第9話「飢餓の暴獣」




-1-




「はぁっ、はあっ、はあっ………」


 全力で飛び退き、ミノタウロス・アックスの墜落から間一髪のタイミングで逃れた。

 大質量が墜落したそこには土煙が上がり、視界が遮られる。




 こんな時に唐突だが、フラグという言葉がある。

 本来の旗という意味ではなく、ゲーム等で使われるイベントフラグの事だ。日本ではお約束のようにネタとして使われるあれの事だ。


 『俺、この戦争が終わったら故郷に帰って結婚するんだ。』とか、『こんな場所にいられるか!俺は部屋に戻らせてもらう。』とかは、言った次のシーンで登場人物が死ぬ、いわゆる死亡フラグである。

 これまでほとんど出番がなかったキャラクターに、急に焦点が当たったりする事も死ぬ前触れだ。

 他にも、逆の意味で使われる生存フラグとか、恋愛フラグだとかも存在する。


 ここでご紹介したいのが、次のパターン。

 戦っている相手に起死回生の必殺技を放つ。土が巻き上げられて、見えないけど直撃したはずだ。

 と、いう状態で使われる『やったか!?』というセリフは『やってない』フラグである。


 そう、正にこの状況で使われるセリフだ。

 だから、俺はそのお約束を信じ、『やったか!?』なんて口が裂けても言わない。……い、言わないんだからねっ!



 ……まあ、実際のところ、言おうが言わまいが、結果は変わらないんだけどな。

 ほら、土煙の中に、人影が立ち上がるのが見えた。


「は、……いい加減死ねよ」


 さて、万事休すだ。

 マジで手がねぇ。あれが正真正銘、最後の手段だった。

 あれで仕留められないとなると、ちょっと本気でどうしようもない。

 つーか、血が足りな過ぎてこのまま立ってても死ぬ。限界とかすでに超銀河飛び越えて天元突破済みだ。実際なんで立っていられるのか自分でも不思議だ。


 煙が晴れ、その中に立つ人影が姿を現し始める。見慣れた猫耳のシルエットが見えてきた。


「やってないのか」


 一縷の望みをかけ、逆フラグに賭けてみる。

 いや、いくらなんでも無理だというのは分かるがどうしようもない。

 こんなアホなセリフで、実は"やってました"、とかだったらギャグにしかならないぜ。


「……………」


 土煙の中から姿を表したチッタは、贔屓目に見てもボロボロだった。

 左手は折れ、ダランとぶら下がったまま動かない。

 ミノタウロス・アックスが直撃したのかどうかは分からない。でも、その表情は、痛みと怒りに溢れ、俺への殺意が質量を持って滲み出しているように見えた。


「正直なところ……」


 何か語り始めた。そっちはまだ余裕そうっすね。


「正直なところ、どんなに控え目な評価でも、"規格外ルーキー"なんて言葉じゃ足りない化け物だと思う。二人のどっちもそうだと思うけど、君のほうはそこから更に群を抜いてて、あたしの貧相なボキャブラリーじゃ言い表せない」


 化け物呼ばわりっすか。俺は、あんたのほうが化け物みたいに感じるんだけどね。

 こいつで中級の下位ランカーとか、冒険者たちはちょっとありえないレベルの化け物だ。一人いれば国が滅ぼせるんじゃねーか?


「最初から、特に君のほうは規格外のルーキーだって分かってた。でも、どこかでやっぱりルーキーと舐めていた。既成概念ってのは怖いね。君たちみたいな規格外を、そうだと分かってても自分の認識の枠内で考えようとしちゃうんだから。……認めてあげる。君たちは間違いなく上に行く。あたしなんかが絶対辿りつけない領域へ、それも早々に……。だけど……、ここは負けてあげない」


 後輩へのご祝儀で負けてくれませんかね、いや、ほんと。


「もう油断しない。今、この場では、確実に仕留める」


 そう言うと、チッタは俺に近づきもせず"何か"を投擲してきた。


「んぐっ……」


 それを肩に受けるまで、一切の反応ができなかった。

 俺の肩に刺さったのは針。裁縫針とかそういう大きさではない、何十センチもの長い針だ。


「っが……」


 もう一本、今度は腹に刺さった。

 こいつ、まさか近付いて来ないつもりかよ。


「……はは、大人げないんじゃないっすかね」


 そんな事しなくてもあと一押しで死ぬ。"オレは実はあと一回刺されただけで死ぬぞオオ!"状態だ。相手がソードマスターじゃなくても死ぬ。

 それなのに、ここに来て安全策かよ。

 死ぬ間際に最弱四天王フラグ残してやるぞ、コラ。俺を倒してもまだ3人の頼光四天王が残ってるんだからな。


「近づくと何されるか分からないし。実際されたし。……もう近づかない。ユキと違って、君に遠距離の攻撃手段がないのは分かったから、こうして確実に仕留める」


 なぶり殺しかよ。


「んぎっ……」


 今度は2本まとめて飛んできた。なんだ、オレをハリネズミでもする気かっての。


 一本一本は大したダメージじゃない。だが、すでに抵抗手段がないに俺にとって、じわじわと攻撃されるこの手法は拷問に等しい。

 この投擲スピードじゃ、《 回避 》、《 緊急回避 》の反応も間に合わない。


 足、腹、腕、胸、たまに外れる事もあるが、無数に飛んでくる。

 時々ナイフも飛んでくる。矢も飛んでくる。もう俺は、ハリネズミや剣山と見分けか付かない状態だ。

 はは、さっさと殺せよ。最後っ屁くらい残してやるから。


 俺は、チッタに向けて歩き出した。


 ……なんで俺、歩いてるんだ?

 こんなにゆっくり近付いたって、あっちは離れるだけだ。

 もういいだろ。十分じゃねーか。いくらなんでも、ここまでやって意味がないなんて言われねーよ。


 一歩。また、一歩。

 こうしている内にも無数の針が、ナイフが飛んできて、俺に突き刺さる。


 ……誰に言われるんだよ。誰が俺に文句を言うんだよ。

 ユキか? リザードマンのおっさんか? 目の前の猫耳か? 他に知り合いいねぇけど、そんな事誰も言わねえよ。


 ……文句があるのは俺自身だけだよ。俺が俺に"情けねえ"って文句垂れるんだよ。


 もう一歩。もう一歩。

 残された力で、意味もなく進む。チッタは最大限に警戒して、距離を開けようとはしない。常に一定距離だ。


「んぐぁうっっ!!」


 目に針が突き刺さる! 視界が半分奪われ、脳天まで突き抜けるような痛みが走る。

 痛い。痛い。すげえ痛い。……でも、痛いってのはまだ生きてるって事だ。

 なら、まだやるれんじゃねぇ? あと一回くらい、まだ何かできるんじゃねーか、俺。


 ……いや無理だろ。

 大体何をやるんだよ。実は左手に隠されてた謎の力が目覚めたりするのかよ。

 手がまだあるなら頑張れる。立っていられる。だけど、もう何もないんだ。素寒貧でBETするチップもない。


 ああ、意識が消える。

 ……立っていられない。


 ここが、俺の限界……か。

 わりかし頑張ったほうじゃねぇ?



「……ああ」



 ……腹、減ったな……。





-2-





 心臓の……跳ねる音が聞こえた。


 体が跳ね上がるような感覚があった。


 極限まで薄れていく意識の中で、俺の体が、何かとてつもなく凶悪なものに塗り潰されていくのを感じた。


「……え」


 遠くで、誰かが息を飲む音が聞こえた。

 "ニャ"とか、そういう小賢しいキャラ付けを放棄した猫耳の声だ。


 俺の体は正にスクラップ寸前。

 廃棄される間際で、あとは鉄くずになるだけのオンボロ車のような状態。ベルトコンベアーに載せられて、圧潰される五秒前だ。


 ……こんな状態で、何故。

 何故、既視感を感じるのだろうか。


 おっさんと戦った時も、ミノタウロスとの戦いでも、ここまで盛大に追い詰められてはいない。

 なのに、かつて同じ事があったと感じる。


 ならば、故郷で戦った派手なオークとの……いや、あの時だってここまでは……。



――心臓ではない何かが、俺の中で鼓動した。



 心臓が血液を巡らせるように、その鼓動するものが、俺の体へ何かを巡らせようとしている。


 視界が暗転する。意識にブレーカーが落とされる。

 "正常な俺"は用済みだ、すっこんでろと舞台端へ追いやられる。


 だが、俺は落とされた真っ暗な意識の中で、それでも尚、何かを感じていた。


「ぐ……ぐぅううヴヴヴ……」


 無意識に、俺の口から獣のような唸り声が漏れる。


 無数に突き刺さった針の奥で、肉が盛り上がっていくのを感じる。体が無理矢理再生されていく。

 体中を、血液ではなく煮え滾るような野獣の本能が駆け巡る。


 これは……なんだ。


 俺がナニモノか、別の存在に塗り替わっていく感覚。

 真っ黒なクレヨンで、画用紙に描かれた"俺"という絵を塗りつぶすように、存在が急激に描き変えられていく……。


 かつて戦った派手なオークの姿が甦る。

 けど、浮かぶその映像は記憶にないもので、派手なオークは何かに怯えるような、まるで化け物にでも食われる瞬間のような恐怖に歪んだ顔をしていた。


 ああ、そうか……。

 理解した。……理解してしまった。


 これが、あの時の真実。あの時に目覚めた俺の力。

 俺自身を野性の化身と化す、狂気の力だ。



「ガァァァアアアアアアアアアァァァッッッ!!!!!!」



 口から放たれるのは咆哮。

 何者でも食い千切って、捕食してやるという、誓いの雄叫びだ。


 遠くにいる、俺を攻撃する対象を捕捉する。

 チッタの、ひどく怯えた顔が目に映った。


 ああ、何を怯えている? 貴様は俺を狩りに来た狩人だろう。そんな体たらくなら――



――――俺が喰うぞ。



「グウゥゥゥオオオオオァァァッッッ!!!!」



 俺の意識が浮上する。

 強烈な獣性が体中を駆け巡り、恐ろしいほど強大な力が沸き上がってくるのを感じた。

 今なら、あいつの場所まで一瞬で駆けて行けそうだ。




――――Passive Skill《 飢餓の暴獣 》――




 習得した覚えのないスキルが発動したのを感じた。




-3-




 地面を蹴る。あの獲物の元まで早く、速く駆け抜けろと体に語りかけながら。

 あまりの高速に意識すら置き去りにして、俺は全力で疾走する。


 その距離はおよそ数十メートル。

 本来であれば、針の雨を掻い潜って走破する事などできないはずの距離を、わずか数歩で詰めた。

 空気の壁すら喰い破る弾丸のように、人間という殻の限界を超えて。


「ぉぉぉおおおオオッッっっ!!!!」


 あまりの展開に驚愕し、目を見開く事しかできない獲物に、その勢いのまま拳を叩きつける。


「いぎっっ!! はっ!」


 拳が砕けるような、とんでもない破砕音を上げ、奴の顔面に俺の攻撃が突き刺さる。

 二発、拳を叩き込み、今度は蹴りを放つ。

 全身を包む凶悪な力に、骨が軋み、肉が裂け、それでも尚戦い続けろと雄叫びを上げる。闘争本能が体を突き動かし続ける。


「ぐはっ!!」


 これほどまでに強烈な力を加えて尚、猫耳のHPは俺の攻撃を阻む。

 まだ足りない。こいつと俺の能力差は、まだこんなにも隔絶しているというのか。

 HPの壁がまどろっこしい。


 《 看破 》を起動し、HPゲージを表示させたまま、追撃。更に1発、……2発!


 攻撃の度に見ても、ゲージはわずかにしか減少していない。

 ステータスの差は大きくのしかかってくる。


 だが、さっきまでとは違う。攻撃自体は通っている。微かでもダメージは与えられている。


 もっと速く、もっと力を込めてと、拳を、脚をマシンガンのように叩きつけていく。

 ここまで来たんだ。腕だろうが、脚だろうが、砕け散るまで奴の体に叩き込め。


 徐々に、本当に徐々にだが、ゲージの残量は減少を始めた。


「ば、化け物っっ!!」

「あああああっ!!」


 頭突きを顔面に叩き込んでやると、鼻がひしゃげ、血が吹き出した。

 こっちは俺の頭蓋骨が粉砕して脳みそが飛び出しそうだ。なんでできてんだよ、お前の顔。


「ひ、ひぃぃっ!!」


 怯え、腰を抜かし、あとずさる獲物……チッタ、いや、猫耳。いや、なんで言い直すよ、俺。

 猫耳はそのまま、俺から距離を取ろうと、後ろに飛び退く。


 逃すかよっ!!


 今なら、今だけなら、それを追撃する俺の方が速い。

 一瞬で距離を詰めたあと、そのままドロップキックを放つ。

 最早弾丸と化した蹴撃で、何メートルもの距離を空中旅行だ。世の中の情けなんて感じた事はないが、強制的に旅の道連れだ。


「んぎぃぃぃいっっ!!!!」


 着地後に、倒れている猫耳へ追撃のストンピング。

 これでもほとんどダメージがないっていうのは、一体どうなってるんだっていう感じだが、まあいい。何度でも叩き込んでやろう。


 倒れこむ猫耳に対しマウントポジションをとった。

 ひたすら顔面を殴る。殴る。殴る!

 俺の手が血しぶきをあげ、チッタの顔面が赤く染まる。ダメージを受けているのは攻撃している俺のほうだ。

 拳から骨が露出しているが構うものか。とっくの昔に痛みなんて感じてない。

 こんな異常な状態がそう長く続くわけがない。どれだけの間保つのか分からないが、その間でできる事はすべてやれ!


 だが、いくら殴ってもロクにゲージは減少しない。


「た、助け……」


 戦意を失い懇願する猫耳の、折れていない方の腕を持ち上げ、その手首に手錠をかけた。


「な、なななにを……」

「もう逃さねぇ。ここからは根気勝負だ」


 俺の左腕にも手錠をかける。逮捕完了だ。

 これなら、左腕が折れているこいつにまともな抵抗手段はないはず。……ないよな?

 残った右手で腰から最後の武器である手斧を取り、マウントポジションのまま猫耳の顔面へと振り下ろす。


「うらぁっ!! あっ!! あああっっ!」

「ひぃっ、ひぁ、やめ、やめてっ!」


 HPの壁は厚い。その分厚い壁を粉砕すべく、手斧を何度も叩きつける。

 こうして間近で見ると、HPの壁は当たる瞬間、わずかに発光現象を起こしているのが分かる。

 斧を叩きつけながら、そのあまりに強力な防御力に嫌気がさしてきた。どんだけ頑丈なんだ。


「んのぉっ! さっさと、死ね!!」


 今、猫耳には、俺の姿はどう映ってるんだろうか。

 自分では分からないが、猫耳は目の前にコズミックホラーの怪物でもいるかのような怯えっぷりだ。あの派手なオークと同じだ。


「だあああぁらぁっ!! ぃあっ! いぁあっ!」


 こんなんじゃ別に邪神は召喚されない。というか、こいつにとっては俺が邪神に見えるだろう。

 それとも巨大な、あのミノタウロスのような巨獣だろうか。いや、こいつはミノタウロスは楽勝とか言っていたからもっとかもしれない。

 じゃあなんだ、ドラゴンでも対峙しているような恐怖でも感じてんのか? 俺、どんな状態だよ。


 斧を振り下ろしながら、ドラゴンに捕食される猫耳を妄想する。


 ……ん?


 何か、頭の片隅に、引っ掛かるものがあった。

 それも、こいつが俺たちにレクチャーした事の一つだ。


「ひぁうえ……」


 俺はその思いついた事を試すため、斧を止め、手錠にかかった猫耳の右手に顔を近づけ……


「ひゃ……なにを……」


 その指を噛み千切った。

――――Action Skill《 食い千切る 》――




「んぎゃあああーーーーーっっ!!!!」


 猫耳の絶叫が響く。

 食い千切った指から、噴水のように血が吹き出した。


 ……なるほど、そういう事か。……そういう事だ。


 恐怖を煽るために口の中の猫耳の指をチラリと覗かせ、骨ごと噛み砕き、音を立て咀嚼する。

 なんか良く分からないが、骨だろうが余裕で噛み砕けた。


「んひっ、ひぃ……ひっ」

「……てめえ言ってたな、モンスターの噛み付き攻撃に気をつけろって」


 ……クリティカルだ。


 先ほど、俺の体を変質させる勢いで発生したスキル《 飢餓の暴獣 》、あるいは本当にスキル名なのか疑わしい《 食い千切る 》。

 これらのスキルで何かしらの補正が掛かってる可能性が高いが、指は簡単に《 食い千切 》れた。


「だったら、お前を食ってやればいいわけだ」

「~~~~~っ!!!!」


 悲鳴にならない絶叫を上げる猫耳。


 俺は、怯え、最早抵抗すらできない猫耳の、……首に噛み付いた。






-4-





 結局のところ、あいつの言った通り< HP >ってやつはただの"壁"で、肉体強度そのものを引き上げてくれるわけじゃない。

 < 防御力 >という形で補正されたその能力は、外的な攻撃から身を守るための膜を作るだけで、その膜の内側から発生する力に関しては無力だった。

 加えて、ここまでで感じた感触だと、クリティカルなどで発生した肉体の損傷も< HP >が代替して、ある程度回復させるらしい。

 手足の、今回のように指でもいいが、一部が欠損した場合は止血、補修などはされるが、復元はしない。

 部位の復元にはきっと何か専用のスキルが必要なのだろう。トカゲのおっさんはトカゲなわけだからそういう種族特性を持っているかもしれない。


 猫耳の首を噛み切り、まともな人間なら即死という場面で急速にHPが減少を始め、その傷を回復させようとする現象を目にした。

 だが、HPだけで治療するにはその傷はあまりに深く、大きいためか、HP全損の前に猫耳は事切れた。

 と、< HP >の仕組みはこんな感じなのだろうと、俺は疲れて冷えきった頭で、ある程度の結論を出していた。


「……終わった」


 すでに事切れていた猫耳の体が魔化を起こし、消えていく。俺と手錠に繋がれたままの右手も同様に消えた。

 繋ぐものがなくなり、一気に脱力した俺はその場に大の字になって転がる。


「…………疲れた」


 ひどい戦いだった。始まりの経緯から、内容、その決着方法に至るまで、どれもこれもが最悪だ。

 トドメなんて、映像的に発禁処分ものだろう。この動画見る奴がいるとしても、ドン引きするんじゃないだろうか。俺がすでにドン引きだ。

 噛むって行為は、そりゃ動物にとっての最も原始的といっていい攻撃手段だろう。野獣や、どこかの塩漬けされたジュラ原人ならともかく、俺がそれを武器にするとは思わなかったが。

 というか、ユキは確実に動画を確認するだろうから、ビビらないように事前説明したほうがいいだろう。


 ……コンビ解消とか言い出さないよな?

 あんまりにひどい絵面だから、縁切られるかも。


「ああ……それにしても、終わったな」


 気持ちの悪い、赤黒い空を見上げる。

 あの空と同様、このイベントを考えた奴は性格歪みまくった奴に違いない。

 それが、ダンジョンマスターだとしても、一発くらい殴ってやりたい。ほんともう、ふざけんな。


「しかし、なんだったんだあのスキル」


 《 飢餓の暴獣 》と《 食い千切る 》なんて表示が出たが、習得メッセージは出ていない。

 つまり、ミノタウロス戦で最後に使った《 強者の威圧 》とは違い、すでに習得していたものという事だ。


 真っ先に思いつくのは、あの、派手なオークとの一戦だ。

 記憶にない、空白の部分であのスキルが発動したとするなら、奴らを殲滅できたのも頷ける。


 あの瞬間、まさしく俺は暴獣だった。

 パワー、スピード、本能、すべてが人間のカテゴリから外れ、獣のそれになっていたように感じた。


 正義の味方説じゃなくて、本当に隠れた力が目覚めた説のほうが正しかったのか。

 つまりあれだ、俺はあの派手なオークを《 食い千切 》ったわけだ。……どっちがモンスターだよ。


「土壇場で目覚める、起死回生のスキルにしてはグロいスキルだ」


 間違ってもヒーローのスキルではない。もっと悍ましい、何か別のものだ。

 目覚めるなら、もうちょっとかっこいいのが良かった。なんかこう、体の一部に謎の紋章が浮かび上がったりとか。


 しかし、初めて人を食い殺したが、別段何も感じない。やはり、俺はどこか壊れているのだろう。

 あ、いや、まったく感じないわけじゃないな。


「……不味かったな、あの猫耳」


 猫獣人が人間と同じカテゴリでいいのかどうかは分からないが、人なんて食うもんじゃねーな、と思った。

 指と首を《 食い千切 》っただけだが、倫理的にも二度と食いたくない。あれならいくら不味かろうがゴブリン肉全身フルセットのほうがマシだ。


 リザードマンのおっさん、強化型ミノタウロス、猫耳とギリギリの戦いが三回も続いたわけだが、こんな極限の戦いはしばらくなしにしたい。

 というか、もうちょっとくらい楽な戦いでも罰は当たらんだろうに。トライアルなのに、何度死にかければいいんだよ。



[ トライアルダンジョン 隠しステージを攻略しました ]

[ おめでとうございます。トライアルダンジョン完全攻略です ]

[ 出口より帰還の上、ギルドの指示に従い手続きを行って下さい ]



「お、……おお」


 クリアのシステムメッセージに合わせて、これまでなかった盛大なファンファーレが流れる。

 こういうところは完全にゲームだよな。


「……帰るか」


 うんしょ、と重い体を引き摺るようにして立ち上がる。


 ユキと合流しないといけないし、いい加減帰って寝たい。別にルール上はここで寝てもいいかもしれないが、こんなスプラッタな現場で寝たくない。

 というか、まだ借りたはずの寮の部屋すら見ていないのだ。これは一体どういう事なの。

 こんなに濃密なイベントだらけだったのに、迷宮都市に来てから定食屋とギルド会館とここしか移動してないぞ。


 周りを見渡し、出口を探す。

 俺たちが使ったワープゲートはすでにないため、このコロッセオもどきから出れそうなのは猫耳が出てきた門だけだ。ミノタウロスの時もそうだったし、今回もそうなのだろう。

 疲れた体を引きずり、出口を目指し……一度、門近くまで来てから、忘れ物がないか一応確認したほうがいいんじゃないかと思い引き返した。


 後片付けはちゃんとしないとママに怒られちゃう。今世のうちの母親はそんな人じゃなく、何しても怒る人だったけどな。

 親はどうでもいいが、こんなところに置き去りにして、ユキのアイテムがロストでもしたらかわいそうだろう。


 しかし、ユキの荷物は本人と一緒に消えたようで跡形もない。例の毒ナイフもない。

 そういえば、猫耳の荷物もそうだ。戦っている間は刺さったままだった針も消えている。あれはあいつの持ち物だから一緒に消えたのだろうか。

 残るのは強烈な存在感で地面に突き刺さっている< ミノタウロス・アックス >だが、さすがに持って帰れる気がしない。……でか過ぎるだろ、これ。

 記念だし、値段次第では売る事も考えていたので、一応持ち上げる挑戦はしてみる。


「ふぎぎぎぎ……」


 ……ダメだ。

 柄はなんとか持ち上がるが、本体部分が重過ぎてビクともしない。

 引き摺るのも無理だな。ちょっとだけ動くが、どれくらい時間かかるか分かったもんじゃない。

 これを回収するには重機が必要だ。


 一応記念品だし、持って帰れるなら持って帰りたかったんだがな。……ここでさよならか。

 しかし、こいつの直撃喰らってピンピンしてるとか、何事なの。なんなの、あの猫耳。

 『もう油断しない』じゃないよ、まったく。ルーキー相手なんだから、もっと油断してくれ。


 そういえば今更だが、猫耳との戦闘で傷ついた箇所が治っているな。目も見えてる。

 多分、《 飢餓の暴獣 》とやらの影響だろう。

 あまり良く覚えていないが、あの時急激に傷が再生していくのを感じた。その後も拳が砕けたり皮膚が裂けたりしたが、あれも治ったのか?

 色々無茶苦茶なスキルである。《 食い千切る 》といい、とても人間が習得するスキルに思えない。


 斧は諦めて、そのまま再度出口を目指す事にする。

 門を潜り、ミノタウロス戦のあとのような長い通路を歩いて行くと、またもや同じようなワープゲートが待っていた。

 隠しステージだからかもしれないが、使い回しが過ぎる。第5層のものとまったく同じだ。


「もうちょっと、なんとかならなかったのか」


 それを指摘する者もいなかったのか。

 ……そもそも、初挑戦者だったな、俺。


「さて、つらーく、ながーいトライアルもこれで終わりです。俺たちはやり遂げました。前人未到の初日クリアです。レコードホルダーです。死んでもいいはずなのに一回も死んでません。おー、パチパチ…………」


 …………虚しい。


「……はぁ」


 ユキは死んじまったよ。……くそ。

 ダンジョンに入った時は三人だったのに、同伴者の猫耳すらぶっ殺して、ここに立っているのはたった一人、俺だけだ。

 少し前の事なのに、ユキと第五層のワープゲートをくぐり抜けたのが、ひどく昔に思えた。


 あれだけの苦難を乗り超えてきたんだ、一緒にゴールしたかったよ……。


 トライアルはもう終了だ。この隠しステージはオマケにすぎない。

 本当のゴールを、二人で潜る事はもうありえないのだ。


 死んで、どんな形で復活するかは知らないが、戻ってるはずのユキを拾って飯食いに行こう。

 いや、このままだと飯食ってる最中に寝落ちするから、寝るのが先だな。

 でも、どんなに疲れて眠くても、先にユキは迎えにいかないと……。この流れであいつを放って帰るのは人として駄目だろう。

 システムメッセージでは手続きしろとも出てたし、色々やらないといけない事が多いな。大変だ。


 こんな凄惨なイベントでも、生きているんだからいつか笑い話になるだろうか。

 その時は二人で盛大に、ルーキーなんかに負けた猫耳を笑ってやろう。

 会った事はないが、デュラハンのテラワロスさんも誘ってみよう。きっと盛大にあの猫耳をこき下ろしてくれるに違いない。


「あー、腹減った」


 一人だと、考え事ばかりだ。

 俺は、やるせない気持ちを抱えたまま、ゲートを潜った。




-5-




 ゲートを潜り、地上に出ると思ったら、またしても不思議空間である。いい加減にしろ。


 天井も、床も、壁はないが地平線の彼方まで、どこまでも白い空間。

 床は真四角に区切られたグリット線が均等間隔に広がっている。ゲームでいうデバッグルームとか、格ゲーのプラクティスモードで使われるような部屋だ。

 これだけ白いと、精神的な拷問に使われる白い部屋があるというのを思い出すな。


「なんだこれ。また隠しステージか? もうなんでもいいぞ。いくらでもかかってこいよ」


 宇宙恐怖的邪神と化した今の俺には怖いものはないぞ。いあいあ。


 だが、返事は返ってこない。これじゃただの独り言だ。

 ……何かのイベントじゃないのか?


 一応、近くにそれっぽい物体がある。これでイベントが発生するのだろうか。

 白い空間にポツンと立つ黒い石柱……モノリスのような物体の前に立ち、それに触れると、メッセージが表示された。



[ トライアルダンジョン 隠しステージ攻略おめでとうございます ]

[ 完全攻略を讃え、あなたにはダンジョンマスターとの謁見の権利が与えられます ]


[ 準備がよろしければ、下のOKボタンをクリックして下さい ]



 クリアの際に表示されるようなシステムメッセージが黒い画面に表示された。


「なんだこりゃ」


 文面通り捉えるなら、これを触るとダンジョンマスターに会えるのか?

 聞きたい事はあるし、いつかは会って話がしたいとは思っていたが、こんな早いタイミングで機会があるとは思ってなかった。

 正直、聞きたい事がまとまってないんだが……。


 それに、どんな相手かも想像が付かない。

 この迷宮都市の偉いさん、ひょっとしたら最高責任者なわけだから、他の街であれば領地持ちの貴族だ。

 迷宮都市の特殊な立ち位置や規模から考えたら、ほとんど王様って言ってもいいかもしれない。


 ……いや、あのミノタウロスや、冒険者の異常な性能を体感した今だから思うが、この街、世界征服とか余裕でできるんじゃねーか?

 そんな集団の頂点に立つ人間……人間かどうかは分からないが、ダンジョンマスターってそういう存在なわけだろ?

 そんな相手と会っても、話し方とかマナーとか全然分からないぞ。元日本人なのは間違いなさそうだから、とりあえず正座してればいいのかな。


 それとも、これはトライアルのボーナスで、謁見の相手は冒険者だって分かってるわけだから、そこまで気にする必要はないんだろうか。

 ユキとかいればこんな時に相談できるんだが……、あ、いや、あいつはこんな状況だとテンパるな。


 せめて普通の王様だったらいいが、魔王のような奴だったらもっとヤバい。

 周りにドラゴンとかの超強力モンスターを従えて、大上段から平服しろって言われたら、確実に土下座する自信がある。

 ギルドごと転移して来た、Lv100の骸骨さんとかが玉座に座ってたら泣くかも知れない。

 そんな中で質問とか、圧迫面接ってレベルじゃねぇ。俺、全体攻撃の爆発魔法とか使えないぞ。


 なんか、押すのが怖くなってきたでござる。


「……でも、そういえば俺に選択肢なくね?」


 ワープゲートは一方通行だから戻る道はない。

 周りを見ると、見渡す限り真っ白だ。地平線の彼方まで何もない。じっと彼方を見てると気が狂いそうになる。

 ここを離れたら戻ってこれない自信があるぞ。そもそも、ここ以外に何かある保証もないし。謎の空間で行方不明とか冗談じゃない。

 ……先に進むしかないのか。


 ボーナスの受取拒否は不可という事だ。

 じゃあ、こんな回りくどい事しないで、直接飛ばせばいいじゃねーか。ダンジョンマスターに会う前に心の準備をしろって事か?

 ……まあ、あの猫耳が出てきたみたいに、隠しイベントといわず、ボーナスというくらいだから悪いようにはならんだろ、多分。

 一瞬、「この苦痛が余からの攻略ボーナスだ、受け取るがいい、ははははは」と高笑いを上げながら俺を拷問にかける魔王の姿が浮かんだが、いくらなんでもそんな事には……ならないよね?


「よし、ぽちっとな」


 意を決して、ボタンを押す。

 次の瞬間、照明が消えたように闇に覆われ、その闇が晴れると景色が変わっていた。

 転移したというより、逆に移動先がこちらに来たような感じだ。





「何処だここ……」


 俺が立っていたのは、地球で良く見かけるようなマンションの一室らしき場所。

 1K構造であろう狭い部屋の玄関だ。目の前にキッチンが見える。横に見える風呂場はユニットバス構造で、洋式便器があった。

 便座カバーもついてるな。


 ……まさか、地球じゃないよな。


 いかん、ちょっと混乱しているようだ。それと便座カバー。

 あまりに、前世で見たものと雰囲気が近似しているため、地球に転移した事を疑う。

 まさか、前世で俺が住んでた部屋じゃないよなと疑うが、そもそも俺が住んでいたのは1Kじゃなかった。


 良く考えたら、迷宮都市の賃貸マンションがこんな感じでもおかしくない事に気づいたのはその直後だ。

 だが、水場があるので、俺が借りる事になってる寮の部屋ではないだろう。


 ダンジョンマスターとの謁見で、何故こんなところに?


 キッチンの先にある部屋には誰かいるのが分かるが、まさかそれがダンジョンマスターなのだろうか。

 テレビらしき音が聞こえるし、何かの作業音もするし、蛍光灯の光も漏れている。

 ……いくらなんでもこれは庶民的過ぎねぇ?


 いきなり開けてびっくりしないだろうか。今日はちょっと無謀ともいえるくらいに、散々勇気を振り絞って来たわけだが、ここが一番勇気が沸かない。

 だが、こんなところで立ち止まっててもしょうがないだろう。


 俺は覚悟を決めて、ドアを開けた。


「えっ?」


 すると、中にはテーブルの前でカップラーメンにお湯を入れる普通の男がいた。

 ゴージャスなマントでも、貴族服でもない、完全な部屋着で、正に自分の部屋でくつろいでますといった感じだ。


 お互い、何か言う事もできず固まっていると、"誰だお前"って感じで俺を見返してきた。




 ……なにこれ。




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