なんで分かんないんだよ

浜鳴木

なんで分かんないんだよ

 なんでそんなことも分かんないんだよ、と思った。


 超怖えー、とかそういう反応はべつに期待してなかったけどさ。あの話の怖さのポイントが分かんないって、やっぱこいつって頭悪いよな、とも思った。

 あからさまに顔に出したりはしないけど、さすがにちょっとね。


 でもまさか、あの話みたいなことが目の前で起こってたのに、それすら分かってもらえないなんて思わないじゃんか。




 この日はケイちゃんっていう友達の家に遊びに来ていた。

 俺はちょっと前から塾に通いだしたんだけど、ケイちゃんとはその塾で知り合った。このときケイちゃんの家にいたノブとハッシーも、その塾で出来た友達。


 べつに勉強しなくてもテストの点は取れるから、本当は塾なんか行く必要なかったんだけど、親に無理やり行けって言われて。めんどくせえって思いつつ、まあ友達もできたし、しかたなく通ってるって感じかな。


 学校は、俺が北小で、ケイちゃんは西小、ノブとハッシーは平岡小。俺以外の三人が先にその塾に通ってて、学校は違ったけど、俺から話しかけてすぐに仲良くなったんだ。


 それで、塾のない日にケイちゃん家に遊びにきて、なぜだか、自分の学校で流行ってる怪談とか都市伝説とかの話になったんだけど、俺がしたのはこんな話だった。


 冬の登山中に急に天気が悪化して、遭難しそうになった人たちが避難用の小さな山小屋に逃げ込む。


 でもそこは、ちゃんと管理されてないボロボロの山小屋で、めっちゃ寒いのに暖まるものが何もないから、このまま寝たら死んじゃうだろって感じだったんだって。

 じゃあ寝ないように動いてよう、誰か寝たら分かるようにしようってことになった。


 あ、その人たちは四人グループね。

 その山小屋の四隅にそれぞれ一人ずつ座るんだけど、一人が小屋の壁に沿って隣の角まで移動して、そこに座ってる人にタッチするの。そうしたらタッチされた人は、タッチされたのとは反対側の角まで行って、そこに座ってる人にまたタッチする。それをぐるぐる繰り返す。そうすれば寝ないですむじゃん、て。


 で、それがうまくいって、誰も寝ないでいられて助かったんだって。

 でもさ、それ本当はおかしくねって後になって気がつくの。

 よく考えたら、隣の角に移動してタッチするんだから、誰もいない角が出来ちゃうはずじゃん。

 だけど、それが最後まで続いたってことは、知らない五人目の誰かがいたってことだよね、っていう話。


 俺が話し終わると、ケイちゃんとハッシーは一瞬考えたけど、割とすぐに、なるほど怖いねって感じだった。でもノブだけは、え、何が? って顔してる。


 確かにちょっと分かりづらいところのある話だから、俺もオチのところをもう一回話したし、ハッシーとケイちゃんも一緒になって解説してやってた。それでもノブはなかなか理解できなくて、最終的にはジュースのコップとかを使って実際に動かしながら説明するはめになったんだよね。


 そこまでしてもらってノブのやつ、あーそういうことね、やっと分かった、ムズイわこの話! だって。俺が悪いのかよ、ってちょっと思ったよね。


 そうしたらケイちゃんが、ほんとにやってみない? って言いだした。

 そのときはケイちゃんの部屋にいたんだけど、そう言われたら確かに、この部屋ならできそうな気がした。


 邪魔になりそうな物もないし、まだ昼間だけど、真っ暗にすることだって多分できる。


 ケイちゃんの部屋は和室で、元々はケイちゃんのおばあちゃんが使ってた部屋をもらったらしい。


 子供部屋にしては広くて、壁から壁までがたぶん10歩分くらいはありそう。


 学習机じゃない、小さな折り畳みのテーブルしかないし、ベッドもない。ふすまの押し入れから、わざわざ毎日ふとんを出し入れしてるんだって。


 全体的に子供部屋っぽくないのに、窓のところだけは何故かキャラもののカーテンが掛かってて、普通そこは障子だろって、ひとりで笑いそうになったりもしてた。


 まあそれはどうでもよくて、そんな感じで物が少ないから、部屋の真ん中に邪魔なものをちょっと動かしてやれば、全部の壁沿いをまっすぐ歩けるようになる。


 それに窓もあまり大きくないし、外がすぐに隣の家の壁になってるからか、昼間でも照明をつけなきゃいけないくらいに部屋は薄暗い。

 だから明かりを消してカーテンも閉めればいけるだろって感じだったし、実際に試してみても、カーテンが壁から浮いて隙間ができないようにテープで何か所か押さえてやれば、我慢してもいいくらいの明るさにはできた。


 いったん照明をつけて、皆して、いけそうじゃん、じゃあマジでやってみようぜってなったんだけど、じつは俺、ケイちゃんがこれを言いだしたとき、すぐに思い浮かんだことがあったんだよね。


 ノブにちょっとしたイタズラをしかけてやろうって。

 あれだけ皆に解説させて、分かった気になったことと違うことが起きたら、また混乱して面白い反応するんじゃないかって思ったんだ。


 だから皆が部屋の四隅に移動するときに、俺はこっそりノブの動きに注意しながら動いた。

 そうしたら上手いことノブの隣の角になることができたから、心の中でニヤニヤしちゃったね。


 俺のいる角から見て左側にノブがいる。右側にはハッシーがいて、俺の向かい側の角にケイちゃんがいる。

 そういう配置になったんだけど、いたずらに都合のいいことは他にもあった。


 まず、照明のスイッチが俺がいる角のすぐ近くにあること。

 俺の考えたイタズラは、俺が最初でノブが最後っていう順番になる必要がある。だから自分が照明を消す役になれたら、そのまま最初の順番になりやすいでしょ。


 あとは俺がいる角が一番暗いこと。

 ノブとケイちゃんの立っている間の壁の、ケイちゃん寄りの位置に窓があって、そこだけはちょっと光が漏れちゃうけど、俺のいる角はそこから一番遠いから、それもいたずらには都合がいいはずだ。


 腕を伸ばして照明のスイッチに指をかけ、皆の様子を伺う。

 ノブは分かりやすくワクワクした顔をしていた。ケイちゃんは自分から言いだしたくせに何でもないような顔をしている。ハッシーはちょっと落ち着かない顔で、もしかしたらあまり気が進まないのかもしれない。


 じゃあ電気消したら行くぞ。そう言って、俺は照明のスイッチを押す。


 カチッと音がして、明かりが消えた部屋の中は、完全に真っ暗にはならなかった。

 窓の左右と下はどうにかなったけど、上の部分はカーテンとカーテンレールとの間に隙間が残ってるせいで少し光が漏れる。

 でも窓の上の辺りがほんの少し、天井に向かってぼんやりと明るい程度で、ノブとケイちゃんのいる角も、そこに人がいるって知らなかったら、ぱっと見では気づかないだろってくらいには暗くなったし、もちろん顔の表情なんて全く分からない。

 きっと俺のいる位置はほとんど真っ暗に違いない。そう思ったら、つい顔がニヤけてしまった。まあ、バレやしないし、別にいいよな。


 皆にもう一度、いくぞって声をかけて、ハッシーのいる角に向かって足を踏み出す。


 大した距離じゃないし、邪魔なものは動かしてあるのは分かってる。でも念のため、右手を軽く壁に触れさせながらゆっくり歩いた。

 足の指先が畳をこする音が意外と響くし、畳の形や境目が足裏にやけにはっきり感じ取れる。


 目線の先にはハッシーがいるはずだけど、その姿は暗がりの中に溶けてしまっている。じっと目をこらすと、何となく人の形の影が見えなくもないんだけど、気のせいと言われたら否定できないかも。


 そろそろだろうと思って、左手を伸ばす。

 自分でも何でか分からないけど、まるで慎重に手探りするような手の出し方だった。

 腕を半分伸ばした状態で軽く左右に振ってみるけど、手応えはない。もう少しだけ伸ばしてまた振ってみようとして、なんだか馬鹿らしくなった。

 これじゃビビってるみたいだし、ハッシーなんかに気を使ったってしょうがないじゃんって。


 ぐっと腕をまっすぐにして一歩踏み出すと、指がやわらかいものにぶつかる。多分、ハッシーの腕か胸のあたりに当たったんだろう。

 その瞬間、相手がビクッとしたのが分かった。やっぱこいつビビッてんじゃんって、思わずクスっと笑ってしまった。

 ハッシーもそれを誤魔化すみたいに、クスクス笑う。俺はさっさと行けよって感じで、デブハッシーのぶよぶよの体を何度かつついてやる。

 そうしたら小声で、ちょっとぉ、とかなんとか笑って言いながら、ハッシーはケイちゃんのいる方へ向かって歩き出した。


 のろのろ進むハッシーが十分離れたのを確認して、俺は誰にもばれないように、こっそり後ずさりを始めた。

 イタズラはこれからが本番。

 俺が最初に立っていた、本当はもう誰もいないはずの角。そこにこっそり戻って、ノブを驚かせてやるんだ。


 音を立てないように気をつけて少しづつ後ろに下がりながら、ゆっくり体を反転させる。頭の動きを追って、暗闇の中を目線が壁に沿って移動していく。


 足音の感じから、恐らくハッシーはもうケイちゃんまであと少しのあたりまで進んでいるっぽい。


 やっぱりよく見えないけど、ケイちゃんはまだ元の場所でじっと立っているのが、何となく分かる。


 カーテンの辺りのぼんやりとした明かりをすこし見つめてしまったからだろうか。ノブのいる辺りが、さっき見たときよりも暗い気がする。

 目を凝らして、ノブの姿をみようとしたけど、よく分からない。そこにいるようでもあるし、いないようでもある。

 もっとよく見たいと思ったけど、ケイちゃんのいる角から、左へ向かう足音が聞こえだした。気づかなかったけど、ハッシーがもう、ケイちゃんにタッチしたんだろう。


 早く戻らなきゃと思って、途中で止まっていた体に反転を再開させる。

 ノブが進んでくるはずの空間を視線が舐めて、俺の体は最初に立っていた角のほうに振り向いた。


 真っ暗で空っぽの角へ向かってそろりと足を踏み出す。

 だいたい、あと三、四歩くらいだと思うけど、間違えて壁にぶつかって音を立てたりしないように、また手を前に伸ばしておく。


 そうしてもう一歩進んだとき、あれっ、と思った。

 手が何かに触ったとか、そういうわけじゃないんだけど。

 誰もいないはずの角に、もう誰かいる、って気がしたんだ。


 思わずじっと目の前の空間を見つめる。暗すぎて分からない。

 だけど、一度そこに誰かいると思ってしまったせいだろうか。だんだん人型の影がそこにあるような気が、してくる。


 最初は、ノブが先走って移動してきちゃったのかとも思った。

 俺から始めるってちゃんと言ったのに。いや、そこまではっきりとは言わなかったっけ?

 それでも、進んだ先の角に誰もいないのに黙ってじっと立ってるなんてこと、いくらノブが馬鹿でもしないだろって思った。


 でもじゃあ、目の前のこいつは誰なんだよ。もしかして、あの話みたいに、ほんとうに?

 いやいや、単なる気のせいかも。じつは俺も案外ビビッてて、ありもしないものを見てるだけなんじゃないの。もうちょっと前に進めば、何もない壁に手がぶつかって誰もいないことがわかるって。


 そう考えて足を前に出そうとしたとき、手の指先にかすかに生暖かい風があたったのを感じた。息だ。

 目の前にいる誰かの呼吸。そいつは体をこっちに向けていて、きっと俺に気づいている。


 伸ばしていた手を思わずひっこめる。浮かせていた足も後ろに引いていた。

 え、マジで誰。ノブ?

 ノブだろ、ノブなら意味わかんないことしてもおかしくない。

 そう思おうとしたとき、ガタっという小さな音と同時にかすかに驚く声が、右のほうから聞こえた。


 それは本来ならあいつが通ってくるはずの方向だった。ノブがこっちに向かってきている音だ。

 たぶん途中にある、部屋の入口のふすまの戸に手をぶつけたとかだろう。ふすまはノブのいた場所よりも、こちらの角に寄った場所にある。


 目の前にいるのはノブじゃなかった。

 そしてもうすぐ、ノブがここについてしまう。タッチされたら、目の前のこいつは俺に向かって動き出す。


 俺は声も出せず、じりじりと後ろに下がった。下がりながら、きっと大丈夫って自分に言い聞かせてた。

 だって、あの話のどこがおかしかったのか、あいつも分かってたじゃん。だから、いるはずのないものがいたら、おかしいって絶対に気づく。

 そうしたらノブは、誰だお前とか、そんな大声を出して、それで他の二人も何かあったことに気づいて、そうしたら何とかなる。


 そんなふうに考えてたら、あいつに来てほしくない気持ちと、さっさと来てどうにかしてほしい気持ちで頭がごちゃごちゃになった。

 だけど、ノブの立てる分かりやすい足音はどんどんこっちに進んできて、そして止まった。


 気づいてくれって、祈るみたいに思う。何の音もしない暗闇の中で、小刻みに漏れる自分の息の音だけが耳についた。

 やけに長い時間が過ぎたように感じた頃、唐突に、また誰かの足が畳をこする音がした。


 ウソだろ、なんで分かんねえんだよ。

 その足音はこちらに向かってきている。ノブにタッチされた何者かが俺の方に、まるで普通に見えてるような速さで近づいてくる。


 こっちは音だけで何も見えないのに、それでも前方から視線を逸らせない。そのままの姿勢で、自分が音を立てないようにすることも忘れて、向かってくる何かから遠ざかろうとした。


 だけどすぐ背中が壁にぶつかって、それ以上逃げられなくなる。何かがすぐ目の前まで迫ってきているのがわかる。


 反射的に両腕を前に突き出して身を守ろうとしたけど、その腕の間を何かが、ぬるりと通り抜けたのを感じた。


 その瞬間、ドン、という突き飛ばされたような強い衝撃が胸の辺りにあって、息が詰まった。


 俺を突き飛ばした手らしきものは、そのまま体重をかけるように俺を背後の壁に押し付ける。

 前に伸ばそうとして果たせずにいた自分の腕には、恐らく人の胴体らしきものに触れている感触があった。暗闇のなか、腕だけで感じるその体は、自分よりずっと大きく感じる。


 何だよこいつ、何なんだよ。頭の中ではひたすら、それだけが繰り返されている。


 俺を壁に押し付けたまま、そいつはさらに迫ってきて、体全体で俺を壁に押さえつけようとしているみたいだった。

 その圧力を押し戻すこともできず、自分の腕が体の前でほとんど折りたたまれた状態になったとき、ぬるい体温をもったその胴体が、俺の腕をこすりながら下がっていくのを感じた。顔に生暖かい息がかかる。


 自分の顔のすぐ目の前に、こいつの顔がある。真正面から、じっと俺を見ている。

 それが分かった瞬間、俺の目はぎゅっと閉じられ、口からは悲鳴を上げていた。




 息が続かなくなって、情けない叫び声が次第に尻すぼみになったころ。ふと気づけば、いつの間にか部屋は明るくなっている。もう目の前には誰もいない。


 ノブが俺の正面の角に立ってこっちを見ている。照明のスイッチに手をかけているから、ノブが明かりをつけたのだろう。


 俺は混乱して部屋の中を見回した。暗くする前と比べて、部屋の様子は何も変わっていないように見える。

 ケイちゃんは部屋の反対側の角にいて、ハッシーは右側の角にいる。何もおかしいことはない。

 ほっとしたら力が抜けて、その場に座り込んでしまった。


 でも、気持ちが落ち着いてきたら今度は、意味不明な出来事にだんだん腹が立ってくる。

 何だよ今の。そうノブに言った。つい、口調が少しキツくなってしまったけど、あんな体験のあとじゃ仕方ない。

 それなのにノブのやつ、はぁ、何が? なんて返してくる。

 余計にイライラしながら、今お前がタッチしたやつが俺のほうに向かってきたじゃん、そいつに俺、突き飛ばされたんだぞ。そう言ったら、呆れた顔でまた、はぁ? だって。


 なんだか馬鹿にしたような目でこっちを見てくるから、だからお前がタッチしたやつだよってまた言おうとしたら、ノブに遮られた。


 俺は誰にもタッチなんかしてねえし。そういうつまんないの、いらねえんだよ。そう真顔でノブは続ける。


 一瞬なにを言われているのか分からなかったけど、理解するにつれて、自分の顔が赤くなっていくを感じた。そんなの、それじゃ俺が一人で芝居しただけってことかよ。カッとして、そんな訳ねえだろ、ふざけんなよって怒鳴ったら、うんざりしたような顔で溜息をつきやがった。


 めちゃくちゃ腹が立って、ほとんど喧嘩の勢いでしばらく押し問答を続けたけど、けっきょく埒が明かないまま、その日は解散することになった。


 その出来事の後、すぐに俺は通っていた塾をやめた。

 自分から親に言って、別の塾に通うならって条件でやめさせてもらった。

 あの三人には別れの挨拶もしなかったし、あれ以来あっちから連絡がくることもない。


 あの日の出来事が何だったのか、未だによく分からない。

 あれが本当に怪現象だったのか、あの三人、もしくはあの中の誰かが仕組んだことなのか、今後も答えは出ないだろうと思う。


 でも、あの日に分かったことがひとつある。


 ノブと言い争いをしていたとき、俺は何度も他の二人へ視線を送った。

 だけど最後まで、ケイちゃんはただ何を考えているかわからない無表情で見返してくるだけだったし、ハッシーはこっちを見ようともしなかった。


 いま考えるとあのときは、必死に一人芝居じゃないと認めさせようとする俺を、ノブはひたすら、あしらっていただけだった気もする。どっちにしろ、俺に味方はいなかった。


 つまり、俺はあの三人から友達と思われてはいなかったし、何なら嫌われてたってことだ。


 あの日の別れ際、くだらねえやつだって本当は馬鹿にしてたんだろ、という俺の捨て台詞への反応は、しばらく忘れられそうにない。


 口に出したのはノブだけど、あとの二人の顔も、はっきりと同じことを言っていた。


「なんでそれが分かんないんだよ」





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なんで分かんないんだよ 浜鳴木 @hamanaruki

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