幕間「とある冒険者の誕生」
-1-
かつて、地球という星の、日本という国に三上織人という男がいた。
特段語るような事もない、平凡な男だった。
普通の家庭に生まれ育ち、普通の学校を卒業して、普通の中小企業に勤め、過労で体を壊して退職、そのあと病死した。
最後は少しアレだが、それにしたって日本でも珍しいという類の話ではない。本人もそう思っていた。
未練はある。結婚してみたかったし、子供も欲しかった。
あと、辞めた会社の上司に絞め技をかけてやりたかった。具体的にはこう……手で首を。
未練があったから、というわけではないと思うのだが、不可思議な現象が発生していた。
「綺麗な銀髪ね。お父さんに似たのかしら」
と、頭を撫でる手の感触があった。とても大きな手だ。
目は見えない。まったく見えないというわけでもないのだが、ぼんやりした視界が広がるだけだ。実はさっきの声も聞き取り辛かったので聴力も怪しい。
これは、なんだ?
俺は死んだはずだ。完膚なきまでの病死で、他の可能性を想像する余地すらない。
まさか、転生でもしたというのだろうか。
家は仏教徒ではあったし、輪廻転生の概念くらい知ってるが、まさか自分で体験する事になるとは。
しかも、記憶があるという事は、死ぬ前の闘病生活で見たネット小説みたいじゃないか。こんなのばっかだったよな。
死ぬ前、弱った体に複数の病気が併発し、ロクに外に出る事もできなくなった俺の唯一の趣味がネット小説だった。
普通の小説でもマンガでも良かったのだが、本を買う必要があるため、それだと家族に手間をかけさせてしまう事になってしまう。
最初は某掲示板を見たり、ネットゲームをプレイしていたのだが、MMO仲間から紹介されて手を出し始めてからは、ほとんどこれだけが趣味となった。
自分で書くような事はない。
話のネタになるような大した人生経験があるわけでもないし、会社で使うようなビジネス文書ならともかく、文章を書く才能もなかった。ただの消費者だ。
ネット小説の良いところは、スナック菓子気分で気楽に読めるものが大量にある事だと、当時の俺は思っていた。
当時のネット小説は、誰が始めたのかは知らないが、転生、トリップ、憑依と、二次創作を含めて、そういう背景の主人公が活躍する最強俺TUEEEモノが氾濫していた。
昔から逆行ものとか、そういうものがあったのは知っていたけれど、こうも同じジャンルが山のように出てくるのは、時代背景のようなものでもあるのかと考えさせられてしまった。
ともあれ、病気の事を考えず頭空っぽにして没頭できる時間は、その時の俺にはとても大切な時間だったのだ。
そんな中で最も流行っていたのが転生モノで、転生の理由は様々だが、記憶を保持したまま異世界に誕生した主人公が、与えられた力で異世界生活をエンジョイするというものである。
そう、今の俺の状況はばっちり一致する。
素晴らしい。神様にお詫びをもらった覚えも、トラックに轢かれた覚えもないが、俺にもなんかすんごい力があるのだろうか。
なんかこう、何もないところから武器作ったりとか。
いかんいかん、まだ気を抜いてはいけない。まだ、普通に記憶持っているだけという可能性もあるのだから。
「お子さんの保有ギフトは《 超戦闘力 》と《 超魔力 》と《 超翻訳 》ですね」
まだロクに身動きできない状態で、母親に抱かれたまま連れて行かれた教会で、神父のような格好の人にそんな事を言われた。
……ギフト? え、ひょっとしてなんかゲームみたいなの? そういえば、こういう話もいっぱいあったよな。
《 超戦闘力 》と《 超魔力 》と《 超翻訳 》って何か超すごそうなんだけど、ひょっとして俺の時代が来ちゃったりしてる?
時代はやっぱり俺TUEEEなのか?
「すごそうなスキルですけど、農家には役に立ちそうもないですね」
母親は残念そうだが、もうちょっと喜んでくれてもいいんじゃない? 俺TUEEEだよ。
「翻訳家などが良いのではないでしょうか。この子が大きくなるのはまだまだ先の話ですが。それと前世持ちのようですね。オリトという名前がすでに付与されています」
なんか、聞いた事のある名前が神父さんの口から出てきた。
は? 何、バレてるの? 俺普通の赤ん坊のフリして『あーー』とかやってたんだけど。
「そうなんですか、珍しいですね。ひょっとして、今も状況理解できてるのかしら」
え、お母様。珍しいで済ませていいんですか? 自分の子供だよ。
この母親、本当に大丈夫なんですかね。
「前世持ちでも、どれくらい記憶を保持しているかは人によって違いますからね。明確に覚えてる子もいれば、名前くらいしか覚えてない子もいる。それに、何年か経ってから記憶が戻るというケースもあるようです」
めっちゃ記憶あります。もう、ほとんど前世からそのまま来た感じです。
「《 超翻訳 》というギフトで、ひょっとしたら我々の言葉も理解してるかもしれませんね」
「え、そうなんですか? ……そーなの?」
母親が俺に語りかけてきた。
「あーー」
俺は誤魔化す事にした。
「会話できるようになれば、聞いてみてもいいでしょう。名前はどうしましょう、そのままにしますか?」
「ええ、前の生があるというのなら、それを尊重すると……いえ、ではこの名前に、私の故郷に良くある男性の名前と合わせて『オリーシュ』にしましょうか」
やめて! ママ、やめて下さい!
オリ主とか、そんな恥ずかしい名前、呼ばれたら僕恥ずかしくて死んでしまいます!!
「いい名前ですね。とても勇敢なお子さんになりそうです」
良くねーよ! 何適当な事言ってんだよ!! 俺の人生決まるかもしれないんだぞっ!! 止めろよハゲ神父!!
「オリーシュちゃん、あなたは今日からオリーシュですよ」
「あーー」
誤魔化してしまった。……色々終わった。
-2-
そんな俺の認識はともかくとして、オリーシュという名前は別にこの地方ではそこまで変な名前でもないらしい。
変な響きの名前は村の子供でもたくさんあったし。誰も俺の名前を聞いても変な反応はしない。
前世持ちはそこまで珍しいものでもないらしいから、元日本人がいて前世でネット小説読んでたりしたら――
『オリ主とかwwwバロスwww』
――みたいな反応もありえたかもしれないが、そこまで前世の記憶を保持している奴はいない上、そもそも地球出身がいなかった。
記憶がある人に聞いても、まったく知らない名前の国出身だったりするのだ。
そんな感じで何年かする内にこの名前も馴染んできた。
……馴染んでしまった、と、時々思い出すように悶絶したりもするが、問題はない。
銀髪オッドアイで、何処かの海辺の街だったら踏み台扱いされそうな容姿でも問題ないのだ。
問題は、現在のこの状況である。
「また何かやったの? 村長さんが怒鳴り込んできたんだけど」
「えっと、その肥溜めを作ろうと思って……」
良くある中世の描写として汚い衛生環境が挙げられるが、この村もそれに漏れず汚かった。
トイレという概念すらなく、みんなそこら辺にしている。自由排泄主義だ。
あまりにびといので我慢できずに掃除を始めたのだが、これはNAISEIフラグかと肥溜めを作る事にしてみたのだ。
もちろんそのまま撒くなんてアホな事はしない。最初は穴を掘ってその中に溜めて日光で発酵させようとしたのだ。
結果、大量に虫が湧いた。
近くの家は大被害である。気がついたら自分の家の裏庭にうんこの山があって、虫が大量発生しているのだ。赤ん坊もいる家だったため、大クレームだ。
今の姿が幼児でなければ、吊し上げ喰らってもおかしくない。余計な事しなければ良かった。
そのあとも、思い立った事を実行して失敗するという事を繰り返してしまい、村で除け者にされたりもした。
……NAISEI主人公は駄目だ。冒険者だな。この世界、モンスターとかいるみたいだし、
やたら強力そうなギフトもあるし、そんな考えに至るのは当然の事のように思えた。
そんな中、村に冒険者がやって来る事があったので、どんな職業なのか詳しい話を聞こうと話しかけてみた。
相手はボルカンという、肌の浅黒い、茶髪のおっさんだ。
実際はまだ二十代後半らしいのだが、髭が生えているとおっさんにしかみえない。
「あのさ、おっさん、俺冒険者になりたいんだけど、どうやったらなれるかな」
「おっさん……、せめてお兄さんと呼べ」
俺もこの数年の幼児生活で随分無礼になったものだ。教えを乞う相手におっさん呼ばわりである。
だが、訂正はしない。
「あのな、冒険者なんてなんの立場もないただの穀潰しだぞ。なんにもなれない奴が仕方なくなるもんだ」
「おとぎ話では竜倒して英雄扱いされてるよ」
「竜とか見たことねーよ。そんなんいたら間違いなく逃げるわ」
「じゃあ、おっさんはどんなのと戦ってるんだよ、ゴブリンか? すげー弱いって聞くぞ」
ゴブリンも見た事ないが、実はこの辺でもわりといるらしい。
「ゴブリンも駆除してるが、お兄さんが倒せるのは精々オークだな。一対一ならなんとかやれる」
「オークって豚っぽい奴?」
「なんだ、知ってるのか。そうだ、アレを一人で倒してようやく一人前って言われるんだな。そうすれば、衛兵とかの就職に有利になるんだ」
「ガハハ」とおっさん臭い笑い声を上げて、おっさんは自慢する。
オークって、RPGとかでもあんまり強い感じじゃないよな。基本雑魚モンスターじゃないのか?
というか、このおっさん衛兵になるために冒険者やってるのか。腰掛けかよ。
「おっさんってあんまり強くないのか?」
「おいおい、しまいには怒るぞ、オークは滅茶苦茶強いんだからな。坊主が見たら小便漏らすぞ」
「漏らさないよ」
使った事はないけど、これでも《 超戦闘力 》と《 超魔力 》のギフト持ちだぞ。すごいんだ。多分。
「そういえば、魔法使いの冒険者とかいないのか?」
「流石に見たことねーな。いない事はないのかもしれないが、魔法使えるなら別の就職口あるだろ」
《 超魔力 》のギフトがあっても、魔法を教えてくれそうな人に会う事はできなさそうだ。
赤ん坊の頃、テンプレであるような魔力トレーニングをしようと思ったのだが、そもそも魔力の使い方が分からなかったのだ。
色々、冒険者への失望を植え付けられて、おっさん……ボルカンとの初めての邂逅は終わった。
その年の冬は、最近毎年のように来ていたボルカンが姿を現さなかった。
毎年この時期はゴブリンの被害が多くなるため、街へ定期的な駆除依頼を出していたらしいのだが、この年は不作で村に金がなく、ゴブリンもそんなに見かけないという情報もあって依頼を出さなかったらしい。
俺は、ボルカンの話を聞いて以来冒険者という職業への期待が激減していたが、何かの足しにはなるだろうと体を鍛え続けていた。
ボルカンの言うように衛兵になるも良し、兵士になって戦争に行き出世するという道もある。
大体、俺はボルカンの話しか聞いていないが、ひょっとしたら他の冒険者は違うかもしれない。
ボルカンの様なオークをなんとか倒せるというレベルの強さではなく、もっと強い、それこそ竜を倒せるような冒険者なら、きっといい扱いになるはずだ。
そんな事を考えながら、自作の木剣を振る。
おかげで、気がつけば村の子供の中では一番の力持ちに育っていた。
家は父親がおらず母親だけ、畑も自分の持ち物でないため、俺が農家になる事はないだろう。
このまま大人になり、衛兵になるか、兵士になるか、そういう道を選んで母親と共に街へ出て行くのだと、そう考えていた。
運命の夜は、ある日突然やってきた。
その日、ゴブリンの大群が村を襲ったのだ。
俺の目の前で村が燃える。見知った村人たちが殺されていく。
矮小な緑色のモンスターが、我が物顔で村を闊歩し、村人を殺して、捕食していた。
「かあさん! かあさんっ!!」
ゴブリンの攻撃から俺を庇い、母親が倒れた。
一撃で脳漿が飛び出し、すでに死んでいると分かっていたのに、俺は母親の亡骸に縋り付き叫び続けた。
ゴブリンが近付いてくる。手には自作だが木剣という武器があり、対抗手段はあった。
……あれは、母親の仇だ。
「うわああああっ!」
母親を殺したゴブリンに向かって、木剣を振り下ろす。
一撃では仕留め切れなかったのか、攻撃を受けたゴブリンは獣の様な目で俺を睨みつけ、飛びかかってきた。
棍棒で殴られ、噛み付かれ、俺も無我夢中でやり返す。
何度も、何度も殴り、木剣を叩きつけている内にゴブリンは動かなくなり、腐ったように溶け始めた。
「はぁっ! はあっ!」
目の前でグチャグチャになったゴブリンを見て、ようやく相手が死んだ事を認識した。
木剣を振るのを止め、しばらくすると死体が少しずつ霧状になっていくのが分かった。
その不可思議な現象に目を見開き、そういえば、村の連中は……と、周りを見渡す。
俺は、無数のゴブリンに包囲されていた。
「……は、はは……」
乾いた笑いしか出ない。
他の村人がどうなったのか分からないが、少なくとも俺はここで死ぬだろうと確信した。
ゴブリンが弱い? 誰だよ、そんな事言ったの。
俺、一匹倒すだけで限界だよ。
あまりの数に戦意も失い、木剣が地面に落ちる。
膝から崩れ落ち、すべてを諦めた。
地面に横たわる俺の目に、徐々に距離を詰めてくるゴブリンの姿が映る。
何もかも諦め、ただ死ぬのを待つだけだった俺の目に、ボルカンの姿が映ったのは次の瞬間だった。
……ああ、なんだ、おっさんつえーじゃんか。
ボルカンは、俺が苦戦したゴブリンを、剣一振りごとに切り捨てていく。
そんなボルカンの勇姿を目に焼付けながら、俺は気を失った。
-3-
村は俺1人を残し全滅だった。
街に向かう馬車の中で目を覚ました俺は狂乱し、ボルカンに抑えつけられるまで暴れ続けた。
なんて不甲斐ない、なにがオリ主だ、ふざけるな。
何もできなかった。すべてを失い、見下していたボルカンに助けられて、庇護を受ける俺はただの無力な人間だった。
ボルカンは家の母親が好きだったらしい。脈があったのかどうかは知らないが、毎年村に来るのを楽しみにしていたのだという。
今年は依頼がなかったため、仕方なく違う村へ駆除をしにいったらしいが、そこでゴブリンの群れと遭遇しそれを撃退した。
まさかと思い、ウチの村の様子を見に急行したところ、あの場面に遭遇したというわけだ。
俺なんかより、よっぽどボルカンのほうが主人公だった。
うだつの上がらないおっさんでも、髭面でモテなくても、俺の中ではボルカンだけが英雄だった。
「おっさん、俺、冒険者になるよ」
「……そうか」
街に向かう馬車の中で俺はそう言ったが、ボルカンはいつものように止めもせず、ただそれだけ言い、頷いた。
本来であれば孤児院に放り込まれるだけだった俺を、ボルカンは無理を言って引取り、育ててくれた。
貧乏極まりない冒険者の男が、子供1人抱えるのにどれくらいの負担があったかは想像に難くない。
だが、ボルカンは俺に対して愚痴など零さなかったし、捨てられる事もなかった。
俺の手足が伸びきり、背丈もボルカンを抜いて大きくなった頃、本格的に冒険者としての活動を始めた。
それまでも手伝いくらいで同行はしていたが、ようやく自分の名義で仕事が回されるようになったのだ。
ゴブリンくらいなら余裕で駆除できるようになり、数十匹程度の群れなら問題ないと、ボルカンがやっていたように近隣の村へ派遣された。
初仕事は自分でも上手くいったと思う。
群れを構築しかけていたゴブリンの巣を見つけ出し、この駆除を行った。
ゴブリンを見つける度に、怒りと恐怖と、あの日感じた色々な感情が交じり合って、気が荒ぶる。一人の仕事の時はそれが特に顕著だ。
奴らをすべて滅ぼしてやりたい。この世から消し去ってしまいたい。五年以上の長きに渡り抱き続けた感情は消える事なく、更に心の深くへと浸透していく。
だが、ゴブリンは決して絶滅する事はない。
いくら殺そうが、勝手に空気中の魔力から作り出され、増える。自分たちで繁殖もするから、増えるスピードもゴキブリ並だ。
数年間もの間、ひたすらゴブリンを狩り続けた。
だからといって、一年中モンスター退治をしているわけではない。
冒険者という職業は不安定の極みにあるような職業だ。それだけではやっていけない。
普段は日雇いの労働で汗を流し、金を貯め、それを使って装備を整えてモンスターと戦う。モンスターを殺しても、見返りはほんのわずかな依頼料だけだ。
酒もやらず、女もやらず、普段は日雇い労働を黙々とこなし、たまの休みは訓練、モンスターの繁殖期になれば安い賃金で現場へ向かう。
同じ日雇いの現場で働いていた一般の同僚は、いつの日か主任になり、俺は敬語で話すようになった。
時々訪れる村では、小さい子供が大きくなっていき、村の人間同士で結婚し、子供が生まれていくのを見てきた。
気がつけば、俺は三十近くなり、肉体に衰えを感じ始めている。
俺は、この年になって尚、あの夜から一歩も進めていない。
ただゴブリンを倒す事だけが目的となった日常の中で、世間からの距離が離れていくのを感じていた。
きっと世間が俺を遠ざけていたのではなく、俺から離れていったのだと、そう思う。
ある日、いつものようにゴブリン駆除の依頼で出向いた村で、一人の少年に話しかけられた。
両親ともこの村の出身で、二人がまだ子供の頃から見かけていた。その二人の子供もこんなに大きくなったのかと、感慨深くなる。
「あのね、おじさん、冒険者ってどうやったらなれるのかな」
「お兄さんと呼べ」
ひどくデジャヴを覚える言葉である。この子は俺より礼儀正しいが。
「あのな、冒険者なんてなんの立場もないただの穀潰しだぞ。なんにもなれない奴が仕方なくなるもんだ」
「おとぎ話では竜倒して英雄扱いされてるよ」
「竜とか見たことねーよ。そんなんいたら間違いなく逃げるわ」
だが、あの時のボルカンとは違う。俺はオークとすら戦った事がない。
「じゃあ、おじさんはどんなのと戦ってるの? ゴブリンとか」
「そうだな。ゴブリンばっかりだ」
ここ十年以上、あいつらばっかり殺してきた。
「なんだ、冒険者ってつまんないんだね」
「ああ、絶対になるなよ。腰掛けでも止めておいたほうがいい。こんな底辺職業に就くのは俺くらいで十分だよ」
「でも、おじさんがいなかったらゴブリンに村が襲われるんでしょ。僕には無理かもしれないけど、やっぱりおじさんはすごいと思うんだよね」
何の意味もないと思っていた人生だったが、その言葉だけで救われた気がした。
『いつもありがとう』と言って去って行った少年を見送りながら、俺は泣いていたと思う。
冒険者と呼ばれても、冒険なんてしない。ただのモンスター駆除屋だ。
そう言われ続けてきたが、それでも冒険者であろうと思わせてくれた。
そう思い始めたある日、ボルカンが死んだという知らせを受けた。
-4-
すでに五十を過ぎた高齢で、それでも冒険者を続けていたのは、俺が選択肢を奪ったからだ。
あの時、有名な傭兵団から誘いを受けていたボルカンは、俺を捨てて入団する事もできたはずなのだ。
傭兵だって、別に世間体の良い職業ではないが、大きな傭兵団であれば冒険者なんかとは待遇がまるで違う。
タイミングを失ったボルカンは、ずるずるとこの仕事を続けるしかなかった。
俺が仕事を始めたあとも、辞めるに辞められず騙し騙し続けていたが、無理が祟ったのか、護衛任務中にモンスターに殺されたのだという。
街と街を行き来する護衛任務は基本的に傭兵の仕事だ。冒険者の場合、よほど信頼を集めないと仕事が回ってこない。
ボルカンは長年の経験で、その信頼関係を得ていたのだろう。ひょっとしたら、同じ仕事をしている護衛からの誘いなんかもあったのかもしれない。
だが、そんな事は関係なくあっさりと死んだ。
オークの群れと遭遇したのだという。
一対一でようやくオークを倒せるくらいだと言っていたボルカンだ。年老いた肉体では群れと遭遇して勝てるわけがない。
だが、護衛をしていた商隊は、ボルカン以外の護衛も含め無事に次の街へ辿りついたのだそうだ。
詳しい話を聞けば、ボルカンは全滅必至の中、殿を努め死んだとの事だ。
自分の身すら顧みず、護衛対象を最後まで守り通したその姿は、聞いただけで瞼の裏に浮かぶような気がした。
その顔に似合わない立派な最後だ。立派過ぎて、俺には手が届かない。
あの日、燃える村の中で助けに来てくれた俺の英雄は、やはり最後まで英雄だったのだと、そう思った。
俺は、その報告を聞いた次の日、商隊がオークと遭遇したという場所へ向かっていた。
何かの依頼でもなく、ただ、その場所へ行こうと思った。
街と街の間を通る道を、ひたすら一人で歩く。
護衛が必要になる道だ。ひょっとしたら、モンスターだけじゃなく盗賊がいるかもしれない。
そんな場所を現役の冒険者とはいえ、一人で歩くのは危険極まりない。
だが、運命の采配かそれともいたずらか、俺は商隊が襲われたという場所でオークと出会った。
それが目的だったかどうかも自分では分からないが、俺はこの時生まれて初めてゴブリン以外のモンスターに遭遇し、対峙した。
オークはゴブリンなどとは比べ物にならないほど強く、俺の攻撃もほとんど通用しない。
手持ちの武器は壊れ、オークの攻撃で防具も体もボロボロになっていく。
満身創痍で、ひたすら無心のまま戦い続けた。
結果としては、最後に立っていたのは俺だ。
祝福も賞賛もないまま、ズタボロの状態で街へと帰還する。
報酬も出ない戦いで虎の子の装備を使い果たし、体もボロボロになって帰還したその姿は、誰の目から見ても、意味なんて感じられないだろう。
けど、俺の中でだけは、それは意味のある行為だった。そう、思いたかった。
「よう、オーク倒したんだってな」
噂でも聞いたのか、顔なじみの冒険者ギルド職員が話しかけてきた。
「ええ、依頼でもなんでもない、ただの野良を一匹狩っただけですがね」
きっとあのオークは、商隊を襲撃したオークとはなんの関係もない個体だろう。
あのオークにしてみたら、ただの八つ当たりで殺されたのと変わらない。
俺の懐にも何の収入もない。ただの非公式戦闘だ。
「まあ、依頼は関係ないさ。これでお前もようやく一人前ってわけだ。一杯奢ろう」
「……はあ」
酒はやらないが、別に飲めないわけでもない。奢ってもらえるならありがたく頂こう。
確かにオークの単独撃破は、冒険者としての登竜門と呼ばれる。
かつて、ボルカンがオークを倒した事があると自慢した時、俺は彼の事を馬鹿にし見下したが、いざ対峙したあとではそんな事は口が裂けても言えない。
ゴブリンなんて比べ物にならない、圧倒的巨漢と重量、そしてタフネスを兼ね備えた強者だった。
確かにアレを倒していない俺など、この年で半人前だと言われてもしょうがない存在だった。素直にそう思えた。
久しぶりの酒が注がれたグラスを、口も付けずに手の中で弄んでいると、男は話し出した。
「迷宮都市って知ってるかい?」
「迷宮都市?」
聞いた事がなかった。
迷宮というからにはダンジョンがあるのだろうが、あれはモンスターが湧いてくるだけでなんの益も齎さない存在だ。街を近くに作る理由はない。
作るなら、破壊するための前線基地だろう。もしくは、そこから出てくるモンスターから街を守るための砦だ。
「王国のはずれにだだっ広い荒野があるんだが、その先にある街だ」
「王国ってオーレンディアですか。随分遠い所の話ですね」
大陸に王国はいくつかあるが、ここら辺で名前を言わずに王国と呼ぶのはそこしかない。
「その迷宮都市は、冒険者がダンジョンに潜って糧を得ているらしい」
「どうやって?」
方法の見当が付かない。
転生した直後は、ゲームのようにモンスターの素材を売るような仕事もあるのかと思っていたが、あいつらはすぐ腐って霧になる。
「詳細は知らん。ただまあ、そういう街があるってのは間違いない」
「随分胡散臭い街ですね。それでその街が何か?」
「お前さんみたいに、オークを単独撃破できるような冒険者は一人前と呼ばれるわけだが、迷宮都市はそういう冒険者を集めてるらしい」
「なんのために?」
「さあ、それも分からん。何も分からん。ただ、ギルドの上の方から、一人前の冒険者には伝えるように指示が出てるんだ。"行ってみないか"ってな」
胡散臭い事この上ない。どんな街かも、目的も分からず、"行ってみないか"もないもんだ。
「そんなんで行く人はいないでしょう」
「いや、実はな、この街にはもう一つ噂があってだな」
「なんですか」
「"ありとあらゆる願いが叶う街"なんだとさ、その街は。だから、新進気鋭の有望な冒険者の中には"ちょっと行ってみようかな"って、その気になる奴もいるわけだ」
「はあ……」
夢も希望もない世界で、更に将来もない冒険者という職業に就いてる人間なら、そんな眉唾ものの噂にも飛びつく奴がいるかもしれない。
「まあ、信じられないし、俺には関係ないですね。ちょっと試すってのには遠過ぎますし」
移動だけで何ヶ月もかかるだろう。
「まあ普通そうだろうとは思うぜ。気が向いたらどーぞっていう話だ。あ、ここの代金は払っておくぞ」
と言うと、ギルド職員の男は去っていった。
一人残された俺は、奢りの酒を呷る。久しぶりの酒の味は良く分からなかった。
まったく、なんだというのだろう。そんな夢物語をチラつかせて、なんの意味があるというのだ。
まあ、若い連中は夢を追うのもいいのかもしれない。
それがどんな結果であれ、追う事そのものにも意味はあるのだと思う。
だが、俺には関係のない話だ。
俺はこの街で生きていく。
ずっと変わらず、冒険者のまま。あの"俺の英雄"が残してくれた後ろ姿を追いながら。
それがきっと、俺の生きるただ一つの道なのだと、そう思うのだ。
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