Day.6『呼吸』

 鼻歌を歌いながら、星空図書館に向かう準備を進める。


 今日は土曜日だから、午前中からたっぷり本が読める。それに、今日の紅茶はなんだろう。ここ最近、紅茶目当てで星空図書館に通い詰めている気がして、苦笑いした。


「愛衣ー」


 一階から兄の大樹が呼ぶ声がする。部屋から顔だけ出して返事をすると「今日も図書館行くのか?」と聞いてきた。


「そのつもりだけど」

「じゃあこれ持ってってくれ」


 リビングまで降りていくと、テーブルにお弁当用の保冷バッグが置かれている。なにこれ、と思って中を覗くと、さくらんぼがたくさん入っていた。


佐藤錦さとうにしき

「どうしたのこれ」


「あー、そういやぁ、昨日いなかったもんな。昨日、裏のおばあちゃんに貰ってさ。山形にいる息子さんが送ってくれたんだってさ」


 一之瀬家の裏に住む老夫婦は、よく兄妹の面倒を見てくれていて、野菜や果物やおかずをお裾分けしてくれる。


「たくさんあるから、来夢くんにもお裾分けしてやってくれ」

「はーい」


 ◇


「と、兄さんからお裾分けのお裾分けです」

「わぁ、こんなにたくさんのさくらんぼ……色艶いろつやも綺麗ですね」


 さくらんぼを見た来夢は、一粒つまんで感嘆の息を漏らした。


「それになんてタイミングがいい」

「え?」

「今日の紅茶は『チェリー・メリー』……サクランボの紅茶なんですよ」


 これから淹れるところだったようで、さくらんぼのイラストが描かれたパッケージを持っていた。

 淹れてきますので待っててください、と言われ、部屋に残される。


 そういえば、七月になってから紅茶に夢中で、ちゃんと読書していないな、と来夢の部屋の本棚を軽く眺め見た。部屋にある本のほとんどは、本好きの来夢の特にお気に入りが並ぶ。同時に、いち早く愛衣に薦めたものも含まれている。

 どれ読んでいなかったっけ。綺麗に並ぶ背表紙を指でなぞっていく。本の種類は頻繁に変わることもないから、大抵の本は読んでしまっていた。


 すると、ずいぶん早く来夢は戻ってきた。その手には紅茶のティーセットじゃなくて、シャンパングラスを二つ持っていた。それを掲げて、悪戯っぽく笑ってみせた。


「ちょっと、遊んでみませんか?」



 耐熱のシャンパングラスにグラニュー糖を入れて、熱湯で濃いめに淹れた紅茶を注ぐ。グラニュー糖が完全に溶けきるまで、パフェスプーンでかき混ぜながら粗熱あらねつを取っていく。来夢が言うには、これがティーシロップになるらしい。

 そこに冷やした無糖の炭酸水を加えて、炭酸が抜けないようにそっと混ぜ、風味付けにレモン汁を数滴垂らして、愛衣が持ってきたさくらんぼを一つ落とすと、サクランボのティーソーダが完成した。


「シロップって簡単に作れちゃうんですね」

「元は砂糖を煮詰めたものをシロップと言いますから。これはほんとに簡易的な方法ですけどね」


 どうぞ、と差し出されたグラスを緊張しながら受け取る。花の茎みたいな太さの頼りない持ち手に力が入って、手がぷるぷる震えた。ティーカップよりも緊張する。


 そんな愛衣をよそに、細長いシャンパングラスの中で泡が立ち、炭酸と一緒に、さくらんぼのいい香りがはじけて香ってくる。緊張が少し和らいで、思わず深呼吸してしまうくらいにいい香りだった。


「わぁぁぁ、美味しいぃ!」


 口の中いっぱいにさくらんぼを詰め込んだみたいだ。無糖の炭酸水を使っているのにとっても甘い。夏の暑さも吹っ飛ぶくらいにひんやりしていて、とっても美味しかった。


「実は前に一度作ったことがあっただけだったので……愛衣ちゃんの口に合ってよかった」


 そうだ、と来夢がシャンパングラスを掲げる。


「このグラスなら、乾杯、ですよね」


 あ、と愛衣も微笑み返して、同じようにグラスを持ち上げた。


「「乾杯っ」」


 ぶつかったグラスが、キンッ、と涼やかな音を立てた。



 本日の紅茶【チェリー・メリー】

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