Day.23『ストロー』

 来夢が泊まりに来た翌日。

 キッチンで朝食の用意をしながら、雪彦の部屋の方を見た。起こしに行った方がいいかな、と考えていると、


「よく眠れましたか?」

「えぇ。雪彦さんがサシェを作ってくれてたみたいで」


 来夢の手には、手のひらに収まるくらいの麻袋が乗っていた。水色のリボンで口が結ばれていて、顔を近づけると微かにいい香りがする。


「ラベンダーが入っているみたいです。おかげさまで、よく眠れました」


 来夢は手伝いを申し出てくれたけれど、トーストができるのを待つだけだったので、丁重に断った。

 蛍さんが用意してくれる朝食にはきっと到底及ばないと思うけれど、彼の口に合えばいいな。

 トースターがチンッと音を立てた。


 ◇


 朝食の後、猫たちにごはんをあげる間に、来夢が持ってきた紅茶を淹れてくれた。


 兄に頼んで、ネットで最近買ってもらったガラスのティーポットに入っているのは、綺麗な黄色とオレンジ色が混ざった、透き通ったシャンパン色をしていた。


「わぁっ、素敵な色!」


 こぽぽっ、と軽い音を立てて背の高いグラスにに注いだ瞬間、すっきりとした香りがふわっと部屋に立ち上る。何の変哲もない普通のグラスが、このときばかりは高級なものに見えてくる。


「この香り……嗅いだことあるような気が……」


 来夢もティーカップに鼻を近づけてすんっと匂いを嗅ぐ。


「マスカットとジャスミンですね」

「わかるんですか」

「茶葉にジャスミンフラワーが入っていたんです。いただいて、みましょうか」


 せーの、で同時にストローに口を付けた。

 新緑ようにさわやかなマスカットの香りに、濃厚な甘い花の香りが合わさって華やかさが増している。


「なんだかすっきりとした味ですね」


 ジャスミン茶は苦みが強のが苦手で、愛衣はあんまり好んで飲まない。だから警戒はしていた。多少の渋みはあるものの、思ったよりも苦みがなくて驚いた。


「マスカットがブレンドされているからでしょう。ベースの紅茶は春摘みでしょうか」

「春摘み?」

「茶葉の収穫時期です。ファーストフラッシュって聞いたことありませんか?」


 ファーストフラッシュって、確か一番最初に摘まれる茶葉のことじゃなかったっけ。言葉だけは知っているけれど、その辺りの知識がとぼしいことを痛感させられる。


「一番茶は繊細でみずみずしい風味が特徴です。それがマスカットに似ている銘柄があるんですよ」

「そ、そこまで分かるんですか」

「分かると言っても、付け焼き刃ですけどね」


 すると、足下でにゃ~と吹雪が鳴いた。

 二人の足の間を縫うように歩き、来夢の側の肘掛けに、ぴょんと軽やかに飛び乗った。匂いを嗅ぐようにグラスの方ににゅっと首を伸ばす。

 こら、と愛衣がたしなめると、急速に興味をなくしたのか、来夢に背中を向けてその場に座り、毛繕けづくろいを始めた。


 ちりん、と小さな鈴の音が鳴ったかと思ったら、今度はリンゴが足下に来ていた。ソファーの上に飛び乗ろうとして転んだのか、足下で転がっていた。まだ小さいから、飛び上がる力も弱く、ソファーに上がるのも一苦労だ。

 みゃぁぁ、と甘えた声で鳴いて、今度は来夢の足に身体をすりつけ始めた。しばらくすると、ごろんと転がって、みゃあんとまた甘えた声を出す。


「これ、よく雪彦さんにやるんですよ」

「雪彦さんがメロメロになるの分かりますね」


 抱き上げてソファーに乗せてやると、リンゴはキョロキョロと当たりを見回して、ソファーの肘掛ひじかけや背もたれ、愛衣や来夢の膝の上を行ったり来たりとせわしなく歩き回った。そして疲れたのか、愛衣と来夢の真ん中にぺたんと座り込んで、大きなあくびをしたのだった。


「ふふっ、猫ってほんと、変なとこに落ち着きますね」

「まぁ、猫ですからね」



 本日の紅茶【ミスティーマスカット】 

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