Epilogue「再誕」




-1-




 暗い、どこまでも暗い闇を漂っている。



 肉体も、精神も、その形があやふやなまま、段々と闇へ溶け出していくような、自分自身が消えていくような感覚。


 一体どれくらいの時間、こうして漂っているのか。



 目を凝らしても何も見えなくて。そもそも目があるかどうかも分からない。


 手足一つ動かせない。そもそも体があるかどうかも分からない。


 このまま、存在自体が消えてなくなってしまうような気がした。



 これが死ぬという事なのだろうか。



 もう、どうやって死んだかも思い出せない。


 自分が誰だったのかも思い出せない。




 何もかもが消えてなくなりそうな状態になって、初めて「それ」に気づいた。



「それ」は宇宙にも似たスケールの力の渦。


「それ」はあまりに巨大な魂のうねり。


「それ」に巻き込まれれば、確実に消滅するであろう、圧倒的存在がすぐ近くにあった。



 感情もなにもかもが消えてなくなりかけたのに、それは恐怖を励起させた。


 巨大で、圧倒的で、原始的な恐怖。



 それは、「死」そのものだった。



 わずかでも認識するだけで心が砕ける。

 近くに存在しているだけで魂が溶け落ちる。


 微かに残っていた「僕」という存在が音もなく消え、死に飲み込まれていく。






 抗いようもない恐怖の中で、唐突にそれは起こった。



 何者か、外的な力が僕を渦から引きずり出そうとしている。


 その力はひどく乱暴で、半ば同化した魂を無理矢理引きずり出していく。


 体を引き裂かれるような苦痛が襲う。


 それは肉体的な痛みではなく、魂そのものを直接切り刻まれるような苦痛だ。


 叫ぶ事もできず、ただ嵐の中の激流に飲まれ、いくつにも裂かれるような感覚を体験させられる。



 それは、ドロドロになった粘土をかき集めて、無理矢理固めて作り直す工作に良く似ていた。


 出来上がった「僕」はひどく歪で、何か余計なものもついていたけれど、今度はその余計なものを強引にそぎ落とし、形を整えられていく。


 まるで工場製品にでもなったかのように、機械的な工程で「僕」が出来上がっていった。



 ああ、これはひどい。

 なんて最悪な気分だ。



 死からの復活とは、こうも気持ちの悪い事だったのか。




-2-




 目を空けると、真っ白い天井を見上げていた。


「知らない天井だ……」


 とりあえず言ってみたかっただけだ。そりゃ言うさ。


 ここは病院だろうか?

 薬品のものらしき特有の刺激臭は変わらないが、平成日本でずっと過ごしていたそれとは違う白い空間。

 白い清潔な部屋に、白いベッド、白い病人服。仕切り用のカーテンも白。ついでに枕元に置かれた花瓶も白だ。



 ……ああ、僕は死んだのか。



 体調は悪くないけど、気分が最悪だ。

 頭の中がぐちゃぐちゃのドロドロで、直接掻き出してしまいたくなる。

 何かひどい夢を見たような気がするけれど、内容は思い出せない。


 最後に見たのは、チッタさんが僕の首を掻き切る姿と、こちらを見て呆然としたツナの顔だ。

 僕の首から血が吹き出して。立っていられなくて……。


 ……あのあと、ツナも殺されたんだろうか。


「はは……タチ悪」


 悪趣味な洗礼だ。

 初回クリアなんて目指すんじゃなかったかな。……ほんと、最悪。


 でも、一応はこれでクリアになるんだろうか。まったくもって実感の沸かないクリアだけど。

 ちょっとくらい、褒め称えてくれてもいいものだ。せめてツナとだけは、お互いに祝福しよう。……それくらいは、したい。


「……今、何時だろう」


 外は暗いが、死んでからどれくらい経ったのだろうか。

 ツナもここに運ばれているんだろうか。


 疑問は大量にあるけど、動く気がしない。

 まだ喉が裂けていて、動くと血が吹き出しそうな気がする。

 手で触れてもそんな事はないのに、痛みさえ感じるような気がする。

 この感じだと、バラバラになって死んだりしたら、動けないんじゃないだろうか。


「あ、目覚められましたか、ユキさん」


 声をかけてきたのは若い女性の看護師さんだった。

 一目でそれと分かる格好は、やはり迷宮都市なんだなと思わせる。

 エルフなのか、その長い耳がなければ、実は日本ですって言っても信じてしまいそうなくらい、看護師さんだ。


「初めてのようですので、まだ状況が飲み込めてないと思いますが、ここは病院です。あなたはダンジョンで死亡して、ここに転送されてきました。意識ははっきりしていますか?」

「……はい。大体分かります」

「初めては錯乱される方もいらっしゃいますので、ゆっくり、落ち着くまでここにいて下さい。どうしても必要な場合は、申し付け頂ければ精神安定剤を処方します。荷物などは横の籠に入ってますので、退院される時には忘れずに持って出て下さい」


 ベッドの横を見ると僕の荷物が入った籠があった。武器や装備品、ダンジョン内で手に入れた物もそのままのようだ。

 トライアルダンジョンはロストなしだっけ。


「え、と……、入院費とか手続きは……」

「ダンジョンアタックでの死亡ですので費用は発生しません。登録済の冒険者の方は手続きもありませんので、落ち着いたらそのまま帰宅されても構いませんよ。なんでしたら、今晩はここに泊まっていっても問題ありません。何かありましたら枕元のブザーを鳴らして頂ければ、すぐに医師が来ますので」


 お大事に、と言って看護師さんはどこかへ行ってしまった。

 怪我人でも病人でもないが、さっきまで死んでいた相手なのに、やけにドライな対応である。もうちょっと優しくして欲しい。

 これは、迷宮都市では極当たり前の事なんだろう。


「ああ……」


 起こしていた上半身をベッドに倒す。


 ……そうか、これが死か。

 なるほど、これはキツイ。最悪だ。記念受験なんてとんでもない。

 これが、冒険者が乗り越えないといけない壁。続けていくための絶対条件か。

 何の覚悟もない人間が、これを何度も乗り越えられるはずがないとはっきり言える。


 これから何度も、何度も味わう事になるだろうそれは、確かにチッタさんの言った通りキツイ前提条件だ。これは心が折れてもおかしくない。


 だけど、こんなところで折れるつもりはない。

 望みを叶えるために、全部投げ出してきたんだ。ここで放り投げる選択肢などありえない。

 私は……僕は大丈夫。やっていける。


「ツナは大丈夫だったんだろうか」


 心折られてたりしないだろうか……いや、ないな。

 なんとなくだけど、ツナならなんともなく死んでもケロっとしている気がする。

 目覚めて、何事もなかったかのように着替えて退院しそうだ。こういう負荷で塞ぎこんでる姿が想像できない。

 むしろ、飛び跳ねて起きてチッタさんに殴りかかりそうだ。「ニャー」とか言って。


「呼んだか?」

「うぇっ!?」


 不意に呼びかけられて、変な声を出してしまった。

 顔を上げると、そこには見慣れた姿が立っていた。装備はボロボロだけど、一緒にダンジョンを攻略した相棒の姿だ。

 その姿を認めただけで、少しだけホッとして、ボロボロだった精神状態が和らいだ気がした。


「俺の名前呼んでたか?」

「あ、ううん、なんでもない」

「ならいいけど、大丈夫かお前? 顔色悪いぞ。……死んでたんだから当たり前なのか?」

「いや、体調は悪くないよ。……気分は最悪だけど」

「そうか」


 ツナはそのままベッド脇の椅子に腰掛ける。

 僕の方が先に死んだのに、ツナはもうピンピンしているように見えた。

 この相棒は、こういうメンタル的なところは図抜けていると思う。

 ほんと、どんな精神構造してるんだろう。頭の中を覗いてみたい、なんて良く言うけど、実際に見れそうな環境だと見たくない。


「あのあと、どうなったか聞いてもいい?」

「ん? ああ、えーとだな。……お前が首斬られたあと、猫耳との一対一の状況になったわけだけど、中級冒険者って強いのな」

「そりゃそうでしょ。最初に見せてもらったステータスもスキルも僕らとは全然違ったし。僕のナイフもHPの壁に弾かれてたでしょ」


 HPと防御力の壁が厚過ぎて、ダメージなんか通ってないみたいだった。

 感触としては、あのミノタウロスよりも硬く感じた。これがレベルの差ってやつなのかな。


「いや、一応通ってたぞ。HPは減ってなかったみたいけどな。猫耳がびっくりしてた」

「え……そうなんだ。なんか僕、すごいね。とっさだったんだけど」

「すごいすごい。でだな、俺の攻撃も全然通らねーの。やたら動きが速くて捕捉できなかったけど、肉を切らせて骨を断つ戦法で何回かは当てたのに」


 いや、そっちのほうがすごいと思うんだけど。

 ……飛来物じゃなければ、あのスピードに当てられるのか。見えなかったよ、あの人。


「撃ち合ってたら武器もぶっ壊れて、しょうがないから背負投げして地面に叩きつけてもダメージ通らなくてさ。関節技なら効くんじゃねーかって、腕に組み付いたら、なんとか関節外せた。折れたのかもしれない。で、続けてチョークスリーパー決めても抜け出されたから、起死回生の大勝負でミノタウロスの斧を当ててやったんだよ。それでもピンピンしてたな」

「え、あんなの振り回したの? というか、ダメージ通らないにしても関節は外せるんだ」


 確かに、言われてみれば関節技なら通りそうな気がする。

 あれは、外部からの攻撃に対する意味しかないのかもしれない。そんなの試せるわけもなかったんだけど。

 斧も、あれ、半分冗談だったんだけどな。使ったんだ。……使えたんだ。


「斧で少しはダメージも通ったと思うんだけどな。それで決められれば良かったんだけど、流石現役って感じだよな。関節技とかミノタウロスの斧で警戒したのか、なんかぶっとい針とか、投げナイフとかの遠距離攻撃主体で確実に仕留めに来たんだよ。俺、満身創痍で立ってるのがやっとだったのに。あの猫耳、まじで大人げねぇ」


 なんで勝負になってるのさ。文字通り格が違うはずなんだけど。


「ナイフとか針とかで、全身ハリネズミみたいになって、ようやく捕まえてマウントポジションとったんだけど、残ってた手斧振り下ろしてもダメージ通らねーんだよ」


 ダメージ通らなくても、それはわりと恐怖なんじゃないかな。

 斧を顔に何度も叩きつけられるとか、想像しただけで怖いんですけど。


「で、第二層であの猫耳が言ってた事思い出してさ、クリティカル狙いで噛み付いたら、指噛みちぎれたんだよ。俺の欄外スキルの《 飢餓の暴獣 》ってのでクリティカル補正かかってたみたいでさ」


 全身ハリネズミで血まみれの男に組み敷かれて、指噛み千切られるとか、ちょっとした地獄絵図なんですけど。

 ちょっと動画見るのが怖くなってきた。


「で、なんかクリティカルが通るって事で、そのまま首を喰い千切ったらようやく死んだ」

「えっ!? 勝ったの!?」


 なにそれ!? なんだそれ!!


「おうよ。我ながらひどい状況だったけどな」

「え、えぇー!? ちょ、ちょっと待って、死んで気分が最悪とか、そんなのどうでも良くなるくらい衝撃なんだけど」


 それ、とんでもないジャイアントキリングじゃないか。


「いや、実際快挙らしいぜ。快挙っていえば、初回挑戦でミノタウロス倒した時点でもう快挙だから、お前もだな」

「あ、うん、えーー。それもそうなんだろうけどさ、ツナがやらかした事に比べたら霞んでるんだけど。それに、ミノタウロス倒したのはツナもそうだし」

「馬鹿言え。トカゲのおっさんも、ミノタウロスも、あの猫耳も、お前がいなきゃ倒せてねーよ。これは俺たち二人の勝利だ。胸を張れ」

「う、……うん」


 その言葉は、精神的に弱ってる状態だとくるものがある。


 ……どうしよう、ちょっと泣きそう。




-3-




 その後、ダンジョンマスターに会ったとか、食事に誘われたとか、もう一人元日本人がいるとか、木刀とか、ツナ缶とか色々衝撃発言があったけど、長々と病室にいるのもなんなので、とりあえず着替えて病院をあとにした。


「僕、道分からないんだけど」


 昼間と違い、そもそも自力で病院に行ったわけじゃないから、全然道が分からない。


 もうすっかり夜で、人通りもまばらだ。店もシャッターが閉まってるところが多い。

 夜だから一日くらい寝てたと思ったら、ダンジョン入ってから二時間くらいしか経ってなかったみたいだし、さっきから色々驚きっぱなしだ。


「俺も病院とギルド会館の間しか分からねぇけど、寮は会館の隣なんだろ。昇格の手続きとかあるらしいけど、明日でいいって言うし、今日はこのまま戻って寝ようぜ。さすがに疲れた」

「そうだね、僕もアレじゃ寝た気がしないし。部屋についたら泥のように寝そう。起きられるかな」


 まだ十時前だけど、放っておいたら昼過ぎまで寝る自信がある。前世を含め、かつてない勢いで爆睡してしまいそうだ。

 正確な時間は分からないけど、主観ではダンジョン内で十時間くらいいたのだ。加えて戦闘の疲労もある。

 何より、復活による気だるさがひどい。講習ではトライアルダンジョンはペナルティなしって言っていたけど、これ、二、三日治らないんじゃないだろうか。


「分かんね。目覚ましがあるわけじゃないし、先に起きた方が起こそうぜ。そもそも、自分のじゃない違う部屋に入れるのかとか、呼び鈴はあるのかとか色々疑問はあるけどさ。最悪、明後日になっても手続きは逃げないだろ。平均で半年かかる試験を一日で突破したんだから」


 そうだよね。試験突破はしたんだ。

 ツナの力も大きかったけど、僕だって捨てたもんじゃなかったと思う。


 ……思ってもいいかな。


「ねえねえ、僕ら割とイケてるんじゃないかな。隠しイベントは僕、脱落しちゃったけど、ミノタウロスは倒したわけだし、迷宮都市でも有名になれたりするかな」


 僕の願いを叶えるために、どんな事が必要なのかはまだ分からない。

 それはこれから調べていく事になるだろう。ツナが言うように、案外簡単に叶うのかもしれない。


 だけど、どちらにしても、放り捨ててしまった実家に戻る事はもうないのだろう。


 僕はこれから、この街で生活基盤を作り、生きていく。


「ああ、とりあえずここまでは最短記録のレコード塗替えに、隠しボス撃破の快挙だからな。受付嬢の人も引く手数多だって言ってたぜ。

……とはいえ、油断はするべきじゃないな。俺たちが見たのは迷宮都市のほんの入口だけなんだから。上のランクには、冒険者もモンスターも化け物がウヨウヨしてるらしいしな」

「そうだね」


 脳裏に浮かぶのは、トカゲのおじさんや、チッタさん、ミノタウロスの姿だ。

 その誰もが途方もなく強くて、僕とは隔絶した力を持っていたけど、トカゲの人は力を制限されてたし、怪物じみたチッタさんですら中級の下位ランカー。

 ミノタウロスなんて、ただの初心者の登竜門だ。RPGで良くあるみたいに、後々、雑魚敵で出てきてもおかしくない。


 そう、ただの登竜門だ。

 そういう意味では、僕たちは二人ともスタートすら切っていない。


「とりあえずの目標は一〇〇層だ」

「また大きくでたね。トップグループに追いつくって事?」


 ただ、なんだろうね、この感覚。

 ツナと一緒なら、どこまでも高みへ行けそうな気がするんだ。


「ああ、それもできる限り早く。階段三段飛ばしくらいだな」

「いいね、どうせならこの街で誰もが知ってる冒険者になろうか」


 実際、どこまで行けるかは分からないけど、頑張っていける手応えは感じている。




 僕たちの冒険者としての生活はここから始まるんだ。












-第一章 完-






















<最終ステータス報告>



 冒険者登録No.45231

 冒険者登録名:ツナ → 渡辺綱

 性別:男性

 年齢:15歳

 冒険者ランク:なし

 クラス:なし

 保有ギフト:《 近接戦闘 》《 片手武器 》

 保有スキル:《 算術 》《 サバイバル 》《 食物鑑定 》《 生物毒耐性 》《 原始人 》

《 悪食 》《 悪運 》《 火事場の馬鹿力 》《 痛覚耐性 》《 内臓強化 》《 超消化 》

《 鉄の胃袋 》《 対動物戦闘 》《 方向感覚 》《 対魔物戦闘 》《 不撓不屈 》《 田舎者 》

《 自然武器作成 》《 自然武器活用 》《 自然罠作成 》《 自然罠活用 》

《 死からの生還 》《 生への渇望 》《 威圧 》《 起死回生の一撃 》

《 飢餓の暴獣 》《 食い千切る 》《 オークキラー 》《 限界村落の英雄 》


 New!:《 剣術 》《 姿勢制御 》《 緊急回避 》《 パワースラッシュ 》《 看破 》

《 回避 》《 空中姿勢制御 》《 空中回避 》《 旋風斬 》


 スキル昇華:《 威圧 》→《 強者の威圧 》




 冒険者登録No.45232

 冒険者登録名:ユキト

 性別:男性

 年齢:14歳

 冒険者ランク:なし

 クラス:なし

 保有ギフト:《 容姿端麗 》

 保有スキル:《 算術 》《 集中力 》《 剣術 》《 速読 》《 投擲 》

《 気配察知 》《 暗視 》《 小剣の心得 》


 New!《アクロバット》《 空間把握 》《 小剣術 》《 ニンニン 》《 小剣二刀流 》

《 看破 》《ラピッド・ラッシュ》《 毒取扱 》


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