第4話 妹から見たある妖精の生涯、あるいはその後
私たち兄妹は、ごく普遍的な妖精であった。気まぐれに使命に取り組み、才能の種を開花させたり開花できなかったり。使命のときを除いたら人間の視界にすら入れなかったけど、別に寂しくもなんともなかった。
だって、私にはお兄ちゃんがいたから。お兄ちゃんのおかげで私は寂しい思いもしなかったし、生を楽しむことができたのだ。つまるところ、私の世界はお兄ちゃんで完結していた。
でも、お兄ちゃんは違ったみたい。お兄ちゃんの世界は私だけで完結などしていなかった。二人きりの世界なんてものではなかった。今まで関わってきた人間全てに情が芽生え、だが才能を開花できず人間に自身の記憶を保持させることはできなかった。
だから、兄は禁忌を犯した。自分のことを忘れられ続ける事実に耐えれず。今回兄が接触した青年も、やかり才能を開花出来なかった。そして兄はとうとう、青年に自身の正体を明かしてしまった。
やがて兄は妖精としての自我を失い、半世紀かけてゆっくりと魂が作り替えられていった。たかが五十年、されど五十年。兄で完結していた私の世界から、その兄すら消えてしまうのには十分な時間だった。
妖精でなくなってしまった兄の行方など私につかめる筈もなく、私はひとりぼっちになってしまった。でもあるとき、見つけた。見つけてしまった。
かつて自身の兄であった人間を。何の因果か彼は才能の種を持っていた。私は迷わず使命を果たすために彼に近づき、彼の妹に為った。
「私ね、お兄ちゃんの絵が大好きなんだ」
私の感情を表すのに、この言葉はおそらく不適切だ。でもそれと同時に、私の願望を叶えるためにはこの言葉が最も適切だ。
私は兄の記憶に私という妹の存在を焼き付けたい。そのためには兄には才能を開花してもらわなければならない。だから私は、兄と兄の絵が大好きな無垢な少女を演じなければならない。
私はたぶん、兄のことは好きではない。あれはただの依存で執着であった。その感情がぐちゃぐちゃになり、今となってはもはや何なのか自分ではわからない。
無垢な妹になって早数年。兄は無事に才能を開花させ、私は姿を消した。もっとも人間から見えなくなったというだけで、私はまだ兄のそばにいた。
意外なことに、兄は私のことを探し続けているようだった。私の思惑通り存在を焼き付けることに成功しているのだ。
でも、私には虚しさしかなかった。かつての兄がそうであったように、人間の兄の世界も私だけで完結しているわけではないのだろう。
そしてとうとう、その日はやってきた。かつて青年であった老人と兄が再会してしまった。兄には老人の記憶などない。だが、かつて情を持ち、己の正体を明かした相手だ。妹である私より、大切な存在になりえる。
老人は兄におとぎ話を語った。かつて兄が老人に妖精の内情を話したときのように。あるいは、そのときの兄よりも優しい口調で。
私が人間でないと知っても、兄はまだ私と会いたいという気持ちが残っているようだった。私の予想より、兄は薄情者ではないのかもしれない。
今からでも禁忌を犯そうかな?そしたら半世紀後には兄と再会できる可能性もある。そのときの私は兄のことなんて忘れるし、必ずしも再会できる保証なんてない。兄がまだ生きているとも限らない。
もう、いっか。私はいい加減、兄離れをするべきだ。
『さようなら、お兄ちゃん』
決して相手に伝わることのない別れの言葉を告げる。
もう、ここから立ち去ろう。そう思ったとき、私はとんでもない物を見つけてしまった。老人に、才能の種が宿っていたのだ。
彼の才能の種は、六十年前に開花せず消滅したはずだ。それなのに、なぜ今。
いや、考えても仕方がない。才能の種を見つけたからには妖精の使命を果たさねば。決して、決して兄に近づくチャンスとは思ってない。
よし、じゃあこの老人の孫娘になろう。すなわち、兄の友人の従兄弟でもある。そうと決まれば早速周囲に暗示をかけてっと。
私を見たら、兄はどんな顔をするかな?老人が『また話しに来てくれないかい』と行っていたから、兄は訪ねてくるはずだ。
「おにーさん、だあれ?」
案の定、兄が老人の家を訪ねてきた。今の私は老人の孫娘。初対面かのように振る舞わねば。
うん、やっぱり兄は目を丸くしている。そうだよね。妹の幼児時代と全く同じだから驚くよね。それに、禁忌を犯したにしては人間になるのが早すぎる。
だがしかし!今の私はいたいけな幼女。そんな事情はおかまいなしに、兄にとびつく。数年間、兄に触れられなかったのだ。ちょっとくらい抱きついたってバチは当たらないだろう。
あ、兄がフリーズした。面白くてつい指でツンツンする。しばらくして兄は正気を取り戻し、口を開く。なんて言われるか予想がつかなくて、柄にもなくドキドキする。
「はじめまして、俺は──」
妖精は消えた 睦月 @mutuki_tukituki
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