Day.19『トマト』

 今日は終業式。午前中で学校が終わった金曜日。家で軽めの昼食をとって一休みしてから、愛衣は星空図書館を訪れた。


 先週までは、平日だと愛衣の他にに三人くらいしかおらず、しんと静まりかえっていた図書館も、夏休みが始まったからか、来館する人が多かった。中学生や、小学生たちが宿題をやりに来ているようだ。いつも愛衣が一人で使っている学習スペースも、既に使われていた。

 来夢はというと、貸し出し用カウンターの席で難しい顔をして、書類とにらめっこしていた。こういうときは、あまり話しかけない方がいいのかな。

 声をかけるのを諦めて、彼女の特権を使って、とりあえず来夢の部屋に向かった。


「あら、愛衣さん」

「あ、蛍さん。こんにちは」


 ちょうど蛍さんが畳んだ洗濯物を持ってきていた。


「こんにちは。愛衣さんも夏休みに入られたんですね」

「はい。さっき終業式やってきました」

「それはお疲れ様でした。坊ちゃまでしたら、図書館の方にいらっしゃると思いますが?」


 人が多くて宿題できるところがないこと、来夢も忙しそうで邪魔をしたくなかったことを素直に話すと「左様さようでしたか」と納得したようにうなずく。


「どうぞ、ごゆっくりなさってくださいね」


 ドアの前で姿勢を正し、メイド服のスカートを持ち上げて一礼する。本当に動作の一つ一つに隙がなく丁寧で、ついつい見とれてしまうほど優雅だ。


 そうだ、今日は理科の宿題を片付けに来たんだった。トートバッグからノートと理科の資料集を出して「よし」と気合いを入れて取りかかった。


 ◇


 ノックの音と同時に「失礼いたします」と控えめな声がして、蛍さんが入室してきた。


「お疲れ様でございます。お紅茶を淹れましたので、どうぞ休憩なさってください」


 手伝おうと腰を上げるが蛍さんに制されてしまった。

 ローテーブルにティーセットを置くと、丁寧な手つきでティーポットを持ってカップにを注ぎ、本をどかした場所にそっと置いてくれた。


「ありがとうございます。わ、とても素敵なカップですね」

「ふふっ、恐れ入ります。私も気に入っている絵柄なんですよ」


 蛍さんも気に入っているというカップは、白地に紅い薔薇が描かれていて、そこからほのかに上品な薔薇の香りが立ち上る。水色は深い赤色をしていて、ハートの形に似た薔薇の花びらが一枚浮かべてある。ティースプーンには薔薇の形を模したシュガーが添えてあった。ティースプーンの柄にも銀細工の薔薇が施されていて、蛍さんのこだわりが見て取れる。

 一緒に出された小さめのスコーンからも焼きたての良い香りがして、つい頬が緩んでしまう。


「おかわりが必要でしたら、いつでもお申し付けくださいね」


 ポットもティーコージーをかぶせて、シュガーポットと一緒に、別のテーブルに置かれた。いたれりつくくせりで申し訳なくなるけれど、お礼を言って座り直す。


「お仕事もあるのに、すみません。あの、本当にいただいてしまって良いんですか?」


 おそるおそる訊ねてみると、もちろんですよ、と優しくさとすように口元に笑みを浮かべた。


「もし、愛衣さんがこちらへ来られたらお出ししてほしいと、坊ちゃまから頼まれております」

「来夢くんが……そうでしたか」


 ごゆっくりどうぞ、と恭しく礼をして、部屋を出て行こうとしたとき、あ、となにか思い出したように振り返る。


「愛衣さん、今日は何時頃にお帰りになられますか」

「え、んと、そうですね……暗くなる前には帰ろうとは思っています」


 先週は暗くなってから図書館を出ることが多かった。帰りが遅くなる度に、蛍さんに車で送り届けてもらうことも、必然的に多くなるわけで。

 蛍さんは構わないと言ってくださるけれど、こう何度もだと、申し訳なさが胸に膨れあがってくる。


「もうしばらくしたら、お夕飯の準備に取りかかるのですが、よろしければご一緒にいかがですか」

「え、でも……」

「今日のメニュー、トマトソースの煮込みハンバーグですよ」


 メニューを耳にした途端、躊躇ためらっていた心臓がギュッと鷲掴みにされる。蛍さんの作るハンバーグは、外はしっかり焼けて香ばしいのに中は柔らかくて肉汁たっぷりで、とっても美味しい。


 それと、と蛍さんはとどめを刺すように付け加える。


「夏野菜を使った寒天のテリーヌ、錦糸卵きんしたまご春雨はるさめのサラダ、ジャガイモの冷製スープもありますよ」


 ――それ絶対に美味しいやつだ~ッ!!


 これまで蛍さんに食の好みを話した覚えはないし、食事をいただくこともそんなに多くないはずだ。なのに蛍さんは、的確に愛衣の好みを見抜いてくる。

 蛍さんの方を見ると、口元に手をやってクスッと笑っている。「いかがいたしましょう?」とさらに訊いてくるのが、意地悪い。


「……い、いただきますッ」

「ふふっ、かしこまりました」


 満足したように微笑んで、蛍さんは一礼してドアを閉めた。


「うぅ……なんだか餌付けされてるような……」



 本日の紅茶【イングリッシュローズ】

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