Day.2『喫茶店』

 翌日の放課後。来夢の叔父様からもらった紅茶の詰め合わせを持って、愛衣は星空図書館を訪れた。


 叔父様は愛衣にと渡したものだったから、昨日はいったん持って帰ったものの、付け焼き刃程度しか知識がない自分よりも、来夢に淹れてもらった方が、最大限にその良さを引き出せないのではと思ったのだ。

 それに、紅茶を飲むだけでも、一人より二人の方がきっと美味しい。


「叔父さんがこれを?」

「はい」


 来夢は捧げ持つように来夢が箱を持ち上げ、マグネット式の蓋を開けた。お洒落しゃれな装丁の、本の形をした箱には、異なる種類の紅茶が、ページのように重なって入っている。一つずつ上から取っていくのも、本のページを捲っていくようだ。


「来夢くんと一緒に召し上がってください、と仰っていました」

「それなら、お言葉に甘えて。少しずついただいていきましょうか」

「はいっ!」


 思わず大きな声で返事をしてしまった。途端にふふっ、と来夢がくすぐったそうに声を漏らした。


「いえ。ほんと、愛衣ちゃんはわかりやすいですね」


 あー、と片手で熱くなった顔を覆う。彼はくすりと笑って、箱の中から一番上に入っていたパッケージを手に取った。紺色の背景に三日月と白い薔薇が描かれている。


「今日はこれですね。淹れてきましょう」

「お願いします」


   ◇


 十分ほどして来夢は、白磁はくじの豪奢なティーセットを、古い喫茶店で使われているような銀トレイに乗せて戻ってきた。


随分ずいぶんと豪華な装飾そうしょくですね」

「えぇ、れたときに強い薔薇の香りがしたので、このセットにしてみたんです。こういうのは形から入ってみるのもいいでしょう」


 目の前に並べられたティーセットを見て、愛衣は背筋を伸ばした。

 遠目では気づかなかったけれど、よく見るとポットやカップの持ち手に絡まるように、繊細せんさいな薔薇のつたうように絡んでいる。これは慎重に扱わないと、すぐに壊れてしまいそうに思えて、つい身体に緊張が走った。


 とはいうものの、来夢が使うティーセットはどれも上品なものばかりで、気軽に庶民の自分が使っていい代物しろものではないのだけれど。

 慣れた手つきで愛衣のカップに紅茶を入れて、どうぞ、と差し出してくれる。


「ありがとうございます……わ、すごくいい香り……っ」


 まだカップを持ってすらいないのに、華やかな香りがふわっと漂ってくる。


 来夢が言ったとおり、上品な薔薇の香りがする。カップの周りを薔薇で囲んでいるような。もしくは花びらがふわふわと待っているような。

 でも、薔薇の香りだけじゃないような気がする。この見え隠れする甘い香りは、なんだろう。

 毎年五月から六月にかけて、地元の鶴舞公園つるまこうえんで行われるバラ祭りでいだことはあるけれど、もう少しつんとすましたような香りだったような。


「ピンクローズとアプリコットの組み合わせだそうです」

「あ、そうなんですか」


 すぐさま『あんず』だと脳内変換できたけれど、杏仁豆腐あんにんどうふくらいしか馴染みがなく、アプリコットの味が想像が付かなかった。


「紅茶の名前は【モーントローゼ】……ドイツ語で訳すと【月の薔薇】という意味だそうです」

「わっ、おしゃれな名前ですね! それでは……いただきます」


 ひとくち飲んだだけで薔薇が強く香った。


「ん〜! とっても美味しいです! 薔薇の香りが強いのに全然味も濃くなくって」


 感想を伝えると「よかった」と来夢はほっとして胸をなで下ろし、自分もティーカップに注いで口を付けた。


「あぁ、本当だ。とても飲みやすい。優しい味ですね」

「それにほんのり甘いです。これってお砂糖は……」

「一切入れてません」


 愛衣は大抵、紅茶には砂糖を入れるけれど、この紅茶は砂糖なしでも程よい甘さがあった。これがアプリコットの甘さなんだろうか。

 華やかな香りに、昔の貴族はこんな紅茶飲んでいたのかな、と思いを馳せた。



 本日の紅茶【モーントローゼ(月の薔薇)】

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