141番

山代悠

満月の夜に

その日は、満月だった。


ただ、雲から見え隠れするような満月だった。


俺はその日も、おなじみのコンビニでタバコを買う。


「141番」


短くそう告げると、年齢確認せずに女の店員は背後にある棚に向かい合って、141番のタバコを手に取り、そのバーコードを読み取る。


580円をぴったり現金で出し、それを店員が受け取ったのを確認し、俺は目の前に置かれた直方体に手を伸ばす。


ありがとうございました、なんて言われることなく、俺は店内を後にする。


外に出ると、ちょうど月が雲に隠れるところだった。



3か月くらい前だったか。


23時を回った店内には、俺と女の店員しかいなくて、まさに夜のコンビニの様相を呈していた。


「141番」


俺はいつもと変わらぬ声でそう告げた。


彼女もいつも通り、その箱を差し出してくる。


「これ、おいしいんですか」

「…は?」


不意にそう尋ねられ、俺は固まってしまう。


「いつも買ってますよね。そんなおいしいのかな、と」

「いやぁ、これは…もう、味とかそういうのじゃなくて。いつも買ってるから、っていうだけで」

「そうですか」

「では」


長話をするつもりはなかった俺は、代金を支払ってその場を立ち去った。


翌日も、俺はタバコを買った。


そしてその日も、女店員は話しかけてきた。


「毎日同じ時間に来店されますね。規則正しい生活ができてて、良いと思いますよ」

「はぁ…俺がどんな生活をしようと、どんな死に方をしようと、あんたには関係ないと思いますけどね。では」


背中に視線を受けるのを感じながら、俺は店内を後にした。


それから1週間、俺は決まって話しかけられた。


来店時間を変えようかとも思ったが、避けられていると思うのは、なんだかかわいそうだと感じ、変わらずに来店していた。


そしてある日──


「連絡先を交換しましょう」

「…は?」


バーコードを読み取るスキャナーの代わりに、その女が差し出していたのは、スマートフォンであった。


「何を考えているんですか」

「気づきませんか?私はあなたのことが気になるんです。どんな人間なのか、知りたい」

「…つまらない人間ですよ」

「そういう返しをするのが、私にとっては面白いんです」

「変な人だな…残念ですが、俺はあんたに興味がない」

「そうですか…あ、じゃあこうしましょう」


ピッ、という電子音がしたと思えば、彼女はコンビニの制服のポケットから財布を取り出し、600円を現金投入口に入れた。


そして20円のお釣りを受け取り、それを財布にしまったと思うと──


「これ、あげます。代わりに連絡先をください」

「…俺の連絡先は580円の価値ってことですね?」

「ふふっ。価値なんて、まだわかりません。未知数です」

「そりゃあ賭けに出ましたね」

「そうです、これは賭けです」

「弱ったな…金出されたら断ろうにも断れないですよ」


そうして、俺は彼女と連絡先を交換した。


思い返せば、不思議な出会いだった。本当に。


そこからは別に何もなかった。


意外だったのは、最初に連絡をしたのが俺の方からだったこと。


なにせ、連絡が取れるようになってから1週間、彼女の方から何も送ってこなかったのだ。


お前から連絡先聞いておいてなんなんだ、となるのが常である。


たまらずに連絡して、帰ってきたと思えば、


『なぁんだ、私に興味あるんじゃないですか』


と、バカにしたような返答。


そこを起点として会話が弾んでいったのも、また不思議な事実。


だが俺たちは決して、太陽の上っている間に会うことはしなかった。


まるでヴァンパイアのように、太陽を避けるようにして、俺たちは関わりを深めていった。


俺は彼女を夜にしか見ていない。

俺は現実主義者だったので、彼女を幻の存在だとかは全く思わなかったわけだが、会話の感じや、会った時の雰囲気から、不思議な人だなぁくらいには思っていた。


ある雨の日、その日彼女は早めにバイトが終わるからそれまで待っていてくれないかと言ってきた。


日中に連絡してきた時にはすでに外は雨模様で、徒歩5分のコンビニに行くのさえ気乗りしなかったが、仕方なく足を向けるのだった。


「お待たせしました。それが141番ですか?」

「あぁ、そうだよ。吸うか?」

「いえ、吸わない人なので私」

「そうか」


30分ほど前に買ったタバコを、コンビニの前でふかしていると、仕事を終えた彼女がやってきた。


俺は火を消し、吸い殻入れに押し込み、床で寝ていた傘を手に取った。


「それで、今日はどこかに行くのかな?」

「うちで飲みませんか?」

「…は?」


またこの女は、突拍子もないことを言い出した。

ちゃっかり彼女の右手には、傘と、酒の入っているであろうビニール袋が握られていた。


雨の中を二人で歩いた。


日付が変わるか変わらないかのはざまで、歩いていた。


やがて彼女の家に着き、中に入った俺は驚いた。


「ん?子供がいるの?」

「あぁ、言ってませんでしたね。シングルマザーなんです、私。今日は両親の家に預けてます」

「なんだそれ…」

「そのテーブルで飲みましょうか、座っててください」


そう言い残して彼女は、寝室へと消えた。


「ん、すまん、コートが濡れてて、ソファも少し濡れたかも…って!?なんちゅう格好してんだ!?」

「あぁ、すみません、思ったより濡れてたもので」


彼女は、下着に薄い布のようなカーディガンをまとって、リビングに戻ってきた。


飲みましょーと言いながら、買ってきた2本の酒の缶をカシュッと開け、1本は俺に渡してくる。


「かんぱ~い」

「…」


おいしそうに飲む彼女の横で、俺は少しだけ気まずい思いでいた。


「どうしたんです?もしかしてビールとかの方がよかった?」

「あぁ、いや…」

目の前に置かれたチューハイの缶をなでながら、俺はバツが悪そうに言った。


「俺酒弱くて。すぐ酔うんだけど、まぁ、よろしく」

「あーそういうこと…なんか無理に誘ってしまって申し訳ないな…ほんと、きつかったら私に押し付けていいですからね!」

「ふふっ、ありがとう」


グイッと豪快に飲みながら言う彼女に、頼りがいがあるように感じて、俺は笑ってしまった。


そのあとは、酒をちびちび飲みながら、他愛のない話をした。

テレビもつけずにただ話していたから、時折部屋の中には、外から聞こえる雨音だけが響いた。


それから、少しだけ苦みを含んだ夜を、二人で。


あいつ、酒と一緒にあんなものまで買っていたなんて…




あの日以来、何回か、いや10回前後と言うべきか、同じベッドで同じ朝を迎えた。


互いにとって、依存しあっているような関係性だった。

付き合ってはいないけれど、夜のどうしようもない寂しさを紛らわすのに、ちょうどいい相手。


ぶっちゃけお互いが、体だけの関係であることは認識していたんだと思う。

そして、俺はどこかでこんな関係が終わらないようにと願っていた。


だが、そうもいかないみたいだ。


満月の夜だったが、やけに暗い夜だった。

雲もないのに、静謐さが際立った夜だった。


俺はコンビニでいつものタバコを買おうと、自動ドアをくぐった。


すると、レジ前の棚で商品整理をしていた彼女と目が合った。


彼女の眼は、なんとなく黒さが際立っているように感じた。


そして俺に近寄ってくると──


「外で待ってて。すぐ行く」

「お、おう」


疑念を抱きつつ、俺はくるっと回って店先に出た。


ほどなくして、制服を着たままの彼女は出てきた。

そして手には、いつも俺が買う箱。


「もう、終わりにしよう」

「…は?」

「突然でごめん。でも、終わりにしよう…今までのこと、申し訳ないと思ってる。それと、感謝も、してる…」

「え、ちょ…はぁ?」


俺が次の言葉を繋ぐ前に、彼女は店の中に戻ってしまった。

その背中には、追いかけてくるな、という強い意志があった。


仕方なく俺は、もらったばかりの箱を開け、中から1本のタバコを取り出して火をつけた。


夜空に浮かぶ月が、たばこの煙で少しかすんだ。

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141番 山代悠 @Yu_Yamashiro

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