生まれ変わってもまた君と恋をしたい。

皆同娯楽

第1話

「前からあなたのことが好きでした。どうかわたしと付き合ってください」


 体育祭が終わった次の日。

 生まれて初めて女の子に告白された。


 違うクラスだけど同じ学年の子。

 とはいえ、会ったのは中学で三年間毎年やった体育祭委員の仕事の時のだけ。

 少しだけ一緒に業務をこなしたり、事務的な会話をした程度の仲だったから、今回告白されたのには驚きしかない。


 つまり僕は好意を持つ持たない以前に、この子のことをよく知らないというのが正直なところだ。


 というかそもそも自分でも思うけど、年頃の男にしては異性に対する興味があまりない。

 それは別に男が好きとかではなく、単純に自分は人と話すのが得意な方ではないから女の子と関わることも関わってきたこともほとんどなかったからだと思う。

 だからこの子可愛いなーと思うことがあっても、そもそも女子を好きだと感じたことがなかった。


 でも真面目で一生懸命委員の仕事をするあなたに惚れたと言われて。自分自身を評価してくれたことは嬉しかった。

 この子のこと自体はあまりよく知らないけど。少し一緒にやっただけだけども、この子も真面目で良い人そうなのはなんとなく伝わった。

 

 それに横で握りしめる拳が震えているのが分かる。

 緊張がひどいのに、相当勇気を振り絞ってくれてるんだな、と伝わってくる。

 応えてあげたいと思った。


 それに女の子と付き合うこと自体に興味はなかったけど、周りは付き合うカップルもどんどん増えつつある。友達も彼女を作って正直焦りを感じていた。

 断る理由もないし、付き合ってみるのもありかもしれない。


 僕はオッケーを出した。


 彼女は良かったーと言って、安堵の息を吐きながら顔を手で覆った。


 初デートは散々だった。

 女の子の好きそうな場所もものも分からない。気を利かせてあげることもできないし、面白い話もしてあげられないから話も続かない。


 この真夏の中、僕が行きたい場所を選んだらネットカフェになってしまうから、それはさすがに初デートではなしだろと理解出来たのは自分でもまだ褒められる点? で、結果的に行くべきところも行きたいところも思い付かず、全て彼女がエスコートしてくれた。


 ショッピングモールを見て回って、疲れた頃に中にあるカフェに。その間、彼女が話しかけてくれて必死になって返してたつもりだけど、盛り上がらなくて自然消滅する。それが繰り返されていた。


 カフェでも同じ。

 女子と付き合うってこんな神経すり減らすのか。世の男たちは俺よりもっと気を使って、一々話すことを考えて。そんな疲れる所業を定期的に行っているのか。

 ……きつくね?

 でもそんな中、普段あまりこういうところには来ない上にコーヒーも飲まない僕はせっかくのカフェに背伸びしてアイスコーヒーを頼んだ。しかし無謀にも砂糖もミルクもなしで飲んでその苦さにうげっと奇妙な声を上げてしまった。

 それを見た彼女が、今までのようにどこか無理して作った笑顔ではなく心から笑ってくれたと分かる笑顔を見せてくれた時は心の底からホッとした。

 そこからはまだ最初よりは柔らかく話せた気がする。

 帰り際、「また、どっか一緒に行こうね」と言われた時はそんな疲れは全て吹き飛んだ。

 「次は僕も行きたいとこ考えとくね」と言うと、彼女はうん! っと強く言葉を返しブンブンと手を振ってきてくれたから、僕も小さく手を横に振って返した。


 僕たちは同じ高校に通うことになった。

 お互い付き合い始めたばかりの時はまだ志望校が決まっていなかったけど、僕が先に決めた時彼女はまだ決めかねていたから、僕と一緒に通いたいと同じ高校に進むことになった。

 一回も同じクラスになることはなかったけど、それでも学校内でも休日でも小まめに彼女が誘ってくれたから、彼女との思い出を多く作れた気がする。

 二人とも部活はやらなかったし、皆でバカやったりとか、卒業式に感動で涙流すなんてこともなかったけど。

 彼女と二人でまたカフェ行ったり、ネカフェ行ったり、カラオケ行ったり、公園でただベンチに座ってひたすら喋ったり、自転車に二人乗りして海まで夕焼けが沈む水平線を見に行ったり。


 そうじゃなくても普段から彼女はいつも、どんな些細なことでも笑ってくれて。それが僕も嬉しくて、楽しくて。

 僕らの中では充分すぎる程の青春を過ごすことができた。


 大学も同じ大学に通った。

 どちらからともなく、自然と同じ大学に行く流れとなった。 


 講義終了後や休日など、今まで通り定期的に会うことは変わらないけど、僕たち二人ともバイトを始めた。

 合間で僕が免許を取得して、溜めてたお金で車を買って、今までより大きく行動範囲が広がった。

 といっても、まだ学生なことには変わりはない。金銭的余裕はそれほどなくて旅行はそんなに出来なかったけど、でもたまのドライブ旅行や飛行機での旅行も良い思い出になった。


 そんな大学生活も佳境に差し掛かった四年生の春。


 去年から就職活動は始まっていたけど中々決めきれなかった僕の中で。徐々に興味を寄せていた県外の大手企業に就職したいという想いが強くなっていた。

 でも悩んでいた。不安もある。遠く離れたところにある会社なのだから。

 それを彼女に打ち明けた。

 じゃあわたしもそこを受けるよと彼女は言った。

 予想していた。いくつか考えたパターンの中で一番可能性が高いと思っていた反応だった。

 もう内定決まってるじゃん。

 そこは申し訳ないけど、でも一緒に着いて行きたいから。

 大手企業だから大変だよ? 

 一緒なら頑張れるよ。だから一緒に暮らさない?

 一緒に?

 ……迷惑?

 うんうん、そんなことないよ。

 ——そんなことない?

 あっ、いや全然。ていうか、心強いよ。

 まだ不満足そうな彼女だったけどそこは見逃してくれた。


 いつも笑顔の彼女もたまに僕の発言に納得行かない表情を見せる時がある。

 多分僕の言葉のセレクトが悪いというのは察している。でも嘘ではないし、ふと出た言葉だからな……と瞬間思ってしまう。

 でも振り返るとすぐ分かる。

 多分今のは、迷惑なんかじゃない、一緒にいて欲しいって言えば良かったんだろう。


 一緒に暮らそうと彼女に言ってもらえて、大分不安が消えた今の心をそのまま言えばそういうことになるんだけど、それがパッと口から出るほど気の利く男じゃないからそこは申し訳ないと思う。


 そのまま彼女も同じ会社への就職目指して頑張ろうと話した矢先、少ししてから彼女の母親が病気で倒れた。膵臓ガンだった。

 彼女はよく家族の話をしていた。親との何気ない会話とかをほんとうに楽しそうに話す。

 本当に家族が好きなんだなっと伝わってきた。

 転移は多分ない。難しい手術という訳でもない。でも治ってもまたいつ再発するかも分からない。病気の母を置いて遠くには行けない。

 ただ僕と約束していた。一緒に行くと決めていた。それに多分彼女は僕といたいと思ってくれているんだろう。


 だから。


 彼女は言わないけど。それで悩んでることぐらい分からないほどバカなつもりはない。

 だから。

 まだ前決まった会社断ってなかったよね? お互い別の会社に行くことにしない?

 えっ、と彼女は驚いた表情を見せた。

 電話を頻繁にしよう。今はリモートで話せるから毎日会って話せるようなもんだ。それに地元に帰れる時は帰るよ。

 そう言った。

 彼女の目は潤んでいた。


「でもその会社やめない限りは完全にはこっちに戻ってこないんでしょ?」


「そうだね」


「そんなの嫌だよ。あなたは嫌じゃないの?」


 想像する。今みでみたいに頻繁に会うことが出来ない。ずっと彼女といて僕は心から━━。


「嫌だよ」


 その言葉ははっきり言った。


「なら、なんでそんなこと言うの?」


「ごめんね。僕だって離れたくないよ。嫌だけど、でも君がすごく悩んでいるから。僕は君にお母さんと一緒にいてあげて欲しいんだ」


 多分言われなくたって僕の意図を彼女は分かってくれていたはずだ。だから、彼女は黙ってしまった。


「今は少し離れることになっちゃうけど、でもいずれは一緒に暮らそう」


「……ねえ、わたしのこと好き?」


 と聞かれた。

 不意の質問にとっさに当然だろ、と答えた。


「そう……だよね」


 彼女はもの寂しそうに言った。

 ああ、ほんとなにやってんだ。また僕は間違えた。

 今ははっきり好きだと言うべきだったんだ。

 そういえば。

 一度も僕から言ったことなかったんじゃないかな。


「浮気しないでよね」


「なに言ってんだ、当然だろ」


 そこははっきり言うくせに。

 まだ間に合ったはずなのに。

 肝心なことに限って、いまだに僕は口にすることが出来ていない。


 就職試験に合格した。

 あとはあっという間に大学生活は終わりを告げ、新居、新天地での社会人生活が始まった。


 今までとまるで違う生活。洗濯、料理。全て自分でやることの大変さを知り、親のありがたみを余計感じた。

 まあただ共同生活からの一人暮らしになって解放感を感じたりはする。元々あまり多く人と関わりを持つタイプではないから、一人になって気楽だと思う部分もある。


 でも料理で野菜を切っている時や、テレビを見ている時。リビングでただケータイをいじっている時や今まで言っていたただいまを言わなくて良いんだと再認識した時など、ほんとにふとした時。寂しいな、と感じる時がある。

 ほんとは二人で過ごしてたかもなんだよな……。

 電話はするし、メッセージも交換するけど。

 今まではほぼ毎日顔を合わせて。毎週のように遊んできたから。

 会えないって結構寂しいんだな、っというのを初めて知った。

 仕事は始めの内は軽い雑務程度で定時帰宅出来ていた。

 だけど時間が経つ内に業務も残業も増えていき、今はもはや残業じゃない方が珍しく、遅い時は日を跨ぐこともあった。


 彼女との電話も最初は二時間程だったのが、一時間、三十分とどんどん短くなっていき、こっちに来てから二年経った今では電話をしない日もザラになってきた。


 そんな中だった。

 彼女から夕方電話があったのに、仕事に追われて気付くのが遅れた。 


 何回かかかってきていたけど、気付いたのが夜遅くでもあったし、今までも仕事の愚痴などで話したいことがある時に僕が出られず何回かかかってきたこともいくらかあった。かけた方が良いとは思いつつ、疲れによる眠気からいつの間にか眠ってしまった。次の日に起きてからすぐかけた。

 電話に出た彼女は泣いていた。

 お母さんが急に倒れて今危険な状態になったらしい。


 なんで昨日出なかったのと怒られた。

 ごめん、仕事が忙しくて、としか言えなかった。

 でも昨日の内にかけられた。なんで昨日かけなかったんだと内心で自分を責める。

 寝ぼけてた目なんかとっくに覚醒していた。

 僕も当然お母さんには何度も会って、その度に良くしてもらった。


 お母さんも僕のことを度々気にかけてくれてたらしい。だから会いに来てもらえない? と聞かれた。

 僕もまた会いたい。

 それに彼女が悲しんでいる。

 今すぐに駆けつけたかった。

 でも、どうしても今日中に仕上げなければいけない仕事があった。休む訳にはいかなかった。


 僕も行く。行けるとして、早くて明日の昼以降になると思うと告げた。

 そう、なんだと、涙でつっかえながら、彼女は言った。

 ごめんね。

 うんうん、忙しいのに私の方がごめんね。


 聞き慣れない彼女の涙声に後ろ髪引かれながら、電話を切った。

 その日の夜、お母さんは亡くなった。

 間に合わなかった。

 着いた時にはもう遺体が運ばれた後だった。

 僕は通夜式にだけでも出ることも出来ずに戻っていった。


 二週間経ってから、僕から電話をかけた。

 珍しいねと言われた。続けてこの間はありがとうねとお礼も。


「大丈夫?」


「もう大丈夫だよ」


 取り繕うとしているのは伝わってくるけど、声に元気がないのを隠し切れていない。当たり前か。まだ、二週間だ。

 でもだから。僕は今一緒に住まないかと聞いた。少し意外そうにえっと聞き返した彼女は、でもすぐに、


「戻ってきてくれるの?」


 と聞いてきた。


「ごめん、戻ることは出来ないからもし良いなら来てもらうことになる」


「そっか……」


 更にトーンが落ちた声。しばらく音が消える。沈黙。


 少ししてから彼女は、ありがとう、少し考えさせて。そう言って、僕は分かったと答えて電話を切った。

 数日後、彼女から電話がかかってきた。


 お父さんを一人で置いていけないし、仕事でも最近少しずつ責任ある仕事任され始めてるんだ。

 だからせっかく言ってくれたのに、ごめんね。

 そっか、分かった。

 僕はそれだけ言った。

 結婚の二文字だって頭に浮かんでいた。

 でも僕には僕の事情があるように彼女には彼女の事情がある。だから仕方ないことだ。

 それでももし。僕がもっと一緒にいたいと強く言ったらなにか変わっていたのだろうか。


 更に時は流れて、もうこっちに来て四年になっていた。

 お互い仕事の忙しさも徐々に増して頻度は前に比べて大分減ってしまってはいるけど、相変わらず電話は定期的にしている。

 これも相変わらずだけどほとんどかま彼女の方からかけてくれる。それでもたまには僕からも電話したいと言う時だってあった。

 でもどちらからにしろ今までは夜遅くに電話することはなかったのに、その日は夜十時に電話が鳴った。

 出た。

 どこかで聞き覚えのある男の人の声が僕の名前を呼んだ。少しケータイを離して名前を見るけど、やっぱり彼女のケータイからかかってきている。

 ねっとりとした嫌な汗が流れた。

 電話の相手は彼女の父親だった。

 さっき彼女が車に轢かれて今集中治療室で手術を受けていると、震える声で教えてくれた。

 信じられなかった。信じたくなかった。嘘なんじゃないかと考えた。でもそんな訳ないと現実が希望を打ち砕く。


 目の前が一瞬真っ暗になった。


 物理的に衝撃を受けた訳じゃないのに、頭がクラクラして平衡感覚を失った錯覚に陥る。

 お母さんが危ないということを彼女が電話してくれた時も動揺したけど、今回は立つのも覚束ないくらいに衝撃を受けた。

 その日寝ることができなかった。それどころではなかった。

 準備をして次の日、急で申し訳なかったけど、会社に電話で事情を話してすぐに地元に向かった。


 お父さんにはなにかあったらまた電話お願いしますとお願いしていたから向かう道中で、手術は終わって一命は取り留めたと連絡をもらった。

 ホッと胸を撫でおろした。直後、でも、と言葉を続けた。


 病院に着いた。

 本来家族以外は許されないけど、お父さんに許可を取ってもらって僕も会えることになった。

 集中治療室に看護婦さんが案内してくれた。

 扉が開く。瞬間、さっきのお父さんの電話での言葉を思い出した。


 ――でも、麻痺が残って歩けないかもしれないらしい。


 そんなことある訳ないとブンブンと軽く頭を横に振って進んだ。

 酸素マスクを付けた彼女がいた。

 名前を呼びかけても彼女に反応はない。


 ぽとっ、ぽとっと涙がこぼれおちた。腕で目元を拭う。止まらない。

 なんで、なんで彼女がこんな目に……。


「わざわざ来てくれたんだ、ごめんね、ありがとうね」


 彼女と話せたのは三日後だった。

 病室に行くや否や、顔が合い先に彼女が言葉を発した。いつも通りの笑顔で。

 もう既にお父さんから聞いていた。

 言われていた通りに彼女の下半身には麻痺が残った。下半身不随。もう二度と彼女が自分の力のみで歩くことはない。


 なのに、なんで笑顔でそんなことを言えるんだ。

 来てくれて、会えて本当に嬉しいよ。

 それも笑顔のまま言った。

 ああ、ダメだ……。


 涙が涙を押し出して決壊するダムのようにあふれだした。

 彼女の方がつらいのに。だから僕が泣くわけにはいかないと決めていたのに。

 こらえきれなかった。


「ごめん、ごめんね。こんなことになってつらい思いさせてごめんね……」


 笑顔は壊れて、彼女の目からも涙がとめどなくあふれていく。


「なんで謝んのさ。僕なんかより君の方がつらいのに。僕こそ泣いてごめん」


 二人でしばらく泣き合った。

 泣き止んでから彼女が聞いてきた。


「いつまでいるの?」


「とりあえず一週間は休み取ってる」

「ほんと!? でもとりあえず?」


「状況によってはもっとかな」


「そうなんだ!」


 普段の彼女にしては全然だけど。それでもこんな状況で少しでも声を弾ませてくれたのが、嬉しくて切なくなった。


「あとさ、外出の許可出たらちょっと行きたいところがあるんだ」


 結局僕は残って、外出許可は二週間後に出た。

 少し歩くけど、と言うと大丈夫と言ってくれたので僕が車いすを押しながらゆっくり進んでいく。

 やっと見えてきた。高校生と大学生の時によく二人で来た海だ。

 いつも見てきた太陽が海に隠れる夕暮れ時。その時間に合わせて来ることが出来た。


 階段の隣にあるスロープで砂浜まで降りて、大分海に近付いた。喧噪と仕事の濃度に忙殺され、こんな落ち着くのは随分久しぶりな気がした。波の音も心地良かった。


「久しぶりだね」


「そうだろ? これが見たくてさ」

 

 ただ、それだけじゃない。

 彼女の背後から前に移動して、片膝を立ててしゃがむ。

 そのままポケットから握り拳大の小さい箱を取り出して、両手で彼女の前に差し出して箱を開いた。


「僕と結婚してください」


 全く予想なんてしてなかったって顔だ。分かりやすいほど単純に彼女は驚いている。

 そして目から滴り落ちた雫が、彼女の白いワンピースの上に落ちた。濡れた跡は拡大していく。


「……なんで? なんで、なんで? だって……いつ見限られるんだろうってずっと思ってた……。わたしから離れていっちゃうんじゃないかってずっと怖かった」


「そんなことあるわけないだろ」


「……これからも迷惑かけ続けると思うよ。大変な想いするかもしれないよ」


「どうだろうな」


「もうちょっとちゃんと考えてよ。わたしがこないだ事故にあって可哀想だから言ってるんでしょ? しなきゃ行けないって義務感でしょ?」


「義務感では僕は言えないと思うよ」


 なんで、なんで……。そう彼女は言い続ける。やがて止まった。


「……ほんとにこんなわたしなんかで良いの?」


「違うよ。こんなわたしなんかじゃない。そんな君だから一緒にいたいんだ。だから自分を否定ばかりしないでよ」


 目の前の彼女が目を見開く。いつだって君は僕のことばかりだ。


「今までもずっと好きで、これからもずっと君を愛してる。だから、僕と結婚してください」


 ずっと自分から好きの二文字も言えなくて。言葉を間違えて、想ったことを伝えきれなくて。

 でも今のははっきり心の底から伝えられた。

 未だ目の前の彼女は涙が止んでいないけど。今まで僕が見てきた心安らぐ彼女の笑顔より一層強い笑顔で。

 だから、今回はよくやったと心から自分を褒めてやる。


「ありがとう……。よろしくお願いします」


 やったーとか心の中では相当騒いでいるけど、現実の僕はただ見つめ合って、無言で彼女を抱きしめた。

 その後離れた瞬間、視線の先。ワンピースの膝部分の浸水がすごいことになっていた。

気が利かなくてごめんと言ってから慌ててポケットを探すけどもティッシュもハンカチもない。

 なにやってんのさと言いながら、心の底からだと分かるくらいお腹から彼女は笑ってくれて。

 そしたら、これで大丈夫だよ、って彼女が僕の右手を引っ張って指で自分の目を拭った。

 どうやら僕はまだまだそこら辺はもうちょっと勉強していかなければいけないみたいだ。


 戻ってきている時に既に仕事は探していた。

 だから向こうの仕事をやめて、こっちに戻って仕事を始めた。


 彼女は行きたくて行ったのに本当に良いの? と気にしてたけど、別に嫌ではなかった。まあ名残惜しさがないかと言えばそんなことはないけど……。

 それに色々な面で助かったり助けてもらった部分は多かったけど、仕事は激務ではあったし。中々自分の時間が取れなかったし。

 その分今度は時間を僕たち二人の為に使っていきたい。


 一年が経ってから新たに家を建てた。それまで妻の家でお父さんと三人で過ごしていたけど、これからは僕たち二人でこの新居で生活していく。


 玄関にスロープを使用したり、風呂などに手すりを付けたり、車椅子でも生活しやすいように色々な工夫のある設計にした。

 今まで結構不便を感じていた部分もあったみたいだから、大分マシになるんじゃないかと思う。


 今まで長い時間二人で過ごしてきたけど、初めて二人で住むとなるとどこかこそばゆかった。

 なんていうのも数日経てばなくなったけど。

 妻は在宅で出来る事務業務を、僕は市役所で働き始めた。

 前の職場と違って残業が少ないから、妻との時間を多く取れた。

 家にこもりっぱなしになってしまう妻に度々外に出てもらおうと散歩した。


 楽しかった。充分すぎる程だった。当然喧嘩する時だってあるし、僕も妻も気分が落ちてしまう日というのはある。それでもはっきり幸せだと言い切れる。

 でもある時妻が言った。


「色々大変かもしれないけど、わたし子どもが欲しい!」


 不安だった。大丈夫なのだろうかと考えてしまった。でもそんなの妻の方が思ってるはずだ。

 それに、想像してしまった。今でも充分なのにそれ以上の幸せ。僕も欲しいと思った。


 分かった、作ろう。


 色々調べた。様々な人の力を借りた。

 子どもが出来て、そして無事産まれてきてくれた。

 女の子だった。

 とても小さくて、少しの衝撃で壊れてしまいそうで。でも力強く泣いていた。産まれてきてくれてありがとうと、二人で言った。


 二人が三人になって。


 生活は一変する。当然子ども中心になる。僕も、もちろん妻も初めての子育てに戸惑いはしたけど、日々成長する我が子を見ながら笑顔が絶えなかった。

 初めて寝返りを打った日。初めて立った日。初めてパパと呼んでくれた日。きっと僕も妻も一つ一つ心に刻んで忘れることはないだろう。もちろんケータイで動画も撮っているけど。

 幸せだった。


 あっという間に小学校、中学校、高校と上がっていって、気付けば子どもももう二十五歳になっていた。

 結婚を決めた相手を連れてきて、その年結婚した。

 次の年には出産もした。

 娘は夫と住むために家を出ていってしまったけど、また家族が増えて、幸せも増した。

 

 でも突然に。

 孫が五歳になった年だった。

 妻のガンが発覚した。膵臓ガン。妻のお母さんと同じ病気。


 ショックだった。


 でも幸いなことに転移はないと言われた。手術で取り除いた。それからは何事もなくまた幸せな生活を送っていた。


 ——はずだった。 


 二年後、膵臓に再発が見られた。リンパ節にも転移が見られた。余命は一年です、と医者にはっきり言われた。

 妻と二人で宣告され、硬い鈍器で頭を思いっきり叩かれるような衝撃に陥って正直細かい部分はあまり覚えていない。

 いや。それだけではない。どこかでそんな訳ないと、抗うように聞きたくないと思っていた自分がいた。

 妻は受け入れているようにただ無表情で聞いていた。


 妻は入院して、帰り道。付き添いで来てくれて、今は車の助手席に座る娘にその話をした。

 娘は思いっきり泣いた。家に着くまで、着いてからもずっと泣いていた。

 僕は泣いちゃいけないと思っていた。


 でも奥にある昔使っていた自分の部屋にこもって泣き続ける娘の声を聞くのがいたたまれなくなって、トイレに逃げた。

 一人になると堪えきれなかった。涙と共に声が漏れる。抑えきれない。大きくなる。もう抑えようとすることをやめた。娘の部屋までは届かないことを願って。


 妻がいなくなる……? あと一年で? 治ったんじゃなかったのか? なんでそのまま何事もなく終わってくれないんだ。


 なんでいつも妻ばかり……。


 妻がいなくなる未来を想像し、恐怖を覚える。

 僕が背負ってあけられれば。何度もよぎる言葉。

 意味がないのは分かっている。それでも考えずにはいれなかった。

 妻は、僕といて本当に幸せだったのだろうか。

 

「色々出かけたいな」


 一年以上過ぎ、また夏を妻と迎えることが出来たそんな時期に妻が言った。

 日々妻は衰弱してやつれていく。

行かせてあげたい。だけど、許可が下りるか分からない。

 行けると良いね。それだけ言って、担当の先生に聞いてみた。


「正直いつ悪化してもおかしくありません。今回の外出がひょっとしたら最後の思い出になってしまうかもしれません。だから少し打ち合わせが必要になってしまいますが、なるべく叶える方向で持っていって全力でサポートさせていただきたいと思います」


 ありがとうございますと大きく声が出た。

 お願いします。言う声が震えた。

 どんどん終わりが近づいている……。


 もう妻と一緒にいれる時間は長くない。


 感じていたはずなのに、それを改めて突きつけられて、感情がグチャグチャになって暴れ出す。

 もっと一緒にいたい。

 自然と口から言葉が出てきた。

「あの、妻の最期を家で迎えさせてあげることは出来ないでしょうか?」


 許可は下りた。ありがたいことに家でまでサポートをしていただきながら、妻の自宅療養も許された。

 だから、随分久しぶりに妻と二人で外出をした。

 まずは始まりの中学校。


「ここでわたしから告白したのよね。懐かしい……」


「そうだったな」


「正直オッケーもらえると思ってなかったから驚いたわ」


「僕も告白されて驚いたよ」


 思い出しながら二人で笑い出す。


 一年生の時、誰もやりたがらないからくじ引きで決まった体育祭委員をやることになって。三年間担任が同じだったから流れで三年ともやることになって。

 どうせやるからにはと一生懸命頑張って。その姿を見てくれていた妻が僕を好きになってくれて今があるんだよな、と運命めいたものを改めて感じた。


 今だけじゃなくて、時々ふとした時に二人の始まりのあの時のことを思い出す。


 あの時妻が告白してくれたことで関係が始まった。

 でも正直あの時の僕は別に妻に恋愛感情なんてなくて、ただ単に興味本位で付き合った。

 今思えば青いな、と自嘲してしまう。

 同時にあの時から随分変わったよな、とも思う。


 街中を車で走っていると、もはやもう無くなってしまったショッピングモールの後に建った映画館を観て、二人でよく行ったカフェのことも思い出して妻と話した。


 あのカフェは初デートの時も行ったな。会話なんて全然続かなくて女子と付き合うのがこれ程大変だとはと痛感させられた。

 なのに今、年老いてもその時一緒にいた人が隣にいてくれている。

 そんな苦い思い出もあったあの場所ももう無くなって。戻ることのない時間がただひたすらに恋しく感じた。

 

 高校にも行った。大学にも行った。

 思い出したバカ話を言いあいながら笑いあって。

 いつも一緒にいたな、と改めて認識した。

 

 最後に海に着いた。

 丁度夕暮れで、沈む夕日を海が半分に切断している。


「ほんと綺麗な夕日」


 今日はここ最近では以前より見る機会が減ってしまっていた妻の笑顔を多く見ることが出来た。

 だけど、今見せてくれた笑顔はそのどれよりも嬉しそうに見えた。


「おんなじような夕日を見ながらあなた、わたしにプロポーズしてくれたわね」


「……そうだな」


 想い出す。

 幸せな気持ちもあるのだけども、少し小っ恥ずかしい。


「あなた、わたしの告白にビックリしたって言ったけど、その時のわたしの方が驚いたんだからね」


「そうだったんだな」


 二人とも笑いがこぼれる。

 あの時から僕たちは家族になった。

 そして家族は僕たち以外にも出来た。


 家に帰った。

 ずっと一緒に過ごしてきたその場所で、久しぶりに妻と幸せな時間を過ごしていく。


 子どもと孫の話に華が咲いた。 


 最近は孫が野球をやりたいと言うから、娘が必要な道具を集めるのにお金がかかって大変だと言っていたという話をしたら、それは買ってあげないとね、とニコニコと妻が嬉しそうに言った。

 娘が産まれて、大人になるまでずっと過ごして、今じゃその娘が産んだ孫ももう小学生になって。

 ほんとうにあっという間だったな。


「ほんとうにあっという間だったわね……」


 一瞬、心を読まれたのかと思って驚いた。

 視線を戻すと、妻が優しい眼差しで僕を見ていた。

 でも突然。妻が激しく咳き込んだ。

 僕は急いで用意していた医療用ベッドに運んで寝かせた。

 しばらくしてからようやく落ち着いた。

 ただ静かに見守る時間が流れる。

 離れたくなかった。


「あっという間に……」


 突然妻が再び喋り出した。


「時間がすぎるくらい……幸せで。あなたとずっといれて良かった。……今日はそれをまた感じることが出来て嬉しかった……」


 途中で詰まりながら彼女が言った。それからベッドの背もたれを少し上げて上体を起こした。

 聞こえてくる声はまだ少し掠れて大変そうなのに、その顔はとても穏やかで。嘘なんかじゃないとずっと一緒にいる僕が分からない訳がない。 


「僕といて幸せ、だったの……?」


「うん」


 ああ、ダメだ。

 すぐに涙があふれてきた。


「本当にかい? 本当に幸せだった? 僕と付き合っていなければひょっとしたら君はもっと別の生活が出来たかもしれないのに。君が辛い時にたまたま彼氏としていたのが僕で、僕に頼らざるを得なくて仕方なく僕に頼ることになって。でも一緒にいるのが僕なんかで良いのかってどこかでずっと思ってた……」


「僕なんかじゃない。そんなあなただからずっと一緒にいたいと思ったの」


妻は言いながら、微笑みかけてくれた。 

 思い出される。その言葉は以前自分が言った━━。


「仕方なくなんて思ったこと一度もない。ずっと幸せだった。それにわたしがこうなったのにあなたは関係ないわ」


 変わらず優しい口調で妻は続ける。


「わたしはあなたと付き合っていなければ良かったなんてちっとも思ったことない。こんな体になっても、病気になっても、幸せだった。あなたがいたから幸せだった。だから、そんな勝手な想像で自分を責めないで」


 僕を見る彼女の目からも涙があふれている。必死に想いを伝えてくれている。

 妻も、同じことを思ってくれていたんだ。

 ただ妻は運が悪かったで済ませて良いのかと、自分を責めて。

 もっと楽しませてあげることが出来たんじゃないかと、悔いてきて。

 もっと別の人生を過ごしたかったと妻の口から聞くのが怖くて触れないようにしてきた。

 でもずっと幸せ、だと思ってくれてたんだ。良かった……。


「でもね……」


 妻は俯いて声のトーンが落ちた。


「わたしは、わたしの方はずっと……ずっとあなたに迷惑をかけてきてしまった。わたしといたせいで、我慢させたこといっぱいあるでしょ? あなたの方こそわたしのいない方が幸せだったのかな……?」


「なに言ってるんだ、そんな訳ないだろ」


「ほんとうにこんな体になってごめんなさい。世話させてばっかりでごめんなさい。迷惑ばかりかける面倒くさい女でごめんね……」


 ごめん……ほんとにごめんね……。そう何度も妻は口にする。

 アスファルトに落ちた雨のように、ポツポツと服に涙が落ちていく。それが重なって浸みて範囲を広げていく。

 それを見て僕も溢れる涙の量が増していく。

 ずっとそんなこと想っていたのか。僕なんかよりずっと妻の方が罪の意識に苛まれていたんだ。背負わせていたんだ……。

 あー、ほんと同じことを考えるな。僕も全く同じことを思うよ。


「さっき君が幸せだったと言ってくれた時僕は本当に嬉しかった。だって僕も幸せだったから。同じ気持ちだったんだって知ることが出来たから」


 妻が顔を上げる。


「だから今度は僕が言うよ。お願いだから、自分を責めないで」


 更に声を強めて妻が泣く。


「大好きな君とずっといれて、これほど幸せな人生はなかったよ。いや……ら。生まれ変わってもまた僕は君と一緒になりたい。絶対なる。君をずっと……ずっと愛してる」


「わたしも同じ……。あなたのことが好き。これまでも、これからも……ずっと、ずっと愛してます」


 二人で涙を流しながら抱き合って、涙が収まってから離れると彼女はすぐに眠りに着いた。


 その数日後。

 子どもや孫などが見守る中で妻は眠るように息を引き取った。

 その顔はとても穏やかで幸せそうだった。

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