電談〜れでぃおががりて〜

阿炎快空

電談

 ザザァ——ザザァ——ザザァ——


 ザザァ——ザザァ——


 ザザァ——……




 ラヂオから流れるノイズが徐々に静まり、代わりに声が聴こえてくる。


「――皆様、今晩は。草木も眠る丑三つ時、此のラヂオ放送をお聞き頂き、誠に有難うございます」


 男の声だ。

 声の張りは若者を連想させるが、同時にその落ち着いた口調は、どこか老成した雰囲気を漂わせてもいる。

 何より、聞き取りやすい。

 それは、〝話慣れている人間〟の声だった。


「通常、此の様な時間には番組は放送されないのですが、他ならぬ此の帝都ていと放送様よりご依頼を頂き、わたくしが話をさせて頂いている次第でございます――」


 と、そこまで言って、


「——申し遅れました。私、怪談師の鶴泉つるみ南雲なぐもと申します」


 男はそう名乗った。




「鶴の泉に南の雲と書き、ツルミナグモ。幽霊話や妖怪話と云った、所謂〝怪談〟を皆様にお聞かせして、其の報酬として木戸銭きどせんを頂くという、吝嗇けちな興行師をやらせてもらっております。ですので本来、ラヂオと云うものは、我々怪談師にとっては商売敵の様なものなのですが、折角の機会、こうして電波に乗せて、私の話を皆様に聞いて頂くのも又一興かと存じます」


 しかし——と南雲が続ける。


「普段目の前のお客様に話している身からすると、相手の顔が見えずに話すというのは、中々難しいものでございます。ですから私は、想像しながら話をする訳です。どの様な人々が、今、私の話を聞いているのかを――それは恐らく、お聞きの皆様も同じことでしょう。今話している、此の鶴泉南雲という男は、一体どんな男なのだろうか。若いのか、それとも年を取っているのか。どの様な見た目をしているのか。色男か、はたまた醜男か——」


 マ、その辺りは皆様のご想像にお任せするとして――と、南雲が微かに笑う。


「——そんな風に、聴き手の想像力を掻き立てるところが、ラヂオと云うものの魅力の一つなのかも知れませんね――さて、枕が長くなりました。そろそろ本題に移ると致しましょう。私が何故、こうしてラヂオで話をしているのか――」


 南雲が声を低く落とすと同時に、音楽が流れ始める。不吉で、おどろおどろしい旋律だ。

 そうして、南雲はゆっくりと語り始める。

 此処ここ、帝都放送に纏わる怪談を——




 此のところ、とある噂が巷で囁かれています。

 曰く――深夜二時頃、ラヂオの周波数を帝都放送に合わせると、何者かの話し声が聴こえる。


 先程申し上げた通り、通常、帝都放送では此の時間、番組は放送しておりません。

 ラヂオのチャンネルを回しても、ザアザアというノイズ音しか聞こえない筈なのです。


 しかし、其のノイズの向こうから、何故か声が聴こえてくる――

 しかも、当初は何を話しているか不明瞭だったそうですが、噂が次第に広まり、其の声を聴こうと深夜に此のチャンネルを回す人間が増えると共に、話し声は段々と明瞭になり、終いには、聴いている人々に語り掛ける様に成ったと云うではありませんか。


 其処で困ったのが当の帝都放送です。

 放送局には声についての問い合わせが殺到し、無許可で其の様な番組を話題作りの為にやっているのではないかとお国からも睨まれる始末。

 局内でも、深夜の誰もいない筈の此のラヂオブースで人影を見たという声が出始め、気味悪がった局員が次々と辞めてしまっているとのこと。


 困り果てた帝都放送は警察に相談。

 そして——マ、何だかんだで、私、鶴泉南雲の元に、真相究明の依頼が飛び込んできたという訳です。


 しかしながら、私は怪談師。

 除霊師や陰陽師じゃあございません。

 出来ることと言ったら〝話をする〟只それだけでございます。


 然らば、其の謎の声とやらと、此のラヂオの電波を通じて直接話が出来ないものか、と。

 そういった訳で私は今、この帝都放送のラヂオブースにてお話させていただいている次第でございます。


 ――さて。

 間もなく二時になります。

 噂の声の君。

 もし僕の声が届いているのなら、僕と話をしちゃあくれませんか?




 南雲が丁度、そこまで言った時。

 

 ——プッ、プッ、プッ、ポオン。


 二時を告げる、時報の音が鳴り響いた。

 途端、音楽に、ザザッ、ザザッと耳障りなノイズが混じり始める。

 やがて、大きさを増したノイズに音楽がかき消され——


「怪談師か。面白いね」


 ——ノイズの向こうから、不意に声が聞こえた。

 中性的で、男か女かもよくわからない。

 南雲に負けず、よく通る声だ。




「おや、この声は――」

「いいよ、話をしようじゃないか」


 声の主は、気取ったようでもあり、一方で投げやりでもあるような——そんな体温の低い口調で言った。

 ——既に、ノイズはすっかり止んでいる。


「現れてくれましたか」


 対する南雲は慌てることなく、和やかにそう答えた。

 まるで、こうした事には慣れっこと言わんばかりの対応だった。

 そんな南雲に、声の主が言う。


「僕もそろそろ一人で話すことに飽きていたところでね。誰かと話をしたいと思っていたんだ」

「話し相手に選んでいただき光栄です。ただ、一つだけお願いがあるのですが――」

「お願い。一体何だい」

「先程も申し上げました通り、我々怪談師は普段、目の前のお客様相手に話をしているもので、姿の見えない相手に話すというのは、どうにも慣れていないのです。申し訳ありませんが、可能であれば其の御姿、見せて戴くことは叶いませんでしょうか」

「成程ね。僕も姿を見せるのはそんなに得意ではないのだけれど―――いいよ。特別に出てきてあげる」

「有り難うございます」

「危ないから、少し離れて」


 やや間があって。

 突如、バチバチッ、と火花が爆ぜる様な音がした。

 それから、ブウン——という音が大きく響いたかと思えば、次第に小さくなっていき——


「此れでいいかい?」

「ほう、其の様な御姿でしたか」


 ——どうやら、声の主は無事、南雲の前へと顕現けんげんしたようであった。


 と、次の瞬間——バンッ、とドアが勢いよく開けられる音がした。

 誰かが、部屋の中へ入ってきたようだ。


「でかした、南雲!——遂に現れやがったな、化け物め」


 男の粗暴な声が、ラヂオの電波に乗る。

 間髪入れずに、南雲が咎めるような声で叫んだ。

 

「山田さん!」


 どうやら、乱入してきた男の名は山田というらしい。

 南雲に構わず、山田が続ける。

 

「姿が見えればこっちのモンだ。手前てめえの頭に、此の拳銃をお見舞いしてやるぜ!」


 しかし、声の主はそんな山田の言葉にも動じた様子はなく、涼しげに問い返した。


「君は警察か?ラヂオブースの外で様子を伺っていたんだね?」

 

 山田が答える前に、南雲の鋭い声が割って入る。


「お止めなさい、山田さん!今は貴方の出る幕じゃない」

五月蝿うるせえ、怪談師は引っ込んでろ。喰らえ、化け物――」


 言うや否や、バキュウン、と大きな音が室内に響いた。

 銃声だ。どうやら、本当に発砲したらしい。

 だが。


「何!?弾丸がすり抜けた、だと――」

「やれやれ、あんまり手荒な真似はしたくないんだが――」


 声の主の呟きに続き、再び、バチバチッと火花が散る音がした。

 山田の短い叫びが、それに重なる。


「ぐあっ!」

「どうする、まだ続きをやるつもりかい?」

「此の野郎――」

「山田さん、貴方はお下がりなさい。あやかし相手に拳銃は通用しない」


 南雲が再び山田に呼びかける。


「しかし――」

「僕は彼と〝話〟がしたいんだ。邪魔をしないでください」


 その声は静かながらも、逆らうことを許さない威圧感を伴っていた。

 一瞬の沈黙の後、山田はチイッと舌打ちした。


「――解ったよ。怪談師のお手並み、とくと拝聴させてもらおうか」


 苛立たしげに、バタン、とドアを閉める音が響く。

 ブース内は再び、南雲と声の主——二人だけの空間となった。 


「――私の知り合いがとんだ無礼を働き、申し訳ありません。どうか私に免じて許していただきたい」

「仕方ないさ。彼の言う通り、僕は〝化け物〟だからね」


 自虐的にそううそぶく声の主に、南雲が尋ねる。


「単刀直入にお聞きします。——貴方は何者ですか?」




「僕が何者か――それが僕にもよく分からないんだ。気が付けば、僕という意識が、電波の流れの中を揺蕩たゆたっていた。それ以前の記憶は無いんだ」


「いつの間にか、貴方という存在が発生していた、ということでしょうか」


「ああ。僕はね、どうやら自動的な存在らしい」


「自動的な存在」


「そう。真夜中、誰もがこの世界に、独りぼっちになってしまったんじゃないかと思うことってあるだろう。その孤独に寄り添う様に、僕という存在がラヂオの電波を通して浮かび上がってくるんだ。そんな〝超常的な泡〟みたいな存在――Hyperハイパー Popポップとでも言えばいいのかな」


「つまり、ラヂオの聞き手達によって、貴方という存在が召喚されている、と」


「かな。——ねえ、怪談師さん。君には僕の姿がどう見えている」


「そうですね――男性の様にも見えるし、はたまた、女性の様にも見えます」


「それもきっと、ラヂオから聞こえてくる僕の声を、男だと思う人もいれば、女だと思う人もいて、そんな聞き手達の想像が像を結んで、こんな姿を形作っているんだろうね。先刻さっき、君の友達に僕が電撃を放っただろう。あれだってそうさ。ラヂオの電波というのは、電流とはまた違うものである筈だけれど、聞いている人々がその辺りのことを混同していて、僕の事を、電気で出来たお化けの様なものだとイメエジしているんじゃないかな」


「成程、良く分かりました――貴方の言う通り、貴方はラヂオの聞き手達によって生み出された存在の様だ。始めは何てことない只のノイズを、誰かが人の声だと勘違いでもしたのでしょう。しかしそれが噂として広まり、やがてそれが、〝深夜にラヂオから語り掛けてくる声〟つまり、貴方という〝怪談〟を生み出した――そんなところでしょうか」


「僕は勘違いから生み出されたのか」


「恐らくは」


「マ、僕が何者であるかなんていうのはどうだっていいことさ。それより僕は、君に興味があるんだ」


「僕に?」


「ああ。君に、というより、君の〝怪談師〟という職業について、かな――君は、どうして怪談師なんてものをやっているんだい」


「……僕の育ての親が怪談師だったんです」


「育ての親」


「ええ。僕は孤児みなしごでしてね。怪談師をやっている女性に拾われ、育ててもらったんです」


「それはそれは」


「幼い頃の僕は酷く臆病でしてね。彼女が話す怪談を聞いて、夜一人でかわやに行けなくなる程でした」


「そんな君が、どうして怪談師に?」


「以前、彼女がこんな話を僕にしてくれました――いいかい、南雲。この世界というのは、現実と虚構、〝まこと〟と〝作り事〟によって出来ているんだ。でもね、その二つの境界はとても曖昧で、いとも容易く、作り事は真に、真は作り事に変容してしまうんだ。私たち怪談師が話す怪談は、ある側面から見れば他愛のない作り事かもしれない。しかしその中には、語るべき真が存在するんだ。私たち怪談師の役目は、その虚実を綯い交ぜのままに話すことだ。それは、この世界の有様ありようを語るということに他ならないのだからね――と」


「作り事が真に――正に僕のことだね」


「そんな彼女も、先頃亡くなってしまいました。僕は彼女の――師匠の使命を継ごうとしているのかもしれません」


「成程。この世界の有様を語る、ね。確かにそれは素晴らしい仕事だ――しかし、こう言っちゃあなんだが、怪談師なんてものは、今の世の中からすれば時代錯誤な存在だ。Radio Killed Kwaidan Star――これからの時代はラヂオのように、広く、多くの人間に聴かれるものが娯楽の中心となるだろう」


「フム――確かにそうかもしれませんね」


「それでも君は、怪談師という仕事を続けるのかい」


「無論――僕は、この生身のからだで舞台に立ち、そして、この肉声でもって、実際に眼前に居られる御客様に語りかけることで生まれる、〝レアリテ〟というものの力を信じていますから」


「Reality――真実らしさ。真と作り事の狭間という訳か」


「ええ」




 ——と、そこまで話して。

 声の主は少しの間黙り込み、そして言った。


「――怪談師さん、やはり君は嘘つきだ」

「はて。嘘など何時いつつきましたかね」

とぼけなくたっていいよ」


 怒りも焦りもせず、声の主は淡々と続ける。


「君の目的は、僕と話をすることじゃない――僕を退治することなんだろう?」

「気付かれましたか」

「ああ。少し前から躯の電気が弱まっているのを感じる――これは、君の仕業かい?」

「ええ、貴方と話すことで――いや、貴方が現れてくれた時点で、貴方の〝解体〟は始まっていました。怪談師が語るラヂオ番組、其処に貴方が現れることで、聴いている人々は我々の会話をどの様に思うでしょうか」

「きっと、脚本があって、役者が演じている、ラヂオドラマか何かだと思うだろうね」


 御明察——と南雲が答える。


「そうすることで、貴方という存在のレアリテをいでいったのです」

「成程、僕はまんまと罠に嵌まったという訳か」

「貴方に恨みは有りませんが――これも僕の仕事でしてね。依頼があった以上、遂行させていただきました」

「僕は消えるのかい?」

「ええ、間も無く」

「そうか――」


 ふう、と声の主が溜息を漏らす。


「——消えることに不思議と恐怖は無いが、少し口惜しいな」

「僕に解体されることが、ですか?」

「其れもあるが、其れよりも、僕が、偽りの存在として消されてしまうことが、かな――確かに僕は元来、虚構の存在だ。でも、確かに僕は存在し、こうして声を発している。其の事すら作り事になってしまうのかと思うとね――何とも寂しいじゃないか」

「……」

「すまない、化け物にセンチメンタルは似合わないね――有難う、最後に君と話せて楽しかったよ」


 声の主がそう呟いた、直後のことだった。


「――これは、提案なのですが」

「え?」


?」


「それは――どういう意味だい?」


 予想外の展開に、流石の声の主も、困惑気味に南雲に問い返す。


「貴方の話を、僕が語り継いでいくのです。そうすることで、貴方は、その物語の中で生き続けることになる」

「物語の中で、生き続ける――」

「如何でしょうか?」


 南雲の問いかけに対して、声の主は——


「フフフ――アハハハハ――」


 ——楽しそうに笑って答えた。


「やはり、君は面白い男だ」

「貴方は笑うと、その様な御顔をされるのですね」

「何だい、Hyper Popは笑わない、とでも思ったのかい?」

「いえ、素敵な笑顔です」

「フフ——いいよ、君の怪談になってあげる」


 その代わり——と、悪戯っぽい口調で、声の主が続ける。


「一つ、条件がある」

「条件?」

「僕に、名前を付けてくれないか」

「名前、ですか」

「僕が存在するという、その証になるものが欲しいんだ。何か良い名前を考えてくれないかな」

「そうですね、でしたら――」


 少しだけ間を置いた後、南雲はその名を口にした。


「——なぎさ、という名前は如何でしょうか」

「渚」

「ええ。ラヂオのノイズの、ザザザ、という音が、渚に打ち寄せる、波の音に似ていると思いましてね」


 成程、と声の主が——渚が呟く。


「虚構の海と、現実の陸、その狭間の存在、という意味にも取れるね――良い名前だ」

「気に入っていただけましたか?」

「ああ。宜しくね、鶴泉南雲」

「はい、渚さん」


 南雲がそう答えると、ザザザ、とラヂオにノイズが走り——すぐに、静かになった。

 少しの間を置いて、音楽が流れ始める。

 先程の不吉でおどろおどろしいものとは異なる、優雅で優しい旋律だ。

 

「さて——そろそろこの放送も終わりの時間です。この放送の内容が嘘か真か——それは、お聞きの皆様のご想像にお任せいたします」


 音楽にのせて、とぼけた口調で南雲が言う。


「それでは、お聞き頂き有難うございました。お送りしたのは、私、怪談師の鶴泉南雲でした――」


 その挨拶を最後に、声は途絶え。

 やがて、静かに流れる音楽も、徐々に、徐々に、再び聴こえ始めたノイズの波にさらわれていった。




ザザァ——


ザザァ——ザザァ——


ザザァ——ザザァ——ザザァ——……


 

 

 

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