第七章
出撃する日が決まって各自、身辺整理で忙しくなった。
ふだん飛行隊の兵舎の浴場が手狭なため町の銭湯に行く者が多かった。
谷川、荒間、菊田、川崎、山本の五人はよく連れだって町の銭湯に行った。
銭湯の女主人は若い兵士達をかわいがり、よく面倒をみてくれた。出撃の前の日、五人は落下傘部隊の徽章をつけた最上装の軍服であいさつに行った。
「小母さん、いろいろお世話になりました。今から出発します。この金は私共にはもう使い途がなくなりましたから」
と、金一封を差し出した。
銭湯の女主人は涙にくれ、置いて行った金七十五円を基金にして、自宅横の道に面し、普賢菩薩像を建て霊を祭り、毎朝参拝を欠かさなかったという。
またある者たちは飛行機が足りないからと
「国防献金をしよう。もう金はいらないのだ」
と、全員、有金をはたいていた。
それを見ていた上官が
「金は要るぞ。三途の川の渡し賃がいるぞ」
と言うと、
「地獄には質屋はないですか?」
質屋があれば時計を質に入れるという。もちろん奥山が司令部に請い、全員に支給してもらったあの時計である。
後日、発動機故障で引返し、水田に不時着した飛行機に乗っていた者が、負傷者を近くの医院に収容した後、手拭とチリ紙を買おうとしたが、全員無一文で当惑したという話が残っている。
出撃する前日、ささやかながら送別の宴が開かれた。
献立は「紅白の餅、赤飯一握、空豆、スルメ、鰹節、煙草(光)2箱、酒各1人1本」だった。食料事情も悪化している中で、特攻隊員に出来るだけの食事をとの思いが伝わってきた。
出撃の日は朝から準備におわれていた。陸軍の関係者や報道カメラマンなど大勢の人間でごった返していた。桜子はなるべく目立たないように人ごみの中を
そのとき人目も気にしない威勢のいい大きな声が桜子の耳に響いてきた。
「おい桜子。こっちだ、こっちだJ
一番身を隠したい人。自分からは見えても相手からは絶対見られたくない人。ましてや今日の主役、今から出撃に向かう奥山隊長その人である。
「桜子、やっぱり来たか」
奥山がいつもと変わらないさわやかな笑顔で頷いている。
「はい」
「ちょっとこっちへ来い」
奥山に
「ここなら人目につかないだろう」
奥山はそう言うと、思いっきり桜子を抱きしめた。
「奥山隊長」
「桜子の気持ちは充分すぎるくらいわかってはいたけど、特攻を前にしてそれに答えてやることはできなかった。すまなかった。つらい想いばかりさせて。桜子はきっときっと幸せになってくれ」
「奥山隊長」
お互い何も言えず、黙ったまま時間が止まっていた。
遠くの方で「奥山隊長、奥山隊長はいらっしゃいませんか?」と声がする。
「桜子、ありがとう、さようなら」
奥山はそう言うと、足早に走り去った。
桜子は奥山の後ろ姿を見送って、その姿が見えなくなると、その場にしゃがみ込んで泣き崩れた。
奥山が隊員たちのところへ戻ると、諏訪部が近寄って来た。
「今生の別れは終わりましたか?」
「どうして諏訪部には俺のすることなすこと全てお見通しなんだろう」
「まあ長いつきあいですから」
「ツーと言えばカーというくらいだな」
「奥山さんの考えていることならだいたいは見当はつきますからね」
「諏訪部、お前が女なら絶対嫁にもらうんだが」
「遠慮しておきます。奥山さんは好きだけど、鉄砲玉だから自分がこうと決めたら、突っ走っていって帰ってこない。奥山さんの嫁さんは桜子ちゃんしかいません。純粋で一途でないと勤まりません」
「そうだな」
奥山は今別れたばかりの桜子のぬくもりをかみしめていた。
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