第11話「静止した世界」
-1-
「…………ここは」
俺が目を覚ました場所は良く見知った場所だった。
見知り過ぎていて、夢にしか思えない。しかし、全身が伝えてくる感覚が夢ではないと伝えている。
天井を見上げ、体を起こして部屋を見渡してみても混乱ばかりが大きくなる。
「俺の部屋……?」
迷宮都市のクランハウスの部屋ではない。少し前まで借りていた寮の部屋でも、ダンジョンアタックで使用するコテージの部屋でもない。
当然、王都で寝泊まりしていた馬小屋でも、故郷の家や、ゴブリンと食料を巡って死闘を繰り広げた山中の隠しアジトでもない。
ここはそれより以前、死ぬ前に住んでいた東京のボロアパート。築三十年、木造、洗濯機置場さえないワンルームのアパートだ。とにかく安さだけを追求して選んだのを覚えている。
壁に触れても感触はそのまま。何も変わっていない。家具……といえるほどの物はないが、安物のテレビや布団、テーブル、木製ラックは俺が使っていた物だ。
良く見てみれば、退去後に補修費を取られないよう入居時に写真をとった壁の傷もある。さすがに当時の冷蔵庫の中身は覚えていないが、中身は俺が買いそうな物ばかりだ。すべてが当時のままと言っていい。
……何が一体どうなっている。
ここにいるのが、昔の渡辺綱……日本人の俺なら話は分かる。以前考えたような夢オチという線も考えただろう。だが、俺は俺のままだ。迷宮都市で冒険者をやっている渡辺綱のまま、ここにいる。
お約束として、頬を引っ張ってみる。俺のピンチ力で全力を出してしまうと頬が千切れてしまうので軽くだが、やっぱり痛い。
格好も、勇者……ベレンヴァールと合流するために着替えた戦闘用装備のままだ。俺は《 瞬装 》が使えるから、戦闘用といっても武装は軽めの物だが、それでも日本の街を歩くのに問題ある程度には物騒である。このままの格好で外に出ればコスプレ扱いか、不審者だ。《 アイテム・ボックス 》の中には一応、普段着ている服もあるが……。
「……スキルは使えるのか?」
試してみれば、《 アイテム・ボックス 》も《 瞬装 》も使えた。こういう状況になると分かるが、どちらも便利なスキルである。
というわけで、Tシャツにジーパンという普通の出で立ちに変身だ。なろうと思えば、デーモン君にだってなれるだろう。……ならないけど。
幸い、俺は地味な容姿だ。黒目黒髪でないにしても地球上にいてもおかしくない見た目だから、格好さえ普通なら外を歩いていても警察を呼ばれる事はないだろう。せいぜいが外国人に見られる程度だ。
ベネットさんみたいなピンク髪とか、トマトさんの長耳は誤魔化すのが難しそうだから、この地味な容姿にも感謝だな。ベレンヴァールのような角までいくと隠しようもないし……。
……そうだ、ベレンだ。俺は……俺たちはあの時ベレンが放った光に巻き込まれて気を失ったはずだ。
「確か、《 グレーター・テレポーテーション 》とか……」
システムメッセージに現れたのは見た事のない魔法の発動メッセージだった。Trap Magicというのも初めて見た物のはず。少なくとも俺の知識には存在しない物だ。
名前から察するに転移魔法なのか? 俺以外がどこに飛ばされたかは分からないが、俺は日本に飛ばされた? んなアホな。
アホな、とは思うが、ここは確かに生前の俺の部屋だ。不自然な点といえば……記憶にある最後の状態から何も変わっていないという事。
ダンマスの言う事を信じるなら、無限回廊は地球に繋がってはいてもそこに時間の制約はない。
理屈で言えば過去にだって行けるはずだから、ピンポイントで俺の借りていたアパートに飛ばされる事は有り得ない事ではない。……有り得ない事じゃないが、どう考えても不自然だ。
無数に存在する平行世界から、ピンポイントで時間指定して俺の世界……もしくは似たような世界を指定して移動させる。そんな事ができるならダンマスだって苦労はしない。
なら、ここはなんだという話になるんだが……それを判断するには情報が足りないな。ダンマスがいるなら色々推測もできそうだが、部分的な情報しか持たない俺じゃどうしようもない。
状況を確認するため、テレビを付けてみる。案外、黒幕っぽい奴が画面に現れて挨拶するという展開も考えられる。
リモコンを操作すると、何も問題なくテレビはついた。放送しているのは他愛もないニュース番組だ。そう……なんの変哲もない番組だ。
「……なんだ、これ」
違和感を感じたのはテレビを点けてすぐの事だ。
おかしい。番組を見ているはずなのに、頭に入って来ない。どんな番組をやっているかは分かる。なのに、画面に表示されているテロップやアナウンサーの言葉が、一瞬理解した気になっても次の瞬間には抜け落ちている。得た知識が右から左へと抜け落ちていくような、不気味な感覚……。
迷宮都市の認識阻害とも違う、まるで最初から存在しないものを得たような……RPGで用途不明の空アイテムばかりが無数に増えていくバグが発生したような気分だ。
あまりの気持ち悪さにテレビを消した。数分くらい、固まっていたと思う。あまりの意味不明体験に、俺は放心状態に陥っていた。
「……そうだ。外に出よう」
この変な現象の説明をつけるには情報が必要だ。テレビは駄目だが、外には情報があるはず。
靴箱には予備のスニーカーもあったが、今は足の大きさも違う。《 アイテム・ボックス 》から自前の靴を出して履き、ドアを開ける。
一瞬、外が存在しないとか部屋に戻ってしまう事も想像したが、普通に外に出る事ができた。無限回廊にでも繋がってたりしたら分かり易くて良かったのだが、目の前に広がるのは見覚えのある景色だ。
懐かしい街並みだった。わずか数年しか住んでいないのに、まるでここが故郷のような雰囲気を感じた。
時刻を確認するのは忘れてしまったが、少なくとも夜ではない。早朝でも夕方でもない。太陽が頭の上にあるという事は、昼くらいだろう。
戻って時刻を確認するのは躊躇われた。いくら俺が貧乏学生だったとはいえ、平成日本の生活用品には時計機能が付いている物が多い。……そもそも部屋には時計くらいあったはずだ。目に入っていないはずがない。
おそらくは認識できなかったのだ。それを確認するのが怖かった。
もう、ここに戻ってくる事はないだろう。ここが本物の渡辺綱が住んでいたアパートかどうかも分からない。けれどここが本物だとしても、ここに俺の居場所はない。俺の居場所は迷宮都市で、あのクランハウスだ。
設立前とはいえ、俺はクランマスターなのだ。作るだけ作ってユキに放り投げていいはずがない。
あそこに帰らないといけない。
歩き出してまず感じたのは違和感だった。
「…………」
……妙だった。とりあえずという事で、俺はかつて通っていた大学への道のりを再現しようと駅に向かったのだが、誰とも擦れ違わない。
耳をすませても聞こえるのは空気の流れる音だけだ。人が起こす生活音や虫の鳴き声、車の音もしない。あまりに静かな街だ。
まるで、自分一人だけがここに取り残されたような、そんな孤独感に襲われる。
……いや、あながち間違いでもないのかもしれない。
そもそも、ここが日本と決まったわけではない。言ってみれば正体不明の謎空間だ。ここにいるのが俺一人だとしてもなんの不思議もない。
むしろ、そのほうが納得できる。ここは地球のコピーですと言われたほうが収まりがいい。
それはそれで、なんで電気が通ってるんだとか、内容が確認できないまでもテレビがやってるんだという疑問も出てくるのだが。
色々確かめる必要がありそうだ。元の世界に戻る方法を検討しなければいけないのはもちろんだが、まずはこの世界のルールを確認するのが先決だろう。ヒントがないのだから、目の前の手が届くところから片付けていくべきだ。
というわけで、最寄りのコンビニに入る。自動ドアは普通に稼働していた。やはり客はいない。店員もいない。
売られているのはどれも知っている商品だが、一番確認したかったのは雑誌だ。
棚に配列されていたのは俺の知っている表紙だった。細かい内容まで覚えているわけじゃないが、俺が死ぬ前に発売した雑誌なのは間違いない。また奇妙な現象が発生する事を覚悟してその漫画雑誌を手に取り、開く。
隅から隅まで確認した。……だが、頭に入ってきたのは継続的に読んでいた連載だけだ。内容はほとんど覚えていないが、微かに覚えのある内容だった。それ以外は、読んだはずなのに頭に入ってこない。
……なんとなくルールが掴めてきた。
ものは試しと、コンビニに陳列された食品に手を出した。日本円はないので無銭飲食だが、この際構っていられない。
結果は予想通りだ。
過去に食べた事のある物は味が分かり、食べた実感もあるのに、その経験がない商品は感覚すら発生しない。
確かに食べたはずなのに時間が飛んだような感覚だ。引き裂かれた包装紙が転がっているのが妙に虚しい。
そして、もう一つ。コンビニなら必ずある裏手。トイレや倉庫、スタッフルームがあるはずのそこへ足を踏み入れる。
その先にあるのは大体想像がつくが、実際に俺が足を踏み入れるのは初めてだ。……気になるのは入る事ができるのか。
「……やっぱりか」
結果は入れない、だ。……いや、入ったはずなのに、いつの間にか出口にいた。少なくとも中を歩いた記憶はない。
つまり、俺が体験した事のない事は再現できない。行った事がない場所へは行けないのがこの空間のルールだ。
ある程度の補完はされているようにも感じる。それほど厳密なルールではないはずだ。本来なら雑誌の印刷は物によってわずかにズレるだろうし、食べ物だって、同じ商品でもそれぞれに微妙な差異はある。それはそういうモノ、というアバウトな感覚で再現されている気がする。
当然、ここは日本ではないのだろう。特殊な、おそらくは俺の記憶から再現された不思議空間だ。正体不明なのは変わらない。だけど、それははっきりした……と思う。
とりあえず開き直って腹ごしらえをする。《 アイテム・ボックス 》の中には食料もあるが、この際このコンビニの商品を頂いてしまおう。
食べた事のある物だけをひたすら食い、無駄に《 アイテム・ボックス 》に放り込んだりもした。いつの間にか消滅しててもおかしくないが、収納自体はできたので適当に放り込む。気分は泥棒だ。随分と豪快な泥棒である。
建物の外に出て確認しても、《 アイテム・ボックス 》の中の物は消えていない。腹の中の物が消えたという事もなさそうだ。
……そして、再度中に入ってみると、俺が持ち出した物はすべて補充されていた。食べたあと、床に放置したゴミまで消えている。
どんな仕組みかはさっぱりだが、商品が無限に再生する超コンビニだ。是非食料難の国に送ってあげたい。
とりあえずゴミ捨て場としては有用なので、遠征で大量に発生したゴミを放り込んでいく。もしもゴミ袋の中身を店員さんが見たら色々問題になりそうだが、ちゃんと消えてくれた。うむ、さらばだ我が遺伝子たちよ。
その後、コンビニから拝借した金を使って自販機を利用してみたが、これも普通に稼働した。
味は……迷宮都市に行く前なら感涙したかもしれないが、せいぜい懐かしいと思う程度だ。迷宮都市にはほとんど同じ物や、より美味い物もたくさんあるしな。あの街では原価なんて気にしないと思うし。
さて、次の目的地はどこにすべきか。懐かしい缶コーヒーの味を感じながら考える。状況を好転させるために何処に行くべきか判断に悩むところだ。
コンビニで確信したが、行けるのは過去に俺が行った事のある場所だけだろう。足を踏み入れた事のない場所……そこら辺の路地裏に入る事もできない。あるいは映像などを見た事があるだけでも情報が補完されて移動できるのかもしれないが、その匙加減は分からない。
大通りに出てみても車は走っていない。気持ち悪いくらい寂しい光景だ。動く物のない、死の街である。この分だと、動物や鳥、虫もいなそうだ。
……ここで思い当たる問題が一つ。俺は、東京に出てきてからあまり徒歩で街を散策していない。まったくというほどではないが、精々が数十分で歩ける範囲だ。電車を利用したほうが早い場合は、当然電車を使って移動していた。つまり、この街での俺の行動範囲は駅が中心となる。
まさか、この街から出られないとか、そんな事はあるのだろうか。電車が動いていなければ、あるいは線路を辿って移動できなければここは封鎖空間に成りかねない。餓死する事もないし、寝床だって確保できるが、それだけだ。他には何もない。誰もいない。
仮にここで生活する事を想像して、ゾっとした。
一週間は問題ないだろう。一ヶ月でもさほど問題はない。だが一年、十年となればどうだ? この寂しい空間で一人。何処へも行けず、無為な時間を過ごすのは正常でいられるだろうか。
おそらくは不可能だ。どこかで絶対に狂う。新しい刺激のない生活は到底耐えられるものじゃない。
一人……そうだ。他のメンバーがここに転移してくる事は有り得るのだろうか。話し相手がいれば、この孤独にだってもう少しは耐えられる。
……いや、なんでここに留まる事を考えるんだ。まずは抜け出す方法を模索するのが先だろう。
俺の記憶から再現されたであろう事を考えると、いないと考えるのが当然なのか? バラバラの世界に飛ばされたとしたら、救援は見込めない。
……あまり考えたくないが、死ぬ事は可能なのだろうか。もし自殺して、ダンジョンのように復活し、あの部屋に戻ったりしたら永久に抜け出せない袋小路だ。確実に発狂する自信がある。
そんな不安に苛まれていると、後ろからバスがやって来て、目の前のバス停に停車した。行き先は駅前だ。
「……バス動いてるのかよ」
電車などの公共機関は生きているって事なのだろうか。電気が通ってるって事は、発電所などの機関も無人で動いてるのかもしれない。
バスに乗り込むと当然の如く運転手も他の客もいない。だが、自動でドアは閉まり、バスは走り出した。俺は適当な席に座り、外を眺める。
この分なら少なくとも街から出れないという事はないだろう。電車に乗れるなら、行った事のある駅には降りられるはずだ。
走りだしたバスから外を眺めてみるが、やはり人影はない。何か動く影でも見かけたら窓をぶち破る心構えもしていたが、それも無駄だった。
終点、駅のロータリーに到着する。無銭乗車でも怒られないのだろうが、一応金は払った。その金もコンビニから拝借したものだが構う事はないだろう。
電車が動いているらしい事も確認できた。高架の上を普通に電車が走っているのが見える。見える限り中は空だ。多分、車掌もいない。とりあえず、街から出られないという最悪の事態は避けられそうだ。
せっかく駅前に来たのだからと、電車に乗る前に準備をする事にした。直近では必要ないし、どこか別の場所で揃えてもいいのだが、《 アイテム・ボックス 》に放り込むだけだから荷物にもならない。
拝借するのは主に服、生活雑貨、日持ちする食料、サバイバルグッズだ。使えない物もあるかもしれないが、放り込めるだけ放り込む。
あとは移動し易いように自転車を二台拝借した。一台は予備だ。念のため空気入れももらっておく。自転車は当然俺が乗った事がない物だが、乗れないという事はないようだ。普通に漕いで移動できる。
やっている事は強盗だが、咎める人もいなければ困る人もいない。そもそも、すぐに元に戻るのだから影響すらない。
そして、駅に来た。内容は認識できないが、電光掲示板も生きているし、自動改札も機能している。
路線図を眺めながらぼんやりと考える。向かうとすればどこがいいだろうか。当初の予定通り大学に向かってもいいが、そこに特別目的があるわけでもない。乗越し精算もできそうだし、とりあえず中に入ってから行き場所を考えてもいいのだが……。
……たとえばこれ、実家方面でも帰れるんだろうか。
あのアパートへ引越しする際の移動手段は電車だった。それ以外にも何度か往復している。その路線しか使えないとなると面倒だが、ここまで分かったルール上は不可能じゃないはずだ。
時間はかかるだろうが、どこまで行けるか試してみるのもいいかもしれない。
改札を素通りするとブザーがなりそうなので一応切符を買う。行き先は都心とは逆方向だ。
無人電車に揺られながら考える。……何故俺はこちらを選んだのだろうか。実家に帰るにしても、一通り東京を散策してからでも遅くはない。
時間を気にする必要もないだろう。時計は確認していないが、太陽の位置は変わっていない。おそらくこの世界では日が沈む事はないはずだ。
勘だけではない。何故か確信があった。この世界から脱出する手掛かりとは別の、何か知りたくない真実がそこにある気がしたのだ。
都心すべてという大きな括りではなく、そちらの方向に何かがあると。……近付くだけで理解できてしまう何かが。
俺は大抵の事にだったら耐えられる精神力は持っているはずだ。死ぬような苦痛、ショッキングな場面、普通の人間なら発狂するような状況でも平然としていられる。だがそれ以前に、そこに向かってはいけないと、俺の中の何かが語りかけてくるのだ。
それは恐怖というよりも警告だ。俺のぶっ壊れた安全装置でさえ躊躇させる何かがそこにある。そこに行くにはまだ早いと。俺はまだそれを知る準備が整っていないと。それと対面するのはこのタイミングではないと、そう感じる。
そして、それを知るのはそう遠い事でもないような気もするのだ。
俺はきっとそこに至る必要がある。
無限の先に向かうために必要不可欠な何かがそこにある。
その時になれば、俺は自分の足で、自分の意思でそこへ向かうだろう。
そう確信していた。
-2-
実家の最寄り駅に到着する。
電車に乗っていた間の記憶、特に時間感覚があやふやだ。そう長い事乗っていた気がしない。乗り換えた記憶もない。なのに、俺はそこに到着していた。かつて、高校時代までを過ごした街に。
東京の駅とは違う、寂れた駅だ。さすがに改札がないなんて事はないが、田舎なのは間違いない。
ここを最後に見た記憶は……< 鮮血の城 >で見た死の体験だ。列車の轢死だから印象は悪いが、駅に罪はない。あれはロッテが悪い。
俺の故郷はひどく田舎だ。上京してから数年程度で変わる事はない。しかも、ここが俺の記憶を元に造られた世界だと仮定するなら、変わっているはずもない。
自転車を《 アイテム・ボックス 》から取り出し、街を行く。徒歩だったら移動は大変だが、自転車があればなんとでもなるだろう。
さすがに東京の街と比べてこの街の移動可能範囲は広い。路地裏だろうが、大抵の場所は行った事がある。
俺がまず向かったのは高校だ。普通なら最初に行くのは実家だろう。距離的にもそちらの方が遙かに近い。だが、何故かそこに向かうべきだと思った。
そう感じさせるのは勘なのだろうか。それとも例の謎ギフトの力なのだろうか。……どちらも違うような気がする。
これはきっと、経験による推測だ。"あいつ"なら、きっとそこに向かうんじゃないかと。この世界にいるかどうかも分からない。そんなあやふやな可能性なのに、確信に近い何かがあった。そしてそれは、高校が近付くほどに確かな感覚を伴っている。
自転車を降りて、目指すのはかつての部室。あいつや、他の部員たちと長い時を過ごしたあの部屋だ。
「よ」
「……センパイ?」
そこには美弓がいた。パイプ椅子に座り、地に届かない足をプラプラさせながら、折り畳み式机にうつ伏せになっている。
何故か当時のセーラー服姿で、でも中身は似ても似つかぬハーフエルフの体で。サイズが全然合っていないので、セーラー服はダボダボだ。袖なんて余りまくっている。
「なんでセーラー服なん?」
「まず最初に聞くのがそれですか……。なんとなくです」
まあ、ここに来るなら正装だからな。俺も学ラン着てきたほうが良かったのだろうか。絶対似合わないと思うんだけど。
「なんでここに来たんだ?」
「それも、なんとなくです。……ここにいればセンパイが来るんじゃないかと思いました。センパイは?」
「同じだな。お前の行動は大体読めるし」
「ほほう、それは阿吽の呼吸というやつですかな。お互い通じ合っていると。これは婚姻届を用意するしか……実はすでに印鑑を押した物がここに……」
それはいつものノリだが、やはり調子は悪いらしい。歯切れが悪い。
「このまま帰れないなら十年後くらいには考えてもいいが、戻らないわけにはいかないだろ」
「ですよねー。分かってましたよ。この状況でも十年必要なのか……せっかくテンション上がったのに落ち込んで来た」
大体、何処に出せばその届けは処理されるんだよ。
「あたしだって、いくらなんでもこんなところに二人きりってのはちょっと……。ヤンデレ染みた感覚なら世界に二人きりってのも考えるんでしょうが、ここはさすがに……。ここじゃアダムとイヴにもなれません」
美弓も、この世界のルールは大体把握しているらしい。
物理的な問題をなんとかすれば繁殖行為に及ぶ事はできるかもしれないが、子供はできないだろう。おそらく老化もしない。前にも後ろにも一歩も進めない。完全な閉鎖空間だ。
セラフィーナだったら、ディルクと二人でも幸せになれそうではある。ある意味ハッピーエンドだ。
「俺が偽物だとは思わなかったのか?」
「偽物なんですか?」
「違うな。お前も本物だ」
「ならそうなんでしょう。……正直偽物でも、一人よりはいいです」
そう言う美弓の表情は優れない。よほど長い間ここにいたという事だろうか。見た感じ俺より前からいたっぽいし。
「ここがどんな空間かは把握してるみたいだな」
「ええ、ここは多分あたし……ひょっとしたらセンパイも含めた記憶から作られた『静止した世界』です。体感はともかく時間は経過しないみたいですし、行ける場所も限られてます。お腹も減りません」
腹減らないのか。……そういえば、コンビニ荒らししてから何も食ってないが、全然腹減ってないな。眠くもならない。
「ラーディンの王城で何があった?」
タイミング的に見て、《 念話 》の途絶は転移よりも早かったはずだ。この状況に陥った原因を知っているとすればこいつしか有り得ない。
「いえ、さっぱり。特に何も起きてなくて、トマトちゃん部隊にも反応がない状態で、勇者さんと合流するっていうグレンさんの《 念話 》が途中で切れて、次の瞬間にはこの世界の自分の部屋にいました」
……トマトちゃん部隊? なんだ、すごく気になる単語ではあるんだが、聞きたくない。
「グラスって魔術師が何かしたわけじゃなく?」
「あの魔術師もラーディン国王も二十四時間監視をつけてましたけど、特に目立った動きはありませんでしたよ。少なくとも感知できる範囲で魔術的な何かが発動したわけじゃないと思います。そもそも、あの程度の魔術士が何かできるはずがないんです。あれ、怪しいには怪しいですけど、正真正銘の小物ですよ」
美弓が素人っていうなら見逃したって線もあるんだろうが、それなりに場数踏んでるみたいだしな。
「小物に見える演技ってのは有り得ないのか?」
「有り得ないとまでは言いませんが、それにしたってノーアクションでこの状況を引き起こすっていうのは考え辛いです」
ノーアクション……何も前兆がなかった?
「この状況になる直前、グレンさんはラーディンの王城が結界に覆われたんじゃないかって言ってたんだが……」
「……それは妙ですね。あたしの方ではそんなのは感知してません。……時間差ですかね。あたしが転移したあとに発動したとか……」
「なら、それ以外の要因がある事を考慮したほうがいいな」
「そうですね。城の外部から未知の相手が何か仕掛けてきたというほうが説明が付きます」
ミステリー小説ってわけでもないんだから、これまで未登場のキャラクターが真犯人って線も有り得る。
いくら小物でもグラスを黒幕候補から外すのはまずいだろうが、可能性だけならいくらだってあるのだ。
「外部からの干渉って点も考慮した上で、お前の目を掻い潜ってこの状況を引き起こす場合、どんな前提が必要になる?」
「この状況自体意味不明なんでアレですけど、これを仮に魔術だと仮定すると、上級ランクですら行使不可能なレベルの大魔術です。あたし、今回の依頼で杵築さん謹製のマジックアイテム借りてるんで、王城敷地内から発動させるには、最低でも上級ランクレベルの《 看破 》を誤魔化すだけの《 偽装 》か《 隠蔽 》が必要になります。ついでにその上から一切感知されずにこんな大魔術を発動させるなんて……不可能ですよ。もしもできるとしたら……杵築さんレベル?」
それじゃ、どうしようもねえな。今の俺たちじゃ考えるだけ無駄なレベルだ。
「ちなみに、お前はずっとここにいたのか? どれくらいになる?」
「かなり体感時間も狂ってますけど、数ヶ月……半年弱くらいですかね。最初はいろんなところを散策しましたけど、行ける範囲は何処行っても何もなくて嫌になりました。それで、一週間くらいここにいます。センパイが来てくれてちょっと泣きそうでしたよ。センパイいるならあと一年くらいは耐えられそうです」
「いや、脱出しろよ」
「……脱出方法分かるんですか?」
「いや、分からんが、ずっとここにいるわけにもいかんだろ」
「センパイが救援ってわけでもないんですね……がっくし」
俺もいつの間にかここにいたわけだからな。どっちかというと、俺も遭難者側だ。
こうして合流できたのはいいが、原因も分からず、脱出の手掛かりはないって事は変わらない。だが、お互い知らない情報は持っているはずだ。まずはそこから積み上げていくべきだろう。
「……とりあえず、細かい部分も含めて情報共有するぞ。ここまで別行動だったわけだから、そこに手掛かりがあるかもしれない」
「あいさー」
一つずつ、転送施設で別れてからの情報を摺合せする。
美弓の方はそれほどの情報はない。王城では本当に動きがなかったらしい。俺でも知ってる定時報告の内容がほとんどだ。
グラスや国王については初耳の情報も多かったが、聞けば聞くほど三下の匂いしかしない。
女と金にしか興味がなく、国民がいくら死んでも影響がないと思っている国王。戦争のどさくさに紛れ、金目の物を盗んで逃げる算段を立てるグラス。
洗脳の呪術も小狡い事ばかりに使っているし、勇者召喚だってほとんど偶然の結果だ。黒オーブの入手を含めて、詳細についてはほとんど理解できていないらしい。
「ちょっと呪術の才能があって、詐欺で手に入れたオーブを使ったっていうのが今回の経緯です」
「召喚士……黒オーブの適性がある奴がラーディンにいたのは偶然か?」
「それは逆です。適性のある人がいる国で行動を起こしただけです」
ラーディンは巻き込まれただけか。そんな国王なら早晩滅びそうではあるが。
「戦争も、元々やるつもりでグラスはそれに乗っかっただけですね。時期はズレるにせよ、勇者さんがいなくても戦争自体は起きたはずです」
「色々救いようがない国だな」
「あたしのほうはこれで大体全部です。センパイの方は何かありますか?」
「ああ、こっちは……」
俺の方は色々ある。直接関わりのある事は少なそうだが、一つずつ説明していった。
遠征軍基地での事、王国騎士団との問題、サンゴロさんの事、サージェスの事、フィロスが結婚しそうだという事、ゴーウェンが合コンに行きやがった事。
「センパイの方は後半どうでもいい話ばっかりですね」
「どうでも良くねーよ」
切実な問題である。同期が結婚したり、抜け駆けされると色々大変だろうが。
きっと同窓会で話題について行けなくなるんだぞ。その内呼ばれなくなるんだ。終わってから間違ってメールが届いて同窓会やった事に気付いたりするんだぜ。
いや、体験談とかじゃないけど。
「ここからは肝心のところなんだが、勇者……ベレンヴァールと会ったあと、グレンさんと合流してすぐに転移魔術が発動したんだ」
「誰が発動させたんですか?」
「分からん。仕込まれてたのは多分ベレンの体だ。だけど……Trap Magicとかメッセージが出たから、能動的に発動したわけじゃないと思う。お前聞いた事あるか?」
「いえ……そんな発動方法は初耳です……罠? < 罠師 >のアクションスキルでもそんなメッセージにならないし」
「単純に罠っていうより、何かしら条件が合致した場合に発動する仕組みってところだろうな。その条件が分からんが」
あの直前には何があっただろうか。何かの条件を満たすような……。
グレンさんたちが合流した? ……それにしては発動までに時間がかかり過ぎな気もする。合流から軽く一分はあったはずだ。
美弓の連絡が途絶したタイミングを考えると、トリガーは王城の方にありそうなんだが……。
だが、その時点で美弓はこちらに飛ばれさている。王城に原因があったとしても分からない。
「仮にそういう罠を仕掛けるとすればどういう方法が考えられる?」
「魔法陣なんかの陣術かマジックアイテムですね。ちなみに王城にはそんな物ありませんでしたよ。使い終わった世界間召喚の魔法陣くらいで、それが動いてない事は確認しています」
トリガーもそうだが、ベレンヴァールにも何かは仕込まれていた。ならそれはいつ仕込まれたものだ?
持ち物にそんな怪しい物が含まれていたら、まずあいつ本人が気付くだろう。気付かないとしたら……体内とか? 何か飲み込んでるとかだと時間が経てば排泄されそうだが……。
「ベレンもそうだが、グラスがそういうマジックアイテムを飲み込んでたりしたら感知できるものなのか?」
「飲み込むって……分かりますよ。本人の魔力の流れとは別の反応が返ってくるはずです。完全に一体化して本人の一部になってるなら別ですが」
「それって消化されて栄養になってるって事じゃないのか?」
「ですよねー」
詳しく聞いてみれば、魔力を含んだ物を食べた場合でも消化されるまでは本人と別の反応を返すらしい。これは菌なども同様で、生きている限りは別の個体として反応するそうだ。
小人みたいな奴が中から悪さしてるって線もないって事か。……大腸菌とかどうなるんだ?
「さっぱり分からん。……他に何か気付いた点はあるか? こっちに来てからの事とか」
「あー、それなら。あたしがここに来た時、片っ端から《 念話 》を発動したんですけど、反応がなかったんですよ」
「気失ってれば何も返せないだろ」
「使う人にしか分からないと思うんですが、相手が反応しなくても範囲内にいれば《 念話 》自体繋がりはするんです」
居留守は使えないって事なのね。借金取りには持たせたくないスキルだ。
「応答がないのは距離が離れ過ぎているか、それができない特殊な状況下にあるという事で……だから、阻害でもされない限り、反応がないって事は範囲内にいないって事なんです」
「……それが?」
「えーと、つまりですね、あたしがここに来た時にはセンパイはいなかったんじゃないかと」
……そういう話か。飛ばされて来た時期にタイムラグがあると。
「確かに、お前何ヶ月もここにいるとか言ってたよな」
「ここ不思議空間ですからね。そもそも転移前にいた場所も違いますし……あれ、という事は、今だったらグレンさんたちもここに来ている可能性があるって事ですか?」
「そう……なりそうだな」
可能性が高いのは、俺とグレンさん、夜光さん、ニンジンさん、あとはベレンヴァールだ。……転移魔術の範囲が分からないから、フィロスたちも対象になっている可能性もあるが、あの時点ではかなり距離があったはずだ。生き物っていう括りなら馬車の馬やグレンさんの竜もいる。サージェスは街で寝てるはずだから、対象外だろう。
ダンジョンだって中で時間は経過しないと言われてるが、その実わずかには時間経過はあるらしいから、有り得ないってほどじゃない。
ここはダンジョンではないが、似たような仕組みなら……。
「……ダンジョンじゃない?」
何故、そう言い切れる。ダンジョンっていったって、洞穴じゃなく多彩な環境のものがある事は確認済だろう。なら、日本のコピー。挑戦者の記憶からダンジョンを構築する事だって……。
「……どうしました?」
「お前、ここに来てからステータスカードは見たか?」
「いえ……そもそもそんなに見る物じゃないですし……何か思い付いたなら出しましょうか?」
「ああ……いや、俺ので確認する」
俺は自分のステータスカードを取り出し、その表示を確認する。そこにはダンジョンの挑戦時間がカウントされていた。今も一秒ごとにカウントは増えている。
「なるほど……美弓、少しだけここの正体が分かったぞ」
美弓にもカードのカウントを見せる。解決に結びつくかどうかは分からないが、初に近いこの世界のヒントだ。ドヤ顔である。
「正体……そういう事ですか」
すぐに理解したらしい。
ステータスカードは確かに便利だが、電話やチャット、ティリアのようにゲームをするのでもない限り、頻繁に見たりしない。そこに記載されている情報は、自分で把握しているのが普通だからだ。だから盲点になっていたのだろう。
これで分かった事は一つ。……ここはダンジョンだ。
なんのダンジョンかは分からない。あるいは無限回廊って可能性もあるが、とにかく俺たちは何処かのダンジョンに強制的に連れて来られたという事だ。
ここがダンジョンで同じ仕組みを持つというなら、外でいう数分の差で数ヶ月の時間差が発生したとしてもおかしくない。俺がここにいるように、ほとんど同じタイミングで転移したメンバーがいる可能性もあるだろう。
「……ちょっと《 念話 》が通じるか試してみましょうか。……ヴィヴィアンは駄目。あとはグレンさん……あれ?」
美弓の様子が変わった。それは諦めかけていた希望が、不意に繋がったような表情だ。
「……ひょっとして通じたか?」
「はい……ちょっと待って下さい。センパイにも繋げます」
《 念話 》の範囲を広げてもらったのか、俺にもグレンさんの声が聞こえるようになった。
――《 こちらグレンだ。聞こえているか? 》――
――《 はい、ツナです。……こっちに来てたんですね 》――
――《 ああ。といっても私の方は気がつい先ほどついたばかりで状況はまだ掴めないんだが……ミユミ君から渡辺君と合流した事は聞いた。そちらではどの程度状況を把握している? 》――
――《 俺も情報にそれほど差はありません。できれば合流したいんですが、現在位置は分かりますか? 何か看板とか…… 》――
――《 ……良く分からん。これは日本語……なのか? 違う文字も併記されているが『新宿』という言葉が多く確認できるな。……駅なのか? 》――
……東京にいるのか。となると、美弓以外は東京にいるって可能性もありそうだ。しかし、新宿駅とはまた……ラストダンジョンじゃねーか。
――《 ひょっとして、ここは日本なのか? 》――
――《 そのコピーみたいです。新宿ならこちらから移動できるはずです。……俺たちもそちらに向かいます 》――
――《 定期的に連絡を取りながら合流しよう。こちらでも、他のメンバーを探しながら外に出れないか探索してみる 》――
――《 ここは俺と美弓の記憶を元に構成された世界っぽいので、移動するには経路が限定される可能性があるって事は注意して下さい。危険はないと思いますが 》――
――《 分かった 》――
新宿駅という事は、おそらく俺の記憶がベースのはずだ。となると、俺が移動した事のあるルートしか使えない。
新宿駅は乗り換え以外ほとんど歩き回った事はないから、相当に移動範囲は狭いはずだ。こちらから迎えに行ったほうがいいだろう。
「美弓、とりあえず新宿に向かうぞ」
「《 念話 》で言ってましたけど、東京に行けるんですか?」
「行ける。というより、俺は東京から来たんだ。試す必要はあるかもしれないが、お前も移動できると思う」
そうして、俺たちは移動を開始する。
-3-
東京に行くため、まずは駅に向かう。さっき来たばかりだが、蜻蛉返りだ。
予備の自転車があるので美弓に渡すが、ペダルに足が届かないらしい。さすが幼女である。
こんなところで時間を食うのも嫌なので、自転車のカゴに放り込んだ。カゴに入れるには少しでかくバランスも取り難いが、移動が不可能なほどでもない。幼児を前に乗せて走るオバちゃんのようなものだ。
「あのー、こういうのって普通後ろから抱きついたりするもんじゃないですかね。こんな状況なので贅沢は言いませんけど、もう少しロマンチックな……」
「別にいいだろ。普段できない体験ってやつだ」
「そりゃ新鮮ではありますが……これちょっと怖いんですけど」
このまま空を飛べばETごっこもできそうだ。異世界人だから宇宙人みたいなもんだし、未知との遭遇ってやつだな。
なんなら布団で簀巻きにしてやってもいいぞ。その場合は海へダイブする事になるが。
「とりあえずお前は
「電話とは違うんですが……分かりました。順番に話しかけてみます」
試してみて分かった事だが、転移に巻き込まれたと予想していたメンバーの内、美弓と面識のあるメンバーは《 念話 》の通じる範囲にいる事が分かった。返事はないようだが、おそらくまだ気絶しているのだろう。
その後、移動中の定時連絡で、グレンさんが新宿駅内で夜光さんと合流できた事も確認できたので、完全に状況が分からないのはゴーウェンと馬、ドラゴン、そしてベレンヴァールだ。
その馬が駅前の広場でウロウロしていた時は、さすがに焦ってコケそうになってしまった。
誰もいない田舎の駅前に馬車がいる光景は、時代を逆行したかのような雰囲気だ。白黒写真ならなんとか格好がつきそう。
自転車を押しながら馬に近付いていくと、向こうも気付いたらしい。
「……お前もここに来てたんだな」
「ああ、何が何やら分からないが、荷台に乗っていた二人も無事だ。目は覚ましていないがな」
馬の牽いていた荷台の中を覗くと、フィロスとゴーウェンが倒れている。ゴーウェンの巨体の下敷きになっていてフィロスが苦しそうだが、馬ではどかしようもないよな。見たところ外傷はなく息もある。ただ気絶しているだけのようだ。
馬はついさっきここに飛ばされて来たようで、二人が目覚めるのを待ってから移動するつもりだったらしい。行き違いにならなくて助かった。
「ところで、センパイは普通に話してますが、このお馬さんの名前はなんていうんですか?」
ゲートを抜けた先で合流したわけだから、美弓は面識がない。名前は……。
「……そういえば、お前名前あるのか?」
「失敬な。こう見えても野良ではなく、< アーク・セイバー >専属の飼馬だぞ。ちゃんとブラックという名前もある」
ブラック……体が黒いのでそのままだな。適当な名前だ。
「親しみを込めてクロと呼んでもらっても構わないぞ。エルミア嬢からクロちんと呼ばれているのだ。ひひん」
「いや、その渾名の奴はもういるから」
あっちは黒くはないが、それでも早いもの勝ちだ。しかし、クロか……これからあいつと話す度に馬の顔がチラつきそうだ。ひひん。
< アーク・セイバー >所属という事で少し予感はしていたのだが、聞いてみればブラックはベースLv40を超えているらしい。
冒険者ではないからクラスは持たないが、そこらの下級冒険者なら一掃できそうだ。あまり怒らせたりしないほうがいいな。
ブラックさんとかお呼びしたほうがいいんだろうか。
「クランが同じなら、グレンさんのドラゴンとも知り合いだったりするのか?」
「リンダ嬢はグレン氏の専属だからそう接点はないが、お互いに知己ではあるぞ。向こうは日本語が喋れないから《 念話 》での会話になるが」
こいつ《 念話 》使えるのかよ。他にも色々特殊技能を抱えてそうだ。
あのドラゴンの名前がリンダっていうのもびっくりだが、この分だと他にもたくさん飼ってそうだ。さすがトップクランといったところだろうか。良く分からんけど。
「< アーク・セイバー >すごいですねー。ウチなんて、騎乗生物は期間レンタルのワイバーン一体だけですよ」
トマトさんのところにはワイバーンがいるらしい。こないだ死闘の果てに仕留めたばかりなんだが、アレより強かったりするんだろうか。
「レンタルか……憐れなものだな」
「憐れって……飼われてるのとそんなに差があるんですか……」
「私は飼馬である事に誇りを持っているからな。金を出せば誰でも乗せるほど安くはないぞ」
お前、サージェスやニンジンさん乗せて遊んでなかったっけ。いや、奴らが特別なのかも……特殊ではあるな、うん。
それから荷台のフィロスとゴーウェンを起こす。二人は半分パニックになっていたようだが、冒険者として不測の事態に慣れていた事もあり、すぐに落ち着いてくれた。
電車での移動となるため、巨大過ぎる荷台は捨てて行く事になった。この中で一番大きい美弓の《 アイテム・ボックス 》にも入らない。
持てるだけの荷物は手分けして持つ事になったが、そもそも荷物自体多くない。食料と予備の鎧がいくつかあっただけだ。
荷台を外して身軽になったブラックを連れ、電車に乗る。
巨人サイズを想定していない日本の電車なので、ブラックとゴーウェンが乗り込むのは少し大変そうだったが、別に他の客がいるわけでもないためそのまま床に座ってもらった。ゴーウェンはともかく、電車の中にでかい馬が座っているのは異様な光景である。
「……なるほど、ここはつまり日本とやらのコピーって事か」
道中、フィロスたちに詳しく状況を説明する。
純ファンタジー出身だが、迷宮都市に慣れて来た者にとってはそう驚くような光景でもない。あまりダンジョン区画から外には出ないらしいが、それでも色々触れる機会はあるからな。
「でも、元になったってわりには、窓の外を見る限り迷宮都市のほうが発展してる感じだね」
「そりゃここら辺田舎だしな。これから行く東京はかなり都会だが、それでも謎の超文明と比較するのは間違いだ」
あそこは資源や法律など、あるいは物理法則まで無視して造られているような街だ。制限だらけの日本とは違う。どうやって造ったかは知らないが、中心部は東京より発展してるだろう。
なんか、この世界にその秘密が眠っているような気がしないでもないが、それは今のところダンマスにしか分からないだろう。
「センパイ方は知らないかもしれませんけど、実験区画とかもうSFですからね」
トマトさんが言うには、迷宮都市に複数ある立入り禁止区画の中には想像も付かないような未来都市も存在するらしい。
俺たちが住んでいる範囲はあくまで生活し易い空間という事で、それ以外にも表に出ない部分で実験をしているようだ。
便利=生活し易い、じゃないだろうしな。色々実験した上で中央区画などで利用しているんだろう。実は宇宙にも進出してますとか言われても、そうですかと返してしまいそうだ。
「前世でこれくらい発展してる街で過ごしたのなら、あの世界で生きるのは辛かったんじゃないかな?」
「ド底辺だから、この世界どころかあの世界基準でもキツかったぞ」
「あ、ああ……そうか。君の場合はそれどころじゃなかったのか」
あの故郷はまさしく地獄だからな。優しくない異世界転生である。
「ちなみに、東京という所まではどれくらいかかるんだい?」
「分からん。本来なら何本も乗り継いで数時間かけて行くんだが、ここは空間が滅茶苦茶だからな」
来た時は時間の感覚すらなかった。数秒と言われても、数時間と言われても納得する。
「フィロスさんは帰ったら結婚するんですもんね。無事帰らないと」
「え、ああ、ツナから聞いたのか……そうだね。帰らないといけないな」
何故、お前は安易に死亡フラグを立てるんだ。狙ってるならひどい奴だ。
突然の話題にゴーウェンも固まってるじゃないか。というか、時間はあったんだから相方には言っておけよ。
「そうか、結婚するのか。私もワイフと最近番いになったばかりなのだが、これがまた恥ずかしがり屋さんでね。綺麗な白い毛並みをしているのだが……」
合わせてブラックが嫁自慢を開始したが、誰も興味がなかった。やはり、種族の差って大きいよな。馬の結婚とか全然興味持てないし。
それからしばらくして、グレンさんの方にも動きがあった。《 念話 》をしていたらしい美弓が報告する。
「グレンさんが地上に出たみたいです」
移動制限のあるラストダンジョン新宿駅には難儀したようだが、なんとか外には出れたようだ。
その前の時点でリンダ……ドラゴンとは《 念話 》が通じていたらしいので、そこで合流。一緒にニンジンさんとも合流したとの事。
「リンダ……グレンさんのドラゴンがヴィヴィアンを回収していたみたいですね。咥えられてたみたいです」
ニンジンさんはまだ目覚めていないみたいだが、特に負傷などもないらしい。
「という事は、これで全員の安否は分かったって事かな?」
「いや、ベレンヴァールがまだだ。状況を考えると、いないって線も有り得ると思うが」
「グレンさんから《 念話 》を飛ばしてもらってますが、いるにはいるみたいです。ただ応答がなく、この世界は空間が歪んでるみたいで探知魔術も上手く使えないそうで……」
いるのか。なら、合流はできそうだ。問題はそのあとだ。どうやってここから脱出するか……。
「その探知とやらは、方向も分からないのか?」
「どちらが北かも良く分からない状況なので確実じゃないですが、言ってた事から判断するに東っぽいですね」
方角が信用できるかはともかくとして、新宿から東だと……千代田区、中央区、と……江戸川区? もっと先だと千葉に入る。少し外れるなら文京区、墨田区、港区、江東区……。
その中で俺が行った事があるのはどこだろうか。……皇居とか? ゲームならいかにも何かありそうだが。東京駅なら何度も行った事があるし……。
まさかネズミさんの王国……。この分だと施設は動いてるよな? ベレンヴァールが真顔で遊んでたりしたら爆笑してしまいそうだ。
……分かってる。現実逃避だ。
少し嫌な予感がする。ここに来る前に考えた、俺が触れてはいけない領域。それに被っているような……。
……いや、それよりも前に事態が動き始めたみたいだ。
「電車が……止まった?」
停車駅ではない。駅間の途中にも関わらず、電車が停止した。急ブレーキがかかった感覚もなく、静かに動きだけが止まる。
「どうやら、俺たちがどうこうする前に黒幕さんの方から動いたらしいな」
窓の外はいつの間にか何もない空間に切り替わっている。何もない、どこまでも真っ白い空間の続く謎空間……いつかのダンマスのプライベート空間に向かう途中にあった空間と同じだ。
電車のドアが勝手に開く。
「降りろって事なんだろうな」
「進むしかないんでしょうね。どのみち合流しても脱出の手掛かりはなかったわけですし。《 念話 》は……繋がります。グレンさんたちも同じ状況のようですね」
俺たちは開かれたドアから白い空間に降りる。段差に難儀していた馬はゴーウェンが持ち上げていた。
全員が降りると電車も消え、真っ白な空間に俺たちだけが取り残された。グレンさんたちの姿も見当たらない。
「あっちに何かありますね」
美弓が指差すのは、黒い石柱だ。かつてトライアルの時に見た物や、クラス変更の部屋にあるものと同じ構造物。
何かが表示されている可能性が高いだろうと全員で近寄ってみる。石柱を覗き込むと、そこには確かに文字が表示されていた。だが、そこに表示されていたのは日本語ではなく……。
「……なんだ、これ」
見覚えのない文字の羅列。日本語どころか、大陸共通語でもない。それどころか、意味があるのかすら怪しい文字化けしたような表示だ。
「なんだか知りませんが、バグってるんですかね、これ」
文字の意味は分からないが、トライアルの時と同じようにここを押せという感じで点滅している部分がある。押すと再度どこかへ飛ばされるんじゃないだろうか。
「超怪しいですけど、押してみます?」
「ダンマスのところにあったのと同じ物なら、押した時点で何処かに飛ばされるはずだ」
「センパイ、ここ知ってるんですか?」
「ここじゃないが、似たような場所は通った事がある。……どうせ押すしかないんだ、一応何が起きてもいいように備えておけ。……押すぞ」
全員無言で頷いたのを確認してから点滅部分の文字列を押すと、案の定景色が切り替わった。
石畳の廊下……ダンジョンのようにも見えるが、どちらかというとこれは人工の建築物だ。
「ラーディンの王城」
一番そこに詳しいであろう美弓が確信を持って呟いた。
-4-
美弓の案内に従い、俺たちは城内を移動する。
どうやら、グレンさんたちもこの城に移動しているらしい事も分かった。あちらは石柱で移動したわけではなく、俺たちに合わせて飛ばされたらしい。
トライアルの時も思ったが、これって転移なんだろうか。周りの空間が書き換わったという感覚の方がしっくりくるんだが……。
「ラーディンの王城なのは間違いないですが、誰もいませんね。感知にも引っ掛かりません」
謎のレーダーらしき物を確認する美弓によれば、ここにいるのは俺たちやグレンさんたちだけ。
転移前にあったはずの生命反応は尽くが消失しているらしい。例の魔術士や王族、侍女などの使用人を含めて空になっているそうだ。その中で唯一、生命反応があったのは謁見の間。俺たちのいる通路の先だ。
小国の城であるからか、華美な装飾も調度品もない廊下を抜け、そこに辿り着くと浅黒い肌の男が一人立っていた。遠征の目的でもある、ラーディン王国の勇者ベレンヴァールだ。
「君か……」
見覚えのない集団に戸惑っていたようだが、俺の姿を確認すると少し力を抜いたようだ。そういえば、この中には面識があるのは俺しかいない。
ラスボスっぽい場所での登場だったが、この人が黒幕ってわけでもないらしい。
「先ほど、グレン氏とも《 念話 》で話をしたんだが、ここはラーディンの王城だ」
「ああ、王城に張り込んでいた奴がいるんで、それは認識してる。……なんでこんなところに飛ばされたのかは分からないか?」
「俺の体に何か仕掛けられたとしか思えないんだが、心当たりがない。可能性があるとすれば例の魔術師なんだが……とても……」
発動の瞬間の反応からある程度は予想していたが、心当たりはないらしい。
そしてやはり、グラス・ニグレムでは有り得ないという評価だ。
「そもそも、ここ本当にラーディンの王城なのかい?」
実際にラーディンの王城を見た事がないフィロスが言う。俺もそれは疑問に思っていた。
「そうだな、あの街と同じコピーじゃないのか?」
「あの街?」
先ほどまでいた偽物の日本で連絡の付かなかったベレンに説明する。
どこにいたのかはいまいち不明だが、ベレンも俺たちと同じような経緯でここにいるらしい。
「そうか……俺がいたのは暗い部屋だった。目覚めた直後に白い空間に飛ばされてここに来たから、正直状況が把握できていないんだが」
「んー、言う通り、ここもコピーっぽいですね。ダンジョン・アタックタイムがそのままカウントされてます」
美弓が自分のステータスカードで確認しながら言う。
つまり、誰の記憶から再現されたものかは分からないが、ここはラーディンの王城ではなくそのコピーという事か。
「ダンジョン……直接飛ばされたのか? 俺も無限回廊の中からこの世界に飛ばされたわけだから、有り得ないとは思わないが……ここも無限回廊なのか?」
「無限回廊かどうかは分からない。ただ、どうやったら出れるのかも分からない」
「……ここがダンジョンというなら、まだ魔力の充填が終わってないが、俺の帰還術の刻印が使えるようになれば脱出可能のはずだ」
「刻印?」
「俺の体に刻んである魔術の刻印だ。陣が必要な魔術が即時発動可能になる。魔力が溜まるまで使えないがな」
ダンジョンからの脱出が可能になる魔術というのも初耳だが、刻印というのも聞いた事がない。美弓も知らないらしいので、おそらくベレンのいた世界特有の技術なのだろう。
残弾制とはいえ前衛が強力な魔術を使えるのは大きなメリットだ。聞く限り冒険者に相当する職業の人も少ないみたいだし、後衛の安全を確保できない環境だからこそ作られた技術なのかもしれない。
「アイテムも何もないからな。この身以外では唯一の切り札だ」
他にも複数の魔術刻印が刻んであるらしいが、帰還術の刻印は特に充填に時間がかかるそうだ。
ダンジョン内にいても充填はされるが、それを早める事はできないらしく、あと三日程度は必要らしい。
だが、これでここに閉じ込められたり、死に戻りを強要される事はなさそうだ。
しばらく待つとグレンさんたちも姿を現した。ニンジンさんはすでに目覚めており、ドラゴンは……何故か小さくなってグレンさんの肩に乗っている。伸縮自在なのか。とにかく、これで全員揃った。
「ようやく合流できたわけだが……訳の分からん状況だな。余裕があれば、あの日本を観光したかったのだが……」
グレンさんなりのジョークなのだろうか。ダンマスの故郷と同じ場所だから興味はあるのだろうが。
「一番訳が分からないのは俺ですけどね。突然グレンさんに連行されたと思ったらこの摩訶不思議現象だし」
「悪いとは思ってる。すまないが力を貸してくれ、夜光」
「今度何か奢って下さいよ」
「なんでも奢るさ」
「じゃあ、グレンさんが奥さんに隠してる団増を飲ませてもらおうかな」
「……あ、ああ……ぃいぞ。……何故知ってるんだ……」
急にグレンさんが情けない感じになったが、夜光さんが言う事はもっともだ。元々ダンマスから依頼されたわけでも、詳しい事情説明もなく巻き込まれてるんだから。
ただ、戦力的に考えればこれほど頼もしい味方はいない。あの基地にいた冒険者ではグレンさんについでランクが高いわけだし。酒くらい飲ませてもいいんじゃないか?
「無限回廊の深層にこんな階層はなかったんですか? ここダンジョンっぽいんですが」
「……さすがにここまで意味不明なのはないな。一〇〇層より先は分からんが……」
合流するまでに、これまで得た情報は共有済みだ。ここがダンジョンらしい事も伝えてある。
だが、最前線組のグレンさんでもこれは未体験の仕掛けらしい。となると怪しいのは、あのトライアルの時の……。
「一〇〇層デはアリまセんねぇ」
俺たち以外誰もいなかったはずの謁見の間に突如、謎の声が響き渡る。
建物の構造からして有り得ない反響がかかり、それを発しているのが何処か特定できない。
「グラス・ニグレム……」
美弓が玉座の方向を見て呟く。そちらの方向を見ると、怪しいローブ姿の人物が一人。あれが例の魔術師なのか?
顔の全容は隠れていて見えないが、ギラついた目と牙のように鋭い歯を剥き出しにして笑う姿は狂人そのものである。
みんな口を揃えてあいつが黒幕じゃないなんて言ってたけど、どう見ても怪し過ぎるだろ。こんな不自然な場所に現れるのももちろんだが、全身から禍々しいオーラを放っている。たとえ実力が伴っていなかろうが、まず疑ってかかるべき対象だ。
「アレが例の魔術師なのか?」
「違う……あれは……何?」
否定された。……王城にいたっていう魔術士じゃないのか? となると、やはりあいつが黒幕……。
「よ、ヨウヨウこそ、わ、ワタ、ワタシハ……ウギッ、ギヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!!」
グラスが挨拶し始めたと思ったら、謎の奇声を発し体が膨れ上がる。薄汚いローブが裂け、その下から虫の脚のような物体が飛び出した。
「な、何だっ!?」
グレンさんが叫ぶが、そんなのはこっちが聞きたい。あきらかに異常事態だ。
グラスの裂けたローブの下に見えるのは人間の肌ではなく、奇っ怪な、剥き出しの内臓のような体。その体から不気味な脚や腕、触手のようなものが飛び出している。虫のような部分も、蛸などの軟体生物のような部分もあって統一性がない。巨大化し、あきらかになった全身は、構成部位がバラバラでおよそ生命体とは言い難い怪物。
生きていくためならその形態である必要がない。真っ当な進化を遂げれば確実にそうならないと断言できる不自然さ。
その姿を見て頭を過ったのは無限回廊三十一層で共に戦ったキメラの姿。あいつが究極まで生物を取り込んでいった先のような不合理の塊だ。
「グウェフェフフェッ!!」
やばい。あれはとてつもなくヤバイものだ。
造形がどうとか、強敵とかそんなレベルじゃない。アレは死や絶望という負の存在そのものの体現……。見るだけでも根源的な恐怖を呼び覚ます、悪意の塊だ。
「ヴィヴィアンっ!! 《 看破 》! 急いでっ!!」
美弓が叫ぶ。
この中で最も詳細な情報を取得できるのはニンジンさんだ。この異常事態に対応するにはまずあの化物の情報が必要……。
――――《 名前:グラス・ニグレム、種族:パラサイト・レギオン、ベースレベル……83……いや91……ひゃ、109…… 》――
ニンジンさんの《 念話 》で、冗談のような《 看破 》の結果と動揺が伝わってくる。
やはりグラス・ニグレムのようだが、名前以外がおかしい。聞き覚えのない種族もそうだが、そのレベルはどういう事なんだ。《 看破 》の途中でレベルが上がった……いや、その姿に合わせてステータスも変化しつつあるのか。
「Lv100オーバーだと……」
膨張した体は高い天井近くまでそびえ立ち、今尚その姿を変え続けている。
まずい。この中でアレに対抗できそうなのはグレンさんと夜光さんだけだ。どう考えても俺たちの手に余る。二人はすでに戦闘体勢に入っているが、……本当に対処可能かは怪しい。
ここは引くべきだ。一旦体勢を整えてからダンマスを……ってここ、ダンジョンじゃねーか。救援を呼びようがない。
……あれ、ダンジョンって事は死ねばどこかで復活するのか? それなら最悪の場合の保険は効くが……試しようがない。死んでそのまま終了でもやり直しは利かないのだから、それをアテにするのは危険過ぎる。
「くそ、ミユミ君、遠距離で援護を頼む。夜光、付き合わせて悪いが、二人で仕留めるぞ」
「了解。まったく……訳も分からず連れて来られたと思えば、随分と斬りごたえのありそうな化物だ」
「あー、センパイ、……先に帰ってパインサラダ用意しておいて下さい」
こんな時にわざわざ死亡フラグ立てんなや。流行ってんのか? ……無理してるのバレバレだぞ。
「フィロス、ツナ君、君たちはベレンヴァール氏を連れて下が……」
『それは困るなぁ』
グレンさんの言葉を遮るように、どこからか声が響く。
それに合わせるようにグラスの変形も止まった。その化物染みた声も止み、一瞬だけ静寂が訪れる。
巨体となったグラスの後ろから何者かが姿を表した。……人間だ。
……その姿は見たところ普通の少女。あの怪物を従え……ているのかどうかは分からないが、とても動きを止める事ができるような雰囲気ではない。
少なくとも、目の前の化物が放っているような圧倒的な気配は感じさせない。一連の黒幕というなら、むしろ変身前のグラスの方がよっぽど"らしい"。
だが、こんな場面で登場する奴がまともであるはずがない。
『せっかく管理外世界からの召喚に成功したんだ。また一からというのは手間なんでね。ソレは置いていってもらえるかな』
声が重なって聞こえる。一つは普通の少女の声。もう一つは形容し難い、無理矢理言葉を捻り出しているような不快な声だ。
まるで拡声器が二つあるようで、今にもハウリングを起こしそうだ。いや、声だけではない。存在すらブレているようにも見える。
「……サティナ」
ベレンヴァールが呟く。
その名前は、この遠征中に何度か耳にしたもので、ベレンが救おうとしていた相手のもの。
……となると、あの子がベレンをこの世界に呼んだ召喚士なのか?
『ああ、挨拶が先かな。……無限回廊の挑戦者諸君。我が管理者領域、無限回廊マイナス二〇〇層へようこそ』
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