

 胸部に巨大な孔が開く。その孔から、不気味な物体と一体化した心臓が見えた。


 ……ああ、駄目か。

 それはつまり……まだパラサイトは残っている。半分ほどは消し飛ばしたみたいだが、そこにいるという事は、まだ生きて寄生している。


 最後の賭けは俺の……俺たちの負けだ。



 この一撃に至るまで、多くの人の協力と犠牲があった。その上に立ち、すべてを限界まで超えて叩き込んでも届かない。


 グレンさんに夜行さん、リンダ、ブラックがまだ五階で戦っている。ニンジンさんも向かっただろう。

 俺たちが勝つとは思っていないかもしれない。だけど、勝って姿を見せて驚かせてやりたかった。

 夜光さんには怒られるかもしれないけど、これだけの激闘での結果だ。許してくれると思う。


 美弓やゴーウェン、フィロスたちの犠牲も無駄になってしまった。

 ベレンヴァールを汚染してる元凶は見えているのに、あと少しが届かなかった。もう皮膚と心臓の再生が始まっているのが見える。


 サージェスがいれば違ったのだろうか。

 ここにいないラディーネには強烈な助けをもらった。

 ユキなんて、まったく関係ないのに思い出だけで励ましてもらった。


 あと一つ、あと一歩何かがあれば、届いたはずなのに……。

 意識ははっきりとしている。死にはしないだろう。だが、俺に……俺たちにできる事はもう――




「……そ、こか」


――有り得ないはずのところから、その一歩が踏み出された。


 すべてが終わった段階で、最後の一歩を踏み出したのはベレンヴァール本人だった。


「う……ぉおおおおっっ!!」


 洗脳された体を無理矢理動かしているのか、その動きは緩慢だ。

 それでも、ベレンヴァールは自らの意思で腕を開いた胸に突き込み、諸悪の根源である心臓を引きずり出した。

 心臓から繋がっている血管を引き千切りながら、真の元凶が姿を表す。


 本体とのリンクを断ち切られたパラサイトが、蠢くような奇怪な動きを伴ってベレンヴァールの手の内で暴れる。

 それは引きずり出されたあとでも再び侵食を始め、ベレンヴァールの腕に根を張り始めた。


「ぐ……舐める、なよ、寄生虫……ぐおおおぉぉっっ!!」


 ベレンヴァールは侵食され始めた腕を、もう片方の腕で引き千切る。

 どんな怪力と精神力だ。無茶苦茶やりやがる。


――――Action Magic《 刻印術:業焔の塔 》――


 心臓を握ったままの腕を黒い炎の柱が燃やし尽くしていく。

 不気味な、断末魔のような声が響いた。それは、ベレンヴァールの魔術によるものなのか、それともパラサイトの声なのか。


「ベレン……ヴァール……」


 俺はその一部始終をただ見ている事しかできなかった。床に叩きつけらたまま、立ち上がるとごろか指一本動かせない。


「ずっと見ていた……本当に悪かっ……た……」

「ベレンヴァールっ!!」


 ベレンヴァールの体が崩れ落ちる。

 床には大量の血が池を作り、ベレンヴァールが死ぬ事を確信させた。




-5-




 心臓を失ったためか、パラサイトが死んだためか、ベレンヴァールの体は元の物に戻っている。

 俺は近付く事もできないまま、ベレンヴァールの命が途絶えるのを感じていた。

 ベレンヴァールの体から魔力光が立ち上る。このまま魔化して終わる。


 それが、この戦いの結末だと……そう思っていた。



――――Action Magic《 刻印術:反応蘇生 》――


「……え?」


 何かの術が自動的に起動して、ベレンヴァールの体から眩い光が放たれる。その光は回復魔術のものに似ている。

 数秒……いや、十数秒はかかっただろうか。目を貫くような鋭い光が収まると、そこには傷の塞がったベレンヴァールが横たわっていた。引き千切った腕まで元通りだ。


「……は?」


 え、何? どういう事なの?


「……ああ、成功したのか」

「生き返った……のか?」


 なんか喋り始めたんですけど……。

 ベレンヴァールの体は魔化が始まる直前だった。もう死亡したも同然の状態だったはずだ。

 そんな状態で魔術を使えるわけがない。使えたとしても回復は間に合わないだろう。目の前で起きた現象は……回復というよりむしろ……。


「……蘇生」

「ああ、俺の切り札の一つでな。一度だけ死亡時に蘇生魔術が自動発動するようになっている。魔力が溜まるには月単位の時間が必要になるが……」


 ……はは、なんだそりゃ。どんな反則だ。


「ほとんど博打だ。死亡判定に失敗する事もあれば、回復量が足りなくてそのまま再度死亡する事もある。これはほとんど奇跡だ」


 ベレンは「普通、死亡するような場面なら、蘇生したところでどうにもならない事が多いがな」と付け加えた。

 ……まあ、その奇跡を成功させるのが勇者なんだよ。お前は勇者らしいから、それも可能なんだろう。


「……お前の方がボロボロだな。アイテムはないし、MPも回復用の刻印も尽きてるんだが……何か回復手段はあるか?」

「《 アイテム・ボックス 》開くからポーション取ってくれ……」


 そんな簡単に立ち上がられたら、こちらの立つ瀬ないんだが。




「しかし、すごいな、お前たちは……」


 ポーションを浴び、少し回復したところで飲み始める。そうやって全身が治療されていくのを待つ間、ベレンヴァールが話し始めた。

 座り込んだベレンヴァールはすでに元気そうだ。


「意識はあったのか?」

「……ああ。どれだけ自分が無茶な強化をされていたかも分かっていた。本来の俺では手も足も出ない状態だ。……なのに、負けた」

「負けた……ね。トドメは自分自身で刺したじゃねーか」


 俺だけでは届かなかった。俺たちでも届かなかった。ベレンヴァール本人がなんとかしなければ、もう手詰まりだったのだ。


「それはそうだが、あんな反則染みた状態でなければ何度も死んでる。少なくとも二度は間違いないな」


 それは《 魂の一矢 》と< ヘヴィ・ペネトレイター >の事だろう。どっちも博打もいいところだ。当てる事さえ、いや、前提条件をクリアする事すら困難だ。

 それプラスあれだからな。ほんと、洒落になってない。どこまでがベレンヴァールの本来の力かは分からないが、今は使えないと考えた方がいいだろう。


「異常な数の《 刻印術 》多重展開もそうだが、理不尽なのは大体< 魔王 >の力だ」

「やっぱりそうか……」


 当然といえば当然だ。《 魔狼の顎 》も《 蛇龍の暴走 》も《 終の断頭台 》も《 進化する魔人 》も尋常じゃない。あれらを普段から使えると思う方がおかしいだろう。

 今は確認できないが、種族が< パラサイト・レギオン >になっていたように、< 魔王 >のクラスもあのパラサイトの物って可能性もある。


「俺たちの敵はあのパラサイトだった。結果的にはベレンは仲間で、みんなであのパラサイト……魔王をやっつけたって事だな」

「……強引で変な話だが、悪くないな。我々は一緒に戦った仲間という事か」

「そうそう。お前の……お前含めた俺たちの勝利だ」


 状態異常で< 暴走 >したり< 魅了 >されたりして内部から壊滅なんて事例は冒険者にはありがちだ。探せば動画もたくさん出てくる。

 結果だけ見れば、そんな状況と変わらない。全滅しなかっただけでも上等だ。古今東西のRPG探せば、勇者が洗脳される作品だってあるだろうさ。


 グレンさんからもらった超が付くくらい高いポーションを飲み干し、HPが全快したのを感じる。

 このポーション、効き目も然ることながら味も美味い。なんという爽やかな喉越しだ。振りかけるだけでも効果はあるが、飲まないのは損だな。




「……さて、五階に行くか」


 ベレンヴァールに聞きたい事は山ほどあるが、それはあとでも構わない。

 さっきから気付いていたのだが、制限時間はまだ来ていないのに出入り口が再出現している。

 ここは最後という事でルールが違うのかもしれない。あるいは管理者の粋な計らい……なんて考えてみたが、そこまでいいイメージは浮かばなかった。単純に演出目的のような気もする。


「体は大丈夫なのか?」

「問題ねー。……というより、まだ終わってないなら、結末くらいは見ておきたい」


 俺たちが戦っていたのは十数分だ。今から行けば、ここを攻略しなかった場合の時間想定でも間に合う……かもしれない。

 戦力として参加する事は難しいだろうが、その現場にはいたい。


 扉から外に出る。

 ベレンヴァールが生きている事で、制限時間が更新されていないという事態も考えたが、床の時計を見る限りそれもないようだ。まだ四十分以上の制限時間が残されている。




 二人で五階へ向かう頃には、階段を駆け上がる事ができる程度には回復していた。

 到着した五階はこれまでと違って開けた空間はなく、ただ短い一直線の通路とその先に扉があるだけだ。

 扉を開くとそこはすでに戦場。一目見ただけで分かる極限の攻防が繰り広げられている。


「なんじゃこりゃ……」


 その光景はまさしく怪獣大決戦だった。俺たちの激闘が霞むような派手な戦闘が繰り広げられている。

 巨大化しブレスを撒き散らすリンダと、その上から魔術と遠距離武器技で戦うグレンさん。夜光さんは地上にいるものの、刀を一振りしただけでグラスの体が大規模に削り取られていく。

 ぶっちゃけ何が起こっているのか理解し難い頂上決戦である。俺たちが割り込めそうな隙がない。

 ただしその戦いは一方的で、傷付いているのはグラスだけだ。グレンさんたちはダメージを負ってすらいない。放たれる攻撃もすべて魔術の盾によって弾かれてる。

 入ってきた俺たちに気付いたのか、一瞬だけグレンさんの目がこちらを向いたのが分かった。

 ニンジンさんとブラックは戦っていない。入り口付近に立って観戦しているだけだ。

 二人……一人と一匹は俺とベレンヴァールの姿を認めて怪訝そうな顔をし、すぐに何かを理解したような表情に戻る。美弓たちがいない事で、四階で何が起きたのか察してくれたらしい。

 グラスの遙か後方、随分と段差の付けられた高所にある玉座にはサティナの……管理者の姿があった。ふてぶてしいポーズで座っているが、その表情はあまり楽しそうではない。


『……つまらないね。実につまらない』


 不機嫌そうな管理者の声が響く。距離が離れているのに、《 念話 》のようにはっきりと響く声だ。


「別にお前を楽しませるためにやってるわけではないんだがな」

『何のためか分からないが、時間稼ぎだろ? 賞品は勝手に洗脳解いたみたいだし、もう必要ないんじゃないのか?』

「四階を攻略したという事は、あと一時間以上あるという事だと思ったが?」

『まだダラダラ引き延ばすつもりかな。もういいだろう? 何故その強さで一〇〇層すら突破できていないのか不思議だが、そいつ程度いつでも殺せるはずだ。……まあ、私が用意した相手が悪いという原因もあるから、あえて追求はしないがね』


 どうやら、時間稼ぎがお気に召さないらしい。この分だと、ここまでの戦いも随分一方的なものだったのだろう。


『しかし……なるほど、時間稼ぎは黒いのの洗脳を解くためか。随分と信用されていないみたいだな』


 ベレンヴァールの姿を見て管理者は言う。

 いや、違うけどね。あなたの勘違いです。大体、四階にベレンヴァールが出てくるなんて知らなかったし。


「……まあ、こちらも準備はできた。予想以上の成果があったみたいだが、そろそろケリを付けるとしよう」

『そうしてくれ。こんなつまらない戦いを見せられるとは思わなかった。……賞品はもうそちらの手にあるのだから、私はもう退散するよ。ああ、ここが消滅したあとはラーディン城に飛ばされるからそれは気をつけたまえ』

「ご忠告ありがたく。だが、いらん世話だな」

『……そうかい。じゃ、また半年後くらいに会いにくるよ。それは楽しみにしておく』


――――Action Magic《 グレーター・テレポーテーション 》――


『……ん?』


 完全に興味のなくなった管理者が転移魔術を発動させる。

 しかし、管理者の姿は依然として残ったままだ。魔力光が掻き消されたように消失し、転移にも失敗している。


『……どういう事だ?』

「準備はできたと言っただろう? わざわざ半年後に来てもらう必要はない。……いや、なくなった」


 グラスの超巨体が沈む。トドメは夜光さんが放った一閃だ。バラバラになった肉の塊が再生すら許されずに霧になっていく。……これで五階も決着だ。

 返り血に塗れた夜光さんの眼光は鋭く、狂気的だ。不気味なくらい歪んだ笑顔である。

 ……どうしよう、< 紅桜 >壊した事言ったら本気で斬られそうなんだけど……。

 管理者はそんなグラスにも一切の興味を示さなかった。ただ、自分の身に起きた現象に怪訝そうな表情をしている。


『何をした、貴様……』

「私の仕業じゃない。それは……」



「俺がやった」



 グレンさんの言葉を遮るように、聞き慣れた男の声が響いた。

 随分と遅い登場だ。……間に合ったんだな。


 その男は、俺たちが先ほど入って来た五階の扉を普通に開いて登場した。

 あまりにも気軽な雰囲気、緊張感を吹き飛ばすような軽い足取りだ。

 格好はいつものカジュアルな物ではなく、初めて見る……なんと言うかファンタジーっぽい服だ。正装なのか、そのままの格好で王都に居てもあまり違和感はない。王国と打ち合わせ中に、直接ここに割り込んで来たのかもしれない。


「やあ、どうもはじめまして。無限回廊の二〇〇層の管理者さん。……あ、夜光久しぶり……なんでいるの?」

「……な、成り行きでちょっと」


 この状況で話しかけられるのはバツが悪そうだ。説明求められても困るだろうに。


『なんだ貴様……ここにどうやって入って来た』

「ん? 普通にノックして入って来たぞ。聞こえなかったかな。あ、俺、杵築新吾っていうんだ」


 町中で初めて会った人へ挨拶するような話し方だが、それが今はとてつもなく不気味だった。

 その声には怒りも、好奇も、歓喜も、悲嘆も、緊張も、興奮も、何も感じられない。

 それは自然体とは言わない。人間はそんな何も感じさせないという表現はできない。現に、この場の誰もが動けず、声を発せずにいた。

 これが、上辺だけの取り繕いすら無視したダンマスの素の状況だというのか。



「この世界の管理人だ。……よろしく、"同類"」



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