第14話「劣等の意地」
その街の噂を聞いたのはかなり昔の事になる。子供の頃、王都のスラムでフィロと呼ばれていた頃の事だ。
王都の騎士団から立場を追われ、スラムへと逃げ出してきた男から聞いた話だ。迷宮都市と呼ばれる街と戦争をして、完膚無きまでに敗北したと。
元々、オーレンディア王国の一領に過ぎず、荒野が広がるだけの不毛の地。そんな場所にある街と戦争をして、主であるはずの王国が敗北した。
ほとんど死傷者もなかったが、得られた物もなく戦費ばかりが嵩み、王国の財政は傾いたのだという。
そんな話を聞き、聡いフィロはスラムや奴隷商に人が溢れた原因がそれであると理解した。
だが、人死が大量に発生するはずの戦争で何故死傷者が少ないのかは、話を聞いても理解できなかった。元騎士の男も理解できなかったのか、要領を得ない話ばかりだったのも原因の一つだ。
後に迷宮都市を訪れるまで真相は分からないままだったが、もしも王都で真実を知ったとしても信じる事はできなかっただろう。
ともかく、そんな経緯でフィロは元騎士の男と知己になり、剣を学ぶ機会を得た。両親のいなかったフィロはその男と共にスラムの片隅で生活を始める。
スラムという裏社会で生きるために暴力は大きな力を持つ。男も、その教えを受けたフィロもスラムでは名の知れる存在となっていった。
騎士団を追われはしたが、何一つ傷を持たない健常者の上、騎士団最強を名乗る男だ。その結果はおかしな事ではない。
スラムの生活が本人の肌に合っていたというのもある。男は意地っ張りで、見栄っ張りで、豪快だった。
そんな男の指導を受け、十五歳になる頃は敵なしと呼ばれるほどに才能を発揮していたフィロは、王都の騎士団へと入団する事になる。
元騎士団長だった男の推薦だ。辞めたとはいえ、発言権はあったらしい。
本来であれば、スラム出身の素性が明らかでない男など、騎士団には見向きもされない。それが叶ったのはほとんど運だ。
共に過ごしてきた男が元騎士団長であった事と、自身の剣の才能、そしてタイミングに恵まれて騎士団の門を潜る事になった。
推薦した本人にも再入団の要望があったのだが、まったく興味がなくなったといって断っている。
元々誰が付けたのかは分からないが、フィロは女の名前という事で、フィロスという名を名乗り始めたのもこの頃だ。
本人は気にしていないが、実は現在も本名はフィロのままである。
騎士団に所属するようになり、フィロスは本格的にその頭角を表し始める。
スラムを出る以前の段階で、元騎士団長よりも遥かに高い剣の腕を身につけていたフィロスだ。騎士団に入り、周りと比べる事で、その基準が一般のそれより遥か高みにある事を知った。入団直後から、騎士団の誰もが敵わない。
不世出の天才といわれ、出自さえ明らかであれば騎士団長、あるいは近衛への道も開けただろうと聞いた事がある。
だが、本人はそんなものに興味はなかった。出自を蔑まれようが、団内でひどい扱いを受けようがあまり気にもならない。
そもそも弱い相手に興味など持てない。ただ騎士というだけで驕り高ぶる者を、どうして同じ立場で見る必要があるというのだ。
少なくとも、今残っている古参の騎士よりは、共に過ごしたあの男のほうが遥かに強かった。そんなだから迷宮都市に負けるのだ。
空気が読める男だから、口には出さない。作り笑顔は得意になった。
目標が見えない。
対等に肩を並べられる存在がいない。自分の限界を測れない。ただひたすら孤独だ。表面上取り繕ってはいても、フィロスはいつも一人だった。
突発的な休暇をもらい暇を持て余していた際、未だスラムで生活を続ける元騎士団長と会い、何気なくその事を話してみた。
『迷宮都市に行ってみればいいんじゃないか?』
フィロスを騎士団に推薦した男は、あっさりとその地位を捨てる提案をした。
確かにそれはいいかもしれない。騎士団では、特に過去の内戦を知る者には蛇蝎の如く嫌われてる迷宮都市だが、フィロス自身は何も思うところがない。ほとんど独立領とはいえ、今だ王都の一部ではあり、戦争状態という訳でもない。
話に聞くだけでも、有り得ないほどに王国をボロボロにした迷宮都市だ。そこになら自分と競い高められる者がいるかもしれない。
身辺整理に一年がかかったが、迷宮都市に向かう準備はできた。
『オレはもう年だしな。それに、お前と肩並べてダンジョン潜るのも才能の差を感じさせられそうで嫌だ。すげえ劣等感を感じそうだぜ』
元騎士団長の男も誘ったが断られた。男はスラムの片隅でひっそりと朽ちていく事を選択したのだ。
そうは言うが、まだ騎士団の誰よりも強いと感じるのは間違いじゃない。模擬戦をして感じるのは以前と変わらぬ確かな強さだ。
劣等感を感じるという事も負けん気が強いという事だ。張り合えるほどにまだ現役という事である。肝心な事は何も言わないが、実際のところ、内戦当時に騎士団長だった男は迷宮都市に思う所があったのかもしれない。
そうして、フィロスはただ一人迷宮都市を目指す。
迷宮都市に向かう馬車の中でフィロスは思う。
そういえば、劣等感という言葉の意味は知っていても、未だその感情を感じた事がない。才能に恵まれここまで来たが、限界に至るためにはあるいはそれが必要なのかもしれない。
迷宮都市は何もかもが違った。本当に王都と同じ世界であるのか疑わしくなるほどに文明の開きがある。
それは、表面上見えるだけでも圧倒的な差だ。対外的な戦力なんて、普通は見えるようにはしない。実際に保有している力がどれくらいか想像もつかない。
こんな都市と戦争をして何故勝てると思ったのか、王都の上層部の頭の中を疑いたくなった。王国どころか、帝国と共闘しても勝つ事は不可能だろう。
ギルドで登録をして、迷宮都市限定の冒険者資格を得る。これは外でいう冒険者とはまったく違うものらしい。
聞く所によると、外で強いとされる冒険者でも、ここに来るとただのルーキー扱いだ。元王国騎士であろうが、フィロスもそれは変わらない。
元々立場には興味がない。再出発と考えればちょうどいい。
迷宮都市に来て数日で、これまでにない高みを知る。街を歩く人の多くが自分より強い事が分かってしまう。大人どころか遥か年下に見える子供でさえ、自分より強いと感じる事もあった。
自分は強いと信じて疑わない騎士団のボンボンがここに来たら、数日で発狂するかもしれないなと考えて、少し面白くなってきた。
ここは面白い街だ。とても自分に合っている。ここでなら、強さへの渇望を満たし、自分の限界というものを知る事ができるだろう。
そう考えていた直後に壁にぶち当たった。一人前の冒険者となるべく課せられた試験。トライアルダンジョンの攻略でいきなり挫折した。
王国騎士団最強は、迷宮都市では入口にすら立てなかった。いきなり立ちはだかった洗礼に為す術もなく自信を砕かれた。"自信"なんて感情が自分の中にある事に初めて気付いた。
一緒にトライアルに挑戦した寡黙な男と、ひたすら訓練を続ける。
トライアルへの挑戦は時期外れで参加メンバーは六人に満たず五人。……そう、最初は五人いたのだが、訓練の度に次第に数が減り、残ったのはフィロスとこの男だけだった。
男は自信家で、自分が強いと疑わず、フィロスと同じようにプライドを砕かれたようだ。
男……ゴーウェンは芯から負けず嫌いだ。そのゴーウェンと共に過ごして、自分も負けず嫌いである事を知った。
それも極度の負けず嫌いだ。ここまで反骨心が眠っていたのかと感動するほどに。
体感したことのない感情はいい。心が踊る。負けてなるものかという気にさせる。
通常、トライアルダンジョンへ挑戦する者は、一度失敗すると長い訓練期間を設けるらしい。
そんな中、短いスパンで挑戦する二人は共に挑戦するメンバーに恵まれない。仕方なしに二人だけで再挑戦する。
そして二度失敗し、三度目で攻略を完遂した。平均から見ても相当に早いペースだ。久しぶりの大型ルーキーと持て囃された。一週間という異次元な記録にはほど遠いが、それでも優秀な成績だ。騎士団で褒められた時は何も感じなかったのに、それが涙が出るほどに嬉しかった事を覚えている。
ここが入口だ。これから上を目指そう。目標は腐るほどあるのだ。
背後から巨大な波が迫ってきたのはその直後だった。
その二人は新記録まで打ち立て、半月の差など存在しないとばかりにフィロスたちに並んできた。
一見すると平凡でパッとしない少年と、小柄で頼りない少女のような少年の二人はわずか一日でトライアルを突破した。
王都から来たというが、会った事も噂を聞いた事もない二人組だ。こんな怪物が一体どこに埋もれていたというのか。
どちらも変わった性格だが、真っ直ぐな生き方をしている。驕り、自尊心ばかりが高い騎士団では滅多に見かけない清廉な姿だと思う。
迷宮都市の上級ランクと呼ばれる人たちとも違う、こんな近くにも目標があった。
きっとこの二人は自分よりも早く駆け上がって行くだろう。だから、負けたくないと思った。それに喰らいついて離されずにいたいと思った。良きライバルで在りたいと。
あの衝撃の新人戦を経て、一緒にパーティを組むようになっても驚かされるばかりだ。
二人は困難な事でもたやすく乗り越えていく。通常なら躓きそうなハードルでも存在しないように。そんな低い壁はハードルではないといわんばかりに。
なのに、お互いの良いところを見て、それに及ばないと謙遜する。二人はお互いの事ばかり見て、周りが良く見えていないのかもしれない。どちらも規格外だというのに。
その時は気付かなかったが、今にして思えば、劣等感を感じ始めたのはこの頃からなんだろう。以前から潜在的に感じていたものが芽を出し、気付かない内に大きくなっていく。
試練への参加依頼があった時はチャンスだと思った。
新人戦の難易度と比較して困難だと言うが、困難なほうが強くなれるチャンスだ。頼まれなくたって、こちらからお願いしたいくらいなのだ。
< 鮮血の城 >へ挑戦するために設けた、< アーク・セイバー >の特別訓練で更に強く思う。
負けず嫌い八人で集まり、競い合い、これまでにないほど急速に成長するのを感じた。全員が巻き込みあって、壁と感じていたものが壁でなくなるのを感じる。
中心にいるのはあの二人だ。あの二人に巻き込まれて、みんな強くなっていく。良い関係だ。そう思った。騎士団にいた頃より遥かに健全で、有意義だ。
だが、そんな訓練を乗り越えたあとでさえ、< 鮮血の城 >は分厚い壁で立ちはだかってきた。
二人が壁に感じる試練が、どれほど高く見積もられているかを知った。いくらなんでもやり過ぎだ。
なんでもできそうだという、訓練で得た全能感にも似た自信が簡単に砕かれる。第一関門の段階で、無数の死の痛みと恐怖が、体と心を蝕んでいく。
だが、ここの主だというリーゼロッテは良く分かってる。優しい子だなと感じてしまった。
あの燭台はあの子なりの応援だ。嫌らしくて狡猾で、並の精神力なら折れるような仕掛けでも、あれは挑戦者たちに向けた応援メッセージなのだ。頑張って、とエールを送られてる気さえする。
結局のところ、彼女は冒険者を育成する事が目的で、脱落させる気などないのだろう。
そのハードルは想像を絶する高さだが、決して越えられない難易度じゃない。死を前提とするなら、越えられるラインだ。
知ってしまえば、それに気付いてしまえば、諦める事なんてできない。
そもそも、他の誰もが諦めないのに自分だけ立ち止まるなんて、ましてや脱落なんて有り得ない。
どれだけ傷めつけられようが、これは成長の糧だ。自分の限界を知りにこの街に来たのだ。ちょうどいいじゃないか。
ボロボロになって、粉微塵になって、原型を留めていなくても、それはきっと成長なのだ。
-1-
[ 第二関門・無感の間 ]
「誰もいない……か」
第二関門に辿り着いた時、誰とも合流は叶わなかった。第一関門で時間を取られたのが原因かもしれない。
説明を読んで分かる試練の特性上、先の[ 無感の間 ]の中を彷徨っている可能性もあるが、とにかく一人での挑戦だ。
足を踏み入れると、中は一面の闇だ。通路は一直線のはずだが、自分がどこにいるのか分からなくなる。
モンスターも、殺人トラップも何もない。あるのは長く暗い通路と静寂だけだ。《 アイテム・ボックス 》も開けない。スキルも使えない。ただ、素の能力だけで進む闇の回廊だ。そんな何もない世界をひたすら歩く。
長い、長い時間をひたすら歩いていると、次第に時間感覚が無くなっていく。
歩いているのは一時間なのか、半日なのか、一日過ぎたのか、それとももう三日くらい経ったのだろうか。
音が消えた。自分の声も呼吸の音も聞こえない。体内の臓器が奏でる音すら感じなくなった。無音の世界だ。
目が見えない。極度の暗闇なのか、気づけば自分の手すら見通せなくなっていた。手を近付けてみようが、何も見えない。
体を動かしている感覚が薄くなっていく。次第に自分がどこに向かっているのか、その感覚まで希薄になっていく。
歯を食い縛っても口の感覚がない。体を傷付けても痛みを感じない。歩く足元から感じる地面の感覚が稀薄だ。
呼吸すら、実感が薄れていく。息をしているはずなのに、できている気がしない。
歩けてはいる。大丈夫だ。まだ、大丈夫。自信はなくても自分に言い聞かせる。それしかできない。
方向はこれで合っているのか? どこかに分岐路はなかったか?
本当に歩いているのか? 実は立ち止まっていないか? ……そもそも、僕は本当にここにいるのか?
何もない世界で、気が狂いそうになる。ひょっとしたらもう狂っているのかもしれない。
何度も《 自滅 》の誘惑に負けそうになった。
首に触れてもその感覚はない。腕を動かしている感覚さえ希薄だが、それは確かにあるはずなのだ。
死の再現と引き換えにあの待機部屋に戻れるのならと、起動したくなる。
視覚が、聴覚が、味覚が、嗅覚がひどく懐かしく甘美なものに思える。あれほど苦しめられた第一関門の苦痛でさえ、愛おしく感じる。
痛みでもなんでもいいのだ。自分がここにあるという感覚が欲しい。何もないというのは、これほどまでに苦しいものだったのか。
だが、《 自滅 》して戻って、もう一度ここに来れるだろうか。また同じ苦しみを味わうというのか。
この試練は、一度戻っただけでも再挑戦すら困難に思える。また足を踏み入れられる気さえしない。
……ああ、弱いな。なんて弱さだ。こんなにも僕は弱かったのか。
これがまだ第二関門だって? 他のみんなもこんな苦しみを味わっているというのか。一体どこの誰がこんな試練を乗り越えられるっていうんだ。
そう悪態をつきながら、真っ先に脳裏に浮かぶのはあの二人だ。僕が並び立ちたいと思う二人だ。
……ああ、君たちなら乗り越えてしまいそうだね。
一体どんな差があるというのだろう。何故かあの二人なら、越えて当然のような気にさせる。
そして僕はそう思われていない。脱落しても失望すらされず、適当な罰ゲームを受けてお茶を濁されるだけだろう。
……ふざけるな。
認められない。そんな事は断じて認めない。
誰がそう思おうとも、自分だけはそんな評価を下してはいけないんだ。
自分の限界を知りたいなら、ちゃんと前へ進め。理想の自分を描いて、それに向かえばいい。限界がこんな低い場所にあってたまるものか。
ほんのわずかだが、求めていた答えが見えた気がした。
思考の迷宮から抜けだしたと思った途端、闇の中に光が刺す。……出口だ。
……長い、闇が終わりを告げた。
結局、僕は三日歩き続けたらしい。待機部屋に入るのと同時に倒れこみ、空腹を満たすと更に一日寝続けた。
時間を無駄にしてしまったが、先に着いていたティリアとゴーウェンの話によれば問題ないらしい。
「この[ 選別の間 ]は四人揃わないと開始すらできません」
一番早く来たティリアから説明を受ける。どうやら彼女もあの闇の中を抜けてきたらしい。
だが、彼女がどれくらい時間を要したのか、聞く勇気がなかった。
[ 第三関門 選別の間 ]
次の試練の開始条件は四人揃う事。
もう一つの第三関門とはランダムにメンバーが割り振られるらしいので、最低でも四人、最悪の場合は八人全員が第二関門を抜けないと試練すら開始されない。適当な仲間を集めてきたら、それだけでここで詰む。そういう試練だ。
……ここは、試練開始前から始まっていた試練という事だ。
脱落者がいた場合はこちらが優先的に振り分けられるとの事だが、僕らの中に脱落者などいないから関係ない。
内容は段階式の試練で、一人ずつ順に抜けていき、先に進むほど困難な敵と罠が待ち構えている。第二関門に比べたら真っ当に見えるが、きっとひどい難易度なのだろう。
想像するに、最初は微温く、段階的に壮絶な難易度が待ち構えていると考えていいだろう。……二人になった辺りからが本格的にまずそうだ。
「……しかし、暇だね」
「そうですね。[ 無感の間 ]も暇といえば暇でしたけど」
冗談じゃない。あんなのと、あんな死の空間と比べられてたまるか。あれだったら、同じ時間全力で壁を殴りつけていたほうが遥かにマシだ。
四人目が来ないまま時間は過ぎる。第二関門で残っている蝋燭は二つ。情報が足りなくて、これが二人一組で挑戦しているのか、バラバラなのかの判断もつかない。
蝋燭を眺めながら焦燥感に駆られるが、[ 無感の間 ]の事を思い出せば、焦りを感じられるだけでもマシだ。
あの空間ではロクに感情も動かなかった。こんな些細な感情のゆらめきでさえ甘美に感じる。同じ試練を受けたティリアもきっと同じだろう。
かといって、ここでできる事もない。狭いからロクに訓練もできない。ティリアも最初はパズルゲームとやらをしていたらしいけど、もうそんな気分じゃないらしい。
密室に男女揃っても、この面子だと何も起きそうにない。ティリアは人間に興味がないし、ゴーウェンは男女関係はヘタレだ。
僕だって女の子に興味がないわけじゃないが、さすがに人間に興味ない相手を無理矢理とかは有り得ない。それ以前にパーティメンバーを襲う選択肢はないだろう。
これまでゴーウェンと二人組か男ばかりだったが、男女混成パーティなどはこういった時どういう対処をしているのだろうか。
……今後の課題かもしれない。大型クラン所属で、経験の多そうな摩耶にでも聞いてみよう。
「……たまにはゴーウェンも喋りなよ」
「えっ、ゴーウェンさんって喋れるんですか?」
やっぱり、失語症か何かと思われてるよ。
「普通に喋れるよ。喋らないだけ。……寡黙なのが格好いいって思ってるみたいだ」
「はあ……。……はあ? それにしても喋らなさ過ぎでしょう。訓練期間は長かったのに、一度も話してるのを聞いた事ありませんよ」
そのゴーウェンに目をやると、プイと横を向かれてしまった。
実際の日数的にはともかく、体感的には随分長い事一緒にいるのに相変わらずだな。
「多分ガウルも、ツナも聞いた事ないんじゃないかな。僕も一回しか聞いてないし」
「何考えてるんですか。意思疎通ができないじゃないですか」
「どうしても必要な時は、紙に書くよ」
「……そういえば、罰ゲームの時は書いてましたね」
ゴーウェンのそれは寡黙とは言わないと思うんだよね。生活の上でどうしても支障が出るレベルなのに、意地張ってるようにしか見えない。
「そういえば、ゴーウェンさんだけはどんな人だかまったく知りません」
そりゃ、誰も知らないからね。僕も情報はほとんど持ってない。
「どうせ暇だし、話してもいいかい?」
ゴーウェンはちょっと照れていたが頷いた。
「ゴーウェンはどこかの街で捨てられてたらしいんだ」
「どこかの街というのは……王都とかでしょうか」
「知らないな……いつか聞くかもしれないけど、今はいいんじゃないかな」
そういう細かい背景は全然聞いてないんだよ。
「謎だらけですね」
「謎が多いのも格好いいと思ってるから手に負えないんだよね」
本当、ただ喋らないだけで反応は普通だから、寡黙というイメージにはほど遠い。
「体が大きくて力が強いから、子供の頃から肉体労働ばっかりやらされたらしくて、いつの間にかあんな巨体になったらしい」
「……巨人の血が混ざってるとかではないんでしょうか」
「混ざってると思うけど、聞いてないな。ほんと、自分の事話さないから」
人見知りで力持ちで照れ屋で意地っ張りで負けず嫌い。転生者ではないとも言ってたっけ。
あと方向性を間違ってるけど、すごく格好付けたがりだ。女の子にモテたいから格好付けてるのに、まったく意味がない。
しかも、本人はそういった事に関して奥手もいいところだ。ツナの事を時々羨望の眼差しで見ているのを知っている。
「喋らないのも、格好付けたがるのも、子供の時に知り合った冒険者の影響だってさ。迷宮都市に来たのもその人の影響なんだって」
外から来た冒険者だと有り触れた話らしい。遠征というシステムで外に出かけた冒険者が、勧誘みたいな事をしているのかもしれない。
ティリアだって、根本的な理由は違うにせよここに来たのは冒険者の紹介だというし。
「そんなに特殊なエピソードでは無さそうですね」
「憧れた人が変な人だっただけじゃないかな。……実は僕もゴーウェンに関してはそれくらいしか知らないんだ」
本当に会った頃からほとんど情報が増えていない。あとから固定パーティ組み始めたガウルのほうがよっぽど情報量が多い。……自分の名前が嫌いだとか。
何を考えているのかも良く分からない。……でも、頼りになるのは間違いない。
そんな毒にも薬にもなりそうにない話をしていると、遂に後続が来た。……ガウルだ。
「お……お? なんで三人いるんだ? ……ツナの奴もいねーし。どうなってる」
どうやら、第二関門でツナと一緒だったらしい。
話を聞いてみればロクな試練じゃなかったようだ。ゴーウェンのも聞いたけど、こちらもやはりロクなもんじゃない。三つの中からどれかを選べって言われても即答しかねるくらいにはどれも過酷だ。
……とりあえず、[ 無感の間 ]だけはもう嫌だな。もう一回突破できる気もしない。
みんな揃って自分が通ってきた試練が一番嫌だと言っているから、どれくらい辛いのか分からないけど。
ガウルにここの合流の仕組みと、次の関門のルールについて説明をする。本人は遅れている事を気にしていたようで、先行させたツナが心配だったみたいだ。
「まずいな。もう第四関門を通過してる奴がいる」
そう、ルール上仕方ないとはいえ、急がないといけない。
第二関門で足踏みしている最後の一人が誰か気になるけど、フルメンバーが揃ったこちらで待っていてもしょうがない。
今は先のメンバーに追い付くことを考えよう。
[ 選別の間 ]は三つある中継地点にそれぞれワープゲートが用意され、一人ずつ抜けていく仕組みだ。
中継地点を抜けるごとに段々と敵が強化され、罠も凶悪になっていく……らしい。途中で一人でも脱落すればアウト。中継地点にすら辿り着けなくなるので、やり直しを余儀なくされる。
予想通り、最初の中継地点までは人数の事もあって楽な試練だった。第一関門の前に有ったような小手調べと同じ。脱落する事のほうが有り得ない。
戦力的にこの面子はかなり優秀といえるから、次くらいまでは楽に進めそうだ。罠があっても、根本的に< 斥候 >で対応できないものが多いからあまり関係ない。
待機部屋のような中継地点に着くとワープゲートが三つ。用途はそれぞれ、帰還用と次の関門への移動用、そして継続用だ。
説明書きによれば、この先でHP全損になった場合、戻って来るのはここになるらしい。
「ちょっ、ちょっと何を……わ~~ーーーっ!!」
誰が抜けるかで揉めたが、まず最初にティリアが抜けた。
彼女は文句を言っていたが、三人がかりで持ち上げてゲートに放り投げた。こんな事で時間を取られたくない。
試練の傾向からいって、これから先は火力が必要になる。……次に抜けるのは多分僕になるだろう。
中継部屋を抜けると、明らかに難易度が変わった。三人いれば攻略は不可能じゃないが、それでもかなりの苦戦と時間を強いられる。
まだなんとかなるが、この先は大丈夫なのか? これ以上難易度が上がる上に、人数が減るのは相当にハードルが上がる。
「ここはやっぱり僕が残ったほうが……」
「馬鹿言ってんじゃねーよ。お前とティリアは何がなんでも先に行かせるって決めただろうが」
分かっているんだ。だが、この難易度を体感してしまうと……。
「順番はティリア、フィロス、ゴーウェン、で、最後に俺だ。単独戦闘が得意な奴が最後まで残るのが道理だろ。なに、第二関門でラーヴァ・ゴーレム五体に囲まれた時よりマシだ。強かろうが、固かろうが攻撃は通るんだ。あれを一人で突破して来た俺は強い。強いから大丈夫だ」
ガウルが胸を張って言い切る。ゴーウェンも異論はないらしい。
あとを任せていくのは心苦しいが、それよりもこんなところで時間を食うのは惜しい。
「……分かった。先で待ってるよ」
「それでいい。次にこのデカブツを押し込んでから追いつくからよ。ちーと遅れそうだが待ってろ」
訓練の影響なのか、第一、第二関門の影響なのか分からないが、ガウルは変わった気がする。
言葉だけじゃない、妙な自信と説得力が感じられる。大丈夫じゃないかという気にさせるのだ。その雰囲気はどこか、ツナに重なるところがあるようにも見えた。
実はゴーウェンもこの試練で変わったのかもしれない。……相変わらず良く分からないが。
-3-
第四関門の待機部屋には先行したティリアがいた。
「フィロスさん……」
「その表情を見ると、結構キツイ試練みたいだね」
「…………」
バツの悪そうな顔で蹲っている。
ここまでの試練で体験した事を考えれば、それを情けないとかいえない。極限の中で活路を見つけて進むような試練なのだ。ここもロクでもない内容なのだろう。
説明書きだけでは試練の内容が判断できないので、実体験したティリアの説明を聞いてみた。
「個人戦です。中で、挑戦者の最も脅威と感じる存在のコピーと戦う事になります。……コピー対象が強い人でも弱い人でも、勝てる強さまでは調整されるらしいです」
「苦手な相手って事か……」
厄介だな。人によって難易度が変わる。……そして、多分僕は大分マズい事になりそうだ。
「ティリアは誰が出てきたんだい? ……まさかオークとか」
それなら、僕だったら楽なんだけどね。相性ってのは怖い。
「……違います」
じゃあ、なんだと聞いてみても答えてはくれない。言いたくないみたいだ。
確かに自分の弱点になるような部分だ。大っぴらに言いたいものでもないか。
彼女にとってオークが"脅威"かって言われると、確かに疑問ではあるし。……オークに弱いのは間違いないけど。
「じゃあ、僕は行くよ。ティリアもそろそろ次の挑戦だろ」
「……はい、そうですね」
それは、いつもの自信無さ気な表情じゃない。もっと、怯えるような、根本的な問題を突き付けられたような表情だった。
だが、個人戦である以上、僕にはどうする事もできない。そして、リーゼロッテの思惑を考えてしまうと、助言をしてもいいかどうかも迷ってしまう。
これは個々人が成長するための試練なのだ。一方的に助けてもらって乗り越えるようなものじゃない。
そして、きっと僕も……。
[ 第四関門 脅威の間 ]
「……やっぱり君か」
ドッペルゲンガーが変身した姿は予想していた通りだったが、それはこの試練が非常に困難なものになるであろう事を想像させた。
目の前に立つのはとても良く見知った姿。デビューの時から散々顔を合わせてきた少年の姿だ。
こうして見ると見分けが付かないほどに良くできたコピーだ。僕が脅威に思う姿を良く再現している。つまり、僕が思う彼の姿で、きっと本物より強いはずだ。能力が弱体化するというなら、< アークセイバー >で指導を受けた三人のクランマスターの方がよっぽどやりやすい。
だって、僕は間違いなく彼の事を過大評価している。過大と分かっていても、そう評価せざるを得ない。
今、この場において、"僕の思い描く渡辺綱"は、間違いなく最大の脅威だ。
コピーは不敵な笑いを浮かべて、斬りかかってきた。
訓練の間も、その前も、何度も模擬戦はした。だが、それが彼の強さの本質でない事は分かっている。分かっているから余計に自分の中での評価が上がる。上がってしまう。あのトライアル隠しステージで見せた動画の姿を見てしまった以上、そう思わざるを得ないんだ。
「ぐっ!」
盾で受け止める斬撃がとてつもなく重い。絶対にこれは通常のツナじゃない。分かっているのに、そうイメージが固まってしまっている。
冗談じゃない。急がないといけないのに、なんで自分で自分のハードルを上げているんだ。
――――Action Skill《 瞬装:グレートメイス 》-《 シールド・ブレイク 》――
強烈な重みが盾の耐久値をゴッソリと削っていく。
《 シールド・ブレイク 》を覚えた事は知っているが、こんな威力はないのは模擬戦で知っている。しかし、彼なら有り得るかもしれないと心のどこかで思ってしまっている。
「くそっ!!」
――――Action Skill《 シールドバッシュ 》――
追撃に合わせて、体勢を崩すための《 シールドバッシュ 》を放つ。
一瞬蹌踉めくものの直ぐ様体勢を立て直し、再度襲いかかってくる。本物はそんなに対応早くないぞっ!!
――――Action Skill《 シールド・ブレイク 》――
ああ、そうだろう。ツナだったら、僕が盾に頼っている事を理解して、それを壊そうとしてくるだろうさ。気持ち悪いくらい、僕の中の渡辺綱と同じだ。
――――Action Skill《 魔装盾 》――
――――Skill Chain《 シールドバッシュ 》――
なら、防御力を上げて、その狙いを外す! ツナだったらこのあと……このあとどうする……。
――――Skill Chain《 瞬装:不髭切 》-《 旋風斬 》――
まずい! これは防げる。防げるが、確実に次が来る。
――――Skill Chain《 旋風斬・二連 》――
軌道を変えての連携技。《 旋風斬 》が止められた事をトリガーとして発動する連続攻撃。駄目だ、これは……
「ぐはっ!!」
盾の脇を擦り抜けて《 旋風斬・二連 》が体に直撃した。
くそ、模擬戦で何度もやられている。二撃目の軌道を変えるのには苦心していて、成功率はあまり高くなかったけど、このコピーはそんな事は関係なく100%成功させてくるだろう。下手をしたら、新人戦で見せた脅威の八連撃すらやって来かねない。
「ぐあああああっっっ!!」
その後は滅多打ちだ。《 魔装鎧 》があれば、多少は耐えられたかもしれないが、それでもジリ貧だろう。
「くそ……」
待機部屋の魔法陣で、天井を見つめながら悪態をつく。あんな怪物、どうしろっていうんだ。
自分の中の過大なイメージを切り替えられればいいとは分かってる。それはそうなんだが、実際追い詰められたツナならあれくらいやってきそうだ、という予感もある。
頑張ってあれを追い詰めるまではいい。いくら能力値がブーストされてようが、何度か挑戦すればそれはなんとかなる気がする。
だけど、そのあとが問題だ。僕のイメージするツナだったら、確実に《 飢餓の暴獣 》を発動させてくる。それくらいあの動画は印象に残っている。
……見なければ良かったかな。ちょっと……結構後悔してる。
何度負けただろう。叩きのめされて、再度挑戦して、諦めずに繰り返す。
一発勝負じゃない。何度でもやり直せるのは無限回廊に似ている。正に縮図と言っていい。
負けてもいい。その間に何かを掴めば一歩だろうが先に進める。それを理解した。
相手の動きを良く見て、行動パターンを読む。コピーとはいえ、意思を持った相手だから単純じゃない。だけど、できる事は限られているのだから、傾向は読める。これまで何度も本物と模擬戦を繰り返してきたんだ。イメージで上方修正してようができないはずがない。
そもそも、これは僕が生み出したイメージだ。できないほうがおかしい。
『お前は万能だが凡庸だな』
かつて言われた言葉が胸に刺さる。
ああそうだ。僕はなんでもできる。なんだってできる。< 魔装士 >というクラスはその代表格のようなものだ。汎用性に富んでいる。< 魔術士 >ツリーの適性もあった。治癒魔術だって覚えようと思えば覚えられるだろう。どんな局面にも対応できるのは間違いなく僕の強みだ。
だけど、駄目なんだ。いくら汎用性に富んでいようが、万能だろうが、特化したものは何一つない。
目の前の男は真逆で、その究極系に近い。尖り過ぎた性能で、それ以外の欠点を補っている。僕の対極に存在するものなんだ。
だから憧れた。並び立ちたいと思った。でも、その立ち位置はユキトが埋めている。つまり、そこに僕の居場所はないんだろう。
――――Passive Skill《 飢餓の暴獣 》――
お互いボロボロになって、そのスキルが発動したのを確認した。そこまでは追い詰めた。だけど、ある意味ここからが彼の本番なのだ。
HP0、体もズタズタ。MPすらない。HP以外はあちらも僕と似たような状況のはずなのに、そこからの引き出しが多過ぎる。
――――Action Skill《 シールド・ブレイク 》――
叩きつけられた大剣で盾が破壊された。耐久値限界だ。まだ三分の一以上残っていたはずなのにこれだ。
《 アイテム・ボックス 》から予備を取り出す暇はない。この状況で片手剣だけで戦えというのか。
半ば野獣と化したツナと斬り合って、殴られて、押され続ける。本当に同一人物なのかと疑わしくなるほど、能力の差が激しい。
――――Action Skill《 食い千切る 》――
「があああああっっ!!」
肩の肉を骨ごと食い千切られた。HP残量なんてお構いなしの一撃だ。
行動が早過ぎる。《 飢餓の暴獣 》が発動してから何もできていない。
「くそおおおっっ!!」
苦し紛れに剣を振るっても掠りもしない。その動きが視認できない。どんな怪物だ。
「がっ!!」
視界外にいたはずなのに、喰らったのは顔面への膝蹴りだ。一体どこからそれを繰り出したというんだ。
倒れる中で、更なる追撃。追撃。追撃。地に伏せる事なく、僕のわずかなHPが全損した。
「……なんだアレは」
冗談じゃない。あんな理不尽過ぎる下級ランクがいてたまるか。
イメージで上書きされているとはいえ、根本的な部分にそう違いはないはずだ。トライアル隠しステージで戦った猫獣人はあんなのと対峙したのか。……それは怖いだろう。怖くないほうがどうかしてる。
あれは生物としての根源的な恐怖を呼び覚ます。食われるという恐怖は、それほどに心を揺さぶる。弱者であれば尚更だ。
そうだ。僕は弱い。間違いなく弱い。あの二人に会ってから感じてるものの正体がようやく分かった。
……これは劣等感だ。ツナにも、その隣に立つユキトにも到底及ばないと自覚してしまっているのだ。おそらく最初から。
口では何と言っても、心でどれだけ叫んでも、潜在的に秘めているのはそれだった。
この状況でどう抗えばいい。アレを生み出しているのは僕の劣等感なんだ。そんな潜在的なものを乗り越えるなんて、一朝一夕、この短時間でできるような事じゃない。
大体、時間が経つごとに、彼らとの差は離れていると感じているのだ。今時点で勝てないものをどうやって乗り越えればいいんだ。
燭台を見る限り、ティリアは抜けていないようだけど、また一本第四関門を抜けた蝋燭が増えた。誰かは分からないけど、進んだのか。
「フィロス」
魔法陣に転がる僕に巨大な影が差した。
……ゴーウェンなのか。そういえば、少し前から彼の蝋燭も短くなっていた。情けなさ過ぎて、顔も直視できない。
「何をこんなところで転がっている。フィロス」
「……どうしたんだい? 喋るなんて、珍しいじゃないか」
あまりに久しぶりに聞いたんで、誰の声か分からなかったよ。
「それが、今必要な事だからだ。大切な相棒が折れそうな状況で黙っているほど、腐っていない」
……はは、分かるのか。良く見ているね。確かに今にも心折れそうだ。第一関門からここまで来て、最大の壁だ。どうにもなる気がしない。
「激励でもしてくれるのかい?」
「甘えるな。オレの相棒はそんなにヤワじゃない事くらい知っている」
「……君に僕の何か分かるっていうんだ」
「自分の事がロクに分かってない奴より、分かってるつもりだ」
見透かされてるのか。喋らない代わりに、本当に良く見ているもんだ。
「お前の脅威はおそらくツナだろう?」
「……やっぱり分かるのかい?」
「当然だ。お前がどれほどあいつに対して劣等感を持っているか、見ていれば分かる」
……僕はさっき気付いたよ。
「だが、お前にはあいつにないものがいくらでもあるだろう」
「そりゃそうさ。汎用性、万能性、なんでもできる。そう言われ続けて、自分でも自分の性質を理解してる。……でもさ、駄目なんだ。それは突き抜けたものに比べたらちっぽけで、そんなのと比べたら、何でもできるって事は何もできない事と同じ事なんだ」
「なんでもかんでも自分だけでこなそうとするからそうなる。究極のところ、お前はオレすら必要としていない」
「…………」
そう、なのだろうか。僕より分かってるゴーウェンが言うならそうなのかもしれない。多分真実だ。
「だが、それも一つの在り方だろう。弱点がないというのも立派な特性だ」
「だけど、それじゃツナには勝てない」
あのコピーにも……多分、本物にも。
「そのままならそうだろう。突き抜けるために必要なリソースを汎用性に割り振っているんだからな」
リソースなんて、最近覚えた言葉を良く使う。でも、言ってる事は間違っていない。
「お前が目指すところなんて、オレは知らない。だが、そんなところで止まる必要はないだろう」
「僕も、自分が目指している先なんて分からない」
「だが、お前はそれを選んだ。それには確かに意味があるはずだ。極端な話、すべてできるというなら、すべて突き抜けてしまえば良いだろう」
言ってくれるな。すべて一流以上になれと、そう言うのか。
< アーク・セイバー >も< 流星騎士団 >も、トップにいるような人たちでさえ、何かに特化しているというのに。
「オレは会った事はないが、あの二人からダンジョンマスターの話を聞いた。詳しいところは分からないが、なんでもできる。弱点はない。でも、何もかもが強いらしい。……お前の究極系はその人なんじゃないか?」
その先にいる人ならそれができると。それを目指せなんて、無茶を言うもんだ。
「……もう待機時間も少ない。オレはもう行く」
「ゴーウェンは抜けられそうなのかい?」
「絶対に次で抜ける。……ティリアもそうだ。あとから来る奴等も抜けて行くだろう。そんなところで蹲っているなら置いていくぞ。……それとも、お前の限界は"そこ"なのか?」
ゴーウェンはそう言い残すと、待機時間を待たずに自分の試練へと向かった。
……くそ、何も言い返せなかった。自分が次で抜けると虚勢さえ張れない。
普段、あれほどまでに何も言わない奴が、あそこまで言ったんだ。今の僕は相当参っているように見えるんだろう。
……確かにそうだ。これまで感じた事のない壁を感じている。
でもダメだ、負けられない。負けちゃいけない。タイムアップが来るまで何度でも挑戦するんだ。
……違う。先に行った誰かが負けてタイムアップが来ようとも、諦めちゃいけない。僕が僕であり続けるために、あの壁は絶対に乗り越えなきゃいけない壁だ。絶対に譲ってはいけない境界線なんだ。コピーなんかに負けて、どうして本物に勝つ事ができる。
立ち上がれ。僕の限界はこんなところに在りはしない。こんな低い場所が限界だと認めてなるものか。
-4-
戦いながら、何度も負けながら対策を考える。どこかに見落としがないか。自分ができる事を何か忘れていないか。
《 飢餓の暴獣 》発動まではなんとかなるんだ。だが、それ以降がどうしようもない。
こうなってくると、ゼロ・ブレイクが邪魔だ。こちらはHP0で終了なのに、あちらはお構いなしでそこから本番だ。
くそ、駄目だ、こんな所で諦めるな。
『まだ、他の人が来ると思ってたんですか? 私としては『やっぱりこうなった』って感じなんですが』
次の挑戦のため、ゲートを潜ろうとしたら、そんな声が聞こえた。
なんだ、これは。……リーゼロッテなのか?
『何がやっぱりだよ』
ツナの声も聞こえる。まさか、これは最終戦の会話なのか。何故、こんなものを聞かせる。
「今ここに立っているのは、最初に私が予想していた通りのメンバー。他の人がまだ残って挑戦を続けているのはちょっと予想外ですが、そこ止まりです。彼らにはまだ、お兄ちゃんの……渡辺綱の影響が足りない」
……ああ、そうか。それが、彼女の評価か。
確かにそうだ。ツナには何か得体の知れない引力を感じる。本人は自覚していないが、彼は確かに周りに影響を与え続けている。……多分、リーゼロッテにも。
「……逆だろ。俺がみんなの影響を受けてここに立ってるんだ」
「お兄ちゃんは、自分が周りに与える影響っていうものを理解したほうがいいね。ここまで来れる人、最後まで立っていられたのは影響を強く受けてる人だけなんだから」
つまり、彼女はそれ以外に期待していないと言いたいのか。
「お前こそ、何か勘違いしてないか?」
「そうですか? でも事実として、ここに立っているのは三人だけ」
燭台を見ると、最終戦にたどり着いているのは三本。ツナ以外は誰だか分からない。
……新人戦で組んだ二人だろうか。明確な根拠なんてないが、そんな気がする。
「今はな。……あいつらだって、あとから来るさ。だって、その蝋燭は俺たちの生存状況なんだろ? 一つとして消えてねーじゃねーか」
その言葉を聞いて、ミシリと、何かが割れる音が聞こえた。それはきっと僕の根幹部分が軋み、砕ける音だ。
「……すごいね。お兄ちゃんが言うと、なんだか本当にここまで来ちゃいそう」
「どれだけ遅れようが来るさ。一緒に訓練して分かったけど、俺たちは全員超ド級の負けず嫌いだからな」
これはリーゼロッテのメッセージだ。ツナにこんな事を言わせておいて、お前たちは立ち止まったままなのかと、そう言いたいのだ。
『ははっ、そうですね。……本当に負けず嫌いな挑戦者たち。……じゃあ、他の人が来るまで持ち堪えないと』
『来る前に終わったら謝らないとな』
僕は……馬鹿だ。なんて情けない奴なんだ。
くそっ!! 冗談じゃない。ここまでやるのか。ここまでやらないと、僕らはそこに辿り着けないと、そう言っているのか。
「ああああああああっっっっ!!」
やり場のない怒りが、全身を襲う。
上等だ、リーゼロッテ。その挑発乗ってやる。確かに、僕はそれくらいされないと先に進めないほど情けない存在なんだろう。そう見られてもしょうがない。
これは確かに効いた。……これ以上ないくらいに。
だが、舐めるな。そんな評価のままで終わらせてたまるものか。
あとから来る二人にもこのメッセージは届いたはずだ。負けず嫌いにこれは堪えるだろう。僕らにはこれ以上ないほどの挑発だ。黙っているはずがない。
改めて対峙した渡辺綱のコピーは小さく見えた。
何も変わっていない。僕が何か新しい力を手に入れたわけでもない。だけど、負ける気がしない。
『今はな。……あいつらだって、あとから来るさ』
本物のツナの言葉が何度も何度も、繰り返し脳裏を過る。
ツナは信じてる。馬鹿みたいに何も疑わずに。……あれが本物の渡辺綱だ。こんなコピーなど、及びも付かない存在だ。
「だああああっっ!!」
小器用な技術に頼るな。不格好でも、この不快なコピーを叩き潰す事を考えろ。こんな劣化品に負けているようじゃ先になんて進む価値はない。
イメージで過大評価なんて、そんなのは妄想だ。僕らの思いもよらない事をやって退けるのが渡辺綱という男なんだから、それ以上なんかであるものか。
今、僕にできる事を総動員しろ。相手の一挙一動を見逃すな。絶対に綻びはある。
あとの事など考えるな。戦闘のペースなど知った事か。《 魔装盾 》、《 魔装剣 》、使い慣れない《 パワースラッシュ 》だって惜しむ必要はない。
魔術を使ってこなくたって、魔力の流れは存在する。《 魔力眼 》で注視しろ。
がむしゃらに戦う中で、それぞれのスキルの精度が上がる気がした。
これまでは、いくら使っても変わらなかったのに、意識の変化一つでこの差か。
確信がある。後少しで辿り着ける。この試練の中でベースLv35に達しても決して上がらなかった、《 魔装剣士 》のクラスレベルの壁がそこに迫っているのを感じる。
「があああっっ!!」
動きが荒削りになった事で、盾の防御を擦り抜けてくる攻撃が増えた。
だが、構うものか。与えるダメージだって、これまでより多い。ただのスタイルの違いだ。
斬る。攻撃を受ける。防御する。相手を観察する。極限の状態は大歓迎だ。彼の真似事くらいこなしてみせる。
その中で、不思議な現象が起きた。これまで《 魔力眼 》で確認できなかった、些細な変化が目につくようになった。
スキルレベルの上昇なのか、変質なのか。……何かが変わった。
相手の動きが分かる。次の動作が読める。勘が鋭くなったわけじゃない。これは、魔力の流れだ。これまで、そこにあるとしか分からなかった魔力の流れが手に取るように見える。
……ああ、そうか。一般人もそうだが、それを活用しているかどうかとは別に冒険者は全身に濃厚な魔力を纏っている。
だから、本人の意思とは別にして、動作に合わせて魔力も移動する。些細にだが、確かに変化しているのが分かる。
問題は《 魔力眼 》の継続使用で消費するMPだが、構わない。まるで恩恵が違う。
[ スキル《 術式切断 》を習得しました ]
とうとうその時が来た。長い間、待ち望んだスキルを習得した。
「……ずっと、気になってたんだ」
これまでの冒険者生活の中で、モンスターの事は一通り調べてある。
今回の試練とはカテゴリが違うと考えていたが、ドッペルゲンガーに関してもそうだ。ドッペルゲンガーはこんな精密な変身をする種族じゃない。
なのに、ここまで相手の潜在意識を反映して変身してくるのはおかしい。何か外的な要因があると考えるのが当たり前だろう。
先ほどから見えるようになった線。部屋全体からコピーに向かって伸びている魔力線がカラクリだ。
こいつらはおそらく、この部屋の中でしか脅威を再現できない。
「だったら、この線を斬ればいい」
今まではたとえ知ってても不可能だっただろうが、今ならできる。紛い物の化けの皮を剥がしてやれ!!
「たああああっっ!!」
コピーの攻撃をいなしながら、無数に伸びた魔力線を切断していく。
斬る度にコピーの動きが精細を欠いていくのが分かる。そしてすべてを切断し切ると、コピーは変身前の青年執事に戻った。
「お見事。条件クリアです」
「……うるさいよ。どうせリーゼロッテの命令か何かだったんだろう?」
「はい。あなただけは《 術式切断 》が使えるようになるまでは、絶対に通すなと」
つまり、コピーどころじゃない性能のツナと戦っていたという事だ。
……でも、本物があれより弱い気もしないのは何故だろうか。過大評価じゃなく、今なら確信して言える気がする。
「過保護だね、リーゼロッテは。本当に僕らの成長の事しか考えてない」
「そうですね。私から見てもそう感じます」
< 魔装剣士 >である僕が《 ドール・マリオネット 》対策の要である事は間違いない。
その肝心要の僕が《 術式切断 》を使えないんじゃまったく意味がないと、そう言いたいのだろう。
だからこんな茶番を用意した。そこまで鍛えられるよう、お膳立てまでして。
……いや、違うな。茶番といえば、この試練すべてが茶番だ。死に物狂いで戦ってはいるけれど、どれもが訓練と変わらない。この先、無限回廊を進み、本物の試練を乗り越えるために用意された"訓練"だ。
あるいは、今攻略している無限回廊でさえ"訓練"に過ぎないのかもしれない。……そんな気がする。
「こんな茶番程度、軽く乗り越えないと先にも進めないって事だろ」
「もう行って下さい。あまりリーゼロッテ様を待たせるのも良くないでしょう」
本当に茶番だ。一度くらい引っ叩いてやりたい。だけど、間違いなく強くなった。必要な力は手に入れた。……それは感謝しよう。
ただ結局のところ、脅威は乗り越えたわけじゃない。……これは、僕が先に進むための、いつか乗り越えないといけない壁になるだろう。
-5-
最後の待機部屋で燭台を見た。ゴーウェンとティリアは先行したみたいだ。
ガウルと摩耶も第四関門に入ったようだ。改めて考えてみると後続の二人はすごいな。ほとんど独力で抜けてきたって事じゃないか。
抜かされていたら、本当にいい笑いものだったな。
ゲートを潜り、先を急ぐ。城の広間のような空間は、これまでとまるで違うものだ。その中で、戦うみんなの姿がある。
リーゼロッテは奥に佇み、動いていない。炎に巻かれながらだが、戦っているのは主にパペットドールだ。まだ前哨戦という事か。
走りながら《 魔力眼 》で観察する。
リーゼロッテからドールへ伸びる複数の魔力線。特に大きな七体のドールは、強固な複数の線で結ばれている。
そして気になるのが、ツナとサージェスからリーゼロッテへ伸びている線。……これは何かを吸収されているのか。
「だああああっっっ!!」
合流したのと合わせて、巨大パペットドールの腕に接続された魔力線を断ち切る。
すると、その腕はダラリと支えを失ったように地に落ちた。いける。ドールは敵じゃない。
「遅くなったね、ごめん」
「フィロス……」
五人でもドールに囲まれて散々苦戦したのか、みんなボロボロだ。
特に最初からいたであろう三人が満身創痍だ。ティリアの回復が間に合っていない。
「色々話す前にやる事がある」
ツナとサージェスから伸びた魔力線を一閃した。ツナは僕が何をしたのかを分からずに呆然としていたが、見えなければそうだろう。
「……何を」
「リーゼロッテに伸びていた魔力線を斬った。何か吸収されてたみたいだね」
「《 術式切断 》を習得したのか」
「ああ、だからドールは任せてもらって良い。ティリア、しばらく防御は頼むよ」
「は、はいっ!!」
一体の巨大ドールと対峙する。攻撃を受けてやる必要はない。本体へダメージを通す必要もない。ただ、線を斬ればいい。
強固で複数ある魔力線だが、各部位に対応しているらしく、線を斬る度にその箇所が動かなくなっていく。
「たああああっっ!!」
中型ドールの妨害を避けながら、一体目の大型から伸びた最後の線を斬ると、轟音と共にその巨体が地に沈んだ。
「……やるじゃねーか」
「散々苦労したんだよ」
ツナは軽口を叩くが、その表情は重い。リーゼロッテに伸びた線は斬ったが、左半身を覆う謎の瘴気はなんともできそうにない。……これはなんだ。
「悪い……これのせいで左腕が動かねえんだ」
なんだか良く分からないが、攻撃を受けているらしい。良く見れば、ユキトとサージェスもわずかに同じものを纏っている。
だが、ツナだけが極端に濃い。それを見ていると、まるで深淵を覗き込むような気にさせる闇だ。
「フィロス、そのペースで他のも落とせる? 摩耶がまだ来てないから、対処できるのがフィロスしかいないんだ」
「ああ、大丈夫。ちょっと気合入れて切断にかかるよ。……しばらく小さいのの相手しながら防御に専念して」
ユキトに応えて、さっそく処理にかかる。
チラリとリーゼロッテの方を見ると、『あと二人』と唇が動くのが見えた。なるほど、全員揃うのを待っているのか。……過保護だね。
ひたすら切り刻み、二体目を落とす。このままならまったく問題ない。だが、リーゼロッテが静観したままのはずがない。
――――Action Magic《 フレイムウォール 》――
「くっ」
先ほどまでも火柱は上がっていたが、更に増えた。いや、名前からすると、これは壁なのか……。
パペットドールはおかまいなしに自由に移動してくる。動ける範囲が極端に狭いのはこのためか。
こうやってジリジリと追い詰めながら、他のメンバーが来るのを待っていたと。……趣味悪いぞ。だが、僕はできる事をするだけだ。
再び轟音と共にドールの巨体が地に沈んだ。三体目の巨大パペットドールの魔力線を断ち切り、無力化する。
ツナたちも火の壁と複数のドールに囲まれながら防戦しているが、健在。ゴーウェンに視線を送っても、返事は『お前はそっちに集中しろ』だ。……良く分かってるね。相棒。
――――Action Skill《 真紅の三日月 》――
「……ちっ!」
スキルに反応し、慌てて躱す。曲線を描いて、赤い斬撃が掠めていった。これはリーゼロッテの鎌か。斬撃を飛ばしてきた?
……いいね、そのスキル。それがあれば魔力線くらい簡単に切れそうだ。
そりゃ、リーゼロッテから見たら僕が唯一最大のドール対策だ。フリーハンドにしておいたままのはずがない。
――――Action Skill《 黒翼翔 》――
フリーハンドどころじゃない。リーゼロッテ自らが切り込んできた。
黒い翼を羽ばたかせ、炎の中をわずか数瞬でここまで詰めてくる。速いっ!!
「くっ!!」
飛翔しながら放たれる大鎌の一閃を盾で受け止める。
空中からの攻撃。しかもほとんど実戦で見かける事のない特殊な形状の武器だ。注意を払え。
案の定、盾の横合いから刃が差し込まれた。躱せっ!!
――――Action Skill《 シールド・バッシュ 》――
体重は乗せられなかったが十分だ。反動で距離を離せた。
「まだ二人来てないけど、動いて良いのかい?」
様子を見る限り、リーゼロッテはここまで動かなかったはずだ。こうして自ら動いたのは、動かざるを得なくなったという事。
「あなたがこの戦いの要である事は最初から分かってましたから。……自由に動かれると人形たちがすべて沈んでしまいます」
そりゃそうか。簡単にドールを無力化できる相手を放っておくはずも、必要もない。逆に僕さえ抑えてしまえばジリ貧だ。
――――Action Skill《 真紅の血杭 》――
空中に展開される赤い杭。計十二本。すべて、こちら向きだ。これは、あの吸収型の杭だ。そうでなくても喰らっちゃいけない。
飛んでくる杭を盾で捌き、剣で落とす。こういう飛び道具に対応できるスキルがないのは厳しいな。ゴーウェンの《 矢避け 》は効くんだろうか。
杭に合わせて鎌を振り下ろしてきたリーゼロッテを迎撃。
くそ、やり難い。鎌の形状は独特で、使い難い事この上ないのだろうが、円を描くその特殊な軌跡は相対する方にとっても対応し難い。
《 魔力眼 》を全開にして動きを読むが、そもそも魔力の保有量が桁違いで、些細な変化が掴めない。
魔術を使う相手の動きは読み難いんだね。良く分かったよ。
――――Action Skill《 真紅の三日月 》――
――――Skill Chain《 真紅の三日月・第二刃 》――
――――Skill Chain《 真紅の三日月・第三刃 》――
一旦距離を取り、何をしてくるかと思えば、先ほどの飛ぶ斬撃だ。赤い刃が三つ飛び交い、複雑な軌道を描いて僕に飛んでくる。
その軌道は読み易いが、一度躱しても再び舞い戻って襲いかかってくるのが厄介だ。
これは盾で受けるか《 術式切断 》で斬る必要がある。まだ、射撃魔術相手だと合わせるのが難しそうなんだが。
だが、その飛ぶ斬撃に苦労していると、今度は火の球が飛んで来た。事前情報ではリーゼロッテは魔術士だ。鎌じゃなく、こっちが本来のスタイルか。
火の球を盾で防ぎ、《 真紅の三日月 》を斬り払う。
くそ、時間がかかり過ぎだ。ふとツナたちのほうに目をやると、あちらも悪戦苦闘している。
残りの大型ドールが多過ぎて対応できていない。中型、小型も無数にいるのだ。僕が大型を仕留めないと。
「余所見してていいんですか?」
一瞬、注意を逸らしただけだ。なのに、振り返ったリーゼロッテの周囲に無数の火の球が展開されている。
杭の十二本なんて比較にならない。それはあの新人戦で見た一度目の《 流星衝 》にも匹敵する数の炎で――
――――Action Magic《 ガトリング・フレイム 》――
――圧倒的な数の火の弾丸が、僕に向かって射出された。その面攻撃は、受ける側からしたら火の弾丸というよりも壁だ。
駄目だ、回避はできない。受けろ!!
「ああああっっ!!」
――――Action Skill《 氷装盾 》――
冷気の魔力を盾に展開し、大量に射出される《 ガトリングフレイム 》の炎を受ける。
炎の熱は《 氷装盾 》で軽減できるが、一つ一つの弾丸が重く身動きが取れない。
間を置かず、無数に飛んでくる弾丸は一体いつ終わるのか。最初に展開されていた火球の数なんてとうに超えている。
とんでもない魔術だ。《 氷装盾 》がなければ終わっていた。その《 氷装盾 》だって、もう効果が切れ……
――――Action Magic《 フレイム・キャノン 》――
炎の隙間から見えたそれは、巨大な火の塊。《 ガトリング・フレイム 》を発動する間であんなものを用意していたのか。
あんなもの避けられるわけがない。……受ける?
目の前の炎の塊はリーゼロッテの体の数倍。その巨大な炎の砲弾が今まさに僕を飲み込もうと飛んでくる。
何か、何か手ないのかっ!! くそっ!
――――Action Skill《 氷装盾 》――
万能だ、弱点がないっていっても、未熟な僕じゃこれしかできない。
あの巨大な炎に立ち向かうには、この盾はなんて貧弱さだろうか。それはそのまま僕とリーゼロッテの力量差を表しているようにも見える。
「ぐああああっっっ!!」
再度展開した《 氷装盾 》を翳しても、ロクに防御できていない。一瞬で飲み込まれる事だけはなかったが、それだけ。
冷気の魔力を纏っているにも拘らず、すでに盾が溶解し始めている。属性防御がなんの役にも立っていない。空気を通して、盾を通して伝わってくる熱は、今にも僕を溶かしそうだ。
ダメだ、このままだと僕が落ちる。落ちたら誰がドールの対処をするんだ。今だってジリ貧なんだ。こんなところで僕が落ちたら……。
駄目だっ、諦めるな、踏ん張れっ!! たとえ一秒だろうが、リーゼロッテを足止めするだけでも意味はあるんだ。
諦めたら、起こるはずの奇跡にだって見放されるだろう。だから絶対に諦めるな。
なんでもいい。自力でなくてもいい。そうやってツナは戦況を引っ繰り返してきたはずだ。
彼なら、こんなところで諦めたりしないっ!!
――――Action Skill《 ブリザード・ブレス 》――
巨大な炎を押し返すように、冷気の波が後ろから放たれた。
それは《 フレイム・キャノン 》の熱を凍てつかせ、術者のリーゼロッテまで巻き込んで氷の世界を作り出す。
一瞬で、灼熱の赤い世界が白銀の氷へと姿を変えた。
「間一髪だったな、フィロス」
「……が……うる?」
振り返ると、そこには第三関門で分かれ、最後まで残ると言い放った銀狼の姿。
なんだそれ。そんなスキル知らないぞ。一体いつ覚えたっていうんだい。
「こいつは第二関門でちょっとな。……強力だが、連発できない。何回も同じ手は使えないぞ」
それでも、あれを引っ繰り返したんだ。大したもんだよ。
なるほど、これはいいね。何かが起きるかもしれないって諦めずにいて、"何か"が起きた時のこの感覚はいい。……これで、まだ戦える。
ツナの指示なのか、ガウルはこちらに残って対応してくれるらしい。
「七人目。……あと一人か」
独り言のように呟くリーゼロッテの声が聞こえた。
「あー、それは勘違いだ、嬢ちゃん。……あんな演出までされて、俺たちが黙ってるわけねーだろーがよ」
後方で、地響きがした。それは僕が三度鳴らした、巨大ドールが崩れ落ちる音。
そして、崩れ落ちる巨大ドールの足元に着地する姿は、久しぶりに見る最後の一人…………間に合ったのか。
「……八人目」
とても嬉しそうな、狂気染みた笑顔でリーゼロッテが呟いた。
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