第四章

 B―29は昭和17年に量産された。巨大な爆撃機というだけではなく高空性能に優れており、高射砲はもちろん、上昇限度は12000mと、当時陸軍最新型の四式重は9,470mと大差をつけられている。

 またB―29は12,7㎜の機関砲を12挺も持っていた。ちなみに四式重は13㎜の機関砲は4挺であった。

 B―29の東京に対する本格的な初の大空襲時には少数機の偵察にもかかわらず、わが軍は300機を繰り出したが一機も撃墜できなかった。

 圧倒的な性能の差であった。


 アメリカとの戦力がかけ離れている事例を聞いても奥山は、

「我々はやるだけやるさ」

と達観したような表情でつぶやいていた。


 その頃、奥山たちはB―29に向けて猛訓練を行なっていた。敵飛行場に着陸し、B―29に爆弾を取りつけ爆破させる。

 その一つがB―29に帯状爆薬を投げ上げて爆破させるというものである。B―29は地上から4m50あり、投げ縄のように帯状爆薬を投げ上げるのだが、なかなか届くものではない。

 奥山隊はひたすら訓練に励んでいた。


 義烈空挺隊には十数名の妻帯者がいた。妻帯者を特攻隊の一員として連れてゆくことについて、奥山は最後まで悩み、特に自分が独身であるが故に自分を責めていた。だが、隊員たちは一人も動揺する者はいなかった。

 また、奥山と諏訪部は仲は良いものの、奥山は空挺隊隊長であり、諏訪部は飛行隊隊長であり、お互い立場が違っていた。

 当初のサイパン島奪還(中止)、硫黄島奪還(中止)と、作戦やその内容が変わり、空挺隊と飛行隊が一緒に突撃することになってしまっていた。

 奥山は飛行隊は飛行隊として飛行機で死なせてやりたかった。

 しかし飛行隊も敵飛行場着陸後、小銃で戦う予定になった。

「貴様らまで戦ってくれなくていいから。何とか友軍の占領地まで脱出してくれ」

 奥山が何度も諏訪部に頼んだ。だが、

「未練の残ることはやめましょう」

と諏訪部は聞かなかった。


 そんな奥山と諏訪部の悩みも知らずに、

「本日も晴天なり」

 桜子は楽しそうに洗たくに励んでいた。

「丸眼鏡のちょっぴりぽっちゃり隊長さん、いつもやさしい笑顔で包んでくれる」

 桜子はごきげんで鼻歌を歌いながら、大きなたらいの中の洗たく物をごしごし洗っていた。隊員たちは今は訓練の時間で周りには誰もいなかった。先程までは、確かに。桜子の心の中に油断があった。

「丸眼鏡のちょっぴりぽっちゃり隊長さん」

「誰がぽっちゃりだって?」

 後ろから奥山の怒りに満ちた声がした。桜子がびっくりして飛び上がった。恐る恐る後ろを振り返る。そこには恐い顔で桜子をにらみつけている奥山の姿があった。

「ごめんなさい。ついうっかり本当のことを。あっいや少し大げさに。ほんのちょっぴり、気持ちだけ」

 桜子はしどろもどろになりながら、あやまっているのか謝罪にならない弁明を繰り返していた。

「奥山さん、そのくらいにしておかないと、桜子ちゃん、泣いちゃいますよ」

 奥山の後ろから諏訪部が顔を出した。

「まぁ事実だからな」

 奥山は面白そうに笑いをこらえている。

「丸眼鏡の太っちょだって」

「ちょっぴりぽっちゃりです」

 すかさず桜子が訂正する。

「うまいこと言うな」

 奥山はいつものやさしいまなざしに戻っていた。

 桜子はそっと胸をなでおろしていた。


 今日は休日である。それぞれが思い思い、自分の好きなことをして時間を過ごしている。奥山は宿敵渡部と碁を戦わせている。諏訪部は得意の墨絵の観音像を描いている。桜子は山のように積まれた隊員たちの制服の繕い物。若い隊員たちは先ほどまでトランプに興じていたが、人数がふえたり減ったりしたためかトランプを仕舞うと、どこからか百人一首をひっぱりだしてきた。

「〝坊主めくり〟じゃないのか?」

「それはあとから。とりあえずかるたからじゃ」

「私も入ろうかな?」

 桜子は繕い物に飽き飽きしたのか、繕い物を横に置いて腕まくりをして参戦している。

 読み手の朗朗とした声に足を止めて観戦している人も何人かいた。桜子はと見ると楽しそうに勝負の成り行きを見守っているだけでなかなか手を出そうとしない。

「桜子さん百人一首知ってるのか?」

「桜子ちゃん、どうせ冷やかしじゃろ」

 とさんざんヤジが飛んでいる。それでも桜子はどこ吹く風でただ黙ってかるたを見ている。

 そのとき、桜子が待ち構えていた一枚が読まれた。桜子の大好きな一枚である。最初の二、三文字が読まれたところで取り札に飛びついた。まわりの人たちはあっけにとられて手を出そうとしていた者も途中で止まっている。桜子は余裕で一枚を取ることができた。


 諏訪部が不思議に思って、桜子の後ろからその一枚を盗み見る。

「やっぱり」

 その一枚は、

「猿丸太夫の『に紅葉踏み分け鳴く鹿の声きく時ぞ秋は悲しき』」

だった。桜子はその一枚を胸にそっと抱きしめていた。奥山は何も気づかないで渡部との碁を続けていた。



 諏訪部と奥山は陸軍士官学校の先輩後輩である。奥山が陸士五十三期、諏訪部が五十四期。一つ違いである。「同期の桜」ならぬ、「同じ義烈空挺隊の桜」と言ったところか。苦しいことも哀しいことも、部下たちには言えない作戦のこと、上層部の考えなど、数えきれないほどの二人だけの秘密がある。軍隊には奥山のような人間が必要である。先頭に立って走って行くような。諏訪部はそれを後ろから黙って見守りなからついていく。お互いがお互いを気づかい、責めることもなければ、言い争うこともなかった。


 が、しかしここで桜子という存在が出てきた。桜子がいなければ二人とも黙って特攻へ行くところなのである。この桜子はよく笑い、よく泣く。他にもいい男は隊の中にいっぱいいるのに、よりにもよって少々太めの奥山にホレている。まぁ義烈空挺隊、どこをどう選んでも、全員特攻へ行く運命なのだから、それが遅いか早いかの違いだけだ。諏訪部も頭では理解している。理解しているのだが、奥山と桜子を見ているとイラつく。好きなら好きでいいじゃないか。勝手にやってくれという想いと、いじらしくて背中を押してやりたい気持ち、その両方に振り回されている。


 最近では墨絵の観音像を描いていても集中できないことがある。俺の方まで来るな、そっちでやってくれと言いたい。でも桜子がにっこり微笑むと純真さゆえに、どんな観音様にも負けないような気高さがあるような気がする。俺は桜子にホレているのだろうか。いやそんなはずはない。もしホレていたとしても僚友で親友の奥山を差し置いてしゃしゃり出るわけにはいかない。諏訪部は今の自分の気持ちを誰かに聞いてほしいところだが、もちろん相手は奥山ではない。

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