第二章

 桜子が帰った後、来週からの上層部との作戦会議に向けて、奥山と諏訪部が試行錯誤をくり返していた。たくさんの図面や書類、図形を書いたり、順番を付けたりと大忙しである。奥山が諏訪部に言った。

「さっきの桜子ちゃん、年はいくつくらいかな」

「奥山さん、今はこちらの方が大切なのではないですか」

「いや、休憩だよ。ちょっとくらい いいじゃないか」

「まあ少しくらいなら」

「かわいい子だったな」

「そうですね。しゃきしゃきしてましたからね」

「前いた人がおばさんだったから今度もおばさんだと思って、そう言ってしまった」

「言っちゃったんですか」

「年配のおばさんが来ると思ってましたって」

「前の人は洗たくやそうじで忙しくて腰を痛めたんでしたよね」

「リウマチも持ってたみたいだし」

「じゃあ、彼女なら大丈夫でしょう」

「年配のおばさんが来ると思っていましたって言ったら、それなら断っていただいてもって言われた。かわいい顔して気が強いぞ、あの手は」

「奥山さんの好きな女性のタイプですよね」

「諏訪部、なんで俺の好みのタイプを知っているんだ」

「だから奥山さんの気持ちなら98%くらいお見通しですよ。残りの2%は奥山さんはわがままと言うか、がんこだから、ここだけは妥協しないという意地みたいなところがあることですかね」

「よくわかっているな」

奥山は諏訪部の洞察力の鋭さに舌を巻いた。


 翌日、桜子が来るのを玄関で心待ちにしていた奥山だったが、桜子はなかなか来ない。しびれをきらして様子を見に行く。桜子は建物の入り口で「義烈空挺隊」の看板を見ていた。


「おはようございます」

奥山が桜子にさわやかに声をかけた。

「おはようございます」

桜子も明るい笑顔を返してきた。

「その看板を見ていたのですか」

奥山はあくまでも自分ではさわやかさを持続しているつもりである。

「はい、何て読むのですか」

「ぎれつくうていたい、です」

「義烈って、どんな意味でしょうか」

「義烈とは義を守る心、忠義の心が非常に強いことをいいます。空挺隊とは航空機を使って空路で戦線まで移動、降下して地上での作戦にあたる兵の部隊のことをいいます」

「ああ落下傘部隊のことですね」

 桜子も少し理解できた。


「あっ、すみません。昨日私、隊長さんにごあいさつできなかったので、今日は隊長さんにごあいさつしたいのですが」

 奥山は「待ってました」とばかりに、

「私が義烈空挺隊・空挺隊長の奥山道郎です」

と胸をはった。

「えっ」

 桜子は驚きのあまり声がもれてしまった。

「意外でしたか」

 奥山は威厳のある風を装っている。昨日は自室に籠もって作戦を練っていたのでランニングシャツ1枚だったが、今日は桜子が来る予定なのでちゃんとした麻のシャツを着ている。


 桜子は〝クマ〟が隊長だったことにびっくりしてしまっていた。昨日のもう一人の理知的なスマートな人の方が隊長らしくていいなあと心の中で思っていた。


 ちょうどそこへ諏訪部がやって来た。

「奥山さん、こんな所にいたんですか。あっ、昨日の桜子さんでしたっけ。いらっしゃい、よろしくお願いします」

 諏訪部が自然体で登場した。

「昨日はちゃんと自己紹介ができなかったので、遅ればせながら、義烈空挺隊飛行隊隊長、諏訪部忠一です」

「お二人とも隊長さんだったんですね」

「はい、私の方は飛行隊なので飛行機の操縦が主な仕事です」

「空挺隊も飛行隊も大変なお仕事ですね。奥山さんは恰幅かっぷくがいいのに、落下傘は大丈夫なのですか」

「飛行機は重量制限がありますが、落下傘は落ちるだけなので大丈夫です」

と、諏訪部。

「私は重いので、他の者より落下速度が速い。同時に降下しても、敵地に一番乗りです」

と、奥山は胸をはった。

「『落下の速さはその重さと無関係である』とガリレオが言ってますけど」

と桜子が言った。

「えっ、そうだったか? 俺はずっと、重い方が速いと思い込んでいたんだが」

と奥山は頭をかいた。


 桜子は若いのと、機転がきくのとで、若い隊員たちの人気者になっていた。

「最近は隊員たちは目に見えて明るくなりましたね。よく笑うし、よくしゃべるし」

 諏訪部が言うと奥山も頷いた。

「そうだな。暗いよりは明るい方がいい。暗いと便所に入ったとき、小便の色がわからん」

「誰が奥山さんと便所の電気の話しをしなければならんのですか。桜子ちゃんが来てくれたおかげでパーと隊員たちの顔色が明るくなって良かったと言っているのに」

「俺も最近そう思っていたところだ。俺もたまには桜子ちゃんとしゃべりたいと思ってもいつも忙そうだし」

「奥山さんはいいでしょ」

「俺だって、若い女の子としゃべりたいよ。頭カチカチの大佐やハゲちゃびんの中尉と結論の出ない堂々巡りの議論ばかりしているんだぜ。たまには桜子

ちゃんの笑顔にいやされたい」

「奥山さんそこはがまんしていただいて」

「諏訪部、考えてもみてくれ。俺たちはまだ26才だぜ。特攻を命じられていなければ、結婚して子供作って一家のあるじだったはず」

「奥山さんもお見合いの話ありましたね」

「結婚というより跡継ぎがね。父も亡くなって、家には母親一人。弟も学生だし、こんなことになるとわかってたら早めに結婚しておけばよかった」

「こればっかりはね」

 26才の若い隊長2人は顔を見合わせると、深いため息をついた。


「奥山隊長」

 遠くの方で桜子の明るい声が響く。

「ん?」

一瞬で奥山の表情が輝く。諏訪部が笑いをこらえている。桜子が洗たく物がいっぱい入ったかごを抱えて駆け寄る。

「奥山隊長、制服のボタンがほつれていましたよ。あとで出しておいて下さい。直しておきます。来週の上層部との会議、見苦しい格好で行かれると、義烈空挺隊の隊長として恥ずかしいですから」

「はい、わかりました」

 奥山はしおらしく返事をした。諏訪部がまた笑いをかみしめている。奥山は照れくさそうにしている。桜子は不思議そうに首をかしげている。


 桜子が洗たく物を干し終わって部屋に戻ると、机の上にボタンの取れたシャツ、裾のほつれたズボン、ポケットが取れかかった上着など、うず高く積み上げられていた。

「これって、全部直しとけってこと?」


 桜子ががく然としていると、奥山がボタンの取れかかった制服を持ってやってきた。

「桜子様、ボタンつけお願いします」

 いつもは「桜子」って呼び捨てなのにと桜子は思った。

 奥山は机の上の大量の制服の山を見てあきれていた。

「こんなの自分でやらせればいいんだ」

「奥山隊長だって、人のことは言えないでしょ」

「だって、俺の分してもらわないといけないし」

「優先順位1番でやりますから」

「桜子様おやさしい。こんなにたくさんやらなくていいぞ。疲れるぞ」

「大丈夫です」

「諏訪部は持って来たのか」

「諏訪部隊長はちゃんとした方だからご自分のことはご自分でなさいます」

 桜子がぴしゃりと言った。

「どうもばつが悪いなあ」

 奥山のかげに隠れて見えなかったが、いつの間に来たのかそこに諏訪部の姿があった。

「諏訪部隊長、お疲れさまです。これを見て下さい。お直しの制服の山です」

「すごいなあ。あいつらときたら桜子ちゃんに甘えすぎだ」

「諏訪部、後ろに隠しているものは何だ」

 奥山がうれしそうに諏訪部の背中を覗きこんでいる。

「いや、これは」

諏訪部が身をひるがえそうとして奥山に両腕をがっしりつかまれた。

「これはなんだ。制服ではないか」

 奥山は諏訪部の制服を高くかかげた。

「奥山さん、やめてくれ。針仕事だけはどうにもしょうにあわん」

「諏訪部隊長にもにがてなものがあったんですね」

 桜子が笑いながら言うと、

「すまん、桜子ちゃんが忙しいのはわかっていたんだが」

と諏訪部が頭をかいた。

 桜子はにっこり笑って、

「奥山隊長も諏訪部隊長も特別枠ですから。来週の会議までに超特級で仕上げます」

「ありがとう」

と諏訪部。

「ありがとうございます。このご恩はいつか必ず」

と、奥山は茶化し気味に言った。


「桜子はどこから来たんだっけ?」

 奥山はぶっきらぼうに桜子にたずねた。

「いや、このあたりの人としてはあか抜けているかなと思って」

 奥山もあちらこちらと移動になっているので、田舎育ちと都会育ちでは見

た感じが違うとは思っている。桜子のはつらつとしている姿は奥山にとっては時にはまぶしく感じることもある。しかし時には壊れ物のようなはかなさを感じることもある。奥山から見れば年も離れているし、妹のように思っていた。


 支えてあげたい気持ちもあるが、これ以上親しくなると別れのときがつらくなる。何より自分たちは特攻に行く身。桜子ならきっといつかいい人にめぐり会えるだろう。


「奥山隊長、少しは私に関心を持ってくれましたか?」

「ばか言え。俺から見たら桜子なんて鼻たれ小僧だ。女性としての色気が足りん」

「あー、ひどい。奥山隊長なんて乙女心がわかってないんだから」

「そうは言っても桜子のどこに女性の色気があるんだ」

「奥山隊長が見えてないだけですよ」

 桜子は頬をふくらませて奥山をにらみつける。


 戦時下でなければ、特攻が命ぜられる前なら桜子を嫁にもらうということもないではなかった。だが義烈空挺隊に出撃の命令が出ていたので、あとはその時期が遅いか早いかだけである。

「桜子の涙は見たくないな」

 隊のみんなと出撃のときは笑って出発しようと約束している。おめおめと自分一人が泣くわけにはいかない。桜子のような明るくやさしい娘が奥山の家に嫁に来てくれたら母はどんなに喜んだことだろう。母はつい最近まで息子の嫁探しに奔走ほんそうしており、ようやく候補者が現れたと喜びの便りを寄越していた。しかし今度は逆に奥山の特攻が決まり、こんな状態で嫁をもらっても先方に迷惑をかけるだけだからと母に断ってくれるように手紙を出していた。思うようにはうまくいかないものである。

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