Interlude「正義の範囲」




-1-




 長い間、正義の在り方を探している。人間なら寿命を迎えて尚余りある時間をその探求のために捧げてきた。

 答えは未だ見つからない。そんなものは存在しないのかもしれないとも思っている。

 人、時代が移り変わる度に変化する価値観、考え方は流動的で定まる事はない。それは短い生、早い世代交代の特徴なのだろう。

 もちろん、一概にそれが悪い事とは言わない。早いサイクルは多様性という利点を産み、文明の発展を加速させる。長い生で思考が停滞しがちな魔族、つまり俺にとっては辛い世界だ。

 などと言うと年寄り臭いと友人の学者は笑うのだが。


『長い生には長い生なりの利点があるだろう。人間にとってみれば、君のような長寿はそれこそ何を引き換えにしても欲しいものだ』


 他人の持ち物ほどいい物に見えるのは、種族が違っても同じらしい。

 寿命が長い魔族の中でも俺は更に特殊で、年齢は七十を過ぎた程度と魔族としては若造もいいところだが、実際の体感としてはその数倍を生きている。

 無限回廊と呼ばれるダンジョンの中は時間の流れるスピードが外界のそれとは違う。長いダンジョン攻略の中で若返りを繰り返し、常人であれば気の遠くなるような歳月を費やしているのだ。

 なんのために無限回廊に潜るのかと聞かれれば、回答は難しい。

 最初は童話の勇者に憧れ、力を付けるためだった。だが、人間の社会における勇者、英雄、正義の在り方はコロコロと姿を変えていく。

 俺の中で描いた勇者像など、とうの昔に廃れてしまった骨董品のようなものだ。長い、とても長い歳月の中で、俺は正義の在り方を見失いかけている。


『本来、正義なんて言葉は曖昧なものだ。その時代の価値観、立ち位置、主観によってさえ大きく変化する』


 言いたい事は良く分かる。

 誰かにとっての正義は、違う誰かにとってみれば悪になり得ると。それは多くの実体験を踏まえて感じている。良かれと思ってやった事でも、石を投げつけられる事はあるのだ。


 悪いドラゴンが人を食らいました。

 正義の勇者がそのドラゴンを倒しました。


 それだけなら勧善懲悪の物語だ。ドラゴンを絶対悪として置く事で正義を成立させている。俺好みの分かり易い物語だ。

 だが、たとえば悪い盗賊が竜の卵を盗み出し、ドラゴンはその報復を行っただけだとしたら。

 勇者にドラゴン討伐の命令を与えた王様が、実はドラゴンの鱗が欲しいがために事実を捏造したとしたら。

 そんな情報が追加されるだけで、勇者は誰かにとっての悪となる。百歩譲ってもただの道化で、操り人形だ。

 そもそも、それが餌を得るための狩りだったとしても、ドラゴンにとってはただの生きる手段であり悪とはいえないものだろう。

 少しだけ視点を変え、範囲を広げるだけで簡単に善悪の基準は揺らぐ。実際の物事はもっと複雑で、何が正しいのかなんてはっきりと言えるものは皆無だ。


『明確な基準があればいいんだがな。人を殺す、物を盗むといったような法律で決められた犯罪……即ち悪であるという基準がないのだから仕方ない。それだって人間が作ったルールだしね。どこかには魔族は殺しても罪に問われない国もあるんだろう?』


 あるな。それどころか、身分差があれば同じ人間を殺しても罪にならない国だってある。直接見てきたから間違いない。

 言われてみれば、あれらの法律は人間を基準に作成されたものだ。ある程度の善性を基準にはしているが、やはり権力者の都合のいいルールが適用される事が多い。

 明確な基準がないのなら作ればいい。ならば、多くの存在が悪と判断するものが悪であればいいと判断するのはどうだろう。多数決というやつだ。


『それだと数の暴力になるな。多数決と言えば聞こえはいいが、数が多ければ勝ちというルールが出来上がれば、吐き気を催すようなモノでさえ正義になりかねない。君が好きな童話だってその結果のようなものだ。あれは君以外の大多数の魔族にとっては理不尽の塊で、唾棄すべき作品だ』


 アレを純粋に楽しんでる魔族は、確かに俺だけかもしれんな。


『だが、世界的に見れば広く認知されている人気作品だ。その人気作品の中で魔族を悪だと言っていれば、魔族を知らない者でも納得してしまう可能性は高い。特に人間は数が多いからな、数が多いという武器を活かすのに多数決はちょうどいい。公平っぽく見えるしね』


 人間はとにかく数が多い。魔族は人間よりも圧倒的に数が少ないが故に、都合のいい悪として認識されたという事か。……なるほど。数の暴力だ。


『悪というよりは生贄だね』


 それでも、大多数がそれを望んだわけだろう? 魔族としては納得はできないし、したくもないが、それはある一面では正義と呼べないのか?


『大多数が望んだかどうか、それすら怪しい。周りの意見に取り込まれて考えを変えるのなんて珍しくもないだろ。つまり、声の大きいほうが多数派になる。童話のようなプロパガンダが存在すれば、それはより効果的に広がるだろう。そこに多様性はない。私の意見を聞いて、君の考えはわずかでも揺るがなかったかな?』


 それを言われてしまうと辛い。俺に流され易いところがあるのは否定できない。

 多数決というものは、参加するすべての人間が明確な意思を持たなければ公平ではないとそいつは言う。参加するすべての人間が正確に物事を見極めるための教養を持ち、かつその全員を個々に隔離した上でないと『公平な多数決』でさえ成立しないと。

 そんな理想的な状況など有り得ないだろう。どうしたって自分以外の意思の影響は受けてしまう。

 俺だって、そんな高潔な存在ではない。そもそも俺はあまり頭の出来が良くない。考える事が苦手だから答えを他人に求めがちだ。悪癖だというのは分かっているのだが、一人で考えていると思考が堂々巡りを始めてしまうのだ。


『それが必ずしも悪い事という事ではないと思うが、それなら正義など語るべきではないな。結局のところ、正義はただの信念だ。誰かが否定しても、自分がそれを信じるなら正義なのだと思うよ。"私は"そう思う。そう信じている』


 なるほど、と言うと、それはあくまでそいつの意見であって、俺の考えではないと否定される。考え方、捉え方、皆考え方が違うと。

 だが、そう間違ってもいない気がするのは本当だ。


『自分の中で噛み砕き、飲み込んだ上で間違っていないと判断するなら、それはもう君の意見だと思うよ。どうしたって他者の声は耳に入るんだからね』


 そうだ。人の意見を尊重するのも大切な事だと思うぞ。決して俺の悪癖を棚に上げているわけではなく。

 だが、そうして得る情報が多くなれば、やはり意見に食い違いができると。……最初の問題に戻るわけだな。堂々巡りだ。


『その中から、自分が正しいと思う答えを見つけるんだ。答えが出ないなら悩み、考えるべきだ。魔族の寿命は長いんだ。いくらでも時間はあるだろ?』


 時間だけはあるな。人間であれば善悪の基準が揺らぐほどの期間だって生きていられる。


『そうして考えながら、君は力を蓄えるといい。なんの力も持たない奴の主張なんて通らない。いつか君の正義が見つかった時、それをごり押しするための力は必要だ』


 力無き正義は正義足り得ないという話か。一理はあるが納得はできない。それはただ力で道理を引っ繰り返しているだけのようにも見える。

 ならば、力無き正義は存在し得ないものなのか。


『その問いに対しての答えなど存在しない。正義という言葉自体が不確かなものだからな。ただし、私個人の意見で言わせてもらうなら、それは成立し得ると思う』


 否と返されると予想していたので、その答えは正直意外だった。この男、意外にロマンチストだな。


『弱かろうが貫ける正義はある。ただし、それはひどく限定されたもので、本人が望んだものには届き得ないかもしれない。要するにアレだ。持つ力によって正義の及ぶ範囲が決まるわけだな。より大きな事をしようとするなら力が必要になるのは道理だろ? そして、得てして力というものは、必要な時に足りないものだ』


 そうかもしれない。だから、事前に力を付けておけと。いつか俺が見つける正義がどんなものであっても貫けるように。


『どんなものでもっていうのは無茶だろう。それはそれこそ神と呼ばれる存在に等しい。あるいは、無限回廊はその神に至るための道なのかもしれないがね』


 どこまで続くか分からない回廊だ。あながち間違いとは言い切れない部分もある。

 俺は力を付けるために無限回廊に潜り続けているが、このまま先に進めば全能とも呼べる力を手に入れる事だって可能かもしれない。それには途方も無い時間が必要になるのだろうが。

 今の時点でもうんざりしてるくらいだ。そこまでいけば、力なんか関係なしに悟りを開けそうだな。物事のすべてに無関心になってしまいそうだ。


『まあそうは言っても、それだとキリがないからな。範囲を決めるといい』


 範囲?


『君の正義を適用する範囲だ。その範囲が広ければより強い力が必要になるが、最低限これだけは貫きたいという範囲を決めておけば、困った時に指針が立て易いだろう? 特に君は思い悩む性質があるからな。道を見失った時、これだけは譲れないもの、これだけは守りたいもの、これだけは滅ぼしたいもの、とラインを引く事で、最低限の正義が明確になる』


 ああ、それはいいかもしれない。分かり易い。最初に今自分が持っている力で貫ける正義の範囲を定義付けてしまうわけか。

 そこで止まる必要もないのだ。余裕があるなら、そこを中心点として更に手を広げてもいい。


『そうだな。そうやって正義の範囲を広げていけば、君はいずれ世界だって救えるさ』


 それは大袈裟だな。

 勇者に憧れてはいても、世界を救おうと思った事はない。俺が童話の勇者に憧れたのは、救世主としての立ち位置ではないのだから。


『私、ロクトル・ベルコーズは予言しよう。君は……ベレンヴァール・イグムートはやがて勇者となる。それは万人の望む正義の体現者ではないかもしれない。この時代にそれを成す事はできない事かもしれない。だが君は、いずれ長い迷宮の果てにある回答に辿り着く。それはきっと君だけの正義であるはずだ』




 そんな昔の会話を思い出した。

 答えは未だ見つからない。ロクトルの言う長い迷宮からは抜け出せていない。そもそも、答えなどないのかもしれない。

 ただ、間違いなく言える事は、侵略戦争の尖兵として戦う俺は正義ではないという事だ。基準となる自分自身ですらそうでないと否定しているのだから、それが正しい事であるはずがない。

 では、どうするか。

 自分の正義をゴリ押しするための力はある。ならば次はやるべき事、手を伸ばす範囲を定義付ける。

 この戦争に大義も正義もない。俺にも正義と呼べる信念や理想はない。だが、俺が守りたいと思ったものはある。俺自身、そして俺が守りたいと思ったものに害をなす者もいる。それが、今の俺が定義付ける極小の正義の範囲だ。


 とりあえず、その悪を排除するのが最優先事項だろう。

 こんな状況を作り出した原因を打倒すれば、サティナやサンゴロを守るというもう一つの目的も達成可能だ。分かり易くて俺向きである。

 次はそれを達成する手段の検討、前提条件の整理が必要だ。




-2-




 オーレンディア王国に対する独立戦争は、開始当初からラーディン王国有利の戦況が続いた。

 意外ではあったが、少なくとも開始から数週間はオーレンディアはロクな対応もできずに戦線を下げるばかりだったらしい。『勇者』を投入するまでもなく、ラーディンは自前の軍だけでオーレンディア軍と互角に戦ってみせたのだ。国力、兵力に乏しいラーディンがそれこそ桁の違う国力を持つオーレンディア相手に善戦する事は、当のラーディン王国首脳ですら想像していなかった事態だろう。


 そのせいか、それともそのおかげかは判断に悩むところだが、俺の投入はしばらく見送られた。

 現場指揮官の傭兵部隊長が俺を不要と判断したのが大きい。切り札、秘密兵器を温存したいというのもあっただろう。

 俺もその判断は正しいと考える。何せ強力とはいえ、一枚しかない切り札なのだ。相手が存在を認識していない事が大前提だが、見せる必要のない場面で出して警戒、対策の検討をされるよりも重要な場面で出したほうが効果的だろう。

 結果、俺は前線基地で待機するだけの日々を過ごす事になる。やりたい仕事というわけでもないから大歓迎だ。自分たちだけで好きなだけ殺し合うといい。


 ラーディン王国の善戦、その要因の多くはお互いの士気にある。

 オーレンディア側は訳も分からず攻め込まれ、対するラーディン側は自分たちが悪しき王国から独立するのだという使命感に満ちている。

 王国中から半ば無理矢理徴兵された兵が、まるで元から軍人であったかのような戦いを見せる。普通ならば恐怖で逃げ出してもおかしくないような最前線でさえ、勇猛果敢に前へと向かうのだ。

 それは不気味な軍隊だった。熱に浮かされたように玉砕覚悟で突貫する兵士たち。傷付いても構わず戦うその姿は、かつて無限回廊で見た探索者たちの姿に重なってみえた。

 だが、ダンジョンとは違い、彼らは死んでも蘇ったりはしない。取り返しのつかない死地に立ち向かう勇猛な戦士たちである。無謀と言い換えてもいい。

 一体何がそうさせるのか、と一度疑問に思えば、あまり出来の良くない俺の頭でも簡単に回答が導く事ができた。

 要するに彼らは操られてるのだ。この戦争が始まる前、扇動するように繰り返された国王の演説。あれが絡繰だ。どれほどの強度かは分からないが、あの演説を利用して例の怪しい魔術士がラーディンの国民を洗脳したのだ。彼らを《 看破 》しても状態異常は見当たらないが、それはレベルやHPなどのシステムの枠外にいるからなのだろう。つまり、見えないだけで彼らは< 洗脳 >状態なのだ。


 正直なところを言ってしまえば、彼らを救いたいとは思わない。彼らの事は何も知らないし好印象も持っていない。憐れだとは思うが、そこまで救いの手を広げるつもりはない。むしろ、相手のオーレンディア王国の民にこそ同情するくらいなのだ。そんな優先度の低い相手を救いたいと思えるほど、俺の正義の範囲は広くはない。

 戦端が開かれた以上、もう止まる事もできないだろう。今から国王やあの魔術士を殺しても戦争は止まらない。もう行き着くところまで行くしかない。

 俺に彼らの洗脳を解く能力があればそれを行使するくらいはしたかもしれないが、今の俺にそんな力はない。これが元の世界であればアイテムで対応する事もできただろうが、今の俺は身一つだ。武器さえロクなもんじゃない。

 まったく、無力な勇者もあったものだ。反吐が出る。


 とりあえず、分かり易い悪がいてくれるのは助かる。そいつを消せば、俺の当面の目的は終わりだ。

 その後、ラーディンがどうなろうが知った事ではない。崩壊するなり、蹂躙されるなりしようが俺には関係ない。

 遙か昔の俺ならば一人でも多く救おうと躍起になっただろうが、それは俺がやる事ではない。俺の正義の範囲には含まれない。

 ここまでの期間で、俺の中でそう定義付けが完了していた。




 そうして始まった戦争だったが、徐々にオーレンディアが押し返し始めた。

 当たり前の事だが、相手は大国だ。体制さえ整えれば地力が違う。特に、オーレンディア王国騎士団が戦場に姿を現してからは防戦一方だ。遠目にはあまり強そうには見えないが、それでも影響があるのだろう。目に見えて戦局が傾き始める。士気はあるとはいえ、元々の国力が違うのだ。時間を与えてしまえば、もう逆転の目はない。

 ……そう、本来であれば。


 俺が投入されたのは、その局面になってようやくだ。戦局を考えるなら、これ以上ないタイミングだろう。

 オーレンディア自慢の王国騎士団に対し、あっさりと撃退に成功する。一人で複数の騎士を一方的に蹂躙するその姿は、十分に相手の動揺を誘えたはずだ。

 王国騎士とやらの強さを肌で感じるために少しばかり様子見していたが、それも最初だけだ。練度はラーディンの兵士よりは随分とマシなようだが、千から見たら一も二も変わらない。

 やる事はただの作業。存在としての立ち位置がそもそもかけ離れているのだ。戦闘らしい戦闘にもなりはしない。

 とはいえ、俺はこの戦争に勝つ気はまったくないので、優しくお帰り願った。基本、命は奪わず、重傷でも精々今後剣が握れなくなる程度に留めておく。この世界にも魔術はあるのだから、完治だって可能かもしれない。

 そいつが怪我を治してラーディンの兵を殺したとしても、それは俺の知った事ではない。殺せ、と明確に指示されているわけでもないのだから。

 ただ、殺害してしまうよりも負傷者として帰ってもらったほうが戦術的にも有効だろう。そんな事をかつて元の世界にいた友人の学者……ロクトルが言っていたはずだ。

 強力な魔術の介在しない通常の戦争なら、治療、後方への搬送、怪我人を助ける手間は純粋に殺してしまった場合よりも多くかかる。言われてなるほどと感心したものだ。奴に言わせれば別に珍しい手段でもないらしいが、俺は戦争に関しては素人だ。わざわざ殺したいわけでもないのだから、これが最も理に適った戦い方だろう。

 良識ある者なら、俺が悪戯に戦争を長引かせている存在だと罵倒するかもしれないが、そんな事は知った事ではない。文句ならばあの魔術師か責任のある国王に言え。


 再びラーディン王国の巻き返しが始まる。

 俺という切り札をチラつかせ、必要な場面で投入する。最大戦力を酷使しないのは無駄な部分も多いと思うのだが、その作戦も上手く行っているように見えた。あの部隊長もなかなかやる。俺も楽ができるから助かる。


 こうして、最前線は硬直状態に陥る。領地の占領にはどうしても人手が必要だ。俺一人が奮戦しても前線は動かない。

 記憶にある限り、戦線が移動したのは国境線近くの街を占領した時までだ。すぐに取り戻されたが、あれがラーディン軍唯一の戦功らしい戦功といえる。勝ちたいのなら、せめて自分たちがやらねばならない最低限はこなしてもらわないといけない。……こなす能力がないのは知っているのだが。

 あとから聞いてみれば、その街はこの領地を収める貴族の中心地……領都だったらしい。なんでこんな戦線近くに領都を構えているのか不思議だったが、本来オーレンディアが睨み合っている国は別にあって、主戦場はそちらなのだとか。

 要は王国は横から奇襲をかけられたようなモノで、こちらが敵と認識されればすぐに巻き返せる程度の戦果でしかなかったという事だ。


 とりあえず領都を取り戻してしまえば、王国は一つの戦場だけに拘る必要などない。いくらラーディンが小国とはいえ、国境線は広いのだ。戦場を広げられれば俺一人では対応できないし、ラーディンも対応する人員はいない。

 現在はまだその兆候はないが、ラーディンは国土の三分の一が海と接しているのだから、海から攻めてくる事だって有り得る。聞く限り、オーレンディアは海軍もそれなりに精強だ。

 このままいけば長くはない。ほんのわずかな綻びがあるだけで、戦線は崩壊する。俺的にはそれでも問題はない。


 戦況は問題ないのだが、……問題があるのは、未だあの魔術師を排除する方法が決まっていない事だ。

 殺害手段自体は色々ある。だが、確実にサティナに害が及ばない方法となると困難を極める。

 混乱の隙に乗じて殺すだけなら簡単だ。堂々と乗り込んで行ったっていい。ただ、死の呪いの発動トリガーが分からない以上、無闇に殺す事もできない。このままだと博打染みた対応になりかねない。何か、何か状況を進める一手が必要だ。

 意外にも、その一手はオーレンディア側からやって来た。


 戦端が開かれてから一ヶ月もした頃だろうか。この永遠に続くかと思われた最前線に動きがあった。オーレンディア側が謎の傭兵部隊を投入したのだ。

 最初は補充要員、ただの傭兵かと思ったのだが、あきらかに動きが違った。周りにいるただの兵士とは次元の違う力だ。

 突然の邂逅、急な出来事に対応が遅れたが、それは相手も同じだったらしい。一瞬だけだが、お互い呆然として気の抜けた空気が発生した。そして、お互い事態を飲み込めないまま戦闘に突入する。

 結果から言ってしまえば、撃退は上手くいった。加減が上手くできずに一人の腕を斬り飛ばしてしまったが、それが撤退のきっかけになったらしい。

 おそらく、斬り飛ばした腕もなんとかするだろう。《 看破 》で確認した事実がそれを証明していた。

 Lv35~Lv45のステータス情報。当然HPもあり、確認できる情報量が他の一般兵とまるで違う。撤退時に治療の魔術を使っている事も確認した。

 ……あれは俺の同類だ。

 戦闘が終わっても状況が把握できないままだ。何が一体どうなっているのか。何故、同じ世界で二つの違うシステムが同居している。意味が分からない。




-3-




 サンゴロに用意してもらった小屋でベッドに腰を降ろすと、急に疲れが押し寄せて来た。それはダンジョン攻略とは違う類の疲労だ。

 宿舎は用意されているが、基本的に利用しない事にしている。他の軍人と会いたくはないし、いらんちょっかいをかけられたくもない。

 元々正規の軍人ではないのだ。上司である傭兵部隊の隊長から指令を受け取り、その指示のまま動けばいい。部隊長の許可ももらっている。


「……あんな隠し球があったのか」


 貧乏臭いベッドに寝転がり、天井を見上げながら、戦場に現れた同類について考える。

 可能性がゼロというわけではないだろうが、元の世界の住人ではないだろう。おそらくアレはこの世界の住人だ。

 状況が理解できない。何故HPやレベルを持つ者と持たない者がいるのか。元の世界でも無限回廊でもシステムが混在しているところなど見た事がない。さすが異世界だ。常識が違う。

 しかも、《 看破 》で見る事のできた情報では、かなりの高レベル者だった。自然発生したにしては不自然といえる。

 奴らは間違いなくダンジョン……それもおそらくは無限回廊の挑戦者だろう。何故それが一部の者だけなのか理解できないが、王国は無限回廊か、それに準ずる何かを手にしているという事になる。

 これで確定的だ。……ラーディンに逆転の目はない。元々勝利の目などなかったが、あの魔術師如きがどうしようがこれをひっくり返す事などできないだろう。

 仮に俺が全力で奮戦したとしてもおそらく足りない。極当たり前の流れが決定的になっただけだが、これは俺にとって都合のいい展開といえる。


「よお、勇者サマ」


 物音も立てず小屋に入って来たのはサンゴロだった。

 その手の類のスキルは保有していないのに、俺の知覚に捉えられずに現れるのは大したものだと思う。ある程度のスキル補助があれば、立派なサポート系探索者になれそうだ。


「……相変わらず胡散臭い顔してるな」

「ひっでーな。久しぶりに会った戦友にかける言葉かよ」


 お前と一緒に戦った事などないから、戦友と呼ばれてもな。


「で、どうよ」

「飯が不味い」

「そんな当たり前の事は言われなくても分かってるよ、聞きたい事はそんな事じゃねーよ」


 もちろん冗談だが、これはこれで切実だ。軍用の糧食はどの世界でも基本不味い物と決まっているのだろうが、ラーディン軍のそれは俺の想像を遙かに超えていた。味が極端に濃い。しかもすべて塩味だ。干し肉など、塩の塊を齧っている気分にさせてくれる。塩気がないよりはいいのだろうが、物事には限度というものがあるだろう。

 無限回廊の中を攻略している間でさえ、もう少し良い物を食っているのだ。正直キツイ。

 ラーディンの国民の中には食事自体ロクにできない者もいるらしいから、これでもまだマシだと軍のお偉方は言うが、そんな事は知らん。


「で、何が聞きたいんだ? 戦況はお前にだって分かってるだろ」

「分かってるから来たんだよ。……あとどれくらい保ちそうなんだ?」


 こういうところは妙に聡い奴だ。危機に敏感というかなんというか。この戦争が終わりに向けて加速を始めたのを感じたのだろう。


「……正直なところを言うと分からん。俺は戦争屋じゃない。今の前線を維持しろと言われればいくらでも持ち堪えるつもりだが、それ以前に別のところから突破されるだろう」

「あー、それはな。分かっちゃいたがどうしようもねーな」


 足……ヴィールがいればある程度ならそれも対応可能だろうが、もし呼び出せるとしてもやる気はない。


「分かってるなら、そろそろ逃げる準備をしたほうがいいな。一度瓦解すればあっという間に国内へ雪崩れ込んでくるぞ」


 お前……いや、お前らの部隊くらいなら逃げるのを手伝ってやってもいいぞ。口には出さないが。


「ドサクサに紛れて逃げるのは得意だから、それはいいんだが……勇者サマのところに、なんかやたら強え奴らが現れたらしいじゃねーか」

「…………」


 やはり本題はその話か。サンゴロがどこの部隊に配属されているかは知らないが、さすがにその情報は伝わってるという事だ。

 しかし、奴らの正体について詳細が掴めていない以上、なんと説明すればいいのやら。


「……ちょうどいい機会だから言うが、奴らは俺の同類だろう」


 それは十中八九間違いない。


「同類? ……見た目は普通の人間だったらしいが、そいつらも勇者サマなのか?」

「種族的な意味合いじゃない。あの転移術で呼ばれたやつかどうかも知らん。ただ、俺と同じ土俵に立ってるって意味だ」

「うひー、そんなのが五、六人もいたって事か。でも、撃退はしたんだろ? 腕斬った奴もいるんだから、確実に戦力ダウンだ」


 普通の相手なら、腕を斬り飛ばせば戦線への復帰は難しいだろう。だが、奴らは普通ではないのだ。


「治してくるんじゃないか?」

「勇者サマはやっぱりリザードマンか何かの近類種だったのか……」


 やっぱりってなんだ。冗談か本気か判断し辛いリアクションだな。俺には自己再生能力なんてないぞ。あの同類たちも自己再生はしないだろう。


「たとえ四肢をもがれようが、死んでなければ治療の方法はある。今の俺には大した手段はないが、連中が同類なら魔術なりアイテムなりで治療可能なはずだ。実際、撤退時には治療を始めていたしな」

「マジかよ……」


 知らない者には理解できない世界なのは分かる。ここほどではないが、元の世界でも奇異の目で見られていたからな。


「もし腕や目を無くしたら言え。回数は限られるが、治療は可能だ」

「お、おう……あんまり想像したかねーが」


 俺のわがままで奔走してもらっているのだから、それくらいはやるさ。


「でもよ、実際撃退はできてるんだから、次もなんとかなるんじゃねえ?」


 相対した奴らは確かに強かったが、俺にとっては大した脅威じゃない。同じようにレベルを持ち、HPを持ち、スキルは……使って来なかったが、使って来たとしても奴らよりは強い自信がある。唯一『クラス』という未知の情報が気になるが、こんな貧弱な武装でも相手が五、六人のチームであれば問題なく撃退できるだろう。懸念は別のところにある。


「あいつらだけならな」

「……勇者サマとまともに戦える奴が他にもいるって事か? 冗談だろ」


 お前らは俺に指一本触れられないわけだから、驚愕だろうな。あいつらは六人だろうが、俺がいなければ前線の全軍を軽く吹き飛ばせるだろう。


「実際に戦ってみた感触からの推測だ。あいつらは他の兵士や騎士に比べても桁外れに強かったが、それでもエースじゃなかった」

「エース?」

「呼び方は隊長でもリーダーでもいいが、要はあいつらは下っ端なんだ。もっと強い奴がいて、後ろにはそれが控えてるって印象だった」

「マジかよ。勇者サマと同じくらい強い奴がいるかもしれないって事か。とんでもねえなオーレンディア」


 同格でも、この状況ならおそらく負けるだろう。……おそらくじゃないな、必敗だ。

 奴らの武装は巧妙に誤魔化してはいたが、魔術で作られた品だった。対してこちらはただの鉄の剣と鎧だ。武装の差は如何ともし難い。

 同格とは言ったが、次に出てくるのが俺より格上の可能性だって十分にある。


「あんな目立つ存在が今まで表に出てこなかったのか? 傭兵をやってるんだから噂話くらいは聞いた事ありそうなものだが」

「噂……ならあるな。眉唾物の話だったし遭遇した事もなかったが、戦場に時々異常に強い奴が現れるってのは聞いた事がある。だが、外国の話だぞ」

「なるほどな……」


 ここら辺では近年大きな戦争はなかったというし、それも必然だろう。

 それが本当だとすると、御同類は組織のはず。国境に関係なく現れる権力を有した存在。傭兵団……ではないだろう。もっと大規模だ。

 オーレンディア王国ではなく、異なる存在が無限回廊を保有しているという事なんだろうか……。本腰を入れられたらアウトだな。


 ……なんとかしないと……ラーディン王国に勝利をもたらすためには……。

 ……戦争を、災いを拡大させるためには……。


「おい、どうした? 勇者サマ」


 ……俺が単身敵地に侵入し、拠点を移動しつつ破壊工作、そのまま中枢部を押さえればこの戦争の長期化が見込……。


「…………」

「おいっ! ベレンっ、ベレンヴァール!!」

「……悪い。考え事をしていた」


 深い、思考の渦に飲み込まれそうだったが、サンゴロの声で引き戻された。


「どうしたんだ。あきらかに様子が変だったぞ」


 変……確かに変だ。

 ラーディン王国なんてどうでもいいだろう。元々勝つ算段なんてつけるつもりはない。何故わざわざ勝つ方法を考えてやる必要がある。

 なんだ……何か違和感がある。……まさか、知らない間に俺が洗脳されている?

 いや、あの魔術士の術は完全にレジストしたはずだ。現に、ステータスにもそんな表記はない。戦場の空気に当てられておかしくなったのか?


「寝る時間はあるんだろ? いざって時に動けるよう、ちゃんと休んでおけよ」

「……ああ、そうだな」


 ……どちらにせよ、潮時か。


「……俺もそろそろ逃げる準備をするか」

「そうか……逃げるついでに金目の物でも盗んでいくか? 手伝うぞ」

「それはお前がやりたいだけだろう。止めはしないが、手を貸すつもりもない」


 どんな相手だろうが、窃盗はしない。これは正義云々以前の俺の美学だ。ただし、俺の掲げた正義に必要ならやる。


「あの嬢ちゃんはどうするつもりなんだ?」

「もちろん、なんとかするさ」


 サティナの事は俺の正義の範囲だ。絶対になんとかする。

 たとえ俺をこの世界に拉致した実行犯でも、被害者の俺は彼女に罪があるとは思っていない。救ってやりたいと思う。


「窃盗はしないが、行きがけの駄賃としてあの魔術士の命はもらっていくつもりだ。これまでの戦果だけでも代金には十分だろう」

「そりゃ元凶はあいつなんだろうが、殺しちまっていいのか? 前に術者の死に反応する呪いの可能性が高いとか言ってただろ」


 それは以前、俺がサンゴロに話した可能性だ。

 あの魔術士は、裏切らないようにと俺本人、そして予備の保険としてサティナに死の呪いをかけた。本命である俺への呪いが効いていない以上、サティナにかけられたそれさなんとかしてしまえば俺に枷はない。

 問題なのは呪いの詳細……特に発動条件が分からない事だ。奴が能動的に起動させる必要があるのか、それとも自分の死をトリガーとしているか。あまり考えたくはないが、術者に関係なく時限発動型で、決められた時期が来ればそれだけで死ぬという事も有り得る。

 だから、一番いい解決方法は呪いそのものを解いてしまう事だ。


「解呪の目処が立ちそうだからな」

「……まさか」


 その通りだ。もしも俺と同じような奴らがいるなら、一人くらい呪術に精通してる奴はいるだろう。


「……オーレンディア側で来た例の奴らと接触する」




-4-




 だが、最初の接触以降、戦場で御同類と遭遇する事はなかった。

 停滞する戦況。そして、地方ではそろそろ戦線が崩壊しかかっていると聞く。例の洗脳効果も限界が近いらしく、士気も随分と落ちているらしい。

 時間がなかった。いよいよとなれば、あの魔術士は呪いを発動させるだろう。他に変な手を用意してないとも限らない。

 最近は増えてきたとはいえ、俺が実戦に投入される場面も少ない。普段はサンゴロに用意してもらった小屋で暇を持て余している。


「よう、勇者サマ」

「お前はいつも現れ方が一緒だな。もうちょっと変わった登場の仕方はないのか?」


 連絡役はサンゴロだ。最初は勝手にやっていた事だったが、いつの間にか部隊内での正式な役目として請け負っていた。


「と言われても、俺は道化師というわけじゃねーしな」

「傭兵らしく、ケツの穴でも抑えながら登場するというのはどうだ」

「傭兵はそういうもんじゃねーし、ウチもそういう事はないからな。……ないと思うぞ」


 そうだろうか。あの部隊長あたりが怪しいと思うんだが。作戦時はともかく、平時は俺を見る目がおかしい。

 あの部隊長は世話になっている数少ない人間だから、手を伸ばして助けてやりたいという気持ちもあるのだが、ちょっと気持ち悪い。


「まあ、お前にお笑いの才能がないというのは分かった。……で、その包帯はどうしたんだ?」


 現れたサンゴロは片腕を吊り、顔半分を包帯で覆っていた。見た目だけなら重症だ。


「へっ、ドジっちまった。俺とした事が情けねえ」

「意味が分からんな。お前、怪我してないだろう」

「あれ、分かる?」


 当たり前だ。これでも観察眼は鍛えているつもりだ。ステータスの情報は少ないが、それに頼らない情報収集は戦闘において基本である。偽物の怪我くらい見分けはつく。


「結構上手く化けたつもりなんだけどな……俺さ、部隊辞めて来たんだわ」

「そうか」

「あれ、ここは理由とか経緯を聞く場面じゃね?」

「なんで辞めたんだ?」

「取ってつけたように言いやがった」


 お前の所属にはあまり興味はないからな。正直、今の傭兵団所属というのにも違和感を感じるほどだ。


「そろそろ戦況が大きく動くだろうと思ってな」

「……なるほど、その怪我の真似事は除隊の理由付けか」

「ご明察。ま、団長も分かってたみたいだがな。とはいえ、正式にはまだ辞めてないから、この仲介役はそのままだ」


 お前以外だと面倒な事になりそうだから、それは助かるな。あの部隊長自らが来ても嫌だし。


「つまり、情報収集にかけられる時間も増えるって事だ。……例の奴らの事調べて来てやったぞ」

「……そうか、助かる」


 あれ以来遭遇していないが、事前に情報を確認できるならそのほうがいい。交渉の役にも立つだろう。

 サンゴロに依頼していた情報収集は念のためで、連中との接触のほうが早いと思っていたが、結果的にこちらのほうが早くなってしまった。


「奴らはオーレンディアの王都から少し外れた所にある、迷宮都市って街から来ている可能性が高い」

「迷宮都市とはまた直球だな」


 そこにダンジョンがあると言っているようなものだ。そんな名前だったらド本命である。

 街の名前というなら、もう少し詳しく調べていたら引っ掛かっただろう。未開という魔の大森林や暗黒大陸など目指すよりもよっぽど可能性が高い。

 サンゴロによれば、怪しい噂だけなら何度か聞いた事があるらしい。冒険者を中心に、外部から人を集めていると。

 そして、どういう理由かは分からないが、災害級のモンスターが現れたり戦争があったりすると、その迷宮都市から来たという人間が傭兵として現れるようだ。


「胡散臭過ぎてロクに調べてなかったが、いざちゃんと調べたら情報は見つかった。追えない事はないってレベルだが」

「王国の一部なら、交易などで商人が行き交うだろう。情報くらいいくらでも集まりそうだが」

「それが、この街は外部から冒険者を呼び込む以外の干渉を遮断している。侵入しようして帰らなかった奴はそれこそ星の数ほどいるそうだ」


 無限回廊を攻略しながら、外界を遮断するための街を作っている? やっている事は分からないでもないが、そのメリットが分からない。

 ……戦場に出てきた連中の事を考えると、探索者の数を増やしているのか? それは意味のある事なのか?


「無限回廊はそこにあると見て良さそうだな」

「無限回廊? それは以前言っていたダンジョンの事か?」

「ああ。その中では死んでも蘇るんだ。俺……俺たちはそれを利用して鍛えている。俺やあの連中の強さのカラクリだ。」

「勇者……ああ、もういいや、ベレンもそこで鍛えたって事か? それと同じ物があると」

「ああ、もう死んだ回数は数え切れない」


 死んで、蘇っての繰り返しだ。まともな精神ではいられない。だから、街の規模で攻略を進めているとしたら、それはよほどタフな連中だろう。


「俺の世界では、死の試練と呼ばれて一種の拷問扱いだった。世間に認知はされているが、まともに攻略しているのは俺と数人程度しか知らない」


 その数名だって端から見たら狂人だ。俺やロクトルは一見普通に見えるかもしれないが、同じ部類だろう。拷問に進んで挑戦するのだ。狂ってなければできない。


「その中なら、生き返れるし強くもなれるんだろ? だったら、もっと利用する奴はいそうな気がするんだが」

「お前は、切り刻まれたり、溶かされたり、全身バラバラにされたり、食われたりするのを延々と繰り返せるのか?」

「……そうだな、そうなるよな。無理っぽいな」


 まともな戦力がなければ浅層ですら生き残るのは難しい。先に進むのはもっと困難だ。

 その上、才能がなければスキルだって覚えられないのだ。中でスキルオーブが見つかる事もあるが、それに期待して挑戦するのは無謀に近い。

 耐えられず、精神崩壊するほうが先だろう。あるいは精神崩壊して何も考えずに挑むほうが効率的かもしれない。


「主な利用用途は、犯罪者を放り込んで鍛えて戦争に使うっていうのが多いな。精神崩壊さえしなければ屈強なソルジャーが完成する」

「ベレンみたいな?」

「俺は犯罪者ではないしちょっと事情が違うが、俺みたいなのを育てるのも……無理ではないんだろうな」


 モンスターを倒せばレベルは上がるから、その分は強化できる。時間は経過しないのだから、上手く若返りの手段を見つけられれば人間でも鍛え続けられるだろう。


「つまり、そうやって鍛えるためだけのダンジョンって事か?」

「中で高価なアイテムが見つかる事もあるが、金銭目的で挑戦しようって奴はいないな」

「財宝があるなら、それ目的で挑戦する奴はいそうな気もするけどな」


 口には出さないが、俺なら金は欲しいとサンゴロの目が言っている。正直なのはいい事だ。


「昔は結構いたらしい。ただ、いくら高価とはいえ、近い物を生産できるなら博打に近い挑戦をする奴はいない」


 実は今もいない事はないのだが、あっという間に諦める。浅い階層で発見できるアイテムは大抵が研究され、外でも生産が可能だ。

 高価とはいっても手が出ない価値ではないのだ。死なないから肉体的な安全は保証されているとはいえ、精神的なリスクを犯してまで挑戦したい奴は少ない。偶然未発見のアイテムを見つけるか、あるいは俺のように深層まで潜る前提なら一攫千金も夢ではないからまだ理解はできるが、リスクが大き過ぎるだろう。

 まあ、自分から挑戦する奴はいなくとも、させる奴させられる奴はいるわけだが。


「そんな話をしたって事はつまり、そんな不死の軍団が迷宮都市にいると?」

「ダンジョンの外なら不死ではないだろうが……そうなるんだろうな」

「おっかねえな」


 街の規模が分からない上に、その内の何割が探索者なのかも分からないから正確な事は言えないが、そんな規模で積極的に挑戦しているとなるとそれは脅威だ。

 俺が戦ったチームはそこまで精神に支障をきたしていないように見えたのだが、それでも三十層クラスの実力はあった。あれが迷宮都市の普通と考えるなら、まさしく怪物の巣窟だ。俺の世界の軍隊をすべて投入しても勝てないかもしれない。

 ……いや、なんで勝つ事を考えているのだ。分析は必要かもしれないが、奴らを敵に回す予定はない。俺はむしろ助けてもらいたいのだ。


「案外、迷宮都市とやらにはリスクを軽減して攻略できる環境があるのかもしれないな」

「それなら俺もベレンみたいな強さを手に入れられるかもしれないって事……なのか?」

「どうだろうな? 案外、俺より強くなったりするかもしれんが、才能なんて分からないからな。スキルとして現れなくたって、適性のある奴はいるだろう」


 ロクトルだって、学者の癖に結構な深度まで達していたのだ。あの変人学者の頭はどんな構造になっているのやら。


「無限回廊についてはそんな感じだ。で、まだ情報はあるんだろ?」


 こいつが部隊を辞めて来たという事は、単に情報収集の時間を作るためだけじゃないだろう。何かしらの前兆があったはずだ。


「おお、あるぞ。とびっきりの奴だ」

「ひょっとして、奴らがどの前線にいるのか分かったのか?」


 それならお手柄だ。この前線を放棄してでも向かう。


「それどころじゃない。傭兵に偽装されていない迷宮都市が正式に参戦するって話だ。つまり不死の化物軍団がこの戦場に現れるって事だな」

「……ははっ」


 迷宮都市とやらも、随分と大人げない事をやるものだ。

 だが、俺としては助かる。可能性が上がった。


「いやー、お前の話聞いておいて良かったぜ。そんな化物連中相手なら、逃げの一手しかねーな」

「そうだな。さっさと逃げたほうがいい。たとえ最後まで俺が踏ん張ろうが負けは確定だ」


 手順をしくじれば俺も死ぬ可能性がある。


「何言ってるんだ。俺は戦争からは逃げるが、お前には最後まで付き合うぞ」

「……正気か?」

「そんなものはどこかの戦場でなくしちまってる。それに、俺がいないと不便だろ?」


 確かにサンゴロの情報収集、危機察知、隠密行動の能力は目を見張るものがある。目立つ俺がやるよりも成功率は高いかもしれない。

 しかし、交渉相手は戦争をしている相手なのだ。危険な上こいつにメリットがない。


「ここで勇者サマに恩を売っておくのも悪くないって事さ」

「相手と交渉するだけでも危険だぞ。友好的とは限らない。その上、相手は規格外の怪物共だ」

「そしたら逃げるだけだ。一緒に死ぬとまでは言ってねーよ」


 何故、サンゴロは俺なんかに付き合っていられるのだろうか。

 恩を売ったつもりもないし、裏があるようにも見えない。伊達や酔狂で行うにはメリットもなく、無謀過ぎる。だが、嬉しいと感じているのは確かだ。


「それは……分かった。素直に逃がしてくれるとは限らないが、お前ならのらりくらりと危険を躱しそうだ」

「よし、なら俺は上手いこと迷宮都市の奴と交渉の場を作るところまで付き合おう」


 十分過ぎる。


「そのあとは……そうだな。お互い上手く行ったら、高い酒でも奢ってくれ」

「いくらでも奢ってやるさ」




 そして、俺の召喚から始まった胸糞の悪い物語は終わりに向けて動き出していく。




























-■-




 夢を見た。

 これまでに見た事のない、わけの分からない夢だ。


 夢の中での俺は俺でなく、別の存在だった。

 そいつはひどく退屈していて、常に刺激を求めていた。

 長い生を生きる魔族でもそれほどは擦り切れないだろうというほどに、そいつの魂は摩耗していた。


 形にするなら球体なのだろう。

 引っかかりのない、何にも感動を覚えない存在。

 無重力の真空に浮かぶ星のような存在。


 そいつは生まれた時からそうだったわけではない。

 長い、長い時間の果てでそうなった。そうならざるを得なかったのだと、そう感じた。


 無限回廊は広大だ。正に無限とも呼ぶべき可能性へ至る道がそこにはある。

 だが、無限の中でさえ、そいつに刺激を与えられるものは少ない。

 それを探す事は、宇宙のような広さの砂漠から、一粒の宝石を見つけるが如く困難と忍耐が求められる。

 ただ、自分を潤してくれる刺激を求めて無限の中をさまよい続ける。


 やがて、それが目的にすりかわった。

 元々持っていた渇望などどうでも良くなった。

 ただ、それだけのために生きるようになった。


 異世界に干渉する。

 災いを撒き散らし、乾きを潤すための宝石を探し続ける。

 長く続けるほどに摩耗し切ったと思っていた魂が更に摩耗していき、簡単な事では刺激を覚えなくなっていった。


 ……ああ、なんて悲しい存在なのだろうか。


 正義も悪もなく、そいつが求めるものはただの揺らぎだ。

 自分を刺激してくれる何かがあればそれでいいと、世界を渡り続ける。

 刺激の種を撒き、やがて芽が出る事を祈りながら。



 そして、『俺』は思ってしまった。そいつが何者であるのか、どんな存在であるかも分からないまま。

 ただ、そいつを殺してやりたいと。


 ……それが、そいつにとっての救済。俺の正義であると感じてしまったのだ。




――――System Alert《 ■■■■■■■■■■ 》――



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