Day.7『ラブレター』

 この日、愛衣は下ろしたての浴衣を来ていた。

 大須おおすの商店街で一目惚れしたもので、着付け上手の兄がいるからと衝動買いしてしまった代物しろものだ。紺色に金魚と波紋の古風な柄。可愛くないわけがない。麻生地あさきじは軽くて少しザラザラしているけれど、かえって涼しいさがあり着心地も良い。


 でも、やっぱり恋人に見せるのはちょっと恥ずかしい。


「遅くなってすみません、あの……ちょっと着付けに時間かかっちゃって」


 浴衣姿の愛衣を見るなり、来夢は持っていた本の山をバサバサと落としてしまった。


 ティーセットじゃなくてよかった、と思いながら片付けるのを手伝うと、来夢はなにも言わずに部屋を出ていってしまった。

 似合わなかったかな、と浴衣の袖をいじる。


 けれど来夢はすぐにティーセットを持って戻ってきた。テーブルにカップを並べ終わると、それまでなにも言わなかった来夢は、消えそうな声で「とってもお綺麗です」と目を合わせずに言った。


「あ、ありがとうございます……」


 もしかして、言うのが恥ずかしかったのかな。いつもなら恥ずかしがるような台詞を言うのは、来夢の方なのに。なんだかくすぐったくなって、声を漏らして笑った。


 ガラス製のティーカップには、目の冴えたような夜空色の飲み物が入っていた。


「わぁ、綺麗……!」


 漂うハーブの香りと美しい夜空の水色に、愛衣は覚えがあった。


「もしかしてこのお茶……マロウブルーのハーブティーですか?」

「はい、その通りです」


 マロウブルーは、ブルーマロウというハーブの花からつくられる。深い青色からあざやかなピンク色に変わるさまが夜明けの空に似ていることから、「夜明けのハーブティー」と呼ばれている。このハーブティーは前にも来夢に淹れてもらったことがあった。


「『綺羅星きらぼし』という名前だそうですよ」


 来夢がそう言ったように、青いハーブティーの中にちらちらと小さく光るものが見える。細かい金箔がブレンドされているんだとか。


「来夢くんのハーブティー、私のより色が濃くないですか?」

「マロウブルーのハーブティーは、同じ淹れ方をしても、一度として同じ色になることはないんですって。お湯の温度はもちろん、気温や天候によっても少しずつ色が違うんだとか」

「へぇ〜、ロマンチックなお茶なんですね!」


 マロウブルーの最大の特徴は、色が三色に変化することだ。

 淹れたての色は、まるで透き通った海のような鮮やかな水色。そして、時間が経つにつれて、少しずつ澄んだ紫色に変化していく。


「だんだんと色が変化していく様子を眺めていると、思わず時間が経つのを忘れてちゃいそうですね」


 マロウブルーにハマる人が多いのも納得できる。特に淹れてから紫色に変わるまでの時間は、「マロウブルー」のいろいろな表情が楽しめるので必見だ。


「あ、見てくださいっ、私のお茶、だんだんすみれ色になってきましたよ!」

「ほんとですね。紫水晶みたい」


 淡い紫色になった紅茶にレモンを一滴垂らしただけで、そこからふわっとやさしいピンク色に変化し始めた。


 この変化の原因は、マロウブルーのもつ青色色素であるアントシアニンによるもので、レモン果汁によってアルカリ性から酸性に傾くことによって色がピンク色に変化していく。

 以前、来夢にそう教えてもらって、知識としては愛衣も知っている。けれど、改めて目の前で色が変わっていくのを見ると、とっても不思議で、まるで魔法を見ているみたいな、ドキドキと胸が高鳴る心地になった。


 ◇


「少し、外に出てみましょうか」


 カップのハーブティーがなくなった頃。来夢にそう誘われて二人で庭に出てみた。図書館に着いたときは、まだ青空が広がっていたけれど、すっかり藍色に変わっていた。図書館を囲む森の端が、レモンを入れたマロウブルーのような濃いピンク色に染まっていて、ちょうど陽が沈んでいく頃なんだろう。


 真上を見上げてみると、光害があるにも関わらず、星がきらきらと輝いていた。


「わぁ……! 星がよく見えますね」

「だいたい五等星くらいまででしょうか」


 来夢は何気なく言ったのかもしれないが、愛衣の住む名古屋市では目をこらしても三等星くらいが限界だ。星座の形がはっきりとわかるだけでなくて、天の川だって見えるのも、ここが星空図書館と言われる所以だろう。


「あぁ、あそこですね。夏の大三角」


 来夢が指した方に、一際ひときわ明るく輝く三つの星。 


「織り姫と彦星、逢えましたね」

「今夜はいい天気ですからね」


 梅雨明けはまだ発表されていないけれど、ふたりの願いが届いたように雲一つない空。デート日和だ。


「一年に一度か……」


 感傷的に聞こえたのか、どうかしましたか? と来夢が顔をのぞき込む。


「話したいことたくさんあるんだろうけれど、一夜じゃ全部は伝えきれないだろうなって思って。私だったら、嬉しいことがあったり、素敵なものを見つけたりしたら、まっさきに来夢くんにお話ししたいですから」


「……そういうとき、愛衣ちゃんならきっと素敵な小説を書いてくれるんでしょうね」

「あはは、そうかもしれませんね」

「僕は愛衣ちゃんみたいに物語は書けませんから、手紙でも書きましょう」

「来夢くんからのお手紙!? それ欲しいです!」


 来夢なら、てっきり本が送られるのかと思って驚いた。


「一年に一度なら、時間ならたくさんありますからね。たくさん好きを詰め込めます」


 とっておきの万年筆と、お互いが好きそうなインクと、素敵な便箋や用紙を用意して。ただ一人のことだけを考えて、一年という膨大な時間を費やす。


 なんだか、壮大なラブレターになりそうですね。


 そう呟くと、来夢は恥ずかしそうに頬を染めて、そうですね、と微笑んだ。



 本日の紅茶【綺羅星】

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