Day.29『焦がす』

 閉館時間が過ぎた直後。

 誰もいなくなった図書館の扉が、ゆっくりと開いた。

 夕暮れの穏やかな光を背に浴びているせいで、顔が影になって表情はよく見えないが、その声と立ち姿は、愛衣にも覚えがあった。


「こんにちは。愛衣さん」

「あ……来夢くんの叔父様」

「またお会いできて光栄です」


「えぇ、こちらもお会いしたかったです」


 そう言ったのは来夢だった。かばうように愛衣の前に来夢が進み出て、叔父様に対峙たいじするように向かい合わせになる。

 唇を固く結び、眉を寄せて警戒しているようだった。少なくとも、心を開いている親戚に向ける視線ではない。

 その表情を見ていると、昨日来夢と話していたことが頭を過ぎった。和歌のことや紅茶のこと、相当気にしていたようだ。


「すみません。すぐ片付けますので、もうしばらくお待ちください」

「えぇ。お待ちしております」


 剣呑けんのんさを含んだ来夢の声に対して、叔父様は穏やかに微笑んだ。


 ◆


 本来なら客人は書斎に通すのだけれど、今回も来夢は自室に通した。


 上等なティーセットを乗せて持ってきた来夢は、丁寧な手つきでポットからカップに紅茶を注ぐ。

 今日も良い香りだなぁ、と堪能していると、先にティーカップを受け取った叔父様が香りにやわらかく目元を細めた。


「あぁ……良い香りだ。『ゆめ』の紅茶ですね」

「はい。茶葉自体に甘みがあるので、シュガーは入れずに召し上がると美味しいです」

「ありがとう。この香りなら、ミルクが会いそうですね」

「えぇ。もっと甘みが深まると思います」


 紅茶の話で盛り上がっているところを見ると、やっぱり二人は親族なんだなと思う。愛衣といるときよりも口数が少ないように見えるのは、相手も紅茶のことを知っているからなのだろう。

 ぴりっとした空気に隣を見ると、眼鏡の奥で両目が鋭く細められていた。愛衣の隣に座った来夢は、音を立てずにカップをソーサーに戻してテーブルに静かに置いた。

 一度大きく息をついてから向き直った。


「単刀直入に伺います。貴方は誰ですか?」


 しっかりと告げられた言葉に、愛衣はえっと声が漏れた。


「誰って……どういうことです? この方は来夢くんの叔父様じゃないんですか?」

「以前は突然の訪問で、時間も少なかったので気づかずにすみません。似ていますが、貴方は僕の叔父ではないですよね」


 じゃあ、この人は誰なんだ。

 来夢の叔父だからこそ安心していたが、それじゃあ今飲んでいる紅茶になにが入っているのかわからない。


「どうしてそうお思いで?」


 首を少し傾げて、叔父様が問う。


「紅茶の銘柄めいがらです。味も色味も気に入りましたので、取り寄せようかと思っていたのですが、国内外どこの店も取り扱いはおろか、そもそもこのブレンドは存在しないことになっているそうです」

「え……」

「留宇に頼んで、ひまわり依頼所で調べてもらいました。蛍さんにも、行きつけの紅茶専門店で聞いてもらいましたが、成果はありませんでした」


 彼は膝の上で指を組んだまま、促すように静かなままだ。


「かなり昔に作られたもので、今は製造中止になっているのかとも考えましたが、少なからずとも情報はあるでしょう。しかし、探しても一つも出てこないなら、別の可能性を考えたまでです」


 冷や汗が出たが叔父様は驚いていなかった。顔色を崩さず、厳しい来夢の言葉を涼しそうにいなす。来夢と同じ動作でテーブルに置いて「そうですね」と膝の上で指を組んだ。


「明確な詳細は伏せますが、私は、数十年後から参りました。夢川来夢と申します」

  

「…………は」

「…………え」


 二人そろって身構えていたが、思いもよらない答えに、ほうけた声しか出てこなかった。


「いったい、どうやって……?」


 恐る恐る問えば、彼は「簡単ですよ」と微笑んだ。こちらを安心させるための穏やかな笑みだった。


筒井康隆つつい やすたかの『時をかける少女』はご存じですね」

「あ、はい。筒井……ってことは、原作の方ですよね。読んだことあります」


 ラベンダーの香りを嗅いだことで、タイムリープ能力を身につけた中学三年生の少女が、その能力を通じて、重ねていく様々な思いや経験を、サスペンス要素や青春、恋愛を交えていく話だ。

 この作品がもとになって生まれた同名の派生作品がいくつかあり、主人公やタイムリープの方法が異なる。原作者を言ってくれなかったら、愛衣もどの作品か分からなかったところだった。


 書名を出してきたということは、高齢の来夢がなにを言いたいのかはわかった。


「私の能力で、タイムリープをお借りしました」


 来夢は『本の登場人物の能力や道具を三分間だけ借りられる』能力を持っている。三分間という制限はあるものの、できないことはない……のかもしれない。


「でも、タイムリープって時間を戻るだけですよね……?」

「えぇ、そうですね」

「じゃあ、どうやって元の世界に戻るんですか?」 

「ご安心ください。それは稀代きだいの作家さんが考案こうあんしてくださっています。帰る方法は別できちんと用意しておりますので」


 愛衣の心配を打ち消すように、高齢の来夢は言った。ゆっくりと耳に滑り込んでくる柔らかく低い声は、話しているうちに不安を打ち消していってくれるようだ。


「あの、貴方がくださったこの紅茶たちですが」


 来夢が話を戻す。


藤原定子ふじわらていしの句ですよね。それも折句と凝った趣向しゅこうをなさって。これはどういった意図ですか」

「気づいてくださいましたか」


 仕掛けていたイタズラが上手くいった、とでもいうように、嬉しそうに微笑んだ。


「それで、未来の僕がなんのご用です? 思い出話をしに来たわけではないのでしょう」


 高齢の来夢は紅茶を一口飲み、丁寧にソーサーに戻した。そして一息つくと、穏やかに語り始めた。


「私の妻……大事な人が、亡くなりましてね」

「奥様、ですか」

「えぇ。そして私もまた、時間が残り少ない身です」

「それは病気で?」


 淡々とした来夢の問いに、穏やかな声で「そのようなものです」と答えた。


 病気……とつい声が零れる。それも死に至るような病。なのに、当人からはまったくその気配が見えない。至って健康体に見えた。


「意外ですかな?」

「えぇ、少し……」


 戸惑いながら愛衣が答えると、そうでしょうね、と優しい声で言った。


「好意は残さずに伝えてきたつもりでしたが、それは今でも尽きません。それどころか、日に日に膨れ上がるばかりです。どこかに吐き出さなければ私も死にきれません。それならば本人に、と思ったまでです」


「ですけど、それならこんな過去まで来る必要はないのでは? どうして、わざわざこの時代の僕らなんです?」


 警戒の色は薄れたけれど、まだ少し強さのある声で来夢は訊ねる。つい、愛衣もうんうんと頷いて、失礼だと慌てて首を竦めた。


 そうですねぇ、と思い出すようにまた目を閉じて首を傾げる。なんと話したらいいのか、と考えているみたいな仕草だった。そうして、うんと納得するように一つ頷いて、瞼を開いた。


「ちょうど、あなた方と同じ年の頃に、私もまた同じ経験をしたのですよ」


 そう話してくれた彼は、かつて自分の身に起こったことをゆったりとした口調で教えてくれた。

 その大筋は、愛衣と来夢と同じだった。けれど和歌の内容が異なっていたという。どの和歌だったのかは、教えてくれなかった。


「なるほど……それで、この折句ですか」

「我ながら凝っているでしょう?」


 綺麗な月明かりの湖色をした目が、面白そうに細められる。


「あの……」


 黙って話を聞いていたが、たまらなくなって思わず口を開いた。


「あの、あなたの奥さんって……」


 すると、彼は目をゆっくりと閉じた。口元にやわらかく笑みを浮かべた。その柔和にゅうわな微笑みに、あぁ、そうなんだ、と腑に落ちた。彼が愛衣に紅茶を渡した。それで分からないほど馬鹿ではない。


「児童文学と、万年筆とインク、それとカモミールティーが好きな方でしたよ」


 それと、と言ってからふふっと思い出し笑いをする。


「読書をする際でも、泣いて、むくれて、笑ってと、とても表情豊かな方でした。ずっと見ていて飽きませんでしたね」


 来夢がこちらを見て、同じように笑っていた。


「それでは、私はこれで失礼するとしましょう」


 足下に置いてあった鞄の中から、あるものを取り出した。

 児童文学の愛蔵版を思わせる大きさの本で、焦がしたカラメル色の表紙には豪奢ごうしゃな金泊がほどこされている。使い込まれてはいるが、綺麗に手入れされているそれは、来夢が魔法を使うときに、いつも使っているものだった。


 ページを開いてそっと手をかざすと、ブルーブラックのインクが淡く光り始め、きらきらとした光の粒子が集まって、複雑な魔方陣を浮かび上がらせる。

 いつも来夢が見せてくれるものに似ているけれど、描かれた模様は細かく複雑になり、大きさも二回りほど広がっているようにも見えた。


「あの、お帰りになる前にお一つうかがってもいいですか?」

「えぇ、どうぞ」


 来夢が立ち上がり、高齢の来夢に歩み寄る。そっとなにかを耳打ちし、それに高齢の来夢が小声で答える。

 傍から見ていると、動作や仕草に年期が入っただけで、やっぱり同じなんだなぁ、としみじみ感じていた。


「そうですか。ありがとうございます」

「いえいえ。お役に立つことを願うばかりです」


 なごやかに終わらせ、呪文のように言葉を唱える。

 新しい魔方陣が高齢の来夢の足下に広がった。青白い光の粒子が魔方陣から溢れ出て、彼の身体を取り囲んでいく。


「それでは、私はこれで。お二人が弥栄いやさかでありますよう」


 軽く会釈えしゃくをすると同時に、その姿は足下からキラキラとした青白い粒子になって、さらさらと宙に消えていった。

 夢かとも思ったけれど、彼が座っていた場所は確かに少し沈んでいた。


「無事に帰れましたかね」

「大丈夫でしょう。だって来夢くんですからね」


 ふっ、と表情を崩して来夢は笑った。


「どういう根拠ですか。あんまり驚かないんですね」

「これでも驚いてますよ」

「その割には、簡単に信じてしまうんですね」

「ここは青空町ですから、不思議なことなんていつものことでしょう。それに、疑って暗い雰囲気になるよりは、なんだかわくわくしてきませんか?」


 眼鏡の奥で綺麗な月明かりの湖色の目が、ぱちぱちと瞬き、それから困ったようにクスッと笑った。


「……ほんと、あなたには敵いませんね」


 お茶を淹れ直しましょうか、と、からになったカップを覗いた来夢が、ブック型の箱から小さな白い花とリンゴが描かれたパッケージを取り出して見せた。


「次、カモミールアップルティー、だそうですよ」

「はいっ! それがいいです」



 本日の紅茶【ゆめ】

【カモミールアップルティー】


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