転章
第1話「クランマネージャー」
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迷宮都市の花形職業である冒険者。登録者だけ見れば数万、いや数十万ともいわれる職業だが、実際にデビューした数はその登録者数に比べかなり少ない。
登録だけなら誰でもできるし、それこそ子供でも可能だ。しかし、これがデビューに漕ぎ着ける数となると途端に数が減る。大体半分以上が強烈なふるいにかけられ、挫折するのだ。"記念受験"なんて甘い考えで登録して、ミンチにされたりしたら普通は嫌になるだろう。
冒険者は過酷な職業である事は間違いない。死なない……いや、死んでも生き返るといえば一見聞こえはいい。しかし、蘇るのが分かっていたとしても、死んで当たり前の職場で働き続ける事がどれだけ困難かは、少し考えただけでも想像に易いだろう。
痛い。苦しい。辛い。怖い。そんな苦痛はそのままなのだ。"記念受験"組はそれを識ってはいても理解していない。
そして、そんな苦難を乗り越えてデビューしても、その先に待っているのは更なるふるい分けだ。ある意味、最初で足切りされていたほうがマシだったと思うような厳しい世界が待っているのだ。
下級冒険者の所得は低い。あまり稼げない職業である事は有名であるし、中級になれば安定するし、上級にいるような人たちの年収は桁がおかしな事になっているが、そんなのはほんの一握りである。特に外から来た、トライアルダンジョンを攻略できないようなデビュー前の冒険者は論外だ。生活も儘ならない。でも、外から来た人はこれでもいい待遇に見えるらしい。
専業の冒険者としてやっていけるようになると言われるラインは中級ランク、アルファベットでいうとDよりも上だ。ここまで来てようやく一人前の冒険者と呼べるだろう。だから、冒険者が冒険者で在り続けめためには、まずこのラインを越える事が目標になる。
デビューしても下級ランク、下から数えてG、F、Eまでの冒険者はやはり別に仕事を持っている事が多い。これも冒険者を辞める原因の一つだ。
その別の仕事でそれなりに稼げてしまうから余計に攻略から離れる。ダンジョン攻略できない六日間の縛りも厄介で、考える時間があるから現実を見つめてしまう。痛い思いをして帰還し、別の仕事をして平穏に暮らす。その生活に慣れて再び痛い思いをする日が迫ると萎縮する。
あるいは、この制限はそういった人を除外するためのシステムなのかも知れないと考えた事もある。ギルド職員に聞いても、回答は濁されたが。
外からの移住者は基本的に冒険者になるしか道がないが、迷宮都市で生まれた者は違う。他の職業への逃げ場がある。妥協してしまう。だから貪欲さが足りない。それは、冒険者学校に通う生徒に課せられた最大の問題とも言われているらしい。
私の場合、その問題"は"クリアできた。幼い頃に憧れた夢は、冒険者学校を卒業しても色褪せない。どんな苦痛だろうが耐えて頑張っていけると思った。問題はもっと別の、根本的なものだった。
……私に立ちはだかった壁は冒険者としての才能だ。
冒険者に求められるもの。一番目立つのは戦闘能力だが、戦闘補助、索敵、治療、あるいは鑑定や道具作成でもいい。冒険者学校では定期的にこの適性判定を行い、どんな方面の才能があるかを見極められる。実際にクラスを得るのはトライアル攻略後だが、持っている才能によって戦い方、訓練の仕方も変わってくる。クラス適性、スキル適性という形で明確に現れる才能は実に明確で残酷だ。迷宮都市外部の冒険者はこういった事ができないので、学生は多少有利と言われているらしい。
私には才能がなかった。そりゃあもう見事なまでになかった。冒険者に必要なあらゆる適性がない。あってもほんのわずかで、役に立たないものばかりだ。諦められずに適性が生まれる事を信じて三年間学生を続けたが、結局それが変わる事はなかった。冒険者学校では異例とまで言われる、冒険者適性ゼロの卒業生として有名になってしまったくらいだ。
学生時代、三年かけてトライアルはなんとか攻略した。だが、そこが限界だった。同期のメンバーは一緒にパーティ組んで頑張ろうと言ってくれたが、それ以前の問題だ。デビュー直後、ソロ攻略が必須とされる無限回廊第十層までがどうしても越えられない。十層から現れるパンダに歯が立たない。ボスパンダなんてもっとダメだ。逃げて辿りついてもそこが限界だった。……パンダなんて嫌いだ。あの間抜け面が憎い。
『第十層までが冒険者個人に最低限要求される資質のテストだ。ここを越えられないようだと、先には進めない』
ギルド職員からはそう言われた。それは、冒険者としてやっていく最低限の才能がないと言われているのも同然だ。諦めろとは言われない。止める必要も登録抹消する必要すらない。ただ絶望的なまでの壁が高く聳え立っているだけ。そして無理矢理その壁を越えたところで、一人前になるためには更に高い壁が聳え立っている。特に、個別で試験が用意される中級ランクへの昇格は難しいだろう。
同期はどんどん先に行く。普通の資質があれば問題なく進めるスピードでさえ、私には早過ぎる。みんなだって決して特別な素質があったわけじゃない。でも、一歩だろうが、二歩だろうが、とにかく前には進んでいる。私だけが、その場に取り残されていた。
もう諦めるべきだ。だけど諦められない。苦しいのは平気だ。痛いのも大丈夫。ただどうしようもなく才能だけがない。
推薦をもらえた幸運もあり、適性を活かし副業としてギルド事務員を始めると、他の冒険者の情報を見て更に実感してしまう。あとから来た人たちもあっという間に私を追い抜いて行く。いつか見た夢は果てしなく遠く、私は一歩も進めない。
諦め切れずに挑み続け、週一でパンダに殺され続けながら一年が過ぎた頃、例の新人たちの噂を聞いた。
わずか登録一日でトライアルダンジョンを攻略した者が現れた。前人未到、未知の隠しステージまで突破して。
新人戦の相手がトップランカーであるにも関わらず大健闘した。
これまでの記録を大幅に塗り替え、中級への昇格を果たした。
ここまででたった三ヶ月。私にとって彼らはまさしく超新星だった。あまりに格が違う。才能が違う。
新人戦は最前列で見た。すでにギルド職員としても働いていた私は、優先的にチケットを買う事ができたからだ。
私が彼らに何か特別な感情を持っている事は確かだが、それが期待なのか嫌悪なのか嫉妬なのか、判断のつかない状態で試合開始の時を待つ。
正直な話、話題性に反して試合開始前の盛り上がりはさほどではなかった。噂になっていた彼らは注目株ではあったが、如何せん相手が悪過ぎる。
勝てるはずがない。その事をみんな分かっている。闘技場の賭けルールだって、勝敗じゃなく決着までの時間に変更された。
彼らを中傷する者などいない。トライアルの動画を見た者であれば、あの壮絶さを見てしまえば、冒険者としては何も言えないからだ。せいぜい、ダンジョン攻略とは関係のないプライベートで笑われるくらいだろう。むしろ批判は相手側に集中している。
彼らを良く知る者は、より長く戦闘が続く事に期待する。相手の事も良く知っているので、それを踏まえて現実的にどこまで耐えられるかを予想する。
職員として予想するなら一分未満。実際、三十秒から一分で決着が一番人気だ。二分から三分に賭ける人がわずかにでも存在するのは期待の現れなのだろう。……それ以上になると、とてつもない大穴になる。
だが、倍率がおかしい。何故か、新人たちの勝ちに賭けている人がいた。
奮起のために自分たちで賭けるのはありえるだろう。それは自分たちが諦めていないという意思表示でルールでも認めている。他の新人でも良くやる事だ。一年前は私もやった。しかし、オッズの配当から想像できる賭け金は大穴狙い、酔狂で賭けるにしてはあまりに高額だ。
相手はまさしく超人だ。勝つなんてありえない。一般に公開されている動画だけでもその怪物性は分かる。迷宮都市に住む者にとって彼女はあまりに有名で、知らない事はありえない。だけど、それを知っていて尚、"万が一でも"勝つ可能性を信じている人がいるというのだろうか。
そんな事を考えていたら、彼ら新人たちの勝ちに賭けた投票券が視界の隅に入った。盗み見は良くないと思うが、本当にただの偶然だ。横にいた兎人族の手に握られたその投票券が彼らの勝ちに賭けたものだった。
良く見ればその人は< 獣耳大行進 >のクランマスターだ。一般的にはそれほど有名人ではないが、ギルド職員なら中堅クランの情報くらい把握している。
『あの……まさか新人に賭けたんですか?』
『ん? ああ、ギルド職員さんか。あまり人の投票券を覗き見るのは良くないピョン』
< 獣耳大行進 >の人はみんなこんな感じで変な語尾を付けるが、これまで何度も接しているので慣れたものだ。……変だとは思う。厳つい容姿とのギャップがひど過ぎる。
『すいません、偶然目に入ってしまって……』
『ウチのがあの新人相手に負けたっていうから、期待を込めて買ってみたピョン』
そういえば、その隣にいる猫耳さんはトライアルの隠しステージで彼らが戦った猫獣人だ。何故、クランマスターとサブマスターに両腕を抱えられてるのだろうか。
『まさか、勝てる可能性があると思っているとか』
猫耳さんはともかく、彼らはこのクランマスターとの接点はなかったはずだ。ご祝儀として買うのはちょっと考え難い。
『まあ、まずないだろうが、1%くらい勝ち目があるんじゃないかと思ってるピョン。トライアルの時点でウチのを倒した時の戦力差を考えると、未知の要素がまだ大きい。あるいはこのジャイアントキリングも成功させるんじゃないかって思うピョン』
Cランクの冒険者にこう言われるという事は、そう感じさせる何かがあるという事なのだろうか。
そしておそらく、賭けた人は彼だけではない。……私にはその何かが分からなかった。
結果として、彼らは負けた。当然の如く圧倒的大差。私が出場した一年前よりもひどい差で敗北した。当たり前だ。あんな化物相手に何をどうしろというのだ。
だが、負けようがその内容に口を挟む者などいない。挟める者などいない。
真剣な表情の< 朱の騎士 >の雰囲気に圧倒された。
沸き上がっていた歓声が戦闘開始直後から消えた。
戦う彼らの姿は、純粋な戦闘力だけでない何かを感じさせた。
冒険者学校で学んだわけでもなく、私よりも遥かに短いキャリアでそこに立つ新人たちの姿に心奪われた。
私は……いや、それを見ている観客はその一部始終から目を逸らせずにいた。
サングラスのせいで表情は掴めなかったけど、隣の兎耳さんが投票券をクシャクシャになるまで握りしめていたのを見た。
あれが冒険者に本来求められる姿であり、迷宮都市が求めている姿なのだ。その事を直感的に理解した。理解させられてしまった。
わずか数分の試合だったが、この試合が起こした影響は大きい。特に冒険者への影響は顕著だ。
一時的なものかもしれないが、翌日から冒険者の登録者……特に迷宮都市出身者の数が劇的に増加した。そして一番大きな影響として、トライアルの攻略を達成した冒険者がこの試合直後に大幅に増加した。人数が多過ぎて翌月のデビュー講習が数日に分かれるくらいに。
立ち止まっていた者たちがその足を進めた。それが意味するところは、冒険者でもギルド職員でもある私には良く分かる。
奮起する者が多かった中、現実を突き付けられた者も多いだろう。特に私は、それがあまりに遠く、手の届かないものである事を実感した。冒険者を諦めるには最高のきっかけだったと思う。
あの試合の直後、私は正式にギルド職員として就職した。古参職員から推薦までもらっての正式配属だ。ない才能に縋るより、自分のできる事で先に進んだほうが良いと判断した。
確かに冒険者は花形だが、ダンジョンに関わる人たちは冒険者だけではない。この街に住む人のほとんどが、何かしらの形で関わっている。ギルド職員はその最も近い位置といえるだろう。冒険者としての才能はともかく、私の事務能力の適性は折り紙付きだ。
いろんな意味で踏ん切りが付いた。これからは、こういう方面からサポートする形で頑張っていこう。これも一つの冒険者の在り方ではないかと思い始めた。……思う事ができた。
だから、その打診はあまりに意外で想像もしていなかった内容だった。
-2-
「クラン付きのマネージャー……ですか?」
九月頭、仕事中に呼び出された先で聞いたのは、クランマネージャーをやってみないかという誘いだった。
クラン付きのマネージャーというのは、本来中堅の職員が担う仕事だ。担当したクランの成績がダイレクトに評価に繋がるため、実はエリート職でもある。確かに私はギルド職員として働いてはいるが、間違ってもそんな新人に回ってくるような話ではない。しかも私は、冒険者を諦めて、職員に専念するようになってからまだ二ヶ月程度なのだ。ドが付くほどの新人である。
「クラン付きっていうのも実は語弊があるんですけどね。まだクランじゃないし」
「まだって事は設立前ですか。普通は設立後に選定されるのが決まりですよね」
クランマネージャーはクラン運営の補助的な仕事をする目的で派遣される。携わる内容はクランによって異なるが、ギルドとクランの取次ぎ役だったり、書類仕事だったり、人によってはクラン員のスケジュール管理、金銭的な運営まで行う事もある。
給料制をとっているクランは自然と事務作業が多くなるし、クラン規定が多ければトラブルも発生する。そんな、主にダンジョン攻略に関係ない部分でのサポートを行うのがマネージャーの仕事だ。実は主でない仕事として、時々一緒にダンジョン攻略する人もいるらしい。
大規模なクランであれば複数人体制になるし、別に専門職の人員を雇ったりもするが、設立直後のクランであればギルドからの派遣が一人というのが基本だ。一部、タレント活動の仕事量が多い冒険者で複数のマネージャーが必要となるケースもあるにはあるが、クラン設立前の段階で派遣する人材を決めるのは異例も異例である。
「あたしもマネージャー下さーい。書類仕事もー嫌ですー」
「あなたは黙って手を動かしなさい」
「さっきから気にはなってたんですけど、その女の子は誰なんでしょうか」
カナンさん……通称、受付嬢さんの横には金髪幼女が座り書類を書いている。この子、入室前からずっといたのだが、一体何者なのだろう。……耳の長さは人間のそれではない。エルフ……いや、ハーフエルフかな。
首輪を繋がれ、その鎖の先はカナンさんの手に握られているのだが、これはまさか幼児虐待の現場か何かなんだろうか。すごい絵面だ。
「ああ、この子は本件とは無関係なので気にしなくていいです。必要書類も書かずに逃げ回るから、仕方なしの処置をしているだけなので」
「はあ」
「うー……まさかこんな犬みたいな仕打ちを受けるなんて……。わんわんっ」
嫌がっているか、ノリノリなのかも分からない。
冒険者なのだろうか。手元を見ると書いているのは遠征に関する書類のようだ。となるとC-以上のはずだが、高ランクがこんな扱いを受けているのはなかなか見た事がない。
「それで本題ですが、あなたにやってもらいたいのはとある冒険者グループのマネージャーです」
「クランじゃないんですね。……タレント業が忙しいとかじゃないですよね?」
マネージャーが必要になるほど忙しくなったタレント冒険者は、最近ではあまり聞かない。必要な人はすでに付いているし、交代するにしても私じゃないだろう。
「タレント冒険者ではないです。異例である事は間違いありませんが、クランハウスまで提供しているので、急遽マネージャーが必要だろうという事になりました」
「え……クラン設立してないのにクランハウス持ってるんですか?」
それはどんな冒険者だ。普通そんな権利もないし、権利があろうがGPが足りない。
「なにそれっ!? あたしがクランハウス手に入れるためにこんなに苦労しているというのにっ!? むきーっ!」
「あなたは関係ないんだから、黙って手を動かしなさい。……電流流しますよ」
「ひーっ!?」
幼女さんはクランを設立するつもりみたいだ。……それで遠征か。確かにGP稼ぎにはいい。
しかし、電流はどうなんだろう。冒険者なんだから身体的には問題ないだろうが、まさかそんな事……ただの脅しだよね。
「私、ドM枠じゃないので勘弁して下さいっ! あ、ちょっと、弱電流もやめて下さいっ!! あひんっ!」
脅し……だよね?
「クランハウスは特殊ボーナスです。ちょっと訳ありで、要求を呑まざるを得ない状況になってしまいました。とはいえ期待の新人である事は間違いないので、ちゃんとマネージャーも付けようという事になったわけです」
「……はあ。でも、なんで私なんでしょうか」
「実は、マネージャー業に割ける人材が今ちょうどいない事と、最初に言った正式なクランではない事が原因です。規模も人数も規定に満たない上にランクもD-なので、マネージャー業務も少ないだろうという事から、あなたに白羽の矢が立ちました」
D-なのか……。中級になったばかりでこの待遇はちょっと尋常じゃない。
「でも、私以外にも職員はいますよ」
「私が推薦しました。ダメだというのなら他の人材を選定しますが、あなたなら大丈夫でしょう」
何故未だに受付をやっているかは知らないが、カナンさんはこう見えて最古参の一人だ。ギルド内でも影響力が強い。その人から推薦があるとすれば前例のない事でも通るだろう。
実は私に職員としての推薦をくれたのもこのカナンさんだ。確かに私は戦闘系技能がからっきしな代わりに、事務処理能力だけは自信がある。冒険者にはまったく役に立たないが、こんなところで役に立つとは。
いや、……この幼女さん見る限り、冒険者にも事務処理能力は必要か。
「分かりました。とりあえず、その構成メンバーの情報を頂けますか?」
「これです。当然ですが、まだクラン名も決まってません」
カナンさんが出してきた書類は薄い。メンバー情報の書類はたった三人分しかない。これでクランハウスを手に入れるのか……。
「現時点で参加未確定の人員はとりあえず省いてあります。それは確定メンバーですね」
「これ……」
その書類に載っていたのは忘れもしない、ここ最近で最も印象に残っている少年の顔だ。ある意味、迷宮都市で今一番の有名人でもある。
「有名人だから、あなたも知っているでしょう」
「……渡辺綱」
「えええええええっっっっ!?」
大声を上げたのは私ではなく幼女さんだ。何事だろうか。
「うるさいですよ。静かにしなさい、ミユミさん」
「え……えええ……え、な、なんでツナセンパイが……。あ、すいません受付嬢さん、引っ張らないで……なんか目覚めちゃう」
知り合いなのだろうか? ……でも、先輩?
「そういえばミユミさん、この前ツナさんと話してましたね。どういった関係なんですか?」
「センパイです」
「あなたのほうが先輩でしょうに。何年冒険者やってるんですか」
「いや、そーゆー意味ではなくですね……」
ベテランなのか……。幼女にしか見えないけど、この子何歳なんだろう。妖精種は年齢が分かり難い。
「何故たった三ヶ月でクランハウスとかもらってるのか知りませんが、それだったら私もセンパイのクランに入りたいです!」
「クラン設立の手続きしている人が何言っているんですか。全部パーにする気ですか! それに他のメンバーの子たちはどうするんですか。どれだけ無責任なんですか」
「うぎぎぎぎぎ……」
受付嬢さんに首輪を引っ張られて苦しそうだが、似合ってると感じてしまうのは何故だろうか。不思議な子だ。
まあ、クラン設立の手続きまで始まってるなら、それを放り出すのはちょっと無責任だろう。カナンさんの言う事は何も間違っていない。
「えーと、ミユミさんでしたよね?」
「え、はい。なんでしょうか」
「この添付書類を見る限り、クランハウスの入室禁止リストにあなたの名前があるんですが」
書類には、どのクランでも確実にリスト入りするテラワロスさんと並んで、彼女の名が記載されている。入室すら許されない人がクランに入るのは難しいんじゃないだろうか。
「…………え? ば、ばかな……そんなバカな事が……」
「ひょっとして嫌われてるんですか?」
「いやいやいやいや、そ、そんなはずはなかとですばい」
「どこの言葉ですか」
「でも……えーーー。そんなひどい……こんな可愛い後輩に対してなんて仕打ち。おいおいおいおい……」
今度は泣き真似が始まった。面倒臭い子だ。……渡辺さんも関わるのが面倒臭いんじゃないだろうか。
「ミユミさんがいると話が進みませんので、その書類を見た上で二、三日中には返事を下さい」
「いえ、もう決めました。マネージャーやらせて頂きます」
これも意味のある事なのだろう。冒険者として生きるのは諦めたけど、そのきっかけになった人たちの近くにいる事は、私にとっても糧になるに違いない。放っておいても駆け上がっていく人たちなのだろうが、それを間近で見るのも悪くないと思う。
「あ、あのー、私もマネージャー欲しいです」
「あなたはその書類の山を片付けてから言いなさい。他の人はちゃんと片付けているのに、リーダーのあなただけがそんな事でどうするんですか」
「あたしは社長としての仕事もあるんですよー」
……社長?
-3-
その日の午後、渡辺さんと会館の食堂で待ち合わせをする。コーヒー片手に、何度見ても異常としかいえない冒険者情報に目を通しながら待っていると、その待ち人はやって来た。
「いやー、悪いね。まさかマネージャーまで手配されるとは思わなかった」
初めて会う渡辺さんは、印象と違って随分気さくな方だった。冒険者特有の威圧感はあっても、コミュニケーションを拒絶するタイプではないと。
事前にもらった資料にトライアルの動画もあったので見てみたのだが、そこに映っていたのはもっと怖い怪獣的な人だ。私よりも年下なのに若干落ち着いている感じもするが、こうして話す分には年相応の少年に見える。あと、服装のセンスが悪い。何、そのカモノハシ。
「いえ、冒険者になって三ヶ月しか経っていないのなら、クランマネージャーについて知らないのも当然でしょう。そもそも、このクランハウス提供自体が異例中の異例なわけですし」
「寮から引越しを考えてたんだけど、だったらクランハウスに住めばいいじゃないかって思ってさ」
「ご、豪快な考えですね……」
間違いなくそんな冒険者はいない。せいぜい、大型クランで新人向けに貸し出している寮に入る事があるくらいだ。
「んで、クランハウスに案内してもらえるとか」
「はい。準備は済んでますので、実際に見て頂いて問題なければそのまま譲渡という流れになります」
初期設定などがあるので、実際の譲渡はもう少し先になるだろうが。それまでに本人たちの希望に合わせた形にしないといけない。クランハウスが稼働してからの設定変更は少々面倒なのだ。
「契約書とかは? やっぱり、大量に書く事になるのかな」
「基本こちらで準備しますので、内容確認とサインを頂ければ問題ありません。こういった事をこなすのもマネージャーの努めです」
「ほー、デビューしてからずっと書類に埋もれてたから助かるよ」
それはそうだろう。普通なら数年かけて処理する書類を、たった三ヶ月で片付けてきた事になるのだから。
確定メンバーだけでなくクラン員候補者の情報も見たが、どの人も昇格が早い。まさか、半数が中級ランク昇格の最短記録者だとは思ってなかった。
「今日は、他の方はいらっしゃらないんですか?」
「他の奴にはまだ言ってないんだ。驚かせようと思って」
「そ、そうですか」
まともな冒険者としての感覚があれば驚くだろう。ものすごいサプライズだ。迷宮都市の顔とも呼べる組織の本部を一つ構えるのだから、一等地に家を構えるとか、そういうレベルの話じゃない。見方によっては会社のビルを建てるよりもインパクトがある。
……この様子だと、本人は理解してないようだけど。
「じゃあ、早速案内してもらえるのかな?」
「すいません。別件ですが、クランハウスに向かう前に一点だけ説明する事があります。カードの更新はまだですが、中級に昇格した事で渡辺さんのステータスが更新されてますので」
中級ランク昇格によって変更される情報について説明があるので、一度座ってもらう。
「ステータス? 今のカードと何が……ああ、そういえば、Dランクからスキルレベルが表示されるようになるんだっけ」
「それだけではないですけどね。……とりあえずこちらを御覧下さい」
渡辺さんに本人のステータスが記載された書類を見せる。受付嬢さんに昨日もらった物のコピーだ。
「どれどれ…………何これ?」
「ここでは基本的な部分だけ説明します。正式な昇格の際にカードの更新と講習がありますので、詳しくはそこで」
冒険者のステータス表示はD-ランクから大幅に変更が加わる。当然といえば当然だが、見方も変わってくる。
「下級の時と全然違うんだな」
「渡辺さんは特にスキルの数も多いので、余計にそう感じるかもしれません」
書類を見た時は正直その内容に驚愕したが、同時に納得もしてしまった。中級昇格時でこのスキルの量は歴代でも相当上位、……ひょっとしたら最多かもしれない。
「まず、上記部分の情報は特に問題ないと思います。変わった点はツリークラスが表示されるようになっただけですね」
「ああ、これは聞いていたから分かるけど、スキルの表示が……」
「D-ランクからはスキルレベルの他、ツリークラスと同じような"ツリースキル"も表示されるようになります」
ツリークラスよりよっぽど変化が大きいのはこれだ。
たとえば《 剣術 》というスキルがある。これは《 武器熟練 》と呼ばれるツリークラスにぶら下がる形で存在し、同じツリー所属の《 刀術 》とまとめて表示される。
そして、ツリーに内包されるスキルレベルの合計値がツリースキルのスキルレベルとなる。仕組みとしてはクラスと同じだ。渡辺さんの場合、《 武器熟練 》のスキル表示は……。
《 武器熟練:T.Lv6 》
├《 剣術:Lv3 》
├《 刀術:Lv1 》
└《 槌術:Lv2 》
……のようになる。これが、冒険者として完全に近いステータス表示の形だ。
「色々質問いいかな?」
「どうぞ」
「まず、ツリースキルのT.Lvは中身の合計レベルの事だと思うんだけど、これも何か意味があるのか?」
「はい。スキルレベルの扱いが内包スキルに依存する部分が異なるだけで、それも一つのスキルとして見て下さい」
《 武器熟練 》でいえば、ツリースキルのレベルが上がれば、武器の取り扱いについての技術全般が向上する。それはどんな武器のスキルを上げたとしても相互に影響する形になる。
「たとえば、《 剣術 》のスキルレベルが上がるだけでも、全体的に武器の使い方が上手くなるって事か」
「そうなります。これまでも見えていないだけで、このスキル自体は存在していましたが」
なので、情報が増えただけで、実質的な影響はない。それに、直接的に効果のないツリースキルも実は存在する。
他のスキルの習得条件になったりもするので、まったく意味ないという事はまずないのだが。
「ツリースキルにぶら下がってる個別スキルのレベルが妙に低い気がするんだけど。こんなもんなのか?」
「クラスレベルと比べるとそう感じるかもしれませんが、各個別スキルはMAXでLv10とお考え下さい。目安としてはLv1で一般的に"使える"といえるレベルで、Lv3で一人前と言われています」
Lv1といっても、持っているのと持っていないのでは全然違う。そもそも、中級に上がってくる冒険者の保有スキルのほとんどはLv1というのが普通だ。
そして、Lv10がMAXと言われているのは、それ以上が確認されていないからだ。トップクランの< アーク・セイバー >のマスターたちでさえ、Lv10に到達しているスキルはほとんどない。
ツリースキルのレベルは内包するスキルレベルの合計だから、またちょっと違う見方をする。渡辺さんの《 生存本能 》はLv20だが、中級の時点で一つのツリーにここまで高レベルのスキルが集中する事は稀だ。
「それ以上は?」
「Lv5が一般的な才能の限界と呼ばれています。それ以上は、達人としての格ですね。たとえるのが難しい領域になります。その意味合いはスキルによって変わってきますが、スキルレベルの扱いはどれも同じようなものとお考え下さい」
Lv6以上は一つ持っているだけでも規格外の才能といっていい。ものによってはマイナスの意味を持つスキルもあるので、必ずしも有利とはいえないのは難しいところだ。
「それにしては妙に高いレベルのスキルもあるんだよな」
「それは……渡辺さんの才能なんでしょう」
そう。渡辺さんはこの段階でLv6に至っているスキルをいくつか保有している。現時点で《 死からの生還 》、《 生への渇望 》、《 痛覚耐性 》の三つがそうだ。ちょっと普通ではない才能だが、これまでの経歴を考えるとありえなくもないんじゃないかと思えてしまうのが怖いところである。特に、同じツリーでLv6が二つも存在するのはとんでもない事だと思う。殺しても死なない、なんて言葉を見事に表しているだろう。
実は私もLv6スキルは持っているが、それは冒険者としての才能がゼロという事を代償にしたような特殊事例だ。渡辺さんのように大量にスキルを保有した上で、Lv6スキルが出てくるのとは違う。
「レベルが表示されていないのがあるのは?」
「称号などの一部スキルはレベルを持たず、成長もしません。この中だと、《 不撓不屈 》などがそうですね」
趣味嗜好などが表示されている場合でも、レベルを持たない事が多い。
「うん。大体分かった。いくつか直視したくなかった現実もあったけど、しょうがないな」
「大体想像はつきます」
多分、《 原始人 》とかの事を言っているのだろう。見たことのないスキルもある上に、何故かモンスター用スキルを持っているし、色々変だと思う。やはり、色々突き抜けている人は普通と違うのかも知れない。
「この内容って一般に公表されないよな?」
「マネージャー含めて職員はどうしても見る事になりますが、許可がない限り公表はできません。更新後のカードも項目ごとに非表示設定が可能です。基本的に中級冒険者になると、クラスはメインのものだけとかツリースキルのみを公表、表示するようになるみたいですね。あまり情報が多いとカードも見辛いですし」
渡辺さんのカードは現在のものでも情報が多過ぎて見づらいだろう。大量のスキルを表示するために文字が小さくなっているくらいだ。
もうちょっとランクが上がれば、プルダウン表示なども可能になるのだが。
「そうなのか……猫耳は気を使ってたのかな」
「猫耳?」
「いや、なんでもない。説明事項ってこれだけ?」
「はい。では、そろそろクランハウスに向かいましょうか。追加で質問があれば随時聞いて下さい」
席を立ち、会館を出る。向かうのはダンジョン転送施設だ。
-4-
転送施設に向かいながら、自己紹介を兼ねて色々話を聞いてみる。新人とはいえ、その経歴は群を抜いているから、三ヶ月の話だけでも密度が濃い。
特に、前世がこの街の元となった日本だと聞かされた時にはびっくりした。ダンジョンマスターとも直接話したりするらしいし、ちょっと信じられないような経験をしている。
「詳細は聞いていないのですが、今回のボーナスはどういう経緯で提供される事になったんですか?」
「あー、昨日挑戦した高難度のイベント攻略のボーナスだな。今メンバー候補として提出してる七人とそれに参加したんだ」
八人のイベントとはまた珍しい。通常はパーティ枠である六人か、その倍数だ。
「クランハウスもらえるくらいのイベントとなると相当だと思いますが、どんな内容だったんですか? 実は、職員からは教えてもらえなくて」
「専属のマネージャーになるっていうなら問題ないと思うから、あとで動画見せるよ」
「一般公開されないんですか?」
「色々問題があって、関係者以外は公開禁止になった。上位クランの幹部だったら希望者には公開するみたいだけど」
何があれば、そんな事になるんだろうか。
「まあ、グロのオンパレードに、一部放送できない猥褻物が混ざってるから、見る前に覚悟したほうがいいよ」
「は、はあ……」
冒険者なのだから、グロテスクな事態が発生するのは分かるけど、……猥褻物?
ひょっとして、確定メンバーのサージェスさんが原因だろうか。新人戦で脱いだりしてたし、色々噂も多い人だし、それっぽい。……色々覚悟しておいたほうがいいかもしれない。
「そんなすごい内容のものなら、たくさん売れそうなんですけどね」
「一応、代わりとして多めにGPと金もらったけどな。……普通に売り出したほうが儲かるんだろうな」
いくらもらったかは知らないが、それは確実だろう。そういえば、渡辺さんが販売している動画は未だ二つだけだ。何か売れるような動画も他に抱え込んでいるかもしれない。
「マネージャーなので、動画の販促活動もやりますよ。場合によっては売込みもします」
「へー、そうなのか。あとでどんな動画だったら売れそうか教えてよ」
「他のメンバーの方とも一緒に相談しましょうか」
今回のイベントもそうだが、あの新人戦に向けてどんな事をしたのかも気になるし、一通りチェックするべきだろう。ちょっと楽しみだ。
そんな会話をしながら、冒険者としては馴染みの深いダンジョン転送施設まで来た。
そういえば、正式に職員になってから来るのは初めてだ。……何か複雑な感情が込み上がってくる。
「つーか、一日で準備できるのはすごいよな。ヴェルナーに希望出したの昨日だぜ」
「実際に用意したのは私ではないので分かりませんが、準備作業としてはそんな大変でもないと聞いた事があります」
権限の問題だけで、実際の作業は少ないとカナンさんが言っていた。今回の場合は異例という事で特殊な手続きも含んでそうだが。
「ここに住む場合って買い物とかどうするんだ?」
「冒険者にはあまり馴染みはありませんが、施設職員用のコンビニや食堂、クランハウスそのものが店舗になってる店もあります。あとは、外に出る場合も専用のバスが二十四時間動いてますので、そんな不便はないかと」
「そうなのか。俺普通に歩いて帰ってたよ」
「会館も寮も近いですからね。利用開始にもGPがかかる上に、運賃も別に発生しますし」
「サービスじゃないのか。専用のシャトルバス的な……」
「中級以上になれば、運賃のかからなくなるパスポートもGPで購入できますよ」
「……考えておく。あんまGPないんだよな」
それはそうでしょう。むしろ三ヶ月で貯めるほどにあったらびっくりします。……いや、今でも十分びっくりしているけど。
通常のダンジョン用転送施設とは別の区画、主にクランハウス用として使われてるブロックへと移動する。
「ここら辺のブロックは初めてですか?」
「いや、< アーク・セイバー >のクランハウス訪問した時もここら辺に来たな」
一体全体どんな状況で< アーク・セイバー >のクランハウスに行く事になったのだろうか。
……そういえば、未確定メンバーの中に< アーク・セイバー >所属の人もいたっけ。いや、それはそれで、なんで大規模クランに所属している人が移籍候補に挙がってるのかが分からない。これもあとで聞いてみたいが、謎が多過ぎてパンクしそうだ。
[ クランハウス入口 待合所 ]
転送ゲート前の待合所は石造りで、正方形の何もない空間だ。ゲートの光はあるが、このままだとちょっと薄暗い。壁にはポツンとコール用の電話機が備え付けられている。……デフォルトのやつは初めて見たけど、なんでこんなゴツい黒電話なんだろう。
「このように共通の待合室があって、クランハウス内へコールが可能です。どこのクランもここは同じ造りなので、来訪者が多いようでしたら、何か置物や椅子を用意するなどして独自性を出すのも良いかと思います」
クラン加入の面接を行う場合など必ず目につく場所だから、ここに拘るクランも多い。クランエンブレムを飾ったり、マスコット人形を置いていたりと特徴が出る。……ペットをここで飼うクランもある。ゴリラの人は、ここに放し飼いにしてたな。
趣味が悪いのは< 赤銅色のマッスル・ブラザーズ >だ。クランの顔ともいえる待合室で、あの汗臭さはちょっと頂けない。何故トレーニングマシンを置くのか。
「なんもないのは殺風景だな。入室許可がない場合はここで待たされる人もいるから、椅子くらいは置いておいたほうがいいか」
「なんでしたら、適当なものをいくつか見繕っておきます。簡単なパイプ椅子くらいなら、近くの共用倉庫にもありますけど」
「使うかは別として、あとで場所だけ教えてくれ」
外部から来た人、特に迷宮都市に来て間もない渡辺さんは家具の店には詳しくないだろう。迷宮都市生まれはそういう店の知識が多いので、ここは私の出番だ。
[ クランハウス内 玄関 ]
転送ゲートを抜けると短い通路の先に扉があり、それを開けるともうクランハウスだ。
「ここが入り口用のフロアになります」
「結構広いんだな」
「デフォルトから三段階ほどサイズが大きくなっているのと、家具がないですからね。いろいろ物を置けば手狭になるかもしれません。住宅として使うなら、リビングとして使ってもいいかもしれません」
「玄関開けてリビングって変じゃね?」
「廊下を増設すればいいんですよ。フロア拡張で対応可能です」
報酬扱いでの提供のためか最初から多少グレードアップされているらしく、かなり広めのフロアになっている。
クランの規模が大きくなると、この入り口がロビーになったり庭園になったりと自由度は高い。< アーク・セイバー >くらいになると、広大な敷地に入り口専用の建物があったりもする。
「あー、通路なんかは付属扱いで設置できるのか。構造自体変わるわけだけど、そういうのって結構時間かかったり?」
「多少時間はかかりますが、基本的にいつでも拡張可能です。ここもそうですが、クランハウス内の各部屋は独立したエリアになっているので、部屋同士がぶつかる事はありません」
一つ一つのエリアがダンジョンのような独立空間だから、拡張するにも便利だ。横にも縦にも大きくできるし、部屋内を分割して仕切りを造る事もできる。ギルド寮なんかも似たような仕組みだ。
「やっぱり大きくするのに必要なのはGP?」
「そうですね。クランハウス関連の設備はほとんどGPで拡張します」
お金ではなんともできないのがクランハウスという設備だ。クランマスターは大抵設備のためのGPで苦心する事になる。中級になって間もない渡辺さんではそのGPを捻出するのは厳しいだろう。
「キッチンは共用なのか?」
そう言って渡辺さんが指すのは、デフォルトで設置されている備え付けのダイニングキッチンだ。まだ冷蔵庫も調理器具もない。一応シンクは機能しているので水は出せる。
初期設定で配置されてはいるが、撤去したり、別の施設に変更する事も可能だ。
「入り口の共用フロアとして造られているから設置されているだけで、この手の設備は各部屋に追加設置する事もできますよ」
というか、初期設定だとこんな設備はない。ここは現時点でもある程度拡張されているのだ。
「トイレとかも?」
「拡張済なので、トイレとシャワーは各部屋に付いてますね。ユニットバスですが湯船もあるみたいです。共用の施設で大浴場なども追加できますが、これは今後検討すべきところですね」
こうして資料を読んで、実物を見ると結構いい環境だ。転送施設の近くでこんな部屋を借りたらべらぼうな家賃を取られるだろう。少なくとも個人で借りるような物件ではない。ここに加えて十フロアって事は、言ってみれば10LDKのようなモノなわけだし。
[ 個人部屋 ]
個人で使用可能な部屋は全部で十。そのすべてが十畳程度のワンルームタイプになっている。あまり広くはないが、ここにユニットバスが付いているのが基本だ。先ほど言ったようにキッチンはない。生活空間としては寮の1.5倍程度で、実は今借りている私の部屋より大きい。
「あの窓って開けられるのか?」
渡辺さんの指す先には窓がある。高原が見えているが、実際に外に出る事はできない。拡張して庭を追加すればまたちょっと変わってくるのだが、あれはただの採光用だ。窓がないと息がつまるだろうから、その対策だろう。
「開けるには開けられますし風も入ってきますが、外には出られません」
「ただの映像?」
「……どうなんでしょうか? 切替えできるので、そうなのかもしれません」
これは部屋ごとの設定で表示する風景や風、光を変更できる。やろうと思えば豪雪地帯や、火山内部も表示可能な上、気温も影響を受けるように設定できるし、並んだ複数の窓の表示を別々にしたりもできる。実際の仕組みは良く分からないが、そもそも迷宮都市の仕組みは理解不能なものが多いので、今更という感じもする。
「ここは寮みたいに入室制限かけられるのか?」
「はい。ほとんど同じと思って問題ないでしょう。逆に言うと、フロア分しか制限はかけられません」
セキュリティ的には寮と大して変わらないが、ここは個人用のプライベート空間だ。クランにとっての城はこのクランハウス全体だが、ここは住人個人にとっての城になるだろう。ポリシーはクランごとに違うが、個人部屋だけはそれぞれでGPを出して拡張するという方針をとっているクランも多い。そもそも個人部屋を造ってるクランは少ないけれど。
「んで、部屋を広くするにはGPが必要と」
「そうですね。ただ、今は十の部屋が用意されてますが、初期設定で部屋を繋げる事もできるみたいです。その分部屋の数が減りますが、面積は倍になりますし、住む人数が少なければ考慮してもいいのではないでしょうか」
ちなみに、初期設定を逃すと、この設定をするのにもGPが発生する。トイレやお風呂が一つの部屋に複数あってもしょうがないので、そこの設定もする必要もあるだろう。
「全部面積倍にすると五つか。誰が住むかは分からないから要検討だな。その初期設定ができる期間ってどれくらい?」
「一週間ですね。その場合は正式譲渡もその時になります」
クラン員が多いとこういう調整も難しいのだろうが、ここは人数も少ないし楽だろう。これが一般的なクランだと、全員が住むわけでないにせよ、最低でも十二人分の調整が必要になるわけだから大変だ。この規模は、確かに私のような新人に任せる仕事としてはいいかもしれない。
「ひょっとして、倉庫とかもこの部屋の中から割り振らないといけないのか?」
「クランハウス内で済ませるならそうですね。応接室や、簡易でもいいので共用の会議室なども必要と思われます」
「あー、そういうのもあるのか。一々ギルド会館まで行くのもな」
会館で借りてもいいし、個人の部屋やリビングを使ってもいいが、クランが大きくなると自前で会議室を用意するのが普通だ。
「あと、注意点が一点あります。渡辺さんの場合、まだ正式なクランではないので、多くのクランスキルや設備が使えません」
「デスペナルティの緩和とか、そういうやつか」
なんで知っているんだろう。三ヶ月ではクランスキルの情報に触れる機会は早々ないような気がするのだが。さっきから話の端々に出てくる< アーク・セイバー >の人にでも聞いたんだろうか。
「その他にも色々あります。クランチャットや、所属メンバーの動画管理もできるようになりますし、あとはダンジョンの入口設置や、ダンジョン死亡時の転送先をここにするとかもクランの設備ですね。訓練場も造れますし、通常の物置ではなく会館の地下にあるような倉庫を造る事も可能です」
「それらは設置できないと」
「はい。そもそもGPが足りないので設置できないでしょうが、一応覚えておいて下さい」
「< アーク・セイバー >のクランハウスにあったような施設は、後々って事か。……逆に今の段階でできる事はなんだ?」
「基本的には部屋や通路・階段・扉の追加、拡張、環境の設定変更や項目追加くらいでしょうか。先ほど言ったトイレなどの設備も追加できますが、設置の可否はカタログなどで確認したほうがいいでしょう」
クランとして必要となる機能以外なら問題ない。スキルの効果は得られないが、庭も調理場も、鍛冶場だって造れる。
「とりあえず、住居としては問題なさそうだな」
「住むだけなら、マンション借りるより遥かに快適だと思います」
「そういえば、マネージャーさんもここに住むのか?」
「家が近くなので、通いにしようと思います。定期的には来ますが、基本的には職場はギルド会館ですし。でも、立ち上がり当初は毎日顔を出すようにはしますよ」
クラン員でもあるが、基本はギルド職員だ。冒険者と違って、ちゃんと出勤しなくてはいけない。しばらくは家と会館とここで行ったり来たりする事になるだろう。
-5-
「とりあえずこんな感じですが、何か質問とかありますか?」
「細かい話だが、光熱費とかってどうなるんだ?」
「本来でしたら発生しますが、渡辺さんの場合は特例としてクラン設立までは維持費はかからない事になっています。あまり無駄遣いすると怒られそうですが、人数も少ないのでその心配もないでしょう」
ちなみに、クランハウスは固定資産税のような扱いで年間の維持費用も発生する。今回のケースはそれもなしだ。相当優遇されているのが分かる。
「じゃあ、とりあえずはいいかな。そういう細かいのに気付く奴が今入院してるから、そいつも交えて聞くよ」
「そうですか、じゃあ次は顔合わせですね」
とりあえず、確定メンバーには会っておかないとマズいだろう。ユキさんとサージェスさんだ。
「サージェスが今おかしな事になってるからな……ユキも入院してるし、顔合わせは何日か待ってもらってもいいか」
「それは構いませんが、ここの初期設定もあるので一週間以内には済ませたいですね」
「俺の都合じゃないから難しいところだけど、なんとかするよ」
昨日のイベントでなんか問題でもあったのだろうか。冒険者で入院というのはあまり聞かない事態だが。
「初期設定で一つ気になった事があったんですが、入室禁止にしている"ミユミ"さんとはどんな関係なんでしょうか」
「あー、なんというか難しい関係だな。……しいていうなら後輩?」
あまり触れて欲しくなさそうな雰囲気だったが教えてくれた。
聞いてみると前世の学生時代に先輩後輩の間柄だったという。前世が同じ世界で、かつそんな近しい関係というのはかなり珍しい。……という事は、あの子もダンジョンマスターと同郷という事か。
「入室禁止にされて嘆いてましたよ」
「え、美弓に会ったのか?」
「ちょうどこの話を聞いた時にその場にいたので。……嫌っているとか、そういう事なんですか?」
「別に嫌ってはいないけどな。相手するのが面倒臭い」
大体想像通りだった。
「非常に遺憾ながら、これから先、クランとしてもあいつとの関わりは増えてくると思うからよろしくな」
「……今彼女はクラン設立の手続き中らしいですが、お二人の個人的な関係以外で何かあるんですか?」
クラン単位での交流というのは、実はそんな多くない。同盟してイベントで共闘したり、メンバーのヘルプを行うくらいだ。仲がいいクラン同士だと活発に交流したりもするが、そういうクランは大抵合併する。
「目標というかなんというか、クランとして< 流星騎士団 >と< アーク・セイバー >に並ばないといけないんだ。あいつ……美弓も同じように頑張ってもらわないといけない。なんかダンジョンマスターからも言われてるらしいし」
「それはまた……巨大な目標ですね」
相手はどちらも超一級のギルドだ。実績もそうだが、規模でも迷宮都市でトップクラスに大きい組織といっていい。
これまでの昇格スピードならあるいはという感じもするが、設立前のこの段階からそんな目標を掲げているのか。
「……でも彼女、渡辺さんのクランに入るとか言ってましたが」
「却下だ。冗談じゃない。面倒臭い」
あらら。
「でも、それに関してはあいつも本気じゃないと思う。美弓は自分のやるべき事は分かる奴だしな。大変な事があると無理だーって喚き散らすけど、なんだかんだでのらりくらりと解決する奴だから」
それは一種の信頼なのだろうか。良く分からない。不思議な関係だ。
「君にも一緒に頑張ってもらわないとだな」
あ……。
「そう、その通りです。頑張って大きくしましょう。目標はでっかくですね」
この人たちだったら、あっという間に大きなクランになるだろう。本来数年かけるところを三ヶ月でここまで来たのだから。そして、それを陰から支えるのが私の役目だ。……こういうのも悪くないと思う。
「あ、肝心な事聞くのを忘れてた」
「……なんでしょうか」
「マネージャーさんの名前は? ……あ、こういうのは自分からだな。渡辺綱だ。よろしく」
そういえば、そんな基本的な事も伝えていなかった。……駄目だな私。
「ククリエール・エニシエラです。これから宜しくお願い致します」
渡辺さんが差し出した手を握る。
冒険者としての道はもう諦めてしまったけど、なんだか先に進めそうな気がした。
< ステータス報告 >
冒険者登録No.45231
冒険者登録名:渡辺綱
性別:男性
年齢:15歳
冒険者ランク:D-
ベースLv:36
クラス:
< 軽装戦士:T.Lv69 >
├< 剣闘士:Lv35 >
└< 戦士:Lv34 >
二つ名:< 暴虐の悪鬼 >
保有ギフト:《 ■■■■■ 》《 近接戦闘 》《 片手武器 》※
保有スキル:
《 武器熟練:T.Lv6 》
├《 剣術:Lv3 》
├《 刀術:Lv1 》New!
└《 槌術:Lv2 》New!
《 武器適性:T.Lv2 》
├《 片手武器:Lv1 》New!
└《 豪腕:Lv1 》New!
《 剣技:T.Lv6 》
├《 パワースラッシュ:Lv3 》
├《 ハイパワースラッシュ:Lv2 》
└《 マキシマムパワースラッシュ:Lv1 》New!
《 両手刀刃武器技:T.Lv2 》
└《 ストライク・スマッシュ:Lv2 》
《 刀技:T.Lv1 》
└《 鬼神撃:Lv1 》New!
《 槌技:T.Lv3 》
└《 削岩撃:Lv3 》
《 両手槌技:T.Lv3 》
├《 粉砕撃:Lv2 》
└《 爆砕撃:Lv1 》
《 刀刃武器技:T.Lv4 》
├《 旋風斬:Lv3 》
└《 旋風斬・二連:Lv1 》
《 両手武器技:T.Lv1 》
└《 フルスイング:Lv1 》
《 重量武器技:T.Lv5 》
├《 強撃:Lv2 》
├《 ウエポンブレイク:Lv1 》New!
├《 シールドブレイク:Lv1 》New!
└《 アーマーブレイク:Lv1 》New!
《 咬噛技:T.Lv2 》
└《 食い千切る:Lv2 》
《 心得:T.Lv1 》
└《 戦士の心得:Lv1 》
《 戦場の理:T.Lv2 》
├《 戦士の条件 》
├《 孤高の戦士:Lv1 》New!
└《 訓練所の戦士:Lv1 》New!
《 戦闘術:T.Lv5 》
├《 対単体戦闘:Lv2 》
├《 対動物戦闘:Lv1 》
├《 対魔物戦闘:Lv1 》
└《 強者の威圧:Lv1 》
《 武器戦闘術:T.Lv3 》
└《 瞬装:Lv3 》
《 鑑定:T.Lv2 》
├《 食物鑑定:Lv1 》
└《 看破:Lv1 》
《 生存術:T.Lv10 》
├《 サバイバル:Lv4 》
├《 自然武器作成:Lv1 》
├《 自然武器活用:Lv2 》
├《 自然罠作成:Lv1 》
└《 自然罠活用:Lv2 》
《 生存本能:T.Lv20 》
├《 不撓不屈 》
├《 火事場の馬鹿力:Lv3 》
├《 死からの生還:Lv6 》
├《 生への渇望:Lv6 》
├《 起死回生の一撃:Lv3 》
└《 飢餓の暴獣:Lv2 》
《 肉体補正:T.Lv14 》
├《 内臓強化:Lv3 》
├《 超消化:Lv2 》
├《 鉄の胃袋:Lv4 》
└《 悪食:Lv5 》
《 感覚補正:T.Lv8 》
├《 痛覚耐性:Lv6 》
├《 方向感覚:Lv1 》
└《 危険察知:Lv1 》New!
《 運動補正:T.Lv9 》
├《 姿勢制御:Lv2 》
├《 空中姿勢制御:Lv1 》
├《 回避:Lv3 》
├《 緊急回避:Lv2 》
└《 空中回避:Lv1 》
《 運気:T.Lv5 》
└《 悪運:Lv5 》
《 状態異常耐性:T.Lv2 》
└《 生物毒耐性:Lv2 》
《 文明:T.Lv5 》
├《 原始人:Lv3 》
└《 田舎者:Lv2 》
《 基礎学術:T.Lv3 》
└《 算術:Lv3 》
《 虚空倉庫:T.Lv3 》
└《 アイテムボックス:Lv3 》
《 称号 》
├《 オークキラー 》
└《 限界村落の英雄 》
※《 ■■■■■ 》の参照権限なし。
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