第14話 飛び道具

10号法廷ではビン・グォン・タンの最終裁判が執り行われている。担当の裁判長、望月竜之介は大阪地裁の紅木悳乃助が掲げる犯人を逃してはならないという考えとは違い、今回の裁判についてこういう見識を持って臨んでいる。被告人を裏付ける確たる証拠に乏しく状況証拠はそろっているが決め手に欠ける。疑わしきは罰せずの精神を貫くのが望月裁判長の裁判手法だった。彼が今回の裁判で最も重要視したのは、トイレ内滞留水中から出たコンドーム内精液の経時変化鑑定書だった。科学の力を過信してはならない。それはあくまでも人間が行ったものである。詰まりは人間であれば誤鑑定も視野に入れなければならないと。滞留水に含まれる何かしらの成分が精液を汚染し、時間の経過状態に影響を与えた可能性、そこに今回の判決結果の根本はある。

それにもう一つは目撃証言だった。

事件当夜、宗蓮アパートでタクシーを降りたアベック。確かに女の方は被害者女性、樋上さとこだとすると相手の男はこの事件の最重要容疑者と見ておかしくはない。その男が証言通り細身だとすればビンはその時間、被害者とは居なかったことになり、仮に売春行為がなされていたとすれば、ビンに犯行は死亡推定時刻からして無理ではないか?との疑問もあった。勿論、誰かしらの売春行為の後、ビンが侵入し、殺害に及んだことも可能性としてはある。

検察は、今裁判の総括として、ビンが犯人であるとする証拠を述べた。

「第一に、被害者が所持したハンドバックの切れた取っ手からO型のDNAが検出され、既に被告人のものと一致。第二に、殺害現場、宗蓮アパート301から採取された三本の陰毛のミトコンドリアDNA型鑑定の結果では、一本は被害者のもの。更に一本は、B型の人物。そして、もう一本はO型の人物で、被告人のDNAと同一であるという結果が出ています。第三に、殺害現場のトイレ内滞留水中にあったコンドーム内精液は、DNA、血液鑑定共に被告人のものと判断されています。」検察は、そこまで述べるといったん席に着いた。

確たる証拠を並べたことに、検察側の最後の審判での慎重さが分かった。

弁護側は、目撃証言を強調し、さらに、ビンが犯人ではないことを強調した。

そして、この最後の審判で弁護側は飛び道具を出した。

「裁判長!」

「弁護人どうぞ。」望月竜之介の重低音の声が法廷に木霊する。

「実は、遺体に付着したDNAの資料を私の方で入手出来ましたのでここで公開致します。」

弁護人のいう資料とは、被害者、樋上さとこの乳房についた唾液のDNA鑑定結果だった。

剪芽梨の睨んだ目が怯えを含んだ。

「この鑑定結果によりますと、被害者の乳房にB型の唾液DNAが多数付着していたとあります。これは、被害者が、売春行為を行った際に着いたものと判断され、付着物の経時変化鑑定から死ぬ間際についたものであるとわかっています。ちなみに、被告人は、O型です。」

飛び交う驚嘆の声に、法廷内は喧騒が止まなかった。これを裁判長の一言が制止する。

「一旦、休憩に入ります。」

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