第8話「限界村落の孤独な英雄」

-1-




「さあ、構えて。いくら規格外っていってもルーキー相手に不意打ちとか、ちょっとかっこ悪過ぎるし」


 それは、敗北も苦戦も、絶対に有り得ないという自信の表れ。

 心底嫌そうな顔しているのは、きっと演技なんかじゃないんだろう。

 トライアルダンジョンで見た性格が本物であるなら、こんな状況で新人を虐めて楽しむような人じゃない。

 これが同伴者としての仕事だとしても新人を殺す事にまったく意味がない、たとえば嫌がらせの類であれば、決して実行したりはしない人だろう。

 でも、どんなにひどいシチュエーションでも、その相手が自分が案内したルーキーであっても、そこにわずかでも意味がある以上、自分が気に食わないからといって止めていい理由にはならない。そんな事を考えているんじゃないだろうかと、勝手な想像を巡らせていた。


「ねえ、止めましょうよ。なんでこんな……意味のない……」


 ユキは武器を取り出しながらも、悲痛な表情でそう言う。

 ユキはこの場面にあって尚、意味が見い出せていない。いや、見出したくないのかもしれない。

 ……意味はあるんだろう。ただ、それを実行する場面として最悪なだけだ。


「意味はあるよ。……残念だけどあるんだ。さっきも言ったように、死が絶対に乗り越えなくちゃいけないハードルだっていうのは、あたし自身が体験して納得してる。意味があるから、こんな仕事でも放棄できない。……いい加減構えなさい」

「でも……だってっ……」

「ツナもだよ。武器持ってないけど、予備くらいあるんでしょ」


 俺は、深く、深くため息をついた。

 この胸の奥で渦を巻く黒い感情は、きっと怒りだ。でも、その矛先を向けるべき方向が見当たらないから、こんなにもイラつく。


 なんてやる気の起きない、そして、なんてムカつく戦いなんだろう。

 カードを取り出し、俺は、残った最後の予備武器を物質化させる。


「《 マテリアライズ 》」


 覚悟を決める。やる気があろうがなかろうが、目の前のこいつは敵だ。


「そう、それでいい。大丈夫、別にここで死んで終わりってわけじゃない。むしろ逆でスタートラインだから、必要な経験だって割り切ればいい」


 そりゃ、生き返るんだろう。何も失なわないだろう。必要な事っても分かる。

 だからって、簡単に殺されてやるつもりもない。そんなのは冗談じゃない。


「ほら、ユキも……しょうがないな。じゃあ、開始の合図を決めようか。このコイン。これが、地面に落ちた瞬間に戦闘開始。始めたら、そっちがやる気あってもなくても関係なく殺す」


 『殺す』という言葉にユキがピクリと反応する。


「ツナもいいよね」

「どーぞ。……腹は括ったよ」


 俺の準備はできてる。


「ユキもさっさと構えろ。覚悟を決めろ。……殺される覚悟じゃねーぞ。こいつをぶっ殺す覚悟だ」

「あはっ、言うね。いいね、いいよツナ。そうやって、どんな理不尽な状況でも覚悟決められるのは冒険者向きだ。すごく向いてる。……じゃあ、始めようか」


 そう言うと、チッタさんは俺たちから少し距離を取った。

 そして、指で弾かれたコインがクルクルと回転しながら天高く上がる。


「ああああっ、もうっ、なんなんだよ! 分かったよ! やるよっ! やればいいんだろっ!! ふざけんなっ!!」


 ユキが叫ぶ。おそらく何も覚悟は決まっていないが、戦闘態勢には入った。

 これでいい。始まったら戦うしかないんだ。

 あいつがちゃんと覚悟を決めるまで、俺一人ででも戦線を維持すればいい。


 能力差が激しすぎて、勝機どころか、どうやって戦ったらいいのかさえ思いつかない。

 だから、今できる事をやる。


 ……開始したら玉砕覚悟で突っ込む。

 フェイントもなにもなし、最短距離で最大火力の《 パワースラッシュ 》を叩き込んでやる。


 コインが落ちるまでの間、限界まで意識を研ぎ澄ましていく。

 躊躇なくあいつを斬る。そのイメージだけを鮮明に思い描く。


 ……大丈夫、意味なんてなくても、俺は誰が相手でも関係なく殺せる。そう切り替えられるはずだ。



「じゃあ行くよ」



 コインが――――落ちた。




-2-




 爆発するような勢いで地を蹴る。

 今可能な最大速度での突進。レベルによってすでに補正を受けている体は、陸上競技のスプリンターなんて目じゃないくらいの前傾姿勢で、奴に肉薄する。

 放つのは足下を狙った《 パワースラッシュ 》。


 恐らく現在可能な最速を叩き出しながら、その加速の中で《 パワースラッシュ 》を放つ溜めに入る。

 動き出したあとであれば、溜めの際に発生する硬直時間など関係ない。

 あいつは、道中の同伴こそすれ、俺たちのボス戦を観戦していない。なら、報告した《 看破 》以外の、俺たちがトライアルで得たスキルは知らない。ならば奇襲が成立するはず。

 通常の斬撃で当てる事が難しいなら、スキルで加速された剣撃を当ててやる。

 相手はまだ動き出してもいない。もうすでにスキルは起動状態に入っている。あとは当てるだけだ。


――――Action Skill《 パワースラッシュ 》――


 油断していたのか、それとも本当に意識が追いついていなかったのか分からないが、この距離なら外さない。

 おっさんだろうが、ミノタウロスだろうが必中のタイミングだ。


 俺の剣が光を放ちながら、奴の足下へと吸い込まれていく。


 そして、それが命中するというその時、信じられない事に対象が"消えた"。


「な……」


 迎撃されたとか、跳ねて回避されたとかではない。対象が丸ごと消えた。

 俺の剣は対象を見失い、そのまま盛大に宙を空振った。


「ど……ぐあっ!!」


 どこに消えたのかと、探し始める前に、俺の背中へ強烈な衝撃が走り、宙へ投げ出される。

 なんだ、蹴り……なのか? だとしたら、角度から言ってあいつがいたのは俺の真後ろ。

 この一瞬で移動した? いや、いくらなんでも有り得ないだろ、冗談じゃねーぞおい。

 威力もハンパじゃねえ。ミノタウロスほどじゃないとはいえ、この一瞬でカウンターとしてもらう攻撃としては有り得ない威力だ。


 吹き飛ばされつつ、それでもなんとか倒れずに地面に立ち、奴の姿を探す。

 あいつは何事もなかったかのように、俺が攻撃を喰らったであろう場所に立っていた。


 なんだあれ、どんな超スピードだよ、冗談じゃねーぞ。


「アクションスキル……、こんな段階で習得したっていうの?」


 あいつは、俺が《 パワースラッシュ 》を放った事に驚いていたらしく、追撃するでもなしに目を見開いていた。


「すごい、意味分かんない。どんなルーキーよそれ。面白過ぎるんですけど」


 その目が……捕食者のものに変化した。


「でもそっか、アレを一回で突破してきたんだもんね。……それくらいやるか。となるとユキもかな」


 チッタの注意がユキに向く。

 ユキは未だ最初の立ち位置のまま動いていない。動けていない。


 次の瞬間、チッタの姿が消えた。比喩ではなく、文字通りに。


「まずいっ! ユキ逃げろっ!」


 どこへ逃げるなんて指示はできない。だって、姿が見えないのだ。どこから攻撃が来るかなんて分かるはずがない。


「えっ?」


 呆けたようなユキの声。

 見ると、ユキのそばにはすでにチッタの姿があって……


 ……ユキの首が、大きく真横に切り裂かれたあとだった。


 そんな、いくらなんでも無茶苦茶だろ。

 俺は、あいつが消える前からずっとユキの姿を捉えていた。にも関わらず、現れた瞬間すら認識できなかった。


 ユキの首から大量の血が噴水のように吹き上がる。


 ユキが死ぬ?

 これまで、今日一日だけで、何度もの窮地で起死回生の動きを見せてきたあいつが、こんな簡単に、何もできずに死ぬ?

 ……なんだよそれ、どうしろっていうんだよ。


「ッカッ……は……がっ」


 吹き出す血を抑えるようにして、ショートソードを落とした右手で首を覆う。

 ダメだ、そんなんじゃ止まるわけがない。


「……ユキのほうは駄目か。やっぱ、あっちがおかしいだけか。……残念、先に行ってて」


 チッタは心底残念そうにそう言うと歩いてユキに近づき、トドメを刺すべく手に持ったナイフを振り上げた。


 その時、正直俺はもう諦めていたんだと思う。

 俺自身は何もできずに返り討ちに遭い、これまで苦難を共にした相棒が何もできずにやられていく様を魅せつけられて、完全に足が止まっていた。

 逆襲の一歩すら踏み出す事ができないでいた。


「ユキいいいぃぃぃッッ!!」


 近寄る事もできず、ただ、ユキが崩れ落ち、今この瞬間にトドメを刺されるのを見ている事しかできなかった。

 トドメの一撃が振り下ろされ、ユキの背中へ突き刺さる。どうしようもない完全な致命傷だ。

 そもそも、万が一助かったとしても、俺たちに回復手段はない。完全に終わりだ。


 きっと、俺は情けない顔を晒していたんだと思う。

 だけど……一瞬だけ目があったユキの表情は、そんな情けない俺を慰めるような笑顔だった。


 その笑顔はトライアルの間に何度か見せた、危機をなんとかしてみせた時の表情そのもので……


 崩れかけていた俺の中で、何かが繋がった。


「ニャ?」


 すでに死に体のユキの右手が、チッタの体を捕まえる。

 力なく崩れ落ちるまでの、そのほんのわずかな間に、ユキはその覚悟を見せた。



――――Action Skill《 ラピッド・ラッシュ 》――



 左手のナイフが光を放ち、システムに補助された剣撃を放つ。


「んなっ!?」


 しがみついたまま、ほぼゼロ距離で《 ラピッドラッシュ 》を放たれたチッタは、さすがにその直撃を受けた。


「なっ、なぁっ!?」


 二刀ではないため、ミノタウロス戦よりも少ない二連撃。ダメージが通った形跡はないものの、ユキはその攻撃を届かせた。

 多大な犠牲を払ったとしても、俺が強襲しても届かなかった壁にあっさり到達してみせた。

 技のイメージが困難な、死ぬ直前のダメージを負った状況で、決して攻撃の当たらない相手ではないという事を示してみせたのだ。


 それが終わると、ユキはそのまま地面へと崩れ落ち、あっという間に霧になって消える。

 残されたのは、それを見ている事しかできなかった俺と、呆然と立ち尽くすチッタだけだった。


「< 遊撃士 >のLv15スキル……、しかも毒の状態異常攻撃……。なんだこれ。なんでこんなにあたしの時と違うの?」


 ……ああ、そうか。

 チッタが呆然としていたのは、あまりに自分のルーキー時代と違う姿を見せられたからか。

 動けないでいるのは俺も同じなのに、感じてるものは全然違うんだな。


 俺が感じていたのは、やっぱりユキは最高の相棒だったという確信と、そんなユキが倒れる間際に何もできなかった俺の不甲斐なさへの怒りだ。

 状況を飲み込めなくて、混乱して、動けなかったにも関わらず、最後の最後だけはその覚悟を見せつけていきやがった。


 ああ、すごいな。本当にすごい。……なんて置き土産を残していくんだ。

 もうあいつはこの場にいないのに、俺の体はこんなにも力に満ちている。

 かつてないほどに、様々な感情の奔流が俺の体を突き動かそうと働きかけてくる。


「あたしと君たちで、一体どんな差があるっていうの?」


 チッタは呆然自失だ。よっぽどユキの死に様に思うところがあったらしい。


「ははっ、あははははっ!! いやすげぇ、マジですげえ。どーよ、俺の相棒はよ。お前、どうせ俺たちは一発も当てられないとか思ってたろ? 残念だったな。ユキとお前の差なんて歴然だろ。……トライアルにちんたら一年もかけた奴と一緒にするなよ」


 俺の安い挑発で、チッタの表情が怒りに染まった。

 多少でも心乱してくれるなら儲け物程度に考えていたのに、それは奴の逆鱗か何かだったらしい。


「貴様……!」


 ただ単に沸点が低いのか、それとも何かトラウマに引っかかったのかは分からないが、俺の挑発はよほど腹に据えかねたらしく、その形相は激昂したミノタウロスと変わらない。とても人様へお見せできないひどいツラだ。


「ああ、でもさ、……俺はまだ差を見せてねーよな。ユキがやった以上の事くらいはやってみせねぇとなあっ!!」


 大丈夫だ。俺は大丈夫。頑張れる。あいつが見せた最後の覚悟だけで立っていられる。

 まだ俺は、自分で吐いた挑発に見合った資格は持っていない。でも、取り消すつもりもない。……なら、言うだけの資格があると証明しないといけないな。


「来いよ。……知りたいっていうなら、俺たちとの差を見せてやる」




-3-




 怒りのまま攻撃に転じたチッタのスピードは圧倒的で、再び消えたその姿が見えないまま、刃の雨が降った。


 一体全体、どれくらい速いというのか。最早どれくらいの速さなのか見当もつかない。

 スキルで細工しているのか分からないが、ここまできたらどれくらい速くても一緒だ。見えないのには変わりない。

 奴の姿が見えなくなる前に、毒が効いていたのかくらいは確認したかったが、それももう不可能だろう。《 看破 》は、最低でも対象を認識していなければ発動しない。


 俺の体の至るところに斬撃が加えられ、その度に皮膚ごと服が裂けていく。

 長年親しんだ一張羅はもうボロ雑巾以下の布切れに等しい。

 俺は、奴の攻撃が加えられるであろうタイミングを感知して、致命傷だけは受けずに済むよう回避行動を行っていた。

 見えている訳でも、勘でもない。これはスキルの効果だ。


 《 回避 》と《 緊急回避 》をフル稼働させて、来るであろう攻撃を予測し、回避行動を取る。

 この二つは、RPGに良くあるような、習得しているだけで回避率が上がるような補正スキルじゃない。

 これまで体感して分かったこのスキルの特性は攻撃の警告と、回避体勢の補助だ。


 二つのスキルの違いはその距離。

 《 緊急回避 》は手の届くような狭い範囲、《 回避 》はそれを含んだより大きい範囲で、どこから攻撃が来るか、どんな攻撃が来るかを感知させてくれる。

 重複部分は二つの性能が合わさり、より精度の高い情報をもたらしてくれる。回避するマシーンには必須の技能だ。

 戦闘において、それはどちらも決して広い範囲ではなく、精々、武器を使った近距離攻撃が届く程度の距離でしかない。

 だが、この二つがある事で、たとえ見えない攻撃だろうが感知する事ができる。"感知は"できる。

 ここに至るまでに経験した戦いが、血肉となって俺の中に息づいているのを感じる。


 最早予知にも近い感覚で、全神経を致命傷を避けるそのためだけに集中する。

 致命傷でさえなければ問題ない。そんなものは無視だ。

 ……あいつが焦れて、大振りを狙った時が勝負だ。


 体が裂けて血が噴き出していく。

 ポーションで傷が治ったのと同じように、ミノタウロス戦で流した血が補充されていなければ失血死しそうだ。

 実際に血が増えているかは体感でも分からないが、一般人ならもう危険域だろう。


 この短い時間で、何度刃を受けただろう。俺の体は切り傷だらけで、全身が真紅に染まっていく。


 これくらい大した事ねぇ。男なら我慢しろ。

 ユキは男辞めたいんだから、あそこで脱落しても許されるけど、俺は芯から男の子なんだから意地張らなきゃ駄目なんだよ。

 絶対に倒れない。こんな掠り傷、いくら付けられたところで倒れてたまるか。


 あいつには、なんで直撃が通らないか分からないんだろうな。

 受ける剣撃から動揺が伝わってくる。あと少しでチャンスは来るはずだ。……あと少しじゃなくても、限界まで付き合ってやる。


 そんな事を考えている内に、そのチャンスはやってきた。

 徐々に攻撃のランダム性が損なわれ、読み易くなっているのが分かる。

 狙うのは次の攻撃。そのタイミングに合わせて、避けると同時に最小限の動きで剣を合わせる。

 来るのは恐らく前方右斜め前からの……直線攻撃――!!


「っっ!!」


 剣を振る代償に、受ける傷は深くなったが、許容範囲だ。俺の攻撃も掠った。

 ただ一撃を掠らせるためだけにこちらの被害は甚大だが、当てる事ができたという事実は大きい。


 ……これでユキに追いついたぞ。あとは超えるだけだ。


 大量の攻撃を受け、俺の中で攻撃パターンの情報が収集・分析されていく。《 回避 》と《 緊急回避 》が極限まで引き上げてくれるその精度を、情報の蓄積と勘で補え。

 だから、ほら。受ける傷も浅くなってきた。


「んぁあっ!」


 もう一度タイミングを合わせて剣を振ると、今度はさっきよりも深く攻撃がヒットした。

 ダメージがあるのかとか、HPを削れているかとか、そんな事は関係ない。まず、当たらないと話にならない。

 どうせ、ステータス差を考えたら、まともなダメージは通らない。全力の《 パワースラッシュ 》を直撃させてもダメージ0の可能性すらあるのだ。


 相手が見えないこの状況で《 パワースラッシュ 》を当てるのは、スキルと勘で、限界まで動きを見切っても不可能だろう。

 このスピード差だと、こっちがジャストのタイミングで繰り出した上で、あっちが盛大にミスでもしない限り当たらない事が分かる。

 TRPGでいえば俺が六ゾロでクリティカル、あいつが一ゾロのファンブルと同時に出さないと不可能なレベルだ。つまり無理。期待しない。

 だからまず、この状況の突破口として攻撃を当てる。


「っっっ!!」


 と、やべぇ! 変な事を考えてたら、脇腹への斬撃に対する対応が遅れた。

 俺がミスったら駄目だろ、おい。……ああいや、気配が変わった。深くダメージが通った事で欲を出したな。

 ……これまでで最大のチャンスが来る。


 ここは死んでも合わせる。方向は真横、右からだ! 再び直線攻撃――!!

 大して力は入れられなかったが、完全回避、剣も直撃コースだ。カウンター気味に、直撃が……入る!


「ぉうらぁああああっ!!」

「きゃあああっ!!」


 完全に捉えたその瞬間、ようやく猫耳の姿が確認できた。

 確かに攻撃は命中した。だが、予想通り攻撃の感触はHPの壁に阻まれ、わずかにも体に届いていない事が感触で分かった。しかも、そのHPを削る事すらできていないだろう。


 剣が命中した事で体勢を崩したチッタは、その攻撃の勢いもあって地面に転げ回る。

 姿が見えている今がチャンスと、俺はそれを追撃、地面へ転がるチッタへ向け剣を叩き下ろした。

 チッタはその剣を寸前で避け、横に回避行動を取り、再びその姿を消した。


 俺は、無意識の内に頬が吊り上がるの感じた。

 追撃は掠りもせず再び姿を見失ったが、収穫があった。とびきりのやつだ。




-4-




 そもそも、姿が消えるような超スピードをそんなに長い時間維持してられるのか、というところから疑問だった。

 ずっとそんな速度で動いていれば、極端な空気の流れが発生するし、飛んでるわけでもないんだから足音だって膨大な量になるはずだ。

 空気の流れも足音も、スキルで誤魔化しているのかもしれないが、それにしたって限度がある。


 あいつが消えている間、足音はほとんどしない。超スピードで動き続けるなら絶え間なく発生するはずの踏み込みが、明らかに少ない。

 全身で空気の揺らぎを探っても、攻撃の時くらいしか乱れはない。

 そして極めつけはさっきの消え方だ。明らかにスピードで見失ったわけじゃなく、俺が視界に収めている範囲から消えた。


 つまり、あいつはずっと高速で動き回っているわけじゃなく、姿を消している。あるいは視覚を誤魔化している。中々いいシックスマンになれそうだ。

 加えて、それは攻撃の際には解ける類のものなのだろう。俺に攻撃を加える瞬間だけ、視認の困難な、直線的な動きで加速していると予想する。

 その前提条件があれば、あとは簡単だ。いくら直線の動きが速かろうが、姿が見えなかろうが、今のキレまくってる俺なら手に取れる。


「うぉらああああっっっっ!!!!」

「っっっっっ!!」


 再度、攻撃にカウンターを決められたのが想定外だったのだろう。

 チッタは地面に転がり、その勢いのまま立ち上がると、姿を消さずにこちらを見据えた。


「な……なんで……」

「なんで当てられるのかって? 逆に聞きたいが、なんでそんな同じ攻撃ばっかり続けて、捉えられないと思ったんだ? 馬鹿の一つ覚えかよ、何度も何度も同じ攻撃が通じるわけねーだろ。俺が何も考えてないゴブリンにでも見えたのかよ」


 俺でなくても、これだけ喰らえば対策は見えてくる。それが分からないなら、単純に対人戦闘経験が足りてないな。


「ああああああっ!!!!」


 最早通用しないと判断したのか姿を隠すのを止めたチッタは、直線攻撃そのままのスピードで俺に斬りかかってきた。

 ようやく攻撃を目視できた。得物はユキと同じ二刀。ただし、どちらもダガーだからか攻撃の回転速度がべらぼうに速い。

 二つのダガーで交互に斬撃を繰り返す。

 すべてが急所狙いで、狙ってくる箇所が正確だ。人体のどこを損傷させれば殺せるか、あるいは機能を落とせるかを知っている。

 対人経験は知らないが、少なくとも人体を破壊するための知識は持っている。


「ぐっ!!」


 高スピードでダガーによるラッシュが続く。

 俺の剣の技量もそうだが、得物の差からいって、すべてを受け、避けきる事は困難だ。

 だったら、やる事は変わらない。そもそもすべてを受けなきゃいい。致命傷になる攻撃以外は当たっても構わない。

 "死なない程度"の攻撃は喰らう事を前提として、剣で受けるべき攻撃、回避する攻撃を取捨択一しろ。


「っそ! なんでっ! 当たれっ!!」


 当たってるだろうが。てめえの攻撃でオレは全身から血が噴き出してんだろうがよ。

 だが、致命的な一撃だけは絶対に当たってやらねえぞ。

 肉が裂け、骨が見えるような状態になっても、俺が動けるならまだ大丈夫だ。それは"致命傷"じゃない。


 全身から血を噴き出しながら、それでもまだ動きの止まらない俺に対し、明らかに動揺を見せ始めているのが分かる。

 ここまでで、俺がこいつに与えたダメージはおそらく0だ。勝ち目なんて、今この状況でもまったく見えない。

 なのに、どうしてここまでして戦い続けるか、不思議でしょうがないんだろう。どうして倒れないのか理解できないんだろう。


 だってさ、致命傷を避ければまだ動けるって、ミノタウロスよりは攻撃力がないって事だ。

 あの通常攻撃すら致命傷確定の暴風のような攻撃に比べて、急所さえ外せば耐えられる攻撃ってのは喰らっていい分全然マシだ。

 いくら早かろうが、まったく凄味がない。血の量に限りはあるんだろうが、今の俺ならいくらでも耐えられそうな気がした。


 おそらく相性の問題もある。これが、生粋の戦士であったり、魔法使いであったとしたら、更に攻略難易度は跳ね上がっていたはずだ。

 ただでさえ絶望的な難易度がルナティックまで跳ね上がっていたに違いない。こいつはせいぜいスーパーハードくらいだ。チッタハードだ。

 こいつがミノタウロスを単独攻略可能なのは嘘でもなんでもなく事実だろう。だが、この状況で対峙する相手としては一番相性が噛み合っている。

 戦闘をメインとしていない斥候職だから、俺でもまだ戦えるのだ。


「うああああっっっっ!!」

「おおおおおおおおっ!!」


 二つのダガーと、剣が幾度も交差する。


 俺の《 剣術 》にはまだ成長の余地があったのか、次第に致命的な攻撃以外も弾けるようになってきた。

 トカゲのおっさんほどではないが、《 回避 》《 緊急回避 》と合わせ、剣の壁と呼べるくらいの防御は構築できている。

 血を流しすぎたのか、攻撃を受け過ぎたのかわからないが、剣を握る感覚がもうロクにない。

 だが、俺の体はまだ剣を握っている。体は動いて、二つのダガーの攻撃を捌き続けている。


 そして、とうとう戦局が動く時が来た。

 当たらなくなった攻撃に痺れを切らしたのか、交わしたダガーがオレンジ色に鈍く発光するのが見えた。


 それは、俺がこの戦いで未だ体験していない未知の行動。

 その攻撃が入りさえすれば、確実に俺にトドメをさせるであろう必殺の一撃。


 だが、その発動は確実に隙を与える諸刃の刃だ。

 これまでスキルを使わなかったのは、そんなものは必要ないと判断していた事、技後硬直が発生し、その隙を突かれるのを警戒しての事だろう。

 放たれるそのスキルを俺が乗り超えれば、その時は逆に致命的な隙が生まれるはずだ。


――――Action Skill《 シャープ・スティング 》――


 発光現象を起こしたダガーが、その姿を光の点と化し、俺への最短距離を駆け抜ける。

 それはユキが使った《 ラピッド・ラッシュ 》と同様の刺突技だが、あちらが連続攻撃であるのに対し、こちらはただ一点を貫く針のような一撃だ。

 だが、未知のものであるにせよ、スキルが来る事が分かっていた俺は、それを迎撃すべく剣を振る。


――――Action Skill《 パワースラッシュ 》――


 ほんの一瞬だけ先行して溜めに入った《 パワースラッシュ 》を、《 シャープ・スティング 》の軌道に対し、掬い上げるように放つ。

 二つの光が交差し、《 パワースラッシュ 》は《 シャープ・スティング 》の軌道を大きくずらし、回避に成功した。


 大きく攻撃を跳ね上げられたチッタは技後硬直が発生し、スキルの慣性に乗る様に体を浮かせる。

 それに合わせて、俺は発生するスキルの硬直時間の中、ミノタウロス戦の時と同様に後続のスキルを発動させた。


――――Skill Chain《 旋風斬 》――


 体を一回転させ、硬直するチッタの背中目掛け《 旋風斬 》を放つ。

 その瞬間、俺は、チッタがこの"スキル連携"という技術自体を習得できていない事に確信を持った。


「らぁぁああああっっっ!!!!」


 全力だ。ここがすべてを振り絞るタイミングだ。

 相手は硬直状態。こちらは連携による全力のスキル攻撃。今の俺にこれ以上のダメージソースはない。

 出せる力を限界まで振り絞り、《 旋風斬 》の軌道に上乗せするように力を込める。


 発声なしのスキル起動に見られるように、スキルの発動に必要なのはイメージ力だ。

 《 パワースラッシュ 》も意識的になぞり、軌道を制御する事でその性能が変わるように、回転しての横薙ぎという剣技に合わせたイメージを展開する。


 それは竜巻。

 俺自身が竜巻であるような強固なイメージを展開し、その勢いを加速させろ。



 次の瞬間、完全に無防備となったチッタの背中に、俺の《 旋風斬 》が炸裂した。




-5-




 《 旋風斬 》を放つのに合わせて《 看破 》を並行起動させ、HPゲージがどう減少するかの確認を始める。


 手応えは、相変わらずHPの壁に阻まれたままで、それは予想通りだ。この一発で終わる事なんて、はなから期待していない。

 だが、これでどの程度HPを削れるかによって、すべてが決まる。


 技のモーションが完了するのとほぼ同時に、何かが砕ける手応えを感じた。これは、骨を粉砕したとか、そういう手応えじゃない。

 俺の……剣が砕ける手応えだ。

 振り切った剣が折れ、刀身の根本部分だけを残して地面へと転がった。


 《 旋風斬 》の一撃を受け、チッタはそのまま前のめりに倒れ込む。

 俺は、技後の硬直を感じながら、倒れたチッタのHPを見た。


 ふっざけんよ、ちくしょおっ!


 俺の渾身の一撃、その武器すら犠牲にした最大ダメージソースを受けて尚、チッタのHPゲージは5%……3%も減少していない。

 硬直時間のせいで更なる追撃は不可能。しかも、攻撃しようにも俺の手に握られた剣にはもう刃がない。

 懐にゴブリン肉でもあれば、無理矢理口に突っ込んで精神ダメージを与えられたかもしれないが、残念ながら品切れだ。


 硬直から回復した俺は、倒れたチッタが起き上がるのを警戒しながら見つめた。


 万策、尽きたか……。


 あの一撃は正真正銘俺のすべてを振り絞って叩きつけた一撃だった。

 これでダメージがほとんど通らないようなら、俺に手はない。

 ここから同じ事を二十回、三十回も繰り返す事なんてそれこそ夢物語。更に、武器がない以上、同じダメージを叩き出す事すら不可能だ。


 ほとんど柄だけになった剣を投げ捨てる。

 あとは、腰にぶら下げた手斧が最後の武器だ。

 だが、これでは《 剣術 》のスキルは有効にならないし、倒れたチッタに投げつけても大したダメージは望めないだろう。

 だったらどうする。体一つでアレと打ち合うのか? 武器をぶっ壊す勢いで、全力の全力で斬って5%もダメージ与えられない相手に? 馬鹿かよ。

 かといって、他に武器はない。この手斧か、床に落ちた刀身部分だけの剣を使うしかない……。


 ……いや。

 一つだけあるじゃないか。当たれば確実にダメージが通りそうなものが。


 第五層で、俺たちが全力で攻略したミノタウロス。その手に握られていた巨大な武器が、俺の懐にまだある。

 あれならば、チッタの防御であっても粉砕してダメージを叩き出す事は可能だろう。

 ただし、"振り回せれば"という前提が付く。


 正直に言おう。不可能だ。

 完全状態の俺ですら不可能だと断言できる上、今の俺は全身ボロボロで立っている事すら奇跡に等しい状態。この状態であの巨大質量を振り回す力はない。


 だが、武器自体はある。

 物質化のタイミングで奴に繰り出せば、たとえ一度きりのチャンスだとしても、それは必殺の一撃と化すかもしれない。

 ここまでも、ギリギリの綱渡りだったのだ。低い可能性だろうが、練習もできない一発勝負だろうが、すべて成功させてやる。

 その一度を成功させるには、まずあいつの足を止める必要があるだろう。


 俺は起き上がったチッタを睨みつけた。

 その顔は困惑に染まり、何故俺がここまで戦えるのか理解できないという表情だった。

 ほとんどダメージがないとはいえ、現役の冒険者が、それこそ何段も格が違うルーキーに翻弄されている状況。

 ただ普通に攻撃するだけで終わるはずだった相手が何故か仕留められない。プライドが崩壊してもおかしくない状況だ。


「なんで倒れないの……もうずっと前からHPは0でしょ」


 おそらく俺のHPはかなり前から0のはずだ。

 血塗れでボロボロでもこうして立っていられるのは、システムに頼った力じゃなく俺自身の能力だ。男の子の意地ってやつだ。

 だからこそ、HP0になれば終了に等しい世界で生きている人間には奇異に映るのかもしれない。


「0になろうが、俺の体は壊れてない。俺を止めたいなら五体バラバラにでもするんだな」

「馬鹿じゃないの!? 大人しく殺されるだけで終わる話なのに、死んだって生き返るのに、なんでそんな状況でそんなに抵抗するの」

「はっ、死んだら生き返るから大人しく殺されろってか。……そっちこそ馬鹿じゃねーの。何もしないで諦める奴に次なんてあるかよ。何もしないで諦める奴が、生き返ろうがやり直そうが先に進めるわきゃねーだろ。……冒険者がそういう職業なのは分かるさ。死ぬ事が当たり前で、それが日常になるっていうのなら、そりゃトライアルで死んだ経験くらいはするべきだろう。わざわざ中級ランカー様がルーキーにご教示頂けるっていうんだから、有り難くて涙が出るよ。そう、理解はできるさ。――――だが、気に入らねぇ」


 俺が意地張って、ここまで立っていられる理由はそれだけだ。

 こんな試練を用意した奴も気に入らないし、それで大人しく殺されると思ってるこいつも気に入らねえ。

 ユキにあんな顔させちまった俺自身もだ。


「剣も折れて、武器がないのにまだやる気なの」

「やるさ。俺はまだお前をぶっ殺す事を諦めてない。腕一本になろうが、最後まで抵抗してやる」

「……狂ってんじゃないの」


 今更だな。わざわざ言われなくても、ずっと昔から狂ってんだよ。自覚症状ありの本格派だ。

 狂ってるからこそ譲れない一線っていうものがあるんだよ。


 俺は無手のまま、チッタを迎え撃つために構える。

 格闘技の心得はない。検問のホモにかけたプロレス技はただのお遊びの範疇だし、柔道も学校の授業で習っただけだ。


 だが、こうして話していて、第二層で目の前の猫耳が言っていたのを思い出した。

 体術は全般的にクリティカル率が高いとか、確かそんな事話だ。

 戦っている相手の言葉だし、素人の体術で意味があるとは思えないが、それに期待してみるのもいいかもしれない。どうせ、"アレ"以外にロクな手段はないのだ。


 チッタが相変わらずのスピードで襲いかかってくる。確かに速いが、何故か姿を消す事はしない。

 こんな場面で考察する余裕などないが、やはりあれにも何か条件があるのだろう。


 一撃、二撃と超スピードの剣撃を躱す。そして、間を置かずに走る腹に向けた三撃目に対し、俺は敢えて受ける事を選択した。

 急所は外したものの、腹にチッタのナイフが突き刺さる。


「――え?」


 これほど簡単に当たる事を想定していなかったのか、唖然とした表情を見せるチッタ。

 これまでやってきた、"肉を切らせて骨は断てない"戦法を更に進めただけだ。

 剣もないのに、拳で打ちあって足を止められるはずがない。だったら攻撃を受けて、足を止めてから反撃すればいい。

 俺は腹にナイフを突き刺されたまま、チッタの襟を掴んだ。


「……捕まえた」


 そこから狙うのは背負い投げだ。

 ミノタウロス戦では、あまりの体格差に不可能だった"柔よく剛を制す"もこいつ相手なら可能なはず。


「うおらあぁっ!!」


 予想通り、HPの壁は投げ技には関係ない。叩きつける衝撃は緩和されるかもしれないが、投げる事自体は可能だ。

 何が起きたのか理解できないという表情で、チッタの体が宙を舞う。

 ダメージはないかもしれないが、柔道のように手を引くような事はせず、むしろ力を込めて地面に叩きつけた。


「うぶぉっ!!」


 背中を叩きつけられた衝撃でチッタの口から息が漏れる。ひょっとしたら、HPはこういう内部への衝撃も通してしまうのかもしれない。

 相変わらず腹にナイフは刺さったままだが、地面に転ばす事には成功した。


 そして、俺の本命は次だ。

 俺はそのままチッタの左腕を掴み、腕拉ぎ十字固めに入る。

 我ながら惚れ惚れするような、流れるような動きで完璧に腕拉ぎが決まった。


「ニャああっ!!!?」


 こいつが関節技を喰らった事があるかどうかは知らない。だが、知ってようが知るまいが、これは力だけで抜けられるものじゃない。

 このまま、腕の靭帯を破壊、可能なら骨を折ってやる!!


「あああぁーーーっ、離せっ! 離せぇっ!」


 固めた腕に、確かな手応えを感じる。

 これで確信した。HPは外からの攻撃には効果を発揮するが、関節や、体の内部に対しての直接ダメージには無力だ。

 悲鳴のような声を上げながら、チッタが右の手に持ったナイフを俺の足に突き刺して来る。


「っぐうぅぅぅっ!! 痛くねぇっ! 全然大した事ねぇっ!」


 離してたまるものか!!

 ここまでで最大のチャンスだ、同じ事をやれば警戒される。おそらくこれを逃せば次はない。

 全力でチッタの靭帯を粉砕しにかかる。腕一本でも取れれば、戦闘力は大幅ダウンだ。手足を一本ずつ破壊していけばまだ勝機はある。


「だぁらぁあああっ!!」


 その時――

 ――チッタの腕から、破滅の音が鳴った。


「うぎっ! ぎゃあああっ!!」


 取った。確実にチッタの左腕を粉砕した。

 だが、まだだ、ここで手を緩めて、逃げられれば態勢を整えられる。畳みかけろ!!


 俺は腕を離し、痛みで動けていないチッタに対し、次の行動に移る。

 チッタの首へ手をかけ体を起こさせ、背後から首に手を回し、そのままスリーパーホールドを仕掛ける。


「ぐっ……はっ!!」


 気管を締め上げ、強制的に呼吸を遮断する。チッタは必死に抵抗するが、締め技も関節技も、知らなきゃ抜けようがない。

 ここだ! ここで決めさせてくれっ!!


「ああああああっっ!!!!」

「んぎぃぃぃぃぃっ!」


 全力で首を締め上げ、絶対に離すまいと力を集中させる。

 だが、このまま終わるかと思った次の瞬間、チッタは残った腕で、俺の腕にナイフを突き立てた。


「がぁあああっ!!」


 痛い、痛い! 痛いっ!! 痛くねぇええっ!! 痛くねーんだよっ!!

 俺の痛覚、仕事すんじゃねぇっ!! 絶対に離してたまるか!!


「んぎっ、がっ、はっ!」


 何度も何度もナイフを突き立てられ、俺の左腕から血しぶきが舞う。ナイフが骨にあたり、筋肉が断裂し、神経が切断されていく。

 まずい、まずい、駄目だ、離すんじゃねぇっ!!


 限界まで痛覚を遮断し、ホールドを続けるが、劇的に力が入らなくなっていくのを感じた。

 俺の左腕が逆に破壊された。


「んにゃあああっ!!」


 力の緩んだ腕からチッタが脱出し、次の瞬間、強烈な肘打ちを顔面に喰らう。


 外された。逃げられた。どうする? 駄目だ、ここで逃しちゃいけない。

 肘打ちでたたらを踏まされた俺は、何も考えずに頭から再度チッタへ突進した。


「ぉほっ、がふ……ぐぅっ!!」


 立ち上がったチッタの腰に組み付く事には成功するが、次がない。

 HPがいくらあろうが、投げ技、絞め技、関節技は通用する。それは分かった。なら、このままバックブリーカーか、引きずり倒してマウントとるか。

 駄目だ、力が足りない上に片腕が致命的な損傷を受けている、使い物にならない。


「や、やめっ……放せ、放せえええっ!!!!」


 何かしてくるのかと脅威を感じたのか、恐慌に駆られたチッタは腰にしがみつく俺の背中にナイフを突き立て始めた。


「~~~~~っ!!!!」


 声にならない悲鳴を上げる。


「放せ、放せっ、放せぇっ!!」


 二度、三度と、ナイフが突き立てられるのを感じる。

 馬鹿やろう、もう力なんてねーよ。一体、これ以上何ができるって……


 ……ああ、あるじゃねーか、切り札が。忘れんなよ。


「……使うのを忘れてたよ」

「……え」


 俺が出した声に反応して、一瞬だけ力が緩むのを感じた。


「っらぁぁああああーーーっっっ!!」


 俺はその瞬間、そのまま体を押し出し、チッタの体を押し倒す。

 マウントを取っても、そのあとがない。だから、残された手段は一つしかない。

 チッタを押さえつけたまま間髪入れず、俺は残された手でカードを取り出した。


「なっ……なん……」

「《 マテリアライズ 》ッッ!!!!」


 光を放ち、物質化を始めるカードを宙に放る。


「……大本命の最終手段だ。押し潰されてくたばれ」

「なっ……ぅああああっっ!!」


 俺たちの真上で、その巨大質量が物質化していくのを感じる。

 それは、あっという間に巨大化、元の姿を取り戻し、俺たちを覆う影を差した。


 俺は、チッタが逃げられなくなるギリギリのタイミングを見計らい、全力で横に跳び退く。




 次の瞬間、物質化したミノタウロス・アックスが、轟音と共にその巨大な質量を地面に突き立てた。



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