第9話「分かたれる道」
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剣を振る。ただ、ひたすらに剣を振る。無心ではなく、その動き、力の入れ方、剣の持ち方、体の部位一つ一つがどう動くかに注意を払いながら。
傍から見れば、やっている事は騎士団にいた頃と変わらない。迷宮都市に来てからの訓練とも同じに見えるだろう。ただの素振りだ。
だが、ただの素振りでも意識一つで意味が変わる。ステータスによる恩恵で腕力が変わろうが、意味がないなんて事はない。一振りごとに手に馴染んでいくのが分かる。いくら馴染んでもさらにその先があるのを知る。それはずっと実感していた。そして、今この瞬間は更にそれを強く感じる。
かつて師である男は、剣を腕と同じように扱えてようやく一人前だと言った。拳で殴るのと同じ感覚で相手を斬る事ができて、ようやく剣士としての一人前になるのだと。
騎士団にはそれすらできない人たちばかりだった。実際のところ、あそこには人を斬った事がある者は少ない。
僕がその領域に立つまでに三年以上かかった。師匠に出会い、剣を握るようになってから三年だ。その間に斬ったスラムのゴロツキは軽く二桁に及ぶ。そうして一人前の剣士になって、コネと腕で騎士にもなった。王国騎士団という狭い枠内では最強だった。
だが、今ではそれすら入り口に過ぎないと認識している。彼の言う一人前とは、迷宮都市でいう初心者と同様なのだ。ここは、それほどまでに隔絶している。特に、迷宮都市最強の剣士である< アーク・セイバー >の剣刃の前では児戯にも等しいだろう。
剣刃さんの動きを真似る。トレースする。
基本的な動きは至極単純。だが正確無比かつ超高速、相手の弱点に向けての防御不可能な斬撃だ。
逆に絡め手も上手い。こうして体感している限りでは詳細は分からないが、相手の動きを誘導し、防御自体が不可能な状況を作り出そうとしているようにも感じとれる。時々理解不能な動きもあるけれど、それは意味のない動きなのか、それとも僕が理解できる域にいないのか。
同じ動きを強制的に行うだけで全身の筋肉と骨格が悲鳴を上げる。素振りだけでこれなのだ。実戦の動きをされたらバラバラになりそうだ。これは冒険者として最上級の基盤を持つ者だけに許された、人として限界の動きだ。
目標は果てしなく遠い。
剣の才能はあると思っていた。だから、クラス選択の際はあえてそれ以外を補助できるものを選択した。より多くの局面に対応できるように。
だが、それは甘かったのだろう。僕には大して剣の才能なんてない。剣刃さんはおろか、ユキト……ユキにさえ遠く及ばない。あの縦横無尽の動きから放たれる変幻自在の斬撃は、天才と言うしかない。あれは剣刃さんとはまた異なる方向性の才能だ。ツナがいるから目立たないだけで、ユキの才能は迷宮都市の、少なくとも近い戦歴を持つ者の中では群を抜いているだろう。才能があるというのはああいう者の事をいうのだ。ユキには剣士としては逆立ちしても勝てない。ツナとの差を感じるのと同じで、そこには巨大な壁が聳え立っているのを感じる。
今の時点ではそこまで差はないのかもしれないが、この差は時間を追うごとに広がっていくはずだと。
そう考えると、剣士以外の道を選んだのは逆に正解だったのかもしれない。何も、剣士として最強になりたいわけじゃない。どんな形でも自分の限界へ近付ければそれでいいのだ。
< 魔装士 >はあらゆる局面に対応できるクラスだ。万能性を突き詰めるなら現時点でこれ以上のクラスはない。そういう意味では最善とも言える。ゴーウェンの言うあらゆる方向へ特化した存在を目指すにはこの選択肢は間違っていないはずだ。
……集中力が鈍ってきた。この動きを覚えるには、余計な事に意識を取られ過ぎているな。
「よう、どんな感じ?」
その声に合わせて動きを止める。
近付いて来たのは中肉中背のラフな格好をした青年。ダンジョンマスターだ。初めて会った時はその軽いノリに驚いたが、彼は誰が相手でもこんな対応をするらしい。
「別に続けたままでもいいぞ」
「いえ、ちょうど集中力が途絶えかけていたので」
この人は剣刃さんよりも更に隔絶した技術を有している。一度手合わせをしてもらったが、まったく力量が測れない。
今体験している技術の遥か先、背中すら見えない場所に立つ超人だ。怪物なんてレベルじゃない。山どころか、大陸を相手にしているようなイメージさえある。
「……頂のあまりの高さに嫌になって来たところです」
「はは、それはまだ頂でもなんでもないけどな」
彼に言わせれば、この領域ではまだまだという事なのだろう。
一度手合わせして知ってしまった身としては、冗談には聞こえないのが辛いところだ。
「《 剣術:Lv10 》でまだ頂ではないと?」
「今の俺と比べてもまだ麓あたりだ。剣刃程度じゃまだまだ」
ひどい話だな。迷宮都市最強が誇る《 剣術 》スキルを持ってしてもまだ麓と言うのか。一体どれだけ隔絶しているというのだ。そして、多分この人はその更に先を目指している。とてつもなく巨大な山の頂から、空を突き抜けて天の星を目指すが如く。それは剣に限った話じゃない。直接、間接問わずおよそ戦闘に結びつくすべての物がその域にあるのだ。
これを目指せとか、ゴーウェンも無茶言ってくれる……。
「あいつもそこでは満足してないさ。……で、実際にそのレベルで体を動かして得られるものはあったかい?」
「この上なく。特に、今までの自分が如何に駄目かを知る事ができました」
僕が体験しているこの感覚。これはシステムを利用した動作のトレースシステム……動きを体感・模倣させるものらしい。
仕組みは分からないが、体の自由を奪われて強制的に動かされたと思ったら、それは剣刃さんが持つ《 剣術:Lv10 》を模倣した動きだという。極限まで洗練された動き、速さを自分の体で体験できるのだ。まだ未公開の技術らしいのだが、特別に使わせてもらった。
こうしてダンジョンマスターに会っているのは、先の試練のボーナスだ。スキルや装備、今後有用になるであろうアイテムが候補のリストに並んでいたが、あえてこの謁見を打診した。ゴーウェンから叩きつけられた言葉がどうしても気になって、自分の先にある万能性の頂点を直に体験してみたくなったのだ。
ツナたちは頻繁に会っているようだが、それは彼らとダンジョンマスターが持つ前世の縁故だ。普通はこういう機会でもないと会えない。
結果として謁見は叶い、その強さを目の当たりにする事ができ、手合わせもしてもらった。だが、それだけだとボーナスとしてはもったいないと言い出したので、こうしてツナとの決闘に向けた訓練の場を用意してもらっている。
『どうせだったら短期間で鍛えまくって、ツナ君の度肝抜いてやろうぜ。あいつまだ死んでないはずだし、真っ二つにしたらびっくりするだろ』
ダンジョンマスターにとっては遊び半分なのかもしれないが、こちらは真剣にありがたい。勝敗は度外視しているとはいえ、出せる全力で当たる必要があるのは間違いないのだ。その上限が引き上げられるなら、この上ない報酬である。
あと、真っ二つにしたら死亡経験に関わらずびっくりすると思う。
利用許可をもらったこの訓練場は、試練の前に使わせてもらった< アーク・セイバー >の訓練用ダンジョンとほぼ同じ物らしい。ただ、一般向けに公開される前の技術を一部使えるとの事だったので、剣刃さんの技術をトレースするシステムを使わせてもらっているというわけだ。他にも、トップクランの有名人たちの技術のほとんどがサンプルとして体験可能だというので、一通り挑戦してみるつもりだ。
「何故これを公開しないんですか?」
これがあるだけで、あらゆる武器技術は圧倒的速度で上達する。無限回廊の攻略を進めるつもりなら、公開しない手はないだろう。
「まだ検証段階の技術なんだ。それに、そんなに良いものでもない」
「何か問題でも?」
少し使ってみた限り、問題があるように思えない。
「再現には限界がある。今体験してるのだって、厳密に言えば《 剣術:Lv10 》とは言い難い」
「それでも、ここまで再現できるなら……」
「それで到達可能なのは現在のトップ手前までだ。それじゃ、その更に劣化版しか出来上がらない。そこまでを地力で到達する経験も得られない。その上に来て欲しい俺としては、糧にも枷にもなりかねないコレは少し好ましくないわけだ」
習得が遅くなろうが、多様性があったほうが結果的に先に進めるという事なのだろうか。先を見るなら劣化剣刃がたくさんいてもしょうがないと。
「その言い方だと、スキルオーブで習得したスキルも同じでは?」
「もちろんそれも自力習得のほうがいい。その後のスキルレベルの伸びも違う。ツナ君みたいな、べらぼうな数の自力習得は現実的じゃないけどな。ただ、最初のきっかけくらいはいいんじゃないかって思うんだ。まあ、ダブスタって言われたら否定はできない」
なるほどね。スキルオーブやクラスでのスキル習得は最初のきっかけか。確かにスキルオーブやクラスでスキルは習得できても、そのスキルレベルを上げる事はできない。自力で習得できないようなスキルでも覚えるきっかけは与えるけど、成長は自分でさせろと。
このシステムも同じか。……色々考えている。ダブスタが何かは分からないけど。
「だから、この再現システムもアクセント程度には良いと思ってる。伸び悩んでる時にちょっと上の技術を体感するための小道具だな。最終的には、その時点で体得している一つ上位のスキル動作を体感させるようなシステムになると思うよ」
「伸び悩んでる時にはいいでしょうね」
答えがあるのだから、習得はし易い。自分が実際に体験するのだから、最高のお手本だ。もちろん、自分の力だけで殻を破れるならそのほうがいい。
「ただ、多様性を確保するために再現するパターンはランダムにしたいんだが、現時点ではサンプルが足りないのがネックだ」
同じ《 剣術 》のレベルでも人によってその在り方は異なる。同じ事ができたからといって、同じ剣の強さかと言えばそれは違う。複数のサンプルは必須だ。
お金かGPを出して情報提供でもしてもらう……のはもうやってるのかもな。サンプルを提供できる冒険者には良い小遣い稼ぎだろう。
「直接体験ではなく、これを使った相手と模擬戦させるとかどうでしょうか」
思い出すのは第四関門で戦ったドッペルゲンガーだ。自分で体感しなくても、相手として戦うだけで意味は十分にある。
「ああ、そうだな。……いいかもしれん。そういう使い方も考慮しておくよ」
こうやって、教育体制も整っていくわけか。この街に来た時はあまりの文明の隔絶に愕然としたが、まだ成長を続けてるというわけだ。
「しかし、まさかリーゼロッテが手を加えた試練を突破するとはな。動画を見てもちょっと信じられん」
「一応、クリアできる難易度ではあったらしいですが」
ここに来る前に、街でリーゼロッテと出会った。
文句の一つも言ってやりたかったが、ダンジョンの中の彼女とは別人のような殊勝さで、こちらが気後れしてしまった。
どうやら、モンスターをやめて冒険者になるつもりらしい。しばらくしたら後輩の一人として接する事になるだろう。
「そのランクでの上澄みでクリアできるギリギリだからたまったもんじゃないだろう。あいつ、昔のヴェルナーの真似して限界ギリギリで冒険者を攻めるからな。当の本人は丸くなったのに、その代わりをしようと躍起になってた節がある」
「ヴェルナーさんも昔はあんな感じだったんですか?」
「昔のあいつはもっと計算高くて容赦がない。突き落として、自力で這い上がれない奴はいらないって切り捨てるタイプだったな。ツナ君たちが挑戦したトライアルダンジョンの隠しステージあるだろ? 俺含めてみんな存在すら忘れてたが、あれを設定したのはヴェルナーだ」
それはツナたちには言えないな。変な不和が発生しそうだ。
リーゼロッテのあれはまだ冒険者を次の段階へ進ませようという意思が感じられた。あれでもまだ救いがある難易度だとすると、当時のヴェルナーさんが演出した試練は体験したくない。
「今回の試練内容見て思ったが、特にお前が突破したのは予想外だ」
「やっぱりそうですか」
それを舐められているとは思わない。ツナはああ言っていたが、僕自身もそう思うのだ。リーゼロッテもそう言っていた。
「あの二人……特にツナ君からは物事を引っ繰り返すような不条理な力を感じるんだが、お前は何もないからな」
「やっぱり彼には何かあると思いますか?」
ツナと出会う人たちはみんな何かしら強い影響を受ける。カリスマとはまた違う、人を引き付け、動かす力だ。みんなに話を聞いてみたが、ユキ以外はそれを感じていた。ユキは……彼の近くに居過ぎたから、それが当たり前になっているのかもしれない。
「間違いないな。本人は自覚してないみたいだが、アレはおかしい」
「ダンジョンマスターでも、あの……力の正体は分からないんですか?」
どう表現していいか分からず、とりあえず力としておいた。影響力、引力、圧……あるいは運命とか、自分が何を感じているのかも分からないのだ。
「分からない。ギフトにもスキルにもそれっぽいものがないから、あいつのもっと根本的なところから来た力なのかも知れない。……若しくは《 隠蔽 》されてるかだな」
《 鑑定 》の情報を隠すスキルとして、《 偽装 》と《 隠蔽 》というスキルが存在するらしい。この場合、無いように見えるわけだから《 隠蔽 》だ。若しくはそれ以外のスキルに見えるように《 偽装 》されている線もありえる。ツナのスキルは多過ぎて候補が絞れないから可能性としては十分だ。
「《 隠蔽 》のルールは分かりませんが、ダンジョンマスターだったら、それを見破れるのでは?」
「普通なら……というか、迷宮都市で最高峰レベルの《 隠蔽 》でも見破れる。まあ、それを持ってるのは俺なんだがな。だから、もしも《 隠蔽 》されてるスキルがあるなら、それは俺の権限を超えている事になる」
「……それはありえるんですか?」
「ありえない事はないが、それはつまり俺よりも先にいる奴って事だ。この世界でそんなスキルを手に入れられるとしたら、無限回廊以外にない」
ダンジョンマスターから聞いた、現在の最高到達層の一二〇三層よりも先に到達しているって事だろうか。
一分野における突出な別の可能性もあるだろうけど、どちらにせよ把握できていないのには変わらない。
「《 偽装 》だけに特化しててもですか?」
「少なくとも一〇〇〇層以下ではありえないな。そこに大きな壁がある」
とてつもなく遠い話だが、実際に到達している人がそう言うのならそうなんだろう。だとすると、ダンジョンマスターと同等か、それ以上の冒険者がいる事になってしまう。それは、この管理された迷宮都市で可能な話なのだろうか。……いや……ダンジョンマスターよりも先に到達していたとか?
「実際のところ、無限回廊は未来とも繋がってるから、ありえない話じゃないんだ」
「未来……ですか?」
「この訓練場の中だから情報規制はないが、一応秘密にな。ツナ君には少し話したが、無限回廊の先には別世界が繋がってる。こことは違う世界、良く似た世界、俺のいた世界、それぞれの世界とは少しズレた平行世界・分岐世界もあるらしい」
どうしようか。全然言っている意味が分からない。
「分からないなら無理に理解する必要はない。ツナ君やミユミが理解できたのも、日本で培った情報があるからだしな」
日本というのは、そんな高度な概念まで浸透している国なのか。すさまじいな。
「で、この世界の過去や未来にも繋がってるし、別の世界にも入り口はある。文字通り回廊な訳だが、つまり、必ずしもこの迷宮都市を経由する必要はないって事だ」
「入り口が別にもあるならそうですね」
ここと同じように、別の迷宮都市があるかもしれないし、素の状態で強い存在なら突破可能かもしれない。
「事例はないが、この仕組みだと未来からだって来れるはずだから、今迷宮都市にいる誰かかもしれない。そう考えると、ありえない話じゃないって事だ。案外俺かもしれないし、お前かもしれない。あるいはツナ君自身の可能性だってある」
「……漠然とですが分かりました」
正直、多分十分の一も理解できてないが、結論は分かった。
「つまり、その何者かの手が加わっている可能性があると」
「可能性な。確率としてはそう高くない。あいつの素の力かもしれないし、そっちのほうが本命だ」
でも、なんだろうか……変な感覚だ。言いようのない恐怖が僕の中に沸き上がってくるのを感じる。それに触れるなという危険信号と、抗えという意思がせめぎ合っている。
「それについてはおいおい調べていくさ。いざとなったら装備でスキルをブーストしてみてもいいし」
「わかり……ました」
なんだ……気持ち悪い。
「ユキト……ユキの方はどうなんですか? 彼……彼女? も何か力を感じますが」
「ユキ20%ちゃんは強くツナの影響を受けてるだけじゃないか? 中継器みたいな感じで」
中継器は分からないが……そうだな。そんな気もする。ずっと隣にいて、本人もその立ち位置を受け入れているのだから。
「そういえば、ユキがその名前の件について怒ってましたよ」
「なんの事だか存じ上げません」
なんとでも理由はつけられそうなのに、随分と適当な言い訳だ。
ダンジョンマスターの事を殴りたいとか言っていたけど、それは難しいだろうな。物理的に無理だし、のらりくらりと逃げられそうだ。
模擬戦で実際に対峙してみて分からされたけど、攻撃なんて当たるはずがない。本人に殴られるつもりでもなければ。
「どうせ表示上だけの問題だと思いますが、あとで謝ったほうがいいんじゃないでしょうか。頭下げるような立場ではないかもしれませんが」
この人は言ってみれば王様だ。公的な立場は持たないにしても、実質的には国王よりも上だろう。
騎士やっていた頃にそういった上下関係を叩き込まれたが、この人を見ていると権力ってなんだろうと思えてくる。最初は緊張もしたが、合わせて僕の接し方も適当になって来ているくらいだ。
「こっそり見た時には結構怒ってたから、ほとぼりが冷めたら謝りに行くよ。今旅に出てる事になってるし。……年長者のお茶目なイタズラくらい大目に見てくれればいいのにな」
お茶目なイタズラね。掴み所のない人だ。
「そういや、名前といえば、お前もフィロスじゃなくてフィロなんだな」
「そうですが……」
どこかで《 看破 》されたのか、それとも何かで調べたのか知らないが、僕の本名を知っているらしい。別段隠してもいないし、カードを見れば分かる事だからおかしくもない。
「子供の頃拾われた時に女の子だと思われてたらしくて、物心ついた時にはそういう名前でした。騎士になる時に不都合があるからという事で、無理やり男性名にしてフィロスを名乗ってます」
騎士団の大部分は、とにかく相手の弱味を探るのが大好きな連中だ。こんな分かり易い部分を残せば間違いなく馬鹿にしてくるだろう。
騎士団の下働きでフィロって名前の子もいたから、あのままだと彼女も巻き添えになっていたかもしれない。無駄に波紋を持ち込まないようにと、名前を変えさせた師匠の判断は正しかったというわけだ。
……そういえば、会ってからしばらくは師匠も女の子と間違えていたな。名付け親と顔を合わせた記憶はないから、そういう意味ではフィロスを名乗れと言った師匠が本当の意味での名付け親なのかもしれない。
「大した事じゃないから、ボーナスのついでで変えとくか?」
「それは……今変えるとユキに怒られそうなのでやめておきます」
「怒りの矛先が分散できると思ったのに」
「やめて下さい」
そういうのはやめて欲しい。あきらかに狙ってるじゃないか。直接関係ないのに何故か怒りを僕に向けるユキの姿が目に浮かぶようだ。僕はユキと違ってそんなに気にもしてないし、今すぐどうこうする気もない。……まあ、いつかはちゃんと変えたほうがいいんだろうな。
しばらくしたらガウルも変えるだろう。……いくら周りが意味を知らなくたって、男性器だったら僕でも変えたいと思うだろう。女性名とかそんなレベルじゃない。ああ、ガウルも最後まで残ってれば、ボーナスで名前を変えられたのか。残念だね。
「状況確認だけだったのに、随分話し込んじまったな。……ついでだから、気分転換になんか話でもするか? 俺に聞きたい事とかある?」
色々あるにはあるが、あんまり大っぴらにできない事は知りたくないな。ダンジョンマスターが攻略中の階層の話だって、トップくらいしか知らないみたいだし。
「元々、話には聞いていましたが、ダンジョンマスターは本当に偉ぶらない人ですよね」
「別に大して偉くないしな。公的な立場だって、ここの領主はウチの嫁さんだから俺はただの配偶者だ。入婿の扱いに近い。威厳あったってしょうがないし」
「御結婚されてたんですか?」
そりゃここは王国の領地なのだから領主もいるだろうが、その割には話が出てこないな。ダンジョンマスター自体情報が流れてないというのもあるが、それ以上だ。
「してるよ。お前も十九歳ならそろそろ結婚考える年じゃないのか? 中級上がったなら生活も安定するだろうし」
「興味ない事はありませんが、相手がいませんよ」
「王都に幼馴染とかいたりしないの? 将来を約束した子とか。処理上、GPは必要だが連れて来れるぞ」
「女の子の幼馴染はいましたが、そんな約束はしてませんし、もう何年も会ってないですね」
騎士団に入るちょっと前から疎遠になったっきりだ。あの子は今もスラムにいるんだろうか。師匠がいるから危険はないと思うけど。
「王国で大量に奴隷を買ってきてもいいぞ。超安いらしいから、何十人も囲ってハーレムも構築可能だ。王国の奴隷商さんも大喜びだな」
馬鹿みたいに安いのは知っているが、そんな面倒そうなのは嫌だ。
「その奴隷の飽和は、主に迷宮都市との内戦が原因と聞きましたよ」
「迷宮都市というか、俺が原因だな。大量虐殺したら悪いかなと思って、殺さずに優しくお帰り願ったらそんな事になったらしい」
「狙ったのでは?」
「ちょっとは考えてたが、まあいいかって」
この人なら王国全部を相手にして双方無傷で終わらせる事も可能だ。困難な事ですらなかったんだろう。
「まあ、奴隷もないです。そういうのが好きな人もいるんでしょうが、何か居た堪れない気分になりそうで……」
奴隷商に身売りしに行ったスラムの住人もいたのだ。事情を知っているだけに、ちょっと手を出しづらい。
「よし、じゃあ見合いでもセッティングしてやろうか。今ちょうど帝国の皇族から打診があるんだ」
「勘弁して下さい」
たとえ万が一でも、帝国の皇族となんて結婚したら胃に穴が開きそうだ。見合いするだけだとしても全力で回避したい。
一体どんな顔して夫婦生活送ればいいのか分からないし、わずかでも親戚付き合いがあったら最悪だ。
こっちはスラム育ちだぞ。実態を知らないなら憧れる人もいるだろうけど、騎士として王宮にも出入りしていたんだ。傍から見ていただけでも、あんな生活は送りたくないと思ってしまう。
「別に王様になりたいとかでも迷宮都市が支援するぞ。帝国はデカイから大変だろうが、この辺りは小国が多いし、そっち狙ってみるか?」
「それも勘弁して下さい」
冒険者になりに来たのに、なんで王様になる事を薦められるんだ。しかも、普通に叶えられそうなのが怖い。
「迷宮都市とのパイプを繋ぎたいのか、そういう打診も多いんだが、あんまりやりたがる奴がいないんだよな。やっぱり王様でも生活レベル下げるのは嫌なんだろうか」
確かに迷宮都市は庶民でさえ王侯貴族よりいい生活してる気もするけど、そういう問題ではないと思う。根本的に冒険者はそういう立場は求めてないんじゃないだろうか。
「王様はともかく、見合いとかそういう話だったらツナにしたほうがいいんじゃないですか?」
ツナだったら、相手が王侯貴族だろうが関係なく突貫しそうだ。
「あいつはあのままのほうが面白いからスルーで。みるくぷりんの話とか大爆笑したぜ」
ひどいな。実は僕も笑ったけどさ。
でも、見合いはともかくとして……結婚か。あまり気にした事なかったけど、そろそろ考えた方がいいんだろうか。
迷宮都市の適齢期は知らないが、王国騎士団では二十歳前後での結婚が多かったはずだ。女性はもっと早いだろう。……十五歳くらいかな?
「まあ、しばらくしたらあいつを直接指名しての見合い打診もあるかもしれないから、そうしたら考えるよ。今でも結構迷宮都市の重役たちの間で名前が上がるらしいしさ」
「そもそも冒険者って結婚するイメージがないんですが」
外のイメージだが、すぐ死ぬし低収入では相手もできない。いない事もないのだろうが、そういう人は冒険者辞めて相手の家に入るだろう。
「そりゃ外の認識だろ。中級以上なら収入も安定してるし結構いるぞ。結婚相談所も中級冒険者なら相手の条件もいい」
「死なないわけだから、外みたいな不安要素がないわけですね」
「そういう事だな。住宅ローンやクレジットカードの審査も通り易いぞ」
クレジットカードがなんなのか分からないが、住宅の問題は考えないといけない。
ツナのクランハウスに入るわけにもいかないし。……あ、寮があるんだったか。
「上級になったら更に相手は選びたい放題だな。王国貴族みたいに家格を合わせる必要もないし」
「でも、< 流星騎士団 >のクランマスターやサブマスターは結婚してないですよね」
「アーシェリアやローランは……なんでだろうな。< アーク・セイバー >のほうは種族の問題で相手が見つからないリハリトと、何考えてるんだか良く分からないエルミア以外は結婚してるぞ。たとえば剣刃なんかは見合い結婚だ。あの子は確か前商業区画長の娘さんだったな。いや、前の前だったかな」
そういえば、打ち上げで剣刃さんの奥さんや娘さんにも会ったな。少し話しただけだけど、円満な家庭に見えた。
ああいう家庭にはちょっと憧れるから、結婚は悪くないかもしれない。……相手次第かな。
「冒険者は時間の取れる職業だから、『私と仕事のどっちが大事なの』って事態が発生し難いってメリットがあるんだ。嫁さんにしてみたらほとんど仕事に拘束されない旦那、旦那にしてみたら長く苦しいダンジョンから帰って来て暖かく迎えてくれる嫁さんっていう構図だな。旦那が家にいて欲しくない嫁さんは、そもそも冒険者を相手に選ばないし」
時間感覚の違いでそういう構図になるのか。変わってるな。
「冒険者同士というのはないんですか?」
「多いが、あまり上手くいかないらしいぞ。吊り橋効果なのか、結婚までは早いけど離婚するのも早い。パーティの不和にも繋がるってのもあるんだろうな。ずっとダンジョン内で一緒で、プライベートも一緒ってのはなかなか辛いのかも知れない。長く続いてるのはクランが別か、片方が冒険者を辞めるパターンが多いんだ。両方冒険者のまま続くパターンがないとは言わんが」
そういうものなのか。……だから結婚相談所があるのか。気心の知れた相手だからってだけじゃ駄目なんだな。
「俺は嫁さんと潜ってるが、これはまた状況が違うし、できる限りプライベートは分けるようにしてる。一人になりたい時用の部屋もわざわざ用意してるんだ」
「今のところは考えてないですが、結婚は考えてはおきますよ」
まあ、何故結婚談義になったのか分からないが、気分転換にはなった。
「話は変わりますが、ここはいつまで使っていいんですか?」
「気が済むまで使えばいいさ。ダンジョンと同じで外の時間は経過しない」
あの試験の前の訓練のようなものか。
「ですが、ダンジョンマスターを拘束してしまう事になるのでは?」
「今更この程度の体感時間なんて関係ない。俺の感覚からしたら一瞬だ。だから気が済むまでツナ君と戦うための準備をするといい」
ダンジョンマスターがこう言ってるし、気が済むまで訓練しようか。自信が持てるまで。
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それから、何日経ったか分からなくなるほど訓練に打ち込んだ。
日数を明確に刻んでいたわけでもないので、感覚が曖昧になっている。試練の前に実施した訓練も長かったが、あの時は体感時間が分からなくなるなんて事はなかった。あの時と違い、一人で訓練している事も大きいのだろう。
いや、ダンジョンマスターもいるから一人ではないのだが、彼は基本的に訓練に関わらない。一人で何かをしているだけだから、あの時にいたエルミアさんの存在に近い。
これだけ訓練していれば強くなっているはずだ。……はずなのだが、指標がないので違いが分からない。
あの時は八人いた。競い合い、明確な目標もあった。……あの訓練に比べたら強くなった気がしない。本当に僕は強くなっているのか? これじゃ、あの[ 無感の間 ]と同じだ。自問自答ばかり繰り返している。
……しかし、どうしてもあの訓練と比べてしまうな。こうして集中力が無くなって来ると、先日の試練かその前の訓練の事ばかり頭をよぎる。思い返せばあの訓練の日々は充実していた。……罰ゲームはもうしたくないけど。
「今日で九十日目だ」
「もうそんなに経っていたんですね」
ダンジョンマスターは数えていたらしい。彼が唐突に現れるのはいつもの事なので、もう慣れて来た。
「ステータスに経過時間出るだろ」
「……ああ、そういえば」
それは、完全に失念していた。カードなんて早々見るものじゃないからな。ここはダンジョンと同じなんだからその機能もあって当然か。
「で、三ヶ月経ったわけだが、何か掴めたか?」
「いえ、何も……目標があるわけでもないので、それがいけないのかも知れません」
この三ヶ月、何か殻を破った気もしないし、スキルも習得していない。クラスレベルは若干上がったが、それだけだ。
ツナとの決闘に備えて始めた訓練だが、勝ちたいわけでもない。勝てるなら勝ちたいが、それは目標ですらない。……それがいけないのか?
「まだ続けるか?」
「ダンジョンマスターは大丈夫なんですか?」
僕はまったく問題ないが、この街の最高権力者を付き合わせるのも悪い気がする。外の時間は経たないが、精神的な問題もあるだろう。慣れてるといっても限度がある。
「最初のほうでも言ったが、俺の事は気にしなくていい。空気みたいなもんだと思ってくれ」
「そう言われても……」
「一回のダンジョン攻略で数年潜ってた事もあるんだ。これくらいなんでもない」
「すう……ねん」
それはどんな領域の話なんだ。
< アーク・セイバー >や< 流星騎士団 >が攻略している最前線で一層あたり数日から一週間といわれている。一〇〇層より先はそんな世界が広がっているというのか……。
「ああ、別に一層の攻略に何年もかけたわけじゃないぞ。何十層も進んでる。その時、何層進んだかは忘れたが」
「でも、一〇〇層より先にそんな世界が待ってるという事なんですね」
「まあ俺たちの時の話だからな。今の奴らだったらそんなにかからんだろ。人数も違うし」
そういえば五人で攻略してるんだったか。
「人数を増やそうとは思わなかったんですか?」
「人数の問題に気付いたのが一〇〇層超えて大分経ってからだからな。戦力的には問題なかった上に、ついてこれる奴がいなかった。一人二人だったら追加も可能だったかもしれないが、それだけ増やしてもしょうがないし。それに、今増やそうとしてるだろ。一〇〇層は超えそうじゃないか。無限回廊の攻略が始まってまだ三十年経ってないのに、これだけの体制を整えられたんだから上等だよ」
トップクランの事か。今のままなら、確かに百人以上の規模にはなるが……。
「ダンジョンマスターは一〇〇層突破までに何年かけたんですか? ええと、実時間で」
「一年はかけてないな」
「…………」
それだと今のペースで追いつけるわけがないんだけど。
「勘違いしてるみたいだが前提が違うぞ。俺の場合はデスペナルティと中六日ルールはなしだ」
「でも、それはダンジョンのルールで……」
「アレは俺が設定したルールだ。ずーっと潜りっぱなしだと心が摩耗するからな。救済処置として追加した」
……アレは本来存在しなかったルールなのか。
攻略に失敗して死んで、すぐに再挑戦できるなら心が壊れるまで潜り続ける人もいるかもしれない。ならば強制的に休ませてしまうのが一番というわけか。ただでさえ死は精神的な負担が大きいのだから。
「俺も今はペースは落としてるよ。ツナ君たちが来てからは準備だけで一度も潜ってないし」
「でも、あのルールがある限り、ダンジョンマスターに追いつく事はできないのでは?」
「そうだな。だからもうそろそろ解禁する。……解禁は一〇〇層超えてからだな。一〇〇層超えられるような奴らで、組織的にもしっかりしてれば大丈夫だろ。無理はしないはずだ」
それは自分が無理をしたから言っているのか。……それとも無理をした人がいるって事だろうか?
となれば、今の一ヶ月に一層のペースは軽く破られるだろう。
「アーシェリアたちが第八十八層と第八十九層を連続攻略した時は嬉しかったな。この条件下で攻略加速させやがったんだから。……いや、ローランか。あいつツナの影響受け過ぎだろ」
ここでもツナが絡んでくるんだな。大した影響力だ。
「ともあれ、あと数ヶ月で一〇〇層には到達する。それを越えれば解禁予定だ。……あ、これは本人たちには内緒にしておけよ」
「は、はい……」
だったら、そんな事は言わないで欲しい。
「一〇〇層は俺が設置した最後の試練だから、頑張って攻略して欲しいね」
内緒にしないといけない事が増えるのもアレだから、もう聞かないようにしよう。
僕らはそれよりも遥か手前で戦っているんだから。……早くそこまで追いつきたいものだ。
その後もひたすら訓練を続ける。
ダンジョンマスターとは合間に何度か話をする程度で、基本は一人だ。何日も会わない事すらある。時々は手合わせもしてもらうが、差は激しすぎて参考にならない。
彼からはどうでもいいような雑談や、聞かなかったほうが良かったと思わせる発言を聞かされた。精神衛生上よろしくないから、秘密にしなきゃいけない事は言わないで欲しい。
ただ、故郷の日本の話は面白かった。
「こっちに来るまで剣を触った事がなかったんですか?」
「日本人の大半は武器らしい武器を持った事もないよ。でかい刃物なんて、持って歩いてるだけでも捕まる」
ちょっと信じ難い話だ。ツナたちも前世では武器を持った事がないという事か。
ギフトにそれらしいものがあったから、前世ではそういった生活をしていたものと思っていた。
「モンスターや賊への対処はどうするんですか?」
「そんなものはいない。たまに凶悪な犯罪者が出ても、一般人が武器持った程度じゃどうしようもないしな」
「戦争は?」
「俺が生まれる何十年も前にしたっきり、ずっとしてなかったな。外国ではドンパチしてたが、少なくとも一般人が生活する中で殺し合いはなかったよ」
随分と平和な環境だ。王都のスラムに慣れた身からすると天国に見える。……ひょっとして、迷宮都市はその再現なのだろうか。
「ツナが持ってる《 近接戦闘 》と《 片手武器 》は日本とやらで身につけたものじゃないって事ですかね」
「あれは……良く分からんよな。ランダムで付与されたって可能性もなくはないが。……《 近接戦闘 》ならともかく《 片手武器 》の適性がギフトとして現れるくらいの生活ってちょっと考え難い。……自衛隊にでもいたのかな」
ダンジョンマスターでも彼の存在は不可解らしい。
「あ、悪い醤油取って」
「はい」
そして、僕は何故ダンジョンマスターとテーブル挟んで食事しているのか。……不可解な事態だが答えは出そうにない。
強くなったという実感の沸かないまま、訓練は終わる。これ以上続けていても、何か殻を破らない限りは先に進めないと思ったからだ。
-3-
迷宮都市に来るまで見た事がなかった不思議な雰囲気の屋敷。静かな庭園に囲まれたその建物は、クランハウスの一角だというのにそこからも遮断されたような静寂が広がっている。僕はそこで剣刃さんと二人、向かい合わせで座っていた。
打ち上げでは専用の広間で飲み食いをしたが、ここは畳という草を編んだ敷物の上で靴を履かずに過ごすらしい。ツナやユキ、ダンジョンマスターの故郷……日本の様式らしいが、随分と変わっている。ちょっと落ち着かない。町中で見かける文化もほとんど日本のものが元になっているらしいから、随分と多様性のある文化だったのだろう。
ダンジョンマスターとも結構話したが、未だどんな国だかまったく想像がつかない。不可思議過ぎる国だ。
「なるほどな。お前はてっきりツナと一緒の道を行くものだと思っていたよ」
このためにわざわざ時間を用意してくれた剣刃さんと向かい合い説明をする。< アーク・セイバー >に入団するための試験の依頼だ。
「それも悪くないと思います。おそらく、一〇〇層の先に行くには最短ルートでしょう」
「ウチより早いと判断するか」
そうだ。< アーク・セイバー >を舐めているわけじゃないし、おそらくとは言ったが、そう確信してる。
すでに手が届きつつある第一〇〇層ならともかく、ダンジョンマスターに届き得るとしたら、彼らが最速だろう。
「第一〇〇層なら< アーク・セイバー >か< 流星騎士団 >のどちらかが突破するのが早いでしょうが、ツナのスピードも尋常じゃないですからね」
「分かっているなら話は早いが、ウチはおそらく一〇〇層超えた辺りで無理が出てくるだろう。今も綻びかけてるが、元々寄せ集めだからな。< 流星騎士団 >ならもっと先に行けそうだが、そっちの線は当ってみなかったのか? お前の実績踏まえりゃ入団資格もある程度考慮されるだろ」
随分と評価されているな。やはり、先の試練で最後まで生き残ったのが大きいのか。
「入団前に言う事じゃないかもしれませんが、僕は後々自分のクランを設立したいと思っています」
それを聞いた剣刃さんはさほど反応がない。< アーク・セイバー >に入りたいと言った時点で考慮していたのかもしれない。
「そりゃ確かに腰掛けですって堂々と言うのもな。……だがなるほど、それなら分かる。それまでの繋ぎっていう意味なら確かにウチは最適だろう。< ウォー・アームズ >でもいいが、あそこよりウチのほうが環境は良いしな」
実はそれも考えたが、コネがあるならこちらのほうが目標に近付けるだろうと思ったのだ。
「やっぱり独立する事を前提に入団っていうのは問題ありますか?」
「まあ外聞は良かないが、俺は構わんよ。クランは会社みたいなものだが、会社じゃない。利益だけを追い求めてるわけでもないからな。無限回廊の攻略が進むきっかけになるならそれでも問題ない……と、俺は思う。文句言う奴もいるだろうから、大っぴらに言わないほうがいいがな」
「分かりました」
元々言い触らすつもりもない。
「それで、< アーク・セイバー >の入団試験については事前に調べてきましたが、試験時期を外してしまっているので剣刃さんに口添え頂けないかなと思いまして」
「お前、入団試験受けるつもりだったのか?」
「……何か問題でも?」
何故、ここで目を丸くするのか分からない。< アーク・セイバー >に入団するには、推薦があろうが基本的に試験に合格する必要があるという認識だったんだが。
「あの試練の最後まで残った奴に今更試験もな……。アレ、ウチの下級で最後まで残れる奴なんてまずいないぞ。中級でもかなり怪しい」
やはり剣刃さんもあの動画は見ているのか。規制はかかっているが、トップクランのマスターなら条件付きで見れるという話だからおかしくもない。
「摩耶も最終局面までは残りましたけど」
「あいつも変わった。お前らと訓練始めるまでのあいつなら真っ先に脱落してる。動画になってない部分で何かあったんだろうな」
確かに訓練の前後、試練の前後で彼女も随分変わった。何が変えたのかは分からないが、芯に強い部分ができたように見える。
「必要ないが、どうせなら余興で試験はやってみるか。臨時でねじ込めば問題ない。一人でも構わんよな」
「必要ないならそれでもいいんですが」
「まあまあ、周りを納得させるっていう意味と、若い奴らの驚く顔が見たいってのがある。度肝を抜いてやるといい」
驚くだろうか? 僕の性能は一見派手に見えるが地味だ。< アーク・セイバー >で強者を見慣れている人たちが驚くとは思えない。
「驚くだろうさ。少なくとも試験入団する奴のレベルじゃない。それにお前はツナたちと違って目立った動画も公開されてないしな。それに、最初にいいところを見せておいたほうが入団後も色々やり易いだろう」
公開してる動画は新人戦の時のものだけで、事前情報がないのは確かだ。
それに、ゴーウェンもそうだけど、後続のツナたちの話題性が高過ぎて僕の話題は影に埋もれている。真似したくはないけど、風俗の話題とか、冒険者として以外でも目立っているからな。
「ウチには五つ部隊があるが、配属先に希望はあるか?」
「特に希望はありませんが、剣刃さんの部隊では駄目でしょうか」
「俺のところでも構わんが、ウチは部隊ごとに似たようなのが集まってるから合う合わないが激しい。お前だと第二部隊……グレンのところが合ってると思う」
まだ会った事のない人だな。確か、良く< アーク・セイバー >の表に立ってる人だ。第九十層の記念式典でも代表を努めていたはずだ。
「どんな方なんでしょうか」
「最近はマシになったが、クソ真面目で融通が利かねえ奴」
それは僕がそういう奴だと思ってるって事だろうか。ちょっと心外だな。
「いや、別に悪い事じゃない。好ましい面である事も確かだ。ただ、俺のところは適当な奴が多いからな、あいつの部隊と仲悪い奴もいるんだよ。ちなみに他のところは……ダダカのところは超体育会系、エルミアのところはマイペース、リハリトのところは……変な奴が多いな」
訓練の時もいまいち掴めない人だと思ったけど、リハリトさんだけ良く分からない。
エルミアさんは普段の生活には問題あると思うし、言う通り部隊ものんびりしてるんだろうが、< アーク・セイバー >の一角でもあるんだ。間違いなく隊員も強いだろう。……どこの部隊でも強くはなれそうだ。
「だから、お前が合うのはグレンのところかダダカのところだろう。元王国騎士なんだろ?」
「ええ。結局、馴染めませんでしたが」
騎士団の雰囲気は好きじゃなかったんだけど、ちゃんと実力が伴っているならアリかもしれない。
騎士団もな……無能で弱小じゃなければ、厳しい規律も上下関係も受け入れられるんだけど。彼らは家格とプライドだけだ。自分が強くなる事より相手を蹴落とすのを優先する連中だから、最後まで好きになれなかった。
「通常はどうやって配属を決めるんですか?」
「新人は期間を決めて部隊をローテーションするんだ。班ごとに大体一年かけて全部の部隊を体験する。で、希望の部隊があればそこに配属される仕組みだな。もちろん希望通りにいかない事もあるが、大抵はそのまま配属される」
なるほど。実際に体験してみるのか。問題は僕が一人だって事だけど、それでもいいかもしれない。パーティも色々経験できそうだ。
「まあ、どこに配属されようが、ダンジョン攻略のパーティ決めや訓練内容が違うだけだ。< アーク・セイバー >の施設は共用だし、一緒に訓練する事もざらだからな。やってる事はほとんど変わんねえよ」
目標も同じ、使う施設も設備も同じ。違うのは上司と細かい方針だけって事だ。言う通り、そこまで気にする事もないだろう。
「試験の日取りはどうなるでしょうか。可能なら早めにお願いしたいんですが」
「ローテーションしてる奴らの切り替えタイミングに合わせる形のほうがいいから、半月くらいは必要だ。寮の移動もあるからそれで準備しておけ。お前なら不合格になる事はないだろうから、そこは考えなくていいぞ」
「分かりました」
さて、これで後戻りはできないぞ。
-4-
剣刃さんの屋敷を出ると玄関の前に摩耶が待っていた。
案内を頼んでから、ずっとここにいたのか。結構時間が経っているのに律儀な事だ。
「待ってなくても良かったのに」
「いえ、剣刃さんの奥さんの話し相手と……ちょっと考え事をしていたら、こんな時間になってしまいました」
「剣刃さんの家族とは親しいのかな」
「そうですね。ここには昔から出入りする事も多かったので」
思ったより近しい関係なんだな。ただのクラン員ってわけでもないのかな。
「奥さんは反対してるらしいんですが、剣刃さんの娘さんが冒険者志望らしいんですよ」
「あの人の娘さんならさぞかし才能ありそうだけど、またどうして反対なんて」
「単純に過酷な職業だからでしょうね。より近い所で知っている分、子供には歩ませたくないというのは親心として分かります。迷宮都市生まれなら、選択肢なんて星の数ほどあるわけですし」
親の気持ちは分からないが、わざわざ痛くて苦しい思いをさせたくはないって事か。死なないっていっても抵抗はあるだろう。
「そういえば、摩耶はどうしてこの仕事を?」
「剣刃さんの娘さんと同じで、子供の頃からの憧れだったんです。当時ヒーロー的な冒険者がいまして。< 流星騎士団 >副団長の御両親の事なんですが、あの人たちの影響で冒険者を志したのは私たちの世代では少なくありません」
あの人の両親も冒険者だったのか。一家全員が冒険者だ。話に聞く所によるとペットまで冒険者になったというし……すごい家庭だな。
「でも、その人たちの事はあまり聞かないよね」
「かなり前に引退してますからね」
それは話を聞かないのも無理はない。話題に上がるのは現役冒険者の事が常だ。過去を振り返るほど、この街の歴史は長くないらしい。< ウォー・アームズ >の昔の話は聞くが、クラン自体残ってるわけだし。
「それで、考え事っていうのは?」
「フィロスさんが歩もうとしている道の事です」
やっぱりそうだよな。一般的にはいい選択に見えそうだけど、やはり今の彼女にとっては不可解に映るんだろうか。
「馬鹿だと思うかな?」
「……難しいところですね。以前の私ならただ歓迎したでしょうし、ちょっと前の私だったら合理的でないと判断したかも知れません」
「合理的ではないと思うよ」
一時的に< アーク・セイバー >に所属する事も、ツナと一緒の道を行かない事も。ただの我儘に近い。
「でも、あの訓練、あの試練を経て私も何か変わったのでしょう。今ならその選択もアリのような気がしています」
「そうかな。自分でもまだ上手く表現できないんだけど」
「私も体感していますが、渡辺さんは変革の中心点です。その中心に近いほど影響も大きいのは間違いない。でも、そこから離れて俯瞰できる位置にいる事にも意味はあるんじゃないかって思えるんです」
そうかもしれない。僕の事情はもっと単純で、自分よがりなものだけど。
「どうせなら行きがけの駄賃として、< アーク・セイバー >の井戸を内側から壊してやりましょう。手伝いますよ」
……井戸? 何故、器物破損の話になるんだろうか。物騒だな。
「これから行く決闘とやらもその絡みなんですか?」
「関係なくはないけど、どちらかというとこれは僕なりのケジメかな。結局僕は第四関門も突破していないからね」
「突破したからあそこにいたのでは?」
「僕のだけ特殊だったんだよ。抜けるには抜けたけど、"脅威"は乗り越えてない」
だから本物の脅威と戦う。それがあの第四関門よりも正しい形で試練になるような気がする。
「それにほら、決闘って何か格好いいじゃないか」
「……そういう美学は良く分かりません」
そういうものなのかな。ドラマで見た西部劇の決闘とはまた違うけど、なかなかいい感じだと思うんだが。そういうのが好きな人がいるから、ああいう映像も作られるわけだし。
でも、西部劇といってもアレはなんの西部なんだろうか。ちょっと気になる。
「じゃあ、もう行くよ」
「死なない程度に頑張って下さい。ペナルティの問題もありますし」
「それはどうだろうな……お互い、そんなところで踏みとどまる性格じゃなさそうだ」
必要ないとしても、ツナはきっと斬ってくる。そんなところでつまらない手加減をする男じゃない。僕も……その場面になれば斬るだろう。
摩耶と別れ、< アーク・セイバー >のクランハウスを出る。
あとはこのままダンジョンマスターに用意してもらった場所に移動するだけだ。転送施設から転移するだけだから、たいして時間もかからない。
開始時間には少し早いが構わない。元々一緒に現場に向かうようなものでもないし、待ち構える側というのも悪くないだろう。準備だってもうできてる。
そんな事を考えながら、転送施設の通路を歩いていると、見慣れた巨体が目に入った。
「ゴーウェン……」
決闘場は僕とツナの二人しか入れない設定にしてあるから、観戦はできない。だから来てもしょうがないと伝えてあるのだが、……激励にでも来たのだろうか。
「< アーク・セイバー >に入ると聞いた」
……そっちの件か。最近良く喋るね。
「摩耶から聞いたのかな……そうだよ。剣刃さんにも許可をもらってきた。……ツナにはこれから直接話すから、メールは出さないでもらいたいな」
「なんの相談もないのは気に食わんが、それならオレも行く」
「……本気かい?」
これは僕の我儘だ。相棒とはいえ、付き合わせるつもりはなかった。
「……最初は五人だ。それが二人になって、ガウルが加わって三人。そして、八人になったが、最初から隣にいたのはオレだけだ。……ここまで一緒にやって来たんだ。オレくらいは最後までとことん付き合おう」
「鍛冶屋になるのが夢じゃなかったのかい?」
そのためにギルドの説明会にも行っていたはずだ。冒険者になったのだって、迷宮都市に入るのに必要だったからと聞いている。ゴーウェンは不器用だけど、それをハンデとして受け入れても目指したいと。
「それはもちろん続けるが、どちらにせよ冒険者は続けないといけないからな。だとすれば、オレが立つのはお前の隣だろう」
「……分かった。決闘後にでも剣刃さんに話しに行こうか」
相棒という関係に拘るゴーウェンの言葉が堪らなく嬉しかった。嬉し過ぎて涙が出そうだ。
「今度からはちゃんと相談してもらいたいものだ」
「分かった。今度からはそうするよ」
これからも、いい関係で在りたいと純粋に思える。
「一応聞くけど、< アーク・セイバー >の女の子目当てじゃないよね」
ツナのところには、変な子しか集まらなそうだし。その点、< アーク・セイバー >は見た感じ平均点が高いからな。
「……そんな訳あるか」
何故そこで言い淀むんだ、相棒よ。
< ステータス報告 >
冒険者登録No.45149
冒険者登録名:ゴーウェン
性別:男性
年齢:17歳
冒険者ランク:D-
ベースLv:35
クラス:
< 重装戦士:T.Lv67 >
├< 槌戦士:Lv35 >
└< 闘士:Lv32 >
二つ名:なし
保有ギフト:《 怪力 》《 頑健 》《 矢避け 》
保有スキル:
《 武器熟練:T.Lv5 》
├《 斧術:Lv1 》
├《 槌術:Lv2 》
└《 両手槌術:Lv2 》
《 武器適性:T.Lv6 》
├《 両手武器:Lv1 》
├《 重量武器:Lv1 》
├《 巨大武器:Lv1 》
├《 槌:Lv1 》
└《 両手槌:Lv2 》
《 槌技:T.Lv3 》
├《 削岩撃:Lv2 》
└《 壁砕き:Lv1 》
《 両手槌技:T.Lv6 》
├《 粉砕撃:Lv1 》
├《 爆砕撃:Lv2 》
├《 ハンマークラッシュ:Lv2 》
└《 ハンマースイング:Lv1 》New!
《 両手武器技:T.Lv3 》
├《 渾身撃:Lv1 》
├《 フルスイング:Lv1 》
└《 捨て身の一撃:Lv1 》New!
《 重量武器技:T.Lv5 》
├《 強撃:Lv2 》
├《 ウエポンブレイク:Lv1 》New!
├《 シールドブレイク:Lv1 》New!
└《 アーマーブレイク:Lv1 》New!
《 巨大武器技:T.Lv1 》
└《 破城の一撃:Lv1 》New!
《 心得:T.Lv2 》
├《 闘士の心得:Lv1 》
└《 鍛冶師の心得:Lv1 》New!
《 戦闘術:T.Lv2 》
├《 踏み込み:Lv1 》
└《 食い縛り:Lv1 》New!
《 鑑定:T.Lv1 》
└《 看破:Lv1 》
《 肉体補正:T.Lv8 》
├《 生命力強化:Lv2 》
├《 生命力増幅:Lv2 》
├《 筋力強化:Lv3 》
└《 腕力強化:Lv1 》
《 生存本能 》
└《 不撓不屈 》New!
《 物理耐性:T.Lv1 》
└《 溶解耐性:Lv1 》New!
《 虚空倉庫:T.Lv1 》
└《 アイテム・ボックス:Lv1 》
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