Day.10 『散った』
夜、学校から配られた夏休みの宿題に取りかかっていた。
数学のプリントは全部で二十四枚あり、今から手をつけないと絶対に終わらない。苦手教科でもあるから、早く終わらせたいところだった。
「んん〜! やっと三枚終わったぁ……」
たった三枚、されど三枚。まだまだ道のりは長いけれど、少しずつやっていけば七月には終わるだろう。
ベッドの上で丸くなっていた飼い猫の桃子が、にゃん、と鳴いてのっそりと動き出す。ベッドをぴょんと降りると、一直線に愛衣の元にやってきて膝に飛び乗った。
「ん〜? なぁに? がんばったの褒めてくれるの?」
手に頭を擦り寄せるかと思ったら、桃子は机の上にあったプリントをペシっと叩いて落としてしまった。
「こら」
桃子を下ろして、散らばったプリントを集める。ずっと座っていたせいで膝が痛くなっていた。これはちょっと歩かないとダメだな。
軽いストレッチをしてから、飲み干したマグカップを戻しに一階に降りると、オープンキッチンに雪彦がいた。紺のスエットをだらしなく着た雪彦は、どうやらお湯を沸かしているみたいだった。
雪彦は愛衣に気づくと「アイスティー飲む?」と聞きながら、返事がわかっているようにグラスを二つ出した。
「最近さ、星空図書館に入り浸ってるでしょ」
「入り浸ってるって……まぁ、確かに長い時間はいますけど」
事の次第をかいつまんで説明すると、雪彦はふうんと面白そうに微笑んで肘をついた。
「へぇ〜、彼氏とそんなことしてるんだ〜」
「いや、言い方」
雪彦が言うだけで、いけないことをしている気分になる。
「あはは、ごめんごめん。でも、彼氏と飛びっきり良い紅茶を
「いりますいります! 欲しいです飲みたいですっ!」
雪彦は茶葉の
それでも、雪彦の淹れる紅茶はなぜか美味しい。
「はいどうぞー」
雪彦が差し出したアイスティーをひとくち飲む。
アイスティーは氷を入れる分、すぐに薄くなりそうなイメージなのだけれど、このアイスティーはまったく薄くなっていない。しっかりと紅茶の味がする。
「砂糖が欲しけりゃ、ガムシロ足してね」
雪彦はそういうけれど、ガムシロップなしでも充分に堪能できた。
「雪彦さんがよく淹れるのってティーバッグですよね?」
「そーだよ」
「なんでこんなに美味しく淹れられるんですか?」
すると雪彦は、ふふん、と鼻を鳴らして得意げに目を細めてみせた。
「ゴールデンドロップって聞いたことない?」
あ、と愛衣は声を漏らした。
その言葉は以前、来夢から聞いたことがあった。紅茶を入れる時、最後の一滴はゴールデンドロップと言われている。
お茶は待ち時間を経て注いでいる間も、絶えず急須の中では茶葉からお湯へと成分が浸出されていて、最後の一滴に近づけば近づくほど、濃いお茶が出てくる。この成分の濃い一滴こそ最終的に、淹れたお茶の味わいや香りを左右するものとされている。
「つまり、高級な茶葉でも安いティーバッグでも、淹れ方ひとつで味は変わるってこと」
そういえば、今日来夢が淹れてくれた紅茶も『ゴールデンドロップ』という銘柄だったのを思い出した。
ハーブティーのリンデンと同じように、蜂蜜のような甘い香りがする、黄金色に輝く水色のとても美味しい紅茶だった。
その時、確か『不思議の国のアリス』の話になったんだっけ。
『不思議の国のアリス』の作者、ルイス・キャロルは、この物語をロリーナ、アリス、イーディス三姉妹に語ったという
そんなことをぼーっと思い出していると、雪彦の足元で、みゃあぁ、と小さな子猫が鳴いた。
白黒茶色の三毛猫は、二ヶ月ほど前にやってきた新入りで、名前を『リンゴ』。みんなからはリンちゃんと呼ばれている。家の前で、一匹うろうろしていたところを、雪彦に保護された野良の子猫だ。
「ん〜? リンちゃんも紅茶ほしいの? ダメだよ〜 カフェインは猫には刺激が強すぎるからチュールにしようね」
戸棚から出したチュールを見せるだけで、リンゴはみゃっ! と目をキラキラさせて後をつけていく。
今ではすっかり大きくなった桃子も、あんな時期があったなぁ、なんて思い出す。
そういえば、最近暑くて桃子を図書館に連れてってないな。桃子は来夢のとこにいるシロフクロウのクリスと仲がいいから、今度また連れて行ってやろうかな。
なんてぼんやり考えてるうちに、眠気がしてきてあくびが出た。グラスに残ったアイスティーを飲み干してから部屋に戻った。
本日の紅茶【ゴールデンドロップ】
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