第6話「世界間転移術」
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ダンマスからの呼び出しの日の午後。ダンジョン区画、壁の外へ向かう途中にある広場に俺は立っていた。
ここは俺とユキが迷宮都市に来た時、食い過ぎで倒れた広場だ。多くの人が行き交うこの場所が今日の待ち合わせ場所らしい。
俺としては待ち合わせ場所はギルド会館でも転送施設でも良かったのだが、ダンマスの指定したのはここだった。一体どこへ行くのかは知らないが、随分と庶民的な待ち合わせ場所である。
少々早い時間に足を運んだのはフィロスと会うためだ。どうせ打ち合わせで会うのならと、お互い近況の確認をするつもりである。
見渡しても広場にフィロスの金髪は見当たらないので、かつてユキが倒れていたベンチに座り込む。
あの時は迷宮都市の異世界っぷりに度肝を抜かれたものだが、今では随分と慣れたものだ。広場に面したケーキ屋も何回かは利用した。実はここら辺では随分繁盛している店だったようで、ユキも結構行っているらしい。
同じ人かは分からないが大道芸人もいる。演技の派手さがエスカレートしている気がするのだが、あの人は一体どこまで行くのだろうか。街頭パフォーマンスで火の輪はやり過ぎじゃないかな。ジャグリングくらいにしておいた方が良いと思うぞ。
「だーれだ」
突然視界が阻まれて噴水の前の大道芸人の姿が見えなくなった。
小さい手に、背後に感じる幼児のような気配。聞き慣れた声。そして、背中に感じる絶壁の感触。……間違いなくトマトさんである。今日会う予定ではあるのだが、待ち合わせはしてない。必要ない時に現れるのがトマトさんの習性ではあるのだが。
「トマトさん」
「残念。違いますー」
あきらかにトマトさんの声なんだが、違うと言われてしまった。
なんだ、これはどんなギャグなんだろうか。何か面白い事を言わないといけないのかな。
「……ホールトマトさん?」
「なんで調理されてるんですか」
と言われても困るんだが。急にギャグを振られても、そんなに気の利いたギャグなんか出せないぞ。あとはトマトピューレとか……トマトジュース? もしかして、二人だから前世の名前で呼び合おうとそういう事か? ……そんなロマンチックな関係ではないはずなんだが。
「じゃあ美弓」
「だから違いますって。ヒントは……そうですね、赤い野菜です」
え、違うの? そういう意図でもないと。ヒントとか言われても、赤い野菜って……トマトじゃなくて? 混乱してきた。
「赤って……ニンジンとか?」
「おー、正解」
背中の側から美弓とは違う声がして、手が離れた。
……なるほど。喋っていたのはトマトさんだけど、目を隠したのは別の奴だったと。……ニンジンさん?
振り返ると、見覚えのあるハーフエルフのトマトさんともう一人。更に小さい、マジもんの幼児体型なエルフさんがいた。
「……誰だ?」
まったく記憶にない。ニンジンとか言われても、サラダ倶楽部にそんな野菜はいなかったし。
……ハムとか存在自体忘れてたから、俺が覚えてないだけもしれないが……それだと五人目の日本人という事になってしまう。いや、迷宮都市にいないだけで、日本人はいる事はいるんだっけ?
「どーも、ヴィヴィアン、です」
ニンジンじゃねーじゃねーか。不正解だろ。
「ウチのパーティメンバーです」
「メンバー、です」
説明を求めて美弓を見ると回答が返ってきた。いや、微妙に答えがズレてる気が。
良く見ると髪留めがニンジンだ。……だからニンジンさんなの?
「サラダネームは、キャロット、です」
「……サラダネームってなんだ?」
絶賛混乱中である。随分と独特な喋り方をする子だが、こんな喋り方なら忘れるはずは……初対面だよな。そういえば、いつかトマトさんと再会した時に現れたエルフさんたちの中にいたような気も……。
「えーとですね。遠征とか行く時につける偽名で、ウチは野菜の名前で統一しているんです。それでサラダネーム」
「なるほど、どうでもいいという事が分かった」
ニンジンがサラダに入るかどうかはこの際置いておこう。……サラダ倶楽部関係ないじゃん。お前の趣味じゃねーか。そのニンジンの髪留めもお前の趣味だろ。
「ちなみに、お前の偽名はやっぱりトマトなのか?」
「あたしの偽名はティーゼです」
「……それはなんの野菜だ?」
聞いた事がないが、何語だろうか。実は古典ナワトル語でトマトを意味するとか……。トマトさん、ユキとは違う方面で変な事ばっかり知ってるから有り得ない事もないが。
「あたしだけは遠征に出るのが早かったんで、そのルールはなかったんです。ティーゼはお母さんの名前ですね」
野菜じゃなかった。今世の母親の名前か。……確か両親共亡くなってるはずだから、話題にしないほうが無難かな。
「ミユミちゃん、この人、誰なの?」
俺の視界を遮っていたニンジンさんが、俺を指差して言う。……知らないでだーれだとかやったのかよ。
ははーん、さてはノリだけで生きている類の人種だな。サラダ倶楽部向きの性格だ。
「えーとね、……センパイ?」
「それじゃ分からんだろ。……こいつの前世の関係者で、渡辺綱だ」
「おー、ぶちょー」
なんだぶちょーって? ……部長?
「あー、ウチって元々サラダ倶楽部の後継として組織したので、センパイの話もしてるんですよ。センパイが迷宮都市に来る前から」
なぜ異世界に転生してまで前世の部活動を引き摺るんだろうか。トマトさんの中ではあの部活はそんなに大事なものだったのか? 俺は正直そこまで思い入れはないんだが……。
「初代ぶちょー」
「初代……二代目はトマトさんなのか?」
「まー実際、センパイたちが卒業したあとは私とポテトの二人部活でしたけど、存続はしてましたし」
犬も部員に数えてしまうのか。なんて悲しい事実なんだ。……そういえばお前、犬と将棋指したりしてたよな。
「ど、ドレッシングセンパイとかは良く来てくれましたから。そんな変な目で見ないで下さい」
でも、部員はこいつと犬だけなわけだろ? 部屋は占拠していても同好会に近い組織だったはずだから、廃部にはならなかったのか。
「まあいいや。この子は別に元日本人ってわけじゃないんだろ?」
「違い、ます」
「二人でお昼御飯食べてプラプラしてたら、黄昏れてるセンパイを見かけたので」
「だーれだ、しました」
黄昏れてはいない。しかし……そうか、俺の知らない内にサラダ倶楽部も増員されていたのか。つまりこの子だけじゃなくて、美弓とパーティ組んでる奴らが全員サラダ倶楽部なわけだ。懐かしいもんだ。
「今日ダンマスに呼ばれてるだろ。同じく呼び出しくらってる奴と待ち合わせしてるんだよ」
「ほー、誰でしょう。呼ばれてるって事は杵築さんと面識ある人ですよね」
必然的にあとで会う事になるわけだが、こいつがいると面倒だよな。フィロスさん腐女子補正なくてもイイ男だし、変な妄想が始まっちゃいそうだ。
「お前は知らん奴だ。あっち行け、しっしっ」
「あー、そういう事言うと残っちゃいますよ。ヴィヴィアン、先帰ってて」
「らじゃー」
ニンジン……ヴィヴィアンはそう言うと去って行く。なぜかトマトさんが残る事になってしまった。
「まさか、あいつも冒険者なのか?」
超ちっちゃいんだけど。トマトさんだって小さいが精々小学生くらいだ。あの子は幼稚園児って言われても信じるぞ。とても武器とか振り回せそうにない。
「ヴィヴィアンですか? そうですよ。ウチのサブリーダーです」
あんななりで冒険者。しかも、パーティで二番目に偉いのかよ。
クラン作るって言ってたし、ひょっとしたらクランのサブマスター候補でもあるのか。……まさかみんなあんな小さいんじゃ。いや、前見た時はそうでもなかったな。
「同じハーフエルフって事でデビュー直後に拾ったんですが、なかなかいい買い物でした」
「お前の同期とか?」
「いや、あたしデビューは相当早いので、その時はもう中級近かったですよ。ヴィヴィアンは青田買いって奴ですね」
そういや、冒険者歴長いんだったな。アーシャさんよりデビュー早かったりするのかな。セラフィーナがトライアル五歳クリアで最年少ホルダーである以上、それより早いって事はないんだろうが。
しかし……優秀なのか。パーティ中の役割は知らないが、見た目じゃ判断できないもんだな。
「素直でいい子なんですけど、BLの良さは分かってくれないんですよね。なんででしょう」
「世の女性をお前基準に考えるんじゃない」
みんな腐ってるわけじゃないんだぞ。
「そういや、お前に聞きたい事があったんだ。ちょうどいい」
「なんですか、スリーサイズですか? 今の身体は発展途上なのでちょっと秘密にしたいんですが……」
「60、60、60くらいじゃねーの」
「なんですかその適当な数字はっ!?」
だって寸胴だし。幼児体型だし。きっと、そのまま進化すれば立派なドラム缶になれるさ。
「お前のスリーサイズはどうでもいい。……少し記憶が戻った」
「……そうですか」
本当は海で聞きたかったんだが、邪魔されたからな。今回は慎重にいこう。
「とはいえ、全部戻ったわけじゃないんだがな。……お前、話す気はないんだろ?」
「ありません。でも、センパイが思い出した部分の答え合わせくらいはしますよ」
「じゃあ一つだけ答え合わせだ。……お前、俺が死ぬところを見てないだろ」
「……そうですね。はい、見てません」
「ならいい」
一番知りたいのはこいつと別れたあとの事だ。他は断片的にでも思い出し始めているのに、そこだけに強烈な靄がかかってる。そこだけは、何かの拍子で思い出すとかそういう事はないように思える。……きっと、何か特別なトリガーが必要なんだろう。でも、今はまだ情報が足りなくて……美弓もそれは知らないと。俺が思い出すしかない。
「無理に聞き出す気はないんですか? この街だったらやろうと思えばいくらでも方法はありますけど」
「ない。……お前のその感覚は信用してる」
「……なんかそれ昔から言ってますけど、自覚ないんですよね。あたしの知らないあたしの事なのに、そこまで割り切れるのはすごいです」
「なに、お前のセンパイだからな」
昔……前世で出会ってからずっとそうだ。美弓は何か変な超常的な勘のような物を持っている。絶対に踏み越えてはいけない部分、そういう危険域の嗅ぎ分けが上手い。細かいミスはしても、絶対に致命的なミスを犯さない。取り返しのつかない事はしない。
最初は人付き合いの線引が妙に上手い奴だと思っていたのだが、本人は無自覚でやっているらしい。恐ろしい事である。
だから、こいつが頑なに喋ろうとしないのには意味がある。絶対にある。それは、確実に前世の時点で存在していたもので、俺の謎ギフトが持つ運命を捻じ曲げる力よりも信じていいもののはずだ。
「ところで、待ち合わせをしている人は女ですか。またチーレム増強ですか?」
「またってなんだ。……男だよ」
チーレムもハーレムも築いた事なんかないぞ。最近周りに女性は増えてきたが残念な人ばっかりだし、現段階で押して攻略可能そうなのはお前くらいだ。押さないけど。
……攻略し易いチョロインさんとか出現しないかな。撫でたら落ちる感じで。ボインさんがいい。
「ほう、なるほど。ではアレですかね、それはレタスセンパイ的な」
「まったく似てないし、お前の求めてる腐った展開もないぞ」
いや、レタスだってそんな性癖はなかったけどさ。鬼畜眼鏡に遭遇しかねないフラグを立てるのはやめて下さい。
「随分早いね。まだ、待ち合わせ時間の前なんだけど」
と、ちょうど良く声がかけられた。最近俺が木刀で撲殺した金髪さんの声だ。
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俺とフィロス、そして美弓という、違和感のある面子が並んだ。ギルド会館で気不味い再会をしてから会っていないが、フィロスの様子は特に何も変わっていない。相変わらずモテそうな顔してやがる。そろそろ一緒にナンパでも行きませんか?
「彼女は?」
フィロスは美弓の存在説明を俺に求めるが、俺が説明しないといけないのかな。
自己紹介しろよ、と視線を送ると逆に見つめ返された。なぜ照れるよ。
「あー、こいつは腐ったトマトさんだ。珍しい名前だが、間違えると怒るから気をつけろよ」
「そうなのか、変わってるね。よろしく、クサッタトマトさん」
「違いますからねっ!? あたしはミユミです。トマトちゃんはトマトちゃんですけど、そんな名前じゃないです」
でも、腐ってるじゃん。
「ミユミさんね。……ツナの知り合いかな?」
「前世での後輩だ。ダンマスの関係者だから、今日の件にも参加するらしい」
「ああ、そういえば前にダンジョンマスターが色々話してたよ。『色々アレな感じの奴だ』って」
「アレってなんですかっ!?」
養父にもアレ呼ばわりか。どんだけだよ、お前。
「えっと、フィロスさんはセンパイと時々パーティ組んだりしてる人ですよね」
「知ってたのか?」
「再会してからもう随分経ちますしね。センパイ絡みの事は大体調べました。なぜか規制がかかってて調べられない事も多いですけど」
そりゃま、そうだろうな。前回のイベントも動画公開してないわけだし。そういう情報もあるだろう。
「掲示板も目を通しましたけど、センパイ絡みの話は突拍子もない事ばっかりでどれが本当なのやらさっぱりです」
「はは、ツナはそういうところあるよね。信じられない事ばっかりする」
俺が悪いみたいだが、大抵トラブルは向こうから来るんだぞ。……中級になって初回攻略でワイバーンと遭遇とか。パンダとか。それ以外も濃い面子ばっかりだ。
関係ないが、先日のワイバーン動画はククル曰く間違いなく売れる動画との事なので、マネージャー自らが編集中である。久しぶりに大量の現金収入が見込めそうだ。
「フィロスさんは一見受けに見えて、実は攻めな感じの人っぽいですね」
「攻め? パーティ内では基本的に盾役が多いけど」
「なるほど、反撃しちゃうぞって感じですね。なかなかおいしいポジションです」
絶対に伝わってないが、俺も×についての説明をするつもりはない。フィロス×ゴーウェン本とか出しても止めたりはしないぞ。俺のは許さんし見たくもないが、本人にサンプルを渡すくらいなら手伝ってやってもいい。
「良く分からないんだけど、早く集まったのは近況報告だよね?」
「ああ、あれから色々あったし、お互い情報の整理をしておこうと思ってな。美弓は無視してもいい」
「なんでですか、もっと構って下さいよ、ぷりーず!」
やだよ。お前、構えば構うほどエスカレートするし。今だって頭の中で変な妄想してんじゃねーの?
「一時間くらいしかないから喫茶店は止めておいたほうがいいと思うが、……なんか飲むか?」
「あ、あたし買って来ますよ。後輩ダッシュして来ます。できる後輩なんで」
存在意義を確立するためか自ら名乗り上げた美弓にお願いして、近くのフルーツジュース専門店まで走ってもらう事になった。ここから数分かかるが美味いと評判の店だ。
「随分と小さい子だよね。……七、八歳くらいかな?」
走り去った美弓の後ろ姿を見てフィロスが言う。
「十四歳だとさ。種族的な物もあるんだろうけど、小さいよな」
「ゆ、ユキと同じなんだ……エルフってすごいな」
あいつの場合、前世でも成長不良だったからな。そういう運命なのかもしれない。
「まず、< アーク・セイバー >入団おめでとう」
「試験も形だけみたいだったけどね。摩耶から聞いたのかい?」
「ああ、第二部隊所属になったって聞いた。剣刃さんのところじゃないんだな」
「うーん、最初はそうしようかと思ったんだけど、部隊の気質とかそういうのが僕に合ってるんだよね。あと、可愛い子が多いんだ」
それは羨ましい。部隊内でいいところを見せてきゃーきゃー言われたりしちゃうんだろうか。フィロスはそういうのは気にしないと思っていたのだが、やっぱり男の子なんだな。こうして対等に話してはいても地味に四歳も上だし、結婚も考えてたりするんだろうか。
……しばらく会わない内にブリーフさんみたいなチャラ男になってたらどうしよう。
『ちぃーっす、ツナっち久しブリ。どーよ最近? 俺っちの方はマジイケてるね。取っ替え引っ替えって感じ? ていうか、最近隣の部隊の奴がウザくてムカついてんだけどさ、一緒に殴りにいかね? 大丈夫だって、マジバレないから。マジで』
……ねーな。キャラ崩壊ってレベルじゃない。どっから出てきたんだよこのキャラ。これじゃ、チャラ男っていうかチンピラじゃねーか。全力でスルーするわ。
「とはいえ、まだまだ新人だから気苦労も多いね。部隊には下級ランクもいるけど、僕は途中入団だし」
「雑用とかやらされてるのか?」
「はは、まあ常識的な範囲だけどね。理不尽な嫌がらせとかはないよ」
「そこら辺はある程度は仕方ないよな。でも、ゴーウェンがいるからまだマシだろ」
「そうだね。実際かなり助かってるんだ。< アーク・セイバー >へは、本当は一人で行くつもりだったし」
そこら辺の流れは以前聞いている。フィロスにとってゴーウェンは、俺でいうユキのような相方であるし、本人もそう思っているからこそ一緒に行く事になったのだろう。
「訓練とかはどうなんだ? 話せる範囲でいいけど」
「別に隠さなきゃいけないような事はないけど……そうだね、キツイのはキツイかな。すごく合理的で、短期目標がはっきりしてる。ただ、摩耶が言っていた事でもあるんだけど、やっぱり閉塞感があるね。みんな、目の前ばっかりで遠くが見えていない感じだ」
「結構キツイ評価だな」
「入団前に剣刃さんからも言われてるんだ。……実際入団してみて実感してるけど、< アーク・セイバー >には足りないものがある。多分、それは普通の冒険者にも言える事なんだけど、あそこはより顕著にそれが表れてるんだね。……大体君の想像している通りだと思うよ」
なんとなくだが、それも俺も理解している。中級になって感じ始めた壁。ダンジョン攻略の難易度という意味ではない、冒険者としての資質を問われる問題の事だろう。< アーク・セイバー >は下手に組織としての地力があって強引に先に進めてしまう分、それが先送りになり、より顕著になるのかもしれない。全体として見れば、一概にそれが悪い事とはいえない。だが、先を……特に未踏の領域に足を踏み込む場合にはそれが足枷になりかねない。だがそれはクラン内の事でもあるし、根の深い問題だ。俺には何もできないだろう。それに、まずは俺自身がその壁を乗り越えるのが優先だ。
「独立の時期は考えてるのか?」
「メンバーとかその他条件もあるし難しいところだけど、目安としては第五十層を超えたあたりで動き始めるくらいかな。< アーク・セイバー >は新興のクランだし、独立の前例はあまりないけど、< ウォー・アームズ >から独立する人は大体そのくらいらしいんだよね」
「< ウォー・アームズ >か」
実はその話も以前から聞いている。一番古い情報ではトライアル第四層の試験。おっさんと対峙した際に聞かされた事だ。
< ウォー・アームズ >は随分と長い事第五十一層の壁を破れていない。一層、二層なら進んでいるのかもしれないが、少なくとも中継ポイントである第五十五層には到達できていない。
組織として先に進めないから、先に進む奴は離れ、独立する。そうして余計に足踏みを続けている状態だ。
すでにクランとしてのイメージが固まってしまっているのも問題だろう。そんな中でおっさんはなんとかしようと、グワグワ言いながらもがき続けている。
「そっちはどうなんだい?」
「こっちは順調だ。GPもランクも足りてないが、クラン設立の予定人員は確保した。クランハウスもあるし、あとは俺が頑張るだけだな」
人員は規定よりも随分多く確保できている。マネージャーだって確保済だ。クランを組織しようとしている奴の中では、最も恵まれているといっても過言ではないだろう。
「すごいな。抜けた僕が言うのも気が引けるけど、二人分減ったわけだからちょっと心配してたんだ」
「増えたのは変なのばっかりだけどな」
「サージェスはそうだし、君もユキもティリアもそうだね」
何言ってるんだ、あの中じゃ俺は普通なほうだと思うぞ。お前の知らない他の面子は、想像を絶するレベルの変な奴らばっかりだしな。……パンダとかいるし。
「できるかどうかは分からんが、一年以内に設立できるんじゃないかって摩耶に言われたぞ」
「それはまた極端な話だ。……まあ、君ならやるかもしれないな。すぐには無理だけど、いずれ僕も追いつくさ」
軽い調子で言っているが、その声色から感じるのは本気だ。頼もしいものである。
「そういや、今回の遠征はお前の古巣と関わる事になるんじゃないのか?」
「あー、そうだろうね。ちょっと気が重いんだよ。ダンジョンマスターの話がなかったら行く気もない案件だったし」
「やっぱりアレか? 辞める時は騎士団に絶縁状を叩き付けてきたとか」
ユキの家出ほどじゃないだろうが、穏便に辞められるかっていうと微妙なところじゃないだろうか。王国の、特に貴族や騎士連中は迷宮都市への印象は悪いみたいだし。天敵と思ってるところに行くんで辞めさせて下さいって言われて、はいそうですかとはならなだろう。
「辞めるのは普通に辞めて来たんだけどね。僕、あいつら嫌いなんだよな。向こうも嫌ってるし、会ったら喧嘩になりそうだ」
「お前がそんなに真正面から毛嫌いするのは珍しいな。ちょっと意外だ」
「多分君も嫌いなタイプだと思うよ。……頼むから、会っても皆殺しとかは止めてくれよ」
「どんだけだよ」
騎士団の連中も、お前の中の俺のイメージも。俺は気に入らない奴は片っ端から食い殺す蛮族か。
「騎士団に仲のいい奴とかいなかったのか?」
「いない事はないけどね。……話せるってレベルでもせいぜい数人くらい。ちゃんとした交流があったのは……一人かな。言ってて何か落ち込んできたんだけど」
騎士団の人数は知らないが、そりゃ随分な割合で嫌われてたもんだ。
騎士ってのは、騎士っていう肩書だけで基本的に半貴族だ。大抵は貴族の子息が入団する。平民でもいない事はないんだろうが、それでも普通は出自のはっきりした名家の人間くらいだろう。フィロスのようにスラム出身となれば、反発があるのは想像できる。
「その一人は迷宮都市に来る時に誘わなかったのか?」
「彼は次男とはいえ伯爵家の人間だから、そう簡単に家は出れないだろうね。僕がここに来る事は知ってるけど」
「折衝役として、今回の派遣先にいてくれると助かるな」
「そう願いたいね。彼の存在だけで、大分ストレスに差ができそうだ」
元々乗り気じゃなかったんだが、更に気が重くなってきたな。< 童子の右腕 >着けて、《 強者の威圧 》を常時発動させとけば黙るだろうか。それはそれで問題になりそうだが。
「遅れてすいませーん。なんか団体さんが並んでて」
そんなタイミングで、美弓がジュースを抱えて戻って来た。
-3-
大した事のない金額ではあるが、ジュースは俺の奢りである。トマトさんの分まで払ってあげるあたり、迷宮都市に来る前の俺とは金銭感覚が変わっているのが分かるだろう。もう、数ヶ月前までの貧乏ツナではないのだ。リッチメンである。
「で、今日はなんの話か聞いてますか? というか、これ、どういう面子なんでしょう。ユキちゃんもいないから、同郷の集まりってわけでもないですよね」
それだとフィロス関係ないしな。
「遠征って話だが、お前は詳細聞いてないのか?」
「そうなんですか。杵築さんがあたしを呼び出す時は適当なんですよ。今回もメールで、集合場所と時間、あとはセンパイが来る事しか書いてません」
なんとなく、ダンマスとトマトさんの距離感が分かる話である。扱い方を良く心得てらっしゃる。
「王国で始まった戦争絡みだとさ。ユキは諸事情でスルーだ」
主にダンマスのせいで。呼べば来るだろうけど、そしたら肝心のダンマスがいなくなるからな。
「遠征ですか……。でも、遠征の募集は別にやってますよ」
「そこら辺は良く分からん」
ダンマスの事だから、何か別の用事があるんだろうさ。
「では、今日来るのはこの三人だけなんですか?」
「剣刃さんからは< アーク・セイバー >からクランマスターが一人来るって聞いてるが」
「ウチの団長が来るらしいよ」
言ってた通り、グレンさんとやらが来るのか。初対面だな。
「となると四人ですか。< アーク・セイバー >のクランマスターって随分大物ですが、あたしたちのランクもバラバラだし、どんな内容の依頼になるんでしょうね」
「今日は話だけで、この面子で遠征に行くわけでもないらしいぞ。別行動ってのも有り得る」
「せっかくセンパイと遠出できるのに別行動かー」
デート感覚で言われてもな。参加するかはともかくとして、俺たちは戦争してる前線に送り込まれるんだぞ。分かってるのか?
「ちなみに、どこで打ち合わせするとかって聞いてたり……しないよな」
一行メールだし。
「聞いてませんけど、待ち合わせ場所がここなら多分地下だと思います」
「なんか道路が通ってるんだっけ? 車で移動って事か?」
「多分ですけどね。地下への通路はギルド会館にも有りますけど、職員には内緒にしたいとかじゃないですか?」
それなら分からないでもない。ここならちょっと会館から離れてるし、そもそもギルドを通さない依頼だと言われている。
「ちなみに地下ってなんだい?」
黙って聞いていたフィロスが問いかけて来た。地下に関しては俺もローランさんから聞いただけの情報だし、説明が難しいな。
「フィロスはこの区画以外に行った事はあるか?」
「冒険者学校にも臨時講習に行ったし、そりゃ何度かはあるけど」
「自動車……鉄の箱が走ってただろ。あれと同じものが下に走ってるんだとさ」
「あれに……乗るのかい? ちょっと不安なんだけど」
どうやら乗った事はないらしい。聞いてみれば、臨時講習の時も俺たちのようにバスには乗らずに歩いたそうだ。
「ここで生活するなら、どこかで乗る機会はあるだろ。今回がその機会って事だな」
「ちょっと不安だ……馬の方が気楽でいいんだけどな」
騎士やってたくらいだから乗馬経験もあるか。俺としてはそっちの方が怖いぞ。第一、ダンジョン区画ですら馬で移動する奴はいない。せいぜいが馬車だ。前にククルがシャトルバスのようなモノがあるって話をしてたけど、多分それも地下を通ってるんだろう。
その直後に執事姿の男が現れ、俺たちは案内される。
結局時間までグレンさんは現れなかったが、どうやら現地合流になるらしいとの事を執事さんから聞いた。
そこから俺たちが付いて行った先は、広場から路地に入ったところにあるビルだ。何の変哲もないただのビルだが、空きビルというわけでもなく普通にテナントも入っている。その地下一階の一室。使われてないように見える部屋の中にエレベーターがあった。話を聞くと、ここは一般に公開されていない専用のエレベーターらしい。地下に降りるためのチェック、部屋に入るためのチェック、部屋の中のエレベーターを動かすにも生体認証が必要との事だ。随分厳重である。
地下何階まで降りたか分からないが、エレベータから降りた先は駐車場で、やたら高そうな車が一台。それ以外には駐車していない。どうやらここも専用のようだ。
「な、なんか随分高そうっすね」
この街の自動車についての情報はないのだが、それは見ただけで高級と分かる代物だった。
前世でいうリムジンのような車内に絨毯の敷かれた超高級車。靴を脱ぐ必要はないとの事だったのでそのままだったが、上を歩くのにも躊躇する。
俺たちが乗った後部座席はボックス……フカフカのソファが置かれたリビングルームになっていた。バス以外の自動車に乗るのは転生してから初だが、初体験がさすがにこれほどの高級車になる事は想定していなかった。
見ると隣に座ったフィロスはガチガチに緊張していた。[ 鮮血の城 ]で魔王ロッテとやり合った時の気迫は欠片もない。
「こ、これが自動車か」
フィロスさん、その認識は間違ってます。これは一部の特異な例です。街中ではこんな高級車走ってるのはほとんど見た事ないし。
一方、美弓は慣れたもので、車内の冷蔵庫を勝手に開けて飲み物を用意していた。
「センパイ方は何飲みます? あんまり種類ないですけど」
なんでもいいがフィロスは……ダメだな、判断できるような状態じゃない。
俺は適当なジュースを頼み、フィロスにも同じ物を注いでもらう。
「お前、慣れてるのか?」
「え? ええ、いつも似たような車だし、どこに何が置いてあるのかは想像付きますよ」
物の配置とかそういう事ではないのだが。美弓さんは慣れ過ぎてこれが超高級車という認識がどこかへ行ってしまっているらしい。
「あ、味は普通なんだね」
フィロスは飲み物を喉に通す事で多少緊張を解いたようだ。言われてみればジュースの味はそこら辺に売ってる物と変わらない。良く知っている、迷宮都市ならどこでも買える類の物だ。正直、さっき飲んだジュースのほうが美味い。
「ギルド会館に売ってるのと同じじゃないですかね? あっちのお酒は高そうですけど」
チラリと目をやると棚には『俺は高いんだぜ』と自己主張する瓶がたくさん並んでいる。……ジュースで良かった。
「でも、そのグラスは高いですよ」
グラスを持ったフィロスの動きが固まった。
「ど、どれくらいかな?」
「良く分からないですけど、大体Dランクの月収くらいじゃないですかね」
「げっし……」
「落ち着け、落ち着くんだ。別に落として割ったって弁償しろとか言わないから」
「あ、ああ。そ、そうだよね」
何でそんなクソ高いグラスが存在するんだよ。意味分かんねえ。
フィロスさんあきらかに青くなってるじゃねーか。グラスを置く手がカタカタ震えてるし。
「と、ところで、この自動車はまだ移動しないのかな。出発まで時間があるようならトイレに行きたくなって来たんだけど」
「何言ってるんですか。もうとっくに動いてますよ」
「は?」
え、これもう動いてるの? 揺れがないとか、騒音がないとかそんなレベルじゃないよ。
美弓は何かのリモコンを取り出し、それを操作する。すると、スモークのかかっていた窓ガラスが透明になり、高速で流れる景色が見えた。
……何キロ出てるんだよ、これ。目算では測り様もないが、まともなスピードじゃねーぞ。これで走ってる事を感じさせないとか、普通じゃない。
「魔術を応用してるからなんでしょうけど、すさまじい技術力ですよね。科学だけだと有り得ないと思います」
……ああ、とんでもないな。無駄に発達した迷宮都市の技術というものを垣間見てしまった。こんな技術が応用されてるとなると、アーシャさんが出てるというカーレースなんてどんな世界になっちゃうんだろうか。
実際のところ、ダンジョンや転送施設、時間操作のほうが遥かにすごいしとんでもない。ただ、それらはあまりに現実から遠過ぎてファンタジーやSFというフィルタを通して見ていたところがあったのだろう。
こうして俺たちが生きていた世界にもあった、身近に感じられる物のすごさはなまじ理解し比較できてしまう分、それが際立って見える。たとえば、ユキは何も言わないが俺たちが使っているPCだってPCオタクからみたら驚愕ものの存在なんだろう。実は気づいてないだけでこれまでの日常にもそういう物が紛れ込んでいるのかもしれない。
そして、窓の外を流れる景色に混ざって、この車よりも少しだけ早いスピードで追い抜いていった悪趣味なデザインの真っ赤なスポーツカーにアーシャさんの姿が見えたのも、気付かないだけで存在はしていた現実なのだろう。……なんて車に乗ってんだあの人。
-4-
現実味のないわずか数十分のドライブを経て辿り着いた先もやはり専用の駐車場だった。この車しかいない。
帰りも乗せてくれるようで、執事さんはその場に待機。別の人……今度は狸耳と狐耳のメイドさんが俺たちを案内してくれる事になった。
……この人たち仲悪かったりしないのかな。
通された先は普通のリビングだった。メイドさんたちは中に入らず、俺たちだけが通される。
中は広い事は広いがせいぜい二十畳程度。若干高級っぽい感じがするだけで、ここに来るまでに乗った車の内装よりもグレードは落ちるだろう。そんな普通の部屋の真ん中に設置されたテーブルに、高く積まれたトランプがあった。
「……あんた何やってんだ」
「ちょ、ちょっと今忙しいから」
ダンマスが一人トランプタワーを建てていた。基本的な三角の形に積み上げられた物ではなく、無駄に複雑でバランスのとれたタワーだ。きっと指先一つで簡単に崩壊するだろう。そんなタワーがすでに一メートル以上積み重なっている。……暇だったのかな。
「おっと、なぜかこんなところに団扇が」
「おいこらミユミてめえ、やめろよっ!!」
「おかしい、手が勝手に! うわーー」
「うわああっ!!」
トマトさんの巻き起こした風によって、トランプタワーはあえなく崩壊。ダンマスも崩れ落ちた。何やってんだ。
「ひどい……」
「ダンマスの能力があれば、こんなのなんとでもなるだろうに」
「あのなツナ君、こういうのはだな、自身の素の能力でやってこそ意味があるんだ」
なんだその拘りは。……なんの補正もない、素の能力でこれを作ったっていうならそれはそれですごいが。
「というか信じられねえ、人が必死に積み上げたものを……」
「バカな事やってるからですよ。あたしたちを待たせてやる事じゃないでしょう」
「でも、グレン来てないじゃん」
そりゃそうだが、俺たちだって一応呼び出されて来たんだから放置するなよ。
「まあ、いいや。グレンは少しばかり遅れるって話だったから、適当に寛いでてくれ。何か飲むならセルフか外のメイドさんたちにお願いすれば用意してくれる」
来るまでにジュースもらったから別に喉は乾いていない。何か食うような雰囲気でもないな。
フィロスが一度トイレに立ったくらいで、俺たちはしばらくダンマスと向かい合ってソファに座っていた。
「本題に入る前に聞きたいんだが、なんでこの面子なんだ?」
「ああ、大した理由はない。ある程度俺の事情に詳しくて、動ける奴って括りだよ。遠征スケジュールの都合で断られたが、一応他にも声はかけたんだ」
なるほど。フィロスは……ダンマスと会った時にある程度話を聞いてるのかな。名前の件がなければユキも来てたって事だ。
「という事は、ただの遠征じゃなくダンマスに関係のある事なのか」
「そこら辺はグレンが来たら話すよ」
反応を見る限り、大きく外れてはいなそうである。二度手間は確かに面倒だろうから、とりあえずグレンさんが来るまで大人しく待つとしよう。
「ここ、なんもないんだよな。棚にトランプがあったからついタワー作っちまった」
「《 アイテム・ボックス 》に何か入れてないのか?」
「一人遊びできそうで、かつ短時間ってなると思いつかなかった。なんなら四人でトランプするか」
「俺は別に構わないけど……」
美弓はともかく、フィロスはルールもトランプ自体も知らないんじゃ。すぐに覚えられそうなのは……ババ抜きくらいか?
「ダンジョンマスター、グレン様がお見えになりました」
「ああ、通して良いよ」
ちょうどタイミング良く、メイドさんの一人から声がかかった。どうやら最後の一人が来たらしい。トランプは必要なくなった。
もう一人のメイドさんに導かれて現れたのは背の高い、全身がっちりした体型の男。直接会ったのは初めてだが、間違えるはずもない。迷宮都市で一番の有名人といっても過言ではない男だ。
「失礼します」
< アーク・セイバー >クランマスターの一人でもある、第二部隊隊長グレンだ。
「遅れてすみません」
「事前連絡もらってるんだから別にいい。ほんの数十分程度だ。クランの会議の方は終わったのか?」
「いえ、剣刃とダダカの言い争いが長引きそうだったので副官に投げてきました」
それは大丈夫なんだろうか。あの二人の言い争いとか、乱闘にまで発展し兼ねないんじゃ。
「渡辺君が来る事は聞いていたが……えーと、君は?」
「あたしは< エルフだらけ >というパーティでリーダー張ってますミユミと申します。是非お見知りおきを」
……エルフだらけ?
「君がミユミか。ダンジョンマスターから話を聞いた事はあるが、随分と印象が違うな」
「そうですか? ところでグレンさん、今度本とか出してもいいですかね? 実はあたし、出版関係の会社もやってまして……」
「はは、構わないが、ちゃんとクランの許可は取ってくれよ」
「了解です。……漲ってきた」
おいこら、まさかトップクランのクランリーダーまで腐海に落とす気かよ。認可アリでトップクランのBL本は洒落にならんだろ。
いつか消されるんじゃないか、お前。
「グレン団長は彼女の事を知ってるんですか?」
「ああ、以前からダンジョンマスターと話をする時には時々名前が上がっていた。と言っても、聞いてるのは前世が日本だという事と、ダンジョンマスターの養子という事くらいだがね」
「一緒に暮らしてるわけでもないし、扶養もしてないから養子って感覚はないな。後見人ってくらい?」
実際、親子には見えないよな。年はそれ以上に離れてるんだろうけど。美弓も『お父さん』とは呼ばなそうだ。
「あとは、前世で渡辺君と先輩後輩の関係だったとも聞いているな」
不本意な事ではあるが、それは事実だしどうしようもないな。
「そういう事ですねー。しばらく経ったら後輩から嫁にクラスチェンジの予定ですが」
「残念なんだが、クラスチェンジの条件を満たしてないんだ。すまない」
「あ、諦めませんから。まだ成長しますし」
成長とか、そういう問題じゃないんだ。
「えーと、俺は渡辺綱といいます」
「剣刃やダダカから良く話を聞いてるよ。< アーク・セイバー >のグレンだ。初めまして」
と、挨拶をしつつ握手をする。
……なんかすごいな、この人。仕事できる男って感じがする。
イケメンだが、フィロスやローランさんのような線の細い感じではなく、もっと芯の太い、頑丈なイメージだ。剣刃さんやダダカさんからは真面目真面目と聞いているが、全身から真面目なオーラが漂っている。だが、決して冗談を言わないタイプではなく、場を和ませる程度のジョークは口にする、いわゆる上司タイプだろう。フィロスが合うっていうのは分かる気がするな。……俺はちょっと苦手なタイプかも。
「さて、ダンジョンマスター。これで全員ですか?」
「ああ、早速始めようか」
ダンジョンマスターがそう言うと、途端に部屋の雰囲気が変わった。何が変わったのか上手く説明できないが、空気の流れが変わったというか……なんだこれ。
「簡単な遮音の魔術だ。一応だが、内緒話だし用心だよ」
「空間自体切り離してるのに簡単な遮音とは……相変わらずですね」
「いいだろ、手間変わんねーんだから」
それ、あんた基準じゃないのか?
空間を切り離したって事はつまり、あのドアの向こうに行けなくなったって事だろうか。……強引に密室を造り上げたって事か。酸欠になったりしないのかな。
狸と狐のメイドさんたちにスパイの疑惑があるわけじゃないんだろうが、目と耳なんてどこにあるか分からないからな。
「さて、俺からの依頼だが、現在王国とその隣国ラーディンで起きている戦争に関係する。知らない奴はいないよな?」
一応見渡すが、全員周知しているようだ。
「その戦争への遠征が今回の依頼になる。表向きは通常の依頼と変わらない。王国軍に合流して、共に行動してもらう事になるだろう。……といっても、ただ前線に行って相手の軍を蹴散らして来いっていう話じゃない」
それだとギルドの依頼と変わらないからな。
「実はこの戦争、王国側が苦戦している」
「……ラーディンって小さい国じゃなかったのか?」
調べた限りだと、吹けば飛ぶような小国だったはずだ。間違っても王国が苦戦するような相手じゃない。
「国の規模は王国の一領地程度だし、今回編成された軍隊もほとんどが徴兵された一般人と傭兵だ。一応正規の軍人もいるが、かなりお粗末なレベルだな。そんなところに押されてるとなると、王国側が久しぶりの戦争って事で腑抜けているか、若しくは内戦の影響で必要以上に慎重になっているかを疑うところだが、……実のところはちょっと違う」
「どこかの遺跡からアーティファクトでも引っ張り上げてきたとかですかね?」
美弓の言うアーティファクトとは、いわゆる古代文明の発掘品の事だ。
なんでも現在の文明よりも遥か昔、すでに滅んでしまったが古代に栄えていた文明があったらしい。実はこの迷宮都市はその頃から残っている数少ない遺跡のような扱いで、似たような遺跡も各地にあるようなのだ。
そういう遺跡には、作り方は良く分からないが非常に便利だったり、強力な武器に使える発掘品が眠っている事がある。それが迷宮都市の水準に比べたら大した事はない物だとしても、外なら話は別だ。たった一つの兵器が戦局を変えかねない。だから、美弓の言う事はあながち有り得なくもない話だ。
「半分正解」
「でも、大陸内の遺跡はもう調べ尽くしたあとなんですよね?」
「正確には魔の大森林以外はな。暗黒大陸にも多分あるだろう。今回はそのどちらかから発掘したんだろうな」
すでに主だった他の遺跡は調査済なのか。そういう遺跡があるというのが分かっていて調査する能力もあるなら、やらないほうが不自然だよな。で、今回は迷宮都市の探索が及んでない範囲から引っ張りあげてきた古代文明の遺産を使っていると。
古代遺産というわけの分からない物を使用しているなら、それは強力な武器・兵器と考えるのが普通だろう。
「でも、半分なんだよな?」
これだけなら迷宮都市が表立って動いたって問題ない。戦力だって足りない事はないだろう。アーティファクトとはいっても、大半は迷宮都市の既成品以下の代物らしいし。
「そう、半分だ。今回、王国が苦戦しているのはそのアーティファクト自体じゃなく、それから呼び出された者にっていうのがおそらく正解だな」
「……ああ、そういう事ですか。……それで」
トマトさんは何やら合点がいったらしい。グレンさんはただ黙って話を聞いている。フィロスは……良く分かってなさそうだ。
……呼び出された?
「使っている者ではなく、でしょうか」
ここで初めてグレンさんが口を開いた。そうだな。呼び出されたって言うとまるで……。
「異世界から召喚された」
「……渡辺君?」
「正解だ。さすが良く分かってるじゃないか」
そりゃ、ありきたりな設定だからな。物語の導入としては使い古された手法だから……目の前にそれと同じ体験をしてる人がいるな。
「つまり、ダンマスと同じ立場の人間って事なのか?」
「その通りだ。俺がこの世界に召喚されたのと同じ術式の発動が検知された。《 世界間転移術 》。いわゆる、『勇者召喚術』とか呼ばれてるやつだな。呼び出されるのはランダムだから、勇者でもなんでもないわけだが」
つまり、異世界から召喚された人間が戦争の尖兵となっていると。
「今回の目標は大きく分けて二つ。まず一つはその転移者の情報収集、可能なら捕獲をする事。これはグレンに担当してもらう。ツナ君とフィロスはそのサポートに入ってくれ。とはいえ、最優先は情報収集だ。捕獲は可能であればで構わない。ただし、殺害は許可しない」
「しかし、情報だけでは……」
「情報は常に共有できるようにしておく。グレンがいるなら問題はないだろうが、万が一それでも捕獲が困難であると判断した場合、俺が出る」
え、マジで。ダンマス自らが出るような状況も想定しているのか。
「それは……分かりました。情報はどの程度のものを?」
「《 鑑定 》で分かる範囲でいい。名前、種族、スキル、ギフトの情報、召喚によってどんな力が付与されたのか。それだけ分かればなんとでもなる」
「現時点で、迷宮都市の冒険者は遭遇してないって事なのか?」
Dランク以上で《 看破 》が使えないなんて事はないだろう。接敵してるなら、名前くらいは分かってるはずだ。
「いや、ここがちょっと厄介なところなんだが……おそらく対象は自分のステータス情報に《 偽装 》を施している可能性が高い。《 看破 》した冒険者によれば名前は『ロクトル』。でも、これは多分偽名。種族は人間。性別は男性。そして……HPがある。《 隠蔽 》は持ってないんだろうな。HPの存在自体は隠せてない」
……つまり、迷宮都市の冒険者と同じシステム上にいる存在って事か。そりゃ、外の人間じゃ苦戦するわけだ。
「なぜ、件の者がステータスを《 偽装 》していると分かったのでしょうか」
「表示されてる種族は人間なんだが、どう見ても人間じゃないらしい。ダークエルフっぽい外見でも、それともは違う。多分、未確認の種族だ。角生えてるらしいし」
ひょっとしたらこの世界に存在しない種族かもしれないって事か。
「スキルが使えてHPもあるって事は、ここと似たような世界から来たって事なのか?」
「それは分からん。召喚に際して付与された力かもしれないし、《 偽装 》もそいつ以外がかけている可能性もある」
なるほど、そういうケースも考えられるのか。
「でも、十中八九、そういうシステムがある世界から来たんだろう。遭遇した中級冒険者が数人がかりで仕留めきれてないわけだしな」
「迷宮都市基準でもそれなりに強いって事か」
「そうだな。目撃者の情報によれば、最低でも中級ランク冒険者以上。ただし武装はラーディン王国が用意したのか、随分とお粗末なものらしい、という報告が上がっている。それでも、それは迷宮都市基準だ。外の人間を蹴散らすつもりでかかると痛い目を見る事になりかねない。最悪死ぬ可能性もあるわけだから、行動は安全に、慎重にな。俺の我儘で動かして死なせたりしたら目も当てられない」
武装を含めないなら、ちゃんと装備した俺やフィロスと同程度くらいって事だろうか。
いや、強めに見積もっておいたほうがいいな。遭遇したら情報収集に専念。戦闘になったら、最低でもフィロスと二人がかりで、可能な限りグレンさんに任せるのがいいだろう。
「私は保険というわけですね。……力を使うのはどこまで許可されるのでしょうか」
「基本的には通常の遠征基準だが、判断は任せる。最悪、お前の騎竜を使ってもいい」
「承知しました」
騎竜……アーシャさんのグリフォンのような騎乗生物だろうか。
「つまり、今回俺たちを呼び出したのは、ダンマスと同じ境遇であるその転移者を保護したいと」
「保護……って言うには押し付けがましい話だな。ただ、脅迫や洗脳の可能性まであるから一度攫ってしまったほうがいいって思っただけだ。召喚されて勇者扱いされていい気分で戦っちゃってるっていうパターンもないとはいえないしな」
そのケースだとしても、捕獲して無力化はすると。
「それならギルド案件にしてしまっても良かったのでは?」
「捕獲する事に大義名分がない。捕獲したところで迷宮都市にはメリットがないからな。殺してしまったほうがよっぽど楽だ。これはただの俺の我儘なんだ。それに、王国やラーディンにも秘密で捕獲するつもりだから、少人数のほうが動き易いってのもある」
死体でも偽造するんだろうか。
「そんなわけで、大々的に動くわけにもいかない。お前たちも表向きはただの援軍って扱いになる」
「傭兵じゃなくて?」
迷宮都市からの参戦はあくまで身元不明の傭兵としての扱いだ。現在ギルドで募集しているのもそうだったはず。
「先日、正式に王国から依頼があったから、迷宮都市からの援軍である事を隠す事はない。追ってギルドでも依頼が発布されるだろう。……そのせいで俺はこれから王国との条件交渉に入る必要があるんだけどな。超めんどい」
「そういう条件交渉は領主がやるんじゃないのか?」
この街の最高権力者とはいえ、ダンマスは領主ではない。王国の立ち位置的には、建前上だけでも領主が行うべきものではないのだろうか。
「まあ、普通はそうなんだが、あいつに任せるとラーディンどころか王国までなくなりそうだからな。任せられん」
どんな危険人物なんだよ、その領主って……。ダンマスの嫁さんなんだよな。
しかし、無理に倒す必要がない以上、基本的には俺やフィロスでも対応可能。万が一のための保険にグレンさん。更に追加の保険でダンマスって事か。俺たちで解決できなくても後詰が強力過ぎる。どんな問題でも力押しで解決できそうな、盤石過ぎる体制だ。どんな相手なら、ダンマスが出張る事になるんだろうな。……想像つかねえ。
「それで、あたしはどうしましょうか」
「ミユミはもう一つの目標に対しての単独行動だ。ラーディン王都への潜入だな」
「単独の潜入ミッションですか。珍しいですね。誰かを暗殺でもするんですか」
トマトさんが暗殺とかイメージが合わないにもほどがあるが、ここはそういう世界だからな。技能的には問題ないのかもしれないし。< 射撃士 >だから、軽く対象をスナイプくらいしてのけそうだ。
「ターゲットは今回の世界間転移の術式とその関係者。特に術者は確実に捕らえろ。最優先は捕獲だが、転移者と違ってこちらは術者、術式の痕跡が残らなければいい」
ぶっ殺したりしても構わないって事か。転移者が拉致被害者で術者側は加害者だから、そりゃ対応も変わるか。
「対象の情報は?」
「何かしら呪術的な結界が張ってあって詳細は分からない。ただ、少し前から王城に怪しい魔術士風の人物が出入りしている事は確認されている。すまないが、実行犯を調べるところから始めてくれ。黒幕はどうでもいいが、術者と術式は跡形も残すなよ」
「あいさー。ちょい面倒ですが、いつもの事ですね」
調査からとか結構な無茶ぶりだが、美弓は慣れてるんだろうか。
「ちょっと待ってくれ……ダンマスはその術式は必要ないのか? 元の世界に帰るための研究サンプルになるんじゃ……」
「いらない。検知に引っ掛かったのは同じ物……異世界から対象を引っ張り込むだけの失敗術式だ。引き込むだけの一方通行じゃ意味がない」
同じ物ならすでにあるって事か。
「それに、あんな物は痕跡すら残しておくつもりはない。できるなら仕組み自体をぶっ壊したいところだ」
そう言うダンマスの表情はいつになく険しい。それは憎しみなのか。それとも、憎しみのフリなのか。俺には区別がつかない。
多分、今回の転移者を自分の状況と重ねて見ているのだろう。世界間転移の存在自体が許せないのかもしれない。
「せっかくセンパイと一緒に仕事できると思ったのにな」
こいつはそんなブラックな任務でも俺と一緒にやりたいんだろうか。
「他のメンバーは如何致しましょう。
「そうだな。さすがにグレンはいらんだろうが、ツナ君たちには必要だよな。……誰か< 鑑定士 >の心当たりいる?」
あれ、ダンマスが見繕ってくれるんじゃないのか?
「ギルドに登録してる< 鑑定士 >じゃダメなのか?」
「あー、ツナ君は知らんだろうが、< 鑑定士 >は管轄ギルドが違うんだ。そちらの筋を使えない事もないが、できれば内々で済ませたい」
そうなのか……ひょっとして『情報局』っていうのがギルドに相当する組織なのだろうか。今回集まってもらってるのもギルド通したくないからだし、それじゃ本末顛倒か。……心当たりはない事もないけど。
「ウチのクランメンバー候補に< 鑑定士 >がいるけど、デビュー直後の奴はまずいかな」
「ランクはこの際関係ないが、ディルクの事だったらダメだ。能力的には問題ないが、デビュー前ならともかく今は目立つ。ちょっとタイミングが悪過ぎるな」
知ってるのかよ。……まあ、あれだけ目立つ奴なら知っててもおかしくはないか。
「じゃあ、ウチのヴィヴィアン連れて行きましょうか」
ニンジンさん? あの子、< 鑑定士 >なのか?
「あー、いいな。あいつにしようか」
ダンマス的にも問題ないらしい。
その他、ある程度内密に動ける人員、できればダンマスの事情を知ってる者であれば、追加メンバーに加えていいという事だった。ニンジンさんの他は、< アーク・セイバー >から中級ランクを数名追加する事となるらしい。
報酬は[ 鮮血の城 ]の攻略ボーナスと比べるようなものではないが、それでも通常の遠征報酬よりは遥かに高い額が提示された。
具体的に言うと、Dランク冒険者の年収相当の額である。一ヶ月にも満たない拘束期間でこの額なら破格といえるだろう。
「では、他になければ準備に入りたいと思いますが」
「ああ、頼む。詳細はメールを送っておく」
ならこれで解散か。遠征に向けて準備しないとな。……主に食い物とか。
「それと、ツナ君とフィロスは別件で用がある。ちょっとこのあと残ってくれ」
「別件?」
フィロスを見ても覚えがないという顔をしている。遠征とは別件となるとなんの話だろうか。
「例の件だ。ちょっと場所を移すぞ」
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