第六章

 奥山は悩んでいた。昭和十五年十二月、陸軍で落下傘部隊を新設したときに落下傘部隊の教官要員として集められたときから、死を覚悟していた。しかし隊員たちは志願したわけではないのに、成り行きで特攻隊に選ばれてしまった者もいる。まだ二十代。若い連中の中には二十二、三歳の者もいる。親御さんはどれほど悲嘆にくれるだろうか。


 妻帯者もいる。新婚もいる。乳飲み子を抱えている者もいる。父親亡き後、どれだけ苦労して母一人で育てていくのか。俺はまだいい。一人身であり、母のことは気がかりだが、姉たちや弟が面倒を見てくれることだろう。


 それに飛行隊の隊員達。作戦の変更に振り回され、空挺隊と一緒に突撃することになってしまったことも本当に心苦しい。生きて帰ることのできない出撃命令に巻き込んでしまった。これが生還する可能性が1%でもあるのなら少しは気持ちがラクなのだが。


 許されるなら誰も死なせたくない。今まできびしい訓練に明け暮れ、共に笑い、泣いた仲間たちである。

「死ぬのは俺一人でたくさんだ」

前途ある若者たち、奥さんや子供を残して出撃する、夫や父親。日本は戦争に負ける。特攻、特攻と飛行機や兵器や物資不足を貴重な生命を犠牲にして、一時的に勝っているように見えたとしてもそれは本当の勝利ではない。日本はすでにアメリカに大敗しているのである。


 諏訪部は悩んでいた。飛行隊隊長として爆撃機の操縦桿を握っての突撃なら何も言うことはない。しかし空挺隊と共に敵飛行場に降り立ち小銃を持って戦うことになってしまった。部下たちにも引け目がある。飛行機乗りは飛行機乗りらしく空で戦うためにこれまでの厳しい訓練があった。もちろん戦場においてあれがいい、これがいいなど選べるはずもない。生命を賭けて自分の使命を果たす。しかし、二十代そこそこの前途ある若者たちばかりである。ここで死なすのは惜しい。

 もし今すぐこの瞬間に戦争が終結し、彼らが生き永らえることができるとしたら日本のためにさまざまな分野で活躍することであろう。


 奥山は

「貴様らまで一緒に戦ってくれなくていい、何とか友軍の占領地まで脱出してくれ」

と言ってくれているが、今まで同じ訓練に明け暮れ、同じ釜の飯を食った仲間たちである。戦場に着いたとたん「ハイ、さよなら」と一目散に飛行隊だけ逃げだすなんて、不義理なことができるはずもない。ここまできたら飛行隊も空挺隊もない、共に戦い討ち死にするまでである。

 「わかっている」わかってはいるが、心の中は複雑である。飛行機乗りとして名誉の戦死、そんなものが欲しいわけではない。奥山さんと一緒に玉砕して手に手を取って(いやそれだけはいやだな)地獄への二人旅も考えようによっては悪くないのかもしれない。諏訪部はそこまで考えるとほくそ笑んだ。奥山さんとはあの世までくされ縁なのだ、きっと。


「桜子、頼みがある」

 出撃の日が決まったものの連日雨である。それも小雨なら決行できるが大荒れの天候である。とても出撃などできるものではない。

「当日、晴れるようにてるてる坊主を作ってほしいんだ」

 奥山の注文ならいつも二つ返事で素直に言うことを聞く桜子である。だが今日の桜子は座って下をずっと見つめたまま黙っている。

「桜子どうした?」

 桜子はボロボロと涙をこぼしていた。

「泣いているのか?」

「いやです。てるてる坊主なんて作りません。私が作るとしたら『雨降り小僧』です。明日もあさっても一週間後も一ヶ月後も一年後もずっと雨を降らせます」

「桜子」

 桜子の剣幕に奥山はびっくりした。


「来年の春には奥山隊長と手をつないでお花見に行くんです。『桜がきれいですね』って、私が言ったら奥山隊長がさわやかな笑顔で、『桜子だってきれいだよ』って言ってくれて」

と桜子は自分で言ってちょっと照れている。

「それから夏は花火大会行って、家の前でも線香花火して、どっちが長く花火がついているか競争して。秋にはお祭行って、わたがしとりんごあめ買って。それからそれから冬にはいっしょに雪だるま作って、私が『寒いですね』って言ったら奥山隊長が私の手をそっと自分のコートのポケットに入れてくれて」

 キャーと桜子はまた自分で言って恥ずかしがっている。それから桜子は大泣きに泣いて泣いて鼻ぐずぐずでしゃくりあげている。


「どうした? 何かあったのか?」

 桜子の泣き声にびっくりして諏訪部が飛んできた。奥山はおろおろになりながらも、

「今までガマンしてきたものが切れたんだろうな」

「張り詰めていたものが一気にあふれだしたんだな」

「俺たちだって必死でこらえているだけで時には爆発しそうになるよ」

「俺たちが出撃したら桜子ちゃん、誰に向かって泣けばいいのかな」

「仕方ないさ」

 奥山は口ではそう言ったものの、桜子の涙には胸が痛んだ。


 それから数日が経ち、

「桜子、ちょっと話しがある」

 奥山は桜子を呼んだ。

「はい、何でしょう」

 素直に桜子は奥山の後をついてくる。

「来週からもう来なくていいぞ」

 奥山は自分の気持ちがもれないように努めて冷静さを装いながら桜子に静かに言った。

「えっ、来週からまた他の場所に移動ですか?」

「いや、本来なら部外者に作戦をもらしてはいけないのだが、言わなければ来週もいつもどおり桜子は来てしまうだろうし、そのときもぬけの殻で誰もいなかったら桜子は傷つくだろう?」

「もしかしたら来週ですか」

「うん、来週だ」

「そうなんですね」

 桜子は両手を握りしめて、何か言おうとして言葉を探しているように見えた。

「世話になったな、達者で暮らせよ」

 奥山がそう言った途端、桜子はその大きな瞳に涙をいっぱい溜めて、

「奥山隊長のバカ、俺は死なないって約束したのに、絶対戻ってくるからって」

 桜子は奥山の胸を叩いた。

「そうは言ったけど、現実問題、体中に爆弾を備え、手榴弾15発、爆雷、爆発缶数個、銃剣、拳銃、短機関銃、短小銃、人間爆弾そのもの」

「行っちゃダメ。死にに行くようなものじゃない。お腹が痛いとか、熱があるとか言って、サボッてはダメなの?」

 奥山は苦笑いする。

「そうだね、それができたらいいけど『貴様、それでも帝国軍人か』って上の人から怒られる。それに今は沖縄がアメリカ軍に占領されている。一人でも多くの沖縄の人たちを我々が守らなければならない」

 奥山の眼は遠くの方を見つめていた。


「いつか生まれ変わったら」

 桜子が哀しそうに言った。

「もしいつか生まれ変わったら、絶対、絶対、私を探して! そして私をお嫁さんにして下さい」

 奥山は桜子のいじらしさがつらかった。叶えられる願いなら「わかった」と約束できるものの、こればかりはあと数日の命、風前のともしびである。ふとこんなことなら旅立つ前に祝言だけでもあげておけば良かった、という思いが頭をよぎったが、それはそれで桜子を苦しめるだけである。

「桜子、元気でいてくれ。俺の分までずっと元気でいてくれ。そして…そして結婚して幸せになってくれ」

 それを聞いて口びるをかみしめていた桜子が、突然怒り心頭で口から泡を吹き出さんばかりにまくし立てた。

「奥山のバカ!」

「バカとは何だ、バカとは」

「嫁になんか行かない。一生忘れない。毎日毎日想い出をかみしめて生きていく」

 桜子はくるりときびすを返すと泣きながら走り去っていった。

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