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「そういえばさ」



 あたしの問いかけに、暑さにうんざりした様子の丈が「うーん」と気だるい返事をした。あたしだってうんざりしてるし、なんなら家でそうしているみたいにラフな格好になりたいけど、最後にひとつまみ残った理性がそれをとどめている。


 腰を浮かせ、四つん這いになりながら、窓のところに座る丈のほうを見上げた。



「丈、こないだ陽葵に告白されたって言ってたっしょ」

「あー、断ったけどね」

「そんとき、好きな人いるから、って理由にしたんだよね?」

「まあ本当の理由は単純に『好きになれないから』だけど、そんなん直接言ったら可哀想だしな」



 よかった。本当に陽葵へそんなこと言ってたら、さすがのあたしも弁護しようがなかった。


 丈のことも、自分自身のことも。


 そのまま、静かに訊いた。



「ねえ。――あんたの好きな人って、本当にいないの?」



 丈はなんのリアクションも返さなかった。ププーッ、と遠くのほうから車のクラクションの音が響く。


 それが鳴り終わって数秒経った頃、やっと丈がゆっくり口を開いた。



「まあ……実際はいるかな。今は」



 ずん、と胸の鼓動が強くなった。この感覚は、レジでお金が足りないことに気づいたとか、めっちゃ怖い教科担任の授業で宿題を忘れたとか、そんなチャチなものとは違う。


 興奮だ。


 好きなアーティストの新曲初解禁の音源を耳にしたとき。これだけは当たってほしいと願いながら応募した懸賞に当たったとき。この問題なら答えられるな……と思っていたタイミングで教師に当てられたとき。

 狙い通りに獲物を自分のテリトリーまで導けたと分かった瞬間。


 夏休みに入ってから続けてきたあたしの研究は、いまこの瞬間、大きく前進した。しかし結論づけるには、まだ肝心なデータが足りていない。

 焦ってはいけない。ひとつの間違いで、全てがパーになってしまう。もっとも、パーになったとすれば、あたしも落ち着きや理性などかなぐり捨てて、なんとしても結果を手に入れようとするだろうけど。


 四つん這いをやめたあたしは、その場にぺたんと座り込む。淡白な声をつくりながら、言った。



「へえ。あっそう」

「なんだよ、訊いてきたくせにリアクション薄いな」



 不満そうな面持ちで丈が言う。



「なんか他に感想ないのかよ」

「別に。いるんだー、と思って。ふーん、そっかそっか。頑張れよ青少年」



 敢えて軽い調子であしらった。あたしゃ何も知りませんので、と言わんばかりに、また漫画本をひったくって、適当なページに視線を落とす。目に入ってくるのはコマ割りの線だけで、キャラも台詞もあったもんじゃない。全部ぼやけている。


 それどころじゃない。

 なんならこの漫画本を放り投げて叫びたい。



 

 言え。言っちゃえ。洗いざらい吐いてしまえ。


 その「好きな人」って誰のことなのか、言っちゃえ。


 そこで誰の名前が紡がれようと、あたしはきっと泣いてしまうと思うけど。

 いずれにしても、あんたはきっと、あたしを慰めてくれるでしょ。


 

 あたしの自由研究。

 この夏休みの間で、自分がずっと幼馴染に抱いていた感情が、どのように変容したか。

 それが相手の心に、どんな影響を及ぼしたのか。



 学校には絶対出せないけれど、代わりに、いつか直接こいつへ提出しようと思う。たとえ、この先に導かれる結果がどうであろうとも。


 その時に、丈はどんな顔色をするだろうか。



 今年の夏休みはもう、いつ終わってもかまわないな。

 宿題も終わったし。



 丈は何も言わず、もとい言えず、という表情のままで窓の外を見ていた。






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自由研究 西野 夏葉 @natsuha

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