アイビーグリーン発 ベノムパープル行き

花森遊梨(はなもりゆうり)

第1話

40℃

水の温度か空気の温度かで評価が変わる数字も珍しい。水の温度ならちょうどいいと言われ、時にぬるいとすら言われる。

空気の温度の場合は?


「なんで災害級の気温なのにこんな場所に出かけようと思ったわけ?」

「色々あって新宿発南アルプス行きの切符を一枚も取れなかったから、だね」


わたしは緑田萌葱、先日喫茶店で色々あった末に友人二名と夏の思い出を急ピッチで作りに来ている。


大金が乱れ飛び、ブグブクと太った欲望がまっすぐな心をひん曲げ、最近はおぞましいコロナウイルスもそれらに混じって飛び交う魔都、新宿。その真ん中におもむろにアイビーグリーンの自然環境にあふれた空間がある。


新宿御苑しんじゅくぎょあん

(正しくは、しんじゅくぎょえん)


そんな新宿御苑が思い出作りの場所になるはずだった。



「こういうのは涼しい高原でハイカラでお清楚な女の人が麦わら帽子と一緒にかぶってそうなやつじゃない?」

友人その1こと平山珠緒がそう述べる服装とはサマードレス、すなわち白ワンピースである。

「本当は南アルプスの高原で着るモンだし、自然に溢れていれば問題ない‼︎と思ったんだけど」


今日は小暑のはずである。その意は梅雨の終わり。そして大暑という夏本番に向けたいわばチャージ期間のはずであった。


「なんか頭がズキズキしてきているし、…そろそろやばいかもしれないよ平山さん」

「萌葱もそうなってるの?こっちもそうだよ。まさか植物の日陰がここまで役に立たないとは」

40℃という今日の気温からもわかるように、近年の小暑は怪物の心を持っていそうというか、チャージ期間なのに本気すぎる。もう関俊彦の声で喋りそうなくらい最初からクライマックスである。おかげで欲望も大金も冷房の効いた屋内に避難し、人間の基礎代謝は下がって暑いのに太り、おぞましいコロナだってうっかり熱を出すのを忘れてしまうほどである。


このまま夏がチャージを終えて大暑になれば、おそらく気温は400℃を超え、気温なのに風呂の温度ではなく、過熱水蒸気調理器とタメを張れる時代が到来してしまう。

食材を表に放り出せば自動的に加熱調理すらも可能な時代はすぐそこまで来ている。


―何の準備もしてこなかったの?あんたたちの無謀さは信じられないね。

その声とともに期待が噴出するような音、次いで激痛が襲った。

「「あだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだ!!」」


妖怪白ワンピース2匹にハンドガン状の冷却スプレーを浴びせかけたのは

二人目の友人、赤井丹であった。 

太陽のように燃え盛る赤パーカーは本日お休みだ。


代わりに身に着けているのは両肩が膨れた真っ白な空調服。低い唸り声のような音を立てて空気を取り入れている。首から腹部から四肢にかけては肉体のあらゆるパーツを真っ白なパッドで固められ、その裏には強力な保冷剤が仕込まれている。曰く「北米からの個人輸入品、デスバレーでもアイスクリームを5日間保存できる」ほどのモノ。


頭部は忍者と見紛うようなアイスマスク、首元の膨らみを見るに当然保冷剤完備、背中にはバカでかいリュック。

総合的にすごくパワードスーツ付きサ○ス・ア○ンに見える姿の彼女がそこにいた。




新宿御苑 インフォメーションセンター


丹のリュックの中に仕込まれていた在宅青空点滴キット・「インフェルノ」の力で二人は熱中症から救われた。


「あ〜…嘘みたいに体が楽になったよ」


ヤバい病気をしてヤバめの病院に行くと「とりあえずビール」くらいの感覚で出される印象がある点滴であるが、その効果は絶大だ。チューブ付き針を腕に刺されてから、わずか10分足らずでものすごく体が楽になった。あんなに痛かった頭がほとんど痛くない。体の痛みも消えた、意識もはっきりして腕の痛みもすごくはっきり感じる。


「「インフェルノ」ってうちの製品じゃない‼︎本来は80時間働いた高度プロフェッショナル人材にブスーっとやってシャキーンと働かせるはずの薬をまさか自分が打たれる羽目になるなんて」

「パソコンの停電対策みたいに、業務時間外かつ会社の敷地を離れるまで死ぬのは待ってくれって?相手は国民のほとんどが敵視する年収1000万円だけあって本当に容赦がないんだね?」

「そういう人材を死ねとかいうもんじゃないよ?キミたち2人も将来高プロにされるかもしれんのだからね」

「年収が1000万以上になってしまう危険性があるというならわたしは大歓迎だけど?」

「その言い草だと年収1000万は「平均年収のおよそ3倍がたまたまその数値」ってことを知らないでしょ?つまり平均年収の基準を下げれば「定期収入があれば高プロ」「正社員経験があったら高プロ」「skebや力クEムでお金をいただけてるので高プロ」みたいなことも可能ってことなの!その時は自分でこんなふうに点滴を打てることで命が助かる時代がくるかもしれないのだよ…」


「とにかく地上のレジャー施設はダメだね、地下に移動してから次の場所を考えよう」


人生の先輩から「仕事にあぶれることだけはない未来」というリフレーミング済みの労働地獄のビジョンを垣間見たりしつつも、丹の一声で新宿御苑からの撤退が決定した。





「まだ日が沈むまで8時間以上あるけどどうするつもりなの?」

「諦めずに地上に戻って今度は花園神社とかに行く」

「今度こそ熱中症で死ぬからNG」


三人が移動してきたのは殺人的な日差しはない場所だった。アイビーグリーンの代わりに灰色の比率が高く、蒸し暑さと多くの人間が集まる場所特有の澱んだ空気で満たされた空間。 新宿の地下である。その中でも上に新宿四丁目や吉野家や黒豚島津の真下にあたる自販機やワークスペースといった四角形ばかりが集まるでっぱりみたいな区画だ。


東京なら例え地下まできても下着か水着かわからん格好で人前をうろつくオスとメスのウェイで溢れかえっており、白ワンピースなど没個性な部類だった…はずだった。


どういうわけか地下にはウェイも外国人観光客もおらず、代わりに没個性なスーツとまだフレッシュの残るオフィスレディでひしめき合っていた。おかげで白ワンピースがみんなの注目の的である!誰か私たちのことを隠してほしい。


「私、良い場所を知ってるよ。屋内で冷房が効いていて、適当に時間かけて楽しめて死ぬとしても熱中症以外になる場所を」


活動場所が地下に移ったおかげでますますサ○ス度が増した丹だ。アイスベストを介して全身に保冷剤を身に纏っているおかげで蒸し暑さなど全然問題にならないようである。

それでも死ぬことは避けられないというのが世知辛さを感じる。



「池袋の猛毒展ベノム・エクスポ


「猛毒ぅ??」


「考え直すべきよ。「猛毒」という麦わらのルフィを死に至らしめた胸糞悪いものを毒々しいギャングひしめく池袋に堂々と並べる最悪の展示会に、丹は本当に行きたいと思うの?」

受験勉強以外は何も知らない平山珠緒さん(20)の詰問に「もちろん」と丹は即答であった。


丹はよほど”猛毒好きの女”なのだろう。12才の頃から付き合っていても、いまだに知らないことは多い。


にしても「猛毒」の一言で猛毒展を池袋もろとも最悪呼ばわりの平山さんもなかなかスゴい。それもルフィも池袋も余裕で15年以上前の出来事に基づいてだ。受験科目に「ディスり」とかあったりしたのだろうか?それにしてもすでにギャングはいない池袋の真ん中に四皇のうち三皇を敗走させる「猛毒」の展示をやっているのも不気味だ。一体、中では何が行われているのだろうか。


「まあ平山さん。他に行きたい場所かつ熱中症にならない場所もないし、行ってみてもいいかもよ。映画と違って恐竜と危険生物はテーマパークから逃げるのが当たり前というわけじゃないんだし」



このわたしも、実を言うとちょっと「猛毒展」に興味が向いてきてもいたのだ。なにせ猛毒なのだ。展示されている標本類は、どんなにサイケデリックで気持ち悪い物であろうか。想像するだけで少しゾクゾクするような快感が走る、丹の「行きたい」気持ちが少しだけ理解できてきた。



かくして、三人の新たな目的地は定まった。



もしも40℃の猛暑の中でも普通に活動できるクールな装備に身を包んでいるものが、そんな装備のまんま冷房の効いた室内に行くとどうなるか?


池袋 サンシャイン


「そそ、それにしても会場が暗いね。タマさんの顔も、萌葱の顔も見えないよよ……」


災害級の気温さえねじ伏せるクール装備は低体温症の呪われた装備と化した。


全身を保冷剤で固めた上に空調服で体の熱を強制的に冷却する。つまり雪崩にあって雪に全身埋まったに等しい状態だ。たまたま気温が40℃もあるせいで問題にならなかっただけで、本来はマウンテン医者が主人公のドラマでも本編開始前に死んでいる状態なのであった。


「いいから早くこのモーター付きベストを脱がせて‼︎この取り外した保冷剤は通路の端に寄せといて‼︎」

「向こうの自販機がこの暑い中でも暖かい飲み物売ってたよ、これで体温が上げられるかも」

雪に埋まってなかったせいでマウンテン医者なしでも死亡は免れそうである。

近年の夏(CV関俊彦)は、温度を自在に操ろうとする生物には下弦の鬼同然に厳しい。


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アイビーグリーン発 ベノムパープル行き 花森遊梨(はなもりゆうり) @STRENGH081224

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