Day.13『定規』

「すみません愛衣ちゃん。あの、隣になんかいるんですが……」


「あはは……ごめんね、来夢くん。振りほどけなくて」


 制服姿の愛衣の右腕に、ウェーブがかかったふわふわな黒髪の小柄な少女が、しっかりと抱きついていた。


 彼女は十六夜いざよい瑠奈るなといい、来夢のクラスメイトの女の子だ。

 来夢のクラスメイトということは、もちろん彼女も能力者で、猫に月の光を浴びると変化する能力を持っている。気分がよかったり、ご機嫌だったりすると、気が緩むのか猫耳やしっぽが現れることもある。


「……愛衣の二の腕、冷たくて気持ちいい」


 すりすりと陶器のような色白の頬を腕にすり付けてくる。こうしたちょっとした仕草が、甘えてすり寄ってくる猫みたいでとっても可愛いのだけれど、来夢はそれが気に食わないらしい。


「瑠奈ちゃんもアイスティー飲んでく?」

「飲む」


 ふんふわした瑠奈の黒い髪の隙間から、ぴょこんっ、と猫の耳が飛び出した。

 ワイングラスに注がれたアイスティーを目の前に出されると、瑠奈は縁に鼻をつけるように近づけて、くんくんと猫がするみたいに匂いを嗅いだ。


 アイスティーの上部は氷、下方にフルーツらしきものが沈んでいる。


「来夢くん、これ、なにか入っているの?」

「十六夜さんのものには皮をむいたマスカット、愛衣ちゃんのには桃を入れてあります。別に危ないものは入っていませんよ」


 来夢の声には耳を貸さず、小さく口をつけて、くぴっ、と少しだけ飲んだ。途端、両耳がピンッと立ち上がり、スカートの裾から見えているしっぽも同様にぴんと立った。


「美味しいでしょう、来夢くんの淹れた紅茶」


 瑠奈は来夢と愛衣を交互に見てから、もう一度くぴっ、と小さく飲んで頷いた。


「おいしい、甘い」


 もしかしたら紅茶が好きじゃないかもしれないとも思っていたから、喜んでもらえてよかった。


「愛衣のも美味しい?」

「美味しいよ。瑠奈ちゃんも飲んでみる?」

「飲む」


 愛衣のアイスティーを一口飲むと、またぴょこぴょこと猫耳が嬉しそうに動く。


 コンコン、とドアがノックする音が響く。こんにちは〜と軽快な挨拶をしながら姿を現したのは、紫色と黄色を基調にした和洋折衷な衣装の少年だ。


「瑠奈さんのお迎えに来ました〜」


「あ、なごみさん。お久しぶりです!」

「お久しぶりです、愛衣さん」

「和さんもご一緒にお茶しませんか?」

「そうしたいのはやまやまですが……」


 いったん言葉を切った和は、来夢の方をちらっと見てから肩をすくめて困った笑みを浮かべた。


「長居してしまうと、ここの主さんの機嫌がなお悪くなりそうですので」


 ふわ〜、と瑠奈の髪が舞い上がる。髪だけじゃなく体までもがソファーから五センチくらい、ふわふわと風船のように頼りなく浮いていた。瑠奈の体が和の方へ、見えない糸を手繰るように近づいていく。彼の能力は、自分の体重より軽いものを念力で操ることが出来る。


「ほら、閉館時間も過ぎてるんですから、帰りますよ〜瑠奈さん」


 猫を抱き上げるように瑠奈を自分の腕に収めると「それでは、失礼致しました〜」と愛想のいい笑みを向けて、書斎を出ていった。


「瑠奈ちゃんと和さん、相変わらず仲良いですね」


 初めて見た時はカップルかなと思ったけれど、どうやら違うらしい。例えるなら一緒に暮らしている人と猫みたいな、居心地がいいから隣にいる。そんな、ほんわりした春の陽だまりみたいな雰囲気があった。


「やっと静かになった」


 背もたれにぐったりと背中を預け、来夢は眼鏡をかけ直す。


「でも、こういうお茶会もいいんじゃないですか? 今日の紅茶、『ワンダーランド』って名前ですよね」


『ワンダーランド』。『おとぎの国』または『不思議の国』を意味する言葉で、誰もが一度『不思議の国のアリスアリス・イン・ワンダーランド』と聞いたことがあるだろう。夢や幻想の世界、または非現実的で驚きに満ちた場所を指すことが多い。杓子定規しゃくしじょうぎな頭では、到底測れない。


「騒がしいのは苦手です」

「私はもう少し賑やかなのも好きですよ」


そう言うと「…………そういえば、アリスは退屈が苦手でしたね」と、来夢は観念したようにはぁと息をついた。



 本日の紅茶【ワンダーランド】

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