第終話 最終判決

休憩と同時に、裁判官らによる審議が行われた。まず、ビンが犯人だと確実に証明できるものを、全ての資料から得ようと試みたが、どれもこれも疑わしい程度の証拠しかなかった。

次にビンが犯人ではないと判断出来るものを抽出すると、目撃証言及び最後に弁護人が公開した被害者の乳房についたDNAが挙げられた。然し、いずれも100パーセントの証明にはならない。結果的に判決は裁判長である望月竜之介に委ねられた。

殺人事件の裁判では、裁判官の経験則により判決が言い渡される場合が殆どだ。実際、殺害現場を見たものがいない場合は、その真偽さえ皆無なものであり、そこにある証拠、証言、事実から推認するしかない。知覚として存在が無いのである。

集合住宅の駐車場に多くの車があり、一面が水に濡れ、車も満遍なく各車両が濡れている。その状況を見て、『昨日、夜中眠っている間に雨が降った。』と誰しもが推測する。だが、夜中の雨を知覚として見たものがいない。当然、雨が降ったとする言葉は推認であり、事実ではない可能性を秘めている。誰かが、どこからか、ホースで水を撒いた可能性、偶然通りかかった散水車が作業を行った等、曖昧さを秘めたものであるという事実を踏まえると、経験則とは無限の数存在し、有罪無罪を決定づけるにはかなり問題もあると言われている。合理的疑いのない立証が、今までの数々の裁判で成されたとは言い難く、事実、冤罪判決は数多く存在するのである。今回の裁判もその経験則に準じた判決となった。


「主文、被告人ビン・グォン・タンを無罪とす。よって大阪高等裁判所の有罪判決を破棄するものとする。」

どよめく法廷の中、裁判長であり、最後の番人、望月竜之介はその理由を述べた。

一審の無罪理由、二審の有罪理由、それぞれ被告人を疑う余地の無い確固たる立証であるとは言えず、その判決はフィフティーフィフティーの相関であり、決め手に欠ける判決である。

「疑わしきは罰せず。」これをもって被告人は無罪とするのが相応である。


剪芽梨の肩が落ちた。膝に置いた握る拳が震えている。眼に溜まった涙が大粒のように落ちてきた。歯を力いっぱい食いしばり嗚咽を我慢する。

道義は二枚の遺影を床に落とし、人目もはばからず泣きわめいていた。

読内新聞の記者、壷内が願ってもない逆転劇に喜び勇んで再び法廷から駆け出す。

検察官は、何事もなかったように感情を見せず辞去する。

弁護人がビンの元に駆け寄り勝利の喜びを称えあう。

そして当事者であるビンは・・・・・・・。

「俺はこの長い裁判で全てを失くした。マレーシアにも捜査が入り、家族は故郷を追われ消息不明となった。愛した女は自殺し、俺も行き場を失った。もう、この日本で働くことは出来ない、否、家族が消息不明となった今、この日本で働く理由もない。すべて・・・すべては、この日本の警察が俺の人生を滅茶苦茶にしたからなんだ。お前たち、警察が冤罪を作らなければ俺たち家族は幸せだったんだ・・・」

ビン・グォン・タンの声が、法廷内に響き渡り、喧騒に消えていった。


その後、ビン・グォン・タンは、マレーシアに帰国し、家族と再会を果たすこととなった。

今回の大阪ネット通信社OL殺人事件の犯人は、日本人だった。被害者樋上さとこさんの乳房に付着していた唾液のDNAと一致した人物が全面自供した。

メディアは、高等裁判所の判決に対して過剰なほど反応を示し、裁判長、紅木悳乃助 をバッシングした。紅木はそれを受ける形で裁判長を辞職、司法の世界から消えた。


「これでいいか。」

「500万確かに。然し、金額もさることながらあんたが何故こんな物を。」

「・・・。」

二人の男は、新聞でくるまれた、手のひらに余るほどの大きさの物を人に見られないようにしながら手から手へ渡した。

そ知らぬふりで別れる時、一人の男がこう呟いた。

「剪芽梨さん、金額もさることながら、こんなもの、あんたなら・・・ま、まさか、あんた・・・まあ、人には言えねぇ事もあるわな・・・。」


2015年3月2日、深夜、大阪の夜の街に耳をつんざく様な2回の破裂音が響き渡り、パトカーのサイレンが鳴り止まなかった。

何時しかそれはまた喧騒に掻き消されていった。

2日後、道頓堀川の静かな流れの中に浮かんでは消える浮遊物があった。それは人間のようだった。


冤罪、その背後には巨大な組織が関わる。それは、司法そして国である。


                                       了

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冤罪判決 剪芽梨シリーズ① 138億年から来た人間 @onmyoudou

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