第7話「最後にして最初の試練」




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 正直心のどこかで舐めていた。迂闊だった。慎重になっていたと思い込んでいた。ハードルを低く見積もり過ぎていた。

 一層では、あまりの雑魚の弱さと、ボス部屋のふざけた仕様に出鼻を挫かれ、二層、三層と攻略していく内にユキの緊張も解け、システムを理解し、階層ボスを蹴散らした。

 四層では、本来有り得ないはずの強敵と対して、これを打ち破った。

 本来、年単位で習得するはずのスキルをいくつも習得し、レベルアップして、迷宮都市の外では手に入らない力を手に入れた。

 ギリギリまで敵を狩り、当初の想定よりも準備ができた。

 だから、案外なんとかなるんじゃないかって、心のどこかで思っていた。相手は情報もなにもない。ただ"強い"とだけ言われた敵なのに。


「んなくそっ!!」


 嵐のように振り回される巨大な斧を、可能な限りの距離を離して回避する。

 それは見た目通りの巨大な斧であり、鈍器でもあり、柄の部分でさえ最早鉄柱を振り回されているのと変わらない。あんな物の前では俺のHPは紙同然で、当たれば骨なんか粉々に砕け散るだろう。たとえ回避しようが、余波で巻き起こる強烈な風が通り抜ける度に一層の恐怖を駆り立てていく。それが床に打ち付けられる度に石片が飛び、足場が崩れていく。

 一度も直撃していないのに、俺はすでに満身創痍だ。背中を滝のように流れ落ちるのは冷や汗なのか、それとも石片で付けられた傷から流れる血なのか。


「ぅらあああっ!!」


 大振りで発生した隙に全力で剣を打ち込む。

 それはHPの壁に阻まれて奴の肌へ届く事はないが、《 看破 》によりわずか数ミリ、数ドットでも減っている事が確認できる。実際にドット表示なのかどうかは知らん。ちょっとだ、ちょっと。


 攻撃を通しても、あまりに変化のないその状況に萎えそうになる。

 たとえわずかだろうが、《 看破 》でHPが減ってる事が分からなければ心が折れるところだ。

 俺の攻撃は奴の行動を一切阻害できていない。ほとんどハイパーアーマー状態だ。構わず突っ込んで来やがる。

 鎧も着ていない肌がむき出しの状態のくせに、一体どんな防御力だ。


 ミノタウロスは床にめり込んだ斧を持ち上げようとするが、そのタイミングで、どこから現れたのかユキが斧の上に着地する。相変わらず神出鬼没な奴だ。

 ユキの軽い体重では持ち上げるのを止める事などできないが、上からかけられた力にほんの一瞬だけその動きが止まった。

 俺はその瞬間を狙い、ミノタウロスの死角へと移動する。


「こっちだよっ!!」


 斧の上を跳ねたユキがその勢いでミノタウロスの顔面近くまで跳躍し、その二刀を以って顔を切りつけて注意を引き付ける。さっきまで恐怖に縛られていたとは思えない動きだ。

 ダメージはほとんどなかったはずだが、顔を斬られたという事実に驚愕したのか、ミノタウロスは呻き声を上げる。これ以上ないタイミングで発生した隙に合わせ、俺はミノタウロスの脚に剣を放つ。


――――Action Skill《 パワースラッシュ 》――


 それは見事に脚にクリーンヒットし、わずかによろめかせる事に成功する。HPだって多少は削れた……はず。削れてないとキツイ。

 これが、現時点での俺たちの最大火力だ。この巨大質量が舞う嵐のような攻撃を一発も直撃されずに、あと何回クリーンヒットさせればいいのか。この攻撃でどれくらいHPを削れるかによって、このあとの展開が決まる。


「うおっ!!」


 《 パワースラッシュ 》の技後硬直で動けないところにミノタウロスの蹴りが飛んできた。トカゲのおっさんと同じようなアグレッシブさだ。その巨体でふざけんなって感じだ。

 掠りながらもギリギリ避けるが、超あぶねぇ。当たってたら終わってたかもしれん。

 ただ、掠っただけでもHP削られてるのか、石片のものも合わせて俺の全身は傷だらけだ。いたるところから出血している。だが、まだ直撃だけは喰らわずにいる。


 ここまでの交戦で得た情報を元にあいつの能力を評価する。

 パワーはどうしようもない、あの斧をまともに喰らったら即ピチュンする。刃以外の部分でもアウトだろう。それに加え、斧で破壊された石片がまずい。破片の軌道がランダムかつ、数が多過ぎてほとんど面攻撃になっている。すべてを回避するのは困難だ。小さい物なら打撲程度で済むが、ものによってはレンガの様な大きさの石片が飛んでくるのだ。

 一方、スピードは確かに速いが想像を越えるほどではない。トカゲのおっさんがブーストした状態と同じくらいだ。

 加えて、いくら早くても攻撃が大振りだから隙はできる。おっさんのように一切攻撃が当たらないとかそういう事はない。攻撃自体は……当たる。

 最大の問題は、あの異常なまでの防御力とHPだ。《 パワースラッシュ 》の直撃を喰らっても、目算ではゲージ全体の10%も削れてない。ちなみにこれはここまでの合計値だ。

 つまり、この一撃喰らったら即ゲームオーバー、オワタ式ボスバトルを十回繰り返し成功させれば俺たちの勝ちだ。

 ……無理だな。俺の体力もHPもそこまで持たない。このままだとジリ貧で、いつか絶対に直撃を喰らう。何か、違う攻撃手段が必要だ。それも早急に。

 だが、この極限状態の中でそれを考えろと? ギリギリのところを斧が掠めていく。おっさんと同じようなアグレッシブさで、蹴りやタックルも織り交ぜてるこの状況をどうやって打破しろと?

 いくら柔よく剛を制すとかいったって、ここまでの体格差は想定してないだろ。投げようにも、そもそもそこまで近づく事が困難だ。あと、あいつ腰ミノしか着けてないから柔道技は無理。気分は監獄で巨人と対峙する世紀末救世主だ。ただし一子相伝の究極拳法はない。

 そんなアホな事ばかり考えている内に、体力を削られ、思うように体が動かなくなってきた。段々危ない局面も増えてきている。

 俺、何回避けたかな。すごいぞ、俺。頑張れ、俺。


「ツナ、ボロボロだけど、まだいける?」


 斧の暴風の中、わずかに発生した隙間を使って大きく間合いを取ると、ユキが話しかけてきた。


「いける。いかせる。なんでも来い。今の俺は無敵だ」


 血塗れで何言ってんだという感じだが、虚勢も張らないと、意識が持たない。つまり、実はもうヤバイ。


「あの牛の防御を突破するには、より強い攻撃が必要だよ。このままだとジリ貧だ」

「わぁーってるよ」


 何も思いつかねえんだよ。血がたりねぇんだよ。あぁ、レバー食いたい。


「だからツナ、あの斧を無刀取りして逆にぶっ叩いてやればいいんだ」

「なるほど……ってアホか」


 できるわけねーだろ。一瞬、アイデアが出された事自体に感心して、ノリ突っ込みになっちまったじゃねーか。俺は柳生宗厳でも上泉信綱でもねぇっつーの。仮に無刀取りできたとしても、あんなデカブツ振り回せるかよ。

 ……まあ、冗談言えるなら、ユキの方は大丈夫だろうという事は分かった。


「冗談、冗談。……ちょっと賭けに出る。クリティカル狙うから、隙を作って欲しい」

「んぉ? ……おう」


 ユキはそういうと、ミノタウロスに突っ込んでいき、すれ違い様に一撃加えて逆方向へ抜けていった。

 ダメージ通ってないにしてもすげーな。明らかに空中で体勢が変わってる。あれは、俺にはできない動きだ。体を動かすイメージすら沸かない。


 一瞬だけユキに気をとられていたが、ミノタウロスはそのままこちらに向かってくる。おそらく奴は、すばしっこいユキよりも俺の方がまだ与し易いと判断したのだろう。もうあまり動けないのもあり、その場でミノタウロスを待ち受ける。

 それにしてもクリティカルか。そうだな、そんなのがあったな。HP貫通して肉体損傷させてれば動きが鈍る。そしたらまた違う手も打てるはずだ。頭回ってねーな、くそ。でも、血を出し過ぎて逆にハイになってきちゃったぞ。


「こいやぁっ! オラっ!!」


 俺の叫びに釣られたのか、ミノタウロスが一気に間合いを詰めてくる。

 あいかわらず、その巨体、武器の重量に見合わないスピードだ。2tトラックが突っ込んでくるのと大差ない印象だ。

 もう、俺にそこまで動き回る体力はない。なのに、体力がなくなっていくにつれて、感覚は逆に研ぎ澄まされていくのを感じていた。

 振るだけで旋風を巻き起こす大斧の一撃を躱す。巨体から繰り出される蹴りを躱す。タックルを躱す。

 破壊され、大量に飛び散る石片を、すべては無理でも可能な限りダメージのないように躱す。

 合間を縫って、わずかしか通らないであろう攻撃を繰り返す。

 時々、燃え盛る松明に攻撃や石片があたり、思いがけないところから火の付いた松明の破片が飛んできたりする。超熱い。

 何回か、絶妙のタイミング、一瞬でもズレたら俺に当たるというタイミングで槍が飛んできた。

 第五層の道中でドロップしたものの、使い道のなかった槍をユキが投擲してきているのだ。だが、牽制にはなってもほとんどダメージにはならず、しばらくすると在庫切れか、それも飛んで来なくなった。

 最小限の動きで最大成果を出せるように、研ぎ澄まされた感覚の中でひたすら躱す。今の俺は回避するマシーンだ。なんだって躱せる。だが、まだだ。まだ、回避の際の距離感に無駄がある。回避後の体勢がわずかに崩れている。重心移動が上手く行っていれば、もう一回攻撃のチャンスがあった。


 第四層で習得した五つのスキルの内、《 パワースラッシュ 》《 看破 》はその効果をある程度把握できている。

 《 剣術 》はこうして撃ちあう中で更に進化を見せ、俺の中で最適化が進んでいる。

 そして残り二つ。《 姿勢制御 》と《 緊急回避 》は、おそらくまだその力を引き出せてはいない。

 こうして感覚が鋭敏化している中では、俺の動きに大量に無駄がある事がはっきりと分かる。

 頭を過るのは、ここに来て急に冴えを見せ始めたユキの動き。あいつは、おっさんとやりあったあたりから急激に成長しているのが分かる。

 ユキと俺の動きの違いは、おそらく立体的、三次元的な動きだ。それを一部でも取り入れる事が今の俺に可能かは分からないが、より三次元的に相手の攻撃を見る事で、今までは感じられなかった攻撃の隙間が見えてくるはずだ。


 相手の体捌きや攻撃を良く見て、感じて、体を動かせ。筋肉のそれぞれが連動して動いているのを意識的に感じて動かすんだ。より自然な形、体勢を維持して、反撃の機会を作り出せ。恐怖やプレッシャーに縛られた時には分からなかったが、こいつはスピードはともかく動きそのものは単調だ。だからもっと、先が見えるはずだ。


[ スキル《 回避 》を習得しました ]


 このタイミングで、想定していなかったスキルが生えてきた。

 いや、ありがたいけどさ。《 緊急回避 》と違うのかよ、それ。


「ははっ」


 この一瞬でも気を抜けば、あっという間にミンチになる状況で、あえてギリギリの空間を選択して活路を見出す。

 そんな馬鹿げた状況がちょっと面白くなってきた。脳内物質が大開放状態で噴水を上げている。

 俺の脚を払うようにして、斧が地を這う軌跡を描く。つい数分前の俺なら、余裕を以ってバックステップで躱していたそれを、空中へ跳躍する事で回避する。

 空中は地上よりも回避が困難なのは分かっている。斧は躱せても、続けて蹴りがくるかもしれない。頭突きがくるかもしれない。あるいはその巨体で倒れ込んでくるかもしれない。

 だったら逆に、攻撃してカウンター決めてやる。


[ スキル《 空中姿勢制御 》を習得しました ]

[ スキル《 空中回避 》を習得しました ]


 空中に飛んだ敵に対し、ミノタウロスが選択したのは、頭部に生えた角を使った攻撃。本来なら避けられるはずもないその攻撃を、俺は空中で体を回転させる事によりギリギリで回避し――

――その勢いのまま、回転で発生した力を横薙ぎに叩きつける。


[ スキル《 旋風斬 》を習得しました ]


――――Action Skill《 旋風斬 》――

「おおおおおらぁぁぁっっっ!!」


 最早、習得が先か発動が先か分からないタイミングで、俺の剣は光を放ち、ミノタウロスの左肩へ打ち込まれた。




-2-




 その瞬間、俺が放った新スキルの一撃で確かにミノタウロスの体勢を崩した。俺の攻撃がHPを貫いたのか、頭突きの横から変な力を加えられて姿勢を崩しただけなのかは分からない。

 俺は《 旋風斬 》の技後硬直のせいで、ロクに受け身もとれず地面に落下したため、追撃はできない。


 けど、この隙を待っていた奴からしたら、それは決定的な隙だ。

 ユキが両手に燃え盛る松明を持ち、姿勢を崩したミノタウロスの上に駆け上るのが見えた。

 ああ、あれなら確かに効果あるかもしれない。狙ったのは頭部……いや、首か。

 俺は落下するまでの間、動かない体でその光景をじっと見つめていた。


「ヴォォォォォォォォッッッ!!!!」


 首を炎に焼かれたミノタウロスが、ここで最初の咆哮以来の叫びを上げた。斬撃などの攻撃へ極端な耐性を持つミノタウロスの鉄壁の防御も、炎は通すらしい。

 でも、それは本命じゃない。あいつは、"クリティカルを狙う"と言ったんだ。

 ミノタウロスが、ユキごと松明を振り払おうと片腕と上半身を振る。

 首筋に押し当てられた松明はそのまま振り払われるが、そこにユキはいない。ミノタウロスの体を足場にして、奴の頭上高くへ跳躍していたユキの手には、すでにショートソードと本命のナイフが握られていた。

 そうだ、あいつはミノタウロスの膨大なHPを削るため、おっさんの時と同じ毒を選んだ。でも、わずかでも相手の肌へ斬りつける事が大前提のため、ミノタウロスの鉄壁のHPを抜けるにはどうしてもクリティカルが必要になる。

 だから、急所狙い、刺突攻撃を選択する。未確定ながらも、それが今俺たちが持っている情報の中で、クリティカルの発生確率を最大限に上げる手段だったから。チャンスは一回しかないだろう。もう一度この状況を作り出すのは、ほとんど奇跡に近い。


「ああああああっ!!」


 ユキのナイフがミノタウロスの首筋へと突き出される。

 ここからは本当に運勝負だ。いくらクリティカルでダメージが貫通したとしても、あの体相手には些細なダメージだ。

 一回で本命の毒が通れば勝ち。通らなければ負け。通っても状態異常になるだけ、まだ次に繋がるだけってのが辛いところだが、ここを通さない事には始まらない。

 勝率何%かも分からない、状態異常というただ一回のチャンスに賭ける。ユキも、そんな薄氷の上を歩くような挑戦だと認識して、この賭けに出たはずと……。

 ……俺はそう思っていた。


 立ち上がろうとした俺の目に飛び込んで来たのは、ミノタウロスの首へナイフを突き立てるユキの姿。そして、そのナイフから放たれる、鮮やかな赤い光。


「《 ラピッド・ラッシュ 》ッッ!!」

―――― Action Skill《 ラピッド・ラッシュ 》――


 赤い光を放ち、本来のユキの身体能力では発生し得ないであろう剣速で、左手のショートソードがミノタウロスの首へと突き立てられる。

 それに続いて、二度目の毒ナイフの刺突、更にもう一度ショートソード、毒ナイフと、都合四回の刺突がほんの一瞬の間に突き立てられた。


「ヴォォォォォォォォッッッ!!!」


 ミノタウロスは更に雄叫びをあげ、技後硬直で固まっているユキを振り払った。

 先ほどの俺と同じで、硬直状態にあったユキは受け身もとれずに石の床に叩きつけられる。


「ユキっ!!」


 声に反応したのか、ミノタウロスはこれまでにない形相で俺を睨みつけてきた。

 まさしく憤怒と呼ぶに相応しい激しい形相に怯みそうになるが、これを放置するわけにいかない。こちらに来てくれるならいいが、ユキのほうへ追撃されたら終わりだ。……俺から攻めるしかない。今の俺なら、ミノタウロスの斧も、体術も回避できるはずだ。

 ダメージを与える事を主眼に置かず、あくまで注意を引くことを目的に、浅い斬撃を繰り出す。

 注意を引くことに成功したのか、俺に向かって斧を振り下ろすミノタウロス。俺はその攻撃を難なく躱し、次の攻撃へ移る。

 この瞬間、来るとすれば、蹴りか頭突きのどちらかという選択しか頭になかった俺は、予想外の強襲を受けた。それは物理的な攻撃ではなく……。


「グヴオォォォォッッッ!!!」

――――Action Skill《 強者の威圧 》――


 至近距離から放たれる咆哮スキル。

 喰らうんじゃない! ファーストアタックと時と同じ様に気を強く持て……

 ……いや違う、これは最初の《 獣の咆哮 》じゃない!!

 ここに来て初見のスキルがもたらすのは、"恐怖"の状態異常ではなく、直接的な体の硬直。技後硬直にも似たそれを強制的に発生させられた俺は、続いて放たれる蹴りの直撃を受けてしまう。

 ただの、メイン武装ですらない蹴り一発。その直撃を受けただけで、俺の体が爆砕したかのような衝撃を受け、宙を舞った。

 マズい。こんな直撃を喰らったら確実に体のどこかが異常をきたす。内臓が損傷するか、骨が折れるか、どちらにしても致命的だ。あまりの衝撃に、意識が遠のいていくのを感じる。

 ……駄目だ。体がバラバラになろうが意識だけは手放すな。

 放物線を描き、物のように蹴り飛ばされた俺は、その勢いのまま地面へと叩きつけられた。




-3-




 宙を舞う俺の視界に映るのは、まるで走馬灯のようにスローな光景だった。

 どこかで聞いた話だと、走馬灯は命の危機に対しての回避方法を模索するために、脳が高速処理している現象だという。

 なるほど、そうなのかもしれないが、こんな状況で一体何をどうすれば死を回避できるというのか。

 今の俺にできる事、これからやらなくちゃいけない事を脳の処理限界まで考える。まだ死なないという事を前提に数瞬後の行動を検討するなら、その行動内容は限られる。

 地面に叩きつけられた瞬間、俺の口から大量の血が吐出された。

 ああ……まずい、まずいな。これ、本当に死ぬ一歩手前じゃねーか。

 早く立ち上がらないと。じゃないと、この殺し合いは俺たちの死を以て終了だ。

 立ち上がっても、この体じゃろくに動けもしないだろ。……じゃあ、どうする。


「《 まて…りあ…らいず 》」


 あまりの痛みでイメージが阻害されるために発声は必要だったが、まだかろうじて声は出る。

 あの走馬灯の中、ほとんど無意識で手に掴んでいた低品質ポーションのカードが発光、物質化した。

 駄目…だ、手が…。

 だが、飲むために手を動かせない。手から溢れ落ちた容器がコロコロと転がる。回復できないならここで終わりだ。

 手が動かせないなら口だ。幸い、ポーションの瓶は小さい。手は動かないが、体は……まだ動く。


 俺は活動限界スレスレの体を無理矢理動かし、地面に落ちていたポーションの瓶をそのまま歯で咥えて、噛み砕いた。

 ガラスと一緒に、ポーションの中身が流れこんでくる。口の中は痛いが、回復は始まったのが分かる。ガラスも多少飲み込んだが大した問題じゃない。


「み…の」


 ミノタウロスはどこだ。俺はどれくらい吹き飛ばされたんだ。ユキはどうしてる。復帰したのか? まさか、先にユキにトドメを刺しに行った……

 ……いや違う。今、視界を覆った大きな影はミノタウロスのものだ。うつ伏せになっているから分からないが、影の動きと気配から斧を振り上げているのが分かる。だめだ、こんな程度で諦めるな。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あっっ!!」


 斧が振り下ろされる瞬間、俺は全身に残されたすべての力を振り絞って地面を転がった。壊された床が吹き飛ぶのに合わせて、俺の体も再び宙を舞う。

 ざまあみろ。これで数秒は稼げるぞ。数秒あれば、ポーションの効果が多少効いてくるはず。そうしたらまだ戦える。


 ああいや、稼げたのは数秒じゃねーな。

 宙に舞っている俺の視界に一瞬だけ、斧を振り下ろし終わったミノタウロスが映る。俺の願望かもしれないが、ほとんど死体の俺が動いて的を外した事に驚愕しているように見えた。そして、その後ろに迫ろうとする相棒の姿に、俺は頼もしさを感じずにはいられない。


――今日、この日だけで、何度あいつをすごいって思っただろう。

 あいつは、俺が持っていないものをたくさん持っている。足りないところがあるのも分かるけど、それ以上に、俺はあいつが持っているものを眩しく感じている。

 そう見えるのはきっと、俺たちが色んな部分が正反対で、お互いがお互いの持っていないものを持っているからなのだろう。

 俺の体が再び地面へ落ちる。もうロクに痛みも感じないが、この数秒でポーションが効いてきたのか、手は動く。

 震える手で、もう一枚のカードを取り出した。


「《 ま゛…てりあらいず 》」


 少しずつ感覚の戻ってくる手で物質化するポーションを支えて、蓋を開け、ポーションを飲み干す。これが俺の持ち分の最後だ。

 物質化して飲み干すまでの間で更に数秒経過したが、大丈夫。……そう確信していた。

 まだ回復は始まったばかりだが、這いつくばるようにして無理矢理立ち上がる。

 ……どうだ、ほぼ完死体から半死体まで回復したぞ、牛野郎。

 ミノタウロスの姿を捕捉した。ユキはまだミノタウロス相手に立ち回っている。立ち回れている。

 動きを見るに、あいつも一つはポーションを使ったはずだ。二つ使ってたらもう俺たちに在庫はない。そもそも、一撃喰らったらほとんどアウトの状況で、回復するタイミングなんかそうそうないのだが。

 ユキはちゃんと回復したようだが、俺のほうは駄目だな。このまま待ってても回復量が足りないのが感覚的に分かる。

 死ぬ寸前を数十秒でここまで回復したのだからポーションすげぇってのは間違いないが、おそらくここが限界だ。次のダンジョンアタックでは、もっといいポーションをたくさん常備しよう。うん。


「《 看破 》」


 まだ痛みでイメージが固定されないため、発声起動でミノタウロスのHPを確認する。

 ……ああ、なるほど。さっきからミノタウロス側の動きがやけにぎこちないと思ったらそういうことか。

 あいつ、毒でもう瀕死じゃねーか。

 これまでどんな攻撃でもほとんど減少しなかった奴のHPゲージが、ゆっくりだが、見ていて分かるくらいのスピードで減少していく。

 俺の《 旋風斬 》や、ユキの松明での攻撃でどれくらいHPを削れたかは分からないが、それでも半分は切れていないだろう。なら、この減り具合は毒以外にありえない。こうしている間にも、もう残り四分の一を切った。

 すげーな、毒。第四層も第五層も、ほとんど毒頼りじゃねーか。

 俺の脳内の毒学会で毒万能説が巻き起こっていた。脳内学者たちはスタンディングオベーションである。

 毒で体が上手く動かない。でもユキの攻撃力だとクリティカルでも出さない限りダメージが通らない。だからこその、この膠着状態なわけだ。


「……だったら、なあ!」


 俺に足りないところがあって、それをあいつは補ってくれた。そして、あいつができない事があるなら、それは俺がやるべきだ。俺が、俺たちの最大火力を叩きつけてやるべきだろう。


「《 マテリアライズ 》!!」


 どこかへいってしまった剣の代わりに予備を物質化させる。

 ボロぞうきん状態の俺が、対照的に新品の剣を手にして、ミノタウロスの元へ向かう。まともに走る事もできないオンボロだが、このままユキだけに任せるのは間違っている。ロクに体が動かないが、ユキだけにまかせて休んでいていい道理はない。少なくともこの極限状態でだけは、俺たちはお互いにできる事に死力を尽くすべきだ。

 ここまでやって、まだ本番前のトライアルってのが色々納得いかないが、……さあ、幕を降ろしに行こうか。


「……ツナ」


 ユキが信じられないものを見たような目で、近づいてくる俺を凝視する。

 そんなユキに釣られたのか、それとも怖いもの見たさとか、好奇心とかかもしれないが、ミノタウロスも俺を見た。

 その表情は相変わらず憤怒に染まり、どんな気持ちで俺を見ているかは分からない。しぶとい俺を、ゾンビかなにかと勘違いしているかもしれない。実際、こんなボロボロの半死人が迫って来たら俺も怖い。

 HPも残り少なく、毒で体はまともに動かない。片方は半死人とはいえ、ユキと俺に挟まれた状況。さすがに同時に相手をするのは厳しいだろう。だとしたら、次にとる行動はなんだ。


「グぅ……」


 そりゃあ、足止めできてどちらも対象にできる咆哮だよな!!


「グヴオォォォォッッッ!!!!」

「ああああああああああっっっ!!!!」


 それに合わせるようにして、俺は声を上げる。


――――Action Skill《 強者の威圧 》――

――――Action Skill《 強者の威圧 》――


 だめだな、それじゃ。何度も何度も威圧できると思うなよ。


[ スキル《 強者の威圧 》を習得しました]


 とうとう習得と発動が逆転したが、それは別にいい。新しく覚えたのか、習得はしていたがスキルとして認識されていなかったのか、このタイミングで習得のシステムメッセージが出る理由は分からない。

 ……だが、俺はこのスキルの使い方は良く知っている。既視感すら覚えるほど似通った状況を、俺は体験しているのだ。


 憤怒と、驚愕と、怯えの感情を発しながら、ミノタウロスは斧を振り上げた。

 ああ、そんなんじゃ絶対に当たらないぞ。

 振り下ろされた斧は、最初の頃のパワーとスピードはなんだったのかというほどスローで、半死人の俺でも十分に躱す事ができた。

 俺はそのままミノタウロスの懐に踏み込み、スキルを起動させる。


「じゃあな」

――――Action Skill《 パワースラッシュ 》――


 HPをほとんど失っていたミノタウロスは、これまでの強靭さが嘘のように簡単に切り裂かれた。だけど、その巨体だ。

 HPがない生身だけの状態でも、俺の一撃程度じゃ沈まない。追撃の気配はない。だが俺も、このままだと技後硬直で動けなくなる。


『二つ以上の技があったら、硬直キャンセルしてコンボ出せないかな』


 俺はこの土壇場で、一度も練習した事がないにも関わらず、それを放てる事を確信していた。


――――Skill Chain《 旋風斬 》――

「だぁらぁあああっ!!」


 振り下ろし直後から体を捻って発動させた竜巻のような横薙ぎ。

 技後硬直時間を無理矢理キャンセルして放たれたそれは、無防備だったミノタウロスの体にめり込むように炸裂した。

 ミノタウロスの巨体が沈む。大丈夫、さすがに反撃はない。だって、あいつの体はすでに魔化が始まっている。

 それを見て気が緩んでしまったのか、俺は、起き上がってくるように接近する地面に吸い込まれるように意識を暗転させた。


 意識が闇に包まれる瞬間、ユキの悲鳴のような声が上がるのが聞こえた。


[ トライアルダンジョン ダンジョンボスを攻略しました ]

[ 初挑戦クリアボーナスとして武器『ミノタウロス・アックス』が授与されます ]

[ トライアルダンジョン完全攻略により、Lv5以下の挑戦者の……




-4-




 それは、今でもはっきりと覚えている。はぐれゴブリンを落石の罠で殺害して、奪い取った鉄の剣を無邪気に振り回していた頃だから、今から三年ほど前の冬の事になるだろう。

 俺が生まれた時点ですでに限界村落だった村は、戦争で更に限界を超えた限界に達し、究極的な貧困に襲われた。あ、いや、襲われ続けていた。

 明日食うものがないというのは、"そんなもの、俺たちが数年前に通り過ぎた場所だぜ"と言わんばかりの食料事情だった。

 九割が税金に消え、一割しか収穫を得られない場合、畑を耕すのは領主へ貢ぐための労働と言っても過言ではなく、食べるものはほとんど山で密猟して得たものだった。一部隠し畑もあったが、それすら不作だ。

 山に食えるものはあると言っても、そこを彷徨くモンスターが怖いのか、村の人間はいくら飢えても山へ入らない。

 そのため、村の食料を確保していたのはほとんど俺だった。

 ちなみに、俺が採ってきたものなのに、俺に優先的に回される事はない。三男というのはそれほどひどい立ち位置だった。まぁ、隠れて食ってはいたのだが。

 前世である程度知識を得ていた俺は、普通、いくら貧乏村の三男でもそこまでひどくないのは知っている。というか、あれが世の平均なら、人類は滅んだほうがいい。

 幼い頃に起きた戦争以降、ずっとそんなひどい状態が続いた。そして、山の幸もほとんど見当たらなくなり、動物さえも姿を消すような死の山になりかけてた頃、"そいつら"はやってきた。


 ここで、望まぬ来訪者のフラグを立てると、創作物なら徴税官とか領主の息子が来て、幼馴染の女の子を攫って行くようなイベント発生したりするわけだが、そんなイベントはなかった。というか、幼馴染の女の子とか、そんなの夢物語でした。村の女の子は粗方売られていったあとで、そもそも目ぼしい女の子がいないのです。いてもガリガリで見た目悪いしね。


 と、それはどうでも良くて、現れたのはモンスターである。陵辱エロゲのヒーロー、オーク様の群れだ。それまでは山狩りをしていても、ゴブリンか、鹿に返り討ちにされるコボルトくらいしか見たことがなかったが、大量のオークが山を越えてやってきたのだ。

 多分、あいつらも食料がないとか、そういう止むに止まれぬ事情があったのだろうが、最後まで目的は分からないままだった。豚の事情なんて興味はないし、知らなくてもいい。その時重要だったのは、オークの大群がやってきたという事実だけだ。


 ちなみにどうでもいい予備知識だが、この世界のオークは、メスがいなかったり、人間の女を孕ませたりする陵辱エロゲーの王者のような立場ではないようだ。

 メスもいるし、好んで人間の女を孕ませたりもしない、ただのモンスターだ。人間を見れば殺しにかかってくる敵対種族。ここで必要な情報は、それ以上でもそれ以下でもない。


 その日、村の近辺で食えるものが見つからなかった俺は、大人でも数日かかる距離を遠出して山の奥まで来ていたのだが、その先でオークの群れを発見してしまった。

 しかも、どうやら村の方角に向かっているらしい事も分かった。このままだと、略奪どころか通行するだけで轢殺コースまっしぐらである。

 その時点で、すでにどこでも生きていけるサバイバル能力を身につけていた俺には、村を見捨てるという選択肢もあった。

 だが、やはりどんなひどい仕打ちを受けていても故郷を守るべきという英雄的決断の元、ゴブリンからもらった鉄の剣と、愛用の棍棒と、その他諸々のトラップ群を手にオークを迎え撃つ事にしたのだ。

 もちろん、準備の最中に村でその事を告げても連中は信じなかったし、信じても諦めるやつしかいなかったので、迎え撃つのは俺一人である。孤独な一人きりの戦争だ。


 結局どれくらいオークがいたのかは把握し切れていないが、直接殺したのだけでも三桁近いのは間違いない。

 俺が直接殺していない、罠で死んだ数のほうが多いのは間違いないが、そちらは多過ぎてはっきりしない。

 奴らが一時的な拠点に使用していた洞窟で人為的に崩落事故を起こしたり、山の上から岩石落としをしたり、吊り橋を落としたりと、多彩なトラップで敵を仕留める。撃ち漏らしたのは一匹ずつこの手で殺した。

 そんなアクション映画も真っ青な戦いを一週間ほど続けただろうか。極限状態でそんなに戦っていられる俺はすでに狂っていたかもしれない。

 さすがに頭の悪いオークさんたちでも俺の存在に気づいたらしく、進軍は一時中断。俺を狙って山狩りを始めた。

 ホームかつ、長年の散策で土地勘も完璧だった俺は、それでも引き続きオークさんたちをぶっ殺して回ったわけだが、最終的には物量でオークたちに包囲されてしまった。

 元々死んで当然のような作戦だったので、俺は一匹でも多く道連れにしてやろうと暴れまわった。

 なんでこんな頑張ってるんだろうと考えるような段階はとっくに通りすぎていたので、ひたすら無心の大乱闘である。血みどろの大乱闘スマッシュブ…スマッシュ俺だ。

 そりゃあもう、バーサーカーか何かと言わんばかりに、転がってた倒木とかをそのまま振り回す勢いで暴れまくった。

 けど、オークの中にいたリーダーらしき奴、名前とかは分からないので俺は"派手なオーク"と呼んでいるのだが、こいつがべらぼうに強い。

 手下が大量にいる派手なオークVSたった一人の俺という構図の完成だ。


 本来であれば、どうあがいても俺の死亡は確定だったのだが、何故かここから次の日の朝まで記憶が飛ぶ。エロい濡れ場でもないのに、王紅さんもびっくりの吹き飛びっぷりだ。

 気がついた時には無数のオークの死体に囲まれて立っていた。

 その中には、強敵だった派手なオークの死体も確認できたので、なんとオーク軍を実質一人で壊滅させてしまった事になる。

 意識がない内に、どこかの正義の味方が助けてくれた可能性はまだ残っていたが、とにかく村の危機は救われたのである。めでたしめでたし。


 ちなみに、この時に何が起きたのかは結局良く分からなかった。

 本当に正義の味方が現れたのか、トチ狂ってオークたちが仲間割れを始めたか、ありえなそうな理由は色々思いつくがどれもピンと来ないので、俺は、俺の隠された力が目覚めた説を推している。

 そして俺は、隠された力が解放された俺と謎の正義の味方とで共闘するアクションシーンを妄想しながら、凱旋気分で村に戻ったわけだが、そんな俺の血みどろ一週間戦争を信じてくれる人はおらず、結果ホラ吹き呼ばわりだ。逆に一週間もの間、食料を調達できなかった事を責められるというひどい結末である。

 当然、村での立場は良くなるどころか悪くなる一方で、そんな中長男に息子が生まれた事もあって、俺と次男は捨てられた。……というのが故郷の村で発生した大まかなイベントだ。

 奴隷商から買取拒否され、伝手に兄弟揃って土下座して回って、奴隷同然の待遇で酒場の丁稚になってから迷宮都市に来るまでの間は、ただひたすらキツイ労働があっただけで特筆するような事項はない。

 あえて言うなら、奴隷商の下で働いていたクリフさんとの出会いが一番センセーショナルだ。彼は存在だけで発禁ものである。


 なんでこんな話をしたかというと、俺はミノタウロス相手に《 強者の威圧 》を使ったが、かつて派手なオークと戦った際、記憶にないはずの部分でも同じ経験をした様な気がするのだ。

 未だ記憶ははっきりしないが、同じものか、近いスキルを発動させていたのかもしれないと、そう思ったんだ。


 ……正義の味方はおらんかったんや。




-5-




「とまあ、そんな事があったわけだ」


 俺はユキに膝枕をされながら、そんな過去話をしていた。

 俺を見下ろすユキは唖然とした表情を隠そうともしない。これまで話した人たちと大体同じ表情だ。


「あー、うん、突っ込みどころ満載っていうか、突っ込みどころしかないっていうか、色々言いたい事はあるけど、これまでのツナを見ていると全部本当なんじゃないかって思ってしまう自分が嫌だ」

「そうだろうな。自分で言ってて頭おかしい半生だなって思うよ」

「それ、何の予備知識もなしに聞かされたら、狂人の半生だよ」

「はっはっは、色んな極限状態を体験した事でおかしくなってるのは間違いないさ。……でも、だから勝てたんだぜ」


 色々要因はあるだろうが、ミノタウロス初見撃破を達成できた要因の一つが、俺の特殊な精神性である事は確かだ。

 あの派手なオークとの戦闘経験もそうだ。あれがなければ、初手で詰んでいたはずだ。今思うと、あの派手なのはただのオークじゃなく、オークリーダーとかそういう類の上位種だったんじゃなかろうか。すごいね、俺。


「そうだね、……うん、そうなんだよ。僕たち、勝ったんだよね」

「お互いボロボロだけどな。お前の手も火傷でボロボロじゃねーか。もう終わったんだから、最後のポーションは自分で使えば良かっただろ」


 ユキの手は、革製のグローブが熱で癒着しているような状態だ。なのに、こいつは残っていた最後のポーションを俺に使ったらしい。


「だってツナ、動ける状態じゃなかったし」

「地上に戻ったら元に戻るんだろ。這ってゴールまで行けば問題ない」

「それを言ったら僕の手もそうだよ。……というか、治る見込みなかったらあんな無茶しないよ。……しないと思う」


 そりゃそうか。実際は治る見込みがなくても、それが必要な場面であれば、こいつはやりそうな気もするけど。


「それに、せっかく二人で頑張ってクリアしたんだから、一緒にゴール潜りたいじゃない?」

「だから膝枕して起きるの待ってたのか?」


 起きてユキの顔が目の前にあってびっくり。膝枕されているのに気づいて二度びっくりだった。

 ほんとは女の子の膝枕が良かったが、こいつが男であるという事実だけを意識からシャットアウトする高等テクニックで誤魔化している。実際、その事実がなければとんでもない美少女? なのだから。


「こんな崩壊寸前で瓦礫だらけの床に、そのまま寝かしておくのもひどいと思ってさ」

「……あらためて、石でできた床をこんなんにする相手に良く勝てたもんだ」


 無茶苦茶だ。あいつ一体で城落とせたりしないだろうか。一撃一撃が攻城兵器と大差ない攻撃だ。文字通りのワンマンアーミーになれる。


「そういえば、これって動画撮られてるんだよね。あとで見せてもらおうか。僕らの極限の死闘が、第三者の視点から見れるよ」


 それは確かに興味ある。自分の視点で見ると分からないけど、どこかのジャングルの王者みたいに気持ち悪い動きしてなかっただろうか。

 ……特にミノさんとの戦いとか、ほとんど回避するマシーンと化してからな。


「男同士で膝枕してる絵面も残ってるって事か」

「あー、そうなるね。まあ、見た目だけは美少女と野獣だよ」


 自分で美少女言いやがったぞ、こいつ。


「……あのさ、ツナはさ、ここに来る途中の馬車の中で、迷宮都市に行くのは生活のためだって言ってたよね。さっきの話聞いてるとさ、それがかなり切実な問題で、ツナにとっては譲る事のできない願いだったってのが良く分かったよ」

「これまで人間らしい生活してないからな……。あの時も言ったけど、尊厳を保てるくらいの生活はしたい」


 栄養足りてないのに、なんでこんなデカイ図体になったのか良く分からないくらいなのだ。

 迷宮都市の素晴らしい栄養環境で育ってたら、この年にして二メートル越えてたかもしれない。実はもう前世の身長を越えてたりもする。


「うん。あの時は分からなかったけど、今ならその渇望も理解できる。……あのさ、あの時ツナの話を聞くだけで、僕は自分の目的言ってなかったよね」

「そういやそうだな。言い辛い望みでもあるのか? 俺の願いはすでに叶いそうだから、お前の目的の手伝いくらいしてやるぞ」


 冒険者じゃなくバイトしてても、ここなら人間としての尊厳は保てそうだ。だったら、代わりにユキの目標を実現するために頑張ってみるのもいいだろう。


「それは嬉しいね。……ほんと駄目元だったんだ。僕の願いは絶対に叶わないと思ってた。気持ち悪いと思うけど、……僕さ、女の子に戻りたいんだよ。本当の本気で」

「それは……、いや、ここなら叶うのかもしれないけどさ」


 男扱いされる事を拒絶しているから、何かしら拘りはあると思っていたが、男辞めたいところまで思い詰めてるのか。

 ……ちょん切るとか、それだけじゃ駄目なんだろうな、多分。


「生まれてからずっと男の体でいるのが嫌で、その思いは年を重ねて成長していくほどに強くなっていってさ。……ずっとどうしようもないんだって思ってた。でもそんな時に、どんな願いだって叶う迷宮都市の話を聞いた。……ほんとはさ、僕、婚約者がいたんだよ。あ、女の子のね。王国の男爵家の子でさ、家格が欲しい実家からしたらとんでもない良縁だったんだ。小説とかだとさ、親に決められた貴族の婚約者とか、とんでもない性悪か、家が何かすごい問題抱えてるっていうのがテンプレじゃない? ……その子さ、何度か会ったんだけど、すごくいい子なんだよ。家の方も何も問題なくて、向こうの家も、うちみたいな大商会だったら平民の家でも問題ないとか言ってるの。貴族だったら良くありそうな、平民を見下したりとか、そういうのがまったくないの。どれもこれも、何一つ問題ない縁組だったんだよ。……問題があるのは僕だけだった。どうやって断ろうかとか、何か破談にできる材料はないのか考えて、気がついたら、駄目元で準備してた荷物抱えて、家から逃げ出してた」

「……そんなに問題があるものなのか? その……周りとか、人の家まで巻き込んでまで」


 状況だけ聞くと、少なくともこの世界基準では、ユキの心情以外はこれ以上ないくらいに幸せな環境だ。

 おそらく、その幸せを手に入れるためなら、どんな事でもするという人間はたくさんいるはずだ。

 胡散臭い噂話に賭けて、それを手放すのはタダ事じゃない。


 こいつは、最初から色々持ってて、それを全部捨ててきたんだ。そのただ一つの目的のためだけに。

 何一つ持たずにここに来た俺とはまったくの正反対だ。


「多分、ツナには分からない。……ううん、誰にだって分かるはずがない。別に、男の子が好きだとか、男の体が気持ち悪いとか、そういうんじゃないんだ。僕という存在の根幹、魂に刻まれた在り方みたいなものが、女性に戻れって悲鳴を上げているんだ。……変だよね。気持ち悪いよね。……自覚はあるから、どう思っても構わないよ。昔の、……中澤雪だった頃の私は、女である事が嫌で嫌でしょうがなかったのに、いざ男の子になってみたら、こんなにも女である事を渇望している。いくら受け入れようとしても無理なんだ。魂が軋んで、壊れていくんだよ……」


 それは、悲痛な慟哭だった。正直、俺には理解できない。けど、どこまでもそれを求めている事は感じられた。


「……俺はさ、今日一日、お前の事すげーって何回思ったか分からないくらい、心の中ですげーすげー連呼してたよ。だから、別にお前が男だろうが、女だろうが関係ないし、気にしない。正直、どっちでもいいし、どんな願いがあろうがお前を見る目は変わらない。ぶっちゃけ今日一日の体験はさ、これまでにないくらい濃密で、ひどい極限状態だったと思う。オーク相手に大乱闘した俺でさえ思う。でも、そんな中でだからこそ、俺はお前を仲間だと思ったし、俺のできない事ができる相棒だと確信できた。今日一日だけでそう言い切れるくらい、お前の事認めてるんだ。迷宮都市は若返りとかあるような街だから、お前の願いもきっと叶うんだろうさ。案外、びっくりするくらい簡単かもな。……でも、もしそれが困難で、実現にハードルが山ほどあるんだとしても、俺は関係なく力を貸すよ。まかせろ」


 今日一日で感じたこの信頼感は、ユキが男だろうが女だろうが関係なく感じたもののはずだ。そう信じてる。


「ははっ、変だね。……僕はツナの事をすごいって何回も思ってたよ。 でも、うん、……ありがとう。ちゃんと言っておきたかったんだ」

「お前とは長い付き合いになりそうだしな。今後ともよろしく頼むぜ」


 これほど息が合う相棒は中々見つからないだろ。


「うん、これからもよろしく。じゃあ、そろそろ行こうか。……立てる?」

「ああ、問題ない。……そういや、クリアのシステムメッセージとか出たか? ちゃんと終わったよな」


 立ち上がって屈伸しながら、トライアルがちゃんと終了しているか確認する。ポーションと休憩のおかげで体は問題なく動くようだ。

 意識飛ぶ時にシステムメッセージ流れたような気もするが、ちゃんと確認できていない。


「ああうん、出たよ。レベルアップボーナスはLv5以下が対象だったから意味なかったけど。ちゃんとクリアしたって出てた。奥にワープゲートがあるから、それ潜ったらトライアル終了だってさ」


 レベルアップボーナスがそれって事は、Lv5でクリアする事が想定されてるって事なのか? ……ちゃんとバランス考えてるか疑わしくなる作りだな。


「それならいいんだ。実はまだクリアしてませーん、第六層頑張って下さーいとか言われたら嫌だしな」

「コレのあとにまだあったら、それはトライアルとして成立するのかな」


 いや、現時点だってすでに怪しいと思うぞ。時間かけても全員これを突破してるんだから、デビューしてる冒険者は化け物だらけだ。

 これを五歳で攻略したやつがいるとかハンパじゃねぇ。


「ああ、忘れてたけど、初挑戦でクリアした賞品で、ミノさんが使ってた斧がもらえたよ」

「斧って……あの何メートルもあるやつか?」


 誰が使うんだよ、そんなん。いや、人種の坩堝の迷宮都市なら巨人族とかいるのかな。ダンジョンの入り口で見た酒飲みのおっさんみたいな。……まさか、冒険者のミノタウロスとかもいたりするんだろうか。


「カードだから大きさは分からないけど、絵は見たそのままだった。まあ、僕にはどうあがいても使えないから、ツナが持っておくといいよ」


 そう言ってユキはカードを渡してきた。

 別にもらって困るものじゃないから受取りはするが、あんなん人間に振り回せるサイズじゃないぞ。モンスターを狩人するゲームでも、もう少し小さかっただろうに。


「使えるか挑戦して、やっぱり無理だって事になったら売ればいいんじゃない? ひょっとしたら、同じものが無限回廊では普通にドロップしたりするかもだけど、一応初めて出た記録の賞品だからレアものかもしれないし?」

「じゃあ、先に売値確認して、安物だったら一回くらい挑戦してみるか。……いや、どう考えても無理だと思うけどな」

「確かに、カードのままのほうが高いかもしれないしね」


 実物は嵩張るから、カードのままで記念にとっておいてもいいけどな。俺たちの勲章みたいなもんだ。


 そんなやり取りをしながら、俺たちは瓦礫の山を抜け、すでに開け放たれていた門を潜る。門を潜る際に、そのあまりの巨大さを改めて感じ、この扉とほとんど変わらない大きさの怪物を仕留めたんだなと感慨に耽ったりもした。

 薄暗くて長い、ひたすら長い一本道を歩いていくと、奥に光が見える。今日だけで何回も見た転送ゲートの光だ。あったら嫌だなと、ちょっと不安に感じてた下へ続く階段もない。転送ゲートだけだ。

 転送ゲートは形こそ同じだが、ゴールであるからかこれまでに見た各層のものよりも大きく見えた。


「さて、つらーく、ながーいトライアルもこれで終わりです。俺たちはやり遂げました。前人未到の初日クリアです。最短攻略のレコードホルダーです。死んでもいいはずなのに一回も死んでません」

「おー、パチパチ」


 観客はいないので、セルフ拍手である。しかし、改めて口にするとすげーな。良く突破できたと思うわ、ほんと。


「というわけで、地上に戻ったら飯行こうぜ、飯。これだけ頑張ったんだから今日くらい派手に行っても許されるだろ」


 もう夜中だろうけど、コンビニ開いてるだろ。この色々おかしい街なら、二十四時間営業のファミレスがあるかもしれないし。


「いいね、ちょっと豪華に行こうか。……ツナは見てるだけだけどね」

「……え?」

「だって、賭けは僕の勝ちでしょ。ミノさんだったじゃない」

「いや、そうだけどさ、……え? こんだけ頑張ったんだよ、大目にみようぜ」

「賭けは賭けだから。僕の勝ちだから。しかもドンピシャだったから」


 確かに単勝一点買いのそのものズバリだったけど。


「え、嘘、まじで……。俺、もうすでに腹減って死にそうなんだけど」

「じゃあ、戻ろうか」

「ちょ、ちょっと待って。待って下さい」


 いや、マジで勘弁してもらいたい。ここはパーっと打ち上げする場面でしょ。


「あ、そういえばさ」


 門を潜ろうと一歩を踏み出したユキが立ち止まり、振り返った。

 なんだ、ここはやはり頑張った俺に奢ってくれるとかだろうか。そんなに高くなくてもいいんだぞ。


「すごくどうでもいい事なんだけどさ、ここミノスでもなんでもないのに、やっぱりミノタウロスだったよね。ゲームとかでもそういう種族名みたいになっちゃってるけど、すでにミノスの牛だとか元々の由来は関係なくなってるね」


 マジでどうでもいい話だった。


「あいつ、腰ミノつけてたからいいんじゃねえ?」


 俺がそう返すと、ユキは笑いながら、肝心の話は煙に巻いたままゲートを潜りやがった。こういう時は一緒に潜るもんじゃないだろうか。

 あれ、一緒にゴールするために待っててくれたんじゃないの?

































-6-




 ゲートを潜ると、陸上競技場の様なだだっ広い空間が広がっていた。先行したユキは、待っていてくれたのか広場の真ん中に立っている。


「なー、やっぱりさ、賭けの内容見直さない? 今日めでたい日よ、なんなら土下座とかするよ」


 俺の土下座は安いぞ。


「ツナ……」

「な、なんだよ、賭け自体はお前の勝ちでいいって」

「いや、そうじゃなくて。……なんか変だ」

「変って、何が。……変だな」


 周りを見ると色々おかしかった。なんで出口がローマのコロッセオみたいになってんだ?

 学生たちみたいに大人数でも、こんな広いスペース必要ないだろ。あとは帰るだけなんだから。

 しかも、見えている空は青空でも夕暮れでも夜でもない。気持ち悪い赤黒い空が広がっている。


「おい、まさかトライアル終わってないんじゃねーだろうな」


 ここは外じゃない。まだダンジョンの中だ。


「もう勘弁してよ…………しっ、誰か来る」


 ユキが向いていた方向を見ると、ミノタウロスが出てきたような扉が口を開けていた。

 ……確かに、奥から誰かが歩いて来ている。一歩一歩歩いてくるその姿は、いざ近づいてくると、とても見慣れた姿だった。


「やーやー。まじで、初回クリアするとは思わなかったニャ」


 拍手をしながら近付いてきたのは、俺たちの同行者である猫耳のチッタさんだった。数時間ぶりの再会である。

 ああ、同行者と合流して戻るのか。ここは中継地点って事ね。びっくりさせんなよな、まったく。こっちはボス戦のたびに想定してたものと激烈に難易度が違ってたから、正直ビビってるのに。


「いや、ほんとすげー。ありえニャい。あちしもさっきシステムメッセージ見て度肝抜かれたニャ」

「何回かマジで死にかけてたけどな」


 実際、最後のほうはゾンビみたいなもんで、なんで動けてたのか良く分からないくらいだ。傷はポーションで治ったみたいだが、俺の服とか最早原型を留めていない。

 あれ、今気づいたけど、普通前衛って防具とか着けて戦うもんじゃね? なんで服だけで戦ってんだよ、俺。


「それでもニャ。実際に戦ってみて分かったと思うけど、あれ、普通二人とかで倒す相手じゃないニャ。しかも、終わったあとだから言えるけど、初挑戦のルーキーが一人でもいると強化バージョンのミノタウロスになるのニャ」

「え゛っ」


 すると何か。本当はもうちょっと弱いのに勝てばクリアできるのか? いや、あの戦いが無駄だったとは言わないけどさ。絶対。


「二回目以降なら、ちゃんとルーキー向けに調整されたミノタウロスが出てきて、それと戦うニャ。それでも、目安としては大体六人くらいで、それも何回か挑んで入念な下準備をしたパーティを想定してるわけニャから。今回のは多分、業界に激震が走るニャ。つーか、あちしの中ではすでに大震災クラスの衝撃ニャ」


 なんだそれ。俺たちはわざわざ自分でハードルを上げてたって事かよ。


「えぇーー。戦いながら僕、こんな化け物に勝ってようやくデビューできるって、冒険者の基準すごいなーって思ってたんですけど」

「第四層で言ったように、中級まで来たら多分初回の強化ミノタウロスもソロで余裕だし、下級でもある程度経験積めば無理じゃニャいから、そこまで認識に違いはないニャ」


 改めてすげえな。中級じゃなくて、ちょっと上の連中でもソロクリアできんのか。

 じゃあ、俺たちの評価はせいぜい"すごいルーキー"ってくらいなのかね。十年に一度の逸材とか言われて、プロ野球業界に埋もれていく感じの。


「んで、なんなんです? この演出。チッタさん帰るとか言ってませんでしたっけ? ひょっとして見てました?」

「演出?」


 ユキが気付いてないのか気付いてない振りをしているのかは分からないが、さっきからお互いにいまいち歯切れが悪いのは感じてるはずだ。


「いいや。あちしは第四層の転送ゲートからここに直行ニャ。これは……そうだニャー……なんていうかニャ。……実はあちしもさっき知ったばっかりニャんだけど、隠しイベントらしいニャ」

「隠しイベント?」


 ひょっとして初挑戦クリアがトリガなのか。設定だけされてて、誰もトリガーを引いた事のないイベントが発生したって事か。


「多分、発生したのは初ニャ。無死亡、初挑戦クリアと、条件が揃っちまったからニャ」

「なんだ? なんかボーナスでも出るのか」


 ああいやだ。かつての(ライト)ゲーマーの勘は正解を告げている。答えを聞きたくない。


「あちしも、ちょー気がのらねーニャ。……唐突で悪いんニャけど、二人は冒険者に一番必要な才能って分かるかニャ」

「なんですいきなり。……強さとかですかね。でも、罠とかに対する対処能力とか、緊急事態の即応性も大事ですよね。あとは自分に自信を持ってるとか、大きな目標があるとか」


 ユキの回答は至極真っ当だ。でもそれはきっと、求められてる回答とは違うんだ。


「ま、それも大事ニャ。……ツナは?」

「強靭なメンタル」

「あー、ツナはそれ満たしてそうだね」

「ん、まあ、正解は色々あるはずニャんだけど、冒険者の中で一般的に言われてるのはツナが正解ニャ」


 ああいやだ。なんでこんな警鐘ガンガン鳴ってるんだよ。素直に終わらせろよ。


「強靭なメンタルですか?」

「そうニャ。あちしとかは割りと暢気に見えるかもしれニャいけど、実際、冒険者は過酷な職業ニャ。高い報酬、名声、あるいは強さが手に入る代わりに、肉体的な痛み、精神的な負荷、生き返るシステムがあろうが、色々つらい事が多いニャ。それは、一般人社会で言われるようなストレスとかとは違う、もっと直接的な負荷ニャ」

「そうですね……。ゲームじゃないんだから、剣で切られればそりゃ痛いし」

「でも、実は冒険者だったら誰もが乗り越えなくちゃいけない、もっと強烈な精神的負荷が存在するニャ」

「…………」

「ツナは……、その顔はもう分かってんじゃないのかニャ」


 あえてチッタさんは俺に振る。


「あー、うん、そうっすねー。……死ぬ事だろ」


 言いたい事は分かるし、このあと起こるであろう隠しイベントの内容も予想はつく。


「ドビンゴニャ、いやー、やるニャー。……そう、死ぬ事ニャ。死亡からの復活は、冒険者だったら必ず通過する、乗り越えないといけない儀式のようなものニャ。まだ死んだ事のないお前らニャあ分かんねーかもしれニャいが、これがまたきついニャ。たまんねーニャ。……心が折れるニャ。死んで、魂直接弄くられるようなひどい苦痛を受けて、尚立ち上がれる奴だけが冒険者としてやっていけるニャ」

「だから? 死んでない俺たちはまだ半人前だと?」

「えーと、……え、何これ」


 そりゃ混乱するよな。あんなドギツイ試練のあとにいきなりこれだ。

 誰もクリアした事のない未達の条件に挑戦して、死に物狂いでクリアしたら半人前扱いだもんな。


「だからつまり、この隠しイベントの意味はニャ……「一辺死んどけ」って事だろうがよ、クソがっ!」


 俺とチッタさんで、見事にその言葉だけが重なった。


「え、……え?」

「……悪いニャ。これ、あちしからしても趣味悪いニャ。しかも、相手はルーキーを案内した先輩の同伴者って……なんか悪い冗談みたいだニャ」


 さっきから、俺たちを褒め称えてはいても、気の乗らない雰囲気だったのはそれだ。


「ツナ、僕の理解が間違ってるような気がするから聞きたいんだけど」

「……ああ」

「まさか、まだトライアル終わってないの?」

「いや、トライアルは終わったニャ。お前らは前代未聞、前人未到のレコードホルダーには違いニャいし、もうトライアルダンジョンを攻略する必要ないニャ」


 つまりそれだけが目的かよ。……最悪だ。趣味悪いってレベルじゃねぇ。


「つまり……」

「つまり、"トライアルはクリアしました。デビューはできますおめでとう。でも君たちまだ死んでないよね。やっぱり一人前の冒険者としては一回くらいは死んでおかないとねー"って事だよ。……でもって、この目の前の猫耳が俺たちの死神ってわけだ」

「…………冗談」


 ユキは分かっても認めたくないのか、見て分かるくらいに青くなっていた。


「ツナの言う通り、あちしが隠しボスってわけニャ。第四層のリザードマンみたいに能力制限されてない、完全な状態でお相手するニャ。……さて、あんま気持ちいいもんじゃねーし、というか最悪だし、ヘドが出そう。あまりにあんまりだから、すぐに終わらせてあげる」













[ トライアルダンジョン 隠しステージ START ]



 見たくなかったシステムメッセージが表示され、最悪のオマケが始まった。



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