第4話「黄昏れる吸血姫」




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 迷宮都市におけるモンスター種の扱いは、迷宮都市外のモンスターのそれとかなり異なる。

 迷宮都市の外では、モンスターといえばはっきりと人間の敵性種族だ。知能も低く、ステータスの恩恵もないため、生物としての位階も上がらない。稀にそこそこ強力な力を持って生まれ、魔王なんて崇められたりする者もいたりするが、それは例外だ。

 迷宮都市ではこれがはっきりと異なる。敵対種、天敵、呼び方はなんでも構わないのだが、人間種、妖精種、亜人種と敵対関係にはない。

 姿形は似ていても人間と共にあるものとして生み出されたのだから、それは当然だろう。知能が低く、人間へ敵対心を抱く者も多数いるが、そういった者も成長すれば理解する。成長するまで頭が悪いだけだ。偶に昔を振り返って、『俺、若い頃はヤンチャしてたんだぜ』なんて言うモンスターもいる。体感的にはゴブリンにそういうのが多い気がする。

 ただし、敵対関係ではないといっても、必ずしも友好的とは限らない。

 冒険者に挑み、戦い、食らい、傷付け合うのは変わらない本質だ。それは迷宮都市の外とそう変わらない。迷宮都市の特異性があればこそ成立する共存関係といってもいい。殺し、殺され合う関係は、通常なら生物として健全とはいえないのだから。


 迷宮都市のモンスターは、そう在るべしとダンジョンマスターに生み出された。

 ダンジョンマスターはモンスターにとっては創造主であり、親であり、神である。誰に教え込まれたわけでもない。最初からそういう位置づけなのだ。私の場合はモンスター同士から生まれた二世だから、ちょっとカテゴリは違うが、認識の方向性に大した違いはない。

 でも、ダンジョンマスターはモンスターに対して絶対者である事を望んでいないらしい。


『俺は誰かを従えるとか、そういう素養はないらしい。俺にとってモンスターたちは子供と変わらない。血の繋がった子供を作る気はないけど、その代わりみたいなもんだ』

『私もそうですか?』

『リーゼロッテは子供とはちょっと違うな。あえて言うなら孫みたいなもんかな。つまり俺はお爺ちゃんだ』


 かつて幼い頃に会ったダンジョンマスターはそう言った。随分若い外見のお爺ちゃんだが、迷宮都市ではそんなに珍しくもない。

 あの方はモンスターの絶対者である事を嫌い、遠ざける。自分たちだけが苦しい環境に立ち、モンスターは安全な場所に置こうとする。私が生まれる前、無限回廊の一〇〇層を攻略し、管理者権限を得た時からずっとそうらしい。真の意味で苦しみを分かち合うのは、今も昔も、共に戦う仲間の四人だけなのだ。




 迷宮都市のモンスターの歴史は、ダンジョンマスターが無限回廊の一〇〇層を突破してから始まる。

 初めに創造されたのは三体のモンスター。ゴブリンとデュラハンと吸血鬼の三体だ。何故この種族なのかは分からない。本人たちも知らないと思う。

 元々彼らはダンジョンマスターが迷宮都市の運営に足りない労働力として生み出した存在だ。今では労働力なんて捨てるほどいるが、その当時の迷宮都市の人手は少なく、急速に巨大化する規模を支えるには人間の手だけでは足りなかったらしい。

 もちろん最初が三体だったというだけで、それからもモンスターは作られ続けた。古参は、現在迷宮ギルドで職員として働いてる者が多い。

 迷宮都市出身ではないものの、ウチの母親もギルド職員だったらしい。結婚を機に退職したようだけど、私が独り立ちしたので復職を考えていると聞いた。


 世界で虐げられていた種族をダンジョンマスターが救い、この地に迎え入れたのも大体この頃からだ。迷宮都市に住む種族の多様性はここから始まったともいえる。滅亡寸前の危機から救われ、職と住処を与えられた彼らはダンジョンマスターを信奉する。

 ダンジョンマスターの目的は労働力であったのだが、救われた側からすれば本来の目的など関係ないのだろう。私は当時の事は話に聞く限りでしか知らないけれど、亜人種にダンジョンマスターを絶対視する者が多いのはこれが原因だそうだ。

 ともあれ、役割は違えど迷宮都市における人間種、妖精種、亜人種、そしてモンスターの関係はこういった形で確立された。


 モンスターに本来課せられた仕事は、裏側から見た無限回廊の管理である。当初から冒険者たちを育成するためのライバル、あるいは管理組織の運営者として、基本的には今と変わらない存在といえる。

 一部、その立場が大きく変わったのは、モンスターから冒険者への転身が許されてからだ。

 最初はモンスターはモンスター、冒険者は冒険者としての立ち位置しか許されなかった。これが、いつからかモンスターをやめることが可能になった。ひょっとしたら一〇〇層より先でダンジョンマスターがそういう権限を手に入れたのかもしれないが、その詳細は分からない。

 真っ先にモンスターを止めたのは最初に創造された三体のモンスターだった。彼らはギルド運営者としての立場のまま、冒険者として歩み出す事になった。

 ダンジョンマスターへの忠誠心、役に立ちたいという本能にも似た感情を最も強く持つ三体だ。無限回廊の攻略は苛烈そのものだったという。

 今では定着したダンジョン攻略における再挑戦期間、六日間の休息も、デスペナルティですら存在しない時代だ。魂すらボロボロになるようなハイペースで攻略を進めた。進める事ができてしまった。

 そんな環境で生きていれば、魂の在り方すら変わる。一〇〇層に到達する頃には、ほとんど別者へと変質していた。

 今でこそ生み出された当初の人格を取り戻しつつあるが、当時の三体は狂気そのものの存在だったらしい。戦う事、無限回廊を攻略する事、ダンジョンマスターに追い付く事だけしか考えない存在だ。

 幼かった私は父の姿をほとんど見た事がなかった。そして彼も私という存在に関わろうとしなかった。……興味がなかったのだろう。最近ではむしろ関わらないで欲しいくらいなのだが、当時のヴェルナー・ライアットという冒険者はそういう存在だった。


 だが、一〇〇層を超えてしばらくしたところで、ダンジョンマスターからストップが掛かった。ほとんど行使された事のない絶対強制権だ。

 ダンジョンマスターにとって、モンスターたちは子供同然だ。その子供たちが自分のためにボロボロになるのは見かねる行為だったのだろう。そんなボロボロになった者が先に進む事などできるはずがないと、彼らは一〇〇層以降の入場を禁止された。

 再攻略の休息期間が設けられたのもこの時期らしい。何故あんな休息が強制されているか疑問に思う冒険者も多いらしいが、前例を見る限り、これがなければ悲惨な事になっていただろう。父たちは極端な例だが、強制されないと休まない冒険者もいる事は確かなのだ。


 父たちが一〇〇層以降の攻略を再開するために付けられた条件は、後続冒険者の育成だった。

 整えられた環境の中で新たに全体の底上げを図り、一〇〇層まで到達できる者が現れたのなら、先に進む事を許すと、そう命令されてしまった。

 表向き、一〇〇層に到達した者はいない事になっている。少なくとも迷宮都市の一般的な認識はそうだ。

 一部大規模クランのマスターや極端な古参だけは、ダンジョンマスターと四人の仲間が先に進んでいる事を知っている。だが、最初に作られた三体のモンスターが一〇〇層へ到達済である事は、限られた者しか知らない事実だ。私が知っているのも偶然に近い。


『……ゴブタロウもテラワロスもそうですが、あの頃の私はおかしくなっていた。ただ先に進みたい一心で、それ以外の何も見えていなかった。ダンジョンマスターが望んでいたのはあとに続く者たちだったのに、私たちはそれを育てる事を怠った。役割を放棄していた。当時は理解できなかった。たった五人で戦い続けるダンジョンマスターたちのために少しでも力になれればと思っていたのに、不要だと言われたわけですから。……実際のところ、あのまま私たちだけが先に進んでも意味はなかったのでしょう。戦力的な意味では、あの五人だけでも十分なんですから。ダンジョンマスターが求めていたものはもっと別の何かだった。そして、あの時の私たちはそれではなかったという事だったのです』


 父のその言葉を聞いても、本質は未だ理解できない。ダンジョンマスターが求めるものが分からない。

 でも、やらなければいけない事は子供なりに理解した。モンスターとして冒険者と戦う役目を果たそうと決めたのも、役目を放棄した父の代わりになろうと考えたからだ。


 強い冒険者を育てよう。創り上げよう。そのためには厳しい試練が必要だ。

 ならばモンスターは冒険者のライバルであり、壁であり、踏み台であるべきだ。その考えは今もモンスター全体の共通認識として在り続けている。

 戦いに喜びを見出す者、金銭を得るための職業として割り切る者、本能のまま生きる者、自身の強さを求める者、そして純粋に冒険者の成長を願う者。モンスターとしての在り方に違いはあれど、その認識だけは共通だ。

 モンスターを止めた父もその認識は変わらない。立ち位置と視点が変わっただけだとそう思うのだ。


 でも、今回の試練は少しばかりやり過ぎてしまったらしい。




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 赤黒い空に覆われ、閑散とした闘技場に二人の吸血鬼が対峙する。

 一人は迷宮都市最強の吸血鬼、ヴェルナー・ライアット。そしてもう一人はその娘である私、リーゼロッテ。


 なんでこんな事になっているのかといえば一言、嵌められた。

 仕事でギルド会館を訪ね、気がつけばここに強制転移させられ、父親との対決を余儀なくされている。

 ここは、空間的に完全に独立した特殊エリア。特別なイベントでもないと使われない場所だ。絶対に逃さないという意気込みを感じる。……勘弁して欲しい。


 話を聞くに、この前のイベントで私が意図的に難易度を引き上げた事による処罰らしい。

 プラス、父の大鎌を家から持ち出し、壊した事へのお仕置きだ。というか、反応を見る限りそれがメインっぽい。

 勝つ見込みなど万に一つもない。それほどまでに力量差がある。相手は全力なら第一線の上級冒険者より強いのだ。こうして向かい合ってるだけで、背中どころか全身が冷や汗ダラダラだ。でも、なんとかして逃げないと……。


「さあ、お仕置きタイムです。お尻ペンペンしちゃうぞ」


 あの変態吸血鬼にお尻を叩かれてしまう。それは超嫌だ。


――――Action Skill《 真紅の血杭 》――


 後手に回ればその瞬間に終わる。先行して展開するのは、計五十二本の杭。今の私が出せる限界だ。

 初手から全力でかからないと、あの防御を突破できないのは身を以って知っている。手加減なんてしていられない。

 だが、対象に向かって飛んで行く杭は途中で存在自体が掻き消える。刺さるどころか届きもしないし、打ち払いもされない。必要ないのだ。


「ふははははは。まだまだ青い。それで全力ですか。出し惜しみはしないほうがいいですよ」


 正真正銘の全力だ。あの試練で戦った時のような制限もない、完全なリーゼロッテとしての全力。これでも冒険者にして上級相当の能力はあるのに、差が大き過ぎる。


「く……」


 ……化け物め。あんな怪物相手じゃ、何をどうしようが勝ち目はない。ダメージを与える手段がない。

 ならばここは逃げの一手だ。逃げるために全力を尽くす。ここは隔離空間だけど、どこかに突破口があるかもしれない。


――――Action Skill《 真紅の血杭 》――


 再び杭を展開。得意ではないが、< 遅延 >を駆使して、時間差で牽制する。


「それしかできないのですか。つまらないですね」


 できないんじゃなくて、これ以外だと意味がない。それどころか相手を強化すらしてしまいかねないのが問題なのだ。

 私の得意魔術は炎に偏っている。炎を吸収する能力を持つ相手に火炎魔法など自殺行為だ。下手すれば倍返しを喰らう。

 吸血ならダメージはあるだろうが、同じ吸血鬼なんだから、こっちが吸血されかねない。血液によるブーストだって逆に利用されるだろう。

 鎌があればまだ戦えるのに、今は無手だ。そもそも戦闘の準備すらしてないのは油断し過ぎだった。

 いや、普通報告に行ったギルド会館から強制転移させられるなんて想像しないでしょっ!! なんで許可下りるのよっ!!


「手がないようでしたら、おしおきの時間です」

「冗談じゃない!」


 絶対に嫌だ。なんでこの年になってお尻を叩かれなくてはいけないのだ。

 あんな化け物に叩かれたらお尻が弾けてなくなってしまう。というか、あの人だと絵面が卑猥極まりない。

 今だけでいいから、あのマゾの人が代わってくれないだろうか。できる事なら是非交渉したい。通信手段はないけど。


「大丈夫、優しくしますから」


 それはそれで嫌だ。気持ち悪い。なんでアレが親なんだろうかと悲しくなる。ほんと、どうしてこんな事になっているんだろう。


「なんでそんなに怒るのよっ!! 試練の難易度は引き上げたけど、ちゃんと攻略できるって判定はもらってたし、あの鎌ももう使ってなかったでしょっ!!」

「別に難易度の引き上げは良いのです。少しばかりひどいとは思いますが規定違反ではないし、何より攻略は完遂されている。だが鎌については看過しかねる。あれは思い出の品です。金銭に代えられるものでもない。使わないからといって壊していい道理もない」


 え、そうなの? 思い出の品って事は、持ち出したのはともかく壊したのが拙かったのか。

 でも、壊すつもりなんてなかったもん。あんな高耐久値の武器を壊されるなんてさすがに想定外だったんだから。


 何回か喰らった《 シールド・ブレイク 》はいい。耐久値が削られていたがまだ問題ない範囲だった。ぶっちゃけあと十回くらい喰らってもなんとかなったし、最悪しまえば良かった。でも、最後のアレは理解できない。なんで食べるの。意味分かんない。どこのモンスターだ!


「家の物を勝手に持ち出してはいけませんって何度も言ったでしょう」

「聞いた事ないよっ!!」


 少なくともこの父親はそんな事言ってない。教育は母親任せで、自分は帰って来なかったでしょうに。

 というか、子供の情操教育に良い事はされた覚えがない。エロサイトに子供の写真を貼るなっ!!


「……まったく誰に似たのやら」


 大変に遺憾ながら、パパにすごく似てるって言われるよっ!


「ばーかばーかっ!! パパなんて死んじゃえっ!!」

「なんて口の聞き方を。これは育て方を間違えたのか……」


 そもそもあなたに育てられた覚えがない。私が小さい頃、ロクに家にいなかったじゃない。


――――Action Skill《 真紅の血杭 》――


「ひっ」


 それを使ったのは私じゃない。あの駄目オヤジだ。

 私のものとは比べ物にならない魔術強度。私の体より大きな質量を以って展開された数は目算で……多過ぎて数える気にもならない。どんな化け物だ。同じ魔術なのに、位階が違い過ぎる。


「うわああああっっ!!」


――――Action Skill《 黒翼翔 》――


 翼を展開して即座に逃げ出すと、ほぼ同時に轟音が鳴り響いた。振り返れば、私がさっきまで立っていた場所はクレーターが出来上がっている。あんな惨状を生み出しておいて、使った杭は一本だけだ。可愛い娘相手になんて物を飛ばしてくるのか。


「危ない、危ないってばっ!」

「いい機会ですから、どの程度鍛えてきたのか試してあげましょう」

「ひーーーっ!!」


 いらない御世話だっ!

 杭が飛んでくる。時間を置いて一本、また一本と。偶に二本飛んでくる。そのすべてが一撃必殺の威力だ。直撃なんか喰らったら爆散しかねない。掠っただけでHPをすべて吸収されてしまう可能性すらある。

 私は必死にそれを避けるが、避けられるギリギリのスピードで飛ばしているのが見え見えだ。だって、避ける度に段々速くなってる。

 ジリ貧というか、最初からどうしようもない。逃げ場はあっても、それは用意された逃げ道だ。

 そもそも、この隔離エリアからどうやって出ればいい? 何か、何かないか。この危機を脱出するための手段が。……なんでもいい……何か……。

 ……あったっ!!

 それは多分、絶体絶命の私に唯一残された起死回生の手段。観客席の隅に立つ人影が私の希望の光だ。あそこまで辿り着ければ、まだ活路はある! あの変態に悟られないように、なんとかあそこまで辿り着くんだっ!!


 元々の数が多くて消費した数も分からないが、一度に飛んでくる杭はどんどん増えていく。とうとう多方向から同時に五本の杭が飛んで来た。

 躱せ、躱せ、刺さるのは嫌だし、お尻ペンペンはもっと嫌だ。


「うあああっっ!!」


 ギリギリ、ほんとにギリギリの隙間を縫って杭を躱す。一本、二本、三本躱して、四本目なんて豪快に掠ってる。ドレスの生地が千切れて飛んでいった。そして、躱しようもない最後の一本。崩された体勢ではこれだけは躱せない。迎撃しないと終わりだ。


「でりゃあああっっ!!」


 この状況で私が放つのはキックだ。迎撃も目的だが、この反動を利用して、あそこまで飛べるっ!!

 これで私の勝ちだ。逃げさせてもらうよ、パパっ!!


 反動で弾丸のようなスピードを発生させて観客席まで翔ぶ。

 着地ではなくほとんど激突に近いが、全力で障壁を張り、ショックに耐える。衝撃でクレーターができたが、本人は無事だからいい。

 すぐさま立ち上がり、目当ての人影に向かって走る。


「ママっ助けてっ!! パパが虐めるのっ!!」


 何故か観客席にいたママに懇願する。

 パパはママに弱い。そして、ママは娘が嬲り殺しに遭うようなこの状況を見過ごす人じゃない。


「駄目よ」


 ……あれ?


「< レッド・ムーン >は、私たちが結婚する時にダンジョンマスターからもらった記念品なんだから」


 嘘、でしょ……。そんな話聞いた事ないんだけど。

 ……ちょっとなんで鞭構えてるのお母様? それ乗馬とかに使うやつよね? 娘に対して使うようなものじゃないと思うんですけど。そんな鬼の様な形相で……いや、吸血鬼なんだからそれはいいんだけど、せっかくの美人が台無しだよ。味方だと思って助けを求めたら敵だったって、それはあんまりでしょ。


「あの、お仕置きなら私が……」

「あなただと、親子なのに卑猥になるから駄目」


 いつの間にかパパが観客席まで辿り着いていた。前後を完全に挟まれてしまってはもう逃げられない。


「大丈夫、代わりにママが叩いてあげるから卑猥にはならないわよ。でも悪い事したんだから、ちゃんと反省できるようにしないとね」

「あんまり、い、痛いのはちょっと……勘弁して欲しいかなー」

「大丈夫、ちゃんと痛くするから」


 目が据わっている。話が通じない。

 ダメ元で後ろを振り返れば、パパすら哀れんだ目をしてる。助けてよ。


「ひーーーーっっ!!」


 万事休すだ。私の命運は尽きた。




-3-




 半日後、身も心もボロボロになった私は、モンスター街の公園で黄昏れていた。

 ジャングルジムの鉄棒につけたお尻が痛い。ジンジンする。……お尻なくなってないよね。……触ってみたら一応あるけど。

 まさかこの年になってお尻を叩かれるとは思っても見なかった。……あんなに叩かなくたっていいのに。なんで馬みたいに鞭でしばく必要があるの。パパもパパだが、ママだって高レベルなのだから手加減してもいいでしょうに。

 呪詛で回復も制限されてしまったし、しばらくはこの痛みと付き合っていかないといけない。素の状態だと、どれくらいで治るんだろう。……薬局でシップとか買ってきたほうがいいかな。


「お尻痛い……」


 しかし、あの鎌がまさか結婚の記念品だったなんて……。聞いた事もなかった。なんで武器……しかも鎌を記念品にするのよ。物騒過ぎるでしょ。

 あの二人仲良いから、そんな記念品壊してお尻ペンペンだけで許してもらえたのはマシだったのかも。娘じゃなかったら、存在ごと抹消されててもおかしくないかもしれない。

 ……やっぱり、あれは子供扱いなのだろうか。いくらモンスターとして独立してても、あの人たちにとって私は娘に違いないという事なのか。

 確かに私は十二歳だ。記録上はそれで間違いない。でも、中身は成人のそれと変わらないだろう。年齢は記録上の事だけで、それが関係してくるのは迷宮都市の法律だけだ。この体だって十二歳という年齢に合わせて調整しているだけ。ダンジョンで過ごす事の多い私の体感時間は、年齢のそれよりも遥かに多いのだ。

 ……なのにこの扱いである。

 渡辺綱。彼の事をお兄ちゃんなんて呼んでいるけれど、そういう意味では年下だ。


『そもそもギルド会館にもモンスターはいっぱいいるし。見かけがあんまり違うと無理だけど、そんなに違わないしな』


 ……変な人だよね。すごく変。彼は人間とモンスターとの境界線を一切感じていないように見える。

 長く冒険者をやっていれば、接し方が変わるのは別におかしくない。じゃないと、モンスターが街を闊歩する迷宮都市で生活なんてできない。

 実際、モンスターと人間はともかく、その他の亜人種とは境界線なんて些細なものなんだから、ベテランになれば慣れるものだ。

 だけど彼はこの街に来て数ヶ月の新人だ。迷宮都市内で生まれたわけでもない、外部の人間だ。外から来たばかりだと、職員相手にギルド内で暴れたりする人もいるのに。


『大丈夫、かつて死闘を繰り広げたブリーフタウロスさんとも、今度焼き肉食いに行く約束してるくらいだ』


 死闘を繰り広げたミノ……ブリーフタウロスと直後に焼肉屋に行くなんて、普通はないんだよお兄ちゃん。意味分かんない。というか、なんでタウロスが牛肉食べに行くのよ。むしろそっちのほうが意味分かんない。ゴブタロウか。




「あ、リーゼロッテさんちーす。奇遇っすねー、なーに黄昏れちゃってるの? アンニュイな気分?」


 公園で黄昏れていると、見覚えのないミノタウロスがやって来た。いや、ブリーフ履いてるからブリーフタウロスか。タウロス種は本当に違いが分からない。履いてるものくらいしか違わないのに、何故能力が違うのか。


「誰?」


 名前を知られてる事は不思議じゃないけど、こうして声をかけられるのは珍しい。

 一般のモンスターにとって、大概ユニークネームは怖いって印象らしいし。……サインも握手も受け付けてないよ。


「ブリーフタウロスでぇーっす。ユニークじゃないんで名前とかねーっす。うぃっ」


 この牛、酔っ払ってるのか。酒臭いんですけど。

 ……変質者? だったら今は能力制限されてるから逃げないと。飛べば逃げられるよね?


「風の噂で聞いたんだけど、リーゼロッテさん、悪鬼さんとやり合ったんだって?」


 悪鬼ってなんだろう。モンスターのカテゴリかな?

 闘技場に登録してる訳でもないし、モンスター同士で戦う事なんてないんだけど。それに、鬼種なんてマイナー種族は久しく会ってもいない。

 というか、酔っ払ってるにしろ、このブリーフ気安すぎやしないだろうか。一応私ユニークネームだから偉いんだぞ。名前もないような有象無象が話しかけるような相手じゃないんだから。


「悪鬼って誰よ」

「そりゃ渡辺綱の事だよ。< 暴虐の悪鬼 >」


 なんでお兄ちゃんの話になるんだろうか。……ひょっとして新人のはずなのにそんな二つ名まで付いてるのか。

 格好いいのか悪いのか分からない微妙な名前だ。鬼種でもないのになんでそんな名前になったのやら。……試練の最後で発動してた《 飢餓の暴獣 》とやらが関係してるのかな。

 ぶっちゃけ、私の< 鮮血姫 >のほうが格好いいと思う。なんせ姫だからね。姫。プリンセス。


「それならそうだけど、知り合い? ……まさか、焼き肉行った牛ってあなた?」

「ピンポーン。俺様でぇーす」


 このゴブタロウもどきめ。牛の癖に牛を食うな。


「いやー、最近悪鬼さんの評判が上がってきたついでに俺の評価まで上がっちゃってさー。トライアルで負けた時は、タウロス仲間から『プ、新人に負けてやんの。ダッセえ』とか馬鹿にされてたんだけど、掌返し来たね。来たね、俺の時代。奴等絶対来ると思ってたよ。マジで。戦った時ビビっと来たもん。俺そういう勘は鋭いんだよね。ほんとTV出てて良かったわ。アレで俺様先見の明があるって言われるようになったし。つーか噂の新人戦の動画とかも超見てえ」


 ウザい牛だ。放っといたらいつまでも喋り続けるんじゃないだろうか。


「で、用件は?」

「そりゃ、同じ相手と戦った同士、どんな感じだったのか聞きたくてさ。俺悪鬼さんのファンだし」


 ファンって……モンスターは冒険者のファン倶楽部にも入れないのに。


「で、どうだったよ。戦ってみて」

「どうって……」


 モンスター同士だと、阻害がかかって大した情報共有ができない。それで何を話せというのか。


「やり辛かったんじゃねえ?」

「…………」


 そういう感想なのか。……確かにやり辛いのかもしれない。この牛が言ってるのは、戦闘力の事じゃないだろう。

 彼の戦闘力は下級では飛び抜けているが、中級と比べたらそこまででもない。中級ランクに能力を合わせていったのだから、その評価は間違いない。仲間の七人もそうだ。むしろ、驚異的なのはあの成長スピード。


「やり合ってる内に強くなる。そういう奴はたくさんいるけど、アレはまともじゃない」

「そうね」


 負けたのだから、それは認めよう。

 正直、《 鮮血姫 》を発動せざるを得ない状況になるまでは勝つ気満々だった。発動したあとは、時間切れまで一人くらい残してあげてもいいかななんて思ったけど、少なくともお兄ちゃんは仕留めるつもりだった。それがまさか、あの土壇場で《 鮮血姫 》の回復スピードを上回って、トドメまで刺されるとは思わなかった。

 ……大人しくやられておけばお尻叩かれずに済んだのかな。そしたら鎌壊れなかっただろうし。


「でも、俺が思うに、それも多分悪鬼さんの本質じゃないね。俺様の牛的な勘がそう言ってる。もー、モーモー言っちゃう感じ」

「本質?」


 お兄ちゃんの本質ってなんだろうか。……心当たりはあるけど、まさかこの牛もアレを感じたのだろうか。なんか態度が態度だから、適当な事言ってるように聞こえるんだけど。あと、ダジャレとかいらないから。牛的な勘って何よ。


「悪鬼さんには妙な引力を感じるんだよね。ブラックホールにでも吸い込まれるような、奇妙な吸引力」


 ああ、多分適当じゃない。この牛はちゃんと見ているみたい。

 ……お兄ちゃんに運命を感じたのは間違いじゃない。あの戦いの最中、更にそれを強く感じた。それと同じものの事を言っているのだ。ブラックホール云々はたとえとしてどうかと思うけど。


「牛さんはブラックホールに吸い込まれた事があるの?」

「たとえだよ。そんな上級連中の話をしてるわけじゃないって。スリングショットタウロスさんたちだったら、マイクロブラックホールの攻撃喰らった事あるかもだけど」


 なんだスリングショットタウロスって。深層担当か、新種か? またパンツなの?


「……私も、あなたと同じものは感じた」


 そして多分、お兄ちゃんの仲間もそれは感じてる。中心点に近いほど影響を受けているのだろう。

 実際のところアレだけ煽ってはみたが、他の七人にはそんなに期待していなかったのが事実だ。一人ばかり予想の斜め上を行き過ぎて盛大に突き抜けていったのがいたけど、それ以外はそこまで飛び抜けた才能はなかった……そう思っていた。


「お兄ちゃんの仲間もそんな感じだった」

「何? 確かに兎さんも強いよね。ちょー速いし。俺の斧掠りもしないの。空中で方向転換した時はビビったね」


 兎さん……。

 この牛の言う通り、最終戦には良くてお兄ちゃん、ちょっと欲をかいて新人戦で組んだという二人が来ればいいなと思ってた。あのド変態はともかく、兎っぽいあの子ならありえるかもしれないとは思ってた。最後は瀕死だったけど、トドメ刺すなら最後にして上げようと思ったのも確かだ。……問題は他の五人だ。

 他はクリアできて第一関門。下手をすれば、手前の門番ですら越えられずに落ちる人がいてもおかしくないと思っていた。なのに結果はアレだ。ちょっと信じられない。


「つーか、お兄ちゃんって何よ。鬼いちゃんって事か? 悪鬼さんの新しい二つ名?」

「違う。……いいでしょ、別になんて呼ぼうと」


 意味分かってないみたいだけど、ちょっと恥ずかしい。

 でも、お兄ちゃんって呼び方はいいのだ。嫌じゃない。兄姉って存在には憧れがあったから。私に本当の兄弟姉妹はいないけど、二世の中で最も年上の私は常に年長者扱いだったのだから。……だったというか、今もそうだけど。


「やっぱアレ? 兎さん以外も強いの?」

「あなたが戦ったのって二人だけなの?」

「そうだよ。結構前の事だけどね」


 結構前って事はほとんど冒険者成り立ての新人って事だ。それでブリーフタウロス倒しちゃうのか。すごいな。


「今回戦ったのは八人だから、その二人以外には他に六人。一人はとんでもなかったけど、他は割と普通」


 そう、普通"だった"。最初の顔合わせでは普通だったのがあの試練で急変した。

 特に予想を大きく上回ってきたのがあの金髪さんだ。……フィロスとか呼ばれてたっけ? 試練開始前にもらったデータでの彼の評価はあの八人の中でも最低ランクだった。彼のクラスは< 魔装剣士 >だから、《 ドール・マリオネット 》対策として用意した急造品だと思い込んでいたのも大きい。

 でも、蓋を開けてみれば、予想を大きく裏切って最後まで残った。仕留め切れなかった。……予想外もいいところだ。大穴過ぎる。

 それに及ばないまでも、あの狼さんや、忍者っぽい< 斥候 >も急成長してきた。合流が遅れたとはいえ、本来複数人で攻略するはずの試練のほとんどを、あの二人は単独突破してのけているのだ。特に、深層心理に働きかける第四関門を、あんな短時間で突破するなんて想像もしていなかった。


『……あんな演出までされて、俺たちが黙ってるわけねーだろーがよ』


 あの狼さんが言った言葉が脳に焼き付いている。あんな煽り一つで、あそこまでの成長を見せたというのだろうか。

 確かに乗り越えられればいいな的な希望を込めた演出だ。……でも、ありえない。冒険者はそんな簡単に成長できるものではない。普通の成長幅は大きく見積もっても、あの大きい< 槌戦士 >の人や回復役だった大きな盾の子くらいだ。


「いいね、いいね。そんな"普通"にも負けちゃうんだろ。悪鬼さんの影響力だろうね。すぐに強くなる新人ってのはいい。またやり合いたいもんだね」

「他の新人狙ってランク下げるつもりなの?」

「いや無理、俺今度ブーメランになるからさ。一時的にも腰ミノ着ける資格なくなっちゃった」


 ブーメランってなんだろう。背中に背負ってる巨大な武器ってブーメランよね? 投げるやつ。


「ああこれ? ブーメランタウロスがブーメラン使ってきたら面白いでしょ。勢いでつい買っちゃった」

「ブーメランタウロスのブーメランってその背中の武器の事なの?」

「パンツだよ」


 やっぱりパンツなのか。ほんと、タウロスの位階はわけが分からない。


「このままグイグイ行くと俺もユニークネーム持ちになっちゃったりするのかなー? 二つ名は悪鬼さんと合わせて< 牛鬼 >とかどう? やっべ、ちょーカッコイー。俺の時代来ちゃうよ、これ」


 < 牛鬼 >ってミノタウロスの昔の種族名じゃなかったっけ? 駄目な事はないんだろうけど、この牛はそれでいいんだろうか。


「まー、だから俺はこれから新人とは縁がなさそうだね。リーゼロッテさんはまだ中級に留まるの? 能力制限なければ上級いけるんでしょ」

「私は……」


 ユニークネームだから、私がどれくらいの能力かは知ってるのか。確かに上級には行けるけど……私は今後も上級担当に行く事はないと思う。もう中級モンスターとしてお兄ちゃんとの縁が結ばれる事もないだろう。彼は……彼らはもう私を踏み台にして先に行った。また敵として出しゃばるのも何か違う。格好悪いし。

 今後は……そう、お兄ちゃんの後輩でも鍛えるのがいいかもしれない。それがモンスターとしての正しい道で、在るべき姿だろう。

 でも、本当にそれでいいのかと私の中の何かが騒ぎ立てているのも感じる。


「あ、そういえばリーゼロッテさんも焼き肉食う? 悪鬼さんたちと行った焼肉屋の割引券あるけど。今ちょうど牛タンフェアやっててさ……」


 とりあえず、この酔っぱらいはどっか行ってくれないだろうか。




-4-




 こっそりお兄ちゃんに会いに来てみた。

 一緒に食事に行こうというメールはもらっていたけど、返事はしていないから今日来る事は知らないはずだ。

 冒険者の性質にもよるけど、血みどろの死闘を繰り広げたあとって嫌われる事も多いから心配だ。……あの牛の話聞いてると、お兄ちゃんは大丈夫っぽいけど。

 会館に聞いてみたら、どうも近日中に引越しをするらしい事が分かった。そういえばあの試練は中級昇格試験でもあったが、新人には違いない。まだ寮に住んでるのか。確か、数ヶ月で出るんだよね。


 寮は会館の隣にあるが、これまでこの建物に入る事なんてなかったから、ちょっと緊張する。

 お兄ちゃんの部屋はどうも寮の入口近くらしい。いるかどうか分からなかったので、ダメ元で寮まで行ってみたら、入口で引越し業者らしき服を着た体格のいい人と話しているのが見えた。行き違いにならなかったのはいいが、引越しの事前準備とかあるんだろうか。出直したほうがいいかな。


「まさか、普通に喋れるとは思わなかったよ」

「いやー、他の二匹は喋れませんからね。パーティでは基本的に私が通訳やってます。実は日本語検定の級も持ってるんですよ」


 随分大きな人だと思ったが、話しているのはパンダだった。作業服を着ているから熊獣人に見えたけど、パンダそのものっぽい。でも普通に喋ってる。……なんだこれ。


「じゃあ、家具屋の分も含めて、荷物は明日の午後一で届けますんで」

「よろしくな」


 パンダは帽子を被ってどこかへ去って行く。その見た目はともかく、服装や立ち振舞いはちゃんとした引越し業者さんだ。謎の光景に唖然としていると、お兄ちゃんがこちらに気付いた。


「お、ロッテさんじゃないですか。お尻大丈夫?」


 最悪の挨拶だった。なんで知ってるんだろう。




 そのつもりはなかったのだけど、近くで夕食を取る事になった。……何故か焼き肉屋だったが、あの牛から割引券をもらったらしい。私も持っているんだけど、重複しては使えないから無駄だった。


「牛タンフェアが今日までだからさ、どっちにしても来る気ではいたんだよな。今日は奢るよ。いくらでも舌食っていいぞ」


 確かにタン限定だがすごく安い。奢りだから会計は気にしなくてもいいんだろうけど、ここはせっかくだからタンメインでいこう。

 専用のメニューを開くと、どんな牛の舌を使っているのか、写真とコメント付きで紹介されていた。一体、これはどういう趣向なのか。


『ええ、私は舌専門なんですがね。肉はともかく、舌の美味さだけは負けませんよ。やっぱり一つ自信のある部位があるっていうのはいいですよね。最近の若い牛は全体的なバランス派が多くて……』


 何故か舌を提供した牛のコメントが名前付きで載っている。クリックすると音声も再生されるらしい。

 食欲の無くなるコメントだ。何を考えてこんなものを用意しているのか……。


「まあ、コメントは読まないほうがいいな。前回来た時、俺もげんなりした」

「う、うん……」


 せっかくだから食べる事と話す事に集中しよう。


「なんか引っ越すとか……」

「ああ、ロッテが色々やらかしたから、その分上乗せしてもらってクランハウスもらった」

「う……」


 蘇るお尻ペンペン……もとい、お尻バシンバシンの痛み。というか、今日の事だからまだ痛いんだけど。

 クランハウスとやらがどれほどのボーナスかは知らないけど、パーティが使う拠点って事だろう。下級がもらうボーナスとしてはいいものなんじゃないだろうか。それで寮を出るというわけか。


「あのパンダさんは?」

「知り合いが飼ってたペットが最近デビューしんだけど、そのチームメイト。さっきのパンダはアレクサンダーっていって、かけ持ちで引越し屋のバイトしてるんだってさ」


 パンダが冒険者なのか……って、なんだそれ。聞いた事ないんだけど。無駄に格好いい名前だし。


「あ、あのパンダさん、獣人じゃないよね?」

「普通に喋ってたけど純パンダだな。パンダ100%だ」


 迷宮都市で何が起きているんだろうか。……そして、なんでお兄ちゃんは平然とそれを受け入れているのか。


「パンダが冒険者になるくらいだから、お前もなっちまえば? ヴェルナーから条件は満たしてるって聞いたぞ」

「それはそうだけど……」

「お前が冒険者になったらすぐに活躍できるんじゃないか。もう新人とかそういうレベルじゃないだろ?」

「いやいや、モンスターやめるとものすごく弱体化するから。……種族変更のリハビリもあるし、変更後の戦闘力はルーキーと変わらないと思う」


 お兄ちゃんは何か勘違いしているが、モンスターを止めた場合、得た力のほとんどは失われる。どう頑張っても試練の時のような戦闘はできない。

 ステータスの値が極端に下がるからスキルも大幅に制限を受けるし、まずその落差に慣れないと戦闘もこなせない。それくらい、種族変更に伴う変化は大きい。多分、トライアルを攻略するのも一苦労だろう。


「そういやヴェルナーの講習でそんな事言ってたな。でも、今のスキルが全部なくなるってわけでもないんだろ?」

「一時的に封印されて、条件が揃えば開放されるって感じだから、一から始めるよりは強くなるのは早いと思う。どれくらい変わるのかの詳細は調べなくちゃ分からないけど、パ……父はそんな感じだったって聞いた事がある」


 パパが全然家に帰って来なかった時期の事だ。あの当時は無茶して無限回廊の攻略を進めていた。会う度に憔悴していたのを覚えてる。


「召喚とかも?」

「召喚魔術は制限を受けないほうではあるけど……お兄ちゃんが想像しているのはどの道無理。真紅の玉座の時は色々ブーストされた結果だから」

「あ、そうなのか」


 あのフロア自体にも、玉座にも、ボスとしての役割からもブーストを受けた結果がアレなのだ。

 ボスでないただのモンスターとしては、あの数分の一程度の強さしかない。もしモンスターをやめたらそれどころですらなくなる。


「だから、前も言ったように、モンスターやめるっていうのはそう簡単な事じゃ……」


 少なくとも、やれそうだからなるって軽い選択肢ではない。それに私は今の役目が……。


「選択肢の一つとしては考えてるっぽいな」

「……そうなのかも。あんまり自覚なかったけど」


 私は冒険者になりたいのかな。ひょっとして、こうしてお兄ちゃんに会いに来たのも、それを確かめるためだったりするんだろうか。


「今回の試練だけじゃなく、結構エグい演出で冒険者鍛えてるらしいけど、それお前本人がやる必要あるの?」

「それは……私の生きる意味だから」


 父が放棄した役目を代わりにやる事に私の存在意義がある。これまでそうやって生きて来た。


「冒険者鍛えるのもいいけど、自分で攻略を進めたいとは思わないのか? 攻略を禁止されてるわけでもないんだろ?」

「モンスターとしての役割は一〇〇層までだよ。それ以降は行けない」


 上級までならともかく、その先に進む権利は持っていない。そもそもそれは敵としての役割で、攻略とはいわない。

 そして、モンスターである限りこれから先もその権利を手に入れる事はない。一〇〇層より先に私たちの出番はないのだから。

 ……そこは私たちの世界じゃない。


「だったら、最初に言ったように冒険者になればいい。そのためのシステムなんだろ? 一時的に弱くなろうが、先に進めるっていうならそれが正解だ」

「簡単に言うけど……」


 そんな簡単な事じゃないんだよ。

 確かに私が冒険者になっても、パパたちのような制限は課せられていない。でも、モンスターとしての力を失うのはそれほどまでにハンデなのだ。先に進める保証なんてない。


「目的はなんでもいい。無限回廊の先に行きたい、何か願いを叶えたい、ダンマスの力になりたいっていうのでもいいさ。だからお前はあんな茶番めいた死の試練を演出するし、冒険者を鍛えてきたわけだろ」

「茶番って……」

「茶番なんだよ。どんな苦しかろうが、痛かろうが、……本当の敵はもっと先にいるんだ。あれは訓練の延長線上だっていうのが俺の見解で、俺たちの答えだ」


 それはそうだ。広義の意味では無限回廊の先に挑むための訓練には違いない。……でも、そう捉えられるのは強さだ。

 一体何人の冒険者が、あれを糧とできるのか。糧にできたとして、そう割り切れるか。


「あの時も言ったが、お前は魔王じゃない。その役でもない。こっち側の存在だ。ほとんどのモンスターだって似たようなもんだろ」


 それは、ある種確信めいた、そうして当たり前のような言い方だった。


「こちら側っていうのは……冒険者って事?」

「無限回廊の先へ向かう者って意味だよ。でも、その道の先が行き止まりだっていうなら、用意された手段で先に進むべきだ。……違うか?」


 違……わないのかもしれない。


「でも、私はそんな風に割り切れない。そんな風にできてない」

「できてないって思い込んでるだけだろ」


 なんでそんな風に言い切れるのか。モンスターの事なんて大して知りもしないのに。


「なんか随分自信あるみたいだけど」

「実例を知ってるからな。お前の親父がやってるのにお前ができない道理はない」

「…………」


 どうしようもなく正論だった。ずっと目の前で実演して来た人がいるのに、できないなんて言えない。


「この際だからはっきり言ってやるよ。お前は悩んですらいない。もうとっくの昔に答えは出てて、ただ立ち止まってるだけだ」

「そんな事……」


 ない……と思う。

 ……本当にそう? 実はお兄ちゃんの言ってる事が正しいと感じてたりしない?


「別に立ち止まって考える事が悪いとは言わないが、さっさと行動した方がいいんじゃねえ? 悩んでるフリしたって答えは変わらない。誰と何を話そうが、もう出てる答えが変わる事なんてないんだ」

「そうなの……かな」

「そうだよ。私はこんなに悩んでますってアピールしてるんだ。……昔、俺がそんな感じだった。でも、自分以上に超越した不幸や悩みを抱えてる人がいると急にバカらしくなるんだよな」


 体験談なのか……。確かにもう決めているのかもしれない。ただ後押しが欲しいだけ。……だからここに来たのか。


「私、そんなにどうしようもない感じに見える?」

「見える」


 はっきり言うね。……似た者同士って事なのかな。


「まあ、勢いでそんな事を言ってみたわけだが、自分が思うようにすればいいさ。……結局のところ、決めるのも行動するのも自分だ」

「そこで放り投げちゃうの?」


 そこは黙って俺について来いとか言えば、モテるかもしれないのに。


「だって責任取れねーし。……それに、フリだろうが悩む事に意味がない事はないさ。それに意味がないなんて言えるほど人生経験積んでない。俺は決めたらさっさと行動するタイプだからな。『迷わず行けよ、行けば分かるさ』って偉い人も言ってるし」


 そんな言葉、聞いた事ないんだけど、誰が言ったんだろうか。


「つまり、年長者の軽いアドバイスってやつだ。俺、お兄ちゃんだし」


 我が道をひたすら前進していくよね。私は二世の中で年長者だったけど、下の子たちにそんなアドバイスはできなかった。同じように悩んでる子たちもいるんだろうか。


「でも、人生の体感時間は私のほうが長いんじゃないかな」

「そんな事ねーよ。前世持ち舐めんな。中身は多分そろそろ四十歳くらいだぞ。……ヤッベちょっとへこんで来た。俺もう中年じゃねーか」

「自分で言ってて落ち込むの?」


 ……まあ、体感時間でも、四十年はさすがに生きてないか。なら確かにお兄ちゃんだ。


「じゃあ、お兄ちゃんじゃなくて、ツナおじさんだね」

「やめて! ……男は中年でも少年なんだよ。中身が何歳だろうと関係ねー。だから、お兄ちゃんでお願いします」

「はは」


 そうだね。この呼び方はなんだかしっくり来る。

 少しだけ気が晴れた気がした。それは、自分でも気づいていなかった心の靄で、多分自分以外の人にはあきらかなものだったのだろう。


「クラン探すならウチが大募集中だぞ。まだクランでもないし、デビュー前の新人に言う事でもないけど」

「でも、あのマゾがいるんだよね」

「それは今後も付いて回るデメリットだな……マジでどうしよう」




 ちなみに、あの牛の思い通りになるのは嫌だったけど、牛タンは美味しかった。




-5-




 その夜、ギルド会館の父を訪問した。

 ギルド会館は二十四時間開いているが、夜の人影は少ない。職員の待機室にいたのも父一人だった。


「珍しいですね。ロッテがここに来るのは」

「そんな事ないと思うけど」


 ギルド会館には結構来てる。パパには会わないようにしているだけで。


「今日はどうしました? もう遅いですが、夕飯まだなら一緒に食べに行きましょうか」

「夕飯は食べたからいい。……今日は、モンスター止めて冒険者になる場合の資料が欲しくて」

「ほう。……とうとう、冒険者を虐めるのはやめるんですか?」


 超心外である。別に好き好んでやってるわけでもないのに。


「パパがやるはずだった仕事を代わりにやってるだけだもん。強い冒険者が増えればダンジョンマスターが喜ぶんでしょ?」


 父が昔やっていてできなくなった事を、娘の私が代わりにやっているのだ。


「それはそうですが、それをやるのは別にあなたでなくても良いでしょう。常々そう思ってはいました。それに、あなたは二世なんですから、ダンジョンマスターに大した思い入れなんてないでしょうに」

「それはそうだけど」


 確かにパパたちみたいな狂信めいた思い入れはない。私にとって、あの人は気のいいお爺ちゃんだ。

 でも、やって来た事に後悔はない。やれって言われたわけじゃないけど、父がやり残した事を娘の私がやるのはおかしくないでしょ。


「それで冒険者になると? ……引退して別の仕事がしたいとかじゃないですよね」

「まだはっきりと決めたわけじゃ……」


『お前は悩んですらいない。もうとっくの昔に答えは出てて、ただ立ち止まってるだけだ』


 つい数時間前に言われたお兄ちゃんの台詞が蘇る。


「……ううん、多分冒険者になる、……ちょっと時間は欲しいけど」

「そうですか。じゃあ関連書類は一通り用意しておきましょう。相当能力は落ちますし、大変ですよ」


 専用の資料がまとめられているらしい。私が知らなかっただけで、最近はモンスターから冒険者になる者も増えて来てるようだ。

 ……増えてるっていっても、年間ゼロが数例になった程度らしいけど。


「やっぱりパパとしては、冒険者になって欲しいの?」

「正直なところ、昔ならともかく、今はそこまでではありません。ただ、私やダンジョンマスターは関係なしに無限回廊の先に向かって欲しいという思いはあります。私たちと違い、あなたは禁止されている訳でもないですしね」

「やっぱりパパも再挑戦するつもりなの?」

「私たちは直接禁止令を受けてしまったからこうして燻ってるわけですが、先に進む気持ちに変わりはありません。でも……それもじきに終わりです」


 詳細な状況は知らないが、無限回廊の攻略が加速していると聞いている。第一〇〇層が攻略されるのも時間の問題だろう。そうか……また始まるのか。


「私が冒険者になったからって、最前線まで行けるかどうかなんて分からないけどね」

「それは当然ですね。ただ、モンスターの子供世代では一番あなたが大きいですし、あとにも続き易くなるでしょう」


 そうか……これも後続を育てるための一つの方法ではあるのか。冒険者じゃなく、二世モンスターだけど。


「迷宮都市は今確かに動いている。停滞していた流れを現在のトップがこじ開け、あとに続く者たちがいる。その激動に身を任せるのも悪くないでしょう。ツナさんたちに合流するのもいいかもしれませんね。ロッテは情報制限のせいで詳細は知らないでしょうが、あの人たちは、間違いなくその力の一つです。その中心点なら強く影響を受ける事でしょう」


 詳細は知らなくても、それは感じてる。


「お兄ちゃんのクランに入れって事? ……でも、あの変態もいるんだけど」


 瞼を閉じる浮かんでくるあの壮絶な光景。光って回転しながら飛んでくる男の姿はさすがにインパクトが強い。

 何が『ありがとうございます』よ。馬鹿じゃないの。……馬鹿なのかな。


「サージェスさんだって、ただの変態ではありません」

「ド級の変態よね」

「いえ、そういう意味ではなく。……彼の前世は救国の英雄らしいのです」

「えぇ……」


 あんなのに救われる国があるのか。……国民総じて変態とか、そういう特殊な国なのかな。救国の英雄という事は『我々には服を脱ぐ権利があるっ!!』とか声高々に叫んだりして……。国民全員が全裸とか、あまり想像したくない。


「彼自身が意識してかどうかは分かりませんが、行動の端々に何かしら影響が見られる。英雄性が隠し切れていない。前世持ちは、どう足掻いても前世に引き摺られる傾向にありますが、彼も例外ではないのでしょう」

「…………」


 心当たりはある。《 死の追想 》だって、それを利用しているようなモノだし。でもあんまり認めたくないな。


「お兄ちゃんのとこに入るかどうかも含めて、ちょっと色々考えてみる」

「トライアルはともかく、講習は日取りが決まってるので、タイミングは考えたほうがいいですよ」


 え、種族変更もリハビリもあるから、そんなに急ぐつもりはないんだけど……。

 ……まあいいか。引き継ぎもあるし、どうせならちょっと本気で考えてみよう。



「そういえば、ずっと聞きたかったんだけど」

「なんですか、この際だから腹を割って話し合いましょう」

「なんでエロブログに私の写真載せるのよ。しかも隠し撮り」


 一体どこで撮ったんだ、というような写真まで掲載されている。距離、角度から見て物理的におかしいのも時々ある。

 どうやって撮ってるのかも気になるけど、そもそもなんで載せてるのかが最大の疑問だ。あんなエロしかないブログに載せる理由なんてないはずだ。


「ふむ……」


 父は暫し悩んだあと、一度深い溜息をつき、口を開いた。


「ノーコメントで」

「腹割ってないじゃないっ!!」


 なんだこの父親。


「しょうがないですね。……理由の一つとしては、以前一度ネタで載せたら好評だったからですかね。あとは……娼館の子たちに評判がいいんですよ」


 すごく適当な理由だった。じゃあ、私は娼婦さんたちみんなに覚えられてしまっていると。


「裏販売のマスコットキャラクターとして、ぬいぐるみやキーホルダーも出てますよ。娼館の女の子たちに人気です。冒険者になったあとの正式なロイヤリティは……」

「ちょ、ちょっと、やめてよっ!!」


 なんで本人の意思を無視してグッズ化してるの!! やっぱり最悪なんですけど、この父親!!




 冒険者登録No.45113

 冒険者登録名:アレクサンダー

 性別:男性

 年齢:11歳

 冒険者ランク:G

 ベースLv:7

 クラス:< 引越屋:Lv1 >

 二つ名:なし

 保有ギフト:《 パンダ・コミュニケーション 》

 保有スキル:《 熊爪 》《 パンダ・パンチ 》《 パンダ・ガード 》《 騎乗 》《 荷物重量軽減 》



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