想い詠み解くティータイム

青居月祈

Day.1『夕涼み』

 部活終わり、夕立が上がった後だったのもあって、夕涼みがてら、と星空図書館まで歩いてきたけれど、やっぱり暑い。セーラー服の裾をぱたぱたと扇ぎながら、暮れる空を見上げた。

 これじゃあ今年の夏も暑さが長引きそうだな。


 星空図書館は既に閉館したようにひっそりと静まり返っており、螺旋状らせんじょうに続く書架しょかの最上階から、ステンドグラスを通ったオレンジ色の淡い光が零れている。


 この時間帯なら、来夢くんは部屋かな。

 螺旋階段を上がって、ある場所の本棚に手をかける。これが部屋の扉になっているなんて、一目で分かる人なんていないだろう。


「こんにちはー……あ」


 来夢の部屋のソファーに男性が座っていた。ロマンスグレーの髪を綺麗に整えた男性はチャコールグレーのスーツを纏い、品良くティーカップに口をつけていた。


 顔を上げた男性とばっちり目が合ってしまう。驚いたように目を少し見開いたが、すぐに柔らかく微笑んで軽く会釈をした。


「し、失礼しましたっ!」


 さっきの手順を逆再生するように、急いで部屋を出て扉を閉めた。


 …………えーっと、誰だ?


 この図書館で、お客さん以外で大人の人と会うことは滅多にない。専業メイドの蛍さんか、図書館の取引先でよく見かける業者さんくらいなものだ。けれど、あの男性は取引先の人ではない。断言できる。


 とりあえず今日のところは、蛍さんに挨拶して帰った方が良さそうかな。

 そのとき、扉が内側から開いて、慌てた表情の来夢が顔を出した。図書館を見回して愛衣を見るなり、ほっと胸をなでおろした。


「あ、よかった……いてくれて……」

「来夢くんっ」

「すみません愛衣ちゃん。驚いたでしょう」

「いえ、私の方こそお客様がいるのに勝手に入っちゃって」

「あ、あの方はお客ではなくて……」


 少し気まずそうに視線を逸らして、顎の当たりを指で搔く。


「その…………僕の叔父、なんです」

「…………え?」


 ◇


 向かい合わせでソファーに腰掛けた男性は、丁寧に頭を下げた。


「ちょっとこの近くに用事があったので、ついでに寄ってもらったんですが……驚かせてしまったようで、申し訳ない」

「い、いえっ、私こそノックもなしに入ってしまってすみませんでした」


 来夢の叔父様は、優しそうな方だった。穏やかで上品な立ち振る舞いは美しく、ティーカップを持つ動作だけで見蕩れてしまうくらいだ。それに、ふとした時に見せる表情だったり仕草だったりが、どことなく来夢に似ているような気もした。


「どうぞ、愛衣ちゃんの分の紅茶の用意、できていなくてすみません」

「ううん、私こそ突然で……わ、綺麗……!」


 目の前に差し出された白地に金の縁取りがついたティーカップには、オレンジ色の紅茶が入っていて、黄色の金平糖が一粒浮かんでいた。


「叔父様に頂いた紅茶で『よい明星みょうじょう』というんですよ」

「とっても素敵な名前ですね!」


 ついいつもの調子で大声が出てしまって慌てて縮こまった。

 愛衣と対面にソファーに腰掛けた叔父様は、来夢に似た優しい笑みを浮かべていた。


「この方が、前に話してくれた彼女さんですか?」


 来夢は少し目の下を赤く染めて「はい」と頷いた。


「あぁ、そうですか。貴女が……」


 軽いノックが三回。来夢が返事をすると扉が開いて蛍さんが入室してきた。


「失礼します。坊っちゃま、業者の方がお見えでございますが」

「あ……」


 思い出したように来夢が声を漏らすと、蛍さんの声が低くなる。


「……失念されてたんですね?」

「だって、叔父様がいらっしゃるなんて思ってもみなかったですし」

「ほら、お仕事を先に済ませておいでなさい」


 ぐっ、と来夢は唇を噛むと、恐る恐るうかがうように愛衣の方をちらっと見た。

 あぁ、行きたくないって顔をしてる。


「お仕事なら仕方ありませんね」


 困ったように笑ってみせると、最後の望みが切れたように、あー、と唸りながら項垂れてしまった。


「すみません叔父様。少し席を外します」


 叔父様は穏やかに「行ってらっしゃい」と送り出した。

 足音が遠のくのを聞いていたが、叔父様はふっと満足したように目を閉じた。


「昔に比べて、ずいぶんと表情豊かになりました。貴女様のおかげでしょう。ありがとうございます」

「あっ、いえ、こちらこそ来夢くんにはお世話になってしまって」


 そんなふうに始まった会話は、名前を聞かれるところから始まり、学校や趣味、休日の過ごし方に来夢との初めて出会ったときのこと、とりわけ好きな本のジャンルについて、いろいろと話した。叔父様も来夢と同様、読書好きで、海外文学の話で盛り上がった。話している途中から気づいたけれど、この叔父様が聞き出し上手なのだ。


 そうして穏やかに時間は過ぎていき、お互いに紅茶を飲み終えた頃だった。


「実は、貴女にお渡ししたいものがありまして」


 叔父様は足元に置いていたボストンバッグから、箱をひとつ取り出した。


「どうぞ、こちらを受け取ってくださいませんか?」


 差し出された箱は、単行本くらいの大きさで、十センチほどの分厚さがあった。


「あの…………来夢くんではなくて、私に、ですか?」

「はい。貴女のお話は、甥から伺っております。どうぞ、私の心配りと思ってください」


 何かの間違いかもしれないと恐る恐る伺うと、叔父様はやわらかい口調で丁寧に答えてくれた。


「わかりました。ありがたく頂戴します」


 受け取った箱は、夜空に星を散りばめた色紙を使っていて、見た目は児童文学のような装丁をしている。


「開けて見てください。きっと貴女が気に入るような仕掛けになっておりますでしょう」


 促されるように箱を開ける。見開きのように開いた箱の中身は、ページに見立てたパッケージがたくさん重ねて入っていた。そのパッケージは少しばかり膨らんでいて、どれも一つ一つ模様が違う。


「あ、もしかしてこれ、紅茶ですか?」

「えぇ、その通りです。どうぞ、おいと召し上がってください。さて……では、私はそろそろお暇しましょうかね」

「えっ、もう帰られるんですか?」

「はい。甥も忙しそうですからね。それにせっかくのお二人の時間、私がお邪魔しては悪いですから」

「そんな、お気になさらなくても……」


 叔父様との話は楽しく、初対面とは思えないほど弾んでいたこともあり、少し残念だったし、なんだか申し訳なくなってしまった。そんな愛衣の様子に気づいたのか、叔父様はやんわりと微笑みかけてくれた。


「こうした些細ささいな時間が、後々大切になってきますから」


 そう言って身支度を整えて図書館の方へ出る扉へ向かう前、愛衣の方へ向いた。


「愛衣さん」

「は、はい」


 名前を呼ばれて跳ねるように立ち上がり、制服のスカートを直す。


「これからも甥のこと、よろしくお願いします」

「はい……っ、こちらこそ」


 蛍さんの立ち姿を真似をして、お腹の辺りで手を重ねると、愛衣も叔父様に向き直って、頭を下げた。



 本棚の扉から出ていった叔父様を見送って、やっぱり気を張っていたのか、ほうっと方の力が抜けた。

 改めてテーブルに置かれた紅茶の詰め合わせに目を留めた。


 これ、本当に……私が頂いてもいいものなのかな。



 本日の紅茶【宵の明星】

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