お疲れ様です、お姉さん

金城 賢司

第1話 本と少女とお姉さん

 うっすらと視界が開ける。ぼんやりとしながらも見慣れた天井が、嫌と言うほど目覚めの時を知らせる。

 うぁー…だるい、意識は起床を促しているけど体がそれを拒絶している。

 今日は休みなんだから二度寝する権利が私にはあるでしょーに。いやでも休みだからこそ普段できないことをやるべきではないか? と問いかけてくる良心がまだ生き残っているのも事実…。しかし休むべき時に休まないでいるのとそれはそれで不健全な気もする。


 とー、言うわけで…労働者の権利を主張しまして二度寝を敢行することと致しました。

 なんだかんだ30分くらいうだうだしていた気がするけどそれもまた休日の醍醐味ってわけで…おやすみー。

 目を閉じたのも束の間、インターホンの音が部屋中に鳴り響く。不意の来訪を告げる音に思わず肩がビクッとした。

 こんな朝早くから誰よまったく…。

 無視を決め込もうかと思ったけどなんか寝ようって感覚もどっか行っちゃったし、仕方ない。文句の一つでも言って追い返してやりますか。

 扉の向こうにいる誰かに怒りを覚えつつ、ゆっくりと扉を開ける。


「はーい、勧誘ならお断りで…」


 朝方の冷たい扉を開けると美少女であった。

 言葉が途中で止まってしまったのは、想像していた人物像がまるで違ったことだけが理由じゃない。

 街中で見かけたら思わず目を奪われるくらいの女の子がそこにいたから。

 …それにしてもこの子のことを私は知らない。こんな可愛い子と知り合いだったなら人生はもっと華やかなはずだしね。


「あのー…」


 おっと、いけないいけない。目の前の美少女が困惑顔でこっちを見てる。けどこんな時なんて返答するのが正解なのか…。


「朝方の冷たい扉を開けると美少女であった」


 思わずさっき頭の中に浮かんだフレーズをおうむ返しで口走ってしまった。

 ああ、困惑顔が徐々に怪訝な表情に変わっていく…選択を間違えたみたい。


「その…高橋アヤカさんのお宅で間違いありませんよね?」


 えっ、なんで私の名前知ってんの怖。いくら美少女相手でも知らない子に名前を知られてるのは怖いんだけど。


「妹さん…高橋アヤノさんからいろいろと事情は伝えているとのことでしたが」


 アヤノから…? てことはこの子は妹筋の知り合いってことね。とは言っても何か言われてたっけ?

 記憶を辿ってみても思い当たる節は何もない…単に忘れてるだけ?


「あー、アヤノね。うん、まあそういうことならひとまず…立ち話もなんだし入ろっか」


 そう言って女の子を伴い部屋へと引っ込む。字面を見るとえらい恐ろしいことを言ってるなー。

 まあ、妹関係の子なら少なくとも一応信頼していい…んだろうか? とりあえずあの子にはこの後問い詰めるとしましょう。


「おじゃまします…」


「どうぞー、気兼ねなくくつろいでね」


 言葉を受けて女の子は立ち尽くし、視線をさまよわせる。人が来ることを想定していない乱雑な室内の光景に言葉もないって感じ。


「ごめん、まずは片付けるから…ちょっと待ってて」


 こんな機会でもないと行わない清掃活動も一段落ついて、ようやく人がまともに落ち着ける状態になった。それじゃあ改めて…。


「まずは自己紹介からしましょうか。私のことは妹を通じて知ってるみたいだけど、一応ね。高橋アヤカ。見ての通りしがない社会人やってます」


「わたしは古堂栞と申します。アヤノさんとは同じクラスで、よくしていただいています」


 古いお堂と書いて古堂です、と丁寧に注釈を入れて自己紹介を締めた。

 はぁー、高校生だっていうのにしっかりしてて…こんな子もいるものなのね。

 頭の中で妹とこの子を、古堂ちゃん? さん? を比較してみると…一瞥しただけでは同級生と判断することは難しいんじゃないかしら。

 実際のところ2人の接点が気になるところだけど…今はそれよりも妹の企み事がなんなのかを知ることが先かな。


「それじゃあ改めて…古堂ちゃん?」


「はい」


「うちの妹はどうしてあなたをここに寄越したの?」


「何も聞かされていないのですか?」


 うんにゃ何一つ聞かされてはおりませぬ。

 首を横に振ると、察したように古堂ちゃんはここまでの経緯を説明してくれた。

 要約すると妹は何やら部活動を始めたらしい。ああ、でも認可されてない以上同好会というべきかサークル活動というべきか…まあその議論はどっちでもいいか。

 ともあれその新しく始めた活動の内容というのが日々の生活に疲れた人に癒しを届けようというものらしい。

 つまり私は活動の第一歩として選ばれたと、そういうことかな? 

 …あの子のことだから他に狙いがあるんでしょうけど。

 まあ、それはこの際一度隅に追いやるとして。とにかく『ヒーリン部』を立ち上げたというわけらしい。そのネーミングはどうなのよと思うけど。


「それでは活動を始めさせていただいてもよろしいでしょうか?」


 古堂ちゃんは僅かに小首を傾げる。大人びた見た目にそぐわない、やや子どもっぽい仕草だけどそれがやけに似合ってる。

 そういえばここに至るまで何度かこの仕草を目にしている。もしかするとこの子の癖なのかも。


「そうね、せっかく来てもらったわけだし」


「はい。とはいえ、わたしも『癒し』とは何であるのかは調べても様々にありまして…よくわからなくて」


 どこか言い訳めいたことを言いながら鞄の中に手を入れた。何が出てくるんだろう?


「それでですね、結局は自分の好きなものを持ってきたわけです」


 遠慮がちに鞄から取り出したもの、それは一冊の本だった。


「わたしが癒されるものは本です。美しい言葉に出会うと感動で胸がいっぱいになります」


 古堂ちゃんは本を胸に抱きながら静かに息を漏らした。


「アヤカさんは本、お好きなのではないですか? さっき言ってた言葉はもしや雪国の冒頭の文章を言い換えたユーモアではないですか!」


 直前までの様子はどこへやら、打って変わって熱量のある言葉を体を揺らしながら一息に言い切った。好きな話題になるとスイッチが入るタイプみたいねこの子。


「えーっと、言い辛いんだけど…ごめんね。あんまり本は読まないんだよね。それに言い換えたというのも何のことだかさっぱり」


「あ、ごめんなさい…突然声を大きくして」


「いいのいいの。気にしないで」 


「ですが…」


「ホントに気にしないで。むしろ意外な一面を見られてラッキーと思ってるくらいだから!」


 古堂ちゃんがこれ以上気に病むことがないように、明るい振る舞いに努める。まあ実際気にしてないし、何よりこんな可愛い子には笑顔でいて欲しいからね。


「さ、それより古堂ちゃんの癒し活動が楽しみで仕方ないんだよねー。お願いしてもいい?」


「…はい、わかりました」


 よしよし、まだ若干心に引っかかる物があるっぽいけど気持ちを切り替え始めているみたい。


「それで私はどうすればいいのかな」


「アヤカさんはベッドで横になってください」


「ん、オッケー」


 言われるがままにベッドに横たわる。すっかりと温もりは去ってしまっていた。

 なんともないような事に気を取られていると古堂ちゃんがすぐ近くまで寄ってきた。ベッドに横になっている時に誰かが近くにいるなんて滅多にないことだからちょっと緊張しちゃうな。


「それでは改めて…わたしの癒し活動は本の読み聞かせです。現代文の授業で眠気に襲われたことはありませんか?」


 私の緊張をよそに活動に集中し始めたのか古堂ちゃんは話を続ける。

 あー、そういえば先生の音読とか聞いてるとやけに眠くなって仕方ないこととか何度もあったような…。

 そんな私の答えに古堂ちゃんは微笑で応えた。その表情には授業態度に一言物申したい教師のような勤勉さと、気持ちは理解できると言いたげな友人のような気安さが同居していた。

 …なんて、ちょっとこの子の文学的な雰囲気にあてられたかな? そんな顔してるのは確かだけども。


「それでは、読み聞かせを始めますね…本日の一冊は高村光太郎詩集より」


 呟くように、耳元で囁くかのように静かに…けれど平坦で淡々としすぎないように読み聞かせは始まった。

 昔懐かしい教科書で聞いた内容から全然知らないものまで。

 なるほどなあ、これは確かに癒されるかも。耳から得られる癒しもなかなかいいものね。

 ページをめくる時の紙が擦れる音もなんだか風情があるようで心地いい。

 学生時代に何度も経験したあの感覚。抗いようもない睡魔の呼び声に自然と目蓋が落ちてきて…。



「ごめんねー、まさか本当に寝入っちゃうとは…」


 結論から言って、眠気に耐えることはできませんでした。まあそれだけ授業なんかよりよっぽど優れた睡眠導入のポテンシャルを持っているということの証明になったりは…しないかなあ流石に。


「気がついた時にはすっかり眠られていて驚きました。それでどうでしたか? 癒されましたか?」


「それはもう、いつもの睡眠よりもずっと眠ったって感じだもん」


 時計を見る限り寝てた時間は2時間もないくらいだけど、体の調子がいいように感じる。


「本当にありがとうね、よく知らない人のとこに来て不安だったろうに」


「少しだけ感じていましたが、今はそんなことはありませんよ」


「そう? 妙な人と思われてないようなら安心ね」


 気を遣ってくれているのかもしれないけど、ひとまずその言葉を信じましょうか。


「それでは本日の活動はここまでということで、お暇させていただきますね」


「もう帰っちゃうんだ」


 やること終わったのならそれが当然といえばそうなんだけど…いくらなんでもこのままさよならっていうのは薄情すぎる気が。


「そうだ、お昼ご馳走させてくれない?」


「お昼ですか?」


「そうそう、ほら。時間的にも悪くないし何より私のために頑張ってくれた古堂ちゃんへのお礼ってことで」


 私の提案を受けた古堂ちゃんは口元に指をあて、思案顔になる。


「それではお言葉に甘えて、よろしくお願いします」


「オッケー! あ、でも妹にはこのことは内密にね」


 もしバレたりしたら厄介事になりかねないしね。いろいろと。


「心得ております」


 ちょっとイタズラっぽい笑顔で承諾してくれた。その表情に親近感を覚えるのはギャップの成せる技かも。もしくは寝てる姿を見られてしまった羞恥心の行き場がなくなったせいでもあるのかなー。

 そんなことを思いながら家を出ると、外はいい天気だった。青々とした空と白い雲のコントラスト。こんな風に天気をまじまじと見るなんて久しぶりかもしれない。

 きっと普段はそれだけ心に余裕がないってことなんでしょうね。でもそれが今はあるのは何故かなんて、試験で出てきたらサービス問題もいいところね。

 

 2人分の靴音がなんとなく嬉しい。雑踏の中じゃあそんなこと、感じられないもんね。

 

 

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